能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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鏡男 高野和憲(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2011.02.19
 シテ 高野和憲
  アド 月崎晴夫 岡聡史

前々から機会あれば観たいと思っていた狂言なのですが、今回ようやく観ることができました。
大震災のために観に行けなくなってしまった三月の九皐会では松山鏡が上演されたのですが、松山鏡とこの鏡男は兄弟のような曲で、いずれも雪深い山里「越後松之山の」人たちが鏡というものを見たことが無かったという設定がもとになっています。
実際そんなことがあったのかどうかは分かりませんが、今でも新潟県十日町市松之山一帯は雪深いことで有名です。「まつのやま.com」というこの地域のサイトをみると、今日現在でも積雪268㎝と出ています。

さて舞台には括り袴に掛け素袍を下帯で締めたシテが登場し、常座で「越後の国松の山家の者」と名乗り、長く在京したが訴訟が悉く叶い安堵の御行書を戴いたので国へ帰ると言って舞台を回り始めます。

国許を出た時は何時戻れるかと思ったのに、早々と埒が明いて嬉しいなどと言いながら舞台を廻りますが、はたと忘れていたことがあると、何やら思い出します。
国を出る時に女房に土産を買って帰ろうと約束したのをすっかり忘れていた、というわけで、ちょうど色々の店が出ているので、ここで求めることにします。

この曲、最初に次第を奏してシテが登場して次第を謡い、続いてシテがこの後の買い物の下りまですべて語って済ませる演出もあるそうですが、今回はここで店にいたり、鏡売りの男が出てくる形です。

ところで訴訟が叶ったので国許に帰るという設定は、いくつかの狂言にも見られます。また能でも訴訟をめぐって生じた出来事が題材になっている曲があります。
2008年に「訴訟をめぐる能楽」として、菅浦文書の話から発展させて少しばかりまとめたことがあります。ご参考までに御覧いただければと思います。
鑑賞記初日月リンク
このつづきはまた明日に
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鏡男のつづき

シテの男がワキ正に出て店を見る形になり、長上下をつけ大小前に座していたアド鏡売りがこれに応対することになります。
シテ、アドの問答ですが、シテは丸く光っているのは何かと問い、アドが鏡だと答えると、鏡とは何のことかと問い直します。鏡という名を聞いたのさえ初めてというシテに、アドは女のためには並びない調法だと言います。

鏡で自分の姿が見えると聞いて、シテはそれを見せて欲しいと言い、アドが立って手鏡をシテに渡します。しかし覗き込んで何も見えないというシテに、それは裏だとアドが教え、表を見るように促します。

さて鏡の面を返して初めて自分の顔を見たと大喜びのシテ、鏡の値段をたずねます。アドが五百疋と答えます。以前に一疋とはどれくらいの額になるのかについて書いたことがありますが(薩摩守のつづき)、あのときの計算から言えば12万5千円から25万円といったところで、「それは高値にござる」とシテが文句を言うのも納得いくところです。
しかし、負けないので嫌ならやめだとアドに言われてシテは五百疋で買うことにし、三条の大黒屋で支払うと言います。これも以前にもふれましたが、狂言では良くあるやり取りです。

元に戻って、鏡を手に入れた男は早速国許へと向かうことにします。さらばさらばと別れると、アドは切戸口から退場し、シテは鏡を手に持って舞台を廻ります。
山家では見たことはもちろん、噂に聞いたこともないものを手に入れたので、女房はもちろんのこと、在所の者達はみんな喜ぶだろうなどと言い、常座に戻ります。
常座に立ったまま、鏡には明らかにものがうつるので、女が紅白粉を付けて身だしなみをするにも調法だし、男も、若ければおのが姿を見て満足し、年を取った姿がうつれば物事を考え分別し、老いたる姿がうつれば仏道修行をするというきっかけにもなろうか、というのもこの鏡ゆえだと、含蓄のあることを口にします。
さてこのつづきはまた明日に
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鏡男さらにつづき

シテはさらに鏡を見て、今度は自分の笑った顔と怒った顔をうつしてみます。これがまたなかなかに深みのある物言いで、自分の表情に驚いた後、再び舞台を廻り始めつつ、在京中に寺々で聞いた説法に「心から地獄へも落ち、心からまた極楽へも生まるる」というのはまさにこのことだと述べたりします。

そうこうするうちに家に着き、橋掛りの入り口から「女共」と女房を呼び出します。
アドの女が登場して二ノ松で「これのが戻られたそうな」と言ってから橋掛りを進み、シテと入れ違ってアドがワキ座、シテがワキ正に出て家の中での場面となります。

