能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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草薙 辰巳大二郎(五雲会)

しばらく更新を休んでおりました。しばらく間が開きましたが七月五雲会の観能記から書いてみようと思います。

宝生流 宝生能楽堂 2011.07.16
 シテ 辰巳大二郎、ツレ 辰巳和麿
  ワキ 舘田善博、アイ 内藤連
   大鼓 大倉栄太郎、小鼓 住駒匡彦
   太鼓 大川典良、笛 寺井義明

この草薙という曲、宝生流にのみ現存していて「稀曲」と紹介されているのを見かけたこともありますが、上演自体多くはないものの、それでも五雲会ではおよそ二年に一度くらいの割で見かけます。「稀曲」は言い過ぎのように思いますが・・・。かの高橋憲正さんの五雲会初シテも、この草薙でして、たまたま拝見して以来のファンであります。

四番目と紹介している本もあり、五番目としている本もあるのですが、いわゆる四・五番目物ということで、どちらもあり。また観てみると、内容から言って脇能としても良さそうに思うところで、実際も略脇として扱われるようです。

五番立てにさほど拘る意味があるかどうか微妙なところですが、一日何番かの能を観る時は、五番立ての順序に従っていた方が変化があって面白いかなあ、と思っています。
(五番立てについては、このブログでも最初の頃に記事を書いています。併せてご参照頂ければと思います。五番立て初番目から・・・祝言・・・五番立神能 修羅物あれこれ 鬘物狂ということ雑物・・・四番目切能
およそ各流の会でも、五番立てを全く無視した番組というのはほとんど見かけないように思います。
この日の五雲会は能が草薙、歌占、半蔀、土蜘という順でして、本来は草薙が四・五番目、歌占が四番目、半蔀が三番目、土蜘が五番目ですが、草薙が略脇能扱い、歌占は二番目に流用される曲なので、やはり五番立ての順序には従っていることになります。

さてそういうわけで、略脇能扱いの草薙、舞台の様子は明日につづきます。
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草薙のつづき

舞台には名宣笛でワキ、舘田さんが登場してきます。無地熨斗目に水衣、角帽子の僧で常座に出ての名乗り。宝生の謡本では、名乗りでワキが比叡山の恵心僧都と名を明かしますが、ワキ宝生では登場の時点では名を明かさないようで「比叡山に住まいする僧にて候」との名乗りです。

ワキは、尾張熱田に参籠して最勝王経を講じていると男女が草花を持ってやって来るので、今日も来るならば名を尋ねようと思う旨を述べ、型通りワキ座に着座します。

笛ヒシギで一声、ツレ女が紅入唐織着流しで先に出、前シテは段熨斗目、白大口に緑の水衣、右肩に挟み草を担って後から出てきて、橋掛りで一セイの謡となります。
二人同吟から掛け合いで謡が続き、シテ男は草を刈って売り生計をたてている広村の野人と名乗り、女は橘の貧女と名乗ります。
二人は下歌、上歌と謡い、上歌の「日比経て待つ日は聞かず時鳥」と橋掛りを歩み出し、ツレ、シテと舞台に入ると「花橘や召さるる」とツレが目付に、シテが正中に立ちます。
この草刈りの二人に、ワキが草花の名を尋ねます。

ツレは「橘を召され候え」と言いますが、シテは担った草を両手でワキに捧げ「色々の」と謡って地謡につなぎ、種々の草を示します。さらに「説き置く法の古を 忍草を召されよ」と謡いつつ、正中で草をワキに捧げて下居します。

ワキがあらためてシテに名を問うと、シテが先ずワキに名を名乗るように求め、ワキはあらためて比叡山の恵心僧都と名乗るわけです。
これが重複するので、ワキ宝生では先の名乗りを「比叡山に住まいする僧」というのみに止めているのでしょうか。
このつづきはまた明日に
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草薙さらにつづき

ワキが比叡山の恵心僧都と答え、さらに七日の間最勝王経を講じていることを述べると、ツレ女が自分たちの望んでいる経典であると感謝して、地謡前に着座します。
シテ、ツレ、二人の同吟と変化をつけながら、二人は自分たちが夫婦の者であり、草薙の神剣を守る神であると明かします。
地謡の謡う中「嶺の薄雲立ちわたり」と立ち上がり、「風すさまじく 雨落ちて」と下を見る形から、運びを早めて常座で小回り、あらためて中入となりました。

シテ、ツレが幕に入ると、アイ内藤連さんが狂言座から立ち上がり常座で熱田の里の人と名乗ります。恵心僧都が最勝王経を講じていることを述べ、自らも日々聴聞に訪れており今日も当社に向かうといってワキに向かい、今日もまた聴聞に来た旨を語ります。

このアイに対して、ワキは日本武尊、橘姫のことを語るように求めます。
型通りに、アイは我等のような者がよく知るところではないが、答えないのもいかがなものなので知っているところを申し上げようと言って、間語りになります。

