能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

昆布売のつづき

この狂言、どうも納得がいかないのがこのあたりからです。
昆布を買ってもらい、手の空いた昆布売りは、シテ大名の求めに従って右手に太刀を持ち同道することになります。

このとき昆布売りがわざわざ、道で人とすれ違うときなどに「太郎冠者」と声をかけてくれれば、「御前に」とこたえましょうと言い出します。なにもそんなことまで自分から言い出さなくてもよさそうなのですが、昆布売り自身の発案で主従の態となることにするのですが、それでいて、大名の尊大ぶりに腹を立てるという展開になります。ここがなんだかしっくりしないところです。

この日は十郎さんの大名が、調子に乗って何度か太郎冠者と呼び続け、だんだん昆布売りの大二郎さんの機嫌が悪くなる風になりました。
どうも収まりの悪い部分なので、相応に工夫されているのだろうと思い拝見しました。

さて昆布売りが腹を立てて太刀を抜き、大名を脅して立場が逆転します。もともとこの狂言の主題はここにあったのだろうと言われていますが、現在の曲の構成としては、この後、昆布売りを様々な節付けで謡ったりする面白さに主題が移っているように思えます。

まずは平家節、続いて小歌節、最後が踊り節になり、浮きに浮いてと二人で大騒ぎするところが大きな見せ場になっています。
十郎さんの大名は、最初に昆布を売れと言われたときの「昆布買え」とぞんざいに昆布を突き出すしぐさなど、十郎さんらしい写実的な芸で、大変楽しく拝見できました。
(31分:当日の上演時間を記しておきます)
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吉野天人 天人揃 弘田裕一(九皐会)

観世流 矢来能楽堂 2011.01.09
 シテ 弘田裕一
  ツレ 坂真太郎 佐久間二郎 古川充 遠藤喜久
  ワキ 村瀬堤、アイ 善竹富太郎
   大鼓 亀井広忠、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 金春國直、笛 藤田貴寛

この吉野天人という曲、実は私が初めて仕舞を習った時の曲でして、初心者向けの仕舞として良く素人会でも見かけるのですが、能として観るのは初見です。いやあ三十数年ぶりでようやく見ることが出来たという次第。
もともと観世流にしかない曲だということが大きいのですが、観世流でも素人会などではまずまず見かけるものの、プロの上演というのはほとんど見かけません。春らしい長閑な雰囲気の曲ですが、それなら羽衣を見ましょうよということになってしまうのかもしれませんね。
今回は天人揃という小書が付いていまして、後場でツレの天人が四人出て華やかな雰囲気となりました。

さて舞台には後見によって桜の立木が持ち出され、正先に据えられます。四角の台に立木がしつらえられたもので、立木の台には丸台を用いる流儀もあるようです。
次第の囃子が奏されて段熨斗目に素袍上下のワキ、続いてやはり素袍姿のワキツレ二人が登場してきます。型通り舞台中央に進むと次第「花の雲路をしるべにて 花の雲路をしるべにて 吉野の奥を尋ねん」を謡い、ワキの名乗りになります。
ワキは都方に住まいする者と名乗り、吉野の千本の桜を年々眺めているので、人々を伴って大和に向かうところと言い、一同揃っての道行の謡になります。

道行を謡い終え、ワキが吉野山に着いたことを述べて「なおなお奥深く分け入らばやと思い候」と言うに合わせて幕が上がり、ワキツレが「もっともにて候」と答えて一行がワキ座に向かおうとすると、シテの呼掛けとなります。
さてこの続きはまた明日に
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吉野天人のつづき

シテはワキの一行に何を話しているのかと問いかけます。ワキはこれに答えて、三吉野の桜を見にやってきて初めてこの山に分け入ったことを話し、さらにこの山中にやんごとなき姿を見せるのはいったいどなたなのかと問い返します。このワキの言葉のうちに唐織着流しのシテが幕を出て橋掛かりを歩みます。

シテは歩みつつも、このあたりに住む者だが、花を友として山野に暮らしていると述べつつ舞台に入り、常座にゆっくりと出ます。

この吉野天人という曲、初心のときに習う曲だけあって基本の形を抑えつつも作りがシンプルになっています。シテ・ワキの問答から地の上歌で桜の花を眺める春の気分が謡われ、シテはこの短い上歌に合わせて概ね舞台を一巡りする形です。
上歌の最後「馴れ初めて眺めん いざいざ馴れて眺めん」でシテが常座に戻って正面を向くと、ワキがシテに、こうして家に帰ることも忘れて花を眺めているとはますます不審と声をかけます。

シテは自ら天人であることを明かし、ワキの一行が今宵をここで過ごし信心をするならば、古の五節の舞を見せようと言って、地謡の「迦陵頻伽の声ばかり雲に残りて失せにけり」で、送り笛に送られて中入りとなります。
地謡はこの中入り前の上歌の「雲に残りて」のところで謡を速めて、姿が見えなくなる雰囲気を出した風。その後をしめて静かに中入りに導いた感じです。

さてシテが中入りするとアイが登場してきます。
このアイの語りがなかなかに興味深かったのですが、そのあたりは明日に続きます
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吉野天人さらにつづき

登場したアイは吉野にまつわるいくつかの話を語ります。なかなか興味深い話ではあったのですが、きちんと書き取るには余裕が無くて、うろ覚えですが記憶に残っているところを書き記しておきます。

最初は孝霊天皇の御宇と言ったと思うのですが、天竺五台山、未申の方より我が朝に飛び来るものがあり、これが二つに分かれて、一つは常陸の国筑波山に、もう一つは吉野の山に至った。これゆえに吉野の山を金峯山と名付けた、という話。

次に元明天皇の御宇、和銅年間に、役の行者が祈ることによって、弁財天、地蔵菩薩、蔵王権現が吉野に現れ、このうち蔵王権現をこの地の守護神としたこと。
また蔵王権現に子守、勝手の両神がしたがっており、この子守、勝手についての謂れなどの話。

さらに五節の舞についての話で、そもそもこの五節の舞は当山より始まったということである。浄御原天皇が、大友皇子に襲われて当山に隠れ、その折に琴を弾かせられたところ、これに感じて上界の天人が下り、一度、二度ならず五度までも舞を舞ったゆえに、五節の舞の始まりとなった、という話です。