シテはいったん「土産はない」と言いますが、じつは「世に希な宝を求めてきた」と言って買い求めてきた鏡を取り出します。アドは受け取り、「これはうつくしいもの」と鏡の裏を見ますが、シテがそれは裏だと教え、女が鏡を覗き込み突然怒り出します。

女房は中に女がいると言い、男がそれは鏡というものでお前の姿がうつっているだけだと説明しても納得しません。シテ男は女の近くに寄り扇をかざして見せたり、一緒に鏡にうつって見せたりしますが、どうにも女は納得せずいよいよ怒りをぶつけます。

シテは「さてもよし無い物を求めてきて迷惑なことじゃ」と慨嘆し、女がこれを追い込んで留となります。
いずれも鏡というものを聞いたことも見たこともなかった夫婦ですが、夫がすぐにうつっているのが自分の姿と納得したのに、女房が一向に理解しないというのは、設定としていささか無理がある感じもしますが、そのあたりが喜劇の喜劇たるところかも知れません。
(18分:当日の上演時間を記しておきます)
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鞍馬天狗 水上優(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2011.02.19
 シテ 水上優、ツレ 波吉敏信
  花見 山内晶生 高橋希 水上達 和久凛太郎 鶴田航己 
  ワキ 野口能弘、アイ 深田博治 岡聡史
   大鼓 原岡一之、小鼓 住駒充彦
   太鼓 徳田宗久、笛 小野寺竜一

この日五雲会に出掛けたきっかけが、この鞍馬天狗です。水上さんの能も久しく拝見していませんでしたし、今回はご子息達君が初舞台ということもあり、お邪魔したものです。
鞍馬天狗は21年の3月に金剛流工藤寛さんの観能記を書いていますので、併せて御覧いただければと思います。(鑑賞記初日月リンク

さて囃子方、地謡が着座すると、白大口に縞目の水衣、篠懸を掛け兜巾を着けた山伏姿のシテが登場し常座で名乗ります。鞍馬の奥僧正が谷の客僧と名乗ったシテが後見座にクツログと、アイ能力の深田さんが右手に文を持って登場してきます。
能力は常座で、当山西谷に仕える能力と名乗りますが、この間に子方牛若を先頭に花見の稚児やワキ僧、ワキツレ従僧が登場して橋掛りに並びます。

アイがワキの所に行き文を渡すと、ワキは文を読みます。東谷の僧であるワキに、西谷の僧から花の盛りなので見に来るようにとの手紙です。このワキの詞を受けての地謡で一同は舞台に入って座します。
ワキはアイを呼び稚児の慰みに何かせよと命じ、アイがこれを受けて小舞を舞います。
さてこのつづきはまた明日に
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鞍馬天狗のつづき

アイの小舞、深田さんは和泉流野村万作家の方なので風車、あるいは小弓とでも呼ばれる曲を舞われましたが、大藏流で「いたいけしたるもの」と呼ばれるものと同曲です。立ち位置など所作は違うようですが、残念ながら詳しいことは分かりません。

この小舞の途中で後見座にクツロイでいたシテが立ち上がり、舞台に進み出てしばらくこの小舞を眺めた後、安座します。
これを見咎めたアイがワキに寄り狼藉者を追い立てようと言いますが、ワキはこれを押し止め、花は明日見ることにしようと言って花見やワキツレを従えて退場してしまいます。
アイは一同が退場してしまうと、再び立ち上がって常座で腹立ちのほどを述べ、目付に出てシテに悪態をついてから退場します。

さて舞台が静まるとシテが静かに謡い出します。このシテの謡に、花見の一行で唯一人残った子方牛若が答えてシテと子方の掛け合いになります。
二人の謡で、そもそも鞍馬寺の本尊は大悲多聞天、分け隔て無く慈悲の心を注ぐ仏のはずなのに、よそ人と分け隔てをするのは慈悲に漏れたる人々であることよ、と嘆く心が謡われます。さらに謡が続いた後、シテはあらためて子方に、稚児達が皆帰ってしまったのに何故一人残ったのかと問いかけます。

子方は稚児達が平家の一門であることを述べますが、これに対してシテが「和上臈は常磐腹には三男、毘沙門の沙の字をかたどり、名をも沙那王殿とつけ申す」と続けます。以前の鑑賞記にも書いた通り、突然現れた山伏が牛若の素性を知っているというのは、随分と不思議な話で、このあたりからもシテがただの山伏ではないことが窺える展開になっています。
このつづきはまた明日に
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鞍馬天狗さらにつづき

