能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

国立能楽堂特別公演を観に行く

このところ忙しいうえに、何やら体調を崩しまして、正直のところ余裕がありません。頑張らないをモットーに、のんびりやっていくのを信条としているので、いささか不本意なところです。

そんな中ですが、10月最後の土曜日29日は国立能楽堂の特別公演を観に出かけました。開場よりもかなり早めに出掛けたのですが、実は六本木の国立新美術館で開催中の日展を覗いていこうという魂胆。まあ例年のごとく、とても短時間で見終えるような規模ではありませんで、極々一部を覗いただけですが、それでもなんとなく気分は良いものです。

ただネ、何時も思うのですが、特選などに選ばれている作品と他の作品の違いっていうのが、どうも上手く理解できないのですねぇ。
もちろん、会場を覗いた時に何故か惹かれる作品があり、近づいてみると特選になっていた、なあんていうのもあるんですが、どうにもよく分からないというのもありまして・・・好み、それも個人の好みだけではなく、時代の好みとか、会の好みとか、そういうのってあると思うんです。

と、能楽もそういう側面が少なからず感じられて、ある程度以上の技量の方がなさる演技だと、後は好みの問題というのも、あながち否定できないように思います。それでこのブログでは、あまり良かっただの、悪かっただの、自分の感想を書かないようにしているのですが・・・

それはともかく、今回の特別公演は、金春流本田光洋さんの能「鵜祭」と観世流観世銕之丞さんの能「実盛」、そして茂山あきらさんと童司さんで狂言「寝音曲」という番組。
「鵜祭」は金春流のみの曲で、あまり上演も多くない様子ですが、観てみると案外面白い。登場人物が多く、しかも後場でシテとツレが「楽」を相舞するという、なかなか凝った作り。これは上演が少なくなるのもうなずけるところです。

実盛は、これはもう銕之丞さんらしい思いのこもった一番でして、銕仙会の人気が理解できる演能。総じて、私の印象ですが、観世流わけても銕仙会や九皐会の舞台はわかりやすい。能というと「わからないもの」と決めつけられがちですが、演劇的な要素があって感情移入がし易いと思っています。
ただし、わかりにくいから駄目だという訳でも無く、もちろんわかりやすいから良いの悪いのという訳でも無いので、ここが難しいところです。

寝音曲は、何度も観ている狂言ですが、家々によって微妙に違っているのが面白いところ。そう言えば茂山家の寝音曲は、まだブログでもふれていませんでした。

鑑賞記はいずれ、ということで、観に行ってきたことのみのご報告です。
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中村仲蔵

相変わらず不調であります。
実は足が痛くなりまして、毎夜、続けて眠れるのは二時間程度の状況が続いております。しかも原因不明。
ですが、発症以来一週間が経ち、だいぶん気持も落ち着いてきたところ。まあ、なるようにしかなるまいと、開き直っております。
ええ、病院にも行っておりますが、MRIをとってみないとわからないと言われておりまして、予約待ちの間は「(あまり効かない)鎮痛剤で我慢してネ」といった次第です。

さて、そんな中、昨日は当地水戸に志の輔師匠がやって来まして、これは前々からチケットを入手しておりましたので、足の痛みを堪えつつ聴きに行って参りました。

前座さんお二人の後は新作の「ハナコ」、そして休憩をはさんで「中村仲蔵」の一席。
いやあ見事でありました。新作も抱腹絶倒でしたが、中村仲蔵、一時間半近い大熱演であります。
途中、芸に関する人の陥りやすいこととして、おのれの芸に「あきる」という話が挟まれていまして、最初は一声の台詞をもらったことが嬉しくて、夢中になって演じているのが、いつかその一声の台詞だけという状況に飽きてしまう。それが仲蔵のしくじりとなるが、四代目団十郎に見いだされるきっかけともなるという話。
これにからめて、志の輔さん自身の話、お客様は年に一度でもやってる方は毎日なので、いかに飽きずに自分を高めていくかが大事という、これは本音でもあるんでしょうね。