いずれもなかなかに面白い伝承で、最初の話は能「春日龍神」でも、入唐を企てる明恵上人に宮守の老人が、吉野・筑波は五台山を移したものだから、唐に行くまでの必要は無いと止める話が出てきます。このあたりの宗教的な問題については詳しくないので、どういう伝承・経緯が背景にあるのか分かりませんが、興味を引く話ではあります。

役の行者と蔵王権現、天武天皇と五節の舞、吉野をめぐる伝承を並べたということなのでしょうけれども、興味を引く話です。五節の舞は歴史上も天武天皇が定めたものという説がありますが、そうした事実を背景として、伝承の形に作り上げていったのでしょうね。

三番三を舞った富太郎さんが、今度は間語りで登場し、堂々と語った後に、東山に参詣する人々に心静かに拝するようにと触れて退場します。
いよいよ後シテの出となりますが、この続き、もう一日明日に
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吉野天人もう一日のつづき

アイが触れを告げて退場するとワキの謡「不思議や虚空に音楽聞こえ 異香薫じて花降れり」囃子が入って地謡へとつながり、笛のヒシギで出端が奏されます。

囃子のうちに幕が上がり、ツレが先に立ち、シテが続いてさらにツレが続くという形で三人が登場してきます。
前後のツレは箔を腰巻にして紫の長絹をかけ、天冠をつけた天女姿。シテは箔を腰巻にしたうえに、白の舞衣を壺折にし、鳳凰の天冠をつけて桜の小枝を持っています。この三人が橋掛かりに並び、さらに「いいもあえねば雲の上」の地謡で、舞台へと進みます。
すると再び幕が上がり、ツレの天女がさらに二人登場してきて、舞台上にはシテを中央に三人が、橋掛かりには残るツレ二人が立つ形で、華やかな舞台となりました。

地謡「いいもあえねば雲の上」の後は「琵琶琴和琴笙篳篥 鉦鼓鞨鼓や糸竹の 声澄み渡る春風の 天つ少女の羽袖を返し 花に戯れ舞うとかや」で、この短い上歌のうちに舞台上と橋掛かりに五人が展開し、ゆったりとサシ込み開イて中ノ舞になります。

初段の上げ扇の手前までは、シテは登場したときから手持っている桜の小枝で舞いますが、段の前で後見が小枝を受け取り、シテは扇に持ち替えて上げ扇、舞を続けていきます。
特に特別な型を舞うわけではなく、しかも五人全員での相舞で同じ型をなぞります。シテとツレで動きに違いがあるともっと面白いかな、と思ったりもしましたが、五人となると逆に変化をつけるのが難しいのかもしれません。
中ノ舞を舞い上げた後も、謡い舞いが続き、「雲に乗りて行方も知らずぞなりにける」と留拍子を踏んで終曲となりました。最後まで五人揃っての型でシテのみが拍子を踏んだ形です。
このキリの部分「少女は幾度君が代を」からが仕舞として舞われるところで、初めて習った曲です。いささか懐かしい思いに浸りました。
附祝言は難波でしょうか、あまり聞くことのない謡でした。
(53分:当日の上演時間を記しておきます)
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川上 野村萬斎(のうのう能)

和泉流 国立能楽堂 2011.01.30
 夫 野村萬斎
  妻 石田幸雄

この「川上」不思議な味わいのある曲で、神仏よりも人間の情を重くみているような展開です。能では考えにくい物語で、狂言ならではのものと言えましょうね。
大藏流でも古くは演じられていた様子ですが、現在は和泉流のみが演じます。大藏の古い本には、現行の和泉流が演じるのと同様の展開になるものと、妻がわわしく盲人の夫を責め立てる別の展開が記されていて、かつ後者の方が本来の形であるとか。なんとなく納得のいく話です。

さてまずはシテの座頭萬斎さんが登場してきます。座頭出立で角頭巾に茶の十徳、左手を探るように前に差し出し、右手に持った杖で歩む先を突きつつ橋掛りを進みます。ワキ正の半ばあたりまで出てから少し下がり、常座で名乗り。
十ヵ年以前に目を患いとうとう盲目となってしまったが、生まれついての盲目ならばそうでもなかろうけれども「黒白を知ってからの俄盲人」なので不自由で仕方ない。聞くところでは、川上というところに天から降った貴い地蔵菩薩があり、何事によらず願いが叶うというので参詣しようと思う旨を述べます。

橋掛りの入口まで戻り、幕の方へ向けて「是の人居さしますかおりあるか」と妻を呼び出します。
アドの女石田さんが白地の縫箔に美男の姿で登場し「今めかしや今めかしや・・・」と言いながら、一体何事かとシテに尋ねます。これに対してシテ座頭は相談したいことがあると言ってアドを招じ、アドがワキ座、シテが常座に立って問答の形になります。

シテは、目が見えなくなって早十年になろうかと述懐し、さてこの山の奥、川上には貴い地蔵菩薩があって、この間も座頭達が大勢参詣し皆目が見えるようになったとのこと。自分も参詣してみようと思う旨を述べます。アドは賛成し、二人は「さらばさらば」と別れの挨拶をして、シテが常座を起点に小さく回って家を出た形。その間にアドが笛座に下がって座して控え、川上への道中と場面が変わりました。
さてこのつづきはまた明日に
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川上のつづき

家を出た風のシテは、常座から目付、ワキ座と型通りに舞台を廻り、目の見えぬ不自由などを語りつつ再び常座へと戻ります。ここからさらに正中へと進んだところで、突然なにかに躓いた風で倒れてしまいます。この日、私は中正面の少し脇正面寄りの方におりまして、萬斎さんが見事に倒れる姿に驚きました。本当に足を後ろに跳ばして宙を飛んだような形です。

痛い、痛いと言いつつ立ち上がったシテは、杖を両手で持って躓いたものの形をなぞるようにし「石段じゃ」と気付くと、どれ上ろうと舞台をジグザグに段を上るような所作を入れつつ、正先へと進みます。
階の近くまで出て石段を上り終えた風になり、鰐口があるはずだと探して見つけると、じゃがじゃがと鳴らし、下がって座すと扇を広げて拝する形となりました。

ひとしきり祈ると「これに通夜をいたそうと存ずる」と言いますが、ワキ座の方から誰かに声をかけられた風で「何、近江国から、これは遠方からのご参詣でござる」などと応対します。なにやら困り事で参詣している様子なのか、あらたかな地蔵菩薩なので信心されれば御利生もあろうなどと信心を勧める態を、一人芝居で演じます。