シテの謡に続けて地謡。その「心凄のけしきや」でシテは立ち上がり、ゆっくりと目付に向くと「鐘は聞こえて夜ぞ遅き」と暫し鐘の声を聞く形から、子方に寄って立ち上がらせ後ろに立つ形。さらに正中に出ると子方はワキ座に。二人は向かい合い、さらに「愛宕高雄の初桜」とシテは正先に出てから常座へと向かい「吉野初瀬の名所を」と子方に向いてから正面に直します。
ロンギとなり子方の謡。シテの素性を怪しんで「御名を名乗りおわしませ」とシテに名乗りを求めます。
シテはこの山に年経たる大天狗と自らの素性を明かし、面を切ると正中へ出て「平家を亡ぼし給うべきなり」と幕方を見込みます。さらに正中に下居して「明日参会申すべし」と子方に一礼して立ち上がり、目付から「大僧正が谷を分けて」と常座へと進んで小回り、開キ。来序で中入となりました。
子方もシテの入りに従い、来序の内に中入りします。

二人が幕に入ってしまうと囃子は狂言来序にかわり、木の葉天狗のアイが登場してきます。烏天狗出立で右手に杖を持ち常座で立ちシャベリです。大天狗の手下という次第ですが、一通り喋ると橋掛りの方へ向いて大天狗に声をかけて退場します。工藤さんの演能の際は大藏吉次郎さんの御一門がアイで、立ちシャベリの後に木の葉天狗がさらに二人登場し、三人で打ち合いの稽古をしました。この部分は今回のように立ちシャベリのみの形、後から木の葉天狗が一人、二人出る形など、様々のようです。

一声の囃子で後子方の出。白大口、白水衣に白鉢巻き。右手に長刀を持っての登場です。常座で謡った後、地謡で子方はワキ座に立ち、大べしの囃子で後シテの出になります。
袷法被に赤系の半切、赤頭に兜巾を着けて羽根扇を持っています。大天狗が重々しく登場する訳ですが、大べしというのは単にゆったりとしている訳ではないという話を以前に書いた記憶があります。
高速で飛ぶジェット機を地上から見ると、ゆっくり動いているように見えるのと同様だというのですが、確かにそう思って聞いていると、全体の運びはゆっくりなのですが、早さが感じられるから不思議です。
このつづきさらにもう一日明日に
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鞍馬天狗さらにさらにつづき

常座に立ったシテは「そもそもこれは鞍馬の僧正が谷に年経て住める大天狗なり」と謡い、地謡と掛け合いで供の天狗を従えている様子を謡います。宝生流の小書「白頭 別習(天狗揃え)」では、シテが白頭で登場し、ここに謡われる天狗達が赤頭のツレとして通常七名ほど登場するそうです。

ともかくもシテは「大山の伯耆坊」と六拍子を踏んで開キ、ゆっくりと目付に出て左に回ります。左右から開いて「高雄の峯に住んで」と大小前へ。そこから「人の為には愛宕山」と正先へ出、左袖を披いて下居。「月は鞍馬の僧正が」と立つと運びが速くなり、舞台を廻って小回り、ユウケンして「天狗倒しはおびただしや」と目付に出て子方を見ます。
シテは子方と言葉を交わし、物語を聞かせようと言って正中で床几にかかって、張良と黄石公の話を語り始めます。能「張良」の話そのままですが、あるとき黄石公が馬上で左の履を落とし、張良にとって履かせよ命じます。張良は納得いかないものの履を取って黄石公に履かせます。するとまた別の日、今度は黄石公が左右両方の履を落とし、再び取って履かせよと命じます。安からず思った張良ですが、一大事を相伝するためと思い、落ちた履を取り上げます。と、ここまで語りつつシテは履を取る形から正へ直し、地謡の「張良履を捧げつつ」で床几のまま六拍子を踏みます。さらに踏み返し、面を切り「兵法の奥義を伝えける」と両手を上げて直します。

シテは「その如くに和上臈も」と謡い、地謡に合わせ「姿も心も荒天狗を」と四つ拍子。左へ向いて袖を返し「平家を討たんと思し召すかや」で立ち上がって子方に向き一回りします。そして地謡の「そもそも武略の誉の道」で大小前に立って舞働。

舞働の後は「あらあら時節を考え来たるに」と橋掛りへ入り、二ノ松で太刀打つ型。下居して立つと舞台に戻り正中に出ます。子方に向かって別れの挨拶をすると「御暇申して」と立ち上がり常座へと進みます。子方が寄り、シテは舞台を廻って常座で正中に出た子方と向かい合いユウケン。子方を先に退場させて橋掛りを進み、幕前で「梢に翔って伏せにけり」と留になりました。

水上さんはお名前の通り大変優しい雰囲気の方で、これまでの演能でも柔らかさ、優しさを感じることが多かったのですが、今回の鞍馬天狗では力強さがだいぶん強調された感じで充実した雰囲気を感じました。お子さんと同じ舞台に立たれて、強さも兼ね備えられたのかも知れません。大べしで登場する後の出に、特にそういう印象を受けました。
(72分:当日の上演時間を記しておきます)
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九皐会を観に行く