熱田神宮は、社伝によれば日本武尊が亡くなられた後に、妃である宮簀媛命が尊の残した草薙神剣をこの地に祀ったのがはじめとされています。祭神は熱田大神、草薙神剣(天叢雲剣)を御霊代としてよせられた天照大神を主神とします。
また相殿神(あいどのしん)として、草薙神剣にまつわる天照大神、素戔嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命の五神を祀ります。

素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した際に尾から取り出した天叢雲剣は、天皇家に伝えられて日本武尊が東征の際に携えていきました。駿河国で敵に囲まれ火を放たれた際に、この剣で草をぎ、逆に敵を火攻めにしたことから草薙の剣と呼ばれるようになったと伝えられますが、アイはこの八岐大蛇から草薙へと連なる話を語ります。

どうも聞いていると、ワキの問いかけとアイの語りが微妙にすれ違っているように思えるのですが、流儀の組み合わせのせいなのか、もともと間語りというのはそんなものなのか、いささか不思議なところであります。
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草薙さらにさらにつづき

アイは語り終えると、型通りに何故その様なことを聞くのかとワキに尋ね、ワキが最前の子細を語ります。アイは当社の神が身を変じて現れたのだろうと推量し、さらに供養して重ねて奇特を見るようにと勧めます。
ワキはこれを受けて、さらに経文を読誦し重ねて奇特を見ようと言います。
この終わりの部分にシラセ笛が吹かれ、囃子が入ってワキの待謡となります。

宝生の本を見る限りでは「御殿たちまち鳴動し 御殿忽ち鳴動し 日月光雲晴れて 山の端出ずる如くにて 現れ給う不思議さよ 現れ給う不思議さよ」と、運びの早そうな詞章になっています。
しかしこの日は「神の御前に通夜をして 神の御前に通夜をして ありつる告を待たんとて 袖をかたしき臥しにけり 袖をかたしき臥しにけり」という詞章でゆったりめな待謡。この謡、龍田の待謡と同じですね。この謡一つで、後場の雰囲気が変わるような気がしますが、これもまた下掛り宝生の決まりなのか、他流でもそうなのか不明であります。

さて、待謡に続く出端の囃子で、後シテが袷法被肩脱ぎ、半切に唐冠で登場し、一ノ松で「あら有難の御経やな」と謡い出します。白大口に紫長絹、天冠を着けた姿で登場した後ツレが、シテの謡に続いて、熱田の源太夫の娘橘姫の幽魂と名乗ります。
シテは自ら日本武尊と名乗り、地謡で舞台に入るとツレはワキ座へ、シテが正中で床几にかかってサシ。
シテ、地謡掛け合いで素戔嗚尊に斬られた大蛇から現れた神剣を持って、駿河国まで攻め下ったところ、敵に囲まれ枯れ野の草に火をかけられたことが謡われます。

シテは「尊、剣を抜いて」と謡いつつ立ち上がって剣を抜きます。修羅物などで使われる太刀ではなくまさに剣の形です。
シテは剣を持って草を薙ぎ払い、火がかえって敵を焼いて勝利を収めた次第を謡い舞いして終曲となります。
お若いシテらしい動きで、良い雰囲気の一曲でした。
(56分:当日の上演時間を記しておきます)
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苞山伏 深田博治(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2011.07.16
 シテ 深田博治
  アド 野村遼太 岡聡史

苞山伏は、このブログを始めた当初、5年ほど前の五雲会で高澤祐介さんのシテで拝見した際の鑑賞記を書いています。それ以来5年振りですが、同じく和泉流三宅派ということで、基本的には同じ演出と思います。

まず舞台にはアドの山人が登場してきます。括り袴にほくそ頭巾(苧屑:おくそとも)を被り、羽織を着けて、右肩には棒を担っています。棒の先には苞と鎌が結びつけられているという次第。昔は山仕事に羽織を着たのでしょうかねぇ。
ともかく舞台を廻り、ことのほか眠たいと言うとワキ座あたりに横になり寝入ってしまいます。

続いて小アド山伏の登場。括り袴に紺の水衣、篠懸をかけて兜巾を着けた山伏姿で登場し、足を高く上げて歩む山伏役の独特の運びで舞台に入ります。
本来は次第の囃子があって次第を謡うのでしょうけれども、現在ではまず省略されるのが普通ですね。

山伏は、今、目の前を飛ぶ鳥をも落とす法力があるなどと自らの力を示すものの、やはり眠いといって目付のあたりに横になって寝入ってしまいます。

ここで登場するのがシテ。狂言上下のまさに普通の人という出立で登場し、一ノ松で「この辺りの者でござる」と型通りに名乗り、山一つ彼方へ用事があって行くのでまずは急いで行こうと舞台へ進みます。
深田さんらしい、かっちりとした出です。
さてこのつづきはまた明日に
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苞山伏のつづき

