能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

東北のおまけ

まず観世流の詞章を示します。
シテ「げにや色に染み 香に愛でし昔を
地「よしなや今更に 思い出づれば我ながら懐かしく 戀しき涙を遠近人に 漏らさんも恥ずかし 暇申さん
シテ「これまでぞ花は根に

この後の地謡「今はこれまでぞ・・・」からは喜多流とほぼ同一です。

一方喜多流では
シテ「げにや色よりも 香こそ哀れに思ほゆれ誰が袖ふれし梅の花 袖ふれて舞人の 返すは小忌衣 春鶯囀と云う楽はこれ春の鶯
地「鶯宿梅は如何にや
シテ「これ鶯の宿りなり
地「好文木はさて如何に
シテ「これ文を好む木なるべし
地「唐の帝の御時は國に文学盛んなれば花の色もますます 匂い常よりみちみち 梅風四方に薫ずなり これまでなりや花は根に

となってこの後の地謡は観世流とほぼ同じです。

観世流、宝生流がほぼ同じ詞章、一方で喜多流と金春流がほぼ同じ詞章になっています。これは納得いくのですが、なぜか金剛流の詞章は観世流や宝生流と同じ系統になっています。不思議なこともあるものです。
いずれにしても、この部分の詞章の違いは曲の解釈にも影響がありそうで、いささか雰囲気が違ってきますね。

ところでシテの佐藤さん、小柄な印象を受けました。舞は優美にまとめておられたと思います。
(95分:当日の上演時間を記しておきます)
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地蔵舞 山本則孝(喜多流青年能)

大藏流 喜多六平太記念能楽堂 2010.09.25
 シテ 山本則孝
  アド 遠藤博義

この地蔵舞もブログ初登場です。大藏、和泉両流にある曲ですが、このところ山本家以外の上演をほとんど見かけないような気がします。4、5年ほど前に観た時も山本家の上演でした。

舞台にはまずシテの出家が登場してきます。後から長上下を着けたアドの男が出て、シテが常座に立つと笛座に下がって着座し控えます。もともとはシテが次第の囃子で出て次第を謡う形のようですが、狂言の次第は省略されることの方が多いですね。
シテは無地熨斗目に青の水衣、括り袴をはいて頭巾を被り、手には黒塗りの笠を持った旅の僧という次第で、都見物に出かけてきたと名乗ります。

笠を被ると舞台を一回りし、常座に戻ると日も暮れてきたので宿を借りたいものだと言います。ずっと向こうに光が見えるなどと言いつつ、さらにもう一回り舞台を廻って常座に立つと高札(タカフダ)に気付きます。
シテが高札を読み上げますが、往来の者に宿を貸すこと固く禁制なりと書かれています。これは困った出家ですが、高札を見なかったことにして宿を借りようと言って案内を乞います。

この案内の声にアドの男が立ち上がってきます。
出家は宿を借りたい旨を述べますが、主人は高札に所の法として往来の人には宿を貸さないとあったろうと言い、宿を貸すことを断ります。
すると出家は一計を案じ、主人に笠を預かってくれと申し出ます。自分は出家の身なので「野に伏しても、山に伏しても苦しうござらぬが、この笠は師匠から譲られた笠でござるによって」預かってくれと妙な依頼をします。

主人は快く笠を預かることにし、出家は立ち去ることになりますが、このつづきはまた明日に
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地蔵舞のつづき

シテが正先あたりに笠を置き別れを告げると、シテ、アドがそれぞれに下がり、アドは狂言座に控えます。一方シテは、一度常座まで進むと再び舞台中央に戻り、家に忍び込んだ態で置かれた笠を被って舞台上に座り込みます。

アド主人が立ち上がり、常座で人影があると言って「出会え」と声を張り上げると足拍子を踏んで角に出、シテを見つけます。一度常座に戻って、これはどうしたことかと独り言を言った後、あらためてシテに向かって進み、宿を貸していないと出家を叱りつけますが、預かってもらった笠の下は今宵一夜は身共のものじゃと、出家は妙な言い訳。

それならば笠から出たところはどうするのか、と主人が出家に問いますが、出家は笠から出たところがあれば「切ってなりとも、削いでなりとも取らしめ」と言い張ります。主人は早速、ここが出たとシテの被る笠を扇で叩き、出家は「出まい」と身を縮めます。主人はまた別の所をここが出たと叩き、また出家は「出まい」と引っ込める。三度ほどこのやり取りがあって、主人が笑い出してしまいます。

