能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

銕仙会を覗いてきました

昨日3月9日は夕方まで丸の内で会議があり、帰りに銕仙会の3月公演に立ち寄ってきました。
会議の終了時刻からみて一番目の自然居士は無理なのは仕方ないとして、水道橋に着くのは何時頃になるのか、いささか気を揉みつつ雨の中を宝生能楽堂に向かいました。、

能楽堂に着いたのが7時少し過ぎで、モニターを見るとちょうど自然居士の終わり、シテが退場し囃子方や地謡が立とうとするところでしたので、狂言、八句連歌から観ることができました。
狂言の後は5分間の休憩をはさんで銕之丞さんの国栖。

銕仙会は例月、おおよそ第二金曜日の夜に催されるので、地方在住としてはなかなか拝見する機会がありません。今回はたまたま仕事の都合で東京にいましたので帰りに立ち寄りましたが、銕仙会の定期公演は4年ぶりでしょうか。
しかし、相変わらず人気があるようで、宝生能楽堂もほぼ満席でした。

銕仙会の皆さんも、様々な取り組みを続けておられるようで、昨日の番組では自然居士が古式の小書を付けて、古い演出の形を取り入れての上演だったようです。時間の都合がつけば、こちらもぜひ観たかったのですが残念なところ。自然居士に古式という小書は、もともと観世流には存在しませんが、現行の観世流にない演出を行う意味で、仮につけたとのことでした。

国栖は白頭、天地之声の小書付で、これらの小書はまま演じられるものですが、昨日は詞章を一部手直ししての上演でした。後ほど観能記の形で書いておこうと思いますが、子方演じる大海人皇子、観世の現行本では「よしある御方」として名前を出しません。これを古い形に戻して浄見原の天皇とするなど、詞章をもどしています。
なお当日いただいた解説には「戦時中に改変される以前のものにもどして・・・」とありましたが、明治期の観世織部や観世清廉の校訂本でも「よしある御方」となっていますので、江戸時代の改変ではないかと推察します。

それはともかく、子方を引廻しを掛けた舟に隠すなど、能としては珍しい具体的な演出もある独特の曲で、なかなかに面白い一番でした。
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このところの能楽鑑賞

昨日は、9日金曜日に銕仙会を覗いてきた話を書きました。
先月は18日土曜日に九皐会若竹能で、中所さんの俊寛を観てきた話を書き、その後ブログの更新を休んでいましたが、実はその間に2月26日の「神遊」15周年記念公演を観ています。

神遊は笛方の一噌隆之さんを代表に、大鼓の柿原弘和さん、太鼓の観世元伯さん、シテ方観世喜正さん、そして小鼓方観世新九郎さんの五人によるグループで、能楽を次代に伝承していくための普及活動を展開しています。今回の15周年記念公演は「言霊―能における語り」と題されていて、能における「語り」をめぐって特に有名なものを取り上げたテーマ性のあるプログラムでした。

最初に能「木曽」を願書の小書付で喜正さんが演じ、続いて喜之さんの独吟で「起請文」。銕之丞さんと柿原崇志さんで「勧進帳」の一調。
万作さんが登場して「奈須与市語」を演じ、最後は喜正さんのシテで「船弁慶」こちらは重キ前後之替、船中之語、早装束、舟唄とシテ方、ワキ方、狂言方それぞれに小書が付いての上演です。

テーマを持って番組を組み立てるという試みで、私としては大変楽しめたところです。
特に船弁慶は、芸術性の高い能を求める視点から見れば、必ずしも名曲とは言えないかも知れませんが、観て楽しめる曲ですし愛される曲と思います。
以前、何度か取り上げたことのある大角征矢さんの観世流演能統計でみると、昭和25年から平成11年の50年間に観世流では1287回上演され、これは羽衣、葵上に続いて3位の記録です。
この日は四つの小書が付きましたが、もともと小書の種類も多く、それだけ昔から愛され数多く上演されてきたことの証しでもあろうと思います。

「奈須与市語」は萬斎さんの演技について、以前このブログでも書きましたが、万作さんの演技は円熟味と言ったらよいか、萬斎さんとはまた違った意味で、素晴らしい舞台と感じました。

昨年来、なんとなく毎日何かに追われるようで、ブログの更新も滞りがちですが、このあと、若竹能の俊寛や、この神遊の番組、そして一昨日の銕之丞さんの國栖など、鑑賞記の形で残しておきたいと思っています。
いささか時間はかかりそうですが、書くことを楽しめるように、心がけていきたいと思っています。

