能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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ユネスコによる無形文化遺産 能楽 第三回公演を観に行く

土曜日11日に、観世能楽堂まで「ユネスコによる無形文化遺産 能楽 第三回公演」を観に行ってきました。
12月に入って慌ただしい毎日が続いていまして、翌日の日曜日も夜12時近くまで動き回る羽目になり、ブログの更新も断念しました。と言うわけで一昨日のことになりますが、なかなか興味深い公演でした。

ユネスコは世界遺産と併せて、無形の文化遺産を保護するための事業を行っていますが、その一環として2001年から三回にわたって「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」を発表、2008年にはこれらをまとめて「人類の無形遺産の代表的な一覧表」として発表しました。この中に、歌舞伎・人形浄瑠璃・能楽が入っており、これを記念して2008年12月に「ユネスコによる無形文化遺産 能楽 第一回公演」が催されたわけです。
(詳しくはユネスコのHPを参照下さい)

今回はこの三回目ということで、友枝昭世さんの隅田川、野村萬さん・万作さんによる鐘の音、豊嶋三千春さんの殺生石という、見応えある番組になりました。
なかでも萬さんと万作さんが一緒の舞台に立たれるのは滅多にないことなので、楽しみにしておりました。個人的には二十年ぶりくらいに拝見したと思います。

それぞれに感じるところもあり鑑賞記に残しておこうと思っていますが、いささか慌ただしくしていまして、少々時間がかかりそうです。ご容赦を。
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隅田川 友枝昭世(ユネスコによる無形文化遺産 能楽)

喜多流 観世能楽堂 2010.12.11
 シテ 友枝昭世、ツレ 井上大風
  ワキ 森常好
   大鼓 安福建雄、小鼓 曽和正博
   笛 一噌仙幸

このブログでは、19年に観世流銕仙会の柴田稔さん、20年に喜多流粟谷能夫さんの観能記を書いています。その折にも書きましたが、この隅田川という曲は観世十郎元雅の傑作で、大変良くできた能だと思っています。
曲自体の構成の素晴らしさもあって、ある意味、誰が舞うのを観ても相応に感ずるところのある曲だと思います。・・・が、今回は友枝昭世さんのシテということで、やはり見所にも期待感が高まっているのが感じられました。

まずは例によって、小ぶりの塚が後見によって運び出され、大小前に据えられます。一噌仙幸さんの吹く名宣笛でワキの出となりましたが、仙幸さんらしい柔らかい笛の音が曲趣をより深める感じがします。

このブログで取り上げた隅田川三番は、いずれもワキが下掛り宝生流でして、詞章から言うと喜多流の謡本に最も近い感じがします。なるほど「下掛り」なんだと納得するところです。
上掛の本では登場したワキは、この在所に子細あって大念仏があり人数を集めている旨を述べます。一方下掛りの本では、ワキはこの隅田川が大事の渡であることを語りますが、大念仏のことには触れません。この日の森さんも、隅田川は武蔵、下総の境になる大事の渡である云々といったことを述べたものの、大念仏には触れずにワキ座に下がって着座しました。

続いて囃子方が次第を奏しワキツレの出となります。
次第謡の後、名乗りますが、ここでも上掛の本では都の者としているのに対して、下掛りでは東国方の商人とし、都での商売を終えて東に戻るところとしています。
さてこのつづきはまた明日に
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隅田川のつづき

ワキツレは名乗りの後に道行を謡い、隅田川の渡にやって来ます。ちょうどワキが立ち上がりワキ正あたりに出たワキツレと向き合う形になります。
ワキツレがワキに舟に乗りたいと声をかけ、続く問答で、女物狂いがやって来るのでこれを待とうということになり、ワキが地謡の前、ワキツレがワキ座に着座します。

一声でシテの出、箔を腰巻に浅葱の水衣を着け、笠を被って笹を肩に担っての登場です。一ノ松に出ると「人の親の心は闇にあらねども」と謡い出します。シテの謡は上掛と基本的には同じ流れなのですが、詞章は微妙に違っています。
一セイ「聞くやいかに うわの空なる風だにも」を地謡が受けて「松に音する習あり」と謡う中、シテは舞台に入り正中を少しワキ正側に外した辺りで足拍子を踏み、笠を外してカケリになります。

正中から目付に出て角取り、左に回って地ノ頭から大小前へ。小回りして足拍子を踏み正先へ打込。笹を担って目付へ回り大小前へ戻り、再び小回りして開きます。物狂いの態を表すところ。
カケリの後は「真葛が原の露の世に」と謡いつつ数足出て拍子を踏み、さらに正先まで出て拍子を踏みます。地謡が「身を恨みてや明け暮れん」と続け、シテは正先からワキ座の方を回って大小前へと戻ります。