アドは法を破って宿を貸そうと言い笠を取るように勧めます。出家は早速笠を取り、それでは休もうと横になります。
和泉流の本を見ると、ここではシテが笠を取らないと言い張り、何度かのやり取りの後にようやく笠を取って、ああ窮屈だったという趣旨のことを言う形になっています。総じて大藏流の方が和泉流よりも、こうしたやり取りの部分ではあっさりとしている感じを受けます。

アドが狂言座に下がりしばらくすると、シテが起き出してお勤めを始めます。怪しいお経を唱えますが、これに驚いたのがアドの主人で、あわてて出てくると、大法を破って宿を貸しているのだから静かにするようにと諫めます。
シテは咎められるとあっさりお勤めをやめますが、このつづきはまた明日に
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地蔵舞さらにつづき

シテが素直にお勤めをやめると、アドは今宵はあまりに夜寒だから、と言って出家に酒を勧めます。これに対して出家は飲酒戒を守っているので酒は飲めないと断ります。
主人は、ならばと酒を持ち帰る様子を見せますが、出家はあわててこれを留め、飲むことは出来ないが吸うならかまわないと言って酒をすするように飲むことになります。

和泉流では、アド主人が一人で酒を呑みだし、出家がうらやましそうにこれを見るやり取りがあったり、もう少し演出が膨らんでいます。
さらに「ろくじょうかワカメがあるか」と出家が問い、ろくじょうならあると主人が言うと、そのろくじょうを杯に入れてくれるように頼み、これに酒を浸して酒塩として飲むならば問題ない、といって結局酒を呑む形になっているようです。(ろくじょうは、六浄豆腐ないし六条豆腐と書かれ、塩漬けにして乾燥させた豆腐で、薄く削って酒などに浸して食べたり、塩抜きして料理に使ったりするようです)

それはさておき、主人と出家と二人しての酒盛りとなり、まずは二人で何やら謡います。謡曲「芭蕉」の一節「錦帳の下とは。廬山の雨の夜草庵の中ぞ思はるる」と謡ったようだったのですが、謡い終えると「上々の酒」と二人で褒め合います。

主人は出家に何か肴にと求め、出家は経を読みましょうかと返しますが、それは勿体ないということで、出家は小舞を舞うことにします。
「あはれ一枝を花の袖に手折りて。月をもともに眺めばやの望は残れりこの春の望残れり」と泰山府君のようでした。謡曲の「天の羽袖」を小舞では「花の袖」と換えて謡います。和泉流の本では泰山府君ではなく春雨を舞うようになっています。

今の骨折りに一つ、と主人が「浮かめ浮かめ水の花げに面白き 川瀬かなげに面白き川瀬かな」と櫻川を謡い、二人して「ざざんざ、浜松の音はざざんざ」と謡って大いに盛り上がります。
さてこのつづきはもう一日明日に
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地蔵舞さらにつづき

主人は先ほどの舞が短かったのでもっと長い舞を舞うようにと出家に求め、出家はそれならば地蔵舞を舞うので囃して欲しいと求めます。

シテが進み出て今度は地蔵舞。出家が「地蔵舞を見まいな」と謡い、アドも「地蔵舞を見まいな」と囃すとシテ出家の謡い舞いになります。

「地蔵の住む所は、加羅山に安養界、地獄餓鬼畜生、修羅人天耶麻兜率天 二十五有を廻って罪の深き衆生を、錫杖を取り直しかい救うてはぼったり、ついすくうてはひったり、昔釈迦大師の、忉利天(とうりてん:一文字目は環境依存文字でりっしんべんに刀です)に上って御説法のふしに、地蔵坊を召されて、忝なくも如来の黄金の御手を差し上げ、地蔵坊がつむりを三度までさすって、善哉なれや地蔵坊、善哉なれや地蔵坊、末代の衆生を地蔵へ預け置くなりと、仰せを請けてこの方走り回り候えど、誰やの人か憐れみて、茶の一っぷくもくれざるに、くたびれ果つるお地蔵、このお屋敷へ参りて、あいの物で十杯、三度いりで十四杯、禄目に任せて二十四杯飲うだれば、糀の花が目にあがり、左の方へはよろよろ、右の方へはよろよろ、よろよろよろとよろめけば、慈悲の涙のせきあえず、衣の袖を顔にあて、ころもの袖を顔にあてて、六道地蔵の酔い泣きしたをごろうぜ。酔い泣きしたをごろうぜ」
と謡い舞いし、最後は拍子を踏みガッシしてのシャギリ留めになりました。
地蔵舞の詞章は聞き取りですが、和泉流とは微妙に違っています。

