能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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九皐会を観に行く

本日は五月の九皐会以来の観能で、矢来能楽堂に行ってきました。

震災以降の混乱に加えて、自分自身に異動の内示があったりして、すっかり身辺が慌ただしくなってしまいました。先月の九皐会の後、行こうと思っていた会もキャンセルする羽目になり一月振りの観能です。

さらに、このところ震災の疲労からなのか周囲で亡くなる方が多く、仕事上の関係もあって週に一、二度は葬儀に参列しています。本日も中所さんの三井寺を観た後、水戸での通夜に参列する要があり、急いで戻ってきました。ゆっくり会を楽しむ余裕もなく残念なところですが、三井寺は中所さんの熱演で感銘を受けました。能一番だけでしたが、出掛けていって良かったと思っています。

ところで、とある有名な政治家の方がご夫婦で来場され、ちょうど私の前に着席されました。子方で出ておられたお子さんを見にお出でになった様子で、能自体よりも子方の様子に注意を集中されていたようでした。お孫さんなのか、縁のある方なのか不明ではありますが、ああ、この方も家庭生活を持っておられるんだなあ、と妙なところに関心した次第です。

一度、観能記を書いた曲は原則として観能記を書かない、と先日書きましたが、今回の三井寺は観世流ではまだ観能記を書いていないこともあり、明日以降、少しばかり書いてみようかと思っています。
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三井寺 中所宜夫(九皐会)

観世流 矢来能楽堂 2011.06.12
 シテ 中所宜夫、子方 松浦薫
  ワキ 工藤和哉、アイ 山本則孝 山本泰太郎
   大鼓 柿原崇志、小鼓 曾和正博
   笛 槻宅聡

三井寺は3年ほど前に金春流、金春安明さんの演能を観て鑑賞記を書いて(鑑賞記初日月リンク)いますが、今回の観能記を書くに当たって、あらためて前回の観能記を読み直してみると、流儀からくる構成上の違いはほとんどありませんでした。
せいぜい、後場でオモアイが鐘を撞いているところに後シテが登場した際のやり取りが違う程度ですが、これは観世流の形が他流と違っている様子です。

というわけで、以前の鑑賞記と読み比べてみると、ほとんど同じ流れということになりそうですが、ともかく流れに沿って書いてみようと思います。

まず、囃子のないままに前シテの出となります。シテは無紅唐織着流しで右手に数珠を持った姿。子のある母ですから、各流ともこの辺りは同じ形と思います。紫と黄緑を配した品のある装束に、翡翠のような感じの数珠を持っています。
アドアイの則孝さんを従えて登場すると、アイが狂言座に、シテは正中まで進んで下居し、合掌してサシの謡い出しとなります。金春のときは正先と記録していますから、少し位置関係が違うようです。

下歌、上歌と、子と生き別れになったことを暗示する謡が続き、やや間を取った後に詞で霊夢を蒙ったことを示します。
さてこの続きはまた明日に・・・こんな時期に資格試験があり今日がその試験日。流石に昨日、一昨日は少しばかり準備をする羽目になって書こうと思った鑑賞記に間が開きました。
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18万ヒット御礼

昨晩のうちに18万ヒットとなった様子です。

今夜はちょっとした集まりに呼ばれまして、ほんの少し前に帰ってきたところです。夕べから書き始めた三井寺の鑑賞記は、ちょっと書く気力が出てこないなあ、などと思いつつブログを覗いてみると18万ヒットを越えていました。
本当に、ご訪問頂く皆様のおかげと思いつつ、本日はこのまま寝てみようかと思う次第です。

また明日に
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三井寺の続き

一日間があきましたが、三井寺の続き。
シテの詞のうちにアドアイが立ち上がります。シテは、何時も自分を訪ねて慰めてくれる人に霊夢の話をしようと言うと立ち上がって常座に向かいます。

アドアイは名乗ると舞台に進もうとし、シテとアイが出会います。アイが床几を持って出てシテは常座前で床几にかかり、アイが目付に座して対面する形で問答。少し眠った間に霊夢を蒙ったというシテの言葉に、アイが夢の意味を判じるわけです、