シテのサシ謡で、自らは都北白河の女と名乗り、拐かされた一人子が東国に連れ去られたと聞いて心乱れたと謡うと、地謡がつづき、隅田川までやって来たことが謡われます。これに合わせてシテの所作。
粟谷能夫さんの時のメモと比べると、基本的な流れは同様としても、型が微妙に違っています。サシ謡の最後「思い子の跡を重ねて迷うなり」で、能夫さんは一足出、さらにもう一足出て思いを込める感じでしたが、今回は続く地謡の下歌になって二足出ています。その後も「隅田川に着きにけり」と常座でワキに向くまでの間、同じ型を基本としていますが謡との関係が一句ほどずれたりしていて、それぞれに思うところがあっての演出なのだろうと想像しつつ拝見しました。

細かく記していくときりがありませんので省略しますが、その後はシテとワキの問答になり「我もまた いざ言問わん都鳥」の教科書にも取り上げられる上歌に合わせての舞、最後はワキに向かい笹で床を叩いて「乗せてたび給え」と合掌します。
このつづきはまた明日に
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隅田川さらにつづき

さて、ワキはシテを舟に乗せることにして、一同船中の形になります。シテが真ん中を少し外して階の右の端辺りに、ワキツレはその斜め後ろ地謡座側に座し、ワキが後ろに立ちます。この位置関係も流儀によって微妙に違いますね。

長いワキの語りが続きますが、以前にも書いた通り、ここはワキの聞かせどころですが、シテがこの語りをどう聞くのかがまた見所でもあります。
能夫さんの時も思ったのですが、どこをどう動かしたものか、じっと聴き入るシテがなんだか揺れているように感じられます。さらにこの日は「都の人の足手影もなつかしう候えば」辺りから手に持った笠をゆっくりと下げていき「念仏四五遍唱え終に事終わって候」の最後に笠を落としました。子供が息絶えたことを示すようにコトッと笠が落ちる音に、思わずハッとしました。

さて舟が対岸に着き、ワキ、ワキツレの問答があってワキツレは舟を下りた態でワキ座に下がります。しかし動こうとしないシテにワキが声をかけますが「のう舟人」とシテはつぶやくような謡で、拐かされた子供が亡くなった子細を尋ねます。ワキとの問答で正面を向いているシテが徐々にワキの方に振り返り、戻して正に向き直る所作は、この部分の詞章に相俟って涙を誘うところ。隣席の方がハンカチを取り出しました。

「その稚き者こそ この物狂いが尋ぬる子にて候え」と謡いつつ安座の形になり「これは夢かや」とモロシオリになります。

ワキがその様子に感じた風で、棹を落としてシテの後に立ち「彼の人の墓所を見せ申し候べし」とシテを立たせる形で塚の方に導きます。
塚を見つつシテが謡い「生所を去って東のはての」と一度目付の方を見てから、再び塚に向き直り、「さりとては人々」と謡うと地謡が続けて「この土をかえして今一度」と謡い出し、シテは塚に寄ると両手で土を掘り返そうとする形。さらにワキにツメ寄って下居します。
このつづきはまた明日に
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隅田川さらにさらにつづき

悲しみにくれるシテに、ワキが鉦鼓を渡し念仏に加わるようにと勧めます。
いよいよ終曲に向けて盛り上がっていくところになりますが、以前にも書いたように、この隅田川のラストでは、子方を全く出さない、声だけ聞かせる、子方が姿を現す、と三つの選択肢があり、子方を出すべきか出さざるべきかについては、世阿弥と元雅の間にも議論があったと言われています。

この日のパンフレットにも友枝さん自身がこの子方をめぐる演出について書いておられます。かつてお若い頃に、学生向けの演能でこの曲をよく取り上げたが子方を出すと笑いが起きて見所がざわついた経験がおありのようです。
母親のみに見えた亡霊ととらえて、子方無しの演出でも数多く演じてこられたとか。
それが近年になって、やはり子方を出すべきだと思うようになり、今回は「確固たる意図」を持って子方を出す演出によると、書いておられます。

私自身も子方が出る方が落ち着きがよい様に思っていますが、とは言え、ヘタをするとうるさい感じや、技巧的な感じになってしまいそうで、微妙な加減の問題はあると思います。

