能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

あけまして おめでとう ございます

本年もよろしくお願いします。

昨年は本当に様々なことがあり、ブログもすっかり滞り気味になってしまいました。
さて今年はどうなることやら。

とりあえず、途中になっています津村禮次郎師の三山の鑑賞記、続きをこの後アップしたいと思います。
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三山さらにつづき

宝生流の本ではクセの最後は「其名を憐みて跡弔はせ給へや」となっており、続いてシテが自分の名を名帳に入れてほしいとワキに頼みます。ワキが名帳に入れるために名を問うと、桂子と書いてほしいとシテが我が名を明かしていくやり取りがあって中入になります。これに対しクセの終わりでバサッと切って中入にしてしまったのは思い切った変更だったように思いますが、緊張感が高まる感じがします。
この宝生流と同様の形も大成版の謡本に記されているのは、初日に記した通りです。

中入でアイが再び登場し立ちシャベリ。このアイの詞章も、シテ方の謡本としては珍しいことですが、大成版には全文が記されています。三山の謂われを繰り返す形ですが、前場のシテの詞では万葉集第一にあるとのみ言及されていた歌について、天智天皇の歌「香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき」をひいて、香久山が夫、耳成山が妻の夫婦だった所に、香久山が畝傍山に心移りして争いになったと語られます。
万葉集からひいているのは長歌の最初の部分で、このあとは「神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき」と続きますが、それはさておき、その争いが木々にも魂があって、桂の木と桜木とが柏木を中にして争ったとシャベった後、良忍聖を尋ねようと言って目付に出、ワキとの問答。ワキから桂子、桜子が人の名と聞いて驚きますが、ともかくも桂子の跡を弔うようにワキに勧めて型通り狂言座に下がります。

ワキの待謡は宝生の本とは違っていまして「耳成の山の桂子くれぐれと 山の桂子くれぐれと 頼みしままに弔ひの 御法の夜声更け行くや 嵐激しき気色かな 嵐激しき気色かな」と謡って一声で後ツレ桜子の登場になります。

紅入唐織脱下げに桜の小枝を肩に担い一ノ松に出て謡いますが、華やいだ若い女の印象です。ふと何十年か前に、津村先生のシテ、坂さんの亡き父君真次郎さんのツレで高砂を観たことを思い出しました。

ツレは畝傍山の桜子と名乗り、謡いつつ舞台に入り「嵐を退けて賜びたまへ」と常座に立ちます。この間に幕が上がり後シテが姿を現します。こちらは無紅唐織脱下げで、桂の枝を右肩に担っていますが、ツレが右の毛を垂らしているのに対し、シテは両方に後れ毛を垂らした形で、シテ・ツレの対比を強調している感じです。
このつづき、もう一日明日に
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三山もう一日のつづき

シテは幕前で桜子が羨ましく妬ましいと謡い、二ノ松あたりに出て一セイ「光散る月の桂も花ぞかし」地謡が受けて「誰桜子に移るらん」ここで宝生流ではカケリが入るところですが、そのままツレが「盛りとて光を埋む花心」と謡い、地謡、シテと謡が交互に続いてシテ「などや桂を」地「隔つらん」で翔が入ります。

カケリではツレが舞台を一廻りし、シテは常座から出て角、常座へと戻り、後妻打ちの形を見せてワキの謡となります。宝生の本では地謡「隔つらん」の後はツレが「恥ずかしやなほ妄執は有明の つきぬ恨を御前にて懺悔の姿を現すなり」と謡って、シテの詞になりますが、ツレ謡の代わりにワキが「傷はしの御有様やなその執心を振り捨てて成仏の縁となり給へ」と謡ってシテの詞になります。

この後はシテ、ツレと掛け合いになりシテが常座、ツレが大小前あたりに立って相互に謡合う形から、地謡「また花の咲くぞや」でシテ七つ拍子、踏返し、角に出て「花の後妻打たんとて」といよいよ争いの形になっていきます。
シテ、ツレが小枝を持って打ち合う型というのは、さすがに他曲では見かけませんね。斬り組ならいざしらず、女同士が打ち合うというのが珍しいこともあって、この曲が宝生流に残ってきたのでしょう。