急いでいる様子のシテは舞台に入るととワキ座方に進んで、寝込んでいる山人に躓いてしまいます。続いて山伏が寝ているのにも気付きますが、ここでふと山人が置いた苞が気になります。
どうやら中食のようだが、自分もこれからはるばると道を行かなくてはならないので、そっと食べてしまおうと思い立ちます。

以前の鑑賞記にも書いたのですが、この苞の食べ物を食べる所作、さて苞の中には何が入っているのでしょうね。両手で横に広げて中の物を食べるのですが、飯なのでしょうか。なんだか食べ方が腑に落ちない感じがしています。
途中、山人が起きそうになり、慌てて食べるのを中断しますが、結局は最後まで食べてしまい、いよいよ山人が起きそうになると、シテは苞を山伏の方に投げやって、寝たふりをします。

ようやく山人が目を覚ましますが、鎌があって苞がないことに気付き、寝ているシテを起こすと、自分の中食を食べなかったかと尋ねます。
もちろんシテが認めるはずもなく、あそこに寝ている山伏の仕業だろうと言いますが、山人の方は山伏が盗んで食うなどということはあるまいと信じません。

しかしシテは山伏のワキに落ちている苞を示して、重ねて山伏の仕業だろうと言い、山人もこれには納得して山伏を起こし問い質します。

山人にシテが加わり、山伏との言い合いになりますが、山伏はなかなか出来た人物に描かれていて、シテと山人の話を聞くと「疑いは三人にある」と言い出します。山人自身が食べてしまって他人が食べたと言っているのかもしれず、シテの男が食べたのかも知らず、自分が食べたと疑われるのももっともだというわけです。

そこで長年の行法もこういう時のためのもので、一祈り祈って食った者を祈り出してやろうと言い出します。
このつづきはまた明日に
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苞山伏さらにつづき

シテは大笑いして、山伏という者は物の怪のついたのをこそ祈るもので、飯を食った者を祈るなどと言うのは珍しいことだと揶揄しますが、山伏の方は何処吹く風の風。
「我がとしつきの行徳も かかる奇特を見せんため不動明王のさっくにかけ 平形数珠のつめをに入れたるを さらりさらりと押し揉んで・・・」と祈り出します。

山伏が「ぼろんぼろん」と数珠を揉んで祈り出すと、シテは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりにその場を立ち去り、橋掛りへと進みます。

しかし二ノ松あたりまで行ったところで、俄に山伏の法力が効き出した様子になり、引き戻されて舞台へと帰ってきます。山伏がさらに祈り伏せ、シテは舞台上に倒れ込んでしまうという次第。

山伏の法力に感じ入った山人は、山伏に一飯差し上げようと自分の家に招じます。一方、倒れたままのシテは、手足がすくんで動けないなどと言い、息も絶え絶えとなってしまいます。
命を助けてくれというシテに、山伏は盗人がわかった以上は人を助けるのも出家の役と言い、蘇生させてやろうと「ぼろんぼろん」と祈り始めます。
シテは少しずつ動けるようになった風を見せますが、これに山人が「いらぬ事」と言い、自分がこの棒で打ち殺してやろうと言い出します。

山伏は山人を留めてシテを逃がそうとし、山人が追い込んでの留になります。
当日の出演、深田さんをはじめ三人三様に性格付けをはっきり演じ、面白く楽しませて頂きました。

どちらかというと狂言の山伏は、偉ぶる割に間が抜けていて揶揄されることの多い役柄ですが、この曲では、いささか描き方が違っている感じです。もっとも、最後にシテを助けるのは「余計なこと」なのかどうか、時代によって考え方、感じ方は違うかもしれませんが・・・
(20分:当日の上演時間を記しておきます)
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観世会荒磯能を観に行く

昨晩は観世会荒磯能を観に観世能楽堂に行っておりました。
荒磯能は観世会所属の能楽師のうち、若手の皆さんにより上演されている会ですが、平日のためなかなかスケジュールが合わないこともあり、私は今回、初めて拝見しました。

一昨年来、演能に先立って荒磯能出演の能楽師が交替で解説などをするのが定例化しているそうで、今回は武田文志さんのお話。ワークショップという位置付けで、ちょっと謡の一句を声を出して謡って見ましょうとか、シオリをやってみましょうなど、なかなか楽しい時間でした。
冒頭、武田さんが能楽を観るのが初めての方は手をあげてと、声をかけたところ、全く初めて、ないし初心者という方が八割ほど。夏休みのせいなのか、どこかの高校か若い女性が多数来場されていて、能楽堂もなんだか晴れやかな雰囲気でした。

坂井音晴さんのシテで清経、三宅近成さん・右矩さんによる雷、そして木月宣行さんのシテで鍾馗と観て参りました。
お若い方達の芸ですが、それぞれに花もあり・・・考えてみれば皆さん、2、3歳から舞台に立っておられるので、私の職業生活とほとんど変わらない芸歴をお持ちなわけです。見所の雰囲気も良かったせいか「清経ってやっぱり名曲なんだなあ」としみじみ思ったり、いつになく寛いで楽しく拝見しました。