春藤流

昨日、久しぶりにブログにコメントをいただきました。
廃絶したワキ方の流儀である春藤流を宮城県で伝えておられる春藤流保存会「鉢の木会」の三神貞夫さんのコメントです。(コメントのリンク
これまでも何度かコメントをいただきましたが、三神さん達の活動が「伝統文化を映像化による保存事業」の対象となり、ブルーレイに保存されることになったのだそうです。
廃絶した流儀が、こうした形で保存されていること、本当に嬉しく思います。

実はこの記事を書こうとしてちょっと驚いたことが・・・
私、以前から日本語入力にATOKを使っています。今回のバージョンアップでATOKも30周年になりました。毎回バージョンアップにお付き合いしているわけでは無いのですが、今回は辞書もバージョンアップされたことでもあり、思い切ってオールインワンパックを奮発しました。
このパックは広辞苑や大辞林など12の辞書・辞典がセットされていて、文字変換の際に表示されるのですが、「しゅんどうりゅう」と入力して変換しようとしたところ、大辞林に収録されている内容が表示されました。

その記述に「能楽のワキ方の一流。現在は廃絶。下掛(しもがかり)宝生流の鏑木(かぶらぎ)家はもとその芸系。初世春藤六郎次郎が金春 (こんぱる)源七郎に学んでからシテ方金春流の座付きであった。」とありました。へえ、こんなことまで書いてあるんだと、正直ビックリしたところです。

さて三神さんの話にもどって、本日17日は、その鏑木岑男さんの弟子である安田登さんが、鉢の木会の方々とお話をされるそうです。安田さんご自身、春藤流の資料を集めておられたようですし、さらに広がりが出てくるかも知れませんね。

ところでその三神さんですが、伊達安芸涌谷領に住んでおられるとのこと。遠田郡涌谷町ですよね。登米の南、石巻も近くだったと思うのですが、震災の被害はいかがだったのでしょうか。「伊達騒動に名が残る伊達安芸」と書いていただきながら、うっかりしていたのですが、例の伽羅先代萩の伊達騒動に出てくる涌谷伊達氏の伊達宗重公のことですね。
この涌谷町の北は、合併して登米市になっていますが、かつて登米郡があり登米町などいくつかの町がありました。一度だけかつての登米町を訪ねたことがありますが、郡の名前は「とめぐん」で町の名前は「とよままち」と読むのが不思議でした。登米市は「とめし」で「とよま」の読みがなくなってしまったのはちょっと残念です。
この登米市には三神さんが書かれている「金春大蔵流」が伝えられています。もちろん狂言の大藏流ではなくシテ方の流儀です。

三神さんをはじめ「鉢の木会」の皆さんの活動が、よりいっそう充実したものとなりますようお祈りしています。
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俊寛 中所宜夫(若竹能)

観世流 矢来能楽堂 2012.02.18
 シテ 中所宜夫
  ツレ 坂真太郎、桑田貴志
  ワキ 殿田謙吉
  アイ 高野和憲
   大鼓 柿原崇志、小鼓 曾和正博
   笛 一噌隆之

俊寛は、5年ほど前に宝生流小倉敏克さんのシテで拝見した際に、鑑賞記を書きました。(鑑賞記初日月リンク)その際も書いたように、この曲には弱い・・・というか、ある意味たいへん好きな一曲です。

この日解説をされた元NHKアナウンサーの葛西聖司さんが「見ている方が俊寛の悲劇を追体験する」といった趣旨の話をされました。
平家物語に書かれた俊寛をめぐるあらましは以前のブログにも書きましたが、平家を滅ぼす陰謀に加わったとして鬼界島に流された法勝寺の執行俊寛、丹波の少将成経、平判官康頼の三人のうち、成経と康頼は中宮徳子の懐妊により赦免され、俊寛一人が島に残されてしまった顛末です。
この俊寛の話自体は、古来、能を観るような人たちであれば、ほとんどが知っていたのでしょう。そのためなのか、能では物語の前提の部分はバッサリ切り捨てられて、いきなりワキが登場して成経、康頼の二人を赦免する使と名乗り、続いてツレ成経、康頼が登場して島の景色となります。

やがて登場してきた俊寛と二人のやり取りの後、ワキがあらためて三人に声をかけて、赦免の使いであることを明かします。しかしワキの持ってきた赦免状に俊寛の名は無く、悲嘆にくれ、船に取りすがろうとする俊寛を残して一行は島を去り、俊寛が一人残される形で留となります。

物語の極々短い部分を切り取って、かつ抑制された演技で構成されるこの能は、能らしい抽象化の故に、観客が想像力を膨らませる余地が大変大きい一曲です。写実性が抑えられた分だけ、観客にとっては、例えばテレビや映画のように俊寛の有り様を客観的に眺めるというよりも、むしろ俊寛の物語を自らの想像力で膨らませ体験するような見方になるのでしょう。
自分が一人取り残されたらどうだろう、という想像から、さらに俊寛の苦しみ、悲しみ自体を葛西さんのいうように「追体験」することになっていきそうです。
私が、ずっと以前からこの曲にある意味「弱い」理由が、なんだか分かったような気がしました。