しかしその争いも「あら外目をかしや」と収まり、地謡が気を変えて「因果の報いはこれまでなり」と謡い出すと、それぞれに小枝を落としてて扇を広げます。
「花の春一時の恨みを晴れて速かに 有明桜光さす 月の桂子諸共に」と謡われますが、この後は宝生の本が「西に生まるる一声の御法を受くるなりあと弔ひてたびたまへ」と終わるのに対し「長き迷ひも雲か霞か漂ふ空へほのぼの明けて畝傍山、耳成山も影白々と朝日照り添ふ飛鳥川 夢を流れて覚めにけりや 夢物語となりにけり」と、夢幻の世界をより印象づける形で留。シテ、ツレは謡のうちに幕に入り、ワキが正中に座して合掌し二人を見送り、立ち上がって留めるという、謡を形に見せる演出でした。

古希を迎えられた津村先生の能、ひさしぶりに堪能させていただきました。古希記念能の時期が出張と重なり、拝見できなかったのがいささか残念です。
(73分:当日の上演時間を記しておきます)
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三笑

三が日はNHKで新春能狂言が放映されますが、本日三日は宝生流の「三笑」
録画予約もしてあったのですが、朝、平常の時刻に起きたため、そのままテレビを観た次第です。

水上優さんのご子息、達クンが子方で登場するということで、録画予約もしておいたのですが「あれ、子方?」とふと疑問になりました。
この曲、あまり上演が多い方ではないので、私も一、二度しか観ておりませんが、はて「子方」って出ていただろうか・・・と思いまして、早速調べてみました。そうなんですね、観世流では子方を出さないのです。それで見た記憶が無かったということで、他流はどうなんでしょうね。金春流には、この曲そのものがなかったようですが。

そうそう、この曲はシテ慧遠禅師とツレの陶淵明・陸修静が、三人で楽の相舞をします。この間、鵜祭の際に楽の相舞の曲ってあったかなと考えた時には思い出せなかったのですが・・・いや、お恥ずかしいところです。

この三笑「笑」の字が入っているように、能では唯一笑う型がある曲ですが、狂言のように大笑いするわけではありませんで、なんとも典雅な雰囲気であります。虎渓三笑の故事を踏まえた曲ですが、たしか歴史的には陸修静が生まれる以前に慧遠禅師は亡くなっていて、この三人が一堂に会するのは不可能な話。おそらくは儒、佛、道三教の代表としてこの三人を選んで作られた話なのでしょうね。
演出上、子方が入る必要性はどこにあるのか、今一つ理解しにくいのですが、とはいえ達クンの舞を観ているとなんだかホッとする感じがしました。そんなねらいなのかも知れません。

風姿花伝

昨年は本当に慌ただしくて、能楽鑑賞はもちろん、本もあまり読めませんでした。
そんな中、暮近くなってなぜか風姿花伝を読んでみようと思い立ちました。

さっと目を通すという程度では読んだことがあったのですが、今回は注釈を含めてきちんと読んでみようと思ったため、想定外に時間がかかり、年末までずっとこればかり読んでいる羽目になりました。
しかし、あらためて読んでみると、勘違いしていた点も少なからずあることに気付きました。

そもそも世阿弥の活躍した時代、特にその前半期は、能楽の有様が現在のものとは相当に違っていた様子です。そのあたりは何となく理解していたつもりでしたが、世阿弥の書き残したひと言ひと言が、そうした当時の状況を前提に考えないと本当のところが理解できないことを、あらためて認識しました。

何をどう感じたのか、そのあたりは機会を見てまた書いてみようと思いますが、ともかく、一度読んでみるのも悪くないと思います。

20万ヒット

昨日の夜になって、20万ヒットに到達したようです。
FC2でブログを開始して間もなく6年になろうとしています。私はもともと飽きっぽい方なので、まあ、よくここまで続きましたという感慨があります。
昨年あたりから、なかなかブログの更新もままならなくなっていますが、現行曲でみると鑑賞記を書いていないものも、まだまだ沢山残っています。何時になるかわかりませんが、少しずつ記録を増やしていきたいと思っています。

今後ともよろしくお願いいたします。

日本能楽会 東京公演を観る

本日、出張の帰りを利用しまして、日本能楽会の東京公演を観世能楽堂に観に行ってみました。
当然、帰りがけなので途中からですが、大藏流大藏彌太郎さんと善竹十郎さんの狂言「鞍馬参り」から観ることができました。