続いて今度は目付の方から声をかけられた風で、これまたやり取りを演じます。こちらは願いが叶ってのお礼参りということで、あやかりたいものなどと言います。
シテの一人芝居ですが、余計な登場人物を思いきってカットした狂言らしい演出で、萬斎さんらしい歯切れの良いやり取りでした。

さて通夜のまどろみの形になり、うーうー声を出したりしていますが、目覚めた風で「しばらく睡眠のうちに 新たな御霊夢を賜った」と喜んで声を上げます。
何やら「目がかゆいような」と言って目が見えてきた様子。さらに目が開いたと大喜びをします。
「さりながら今の御夢想の内にちと心掛かりなこともあるが何としたものであろうぞ」と気になることを言いますが、「いやいや身共が眼には変えられぬ。それはまた帰ってからの思案にいたそう」と思い直して家への帰り道となります。
このつづきはまた明日に
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川上さらにつづき

家への帰り道、杖を突くのももどかしい様子で急いで動き出すが、目が見えるようになったのに杖は不要と気付き、常座で杖を捨てると家への道を歩む形で舞台を廻ります。
アドもこれに合わせて立ち上がり、迎えに出ようと舞台を廻って正中で二人が出くわします。

出会った二人はシテの目が見えるようになったことを喜び合い、シテが「まずこれへ寄って眼の様子を見てたもれ」と言い、アドが近寄ってシテの眼を覗き込む様子になります。アドは白いどんみりとした眼であったのが、黒い涼しい眼になったと評し、シテは大変喜びます。

さて有り難いことと喜んだものの、アドは何とお願いして目が見えるようになったのかと問いかけます。これに対してシテは、地蔵菩薩も唯は眼を明けては下されないので「様子のある事じゃ」と、何やら訳のあることを述べます。アドは、それはそうだろうと納得しつつも「様子」を早く言うようにと促します。
この「様子」現代ではこういう使い方をほとんどしませんが「様子ありげに」の表現のとおり、なにかの理由・訳の意味で、早く訳を言うようにとアド女が急かす訳ですね。シテとしては言いにくい理由があるのですが、この辺りのやり取りも人情の機微を掴んだところです。

さてシテは言い出しかねる様子でしたが、とうとう「必ず聞いて腹をお立てあるな」と念を押した上で、通夜の内に地蔵菩薩が現れた子細を語ります。地蔵が錫杖で額を三度撫で不憫の者と憐れんだ上で、女房とは大悪縁なので早く帰って離縁するように、離別するなら眼を明けてやろうとのお告げだったと話します。

これを聞いて女が怒り出しますが、このつづきはまた明日に
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川上さらにさらにつづき

「腹立ちや腹立ちや」と怒り出した女は、神仏というものは夫婦仲の悪いものを良くするのが役であろうに仲良く連れ添っているものを離縁するようにということがあろうかと言いつのり、離縁するようにという地蔵のお告げに何と答えたのだとシテに問いただします。
シテは、忝なく思って早々帰って離別しましょうと地蔵に返事をしたところ、ぜんざいぜんざい(「善哉」でしょうね)と地蔵がおっしゃった、と答えます。
いよいよ怒った女は、あの川上の焼け地蔵のくさり地蔵めが・・・とののしります。
随分ときつい表現になっていて、神仏をあしざまに言うのは珍しいかも知れません。

シテは、悪縁なので連れ添うと眼がつぶれてしまう。せっかく明けてもらったものを潰してしまうよりも、どこかよそで良い男と連れ添ってくれと女に言います。
女はいよいよ怒り言い争いになりますが、悪縁なので別れないと眼がつぶれてしまうと言うシテに、アドが眼がつぶれても今までと同じではないかと言い、シテは根負けして「是非に及ばぬ今までじゃと思うまでよ」と、離別することを断念します。
この間のやり取りは、私としては少しだけ収まりの悪い感じがするのですが、ともかくも夫が離縁を思いとどまり、二人は家に帰ることにします。

アドは、神仏は慈悲が深いので一度あけてくださった眼を今更つぶしはしないだろうなどと言いつつ歩きますが、シテは心配な様子。舞台を廻ってアドが常座、シテがワキ座に至ったところで、シテは再び目が見えなくなってきたようだと言い始めます。
眼がうじうじするなどとシテが言い、アドがワキ座、シテが常座に至ったあたりで、シテはとうとう眼が痛い、眼がつぶれたと常座に座してモロシオリの態になります。

結局、男の眼は再び見えなくなってしまい、ひとしきり愚痴を言いますが「これは夢かやあさましや」と謡い出して掛け合い。二人謡い終えると、シテがこのようなことと分かっていたならば、最前の杖は捨てなかったものをと悔やみます。アド女が「のう愛しい人 こちへ御座れ」と呼び掛け、シテが「手を引いてたもれ」と答えると、心得ましたとアドがシテに寄って手を引き、二人並んで退場して留となります。

夫婦愛を描いた・・・と言われる曲ですが、はてそれだけなのか、様々な解釈がありそうな深みを感じる一曲でした。
(38分:当日の上演時間を記しておきます)
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大般若 観世喜正(のうのう能)

観世流 国立能楽堂 2011.01.30
 シテ 観世喜正
  ツレ 小島英明 桑田貴志 坂真太郎 古川充
  ワキ 森常好、アイ 高野和憲
   大鼓 柿原弘和、小鼓 観世新九郎
   太鼓 観世元伯、笛 一噌隆之

この日、番組の最初に中村健史さんの解説があり、この大般若という曲の成り立ちをはじめ、真蛇の面についてなど、様々に興味深いお話がありました。
能の始まる前に曲の解説を聞くと、実際に演能を観る際によりよく分かる気がします。特にこの日の中村健史さん、どういうお仕事の方なのか、また能楽とはどういう立ち位置の方なのか存じませんが、大変に面白い解説でした。関西の方のようで話が実に軽妙です。能の解説としてだけでなく、お話自体の面白さを感じたところです。

さてこの曲は1983年に当時の梅若六郎、現梅若玄祥さんが復曲されたもので、五百数十年もの長い間廃絶していたとか。当然のことながら一般の謡本には収録されていませんし、能の曲目解説などにも出てきません。実際に能を観るのであれば、確かに事前にお話を聞くなり、なんらかの対応をした方が良かろうと思います。
しかしこちらはブログですので、むしろ場面の展開に合わせて解説をしていく形の方が分かりやすかろうと思います。
というわけで、まずは次第の囃子でワキの出から。