本日は二月の五雲会以来、ほぼ二月振りに能を観に出かけてきました。
まだ常磐線は特急が運転されていないので、久しぶりに普通列車です。幸い勝田以南は普通列車のみとは言え、ほぼ通常のダイヤ通りに動いているので、なんとか予定通りに矢来能楽堂に到着することが出来ました。

源氏供養と大江山、狂言は悪坊ですが、鑑賞記は例によって明日以降、更新の予定です。
それにつけても震災から一月。東京まで出掛けるとなんだか夢のようです。茨城県内は各所で住宅の瓦が落ちていたり・・・私の家も瓦が落ちたので工事をお願いしています。正直のところちょっと大変です・・・駅のホームや屋根が損傷して修理の後があったり、震災の爪痕と感じられるところが少なくないのですが、東京まで行くと見た目には影響なさそうです。

上野駅も、いつの間にか駅ナカの店々が新しくなり、賑わっています。
しかも例のパンダ人気で、上野動物園に入園するまでに一時間、パンダを見るのにはその後さらに一時間半並ぶ必要があると、駅のアナウンスが繰り返されていました。

もちろん以前にも書いたように、私はなにかにつけ「自粛」といった風潮になるのはどうかなあと思っておりまして、賑わいもけっして否定的には見ていません。できればこの賑わいが全国に広がって、みんな元気に、経済活動も活発化すると良いと思っています。

三月の九皐会は、常磐線も動かず高速も通行止め、なにより復旧のため土日も出勤しましたので拝見できませんでしたが、今月、こうして観に行けるのはありがたいことです。
先月の会の様子、非公開でコメントを戴きました。ありがとうございます。大変な中だったと思いますが、会を催すことが出来て良かったです。
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ちょっとうんざり

あまり物事を気にしないようにしていますし、もともと気にならない性格でもあるのですが、さすがに今日夕方の余震は少しばかりこたえました。
福島県いわき市で震度6弱、水戸では5弱でしたが、一月前の本震ほどではないにしても、かなりの揺れを感じました。ようやく動き出した常磐線も一時全線が止まり、今の時間、9時過ぎてもまだ土浦以北は止まっている様子です。
しかも、その後まもなく雷雨となり、雹か霰か、なにやら降った様子。
なんとなく、そう「がっかりしてしまった」感じです。

その後の余震も、小さいものは数分おきに発生してるようで、震源に近い福島県浜通の方たちは気が気でなかろうと想像しています。

というわけで、本日の更新は以上です。
さすがに昨日の鑑賞記を書く気持にはなれませんでした・・・

源氏供養 五木田三郎(九皐会)

観世流 矢来能楽堂 2011.04.10
 シテ 五木田三郎
  ワキ 森常好
   大鼓 安福光雄、小鼓 古賀裕己
   笛 一噌庸二

間が開きましたが、九皐会の鑑賞記です。
源氏供養・・・一体何を供養するのかしらん、と思うところですが、源氏物語の作者である紫式部は地獄に堕ちたとされ、その罪を救うために法会を催すことがあったのだそうです。古くは鎌倉時代中期に歌人藤原信実が著した今物語にこうした話があるそうで(原文にはあたっておりませんが)、ある人の夢に紫式部が現れ空言を書き連ねた罪で地獄に堕ちているので弔ってほしいと述べたとか。
この「ある人」というのは、信実の祖母で俊成の妻、定家の母である美福門院加賀なのだそうで、法要を催した様子です。

そもそも物語を書き表すというのは、仏教でいう五戒のひとつ「不妄語戒」に反するのだという考え方が古くからあり、平安時代の終わり頃には今物語に書かれたような動きが出てきたようです。僧侶で作家などという方もいらっしゃる現代となってみれば、なんだか不思議な感覚ですが、当時は真面目にそう考えられていたのでしょう。

紫式部や物語に耽溺してしまった読者を弔う法会は、源氏供養としてだんだんに様式化したらしく、その際に読まれる表白は安居院法印聖覚が作ったといわれています。この源氏物語表白を取り込んで能にしたのが、源氏供養というこの能というわけです。
法会では物語の一帖ずつを火にくべて供養を行ったので、表白文には源氏物語五十四帖の名が順番に読み込まれているという説もあります。この表白文の話は、後ほど能の展開の中でも触れようと思います。
さて舞台の方ですが、明日につづきます
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源氏供養のつづき