拝見したのは、上記の通り狂言の「鞍馬参り」
観世流の仕舞で、武田尚浩さんの邯鄲、観世芳伸さんの井筒、山科彌右衛門さんの山姥
同じく観世流で、浅井文義さん、梅若紀彰さん、梅若長左衛門さんの舞囃子、三笑
金剛永謹さんと大倉源次郎さんで一調 笠之段
観世清和さんと亀井忠雄さんで一調 女郎花
宝生流の仕舞で、金井雄資さんの八島、朝倉俊樹さんの三山、今井泰行さんの春日龍神
そして観世流の能で、観世銕之丞さんのシテで小鍛冶 これは黒頭別習の小書付です

途中から観た割には、仕舞、舞囃子、一調もそれぞれに楽しめる番組でして、良い時間を過ごすことが出来ました。
観世芳伸さんと山科彌右衛門さんも、並んでみると微妙に顔立ちが違っておられるのをあらためて認識しました。別々に出てこられると、どちらがどちらか分からなくなってしまうのですが、芳伸さんの方がどちらかというと清和さんに似ている感じです。
番組で気付いた点など、いずれ記載しておこうと思っています。

小鍛冶は珍しい曲ではありませんが、今回の小書 黒頭別習は観世流の最も重い小書きで、前場は喝食で出、後場では常の早笛に替えて乱序で出るという、重い扱いです。こちらも気付いた点など、追々書いておこうと思います。
とりあえず本日はこの辺で

鞍馬参り 善竹十郎(日本能楽会東京公演)

大藏流 観世能楽堂 2012.01.18
 シテ 善竹十郎
  アド 大藏彌太郎

先日の日本能楽会東京公演の様子を、書いておこうと思います。
まずは狂言、鞍馬参り。夢で授かった福を渡すの渡さないのという、ある意味不思議なやり取りがテーマになっている曲です。天正狂言本には太郎冠者が礫を福だと偽って主に渡すように書かれているそうですので、夢のお告げで物が現れ出たといことになるのでしょうけれども、少なくとも現行の鞍馬参りでは物理的に福が示されることはありません。

舞台にアド、シテが登場し、まずは常座で長上下姿のアドが名乗ります。この辺りの者ということですが、初寅のため鞍馬に参ることにしたと太郎冠者を呼び出します。
主人がワキ座に行き、常座に出た太郎冠者と向き合う形。初寅のため鞍馬に参るので、なんぞ道具を持てと命じます。

これを受けてシテ太郎冠者がワキ正から幕に向かって声をかけますが、不首尾だった様子で主人に、お道具とは何を持っていくのかと他の者が問うていると聞き直します。主人は、弓なりと槍なりと、鉄砲なりと持てと言うように重ねて命じますが、再びワキ正から幕に大声を上げて何やら問答していた様子の太郎冠者は、主人に向き直ると、弓は弦が切れ、槍はいつぞやどこへやらいった様子、鉄砲は見ぬと言っておりますと報告します。

主人は、参詣するのに長道具はいらぬものじゃ、などと自分で言い出したことを不問にするような言いで、汝一人を供に行こうと言って、太郎冠者を従え舞台を廻ります。舞台を廻りつつ、長道具は要らぬが太刀など持ったら良かろうなどと言っているうちに、鞍馬に着いた様子。
早速参詣をということで、御前にと舞台前方に進みます。
さてこのつづきまた明日に
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鞍馬参りのつづき

神の御前にて参詣ということで、太郎冠者が正先に座り扇を広げて拝をしようとしますが、主人が寄ってきて扇を退かしてしまいます。下人が前に出るなという次第ですが、常座に下がった太郎冠者は「神仏の前では主と下人の隔てはないと申す」と抗議します。
しかし主人は聞き入れず、ここで今夜は通夜をするので寝ずの番をするようにと太郎冠者に命じます。

「神仏の前では・・・云々」のやり取りは、必ずしも各家で共通に演じられるものではないらしいのですが、太郎冠者が主人に対して不満を持つようになる子細として、納得感があります。

ともかくも、主人が「寝ずの番をせよ」と言ってワキ座近くで通夜の形になってしまったため、不満顔の太郎冠者は「起こいてやろう」と、寝入った様子の主人を起こし「宿坊には参らせられませぬか」と問いかけます。主人は太郎冠者を叱りつけ、宿坊には寄らぬと言って寝てしまいます。
納得いかない太郎冠者は、自分だけでも宿坊に参ろうと再び主人を起こします。宿坊に寄れば茶の酒のと接待があるのを期待してのことでもあるわけですが、主人は宿坊の接待が煩わしいので寄らぬとにべもない返事をして寝てしまいます。