まずは楽しい曲ですし、宿を貸さないというので笠を置き、その笠に宿を借りたと理屈をこねたり、酒は呑まないが吸えばよいなど、笑いの要素が盛り込まれています。

一方で、シテが最初に語るように身一つの気楽な物であるはずの出家が、旅人に宿は貸さないという掟に阻まれるのは、中世の現実だったのでしょう。
定住しているいわゆる良民と、漂白の人々との関係は、亡くなった網野善彦さんが指摘して以来ようやく注目されるようになりましたが、こんなところにもそうした関係性が顔を出していたのかと、ふと思った次第です。
(28分:当日の上演時間を記しておきます)
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項羽 塩津圭介(喜多流青年能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2010.09.25
 シテ 塩津圭介、ツレ 佐藤勝
  ワキ 舘田善博、アイ 若松隆
   大鼓 柿原光博、小鼓 森澤勇司
   太鼓 大川典良、笛 栗林祐輔

続いて項羽。この曲もブログ初登場です。あまり上演の多いほうではありませんが、稀曲というわけではなく、各流を合わせれば意外に上演されているなあという印象です。

項羽と言えば、漢の高祖と天下を争った楚の英雄です。四面楚歌という言葉の起こりは、この項羽と劉邦との戦いに出てくるものですね。
一般に能の原典は日本の書籍に求められるようで、話は中国のことであっても、平家物語に出ている話だったりということが多いようです。この項羽という曲も、司馬遷の史記ではなく太平記を原典にしている様子です。

さて舞台上にはワキ、ワキツレの都合三名が次第の囃子で登場してきます。ワキが白大口に段熨斗目、緑のシケの水衣、ワキツレは白大口に無地熨斗目、浅葱のヨレの水衣ですが、いずれも細竹に様々な花を挿し込んだもの肩に担って草刈りの男達という設定です。
所は烏江、中国のこととされていまして、次第を謡うとワキの名乗り、烏江の野辺に草を刈る者だが、今日も草を刈って家路に帰るところと言って三人の謡になります。

様々に草を刈って来たが、はや秋も暮れ枯れ野になりつつあります。花を惜しむ心を謡うと、ワキの詞で家路に向かう船が向かいにあるので、後を待とうということで、一同ワキ座へと下がります。
このつづきはまた明日に
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項羽のつづき

一声の囃子が奏されてシテの出。便船の船頭という心で、無地熨斗目着流しに水衣肩上げ、左手に棹を持った老人姿で登場して常座まで出ます。
「蒼苔道滑らかにして僧寺に帰り 紅葉声乾いて小鹿鳴くなる夕まぐれ」と秋の夕暮れの風情を謡います。

シテの謡の終わりに立ち上がったワキは、シテに船に乗せてくれるようにと声をかけます。これに対してシテの老人は船賃があるかと問い返します。草刈りの男達は船賃など払ったことはないと答えますが、ならば乗せることは出来ないと老人が乗船を断ります。

ワキは、それならば浅瀬の方へ回ろうと言いますが、老人はこれを留め道理を言ったまでで、この船に乗るようにといい、ワキの一行は船に乗ることにします。
シテが「とく乗りたまえとさし寄する」と謡い、棹に手をかけて船漕ぐ形を見せます。

一同が船に乗ったという形でワキがシテの前に下居し、ワキツレがワキ座に下がって着座すると、地謡の上歌で年に一度の七夕に天の川を渡るように、川を船が進む風情が醸し出されます。上歌の終わり「水馴棹をさそうよ」で、シテは再び棹を構えて船漕ぐ形になります。

「舟が着いて候 御上がり候え」とシテが声をかけ、船が岸に着いた風でワキが「心得申し候」と立ち上がってワキ座に退くと、老人は音を立てて棹を落とし、再び船賃のことを言い出します。
ワキがなぜまたその様なことを言うのかと問うと、船賃というのは、その刈って来た草花の内から一本戴きたいのだと答えます。
そもそもはこの草刈り男の刈って来た花が鍵になっている訳ですが、ここへ話を繋げていく展開になっています。いささか無理無理な感じもしないではないのですが、ともかくもワキはどれでも差し上げようと言い、常座のシテに寄って肩に担った竹を差し出し、シテが一本の花を取ります。芥子の花、ポピーの形です。
このつづきはまた明日に
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項羽さらにつづき