舞台には次第の囃子で、ワキ僧、ワキツレ従僧が登場してきます。ワキ森さんは小格子厚板に白大口、麻のような色の水衣に角帽子、位の高い僧と感じさせます。次第の後、安居院の法印と名乗りますが、後のシテとのやり取りからは、表白を書いたとされる聖覚の父である安居院法印澄憲と推測されるようです。
ワキツレ則久さんと御厨さんは無地熨斗目に白大口、水衣に角帽子の装束です。

石山寺に参詣すると言い、道行を謡い音羽の瀧から逢坂の関を越え、鳰の海(琵琶湖ですね)、志賀唐崎と進んで石山寺にやってきます。
下歌を謡い、ワキ座に進んだところにシテの呼び掛けです。

シテは安居院の法印に申すべき事の候、とワキを安居院法印と知って呼び掛け、ワキはこの声に振り返ります。紅入唐織着流のシテは幕を出つつ、石山に籠もって源氏六十帖を書き記したと、自ら源氏物語を書き表したことを明かしつつ二ノ松まで進みます。
立ち止まって、源氏の供養をし、また自分の跡を弔ってほしいとワキに請います。

ワキが誰と志して回向すればよいのかと問いかけるうちに、シテは橋掛りを進んで常座に出、ワキと問答の形になります。
ワキが「紫式部にてましますな」と念を押すように問い、シテが答えて地謡に。ワキが着座し、シテはワキの方に進んだ後、舞台を廻って常座に戻りあらためて「かき消すように失せにけり」と中入りしました。

送り笛に送られてシテが姿を消すと、ワキは「まずまず石山へ参ろうずるにて候」と言い、立ち上がるとワキが前に出、後ろにワキツレが控えた雁行の形で地謡前あたりに正面向いて並び、着座して「さて石山に参りつつ」とワキが謡い出します。
このつづきはまた明日に
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源氏供養さらにつづき

この曲、アイが出ませんで、ワキの謡い出しからすぐに待謡になります。
間狂言が出る演出もあるのだそうですが、各流の番組など見ていてもついぞ見かけた記憶がありません。また福王流にはワキが語る小書もあるらしいのですが、こちらも関東では観る機会がなさそうです。

ともかくも、間狂言がでないとシテとしては忙しいだろうと思うのですが、待謡を謡い終えたワキ一同が立ち上がり、ワキ座、地謡座前にそれぞれ着座すると一声の囃子、後シテの出になります。

後シテは緋の大口に紫の長絹、烏帽子を着けての登場です。大口は金糸か箔かが施されています。常座まで進み出たシテは「松風も散れば形見となるものを 思いし山の下紅葉」と謡い出します。

シテの登場に、ワキは夢か現かと覚束ない様子でシテとの掛け合いになります。ワキが紫式部にてましますかと問いかけ、シテの謡から地謡に。シテは正面に五、六足ほど出て「月も心せよ」とすっと遠くを見やるような感じから「石山寺の鐘の声」とワキ正方へ向きを変えやや面を伏せて鐘を聞く心。地謡の終わり「光源氏の跡弔わん」と一度常座に戻ってからワキに向かって進み、正中に下居して合掌します。

シテはワキの弔いに、何を布施としようかと問いますが、ワキは布施などとは思いもよらぬことで唯舞って見せて欲しいと答えます。
シテはそれならば舞おうと言い「恥ずかしながら弱々と」と謡いつつ立ち上がってワキに向き、地次第で正面を向いて扇出して開キ、地取りの間に常座に行って正面を向くと、シテ「花染衣の色襲」地「紫匂う袂かな」でイロヱとなります。
各流とも舞入の小書があり、このイロヱに換えて破ガカリ中ノ舞を舞いますが、この形での上演も多いようです。
明日につづきます
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源氏供養さらにさらにつづき

イロヱからシテは大小前に立ってクリの謡い。地謡が受けてシテのサシ、地謡と続いていきます。
地謡「心中の所願を発し一つの巻物に写して」でシテは懐中した巻物を取り出し左手に持ちます。ワキがシテに寄って下居してこの巻物を受け取り、立ち上がるとワキ座前に進んで着座し巻物を広げて読む形。シテは大小前に下居して、ワキを後ろから合掌して拝する形になりクセの謡となります。

この曲の眼目はこのクセでしょうね。初日にも書いた通り源氏物語表白を取り入れた部分で、私が見た表白文のテキストとはいささか違うところもありますが、源氏物語の帖名を読み込んで進んで行く展開の基本は同じです。ただし途中を飛ばしてあり、クセの謡いに読み込まれているのは二十六帖の名となっています。