夢のお告げに従って三井寺に行けば、行方知れずになった子供に会えるかも知れないとのアイの言葉に、シテは喜んで三井寺に向かうことにします。
囃子が打ち出され、シテは床几から立ち上がりアシライで中入となります。アイも続いて退場しますが、以前の鑑賞記には床几から下りて一度下居して合掌し、あらためて中入りしたとあります。今回は特に合掌の所作はなかったようです。

短い前場ですが、子が行方知れずとなってしまった不安から、夢のお告げに希望を託する変化が、謡に現れる感じです。

中入で後見が鐘楼の作り物を目付に出します。以前にも書きましたが、鐘の作り物は三井寺以外では見かけないと思います。特別な鐘が出される道成寺は別として、鐘の能といえば三井寺といわれるようですね。

さて作り物が据えられると次第の囃子で、子方を先頭に、ワキ、ワキツレ二人、オモアイが登場してきます。園城寺すなわち三井寺の住僧一行が、月を愛でに講堂の庭に出てきたというところです。
このつづきはまた明日に
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三井寺さらにつづき

先週、資格試験が終わって気が緩んだせいなのか、突然、体調不良になってしまいまして、それにもかかわらず一昨日は出張したり、昨日は朝のうち水戸でのイベントに出席した後、そのまま五雲会に。
さすがに無理だったようで、夜は何も出来ずに就寝。ほんとに久しぶりに8時間も寝たのですが、今日も体の節々が痛いし、だるいしで冴えない一日であります。
とは言え、明日には回復に向かうだろうと期待しつつ、本日は昨日書くつもりだった三井寺のつづきを・・・
なお昨日の五雲会は東岸居士のみ、まだ鑑賞記を書いていませんので、いずれ会の様子なども含めて書きたいと思います。

では・・・
園城寺については以前の鑑賞記にふれていますのでご参照頂ければと思います。

さて名月を眺めようという一行は、ワキの名乗り、一同で上歌を謡った後、ワキ座に着座します。するとアイが進み出てワキに向かい合います。
まずはワキが幼き人の慰みに何か舞うようにと命じ、これにこたえてアイは「いたいけしたるもの」を舞います。いつぞやの三井寺も間狂言は山本家でしたので、このあたりは同じです。

さて小舞を舞い終えると、アイは何やら遠くの方が騒がしいことに気付きます。女物狂いが近づいてきた様子に、これを招き入れれば面白かろうとワキツレに相談します。これをワキツレが止めたため、不服なアイは独断で物狂いを入れることにしたと告げ、笛座前に下がります。

これを受けて後シテの出、黒地の箔を腰巻に浅葱の水衣を着けて肩に笹。物狂いの態で橋掛りを進み、一ノ松での謡い出しです。引き立てた謡で、子を思う母らしさと狂乱の態を表している感じです。「上見ぬ鷲の御山とやらんを 今目の前に拝むことよ」と合掌し、「いとほし悲しと育てつる」と謡いつつ橋掛りを進んで常座へ。一セイからカケリとなります。

狂乱の心を現して、カケリを受けた謡、地謡が道行風に謡って「三井寺に早く着きにけり」でシテは後見座を向く形で立ちます。これにワキが「桂は実る三五の暮」と謡い出し、シテが正面に向き直ってシテの謡、地謡と続き、シテは橋掛りに入って二ノ松あたりにクツログ形になります。
ここでオモアイが立ってのシャベリになりますが、このつづきはまた明日に
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三井寺さらにさらにつづき

オモアイは鐘を撞こうといい、目付の鐘楼の所に進むと鐘撞く所作をしながら、じゃんもーんもーんもんと鐘の音を声に出し、三度ほど鐘を撞きます。
以前の鑑賞記では、この鐘撞くアイにシテが寄り、手に持った笹でアイを打つと、アイが「蜂が刺いた」と言って飛び退くことを書きました。