その花を選んだゆえをワキが尋ねると、シテはこの花が美人草という花であることを語ります。美人草とはまたどうしてかということになりますが、老人は項羽の后であった虞氏が身を投げて亡くなった後、その亡骸を埋めた塚に生えた草なので美人草というのだと話します。
この言葉にワキが、それならば項羽と高祖の戦いの様子を物語って欲しいと求め、ワキはワキ座に着座し、シテが大小前で床几にかかっての語りになります。

項羽と高祖の戦いは七十余度に及んだものの、項羽の連戦連勝で高祖は負け続けていた。しかしある時、項羽の兵が心変わりして項羽を攻め四面に鬨の声を上げたので、虞氏は思いに堪えかねて伏してしまった。と語り出します。

項羽の乗っていた望雲騅という馬は、日に千里を駈ける名馬だったが、主人の運命が尽きたのを覚ったのか、膝を折って一歩も進まなくなってしまった。ここにきて項羽は少しも騒がず馬を下りると、追っ手の中に旧知の呂馬童がいるのを見つけ、自分の首を取って高祖に捧げ名をあげるようにと呼ばわった。

ここから地謡が受けて、呂馬童が恐れて近づかないので、項羽は自ら首を掻き落とし呂馬童に与えようとした旨を謡います。そして現れ出でたのは項羽の幽霊であり、どうか後を弔ってくれるようにと求めて姿を消したと謡います。

地謡の「昔に帰る身の果」で立ち上がったシテは、「今はつつまじ我こそは 項羽が幽霊」の謡にワキに向かってシカケ開キと、自らの素性を明かす形で中入となります。
代わってアイの渡し守が登場してワキとの問答。既に川を渡ったというワキに、アイは自分が来なければ舟を渡す者はいないはずと訝ります。ワキとの問答で、項羽の幽霊が仮に船頭の姿で現れたことを悟ったアイは、項羽の最後をあらためて語ります。さらにワキ一行に対して項羽の弔いを勧めて退場となります。
このつづきはまた明日に
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項羽さらにさらにつづき

ワキの一行が待謡を謡い弔いの様となります。「殺害三界不堕悪趣」の謡で出端の囃子。
後場ではまずツレの虞美人が姿を現して橋掛りを進みます。紅入唐織着流しに側次を着けているのは、中国の女性であると約束事。そのまま橋掛りを進んで常座へと立ちます。
後から現れた後シテは半切に袷法被を肩脱ぎにし、唐冠を被って右手に鉾を持っています。

シテは一ノ松に留まると「昔は月卿雲客にうちかこみ、今は松下野田の月」と謡い出します。地謡、シテ、地謡と謡が進み「おのおの伎楽を奏しつつ」と足拍子を踏んで一ノ松で型を見せます。ツレの方を見込み、シテ柱に寄って鉾を構えますが「四面にときの声を上ぐればまた執心の攻め来たるぞや あら苦しの苦患やな」の謡に、鉾を逆様に取り凭れるような形になります。

ツレが一句謡って一畳台に上がり、地謡の「高楼に上りて落つるは」の謡さながらに、シオって一畳台を前に下りて下居し「身を投げ」た形から、立ち上がるとワキ座へと下がります。
ここで働になり、シテが舞台へと進んで一畳台に飛び乗ります。さらに鉾を振りつつ戦いの様を見せる形です。

鉾を使う曲は珍しく喜多流はこの項羽一曲。観世流は逆鉾という観世だけの曲がありますので、この二曲で鉾を用います。他流はどうなのでしょう。たしか鉾の形も観世流はちょっと違っていたようです。良く用いられる長刀は横に払って使う武器ですが、鉾は突いて使う武器なので、働でも型が違ってくるようです。

さらに戦いは続き「剣も鉾も皆投げ捨てて」と後見に鉾を渡して台上に安座。扇広げて謡い舞により項羽の奮戦が表されますが、最後は運も尽きたと橋掛りへ進み、土中の塵になったと幕前で飛び返って下居、立ち上がって留となりました。
若手らしいメリハリのある舞台で好感を持ちました。
(66分:当日の上演時間を記しておきます)
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萬狂言水戸公演を観に行く