二段グセの基本的な構成で「箒木の夜の言の葉は」でシテが立ち上がって曲舞になります。ワキはすぐに広げた巻物を拝すると左手にまとめて持ち、立ち上がってワキ座に下がります。
曲舞の基本的な展開ですが、上げ端の後、大左右から正先へ打込んで開くと舞台を廻って「菩提の道を願うべし」と常座へ。「松風の吹くとても」とユウケン、六拍子を踏んだりと詞章を生かしながら舞を見せます。
最後は大小前でワキに向き、開いた後「鐘打ち鳴らして」と手を打合せ、足拍子を踏んで左右し「既に終わりぬ」とワキを向きます。

実は宝生流のみ「真ノ舞入」という小書があって、このクセで省略なしに五十四帖の名すべてを読み込んだ形を演ずるそうで、先代の宝生英照さんがなさったそうですが、それ以前は百年前だとかなんとか聞いた記憶があります。
ともかくもクセの後はロンギからキリとなって「よくよく物を案ずるに」とシテはユウケンし、紫式部は石山の観世音、源氏物語もこの世を夢の世と知らせる方便と、舞いつつ留となりました。
ずっと以前から九皐会などの舞台でお姿を見かけていた五木田さんですが、考えてみるとシテで拝見したのは初めてかも知れません。声も堂々とはっきりした演能でした。
(69分:当日の上演時間を記しておきます)
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悪坊 三宅右近(九皐会)

和泉流 矢来能楽堂 2011.04.10
 シテ 三宅右近
  アド 高澤祐介 三宅近成

悪坊は18年の12月に五雲会で大藏流宮本昇さんの上演を観て、鑑賞記を書いています。(鑑賞記初日月リンク
狂言では大藏、和泉両流で別な曲かと思うくらい違いのあるものと、ほとんど違わないものがありますが、この曲は後者のようで、今回は和泉流ですが大藏流の悪坊とほとんど違いはありません。

まず舞台にはアド出家の高澤さんが十徳に半袴、角頭巾の出家姿に唐傘を右の肩に担って登場してきます。東近江の者だが西近江から帰るところと言いながら舞台を廻ります。
西近江の者が東近江へ行くところと言うこともあり、宮本さんの時はこちらでした。

すると橋掛りにシテ悪坊の右近さんが登場、こちらは燕尾頭巾に立派な髭を付け、厚板を壺折に着け括り袴で長刀を持っています。
酔った風情でふらふらしながら「ざざんざ 浜松の音は ざざんざ」と謡いつつ出てくると出家に声をかけ「御供いたそう」と同道しようとします。これはまずい者に出会ったと警戒する風の出家は当然断りますが、どうでも同道するというシテに負けて一緒に歩くことになります。

道々、酔ってはなにかと絡むシテに出家が迷惑する様が見せ所の一つ。シテが振り回す長刀を出家が傘で防いだのを種に絡んだり、どちらからどちらへ行くのかと何度もたずねたり、酔っ払いの様子とこれに困り果てる出家の様子がシテ、アドによって演じられます。さらに手を引いてくれと言われた出家が、おそるおそる手を引いて行くと、存じた茶屋があるのでそこで休ませようとシテが言いだし、茶屋に入ります。
アドについて舞台に出て大小前に控えていた小アド茶屋の主人が呼ばれて出ます。宿屋の亭主という設定もあり、宮本さんの時は宿屋でした。
さてこのつづきはまた明日に
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悪坊のつづき

茶屋の主人に一飯を用意するようにと命じたシテは、長刀を立てかけようと目付柱の近くに出ますが、酔ってふらつくために長刀を立てられません。このあたりはなかなか凝ったところです。

さて長刀をおいて横になったシテは、腰を打ってくれと出家に頼みます。頼まれた出家は「このくらいでござるか」と問いながらシテの腰を打ちますが、だんだんにシテが眠った様子になります。出家が「このくらいでござるか」と強く打つとシテが目を覚ましますが、静かに打つようにということになり、シテが向きを換えて出家がまた腰を打つ、しばらくするとシテはすっかり寝入ってしまいます。

出家はそっと立って亭主を呼び出して問答となります。あれは何という人かと出家が問うと、主人は六角堂の悪坊という大の酔狂人で、迷惑する者が多いと答えます。宮本さんの時には六角殿の同朋で悪坊と答えました。どうもそちらの方が元の形のように思えますが、ともかくも出家は裏道から逃がしてくれと言い、主人も後々の迷惑はあろうけれども、出家でもあり逃がそうと言って下がります。

出家はさあ逃げようと急いで立ち去りますが、目付あたりで立ち止まり自分を散々なぶったのは腹が立つと、常座に戻るとまずは長刀を傘と置き換えます。さらに厚板を脱がせて自分の十徳をたたんで置き、背にさしていた助老も置くと、ひとしきり悪態をついて退場します。