一方、この日は三度鐘を撞いたアイが下がる間に、シテが正面に向き直って二ノ松に寄り「面白の鐘の音やな」と謡い出して、笹でアイを打つやり取りがありません。
各流みてみますと、観世流以外はこのやり取りがあるようで、理由は分かりませんがおそらくは観世流のみ改作したのだろうと思います。百万に同様のやり取りがありますので、同じ展開を嫌ったのかも知れません。

さてシテは謡に続いて自らも鐘を撞こうと述べ、橋掛りをススッと進んで常座からサシ込み開キ、地の次第となります。地取りまでの間に、オモアイがワキに立ち寄って下居し、狂女が来訪した旨を告げて切戸から退場します。

ワキシテのやり取りから、この曲の眼目とも言うべき鐘之段。シテは鐘に寄って紅段(たしかそういう名だったと思うのですが、鐘を撞く所作を見せるための帯状の布です)を引いて常座に立ち、謡に合わせて鐘撞く形を見せます。最後は「真如の月の影を眺め居りて明さん」と正中に下居して、クリ、サシ、クセの謡に続いていきます。
クセは居グセ。

上げ端「月落ち鳥鳴いて」で扇を広げて立ち、舞う形になりますが、ここで子方が声を上げ、狂女が自分の母であるとワキに告げます。親子再会の大団円となっていく訳ですが、隣席の女性がこのあたりで堪えきれなくなった様子、そっと涙をぬぐっておられました。しみじみとした想いの残る、素敵な演能でした。

さてこの曲の子方は、後場の最初に登場して以来、一時間近くもずっと座ったままひと言も発しません。クセの後に突然声を上げて存在を示すと、一気に終曲に向けて中心的存在となっていきます。ずっと座ったままというのは子方にとってもキツかろうと思うのですが、この日はよく頑張りましたという次第。
当日のブログには、憚られるかなと思ってお名前を書きませんでしたが、江田五月さんのお孫さんとか。しっかりしたお子さんでした。後ほど江田さんご自身がネットに写真入りで公開されておられるのを拝見しましたので、お名前を含めて書かせて頂きました。
(89分:当日の上演時間を記しておきます)
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五雲会を観に行く

当日ちょっと書きましたが、18日の土曜日は宝生能楽堂に五雲会を観に行って参りました。
6月の五雲会は、いつもの通りで、能が
 氷室    シテ 内藤飛能
 東岸居士  シテ 武田孝史
 杜若    シテ 小倉健太郎
 夜討曽我  シテ 水上優
の四番。
狂言は三宅右近さんのご一門で
 水汲    シテ 高澤祐介
 太刀奪   シテ 前田晃一
の二番でした。

見所はいささか閑散とした感がありましたが、例によって正面席のみはほぼ満席。
私は朝のうち水戸で用事があったため到着が開演ギリギリになってしまい、中正面でゆっくり鑑賞させて頂きました。

この間から何度か書いていますように、原則としてこれまで鑑賞記を書いていない曲のみ、ブログに取り上げることとしたため、今回は東岸居士一曲のみが対象です。このため、他の曲はいつになくのんびりと拝見したところです。

というわけで東岸居士の鑑賞記を明日あたりから書いてみようと思っています。
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東岸居士 武田孝史(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2011.06.18
 シテ 武田孝史
  ワキ 御厨誠吾、アイ 高澤祐介
   大鼓 柿原弘和、小鼓 住駒充彦
   笛 栗林祐輔

能楽師の「ぬえ」さん(梅若系の先生でお名前も存じていますが、ネット上ではハンドルをお使いなので、あえてそのまま書かせて頂きます)のブログに、この東岸居士が「不思議な能」として取り上げられていて、大変参考になります。
ぜひ併せてご一読頂ければと思いますが、この「ぬえ」さんの一文を踏まえつつ、今回の鑑賞記を書いていこうかと思っております。