終演後に若い女性の声が聞こえてきて、鍾馗の解説には登場人物が二人しか書いてなかったのに、途中で出てきた人(アイですね)は何だったんだろう、と、でもまあそれがとても楽しそうな雰囲気でした。これを機会に能楽を時々でも御覧になれれば良いですね。

とは言え、アイの扱いは初心の方にはわかりにくいところで、おそらく売店で謡本を求められたと思われる老夫婦も、中入で謡本のあっちをめくったりこっちを拡げたりされていました。流儀の謡本を買っても、ワキの詞章が流儀によって違うことや、間狂言の記載が省略されていることなど、ちょっとメモ的なものでも挟んであると良いかなあ、などと思ったりした次第です。

なお、夜になって茨城県地方は雷雨となり、石岡近辺での集中豪雨と落雷のために常磐線が最大で一時間半ほど遅延しました。なんとか昨日の内に家には帰ってきましたが、いささか大変な思いをしました。
鑑賞記はいずれまた。清経は簡単に印象のみ記載のつもりです。

定家 駒瀬直也(能楽BASARA)

いささか間が開いていますが、先月の能楽BASARA、定家の鑑賞記です

観世流 国立能楽堂 2011.07.16
 シテ 駒瀬直也
  ワキ 森常好、アイ 石田幸雄
   大鼓 佃良勝、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 松田弘之

金春禅竹の作とされているこの能、藤原定家と式子内親王のいわば秘められた恋をテーマとした曲です。・・・ですが、この会の冒頭に作家でもある日本文学者の林望先生の解説があり、その中でも話がありましたが、定家と内親王の年齢差などを考えると、現実にこういう恋物語があったというのは、いくら何でも無理な話。身分もぜんぜん違います。

曲中に、内親王が賀茂の齋院を下りた際、定家が忍んで契りをかわしたとありますが、この時、定家は8歳くらいのはずです。
どうも定家や式子内親王の歌、定家葛などに着想を得て作られたフィクションということなのでしょう。しかし、フィクションと割り切ってみれば、実に良くできた情趣深い曲です。

舞台には先ず塚の作り物が出されます。
鉄紺色の引廻しを掛け、上に葛を載せています。塚が大小前に据えられると次第の囃子。いずれも無地熨斗目着流しに水衣、角帽子を着けたワキ僧森常好さん、ワキツレ従僧の舘田さん、常太さんが登場してきます。

舞台中央で向かい合っての次第謡、ワキの名乗りとなり、北国方よりやって来た旅の僧一行が、この度思い立って都へ上るところであることが示されます。
道行を謡って都に到着し、千本のあたりに着いたのでしばらく休もうと言ってワキツレがワキ座に下がり、ワキが正中に出ます。
さてこのつづきはまた明日に
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定家のつづき

神無月の十日余り、冬の訪れに木々の梢も枯れ、枝に残った紅葉の色にも都ならではの風情が感じられる・・・と、ワキがあたりを眺めていると、時雨が降ってきた様子。
なにやら雨宿りが出来そうなところを見つけたと、ワキはワキ座に向かいます。

これにシテが呼び掛けます。
何しに宿に立ち寄るのかというわけですが、ワキが時雨のためと答えると、その宿は時雨の亭(ちん)という処で、それをご存じで立ち寄られたのかと思った、と言いながらシテが三ノ松あたりまで出てきます。

シテは紅入唐織着流しの若い女。このシテの言いに、ワキが額を見るとたしかに「時雨の亭」と書いてある様子。ワキはこの謂われをシテに問いかけます。
この間に橋掛りをゆっくりと進んでいたシテは、二ノ松あたりに少し立ち止まって、この時雨の亭が藤原定家の建てたものであることを語ります。

ワキは納得しつつも、さて定家がこの亭にちなんで詠った歌はなんであろうかと問い直します。再び歩み出したシテは舞台に入り、常座に出るあたりで「偽りの なき世なりけり 神無月 誰が誠よりしぐれそめけん」と定家の歌を謡います。
ワキ、シテの掛け合いになり、地謡。シテは「軒端の夕時雨」で六足ほど出て「古きに帰る」と下がり「庭も籬も」と下を見回す風から、地謡の最後「もの凄き夕べなりけり」で下がって常座に佇む形になります。

シテは、今日は志す日なので(自分は)墓所へ参るが、御参り頂けるかとワキに問います。ワキは、それこそ出家の望みであると答え、シテが常座から出て塚を振り返り、墓にやってきた態になります。
ワキの詞でこの塚が、蔦葛に覆われて形もわからなくなっていることがわかります。ワキは一体だれの墓かと問い、シテが式子内親王の墓であることを明かし、墓にまとわりついている葛を定家葛というのだ、と教えます。
さてこのつづきはまた明日に
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定家さらにつづき