ともかくも、仲蔵が忠臣蔵五段目、斧定九郎という当時つまらない役と思われていたものを、苦しんだ末に工夫して当たり役とした成功譚、面白かったと同時に、歌舞伎も見に行ってみようかと、そう思わせる素敵な話でした。

以前、書いたと思うのですが、狂言と落語の「死神」をめぐる中で、志の輔さんのオチの面白さはなかなかです。「ハナコ」も面白かったのですが、新作では「ハンドタオル」なんかも、何ともいえずおかしいですね。

長光 野村萬(金春会)

和泉流 国立能楽堂 2011.10.02
 シテ 野村萬
  アド 野村太一郎、小アド 野村万蔵

本当に久しぶりに鑑賞記を書いてみようと思い立ちました。しかし一月以上前の一件なので、何処まで覚えているかというところですが、しばしお付き合いのほど。

茶壺などと同様、旅の者から何か巻き上げてやろうという「すっぱ」が現れての騒動ですが、最後はいささか珍しい形になっています。
さてまずは、アドの太一郎さんが括り袴の旅の姿に、立派な太刀を持って登場し「板東方の者でござる」と名乗ります。上方見物に行くという次第で、まずは熱田の宮だと正面を見、ワキ座に回っては「青々と見えるは何じゃ」と驚いて琵琶湖を見る景色。
さらに大津の市だと言いつつ正面に戻ると、ワキ正に向かい市の様子を見る形になります。

このアドの設定、大藏流では訴訟のために長らく在京していた遠国の者が、本領安堵されて国許に下ることになり、寺町の市に土産物を買いに行くという形になっているようです。上ってくる者と下る者と、流儀によって違いはありますが、いずれ遠国の者であることには違いありませんね。

さて、田舎者が市の様子を観る態は、他曲とも同様で特段の違いはありませんが、その間に登場してきたシテ「すっぱ」が一ノ松で名乗ります。早速、田舎者を見咎め、立派な太刀を持っている様子に、この太刀を奪ってやろうと板東者のそばに寄ります。

まずは太刀の鞘に手をかけますが、さすがにこれはすぐに気付かれてしまいます。板東者が再び市の品物を見始めると、今度は正中あたりで板東者の持つ太刀の緒をそっと解いて自分の体に結びつけ、いきなり「出会え 出会え」と太刀を奪おうとします。アドも盗られてはならじと太刀を抑え、二人が引き合っているところに小アド目代の万蔵さんが登場してきます。
茶壺と同様の展開となりますが、このつづきはまた明日に
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長光のつづき

目代が進み出ると、シテ「すっぱ」は太刀を持って常座に行き、アド「板東者」はワキ座に立ちます。
目代はまず板東者に様子を問い、続いて常座に向かってすっぱに様子を尋ねます。二人は同じ申し立てをして、太刀は自分のものだと主張します。

目代は「同じ事を言う」と正中で独り言を言い、今度はワキ座のアドに太刀の国作を尋ねます。太刀の作られた国と作者を尋ねたという次第ですが、これに対してアドは備前物で長光の作と答えます。それでこの曲が「長光」というわけですが、ともかく、目代はシテにも同じ事を尋ねます。

アドが大声で話すところを、聞き耳を立ててシテが聞いていて、そっくり同じ答えを返すというのは茶壺と同様です。
またしても「同じ事を言う」という次第で、目代は次に太刀の出来を問います。地肌や焼きの様子を聞くわけですが、アドがとくとくと説明するのをシテが聞いていて、これまたそっくりに返答します。

三度同じようなことを繰り返しますが、目代は「両人とも同じように言うは 合点のいかぬことじゃ」と不思議がります。ここでアドが、自分は田舎者なので物を声高に言うため聞こえてしまうのだろうと気付き、目代に小さな声で太刀の寸尺を伝えます。

