能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

知章さらにさらにつづき

ともかく下掛り宝生のワキなので、ワキは知盛と知章は一所に果てたのかと問いかけ、シテは知章には触れずに「さん候知盛は あれに見えたる釣舟の程なりし」と腰を浮かせて遠く釣舟を見る形から、はるか沖の御座船に追いついて助かったと答えます。

さらにワキの問いに答えてシテは、知盛が井上黒という名馬に乗って海面を泳ぎ切り、御座船に追いついたものの、船中には馬をのせる場所が無く、馬はもとの汀に泳ぎ戻った。この馬の様子に見る人々が哀れを催したことを語ります。

越鳥南枝 胡馬北風の言葉を織り込んだ地謡が謡われ、続いてロンギ。シテの謡で、自身も一門の内であることが明かされますが、名を問うのには答えをはぐらかしつつ中入。
地謡の「帰る方を見れば」に腰を浮かせて振り返るようにして幕を見込んだ後、目付柱の方に体を戻して立ち上がり、常座へ回って「後ろ影も失せにけり」と中入りします。一噌流につき送り笛が吹かれますが、さてその常座で向きを変える際に、やや目を閉じるような感じがありました。直面も面をかけているのと同様ですから、表情を動かさないのが基本でしょうけれども、なんだかその目を閉じたような雰囲気に大変味わいがありまして、さて演出だったのか偶然だったのか、としばし考えたところです。

アイが立ち上がって常座に出、須磨の里に住まいする者と名乗り、この間は浦辺にも出なかったので今日は浜の態を見ようと存ずると言って目付に出てきます。
ここで型通りワキ僧に気付いて声をかけ、正中に移って着座してワキとの問答。ワキに問われる形で知章の最後を語ります。
知章が亡くなったのは三年前の当月当日、正命日であると述べワキ僧にさらなる弔いを勧めます。

アイが退場すると、ワキは先ほどの男は知章の幽霊が現れてきたのだと述べ、待謡を謡います。待謡の終わりにヒシギが吹かれ一声の囃子となって後シテの出です。
さてこのつづきはまた明日に
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知章またつづき

黒垂に梨打烏帽子、白鉢巻きを着け、朱地の厚板に白大口、長絹を肩脱ぎにしての後シテの登場です。白の大口袴と書きましたが青海波の文様が織り柄になっている様子です。

シテは一ノ松に出てサシ謡。一セイから「後の山風上野のあらし」と幕方をまず見てからワキ座上方へと視線を移し、地謡の「草木国土有情非情も」の謡で七つ拍子を踏んで、一度幕の方を見込んだ後舞台へ進み「うかみ出でたる有り難さよ」と正中に進んでワキに向かい合掌します。

ワキが誰かと問いかけると、自ら「知章これまで参りたり」とシテが名乗り、ワキとの掛け合いから地謡「朧なる雁の姿や月の影」で始まる上歌になります。
シテは謡に合わせて拍子を踏み、左の袖を巻いて目付、大小前、常座と舞台を廻ってワキの方を向きます。この途中で後見がシテのそばに立ち、何やら声をかけたのですが、はてあれはなんだったのか。いささか立ち位置が正中の方に寄っていた感じもしたのですが、本当のところは不明です。

地の上歌の終わりまでで、常座に立ってワキを向いたシテに、ワキは知章の最後の様子を詳しく語るように求めます。地謡がこれを受けてクリを謡う中、シテは大小前から左袖を巻いて正中へ出、床几にかかります。

シテのサシ、地謡で、一門の人々が船に取り乗って海上に浮かんだ様が謡われ、シテ「その中にも親にて候新中納言、我知章監物太郎、主従三騎に討ちなされ」地「御座船を窺いこの汀にうち出でたりしに、敵手繁くかかりし間、また引っ返し打ち合う程に、知章監物太郎、主従此処にて討死する」と謡が続きます。

このあたりからが、この曲の演じにくいところ、この曲があまり出ない理由ともなるところかも知れません。知章と郎党監物太郎が討ち死にするという重要なエピソード、通常であればこの後のクセの部分で謡い舞いなり仕方なりで、知章の奮戦が描かれ、クセの終わりに知章の最後と知盛の思いが描かれるというのが収まり良いところと思います。そしてキリでワキの弔いに成仏するという展開になりそうなのですが、知章の死はクセの前に語られてしまい、この後のクセは知盛の様子になってしまいます。

どうも曲の展開をめぐって思うところを織り交ぜて書いていると、どんどん長くなってしまいます。もう一日、この曲の話つづけます
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知章またまたのつづき

昨日書きました、シテと地謡で知章と監物太郎の討死が謡われる部分は特に型付けがなく、床几にかかったシテはじっとしたままです。
続いてシテの謡「その隙に知盛は」これを地謡が受けて、御座船まで馬を泳がせてたどり着いたことが謡われます。この終わりにシテがワキを向き、語る風情を見せますが、低音の笛のアシライが涙を誘う感じです。

クセの前半は居グセで、知盛が子息知章や郎党監物太郎が討たれるのを見捨てて助かったことを嘆き、袖を濡らした様が謡われますが、ここの地謡は思いが切々と迫るようで聴き応えがありました。
シテの上げ端「武蔵の守知章は」地謡「生年二八の春なれば・・・」と、知盛の兄で平家の総大将だった宗盛の嫡子清宗と同じ十六歳だったことが謡われます。シテは立ち上がり、ゆっくりと目付柱の方を見ると直してサシ込み開き、七拍子踏んで目付へと出、角トリして正中から常座へと回って小回り、と舞台を一廻りしてさらに四拍子を踏み、左右打込開きとクセの謡一杯に型を見せます。

ここからロンギになりますが、これがまた不思議な展開で、地謡が「げに傷わしき物語、同じくは御最期を懺悔に語り給えや」と謡い、時間は戻って知盛、知章、監物太郎の三騎に源氏方の児玉党が追いつき、知盛に駆け寄り討とうとするところを知章が割って入ったという知章の最期の場面になります。

シテがこの修羅場を舞に見せ、知章が知盛に駆け寄った敵方の主人と思しき武者を討ち取ったものの、起き上がったところを敵の郎党に討たれてしまったと、最期の様子を見せます。
そこからは急転直下「そのまま修羅の業に沈むを 思わざる御僧の弔いはありがたや」とワキに感謝する形となり、討たれた形で安座したところから、立ち上がって目付、常座と回り、正中でワキに合掌。直して留拍子を踏んで終曲となりました。

知章の奮戦も、知盛の思いも、あるいは一門の人々の涙も、それぞれに迫ってくるものがあり、そういう意味ではこの鑑賞記の初日に書いたように「案外面白い曲」だと思うのですが、知章最期と知盛の悔恨とテーマが錯綜してしまい、能としては難しいところでしょう。
演じにくい曲かと思いますが、次々と変わる場面を違和感なく演じたシテの技量が「案外面白い曲」という印象に繋がったのかも知れません。
(81分:当日の上演時間を記しておきます)
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15万ヒットの御礼など

ここ数日、更新を休んでおりますが、この間に・・・たぶん本日15万ヒットを越えました。
14万ヒットから3ヶ月弱ですが、ご来訪いただいた皆様のおかげと感謝しています。

実は先週、老母が他界しまして本日が葬儀。特に苦しむこともなく、静かに旅立ちました。
今時珍しい老衰と言っても良い様子でした。
とりあえず、葬儀は終えたものの、何かと片付けなければならないこともありまして、もう少し更新をお休みするかも知れませんが、とりあえず15万ヒットを越えておりますので、一言御礼と思った次第です。

ご来訪の皆様に感謝しております

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