定家葛、古くはマサキノカズラと呼ばれていたようで、どうもこの能が機縁となって定家葛と呼ばれるようになったのではないか・・・と、これはたしか林望先生のお話にもありました。
とにもかくにも葛に覆われた墓を見て、ワキ僧がその謂われを問いかけ、シテが式子内親王と定家卿の忍ぶ恋を語り始めます。「ともに邪淫の妄執を 御経を読み弔ひ給はば なほなほ語り参らせ候はん」とシテが謡い正中まで出ると、ワキは下がって二人下居する形になって地のクリ。

つづくサシ、クセで、内親王の心の内が謡われ、定家葛にまとわれる妄執を助けてほしいとの謡。クセは居グセで、静かにシテの思いが謡われます。

ロンギ、さてかくも古きことを語る御身は一体誰なのだ、と地が謡い、式子内親王の霊であることが明かされます。シテは地謡の「我こそ式子内親王」でワキに向いて腰を浮かせ「これまで見え来たれども」と立ち上がると正へ二、三足出てから塚ギリギリまでで下がり、二足ほど出てワキに「助け給へ」と救いを求める風で向きを変え、塚に入って中入となりました。

段熨斗目に長上下のアイが立ち上がって常座に出、型通りに常座でワキに気付くと問答になります。ワキの求めに従って、式子内親王と定家卿の物語を再整理するような形で居語り。語り終えるとアイが下がってワキ、ワキツレの待謡です。

ワキの読経に引かれるように、後シテの謡が塚の中から聞こえてきます。地謡とシテの掛け合いとなり、地謡の「外はつれなき定家葛 これ見給へや御僧」で引廻しが下ろされてシテが姿を現します。
ワキは「あら痛はしの御有様やな」と下がって着座し、シテを見つつ「仏平等説如一味雨 随衆生性所受不動」と祈りつつ数珠取って合掌の態になります。
さてこのつづきはまた明日に
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定家さらにさらにつづき

塚の前側の柱にも葛が纏わり付いた中に、緋の大口に白の長絹を着けたシテが床几にかかっています。面はしかとはわかりませんでしたが、霊女や痩女の類ではないので、泥眼だったのか割とふっくらした印象でした。

この曲、後場で痩女などを用いて、内親王の死後の苦しみや妄執を強調する演出もありますが、今回の印象としては内親王らしい上品さを保っているように思えました。
前場も深井などの面に無紅の唐織を使う演出もありますが、この公演ではそれも若い女と表現していました。
妄執とか苦しみといったものを、ドロドロしたものとして強調するよりも、全体を恋物語と捉えて整理しているような印象です。

シテ、ワキの掛け合いから地謡となり、読経の功徳によって「定家葛もかかる涙も ほろほろと解け拡ごれば よろよろと足弱車の」と立ち上がり、塚を出て正中でワキに合掌します。さらに常座に進むと「面なの舞の」と謡って序ノ舞になります。

成仏報恩の舞ということになりますが、ゆったりと気品の漂う舞を舞上げると、地謡の「葛城の神姿」でワキに向かって正中でツメて抱エ扇。「ありつる所に帰る」と塚に向かってユウケンし、塚に寄ると地謡側から塚に入って正を向き、正面に塚を出、もう一度、さらにもう一度と三度塚に入り直して「形は埋もれて失せにけり」と塚の内に下居して留となりました。
(122分:当日の上演時間を記しておきます)

駒瀬さんは内弟子さんの頃から存じ上げておりますが、なかなかシテで拝見する機会がなくて六年ぶりでしょうか。主催されるこの能楽BASARAの開催が、たまたま都合のつき難い時期のため、いささか残念です。趣きある芸風で、もっと人気があってもよさそうに思うのですが、見所もやや空席が見え勿体ないと思う次第。来年の盛会をお祈りしています。

なお、いつぞや話題にした高島俊男さんの本によれば、実名というのは訓で読むものだが、音読するのは敬意を表すことにもなるのだそうです。「定家」も自分では「さだいえ」と名乗り、周囲が敬って「ていか」と音読すると、まあそういうことらしい。しかも訓での読みはよく分からないというのが本当のところで、定家は良いとしても、幕末の川慶喜など、明治時代の記録をみると「よしひさ」という訓もかなり一般的だったそうです。
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清経 坂井音晴(荒磯能)

観世流 観世能楽堂 2011.08.11
 シテ 坂井音晴、ツレ 岡庭祥大
  ワキ 安田登
   大鼓 高野彰、小鼓 幸信吾
   笛 成田寛人

清経は、同じ観世流でこの日の荒磯能の地謡にも出ていた小早川修さんが、平成20年の暮れに代々木果迢会別会で恋之音取の小書で舞われた際の鑑賞記(鑑賞記初日月リンク)を書いています。
私としては割とよく観ている曲で、ブログを書き始める前は年に一度くらいの割で観ておりましたので、ついついブログでも何度も取り上げたような気がして、今回は端から詳しい鑑賞記を書かないつもりで観ておりました。