ワキの森さんが薄い黄色の水衣に金地の角帽子を沙門付けにし、掛絡をかけた僧の姿で登場してきます。この「大般若」は古くは「三蔵法師」などとも呼ばれた曲で、もともとはシテが三蔵法師だったそうですが、やがて深沙大王がシテとなる形に変化したらしく、三蔵法師はワキの役処となったとか。玄奘三蔵の役だけあって、身分の高い僧侶の装束付けとなっています。
このつづきはまた明日に
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大般若のつづき

登場したワキは常座に進んで次第「教えの道も秋津洲(アキツス)や 教えの道も秋津洲や 数ある法を広めん」を謡い、地取りの後、三蔵法師であると名乗ります。中国の話なのに「秋津洲」はどうかなあと思うところですが、なにか作者に意図があったのかも知れません。ともかくも、国家安泰、万民救済のため大般若経を求めて天竺への旅に出るところ。道行を謡って西域を目指します。

「野に暮らし山に泊まりて行く道の 山に泊まりて行く道の」と謡い、白波立つ川面の渡りにやって来ます。
「急ぎ候ほどに 流沙とかや申すげに候」と流沙河に着いたことが述べられて、人を待ちこの辺りのことを尋ねようと言って、ワキ座に控えます。

片日吉というのだそうですが、鋭い笛の音から始まる出の囃子で前シテの出になります。幕が上がるとススッと出て幕前に暫し佇みます。何やら怪しげな雰囲気が強調されている感じです。
しばし時間があってから、今度はゆっくりと橋掛りを進み、常座まで出てからサシ込み開き、謡い出しとなります。

シテは、山が屏風のようにそびえ、明け方の月の光が水際に残って、春めきわたる風情を謡います。これを聞いてワキの問いかけ、この川の渡りのほどを教えてほしいとシテに向かって尋ねます。

さてこの展開にいささか妙なところがありまして、実は「流沙河」はタクラマカン砂漠の中の地名、砂漠の砂を水に例えた地名らしく水の流れる河ではないのだそうです。しかしながら、いかにも川の流れているような名のために誤解が生じたようで、いつしか西域の川の流れのことになってしまったらしいのですね。
この件をめぐっては、この大般若という曲の成立に関わる話でもあり、能の展開から離れますが、この辺りの話をこの後、少しばかり書いてみようと思います。
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九皐会を観に行く

本日は2月の九皐会を観に、矢来能楽堂まで行ってきました。
昨日、一昨日と関東も雪の舞う天気でしたが、今日はうってかわって晴れ。風は冷たいけれど、日の光は暖かい。少しばかり歩いてみようかと思い、JRで飯田橋まで行き、神楽坂の歩行者天国を歩いてみました。いつもながら賑わってます。帰りも同じコースを歩き、ふとなにかお土産でも買っていこうかと思ったのですが、レストランなど食事をするところは沢山ある一方、お土産に出来るようなお菓子を売っている店はあまり多くありません。不思議ですねぇ

さて本日の番組は、小島英明さんのシテで竹生島と、遠藤喜久さんのシテで東北。狂言が皸で、ほかに仕舞が三番という構成です。
鑑賞記は大般若が終えてから書くつもりですが、大般若も九皐会の皆さんがメインでしたので、なんだか不思議な感じです。
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日ごろの感謝もありまして

お知らせ、というかお願いなのですが・・・

実は3月6日(日)の粟谷能の会、楽しみにチケットを取っておいたのですが、断れない用事が出来てしまいまして、観に行くことが出来なくなってしまいました。
中正面の後ろの方なので、あまり素晴らしい席ではありませんが、もし当日お出でになれる方がいらっしゃいましたら、日頃、当ブログを訪問していただいている感謝の気持ちもこめて進呈したいと思います。

ご希望の方がいらっしゃいましたら、画面右下の「おたより」の欄へメールアドレスを記入のうえ「チケット希望」として「確認」ボタンを押して下さい。当方より、ご連絡を差し上げます。

この記事は今月いっぱい掲載します。

お知らせとお願い

昨日、粟谷能の会のチケットについてアップしましたが、ブログ管理上の手違いでFC2のメールフォームが受信できなくなっておりました。
只今、修正登録をしましたので、昨晩来、これまでに画面右下のフォームから送信をされた方は、お手数でももう一度、ご送信のほどお願いします。
なお、昨日のお知らせを再掲いたします。メールフォームの入力方法を少し詳細に記載しました。

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実は3月6日(日)の粟谷能の会、楽しみにチケットを取っておいたのですが、断れない用事が出来てしまいまして、観に行くことが出来なくなってしまいました。
中正面の後ろの方なので、あまり素晴らしい席ではありませんが、もし当日お出でになれる方がいらっしゃいましたら、日頃、当ブログを訪問していただいている感謝の気持ちもこめて進呈したいと思います。

ご希望の方がいらっしゃいましたら、
1.画面右下のメールフォームをご記入下さい
 ハンドル名はどのようなものでも結構ですが何か文字を入力下さい。
 メールアドレスは当方からの連絡用ですので正確にご記入下さい。
 おたよりの欄は「チケット希望」など適当にお願いします。
2.確認のボタンを押して下さい
3.入力内容が表示されたら送信のボタンを押して下さい
後ほど当方より、ご連絡を差し上げます。

この記事は今月いっぱい掲載します。

大般若さらにつづき

当日の中村健史さんの解説や、復曲能の作者である梅若玄祥さんが主催する梅若能楽学院のHPの記事などを踏まえつつ、流沙をめぐる誤解や「大般若」の成り立ちなどについて、少しばかり書いてみようと思います。

実在の玄奘三蔵のインドへの旅については、玄奘の自著である「大唐西域記」と、没後間もなくに編纂された「大慈恩寺三蔵法師伝(慈恩伝)」が資料として存在しますが、慈恩伝には、この流沙河の地を過ぎる時に玄奘が大変な難儀をし、死を覚悟して観音を念じたところ、夢の中に深沙大王が現れて助けられたと書かれているそうです。後々玄奘三蔵が深沙大王を奉ったのはこのときのことがもとになっていると言います。