これもなるまいと言われて、憎さも憎し、今一度起こいてやろうと、太郎冠者は三度主人を起こします。さすがに何度も起こされて閉口した主人は、寝ずの番をせよと言ったので何度も起こすのだろうと言い、太郎冠者にもゆるりと休めと声をかけて寝入ります。
太郎冠者は喜んでワキ正に出、嬉しいと言うと常座に下がって寝入る形になります。

さて一呼吸置いて、太郎冠者は霊夢を受けている様子で何やら返事をして目を覚まし、多聞天より御福を下されたと拝をなします。さらに夜の明けたことに気付き主人を起こしますが、主人は拝をして立つとすぐに下向しようと言い、太郎冠者を伴って家に戻る様子で舞台を廻ります。
さてこのつづきはまた明日に
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鞍馬参りさらにつづき

下向道の設定で舞台を廻るうちに、アド主人は「大籠りであった」などと話し出し、さて太郎冠者が通夜の間に何やら大声を出したようだが、何事だったのかと問いかけます。
太郎冠者はいったんは知らぬ振りをしますが、主人が「確かに聞いた 有り様に言え」と重ねて問いかけたため「何を隠しましょう 多聞天より御福を下された」と霊夢の話をします。

夢の中では八十ばかりの老僧が、鳩の杖にすがって現れ、汝、年月鞍馬に参るによって福を与えようと言って、福有りの実を下されたという話です。これを聞いて穏やかでないのが主人。信心の故に太郎冠者を伴って参詣してきたのは自分であって、福なら自分こそが下されるべきだという理屈です。
太郎冠者から福を「取り上げてやろう」と独り言を言って、主人は太郎冠者に「自分も同じ御霊夢を蒙った」と言います。『福を太郎冠者に渡したので、太郎冠者から受け取るように』と夢のお告げがあったと言います。

それは別々のことではないかと太郎冠者は主張しますが、主人が聞き入れる様子がありません。結局、福を渡すしかないと観念した太郎冠者は、それなら「散々になぶって渡そうと存ずる」と独り言をいい、夢のお告げで福を渡す時は「福渡し」というのをして渡さねばならないと、主人に言います。

この福渡しというのは、「鞍馬の大悲多聞天の御福を 主殿へ参らせたりや 参らせた」と太郎冠者が言い、これを受ける主人が「賜ったりや 賜った」と言う次第です。簡単ですが、太郎冠者は主人の言い方が悪いと度々難癖をつけ散々になぶります。
しかし最後には「拍子にかかって」言えば渡そうということで、二人して拍子をつけて謡い合い、太郎冠者が「御福はこなたに納まった」と福を渡した形となると、主人が「それこそめでたけれ いて休め」と褒めて留めとなりました。

狂言としては、割とよくあるプロットですが、面白い形に整理されている印象です。
(20分:当日の上演時間を記しておきます)
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小鍛冶 黒頭別習 観世銕之丞(日本能楽会東京公演)

観世流 観世能楽堂 2012.01.18
 シテ 観世銕之丞
  ワキ 宝生閑 ワキツレ 宝生欣哉
  アイ 三宅右近
   大鼓 佃良勝、小鼓 曾和正博
   太鼓 金春國和、笛 藤田朝太郎

小鍛冶はこれまで金剛流山田夏樹さんの演能(鑑賞記初日月リンク)と、宝生流佐野弘宜さんの演能(鑑賞記初日月リンク)の鑑賞記を書いています。いずれもお若いシテでしたが、今回は観世流の重鎮、銕之丞さんの小鍛冶。黒頭別習の小書付です。
各流とも常の形では、後シテが赤頭・小飛出で出るようです。また白頭の小書が各流にあって、型はそれぞれ若干の違いがありますが、ともかく後シテが白頭で出て、扱いが重くなります。

黒頭は観世のみの小書と思いますが、後シテが黒頭になることはもちろん、前シテも喝食の姿になるなどの変化があります。わけても、この日の黒頭別習は重い扱いで、重キ黒頭とも言われるとか。囃子方もうかつに引き受けてはならないという話があるくらい、緩急がついて難しい扱いになります。