そんなわけでいつものようなメモも取っておりませんので所作の細かいところなど記録がありません。その代わりと言っては何ですが、普段あまり書かない「感想」や「印象」などについて、いくつか感じたところを書いておこうと思います。

この日はツレを岡庭祥大さんが代演、野村昌司さんの予定だったのですが、どうなさったのか。それにつけてもこの曲のように、出し置きの形になるツレは、出の際に観ている方もついつい緊張してしまいます。囃子の有無もなかなかに意味のあるところです。

つづいて次第で登場するのがワキの淡津三郎。安田登さんのワキを拝見するのは一年以上間が開いたでしょうか。次第、名乗り、道行とワキの謡がつづきますが、独特の発声、節回しを感じます。下掛り宝生流とは言え、宝生閑さんや欣哉さん、森さんのご一家などとは、いささか雰囲気に違いを感じます。
安田さん独自のものなのかも知れませんし、安田さんが師事された鏑木岑男さんが廃絶した春藤流の流れを組んでおられることの影響かも知れません。ともかく安田さんの舞台を拝見していると、じっと座してシテと向き合っている時の気が眼に見えるような気がします。安田さんの著書も以前に書きました「ワキから見る能世界」など興味深いものが多いのですが、いずれ機会があればご紹介したいと思います。
明日にもう少し続けてみます
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清経のつづき

突然訪ねてきた粟津の三郎と迎えた清経の妻とのやり取りは、下掛りの方が少しだけ長いようです。上掛りの本だと、ワキを招じ入れたツレが何のための使いかと問い、直ちにワキが「面目もなき」使いであると述べてのやり取りになりますが、下掛りの本ではツレの問いかけに、ワキは何と申し上げて良いかと迷う様を一句謡って言い出せない様子を示し、ツレが不審がるやり取りがあります。

ともかくもワキが清経の遺髪をツレに渡してのやり取りが進み、地謡でその遺髪をツレがワキに返したことが謡われてワキが静かに切戸口から退場します。この地謡「涙とともに思い寝の夢になりとも見え給へと」と謡って、ここから清経の妻が見る夢のうちになっていくわけです。
前回の鑑賞記は音取の小書ですので、この地謡のうちに笛の吹き出しとなり、その笛にひかれるようにシテが姿を現して、橋掛りを進んでは、笛の音が止まってしばしシテも佇むという独特の演出でした。一方、今回は小書無しの形ですので、地謡のうちにワキと入れ替わるようにシテが姿を現し「枕や恋を知らすらん」の地謡いっぱいに、常座まで出てシテのサシ謡となります。音晴さんのサシ謡は一句ごとの間がいささか大きな感じで、宝生流の謡を思い起こさせるような雰囲気ですが、それだけ一句ごとに思いを込めてということかも知れません。

白大口に厚板、紺地に源氏香文様の長絹を肩脱ぎにし、右折の烏帽子に白鉢巻きという出立で、しっかりした立ち姿です。型通り床几にかかってのやり取りから、クセの手前「一門は 気を失い」で立ち上がってクセからキリへと所作が続きます。

今回、このあたりはメモも取らずただ舞台を観ておりましたが、戦いの所作あり、入水にいたる清経の思いを横笛に託した型もあり、しみじみと面白い曲だと感じたところです。やはり人気曲、上演回数の多い曲というのは、それなりの理由があるのだなあと納得したところでした。
(64分:当日の上演時間を記しておきます)
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雷 三宅近成(荒磯能)

和泉流 観世能楽堂 2011.08.11
 シテ 三宅近成、アド 三宅右矩

大藏流では神鳴と表記しますが同曲。先ず舞台には都の医師右矩さんが登場してきます。羽織を着け角頭巾で、なんとなくそれらしい雰囲気ですが「都方に住まいいたす藪医者でござる」と堂々と名乗ります。
藪医者ゆえに都では誰も治療させてくれないので、東へ下り一稼ぎしようと舞台を回り始めます。

一回りすると「これは広い野に出た」と言い、聞き及んだ武蔵野であろうと推量します。人家もなく、ただただ広々とした野が拡がるばかりですが、俄に空が曇って来た様子に「雷が鳴らねば良いが」と心配していますが、案の定の雷。

医師は逃げようと、雷の音を現しながらくわばらくわばらと舞台を逃げ惑い、橋掛り二ノ松あたりまで進みます。
するとシテ雷が括り袴に派手な装束、赤頭に鞨鼓を着けて、ぴっかりぴっかりぐゎらぐゎらと雷の様を示しながら登場してきます。

雷の出現に、医師は向きを換えて舞台に戻りワキ座の方へと逃げますが、雷はこれを追って正中まで出ると「あぁ痛 あ痛」と倒れて痛がる様子になります。
雷は医師にちと頼みたいことがあると声をかけます。うち続いて心地が悪いので遊山に出たところ、雲嶺を見損ねてこの地に落ちてしまいしたたかに腰の骨を打った。治療をせよという話です。