昨日は、萬狂言の水戸公演ということで、水戸芸術館に行ってきました。
小振りのホールなうえに、かなり前の方の席を取ったこともあり、演者が直ぐ目の前状態。装束の様子なども大変よく分かりました。

狂言の公演に先だって、プレ・パフォーマンス・トークとして万蔵さんが30分ほど話をし、続いて清水座頭。休憩をはさんで首引が演じられるという形でした。
このブログで何度か書いているように、私は万蔵さんが本名の良介さんで出ておられた頃からのファンですが、考えてみると万蔵さんが30分もお話をするのを聞いたことがありませんでした。
最初に「私は芸人ではないので、面白い話はできませんが」と断ったうえで、狂言を廻って様々なお話があり、興味深くうかがったところです。

先日の平城遷都1300年記念祝典に参加された話から始まり、猿楽から生まれた能と狂言の違いについて、能は突然変異のようなもので、真面目で分かりにくい方に行ってしまったもの。狂言は猿楽の遺伝子を素直に受けたもの、というようなお話もされていました。
もっとも、それは狂言方からの言い分で、能の方からは別の見方があるでしょうとも話されていましたが・・・

また、この日は万蔵さんの次男拳之介クンが来ていまして、稽古風景をお見せしましょうということで、鸚鵡返しで山伏の名乗りを稽古するという実演。だいぶん拳之介クンが照れている様子で、いささか調子が出なかったようですが、なるほどこんな風に進めていくのかと興味深く拝見しました。

万蔵さんの話では、能の方ではすり足など体の動かし方から厳しく稽古するようだけれども、子供のうちは明るく、天真爛漫にということを第一に考えて稽古しているのだそうです。芸はいずれ自分自身で盗んでいくもので、まずは色をつけずに教えることに留意している。そのため、教える側も自分の色を出さないように、明るく、はっきりと発声するように気を付けているので、ハードだといった趣旨のお話もありました。
万蔵さんの、狂言に対する考え方の一端がうかがえ、良い機会でした。

というわけで、二曲の鑑賞記は明日以降に
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清水座頭 野村萬(萬狂言水戸公演)

和泉流 水戸芸術館 2010.10.11
 座頭 野村萬
  瞽女 野村扇丞

このところ、ブログ初登場の曲が続いていますが、この清水座頭も初登場です。大藏流では古くは瞽女座頭の名で演じられていたようですが、現在は廃曲になっている様子です。
まず舞台にはアド瞽女が登場してきます。ごく薄く黄色味がかった地に紅葉が散らされた小袖を着け、美男鬘に右手には杖を持ち、杖突きながらの登場。常座まで出ると名乗り。
三年ほど前にふと目を患ってから盲目となってしまった次第を語り、清水の観世音に参って、身の行く末を祈ろうと存ずると言いつつ、舞台を廻ります。

大小前で「まいるほどに清水のお前じゃ」と、清水の観世音に着いた態となり、正中で座して杖をおくと、扇を広げて前に置き合掌して祈念する形になります。
合掌を解いて扇を閉じると、御堂に籠もろうと言って立ち上がりワキ座前のあたりに正面を向いて着座します。

これを受けてシテの出。
座頭出立ですが、頭巾は角頭巾ではなく能力頭巾、それに小格子の上に十徳を着け、狂言袴、右手に杖を持って、やはり杖を突きながらの登場です。
常座まで進んでくると名乗りの後、清水に参り申し妻をしようと言って舞台を廻ります。
正中あたりまでやってくると、俄に驚いた様子で杖を振ります。犬にあたったという様子で、もう少しで犬に噛まれるところだったと言い、目が見える者が教えてくれればよさそうなものだと嘆きつつも、さらに進んで「鰐口の音がする」と清水に着いた態になります。
さてこのつづきはまた明日に
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清水座頭のつづき

シテは正中へ出ると、ジャガンジャガンと自らも鰐口を鳴らす様子をみせ、正中に正座して扇を広げると合掌して観世音に祈ります。

祈りを終えると立ち上がりワキ座の方に進みますが、ここで瞽女に行き当たってしまいます。
瞽女は怒ってきつく咎め、座頭は「剣呑な物の言い様じゃ」と言いつつ常座に下がり、ワキ座に立った瞽女と声を掛け合う形になります。
いずれも相手を咎めるようなことを言っていますが、まもなくお互いが盲目とわかり、瞽女は「真っ平許して下され」と謝り、座頭も謝って二人それぞれの場所に座します。