三蔵法師の旅といえば思い出すのが「西遊記」ですが、孫悟空や猪八戒、沙悟浄といった三蔵法師の弟子の中にも、金角や銀角のような敵役の中にも、深沙大王は登場してきません。
「大般若」は室町時代後期に作られたと最初に書きましたが、ちょうど「西遊記」が中国で大成された頃のようで、まだ日本では「西遊記」が流布しておらず、西遊記成立以前の伝承をもとに作られたとのことです。

したがって「大般若」には「西遊記」のキャラクターは登場してこない訳です。しかし流沙河が水のあるところというのは、早くから生じていた誤解らしく、大般若もそうした前提の上に作られていますし、西遊記もその延長線上にあります。

ともかく、大般若は西遊記が成立する以前の、玄奘三蔵の西域行をめぐる伝承を基礎に作られ、流沙河で登場してくるのは深沙大王ということになっています。

能の方に戻りますと、何やら怪しげに登場してきた前シテの男は、実は深沙大王の仮の姿ということになるのですが、さてこのつづきはまた明日に
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大般若さらにさらにつづき

河の渡りの様子を尋ねるワキ三蔵法師に、シテは「さすがにこれは流沙とて 真砂の水の深き千尋」と教え、さらに「あれに見えたる高山は」と目付柱の先を遠く見やる風で、山の様子をワキに教えます。
「さればこの川を渡り」と今度は正先を見、ワキとの問答になります。

問答では、シテが流沙河を渡って天竺に行くのはとても不可能であると言って三蔵を留めようとしますが、ワキは決意が揺るがないものであることを語ります。
するとシテは、三蔵がこれまで七度の前世で天竺に赴こうとしたのを、ここで妨げたのは自分の仕業だと語ります。

ワキ「山より いずる」シテ「この川の」地謡「雲より落ちて 深きこと・・・」と謡になり、シテは三足ほど出てワキに向き、ゆっくりとツメて戻し、正を向いて目付に出、右扇を出して川を示す風から舞台を廻り、常座に戻ってワキに向かって開きます。

地のクリ「それ川といっぱ・・・」でシテは正中に出て下居。クセの謡になります。
クセの前半は下居したまま謡を聞きます。謡では、深沙という鬼の姿をした川の主がいて、心では仏法を守る誓いをたてていたことが謡われて、続く「然れば汝この経を 四方に拡めん志」でシテは立ち上がってゆっくりとワキを向き、謡に合わせての舞となります。七度の前世で命を奪ったが、今よりは時至って経典も今授けようと謡われます。

クセを舞い終えると正中から少し出てワキに向かって下居。自ら深沙大王であると明かして地謡で立ち上がり、正先へ進み左へ回って大小前、波を蹴立てるような不思議な足使いを見せて橋掛りへと進み、一ノ松で振り返ってワキを見込みます。

謡がとまり、大小のみでシテの中入。
ワキは立ち上がって正中近くまで出、シテを見送る形からワキ座へと戻ります。
後見が一畳台を出してきて大小前に据えるとアイの出となります。
さてこのつづきはまた明日に
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大般若またつづき

登場したアイは常座に出て立ちシャベリ。深沙大王の眷属という役柄で、赤頭に龍戴のようなものを着けています。前場を整理するような形で深沙大王と玄奘三蔵のことを語り、さらにこれから大般若経が授けられることを述べると笛座に下がって控えます。
通常シャベリを終えたアイは狂言座に下がり、まもなく切戸口から退場してしまいますが、この曲では大般若経授受の様を見ることが楽しみだという言葉通りに、最後まで舞台に留まりました。

さてアイが下がると二人のツレ飛天の出になります。
天女ということですが天冠は着けず赤系の長絹姿で、下がり端での登場です。天女の出に下り端は珍しくはありませんが、橋掛りを進んだツレは一ノ松と二ノ松に立ち、袖を返して舞台へ進み、太鼓座前で袖を直し、下り端の囃子のままで舞になりました。
地ノ頭と常座に別れて立ち、足拍子を踏んで舞台を廻り、目付と正中、そして元の位置へと下り端の囃子で舞を舞います。
この舞は「下り端の舞」として梅若玄祥さんが作られたものだそうで、ゆったりとした下り端の囃子に載せて、扇を持たずに両の袖を羽ばたくように舞う姿は確かに天人を思わせます。

二人が横に並んで立った形になって地謡が入ります。
「波や打つ 波や打つ 鼓の音は汀に響き 峯吹く松の嵐は自ら琴となる」聞き書きなのでいささか怪しいのですが、渉り拍子の謡は長閑な雰囲気を醸し出します。下り端に渉り拍子といえば猩々を思い出しますが、節付けにあたって明るくゆったりとした天女の様を出そうとされたのかも知れません。

続く拍不合の謡で飛天がワキに寄り、両側からワキを立たせるような形で三人が並んで立ちます。大ノリの謡になり、ワキが中央、左右に飛天が並んで正面を向き、足を左右と上げて河を越えたことを表す風です。三人が下居し、ワキはさらに正先で合掌します。
これまで越えることの出来なかった流沙河を飛天に支えられてなんなく越してしまったことを示します。
このつづきはまた明日に
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大般若またまたのつづき

三人は立ち上がり、ワキがワキ座に下がり飛天が台上に上るとツレ龍神の出になります。龍神も飛天同様に二人で登場してきます。
中村さんの解説にありましたが、室町時代に成立した能では数千に上る曲が作られたとか。その多くが廃曲になってしまったわけですが、もちろんつまらない作品が多かったということもありましょう。しかしこの大般若は、おそらく登場人物が多くて演ずるのが大変だったいうのが大きな理由ではないかいうことでした。ツレが四人も出ると装束の準備なども大変そうです。龍神は半切に袷法被を肩脱ぎにし、赤頭、龍戴を着けての登場で、二人出るとなると大変です。室町時代後期になると、やたらと登場人物の多い曲が作られたようですが、現行曲にはあまり残っていませんね。

さて登場した龍神は舞台に進み舞を舞い、谷底から山上まで自在に駆け巡る様を表現します。舞い終えた龍神が下居すると幕が巻き上げられて半幕でシテの姿が現れます。

幕が静かに下ろされると早笛となり、今度は勢いよく幕が上げられて後シテ深沙大王の出となります。最初は速く始まった囃子がゆっくりとなり、龍神が目付と笛座に別れて立つと、シテは幕前で足拍子を踏み、一回りしてさらに舞台へと進みます。