医師は人間の治療はするが、雷の治療をしたことはないと言って尻込みしますが、雷がこれを脅して治療をさせることにします。
さてこのつづきはまた明日に
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雷のつづき

おそるおそる雷に近づいた医師は、まず御脈をうかがいましょうと言い、雷に寄ると頭に手を置いてぐるぐる回します。雷が怒り出すと、頭脈(ずみゃく)といって、人は両手で脈をとるが、雷は頭で取るものと説明します。

雷の治療はしたことがない、と言う割には頭脈などやけに詳しいのですが、さてその結果は「もってのほかの邪気」で「中風」でござると見立てます。
雷に「中風とは」と問われ、もとは風邪でござるが、風邪は百病の長、もろもろの病の元であるなどと医師が言います。藪医者という割にはなかなかの見識の様子。

雷はなんぞ薬があらばくれと所望します。大藏では旅のこととて薬はないと答えるようですが、ここではそれならば気付けをあげましょうと、医師が団子のような薬を渡します。苦い薬だとか、苦いところもあれば甘いところもある、「らいのうたん」という薬だなどとのやり取りがあって、薬を飲んだ・・・というより食べたような所作ですが、雷はまくまくするのは治った、と良くなってきた様子をみせます。

しかし腰を打ったのが痛いので、これを治してくれと雷が頼み、医師はそれなら鍼を打ったがよかろうと言って、雷を横にならせます。

雷に近寄った医師は、雷の腰のあたりを診て悪血が滞りましたと言い、三里に鍼を打って悪血を流すと、雷に鍼を見せます。
これがまたなかなかに太い鍼で、しかも鎚で打ち込む様子です。現代の鍼灸で使われる鍼とはおよそ異なったものですが、昔は太い鍼もあったのか、あるいは雷が相手ということで殊更にデフォルメした鍼を出したのか、まあ両方あるのでしょうね。

ともかくも横になった雷の腰に向けて、鍼を構えた医師は「こっつりこっつり」と鎚で打ち込みますが、その都度、雷は大げさに痛がります。鍼が折れるから動かぬようにと医師が注意しますが、最後はあまりの痛がりように治療を終える形。
さてこのつづきもう一日明日に
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雷さらにつづき

雷は大騒ぎしたものの、鍼の効果があった様子で鍼を打った側の痛みが治まった様子です。しかし雷が反対側に痛みが残っているというので、医師が今度は反対側にも鍼を打とうとします。
雷は痛くないようにしてくれとか様々に言いますが、医師の方は人間でさえおとなしく鍼を打たれるのにご卑怯なことだと言って、けっきょく反対側も鍼を打つことに。

またまた鍼を構えて「こっつり こっつり」と鎚で打ち込むと、雷が大げさに痛がります。鍼を抜けと雷が大騒ぎした末に治療が終わり、さて落ち着いてみると痛みが取れている様子。
雷は感謝して立ち去ろうとします。

すると雷を怖がっていた医師が、雷を止めて薬代をくれと求めます。遊山に出たところだったので持ち合わせがないという雷は、医師に「汝が所を言え」ば必ず眷属を連れて落ち、薬代を払おうと言います。

医師はそれはかなわないと思い、それならば旱損(かんそん:ひでりのこと)も水損もないように守ってほしいと申し出ます。雷は八百年の間守ってやろうと言い、また医師のことを典薬の頭と祝ってやろうと言って、「降っつ照らいつ」と謡い出し、謡い舞いした後、登場した時と同様にぴっかりぐゎらと雷の様を表しつつ舞台を廻ります。

医師はくわばらくわばらと逃げて橋掛りへと進み、雷が後から行く形で退場となりました。
藪医者として登場した割にはなかなかに機転の利く医師と、恐ろしい存在にもかかわらず鍼を怖がったりする雷の取り合わせが、狂言らしいおかしみの一曲。楽しく拝見しました。雷の面は武悪を用いることもあり、雷の専用面の場合もあるようですが、この日は雷専用の面だったようです。
(20分:当日の上演時間を記しておきます)
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鍾馗 木月宣行(荒磯能)

観世流 観世能楽堂 2011.08.11
 シテ 木月宣行
  ワキ 大日向寛、アイ 前田晃一
   大鼓 亀井広忠、小鼓 森澤勇司
   太鼓 徳田宗久、笛 栗林祐輔

鍾馗というと、端午の節句の際の人形や幟で見かけることはありますが、それとても一体何の神様なんだろうと思うくらいで、滅多に話題にも上らないというのが普通と思います。私も前々から気にはなっていたものの、あえて調べもせずにいたところです。

というわけで、この曲と、同様に鍾馗をシテとするもう一曲「皇帝」の二曲は、私これまで観ておりませんでして、皇帝の方はいずれとして、鍾馗はそれほど上演の少ない曲ではないのですが、なんだか機会がなかったという次第です。