さてシテが立って鉦鼓を打ちつつ「南無阿弥陀仏」と唱え、地謡との掛け合いから、子方の謡。これにシテが気付いてワキに告げ、母一人が念仏を唱えることにします。
シテの「南無阿弥陀仏」に子方が「南無阿弥陀仏」とこたえてクライマックスとなっていきますが、この後の謡「あれは我が子か 母にてましますかと」を観世、宝生、金剛の各流ではシテが「あれは我が子か」子方「母にてましますかと」と謡います。金春流はいずれも地謡が謡い、そして喜多流はシテが「あれは我が子か」と謡うと地謡が「母にてましますかと」と続けます。
この大詰めの場面を観ながら、喜多の形が私には一番おさまりが良く感じられるなあ、としみじみ思った所です。子方自身が謡うよりも、地謡の謡で子方が所作をする方が胸に迫るものがあるように思いました。

シテのシオリ留めで終曲となりますが、隣席の方は最後までハンカチが放せませんでした。
(86分:当日の上演時間を記しておきます)
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鐘の音 野村万作(ユネスコによる無形文化遺産 能楽)

和泉流 観世能楽堂 2010.12.11
 シテ 野村万作 アド 野村萬

萬さんと万作さんの御兄弟は一時疎遠になられていましたが、最近になって再び同じ舞台に立つようになられた様子。とは言え、それぞれ一家をなしておられることもあり、そう度々という訳でもなく、年に一二度あればということのようです。

私がお二人での舞台を最後に拝見したのは・・・もうかれこれ三十年近く前のことになってしまいました。
以前にも書いたような気がしますが、私が能楽に親しむようになった頃は萬さん、万作さんのお父様になる六世万蔵の晩年で、三人での舞台も何度か拝見した記憶があります。当時の万蔵さんの様子に、万作さんがあまりに似ておられて驚きます。

その後、萬さんの方は亡くなった耕介さん(八世万蔵を追贈)や良介さん(現九世万蔵)そのほかお弟子さん達と公演されることが多くなり、万作さんも武司さん(現萬斎)やお弟子さん達との舞台が中心となって、一緒に公演されることは自ずと少なくなっていました。
さらに、詳しい事情は存じませんが、萬斎の名跡をめぐっての騒動となったようで、同じ野村家ながら袂を分かったような形になっていました。
それがここ数年、時々ながらも萬さん、万作さんが同じ舞台に立たれるようになったのは、私のようなファンにとっては本当に喜ばしいことです。もちろんこのブログでお二人の舞台について書くのは初めてです。

とは言え、曲自体は何度か取り上げたもので、特別な演出がなされているわけではありませんので、ブログに特に記すというものではありません。ただただお二人の長年の精進に裏打ちされた芸を楽しませていただいた、とそれだけを書いておきたいと思います。
ああ楽しい舞台でした。
(22分:当日の上演時間を記しておきます)
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現代能「光の素足」を観に行く

本日は国立能楽堂に、観世流中所宜夫さんの演ずる現代能「光の素足」を観に行ってきました。

昨年は12月22日に梅若玄祥さんの新作能「花供養」を観まして、案外新作能も悪くないと思いましたが、ちょうど一年後に今度は「現代能」を観ることになるとは思ってもいませんでした。
昨年もブログに書きましたが、私自身としては新作能をどちらかというと避けていまして、よほどのことがない限り観ていませんでした。現代の物語を題材にしたような場合、能という表現手段を取る必然性が腑に落ちないというのが最大の理由だったのですが、前回の花供養といい、この光の素足といい、ああ能という演劇形態にはこんな力があるんだなあ・・・としみじみ思うことになりました。

話は宮沢賢治の書いた「ひかりの素足」を下敷きにし、その後日談のような形になっています。中所さんが賢治の「雨ニモ負ケズ」を曲舞に作ったのがきっかけで、数年かかって能の形に整えられ、2007年には国立能楽堂で上演されています。
私はその頃にもこの曲に少しばかり興味を持ったのですが、先に書いたようにどちらかというと新作能を避けていたこともあり、拝見する機会がありませんでした。

しかし、今回観に行ってみて本当に良かったと思っています。能楽の可能性のようなものをあらためて感じることが出来ました。
それと同時に、見所の方々の話を聞くともなしに聞いていると、能は観たことがないけれどもこの光の素足は二度目だとか、賢治の朗読サークルに入っているといった話が聞こえてきました。私のように能楽繋がりで観ている人間よりも、むしろ宮沢賢治への興味から見に来ている方が少なくないようでした。これもまた新鮮な驚きです。

今回は何のメモも取らず、ひたすら鑑賞に徹しました。
観世喜之さんの舞囃子「山姥」、狂言語り「童話『ひかりの素足』より」、そして現代能「光の素足」という番組でしたが、うかつにも「光の素足」を観るまで「山姥」からの番組構成自体が一つの表現であることに気付きませんでした。
そんな反省をこめつつ、そのうち今日の番組全体について、少しばかり書いてみようと思っています。
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殺生石 豊嶋三千春(ユネスコによる無形文化遺産 能楽)