さて舞台には名宣笛でワキとアイが登場してきます。
ワキは素袍上下、アイは長上下の姿で舞台を進み、ワキが常座に出て名乗りとなります。この間にアイは狂言座に控えます。

ワキは「遠国方のもの」と名乗り、清水寺に参詣しようと言って数足出て振り返り、清水寺に着いた態で門前の人を呼び出します。
これに答えてアイが出て、何事かと問い返します。都は初めてなので何か面白いものを見せてくれと言うワキに、アイは自然居士の弟子で東岸居士という人が、この橋のお勤めに毎日来ては経を読誦するが、大変面白い人なので呼び出して引き合わせようかと答えます。

ワキが東岸居士とやらを見せて欲しいと言い、アイが幕に向かって呼び出す形になって一声の囃子になります。ワキはアイに依頼するとワキ座に着座し、アイは呼び掛けると笛座前に着座してシテの出を待つ形になります。

シテの出となりますが、このつづきはまた明日に
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五周年の御礼

このところの慌ただしさに、ついついうっかりしておりまして、6月22日でこのブログを開設して五周年となったことをすっかり忘れていました。

東岸居士の鑑賞記を書いている途中ですが、昨晩はFC2のサーバーに接続できず更新を断念しました。それでふと「そう言えばブログの開設は6月だったよなあ」と思い出した次第です。
一番古い記事の日付は5年前の3月になっているのですが、3月から6月の記事は別のサイトで運営していたものを後に移行したものです。なんだか長かったような、思いの外、あっという間だったような不思議な感じですが、ともかくも5年というとそれなりの節目という感じがします。

この間、1,600を超える記事を書き18万以上のヒットを頂きました。ご来訪頂いた皆様に心より感謝いたします。

本日は併せて、昨年11月以降に記載した鑑賞記の索引を追加しました。(能の鑑賞記索引狂言鑑賞記索引
昨年11月の宝生会月並能以後の、能19番、狂言8番を載せています。


 錦木 (宝生流) 亀井保雄
 松尾 (宝生流) 朝倉俊樹
 隅田川 (喜多流) 友枝昭世
 殺生石 (金剛流) 豊嶋三千春
 翁 (観世流) 観世喜之
 田村 (観世流) 鈴木啓吾
 吉野天人 (観世流) 弘田裕一
 大般若 (観世流) 観世喜正
 竹生島 (観世流) 小島英明
 東北 (観世流) 遠藤喜久
 兼平 (宝生流) 藤井雅之
 鞍馬天狗 (宝生流) 水上優
 胡蝶 (宝生流) 佐野玄宜
 弓八幡 (宝生流) 辰巳孝弥
 大江山 (観世流) 遠藤六郎
 源氏供養 (観世流) 五木田三郎
 小塩 (観世流) 観世喜正
 三井寺 (観世流) 中所宜夫
 東岸居士 (宝生流) 武田孝史

狂言
 茶壺 (大藏流) 山本東次郎
 鐘の音 (和泉流) 野村萬
 昆布売 (大藏流) 善竹十郎
 川上 (和泉流) 野村萬斎
 皸 (大藏流) 大藏彌太郎
 歌争 (和泉流) 月崎晴夫
 鏡男 (和泉流) 高野和憲
 悪坊 (和泉流) 三宅右近

このところ観能の機会も減っていますし、これまで鑑賞記を書いた曲は原則として新たに鑑賞記を書かないことにしたので、曲数は期間の割に少なくなっています。震災もあり落ち着かない日々でしたが、少しずつでも暇を見つけて能楽を楽しんでいきたいと思っています。
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東岸居士のつづき

一声の囃子で登場してきたシテは常座に出て一セイ。白大口に紫の水衣、掛絡をかけて立烏帽子の装束です。観世流では自然居士と同様に烏帽子を着けずに登場し、後に物着で烏帽子を着けて鞨鼓を舞いますが、宝生流ではこの曲は最初から烏帽子を着けて登場するようです。
面は喝食なのですが、よく見る喝食の面とは随分印象が違います。喝食面には前髪が銀杏型のものとおかっぱの形になるものがあり、この日の面はおかっぱ型のいわゆる大喝食にあたるようです(会場に当日の使用面のお知らせがあったかも知れないのですが気付きませんでした)。 宝生会には名人といわれた龍右衞門作の大喝食が所蔵されているそうなので、その面かあるいは写しなのかも知れませんね。