座頭は、今宵はゆるりと話しましょうと言い、ささを持ってきたので一つどうかと瞽女に勧めます。瞽女が酒をたしなまないと断ると、座頭は取り出した瓢箪から手酌で、広げた扇を盃に見立てて酒を注ぎ、一つ飲み干します。
ひいやりとして美味い、と座頭は酒を堪能した風で、もう一度瞽女に酒を勧めます。今度は瞽女も飲んでみようと言い、座頭が女に寄って酌をし瞽女も酒をのみ二人しみじみとした様子になります。

さて気分の良くなった座頭が「平家を一句語りましょう」と言い、得意らしい平曲を語り出します。が、この平家がいささか怪しいもの。

平曲「そもそも一ノ谷の合戦敗れしかば、源平互いに入り乱れ、向かう者の頤を切らるる者もあり、逃ぐる者の踵を切らるる者もあり。忙わしき時のことなれば、踵を取って頤に付け、頤を取って踵に付けたれば、生えうずこととて、踵に髭が、むくりむくりと、生えたりけり。冬にもなれば、切れうずこととて、頤にあかがりが、ほかりほかりと、切れたりけり。」

瞽女はこの怪しい平曲を「さてもさても面白いことでござった」と褒め、座頭は総じて平家というのは音が大事だと自慢する様子です。
さてこのつづきはまた明日に
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清水座頭さらにつづき

座頭の平曲をめぐるやり取りの後、今度は瞽女も一曲ということになり、瞽女は小歌「地主の桜」を謡います。

瞽女「地主の桜は 散るか散らぬか 見たか水汲 散るやらう散らぬやらう 嵐こそ知れ」
この歌、閑吟集にも見えますし、お茶の水(大藏流は水汲)でも女が謡います。流行った小歌だったのでしょうね。

この瞽女の小歌に、シテ座頭は「よいやよいや、さても良い声でござる」と大いに褒め、気分を良くしてもう一つ盃をどうかと勧めます。しかし瞽女は酒を断って「妾は少しまどろみましょう」と言い、座頭も拙もと言って、二人は暫し寝入る形になります。
参詣中のまどろみの形ですので、横にはならずに座したまま少し体を傾ける程度。

暫しの後、アド瞽女がまず霊夢を賜ったと目を覚まします。西門にて待てという夢のお告げに、早速立ち上がると西門に向かう態で橋掛りへと進み、幕前で立って待つ形です。

すると今度は座頭が声を出し、西門に女が一人待っているというお告げを受けたと感謝し、これまた立ち上がると舞台を一回りし、正中で「いや何かと言ううちに西門じゃ」と西門にやってきた形になります。
座頭は、自分から声をかけるのは恥ずかしくもあり、女から声をかけてくれないかと、ワキ正に出てエッヘンと咳払いの様子をしたりします。しかし思い直したのか、杖で探ってみようと言い、大小前に下がると杖を両手にとって探るように動かしながら橋掛りへと進みます。

瞽女の所に至った座頭は、杖に杖を打ち当てると「やがて杖にて推したり」と謡い出し、瞽女も「こなたも杖にて推したり」と返します。
二人の掛け合いとなりますが、このつづきはもう一日、明日に
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清水座頭さらにさらにつづき

二人の掛け合いは昨日書いた部分を含め、次のような形です。
シテ「やがて杖にて推したり 女「こなたも杖にて推したり シテ「我は観音に参詣申し、祈念を致すにかくばかり、若しは主なき人やらん 女「我は主なき花衣の 恨むべき人もさらになし シテ「さては夢想の末遂げて 二人「互ひに目見えぬ中なれ共 契りとなれば嬉しさよ 千束立てぬる錦木も 逢わで朽ちにし習ひなるに 時をも移さずして 夫婦と成るぞ嬉しき

これを二人で謡いながら橋掛りを進んで舞台へと入り、シテが常座、アドがワキ座にと立ちます。シテはあらためて招き扇のような型で瞽女を誘い、二人が連れ立って退場して留となりました。

大笑いするような曲ではありませんが、なんだか優しい気持ちにさせてくれる一曲です。身体障碍に対する捉え方は、古典の場合、あまり気持ち良い物ばかりではありませんが、万蔵さんの解説にもあった通り、盲人を取り上げた曲は、そこはかとない優しさを感じる物が少なくないと思います。(あまり気持ちの良くない曲もありますが)
萬さんと扇丞さんの演技に、暖かいものを感じた次第です。