金剛流 観世能楽堂 2010.12.11
 シテ 豊嶋三千春
  ワキ 高安勝久、アイ 野村万蔵
   大鼓 國川純、小鼓 幸清次郎
   太鼓 小寺佐七、笛 一噌庸二

殺生石は割と良く上演される曲ですが、巡り合わせもあるのか観るのは二十年ぶりでしょうか。しかも今回は女体の小書つき。この小書は金剛と喜多にありますが、もともとは金剛流独特のもので、喜多流には昭和になってから贈られたのだそうです。そう言えば竹生島の女体も金剛流と喜多流にだけありますし、絵馬の女体は喜多流だけだったでしょうか。この両流にのみというところが不思議です。

さて舞台には常の殺生石同様に、一畳台と作り物の岩が運び出されてきて大小前に据えられます。
笛のヒシギから次第の囃子が奏されてワキ玄翁が登場してきます。源翁とも書くようですが南北朝時代に活躍した曹洞宗の禅僧で、殺生石を封じたと言われています。その時に石を鎚で打って割ったので、それにちなんで金槌を玄能(げんのう)というという話を聞いたことがあります。

登場したワキは白の大口に黒系の水衣、掛絡をかけて金の角帽子を沙門付けにしています。名のある禅僧に相応しいような装束。アイの能力が続きますが、こちらはいわゆる能力出立で払子を付けた柱杖を持っています。
ワキは常座に進み、アイは狂言座に控えて、ワキの次第謡。名乗りから道行を謡い。奥州から都に上る途次、那須野の原にやってきます。
さてこのつづきはまた明日に
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殺生石のつづき

ワキが道行を謡い終えると、アイが立ち上がって柱杖を担い、一ノ松から舞台の方を見やって「あら落つるは 落つるは」と声を上げて、石の上を飛ぶ鳥が地に落ちることをワキに告げます。
ワキもこれを奇異に思い、石に近づこうとワキ座の方に向かいますが、ここでシテの呼び掛け。石には立ち寄るなと言います。

アイが何を言うのかと聞きとがめ、ワキ僧はこの石に近寄ってはならない謂われでもあるのかと問いかけます。

これに「那須野の殺生石といって、人間は申すまでもなく鳥畜類まで触るものが命を失ってしまう恐ろしい石」と答えつつ、シテが登場してきます。
シテは唐織着流しの姿で、幕前で一度立ち止まりワキ玄翁に立ち退くように言いますが、ワキが何故にこの石が殺生をするのかと問うと、橋掛りをゆっくりと歩みつつこれに答えます。

シテは、鳥羽院の上童に玉藻の前と云う人が居て、この執心が石になったと言いますが、そんな殿上人がどうしてこの遠国に魂を留めたのかとワキは問い直します。
シテは一ノ松で立ち止まり、シテ、ワキの掛け合いでその謂われは何かとの問答になり、地謡が続けての謡で秋の夕べの荒涼を謡うなか、シテは橋掛りから足早に常座に出て佇みます。

ワキが「玉藻の前の物語 御語り候え」と声をかけ、地謡のクリ。このクリの謡でシテは大小前に進んで下居し、サシ「然れば好色を事とし」と謡い出して地謡との掛け合いになります。
玉藻の前は出自不明ながら容顔美麗で帝の叡慮浅からず、さらに学問、知識にも優れていた様が謡われます。
さてこのつづきはまた明日に
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殺生石さらにつづき

続いてクセ。
ある夜帝が清涼殿に御出なされ管弦の御遊があった時に、しぐれて吹く風に灯火が消え玉藻の前の体から光が放たれて清涼殿を照らした。この光に帝が御悩となり、安部の泰成が占うと、玉藻の前の仕業であり調伏すべきとあり、これに玉藻の前が本性を現して那須野に逃げたのだと謡われます。

このクセは本来居グセで前シテはじっと座ったままですが、この女体の小書では舞グセになり「清涼殿に御出なり」で立ち上がったシテは、右に少し向きを変え二足ほど出ると正面を向き、さらに二足ほど出て「管弦の御遊ありしに」で足拍子を一つ。「頃は秋の末 月まだ遅き宵の空」とシカケ、開キ。左へ回りつつ扇を広げ、大小前から扇ハネ、正先に出て暫し佇み、角へと進みます。
目付柱から大小前へと戻り、正に向いて「光を放ちて」とユウケンの型。正先に出てサシ分け角へ行き、角トリして左に回り大小前で小左右打込ミ「帝それよりも」の上げ端で開キ。大左右から正先に出て開キ、サシて出、開いてワキ正へと回り、正を向いて六拍子。サシて角に出、扇カザシて早い運びで舞台を廻り、大小前で向き直ってワキに向かい下居して、クセの留になりました。