後シテは黒地に銀糸で龍をあしらった狩衣に裲襠(リョウトウ)というポンチョのようなものをかけ、真蛇の面、白頭に大龍戴を着けています。さらに首には七つの髑髏がついた髑髏瓔珞を懸けての登場です。
真蛇は般若に似た面ですが、顎が大きく張り出しています。この面は般若が嫉妬心などのためにさらに人の心を失ってしまったものと解説されますが、実はそうではなく、この面は「大般若」のシテ深沙大王を演じる時の専用面「深沙」だったのではないか、というのがこの大般若が復曲されるきっかけになったのだそうです。古い時代の真蛇にはあまり怖い感じがしないものがあると聞いたことがありますが、仏法の守護神ともなった深沙大王を表現したものとすれば納得が行くところでもあります。

ところでこの深沙大王ですが、河に現れ髑髏瓔珞を懸けた特徴は西遊記の中では沙悟浄に引き継がれています。沙悟浄が河童の妖怪だというのは日本独特の解釈のようですが、ともかく神が妖怪になるという一般的な傾向があるようです。もっとも深沙大王への崇敬はその後も続いていたようで、調布の深大寺の名は深沙大王を祀った寺の意味があるのだそうです。
もう一日つづきます
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大般若もう一日のつづき

さて能に戻りますが、舞台に進んだシテは正先で開キ、ワキに向かい合います。
飛天が台を下り、代わってシテが台上へと進みますが、台に向かうシテに目付側に立った龍神が近寄り、シテの背負う笈を取って台前に置きます。

シテが台上で正面を向き、ワキ三蔵が進み出て笈の中に入れられている経典を授かります。ワキは正先に座して経典を広げ読み上げる形。これを一同が聴き入った風で、ワキは立ち上がってワキ座にと戻ります。

シテは台上から下り、サシ込み開きから舞働となります。経典を手に入れた三蔵法師を祝福する意味のようですので、舞働も何とはなし晴れやかな感じがします。

舞上げたシテはワキに近寄って経典を取り笈に戻します。(戻した風で後見が預かり下がったように見えましたが) 「頼もしく思うべし」の謡でシテが台上に上がり、龍神がワキに笈を背負わせます。
ワキの謡「三蔵 御経の笈を負い」から地謡となり、流沙に向かえばとワキが正先に出て、その後ろに龍神が左右に並び、さらに後ろに飛天が左右に並んだ形になります。
「ソバダチの手」というのだそうですが、囃子の手でツレがさっと左右に分かれ、河が二つに割れた様子を象徴します。

この間をワキが抜けて、河を無事に越えた様で橋掛りへと進みます。
「止まるぞ三蔵」の謡に、ワキは二ノ松で振り返って頭を下げ、退場していきます。
シテは台上に座して河に入った形になって留となりました。

能の面白さを何に求めるのかは様々と思いますが、どちらかというと幽玄といった雰囲気が強調されるような気がします。あるいは物狂いに象徴されるような人の思いに惹かれるということもありましょう。そういう面からはいささか遠くなりますが、この大般若のような一大スペクタクルも能の面白さの一つではないかと考えています。あの広さも舞台装置も極端に制約された空間に、いかに広大な物語を凝縮するかというのも大変面白いところです。

観世喜正さんの能はあまり観ていないのですが、大柄な方で迫力ある舞台がこうした曲を見事に演じきっておられる印象でした。
(70分:当日の上演時間を記しておきます)
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五雲会を観に行く

本日は宝生流の五雲会を観に宝生能楽堂に行ってきました。
昨日の激しい雨とは一転して、今日は晴れ・・・のはずだったのですが、思いのほか雲が多く肌寒い感じです。12時開演ですが、全席自由でもあり、たまには早く行ってみようかと11時少し前に能楽堂へ。と、着いてみると既に二十人ほどの列が出来ています。皆さん、案外早いのですねぇ。

本日の番組は、まず辰巳孝弥さんのシテに辰巳大二郎さんのツレで弓八幡。狂言の歌争を挟んで、藤井雅之さんのシテで兼平。佐野玄宜さんのシテで胡蝶。狂言の鏡男があって、最後が水上優さんのシテで鞍馬天狗という次第。

実は水上さんのご長男である達くんが、鞍馬天狗の花見で初舞台、親子初共演ということもありまして、思い切って出掛けたのですが、12時の開演から夕方6時過ぎまで楽しく拝見することが出来ました。いささかお尻は痛くなりましたが。

例によって観能記は順次書いていくつもりですが、なにぶん番数が多いので早めにメモの整理だけでもしておかないと、内容を忘れてしまいそうです。
しかも行き帰りの車中は、この間から読んでいる太宰治の文庫本を読み、斜陽から人間失格と頭の中で渦巻いてるような感じです。
浅田次郎さんのエッセイに太宰治が嫌いだと書いてあったのが、逆に気になって久しぶりに読み直してみようと思ったのですが・・・
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竹生島 小島英明(九皐会)

観世流 矢来能楽堂 2011.02.13
 シテ 小島英明、ツレ 坂真太郎
  ワキ 森常好、アイ 大藏千太郎
   大鼓 佃良太郎、小鼓 住駒充彦
   太鼓 梶谷英樹、笛 栗林祐輔

竹生島は、平成21年4月の宝生流五雲会での高橋憲正さんシテの演能(鑑賞記初日月リンク)と、22年2月の喜多流自主公演能での粟谷充雄さんの演能(鑑賞記初日月リンク)について鑑賞記を書いています。このブログ三度目の竹生島ですが今回は観世流です。

舞台にはまず一畳台が出されます。続いて引廻しをかけた宮の作り物が出されて大小前に据えられた一畳台の上に置かれます。引廻しは浅葱よりは納戸色というか、鼠色がかった青系の色でした。

真ノ次第の囃子でワキ、ワキツレの一行が登場してきます。ワキは白大口に紺地の袷狩衣、風折烏帽子、ワキツレ二人はいわゆる赤大臣、型通りの登場です。
向かい合っての次第謡で「竹に生まるる鶯の」と謡い出し、竹生島に参詣することが謡われます。三遍返しで次第を謡って、ワキの詞。さらに三人での道行となり、鳰の浦にやって来たことになります。