そこで今回あらためて「鍾馗」という神様を・・・人物をといった方が良いかもしれませんが、認識したところです。節句の人形や幟は、悪魔や病魔を祓う、わけても疱瘡除けの神様として扱っていますが、もともとはこの曲の元になった伝説があったようで、唐代の実在の人と言われています。

幼少から学問にすぐれ、いわゆる科挙を受けて栄達を目指したのですが、落第したことを恥じて宮中で自殺してしまったとか。これを唐の高祖が憐れんで弔い贈官したことから、鬼神となって国家を守護したという伝説です。
この能は伝説に準拠し、鍾馗の精霊が登場するわけですが、ストーリーを切り詰めて鍾馗の精霊の哀傷と、悪鬼を鎮める奇瑞に焦点をあてた小品となっています。

舞台には先ず名宣笛でワキ大日向さんが登場してきます。白大口、厚板に側次を着けた唐人風。常座に出て名乗りとなります。
このつづきはまた明日に
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鍾馗のつづき

ワキは、唐土、終南山の麓に住まう者で、帝に奏上することがあって都に向かうところとと名乗ります。一介の男が一体何を奏上するのだと思わないでもありませんが、ともかく終南山を立ち出でてと道行を謡い、海路に出て遙かに進む様子を謡いつつ、数足出て、常の道行ならば元の位置に戻るところ、ワキ座の方へと向かいます。

その行きかけたワキにシテの呼び掛けで、ワキはこの声にするするとワキ座まで進んで振り返ります。
無地熨斗目着流しに鼠色の水衣、黒頭の怪しい男シテが登場して橋掛りを歩みつつ、自分は昔誓願の子細あって悪鬼を亡ぼし国土を守ろうと誓ったと語ります。「君賢人をなし給はば 宮中に現じ奇瑞をなす」だろうと奏上してほしい旨を語り、二ノ松へと至ります。
ワキは不思議に感じ、いったい誰なのかと問いますが、シテは橋掛りを進みつつ、自ら鍾馗という進士であることを明かして常座に出ます。

ワキは、鍾馗が世に隠れなき進士であると言い、シテと掛け合い、地謡の一句「草虫露に声しおれ」でワキ座に着座します。
シテは同じく地の上歌でサシ込み開キ、目付に出て角トリし、左に回って「思い絶えなん色も香も」と正中あたりまで進み、さらに常座に戻ってワキに向かい、開いて「花紅葉いつをいつとか定めんいつをいつと定めん」と正中に出て下居し、居グセとなります。

クセもあまり長いものではなく、ワキが「世に隠れなき進士」と言っただけで鍾馗の物語は所与のこととして、舞台が進みます。無常観を湛えたクセの詞章ですが、あまり思い入れを強くした風ではなく、クセの終わりは「人界をいつかは離れはつべき」とシテ、ワキが向き合う形になります。
さてこのつづきもう一日明日に
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鍾馗さらにつづき

ワキが鍾馗の誓いを受け奏上するのでしばらく待たせよと言うと、夢の中に真の姿を現そうシテが言い、ワキ「言うより早く」シテ「気色かわりて」でシテが立って開キ、六拍子踏み返し、大小前から早い運びの謡に乗って正先に打込、「虚空に上りては座しめ」と下居してユウケン、立って目付、角トリしてワキ座で小回り、目付から常座へと進んで小回りし、正へ向き直っての中入。急速な展開から一気に中入になった感じです。

代わって長上下のアイ所の人が出、ワキの求めに従って鍾馗の由来を語ります。唐の武徳年中、高祖が天下を従えた頃、天下初めて治まり目出度く国中から文武にすぐれた者達が集まってきた。中でも鍾馗という人は幼少から学問に優れ、人々からも人望を得ていた。常々及第して君の側近くに仕えようとしていたのだが、なぜか落第してしまった。普通の人ならばまた時期を待つところ、この人は命があっても甲斐がないと怒りを起こし、玉階に我と頭を打ち砕いて亡くなってしまった。
このことを帝に奏上したところ、不憫に思われてかの死骸を都の内に治め置き、鍾馗大臣と贈官をされた。それから百余年が経ったが、その魂魄が留まっている様子であると語り退場します。

ワキの待謡から早笛。後シテは朱の半切に袷狩衣、赤頭に唐冠を着け左手に宝剣を持っての登場です。面は小べし見でしょうか。
常座に出ると「鬼神に横道なしと云うに」と謡い出し、地謡で目付に出、ワキ座から大小前と回って正先へ出、目付から常座へ戻って「実にも鍾馗の精霊たり」と小回りして開キます。

ロンギから、さらに謡い舞いして、禁裏をくまなく探して悪鬼を追い、国土安穏を祈って留拍子を踏んで終曲となりました。
ストーリーをギリギリ切り詰めて、見所を集約した能で、初心の方が多い見所でも楽しめた一曲ではなかったかと思います。
附け祝言の高砂を聞き良い雰囲気で能楽堂を出たのですが、この後、常磐線の遅延で大変な目にあったのは、以前書いた通りです。
(45分:当日の上演時間を記しておきます)
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