ワキは玉藻の前の話に大変詳しいシテの様子を怪しみ、如何なる人かと問いかけます。
シテは自ら、玉藻の前、今は那須野の殺生石の石魂であると明かし、地謡の「懺悔の姿あらわさんと」で立ち上がると、目付の方へ二、三足ツメた後、ワキに寄ると狐を表すような足使いを見せ、常座の方にススッと進んで「石に隠れ失せにけり」と作り物に中入りしました。

アイが出て何やら不審を述べ正中に出てワキに問います。下居してワキに声をかけますが、ワキとの問答からワキの求めに応じて玉藻の前のことを座してシャベリます。アイの語りが終わるとワキが払子を持ってくるようにと命じ、ワキは払子柱杖を受け取るとワキ座でこれを立てて構え、囃子のノットで立って石に向かいます。
さてこのつづきはまた明日に
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殺生石さらにさらにつづき

ワキはノットから「木石心無しとは申せども 草木国土悉皆成仏と・・・」と謡い出し、「汝元来殺生石 問う石霊」と右手の払子柱杖を前に突いて「急々に去れ去れ」と払子柱杖で岩を押す形です。
「自今以後汝を成仏せしめ」と下がって下居、石に向かって合掌し謡を終えると囃子が出端を奏し、ワキはワキ座に下がって払子を置き着座します。

作り物の中から後シテが謡い出し、地謡が続ける謡の「石の 二つに割るれば石魂」で岩が中から割られる形で後シテが姿を現します。
後シテは常の形では小飛出の面に赤頭、袷法被に半切の野干(狐)の精の姿で現れますが、女体の小書が付いて文字通り泥眼の面に黒垂、狐載をいただき、白の舞衣に緋の大口の装束で床几にかかって姿を現しました。

ワキの謡からシテの謡となり、シテ自ら玉藻の前であることを明かします。安部の泰成の調伏を受ける様を謡い、地謡が続けての謡「幣帛をおっとり飛ぶ空の」で祈り落とされた様を示すように床几を下り「この野に隠れ住む」と台上で下居。「その後勅使立って」と謡って再び床几にかかり、地謡の「三浦の介、上総の介両人に」で六拍子を踏むと、「那須野の化生の者を」で立ち上がり台を下ります。

「両介は狩装束にて」と謡って扇広げ、地謡に乗って橋掛りへ進み、さらに舞台に戻ると「殺生石となって」と袖を被き姿を隠す形になります。つづいて「この後悪事を致すことあるべからず」とワキに伏して告げる形から、立ち上がると幕に走り込み、最後はワキ留めの形で終曲となりました。

金剛流ならではの興味深い演出でした。流儀の重鎮である豊嶋三千春さんの熱演でしたが、できればもう少しお若いうちに拝見しておきたかったと思った次第です。
(67分:当日の上演時間を記しておきます)
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年末にひとこと

このブログを始めて5回目の大晦日になりました。
今年は夏に母を亡くし、仕事上も休日の用事が多くなったために、観能番数はこのブログを始めて以来、最も少ない能三十一番、狂言十六番にとどまりました。
数は少なくなりましたが、それぞれに感ずるところのある観能だったと思い返しています。

さらに今年は関根祥人さんの訃報に驚きを禁じ得ませんでした。
本当に惜しい方を亡くしたと思います。これからいよいよという年代ですのに、心からご冥福をお祈りしています。

しかし能楽という演劇自体がまさに一期一会の芸術ですし、演者が長命だったとしてもその時の演技は二度と戻ってきません。そうした意味でも来年も一番一番を大切に拝見していきたいと思っています。

ブログのヒット数はおかげさまで16万を越えました。ご来訪いただいた皆様のおかげと感謝しています。
あまり自分の感想にはふれずに、舞台の展開を淡々と記述するスタイルを主として、これまでこのブログを書いてきました。いずれ自分自身の感想を中心としたものも書いていこうと密かに思っているのですが、それはもうしばらく先、できれば現行曲の大方をカバーしてから・・・と考えています。
いわゆる能評といった立場とは異なるものですが、私自身の記録としてこんな形を守っているところです。お読みいただく皆様にも、何か役に立つことがあれば幸いです。

来年もよろしくお願いいたします。

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