ところで大正年間に出版された新型袖珍名著文庫「狂言五十番」には、瞽女座頭が収録されていますが、清水座頭と同じ題材ながら、やり取りなどがけっこう違っています。
座頭の平曲は「そもそも津の国一の谷にて、山川に水出で、くち木流れたり、どぶりどぶりと流れたり。小猿取り附き流れたり。ふきといふも草の名、めうがといふも草の名、ふうき自在徳ありて、めうがあらせおはしませ」となっています。
またこれを聞いて褒めた瞽女は、続いて
「たたほほたほほ。それ神の代すでに十二代、人王の始まりは神武天皇と申し奉る。今此の御代に至るまで、豊に栄えおはしまし、国土万民寿命長遠、福徳自在円満と、めでたき御代こそ久しけれ。おれが殿御はお茶山にお茶山に、えんなつきせぬこの茶ゑんこの茶ゑん、茂り茂れる葉も茂れ。ふたり隠れて見えぬほどに」と謡います。

目覚めてからのやり取りもかなり異なっていますが、大藏流や鷺流ではこんな形を演じていたのかもしれません。
(39分:当日の上演時間を記しておきます)
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首引 野村万蔵(萬狂言水戸公演)

和泉流 水戸芸術館 2010.10.11
 親鬼 野村万蔵
  鎮西八郎為朝 吉住講、姫鬼 野村万禄
  鬼たち 野村太一郎 高部恭史 野村扇丞

いささか忙しい日々を過ごしまして間があきましたが、萬狂言水戸公演の鑑賞記の続きです。二曲目は首引、こちらもブログ初登場の狂言です。

舞台にはまずアドの鎮西八郎為朝が登場してきます。厚板に白大口、側次を着けて太刀をはき豪傑の風を表しています。大藏流では鎮西縁の者とするようなのですが、和泉流では「鎮西の八郎為朝」とはっきり名乗るのが普通の様子。

万蔵さんのお話にもありましたが、為朝は源為義の八男で義朝の弟、頼朝や義経から見ると叔父にあたります。保元の乱では父為義とともに崇徳上皇側について戦い、敗れて伊豆大島に流されてしまいます。
弓の名手であったと伝えられていて、大島に流された後も暴れ回り、伊豆諸島を実質的に支配してしまったものの、追討を受けて自害したと言われています。が、ジンギスカンになったという伝説のある義経と同様、逃れて琉球王の始祖になったという話もあり、たしか子供の頃に椿説弓張月を子供向けに書き直したもので読んだ記憶があります。

ともかくも常座に進み出た為朝は、子細あって西国に行っていたが上方へ上ると述べて舞台を回り出します。幼少から逞しく生まれついたのでたくさんの手柄を立てたが、今以て心に少しの油断もない、などと語りながら大小前に至り正面を向くと、播磨の印南野に着いたと語ります。人家もない場所だが、どこにいても自分は恐ろしいと思うようなことはないなどと語りますが、この間にシテ親鬼が登場してきます。

鬼は袷法被に半切の派手な装束に武悪の面をかけ赤頭での登場です。
さてこのつづきはまた明日に
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首引のつづき

登場してきたシテは、しきりに「人くさい」と言い、アドに気付いた風でさればこそ「とって噛もう」といきり立ちます。
アドはワキ座で平伏し、まっぴらゆるされられいと許しを乞いますが、正中に進んだシテは命を助けることはできないと言い「おってとってぷくする」と脅しますが、さて自分には秘蔵の娘がおり食い初めをさせたいと思っていた。ついては姫に噛まれるか自分に噛まれるか、どちらが良いかと尋ねます。

妙な話になってきますが、鎮西八郎はお姫様に食われましょうと答え、これを喜んだ様子のシテは「己もちと優しい心があると見えた」などと言って、姫鬼を呼び出します。

姫鬼は乙の面をかけていますが、万蔵さんの事前の解説では、この日用いたのは荒削りのままに仕上げた乙の面なのだそうで、たしかに鬼の姫らしい雰囲気を醸し出すような感じです。

シテは登場した姫鬼に、幸い今日は若い男が来たので人の食い初めをするようにと言います。姫鬼は「とと様が食い切って下されたら食いましょう」などと言いますが、シテ親鬼は何時までも親の世話になるな、などと言って姫鬼を急かし鎮西八郎のところに向かわせます。