大喝食は年齢的にかなり若い姿を現しているそうですが、それにしても東岸居士というのは実に捉えにくい存在です。
このあたりは自然居士も同様ではあるのですが、自然居士の場合は、もともと幾多の経験を踏んだ実在の説経者であった自然居士を、観阿弥が少年である喝食の姿で表現したことによるものでしょう。しかしこの東岸居士、自然居士の弟子と紹介されますが、何らの経歴も明らかにされず、歳のほども見当がつかず、何をする人なのかも分かりません。

一セイの謡を謡い、床几にかかった東岸居士に、ワキが今日はどの様な聴聞をされるのかと問うと「万事は皆目前の境界なれば 柳は緑花は紅 あら面白の春の景色やな」と「ぬえ」さんが「人を煙に巻いたような」と表現されていますが、ほんとうに答えにもなっていないような、不思議な物言いをします。

ワキが橋のことを問うと、師である自然居士が渡した橋であると答えますが、郷里は何処いかなる人かと問われると「むつかしの事を問い給うや 本来来る所もなければ出家と言うべき謂われもなし」と不思議な物言いです。
このシテの詞は、私、妙に気に入っております。どこから来たという訳でも無いのだから出家ではない。出家でないから髪も剃らず、墨染めの衣を着ることもなく、善を見ても進まず、智を捨てても愚ならずと、なんとなくこの辺りに覚りの一端が示されているような気がします。
さてこのつづきはまた明日に
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東岸居士さらにつづき

ワキがいつものように歌ってくれと求めると、いざ歌おうとシテが受け、地次第で立ち上がると常座に進んで中ノ舞になります。

中ノ舞は常と変わりませんが、舞上げたシテは大小前でクリを謡い出し、サシからクセと謡が続きます。
「ぬえ」さんが「超難解、あれ、よく読むとそうでもないか」と評されていますが、この謡もまた分かったような分からないような詞章が続きます。
どうも私にはワキとの問答の「本来来る所もなければ出家と言うべき謂われもなし」に続く詞章が仄めかす覚りを他の言葉を持って繰り返しているような気がしてならないのですが・・・なんでも一遍上人の言葉なのだそうですね。
うまく表現できないのですが、所詮計らいを捨て拘ることを離れれば、皆彼岸へと渡れるのだとでもいうような、シンプルな教えなのでは・・・と思えます。

しかしその後、これまたとってつけたようにワキが「とてものことに鞨鼓を打って御見せ候え」と言いだして物着になります。さすがにこれは訳が分かりません。なにが「とてものこと」なんでしょうねぇ。
物着では後見座にクツロイだシテの掛絡が外され、水衣を肩上げして鞨鼓を着けます。用意の出来たシテは常座に出て、シテ、ワキの掛け合いの謡から「ささら八撥打ち連れて 百千鳥」から鞨鼓。

「ぬえ」さんはプロらしい着眼点で、この鞨鼓が中ノ舞同様に破ガカリで始まることに疑問を呈されています。確かにこの日も、破ガカリで中ノ舞同様の部分から始まって、狭義の鞨鼓を舞い、中ノ舞に戻って舞上げました。自然居士では重複を嫌って最初の中ノ舞の部分が省略されるのに、この曲はどうしてこういう演出になっているのだろうか、言われてみれば不思議です。

ともかく、私個人的には「案外面白い能」という印象でした。それはシテ武田孝史さんの技量によるものかもしれませんが、「ぬえ」さんのおっしゃるように、結局「説法の内容そのもの、それを舞い謡う東岸居士の振る舞いそのものが上演の目的だったりする」からなのかも知れません。
(54分:当日の上演時間を記しておきます)
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