さてシテが目を覚まし起きて傘に気付きます。さらにこれは禅宗の助老、小袖が無く衣があると、次々に気付くと、これは釈迦か達磨が変化して先ほどの出家の姿で現れ、自分が日頃酔って悪逆ばかりするのを戒めたものであろうと推量します。
後世を願う、と一泣きしてから「思いよらずの遁世や 小袖に替えたこの衣 刀に替えしこの助老 長刀に替えたる唐傘を かたげて頭陀に出うよ」と謡い「行脚の僧に はつちはつち」と言って入り、留になりました。

高澤さんのアド、表情豊かで良い雰囲気でした。右近さんの悪坊は酔狂が板についた感じで、いつもながら良い狂言を観た満足感がありました。
(20分:当日の上演時間を記しておきます)
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大江山 遠藤六郎(九皐会)

観世流 矢来能楽堂 2011.04.10
 シテ 遠藤六郎
  ワキ 殿田謙吉
   大鼓 柿原光博、小鼓 住駒匡彦
   太鼓 助川治、笛 藤田次郎

源頼光と四天王が大江山の酒呑童子を退治したという伝説は、現在でも絵本があったりして、割合広く知られているようです。大江山に住む鬼の棟梁酒呑童子が手下の鬼達とともに京の都を荒らし回り、これを源頼光と部下達が退治したというわけですが、さて酒呑童子の出自になると諸説あり、また手下とされる茨木童子などをめぐっても様々な伝説があるようです。

そもそも鬼というのは妖怪の類とされますが、古い時代には朝廷に従わぬ部族などを鬼と呼んだという説もあり、また何かの理由で流れ着いた外国人が鬼と呼ばれるようになったなどという説もあります。単に盗賊の一味のことだという説もありますね。

この酒呑童子がどういう種類のものだったのか、実在したのかどうかも分かりませんが、なんと名乗ったかは別としても、都近くに徒党を組んで住まいし時々都を荒らしにやってくる盗賊のような一団がいたのかも知れません。

またこの酒呑童子を退治するため大江山に向かう源頼光の一団も伝説的な武士達で、頼光は能では土蜘蛛にも登場しますね。頼光は実在の人で、関白藤原道長とも親交があった記録が残っていますが、その事績は伝説に彩られたものと言えましょう。
この曲でも、藤原保昌や四天王と呼ばれる渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞光の四人などと鬼退治をしたことになっていますが、坂田金時(公時とも)はご存じ金太郎の成人した姿だそうですし。
ともかくも、舞台の様子は明日につづきます
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大江山のつづき

まずは一声の囃子で白大口に縞目の水衣、篠懸をかけて兜巾を戴いたワキ頼光を先頭に、同じく山伏姿のワキツレが、今回は四人登場してきます。向かい合って一セイを謡い、ワキツレが着座、ワキが源頼光と名乗って丹波国大江山の鬼神を退治せよとの勅諚を受けたことを述べます。
ワキツレが立ち上がって掛け合いでの謡。頼光、保昌、貞光、季武、綱、公時と主従の名を上げ、さらにワキツレの独武者が「又名を得たる独武者」と名乗りを上げます。

かれこれ以上五十余人、と謡われますが、五十人は論外としても名前を追い掛けると、頼光の外に六人がいて良さそうな感じがします。今回のワキツレは独武者として大日向寛さん、その他は誰ということではない様子で野口能弘さん、野口琢弘さん、梅村昌功さんの三人が出ました。

一同は道行を謡って大江山へとやって来ます。
大江山に鬼がいたという伝説は、京都北部丹後半島のつけ根に位置する大江山と、京都南部に位置する大枝山の両説がありますが、旧国名との位置関係でいうと、丹後と丹波の境に大江山、丹波と山城の境に大枝山という感じでしょうか。小式部内侍が「大江山いく野の道の遠ければ」と詠んだのは後者のようですが、本曲の謡には「丹後丹波の境なる鬼ヶ城」とあり、前者の北部にある大江山を指しているようです。

ワキの着きゼリフがあり、ワキはアイの能力を呼び出します。
呼ばれたオモアイ能力の右矩さんが目付まで出て下居し、ワキに向き合います。
ワキはアイに、先に行って道に迷ったふりをし宿を取るようにと命じ、ワキ、ワキツレは橋掛りにクツロギます。オモアイは「畏まって候」と答えますが、すると切戸口からアドアイ女の近成さんが登場してワキ座に出、衣を洗う様を見せます。
オモアイは常座のあたりに回り、流れる水が赤いことに気付きます。そして水を辿ってアドアイに気付き「のり屋のいちゃではないか」と声をかけます。
このつづきはまた明日に
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大江山さらにつづき

アドアイは童子に拐かされてきたのですが、捉えられた人々が日々殺されて血に染まる布を洗わされているわけです。もともと顔見知りだったということもあり、アドアイが謀ってワキの一行に宿を貸すことにし、橋掛りの入り口から幕に向かって声をかけます。