ぴょんぴょんと跳ぶような運びでワキ座のアド鎮西八郎のところまでやってきた姫鬼ですが、取って噛もうとアドに襲いかかると、扇で叩かれてしまいます。
「あ痛、あ痛」と親鬼の所に逃げ帰った姫鬼、親鬼が「なないそ なないそ」と背をなでるように慰めます。「な~そ」で「~するな」むかあし古文で習った記憶がありますね。「泣くな、泣くな」と言うほどの意味。
親鬼は「ととが叱ってやろう」と言って、鎮西八郎を詰問します。

しかしアド八郎は平然と、今のは(姫鬼が)私の腕に行き当たったものだと答え、親鬼の方は姫鬼に叱っておいたからもう一度食いに行くようにと急かします。
さてこのつづきはまた明日に
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首引さらにつづき

頭から食っても良いかと姫鬼が尋ね、親鬼がどこからなりとも好きな所から食うように言って、姫鬼が再び鎮西八郎のところに寄ってきます。
しかし今度も扇で叩かれてしまい、親の所に逃げ帰ります。

親鬼は怒って一口に取って噛もうと言いますが、アドはこれを制し「鬼神に横道なし」というので、故なく食うということは無いはず。力勝負をして勝負に負けたら食われようと主張します。

すると親鬼は、あっさりと「そちが言うに無理もない」と納得し、ではその勝負を自分とするか姫とするかと問いかけます。アドが姫の食い初めというからには姫と勝負しましょうと言って、勝負事になりますが、まずはアドが腕押しをしようと言います。
姫鬼は腕押しは嫌、腹押しならしようと、なんだか怪しい話になりますが、これはシテ親鬼が腕押しにせよと言って腕押しとなります。

さて姫鬼が寄って腕押しの形になりますが、鎮西八郎の方が強くて姫鬼はまたまた痛いと逃げ出します。親鬼がアドを叱りつけ、もう一勝負ということで今度はすね押しをすることになります。

しかしまたまた姫鬼が痛がって逃げ出し、それではと首引をすることになります。
腕押し、すね押しは力比べとして分からないでもないのですが、この首引というのが古くは力比べとしてよく行われた様子で、大きな輪にした紐を両者が首にかけて引き合う形です。
首引が始まると姫鬼の分が悪いので、親鬼は鬼の眷属を呼び出して加勢させます。登場した三人がそれぞれに手ぬぐいくらいの布を持っていまして、これを首にかけて加勢すると一本の綱を引いているように見えるところが面白いところ。

親鬼が拍子にかかって引けと言い、皆が揃って引きますが、鎮西八郎は隙を見て紐を首から外し、一同が倒れる間に逃げてしまいます。鬼一同が追い込んで留。
スッキリと笑える、狂言らしい一番でした。
(24分:当日の上演時間を記しておきます)
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索引の更新

この夏は本当に暑かったとしみじみ思い返しています。

さて、6月以降の鑑賞記の索引を追加しました。
この夏は母が亡くなったこともあり鑑賞そのものが少ないので、5ヶ月分とは言えあまり曲数が多くありません。
能は5月の喜多流職分会自主公演能の二曲目から以降の11曲。狂言は同じく喜多流職分会自主公演以降の8曲です。

 吉野静 (喜多流) 粟谷能夫
 舎利 (喜多流) 金子敬一郎
 養老 (宝生流) 水上優
 草紙洗 (宝生流) 今井泰行
 船橋 (宝生流) 大友順
 小鍛冶 (宝生流) 佐野弘宜
 知章 (観世流) 角当直隆
 百萬 (観世流) 梅若万三郎
 海士 (観世流) 中村裕
 東北 (喜多流) 佐藤寛泰
 項羽 (喜多流) 塩津圭介
狂言
 佐渡狐 (和泉流) 野村萬
 茶壺 (和泉流) 小笠原匡
 文蔵 (和泉流) 野村扇丞
 貰聟 (和泉流) 野村万之介
 墨塗 (和泉流) 野村万蔵
 地蔵舞 (大藏流) 山本則孝
 清水座頭 (和泉流) 野村萬
 首引 (和泉流) 野村万蔵

なんとなく慌ただしい毎日で、なかなか能楽鑑賞にも出掛けにくいのですが、少しずつでも観ていこうと思っています。
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