それでは流れに沿って、まずは舞台上にワキツレ宝生欣哉さんがほぼ黒といってよい褐色の地に金の狩衣、白大口に立烏帽子の大臣姿で登場し、常座で名乗ります。いつぞや漱石の「猫」と「平宗盛にて候」の話で、書き込みをいただいたことがありましたが、この小鍛冶こそ、観世の本では登場したワキツレが「一条の院に仕え奉る橘の道成にて候」とあり、一方、下掛り系のワキ宝生の名乗りは「道成とは我が事なり」となっています。

それはともかく、常座で名乗りの後、あらためて橋掛りに入ったワキツレは、一ノ松から幕内に声をかけます。
このつづきはまた明日に
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小鍛冶のつづき

これまで鑑賞記を書いた山田さんの時も、佐野さんの時もワキ方は下掛り宝生でしたので、この辺りの展開は同じです。ワキツレの呼び掛けでワキの閑さんが白大口に掛け直垂、士烏帽子の姿で登場して誰何しますが、ワキツレの一条院の勅使との名乗りに幕前に着座し両手を突いて勅諚を伺う形になります。

ワキツレは、帝が霊夢を蒙り三条の小鍛冶宗近に御劔を打たせるようにとの宣旨を下されたことを告げますが、ワキ宗近は相鎚を打つ者がいないので、剣を打つとの返事が出来ません。ワキツレは、ともかくも帝が夢のお告げを受けたことなのだから引き受けるようにと宗近を説得し、ワキは「この上は とにもかくにも宗近が」と謡い出して地謡。
ワキツレがワキ座へと進み、ワキは立ち上がって橋掛りを進んで常座へと立ちます。

ワキはあらためて、これは一大事になったもので、かくなる上は氏の神である稲荷明神に参詣し祈誓しようと述べてワキ座に歩み出します。
ワキが正中にかかったあたりでシテの呼び掛け、ここまでは小書無しの時と同じ展開ですが、ここで登場してくるシテが、常の形では黒頭の童子であるところ、小書が付いて喝食の面になります。モギドウ、黒地縫箔を腰巻にして、右手には稲穂を持って登場します。ワキに三条の小鍛冶宗近かと声をかけ、ワキが答えていかなる人かと問い直すと、橋掛りを進んで二ノ松あたりに立ちます。

シテ、ワキの問答となるのは常の型と同じで、シテはなぜか宗近が剣を打つよう命じられたことを知っています。天に声あり、地に響く、とワキ・シテが謡って地謡、シテは舞台に入ると常座に出て、ワキと向かい合います。

クリの謡になり、シテは大小前に出て下居。剣の威徳をめぐって、クセの謡へと続きます。クセは居グセで、日本武尊の話が謡われます。「遠山にかかる薄雪を 眺めさせ給ひしに」と目付柱をやや見上げ、夷が四方を囲んで枯れ野に火を付けたと謡われると、腰を浮かせてワキを見「尊は剣を抜いて」と謡って立ち上がります。
さてこのつづきはまた明日に

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国立能楽堂の企画公演を観る

今日は国立能楽堂に行って参りました。国立能楽堂企画公演「世阿弥自筆本による能」シリーズで、昨年12月から今年の4月にかけて四回の公演が行われます。その二回目の今回は梅若玄祥さんの「難波梅」。現行の難波とそれほど大きく変わるわけではありませんが、おやっと思うところも少なからずありました。

一番の違いは、前ツレが子方になっていることで、これは世阿弥の自筆本に「稚児」と明確に書かれているそうです。本日はこの子方で観世三郎太さんが出演。後見に父上の宗家が出ておられました。宗家が大変に期待もされ、また可愛がっておられるお子さんの様子ですが、舞台の雰囲気からもそのあたりが感じられるように思います。

番組は他に茂山千五郎さんと正邦さんで清水。茂山家の清水は、たぶん初めてだと思うのですが、たいへん面白く拝見しました。

気になったのは、狂言が終わった後の休憩時間に入ったところで、なんだか言い争う声が聞こえてきたこと。脇正面の方向だったように思うのですが、私は正面奥のあたりに席を取っていたので詳細は分かりませんでした。狂言が始まる時にも、声高に何か言っている声が聞こえていたのですが、あれも関係あったのかどうか。
できるだけ、気分よく鑑賞していただけると良いのですが・・・