答えて半切、唐織を打掛にし黒頭童子姿のシテが幕前に出てきます。アドアイから山伏達が一夜の宿を借りたいと言っている旨を聞き、シテは出家には手を出さないと固く誓約しているので中門の脇の廓にとめようと言い、三ノ松で床几にかかります。

オモアイ、アドアイのやり取りがあり、アドアイが切戸口から退場、ワキ、ワキツレが舞台に入って並ぶと、シテも舞台に入り正中で床几にかかります。
シテとワキの問答となり酒呑童子という名の謂われをワキが問いかけ、シテが明け暮れ酒を好くために眷属から酒呑童子呼ばれていると答えて、ワキにも酒を勧めます。さらにかつては比叡山を住処としていたのに、大師に追われて筑紫彦山、伯耆の大山、白山、立山、富士の御嶽と山々を経巡った末に、この大江山に籠もることとなった次第を語ります。
掛け合いの終わりから地謡「一稚児二山王と立て給うは」の謡で「などか憐れみ給わざらん」とシテは床几を立ち、「構えて余所にて」と下居して左手をワキに延べ「物語せさせ給うな」と請う形になります。
続く地謡の上歌、ワキツレのうちワキ正側に着座していた二人が立って地謡側に移り、シテは立ち上がって目付に出ます。
さらに舞台を廻って正中で出ると「我に親しき友ぞ」と下居してワキと向かい合います。「いざいざ酒を飲もうよ」とワキが立って扇で酒を注ぐ形を見せて下がり、シテは扇を広げてこれを受けて立ち上がり、舞台を廻って打込から扇広げて「げにまこと」と上げ扇、大左右と型が続きます。

謡に合わせて舞がつづき「恐ろしげなれど」と招き扇し「馴れてつぼいは山伏」と下居。「なおなお廻る盃の」とワキが再び酒を注ぐ型で「度重なれば」とシテは酒を受けて立ち上がり、タラタラと下がると「雲折り敷きて」で橋掛りへ進み、扇を使い「荒海の障子押し開けて」と戸を開ける形からそのまま中入となりました。
さてこのつづきはまた明日に
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大江山さらにさらにつづき

シテが幕に向かうとワキも立って正中でこれを見送る形になります。
シテが姿を消すとワキはあらためてオモアイを呼び出し、臥所の鍵を預かるように命じてワキツレともどもに中入りします。

オモアイが常座に戻るのに合わせて、アドアイが再び切戸口から出てワキ座に立ちます。再び二人の問答になりますが、前場のやり取り以上に面白く出来ています。
オモアイは助けてやるから都に帰って夫婦になろうと持ちかけます。アドアイもまんざらではなさそうですが、とは言え能力が夫婦になるというのはいかがなものかなどと言います。オモアイはそれならば能力をやめるまで、などといい、やり取りが続いた後、二人して先に逃げようということで退場します。

さてアイが退場すると一畳台が出されて大小前に据えられ、続いて紫の引廻しを掛けた大宮が出されて台上に据えられます。
落ち着くとアシライ出で後ワキの一行が登場してきます。
先頭に立ったワキは白鉢巻きを締め、白大口に法被、手には松明を持ってこれを振りながらの登場です。つづく独武者も同装ですが、残るワキツレはモギドウでの登場。ワキが舞台に入ってサシ謡。目付に出て大宮に向かい合います。

地謡が受けての謡となり、ワキは大宮に寄って松明で照らす形。舞台を廻って常座に戻ると松明を捨てて目付に出、さらに「南無や八幡山王権現」で常座まで下がって拝し、「頼光保昌綱公時貞光季武独武者」の謡で立ち上がると橋掛りへ面を切って、橋掛りへと入ります。変わってツレが舞台に入り、ワキ座へ進むと「剣を飛ばする光の影」で引廻しが外され、衣を引き被いて安座したシテが姿を現します。

ワキツレ四人は柄に手を掛けシテに対峙し、地謡の「余すな洩らすな攻めよや攻めよ」で太刀抜いて構えるとシテが立ち上がり、働となります。

働の後はシテが台上に戻り、橋掛りに下がっていたワキが舞台に戻ってワキ座で太刀を構えます。シテは台を下り「頼光下より刀を抜いて」とワキが太刀で刺す型。シテは切戸口から退場しワキが太刀を肩に留拍子を踏んで終曲となりました。
最後はワキを中心とした活劇になり相応に楽しめますが、ところでご高齢の遠藤六郎さんがあえて今、大江山を演じようと思われたのは何か子細でもあるのだろうか、とふと考えたところです。附け祝言は春らしく嵐山。
(70分:当日の上演時間を記しておきます)
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