目代がすっぱに太刀の寸を尋ねると、アドの言いが聞こえなかったシテは「備前物でござる」などと関係ない答えをする始末。怪しいとにらんだアド、小アドが、舞台中央でシテの両側から「寸を言え」と迫ります。さらにシテの両手をとって上着を剥ぐと、シテは盗人らしく背に太刀二本などを背負っており、二人をふりほどいて逃げるところを、アド、小アドが追い込んで留となりました。

この、いかにも盗人らしく、身に盗ったと思われる獲物を持っているのが露見するというのが、珍しいところで、面白く拝見しました。

太一郎さんも舞台に余裕が出てきたような感じがしましたが、それにつけても萬さんのお元気なこと。楽しい舞台でした。
(15分:当日の上演時間を記しておきます)
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初雪 櫻間金記(金春会)

金春流 国立能楽堂 2011.10.02
 シテ 櫻間金記 
  ツレ 柴田健一 庄司友芳 鈴木一策
  アイ 野村扇丞
   大鼓 高野彰、小鼓 幸信吾
   太鼓 小寺佐七、笛 藤田朝太郎

初雪にはいささか季節が早かろう、と思ったら、初雪は降る雪ではなく、なんと鶏の名前なんだそうで。この曲、金春流のみが演ずる曲で金春禅鳳の作だそうです。
小品でワキが出ません。ある意味、他愛ない曲ですが、先日書いたように、病を乗り越えられた金記さんが、舞台に何ともいえない深みを作り出したように感じました。

曲は狂言口開で、柿色のような小袖に美男姿のアイ扇丞さんが登場してきます。
常座に立ったアイは、住吉の神主殿の姫君に仕える夕霧という女であると名乗ります。神主の姫君に、さる人が鶏の子を差し上げたところ、あまりに美しく、雪のように白いので「初雪」と名付け飼い育てていたが、自分に預け置かれた、と説明します。
今朝はまだ初雪を見ていないので、見に行こうと正中に出ますが、やおら「なう 悲しや これは初雪が空しうなった」と声を出し、「いやとかく申さずは叶うまじう候 急ぎ申さばやと思い候」と言って、常座から太鼓の横あたりに進み、幕に向かって「いかに申し候 今夜初雪が空しうなりて候」と声をかけます。

これに答えて前シテが登場します。神主の姫ということで紅入唐織着流しで「何と初雪が空しくなりたると申すか」とアイに問い直します。
アイは「なかなか 空しくなりて候 そと御覧候へ」と言って、狂言座に下がります。シテは橋掛りを進んで正中に出、目付柱の方を見つつ下居して「こはいかに さしも手慣れし初雪の」と謡い出し「消えぬる事の悲しさよ」とシオリます。直して「さればこそ」と謡を続け「あら無惨の事やな」と再びシオって、地謡の下歌に続きます。

金記さんが声が出にくくなられたようで、苦しげにも聞こえるところですが、このあたりが能楽の不思議なところで、なんとなく納得できてしまいます。
さてこのつづきはまた明日に
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初雪のつづき

地謡の下歌、上歌からクセと続きますが、クセは短い居グセで、シテは下歌から同じ所に下居して謡に合わせて嘆きを示す形です。

さてクセが終わると、シテは正面方を向いたまま「いかに夕霧のあるか」と声をかけます。これを受けてアイが立ち上がり、角の方に出てシテに向かいます。シテはアイに「さても初雪が不憫さはいかに」と言い、アイが返事すると、嘆いてもこの鳥が戻ってくることはないであろうから、この辺りの上臈たちを集めて七日の間籠もり、鳥の跡を弔おうと思うがどうか、と尋ねます。