先日の小鍛冶の鑑賞記がまだ終わっていませんので、いずれにしても小鍛冶の方を書き上げた後に、鑑賞記を書いてみようと思います。

小鍛冶さらにつづき

立ち上がったシテは、地謡の謡う日本武尊の草薙の話に合わせ、稲穂を手に草を打ち払う様を見せ、数万騎の夷を平らげたと舞台を廻ると、ワキに向かって胸指して「汝が打つべきその瑞相の御劔も いかでそれには劣るべき」と言祝ぎ、「心やすく思いて下向し給へ」と正中に下居します。

ワキが重ねて御身はいかなる人かと問いかけ、これに対してシテは、自分が誰であろうとも、ともかく御劔を打つ壇を飾り自分を待つようにと謡い、地謡に合わせてゆっくりと立ち上がると橋掛りへと進み、一ノ松で振り返ってワキに念を押すような風で左手を差し伸べると、拍子を早めた地謡にのって走り込んで中入となりました。

観世以外の各流はここは来序で中入りし、囃子が狂言来序にかわって間狂言の末社が登場してくるのですが、観世流では小書が付かなくとも中入は走り込み、アイは宗近の身内の者として登場して立ちシャベリになります。今回は小書が付いていますが、この展開は同じです。
一条院が御霊夢を蒙り宗近に剣を打つよう宣旨を下されたことから始まり、クセで謡われた日本武尊と草薙の剣の話をあらためて語ります。その上で、急ぎ壇を飾り用意をしようと言って狂言座に下がると、代わって後見が一畳台を出し正先に据えます。

ノットの囃子でワキが立って台上に上り、幣を取って右膝に立てて謡います。「ひつきの子孫に伝えて今に至れり」までさらさらと謡った後、別に「願わくは」と大ノリで一句、地謡が受けて謡う中、ワキは幣を左手に取り、中腰で左手を差し出し「天に仰ぎ頭を地につけ」と拝礼。体を起こして幣を右手に取ると「謹上再拝」と幣振って祈ります。
ワキが笛座前に下がって肩脱ぎして待つ形になり、乱序が奏されます。

ここは本来は早笛で出るところですがこの小書では乱序となり、装束も常の赤頭に狐ノ戴キから黒頭となり、獅子のように両袖を張って登場して一ノ松まで出て、一度三ノ松まで下がってから再び一ノ松に出て欄干に足をかけての型となります。

その後の舞働、ワキとのやり取りを含めた動きなど、常の型よりも緩急がついて見応えある展開ですが、文字に書き取る力量がなくて残念です。ともかくも宗近と打ち上げた剣を勅使に献上し「また叢雲に飛び乗り」と橋掛りに入って、三ノ松で留となりました。

小鍛冶は割と上演の多い曲ですが、こうした人気のある曲も、演出を変えることでさらに広がりを持たせて行こうという先人の知恵、工夫なのでしょうね。興味深い一番でした。(56分:当日の上演時間を記しておきます)
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清水 茂山千五郎(国立能楽堂企画公演)

大藏流 国立能楽堂 2012.01.28
 シテ 茂山千五郎
  アド 茂山正邦

どちらかというと流儀による差の少ない曲で、基本的な進行は以前に鑑賞記を書いた和泉流野村家の清水と同様です。このブログでは野村家の清水について、万蔵さんがシテを勤められたもの(鑑賞記初日月リンク)と、萬さんがシテを勤められたもの(鑑賞記初日月リンク)とで、二度ほど鑑賞記を書いています。萬さんのときの記録は割合詳しく書いていますので、こちらを合わせて参照戴けると幸いです。

この時との演出上の違いとしては、水を汲んで来いといわれた太郎冠者が今からかと問い直し、七つ下がって清水へ行くと元興寺(ガゴジ:鬼のことらしい)が出るというと言って断るところが、先ず異なっています。野村家のときは次郎冠者に汲んできてもらってくれなどと言いましたが、このやり取りはありませんでした。
七つ下がってというと、午後の四時過ぎということになりますので、この狂言は夕方の出来事というわけですね。

また、鬼の脅しの言葉でも「おのれは憎い奴の 七つ下がって人の来ぬ所へ来たは 定めて武辺立てであろう」とあって、この七つ下がってを受けています。
また野村家では「取って噛もう」と言っていましたが、今回は「いで食らおう」としており、微妙な違いがありました。

全体的な印象として、正邦さん演じる主人の因業さがより強調されているように感じました。それではいささか太郎冠者がかわいそうと思うような雰囲気です。
千五郎さんがより腰を低めて、表向きは下手に出るしかない太郎冠者の苦労を、表現しているようでした。
(25分:当日の上演時間を記しておきます)
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