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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

能楽師を先生と呼ぶ違和感・・・さらにつづき

能楽は世阿弥によって大成されたというのが定説です。それ以前にも長い歴史があったようですが、現在に繋がる芸術性の高い能をまとめ上げたのは、やはり世阿弥の力だったと言えましょう。
同時に、足利義満の庇護を受け、能が「武家の式楽」となっていくきっかけを作ったという意味でも、世阿弥の存在は大きいと思います。

能楽は室町幕府時代から戦国大名の時代を経て、江戸幕府に至る長期にわたって、武家の式楽として尊ばれました。一日に何番もの能を自ら演じたという豊臣秀吉を始め、多くの武将、大名が自ら能を演じ、これにならって臣下達も稽古をしたようです。さらに江戸時代になると一般民衆まで謡が教養として広がっていきました。

一方、能の公演自体は幕府の儀式や大名家での会などが主体で、勧進能のような特別な興業のみ、広く木戸銭を取って一般にも見せたようです。小屋掛けをし、常時公演を行った歌舞伎などとは一線を画する行き方です。

良くも悪しくも、こうした歴史が能を形作ってきました。連続興業を行わないことは一期一会の緊張感の高い演能を導き、能楽がより芸術性を高めていく原動力になったと言えましょう。しかしこれは同時に、演能だけでは生活できないことを意味し、武家の庇護が存在の前提になってしまったわけです。

このため江戸末期の幕藩体制崩壊によって、能楽は存亡の危機に立たされました。能楽を愛好する華族や資産家などの庇護もあって、明治期以降も能楽は存続することが出来ましたが、江戸時代までのように俸禄をもらって生活することは不可能となってしまいました。そこで、従来から行っていた素人に謡などの稽古をつけることを生計の柱とするようになっていった、ということのようです。
茶道や華道と同じように、お弟子さんを取ることによって成り立つ部分を生計の基礎に置いた・・・つまり先生になったということです。
この項、さらにつづきます・・・
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このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
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