観世流の本では、道行の後、ワキが「あれを見れば釣舟の来り候 暫く相待ち便船を乞わばやと存じ候」と述べ、釣り舟がやって来たことが示されますが、下掛り宝生では「舟はあれども釣舟に乗り 浦々を眺めうと存ずる」と述べる形です。なぜか観世流以外の本では道行の謡のあと、このワキの詞は記載されておらずシテのサシになっているようです。
このつづきはまた明日に
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竹生島のつづき

ワキの一行がワキ座に着くと、後見が舟と棹を持って出て舟をワキ正に置きます。置き位置を確認したワキは棹を持って後見座に下がり、囃子が始まります。

囃子が奏される中をツレの女が先に立ち、シテの老人が後から続いて登場してきます。
前ツレは朝顔を図案化したような文様の唐織を着流しにし、一方シテは無地熨斗目に水衣肩上げ、尉髪の老人姿です。

このブログで先に取り上げた二番では、いずれもツレが釣り竿を肩に担い、シテは小格子厚板着流しに水衣の装束でした。
「釣り舟」を象徴するものとしてツレが釣り竿を担っているというのは分かりやすい感じがします。とは言っても、作り物は所詮枠だけの「舟のようなもの」ですから、それほどこだわる話でもありませんね。

観世流の装束付けでは、前シテの装束は「小格子厚板又は無地熨斗目」とされていて、どちらでもかまわないことになりますが、シテの小島さんが大柄でいらっしゃるので、紺地の無地熨斗目の方がおさまりが良いかと思って拝見していました。
老体の装束としては、小格子厚板に白大口、水衣が最も重い形で、高砂など後場に神として登場する曲では、前シテがこの形で出るのが普通のようです。
次に白大口を着けずに小格子厚板着流しで出る形となり、無地熨斗目は修羅物の前シテなどに用いられることが多いようです。
竹生島のシテは後場で龍神として現れるので、小格子厚板の方が役の位としては良さそうにも思いますが、装束着けに「又は無地熨斗目」としているのは、観世流なりの解釈があるのかも知れません。

舟の所までやって来た二人は、シテが舟の奥側に、ツレが舟の真ん中の部分に立ちます。二人が乗り込むと後見がシテに櫂棹を渡し、シテのサシ「おもしろや頃は弥生のなかばなれば」から謡い出され、ツレの二の句、シテツレ同吟での一セイ、さらにシテのサシ、ツレとの同吟から下歌、上歌と春の琵琶湖に進む舟の長閑な様が謡われます。

上歌の終わりに「いざ棹し寄せて言問はん」と謡って、シテは棹に手をかけます。
この二度目の「言問はん」でワキが立ち上がり、舟が近づいてくることを認めて、シテ、ツレの乗る舟に「便船申そう」と呼び掛けます。
シテは、この舟は渡し船ではなく釣り船だと諭しますが、ワキは釣り船なのは分かっていて便船と言ったのであって、初めて竹生島に参詣するので是非とも乗せて欲しいと求めます。

さてこのつづきはまた明日に
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竹生島さらにつづき

ワキの申し出に、シテは「この島は霊地なので否と言うのも神意に違うか」とワキを舟に乗せることにし、ツレが「さらばお舟を参らせん」と謡ってワキの方を向きます。この部分の詞章、シテとツレへの配分が観世と宝生で違っていることは、以前の記事に書いた通りです。

地謡の下歌で、シテもワキの方を向き右手を上げてワキを舟に招ずる形。ワキは舟に寄り前の部分に乗り込みます。シテは棹に手を掛けて漕ぐ形から、ツレとワキが下居して舟中に落ち着いた形になると棹を下ろして上歌となります。

上歌の詞章に合わせて、シテはゆっくりとワキ正の方に向きを変えて、面のみを目付柱の方に戻して浦々を眺める雰囲気です。
「旅の習の思わずも」と面を伏せて思う様子から、徐々に面を上げて「竹生島も見えたりや」と遠くを見るような風情になります。さらに「月海上に浮かんでは」と再び棹に手を掛けて漕ぐ形となって正に面を上げ長閑な風情を表します。

シテの「舟が着いて候 御上がり候へ」で舟が竹生島に着いたことになり、ワキ、シテのやりとり。シテの「この尉が御道しるべ申そうずるにて候」に対してワキが「さらば御共申そうずるにて候」と答え、一同が舟を下りる形で立ち上がってワキはワキ座に、ツレは笛座前に立ちます。
シテは棹を後見に渡すと、正中からややワキ正に寄ったあたりに立って宮を見る形になると、シテはワキに「これこそ弁財天にて候へ」と示します。

ワキは弁財天の有り難さを讃えますが、続いてツレの若い女が上陸したことについての不審を述べる形になります。シテが答え、ワキはワキ座に、シテが大小前に進んで一同下居。シテの肩上げが下ろされます。
クセとなり、シテの上げ端の後、ツレが立ち上がって目付へ進み、ワキを向いた後に「社壇の 扉をおし開き」と扇で戸を開く形から宮の作り物に中入りします。
続いてシテも立ち上がり「我はこの海の主」とワキを振り返り「波に入らせ給ひけり」と常座で正面を向いて、来序で中入となります。

このつづきはまた明日に
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竹生島さらにさらにつづき

シテが幕に入ると、囃子が来序から狂言来序になり、アイの社人が登場します。大藏千太郎さんの能力出立での登場です。

前二回の鑑賞記では、間狂言が和泉流小笠原匡さんと大藏流山本則秀さんでした。
お二人の大きな違いとしては、小笠原さんが竹生島の天部に仕えるものと名乗ったのに対して、山本さんは竹生島の天女に使える者と名乗ったこと。また竹生島の宝として見せたものが、小笠原さんは宝蔵の御鍵、一夜に生えた二股竹、馬の角、牛の玉、何かの脇毛、そして最後に天部の持たせられたお数珠と、六種であるのに対し、山本さんの方は宝蔵の御鍵、天女が朝夕看経せらるる時のお数珠そして二股の竹と、こちらは三種でした。
今回の千太郎さんは、同流の山本さんと同じ形でした。

続いて岩飛びを見せようと言って、岩飛びを始めます。
こちらも前二回と同様ですが、三句めは「巌のうえに走り上がり」と謡っていまして、ここだけ以前、記載したのと違っています。最後に「はあクッサメ」と留めて退場するのはこれまでと同じです。