アイはもっともなことと受け「やがて弔いあらうずるにて候」と言うと狂言座に下がります。シテは立ち上がり、ここで中入。
この曲、ワキが出ないので、このあたりからの展開がいささか変則的な感じがします。
シテが中入で静かに幕に入ると、アイが再び立ち上がって常座に出「さてもさても、かようの憐れなることは ござなく候」と言い、嘆いても甲斐なきことなので、この辺りの上臈を集めて、一七日籠もり、初雪の跡を弔おうという展開を再度語り、さてこの辺り近き上臈たちを呼び出そうと言って、「いかにこの辺りの上臈たち」といわゆる触れ。一七日の間、初雪の弔いをする旨を告げ「一人も残らず 御出で候へ かまへてその分 心得候へ 心得候へ」と触れて、再び狂言座に下がります。

「お幕」の声が低く聞こえ、ツレ三人が登場してきます。(この三人は申し訳ないのですがちょっといただけませんでした)
ともかく近隣の上臈たちという態で登場した三人は、そのまま舞台に進みワキ座から地謡座の前にかけて並んで着座します。

アイが立って常座に出て下居し「さらば御弔い あらうずるにて候」と声をかけて狂言座に下がり、ツレの一人が「実にありがたき弔いの」と謡い出して、残る二人が続きます。ワキの待謡同様の態で、ツレの一人が「南無阿弥陀仏弥陀如来」と合掌し、囃子が出端となります。
後シテの出になりますが、このつづきはまた明日に
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初雪さらにつづき

出端の囃子で後シテが登場してきます。薄く黄色味のある色大口に白の長絹、天冠には鶏が載っています。鶏というのは、いままで見たことがありません。この曲のみに用いられる物かも知れませんが・・・

後シテは一ノ松に立ち地謡となりますが、地謡が「あれあれ見よや不思議やな」と一句謡うと向きを換えて舞台に向かって橋掛りを進み、「半天の雲かと見えつるが」とシカケ開キして角に出、角トリして舞台をを廻り「白妙の初雪の 翅をたれて」と常座で袖を返すと正中に出「姫君に向かい」とワキ座に向かって膝をついて一礼し、立ち上がると角から大小前へと回って中ノ舞となりました。

中ノ舞を五段に舞い上げると、シテは「この念仏の功力にひかれて」と謡い、初雪の霊が念仏の功徳で極楽に至り、舞い遊ぶ様を示して留となりました。羽根扇から、鳥が羽ばたくように袖を使っての舞で、真っ白な鶏、初雪の可憐な風を表したところです。
(51分:当日の上演時間を記しておきます)

*** 10月金春会 補遺 ***
当日、諸般の事情で一曲目の巴の途中から入り、初雪まで観て帰ってきたことは、先月ブログに書きました。というわけで、その途中から入った巴ですが、当日のシテは本多布由樹さんで、立派な体格の女武者でしたが、それはともかくも巴の最後の部分は各流、またそれぞれのシテの解釈にも寄って、様々な形で演じられます。で、当日の形が印象的でしたので少しばかり書いておこうと思います。

ロンギに続き義仲最後の場面が近づいてきますが、シテは正先で別れを告げるように両手を着いて一礼の後に下居して謡を聞き、やや起きて「巴はともかくも 涙にむせぶばかりなり」と再び両手を突いて、その姿勢のままに片シオリします。
「かくて御前を立ち上がり」で長刀持って立ち上がると橋掛りを見込み、常座へ進んでワキに向き直り、正中から正先へと出ます。

さらに長刀揉みつつ橋掛りへ進みますが、この間に後見が正先に畳んだ水衣を置きます。義仲の遺骸の場所を示す様子です。
シテは二ノ松で謡って舞台へと戻ります。常座に戻り「見奉ればいたわしや」で長刀を落とし、正先の水衣の前まで出て下居し、両手で取り上げます。左手に水衣を掛けて立ち、ワキ正に三、四足、戻って正先を見込むと左に回って常座に下居します。
すると後見が出て、唐織と烏帽子を外して、白の水衣を掛けて女笠を手に持たせます。シテは左手に太刀持って立ち上がり、角に出て角トリ、笠をかざして左に回り、常座あたりでワキに振り返って笠を落とします。
合掌して左手に太刀抱え込み、ワキ正に留拍子を踏んで終曲となりました。
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