アイの社人が退場すると、一呼吸置いて囃子が出端を奏し始めます。
いよいよ後場になりますが、出端の囃子に続いて地謡が謡い出し「現れ給ふぞかたじけなき」の謡で見が作り物の引廻しを下ろすと、中には後ツレ天女が床几にかかっています。白大口に朱地の舞衣、天冠を着けています。

地謡の「その時虚空に音楽聞こえ」で立ち上がると、台を下りてサシ込開キ。常座に移って答拝し天女ノ舞を舞い始めます。素直で柔らかな舞でして好感を持ちました。
天女ノ舞を舞い上げると、さらに地謡合わせて舞い、幕の方を見て雲扇で龍神を招き笛座へと着座します。

囃子が早笛になり、後シテの出。一ノ松で七つ拍子を踏んで舞台へと進みます。赤頭で法被半切に龍戴をいただき、右手には打杖、火焔珠を載せた銀盤を両手に捧げての登場です。手に捧げ持った珠をワキに寄って渡し、舞働です。大柄な小島さんの豪快な舞。

キリでは「天女は宮中に入らせ給へば」とツレが退場し、シテはこれを見送った後、橋掛りに進んで幕前で飛び返り。左袖を披いて留となりました。
(76分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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皸 大藏彌太郎(九皐会)

大藏流 矢来能楽堂 2011.02.13
 シテ 大藏彌太郎
  アド 大藏基誠

アカガリと読みますが「あかぎれ」のことですね。皹や、胼(こちらは和泉流が用いるようですが)などとも書かれます。

ところで狂言を観ていると、すんなり納得して大笑いできる時と、なんとなく腑に落ちないところが残る時とあります。何度かそういう話を書いていまして、先日の昆布売(鑑賞記初日月リンク)でも、どうして昆布売がわざわざ太郎冠者と呼んでくれなどと言い出すのか、すっきりしないと書きました。

この皸という狂言も、なんとなくしっくりしないところが残ります。
もともと狂言の起こりは、こんなストーリー性のある劇ではなく滑稽な物真似だったそうですから、笑わせるようなポイント、物真似に導くために、やや強引に場面設定をする傾向があるのかも知れません。あるいは当時の人々にとっては、すんなりと理解できる設定だったのが、時代の変遷で落ち着きが悪くなってしまったのかも知れません。
いずれにしても私としては、この曲にはいささか腑に落ちないものが残るのですが、まずは曲の流れに沿って書いてみようと思います。

まずアドの基誠さんが段熨斗目に長上下の姿で登場し、常座でこの辺りに住む者だが、今日は山一つ彼方へ茶の湯に出掛けようと思うと述べ、太郎冠者を呼び出します。
呼ばれてシテ太郎冠者の彌太郎さんが進み出ます。半袴の狂言出立。

さてアドは山一つ向こうに茶の湯に出掛けるので、共をするようにと言い、太郎冠者を連れて出掛けます。道々話をする風情で、二人は舞台を廻りやがて「いつもの溝川に出た」と川にやってきます。
さてこのつづきはまた明日に
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皸のつづき

溝川にやって来ると、アド主人は太郎冠者に自分を背負って渡るようにと命じます。
しかし太郎冠者は、自分は持病の皸があるので川に入るのだけは勘弁してくれと断ります。当然ながら主人は、こんな時のために連れてきているのに、こればかりの川を渡れないと言うことがあるものかと叱りますが、太郎冠者はどうにも勘弁してくれと許しを乞うばかりです。

刻限もあるためということで、ならば自分が背負っていってやろうと主人が言い出しますが、これまた主人に背負ってもらうなど恐れ多いことと、太郎冠者は断ります。
主人は、ただ背負うと言っているのではない。聞けば太郎冠者も歌を詠むということなので、歌を上手く詠んだら背負ってやろうということだと言います。

渋っていた太郎冠者も、度々の催促にそれならばということで
「あかがりは 春は越路に 帰れかし 冬こそ足の もとにすむとも」
と歌を詠みます。

これはなかなか良いできだと主人が褒めますが、一首だけでは分からないのでもう一首詠めと命じます。太郎冠者はもう一首詠むのは良いとして、背負っていただくのは勘弁してほしいと言いますが、ともかく詠めと主人が命じ、もう一首詠むことにします。
「あかがりは 弥生の末の ほととぎす 卯月廻りて 音をのみぞなく」
と詠みます。

これを主人がたいそう褒め、背負うので乗れと背中を出します。
太郎冠者は遠慮して断りますが、どうでも乗れと主人に求められて、とうとう背負われてしまいます。
大柄な基誠さんなので、彌太郎さんを軽々と背負いました。彌太郎さんはいささかご不調だったのか、なんとなく以前より痩せられたような感じがしたのですが、ともかくいよいよ川渡となりました。
このつづきはまた明日に
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皸さらにつづき

さて川を渡るということで、ヤットナと言いながら大きく歩み、二度、三度と進みつつ、浅瀬からだんだん深いところに向かいます。
三度目で深いところになったという設定で、この深いところでまた一首詠めと、主人が太郎冠者に命じます。

こんな川の中では歌など詠めるものではないという太郎冠者を、詠まないとここで川に落としてしまうぞと主人が脅し、太郎冠者はやむなく一首歌を詠みます。
「あかがりは 恋の心に あらねども ひびにまさりて 悲しかりけり」

これを聞いた主人はいったんは褒めますが、さて昔から下人が主を負うた例はあるが、主が下人を負うた例はないと言い、お前にようなヤツは川に落としてやろうと言って太郎冠者を川に落としてしまいます。

立ち上がった太郎冠者は、足を濡らさないようにとして頭まで水に濡れてしまったと嘆き「ああくっさめ」と留めます。

歌もなかなか面白いし、全体としては小品ながら面白い狂言なのです。
しかし、なんだか私としては、なにも遠慮している者をわざわざ背負って川に入って落とさなくとも・・・と、いささかスッキリしないものが残りました。

あかぎれくらいで勤めを嫌がるなど、横着者だから仕置きが必要なので、一計を案じた主人がわざわざ背負って川に入り落とした。とまあ、そんな理屈になるのでしょうね。使用人と主人との間の位置関係というのは、時代によって変遷しているでしょうし、考えてみれば、狂言を好んで演じたり観たのも武士階級が多かったのでしょうから、下人に対するものの考え方は、こんなところだったのかも知れません。
(10分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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