中所さんは、この日が俊寛の初演ということですが、能の場合、初演といってもそれ迄の間に謡は数え切れないほど謡い込んできているでしょうし、先輩などの舞台も数多く見てきていることでしょう。自分ならどう演じるのか、様々に思いをめぐらせてきたことと想像します。そうした長年の思いを、ようやく形にすることが出来る時期が来て披キとなるわけで、まさにそうした「時期」を感じさせる密度の濃い舞台でした。

今回のブログでは、型など細かいことは記載しておりません。当日もメモを取ることもせず、ひたすら舞台に集中させていただきました。よい能を観た満足感を感じています。
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若竹能の仕舞

一昨日、中所さんの俊寛について書きましたが、今回の若竹能は、私が観に行った2月18日が第一日で「序の巻」として能「俊寛」と仕舞。第二日の2月19日が「破の巻」で能「通盛」と仕舞。そして第三日は7月22日に「急の巻」ということで、狂言語の「那須」と能「碇潜」という番組になっています。
能で綴る平家物語ということで、第一日が平家台頭、第二日が平家流転、そして第三日は平家滅亡と副題があり、物語の展開を能でたどるというなかなか素敵な番組です。

そんなわけで、仕舞もすべて平家物語にちなんだもの。第一日の仕舞は次の通りです。
頼政 駒瀬直也
仏原 中森貫太
熊野 観世喜之
鵺  長山桂三
実盛 奥川恒治
巴  観世喜正
兼平 小島英明
いや、ホントに平家物語にちなんだ曲って沢山ありますね。ついつい平家物語の能というと、平家の公達がシテとなる修羅物ばかりを考えてしまいますが、仏原や熊野のように女性がシテの曲も少なくないし、また鵺のように平家物語に書かれた奇譚もあるわけです。
なかなか面白い試みだったというのが印象です。

仕舞では、長山桂三さんの鵺が特に印象的でした。いつぞや、テレビで友枝昭世さんが鵺を取り上げて、鵺の悲しみといった視点から話をされていましたが、その時の話をふと思い出しました。
闇の世界に漂う鵺の悲しみのようなものが、迫ってくる感じのする仕舞でした。
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木曽 観世喜正(神遊)

木曽 観世喜正(神遊)
   願書 恐之舞
観世流 国立能楽堂 2012.02.26
 シテ 観世喜正
  ツレ池田 馬野正基
  ツレ 小島英明 桑田貴志 坂真太郎 安藤貴康 長山桂三
  ツレ義仲 観世敦夫
   大鼓 柿原弘和、小鼓 観世新九郎
   笛 一噌隆之

木曽義仲をめぐる能の一曲ですが、この曲は観世流のみが現行曲としています。以前にも書きましたが、この曲の一部、シテ覚明が木曽義仲の願書を読み上げる部分は、安宅の勧進帳、正尊の起請文とともに、観世流では三読み物として尊重されています。このためか上演も、「多い」ほどではないものの、観世流の上演曲としては中の下といったところ。観世会でも数年に一度ほどの割合で秋の別会の演目となっています。
もっとも、宝生流でも能自体は古くから廃曲の扱いになってしまっているものの「願書」の謡のみは残されていて、三読物という言い方も宝生流に残っているようです。また粟谷能の会の記事には、喜多流も宗家にだけは願書部分だけがあると書かれています。

ともかくも、三読み物の能、安宅、正尊、そしてこの木曽は、それぞれ勧進帳、起請文、そして願書が見せ所・聞かせ所となるわけですが、観世流では小書が付かない場合はこの部分が省略されるか連吟になるのが本来の形と聞いています。・・・「聞いています」というのは、小書が付かない形を見たことが無いからでして、こんな大事な部分がシテの独吟でなくなるという演出は考えられないからでしょうね。

さて舞台には、義仲一行の八名が一声の囃子で登場してきます。
義仲の敦夫さんが先頭に立ち、シテ覚明の喜正さん、池田の馬野さんはじめ、皆さんが舞台に進んで向かい合って一セイの謡です。謡に続いて義仲が名乗りサシ謡から、シテを含む立ち衆と、義仲の掛け合いの謡が続きます。
敦夫さんを舞台で見かけるのは久しぶりのせいか、随分大きくなられたなあというのうが第一印象です。6年ほど前に鷺を舞われた頃を思い起こすと別人のようですが、しっかりした舞台姿に日頃の稽古が想像されるところです。

立ち衆の上歌で一行が埴生に陣を取ったと謡われて、ワキ座から大鼓前あたりまでに一同が着座します。
さてこのつづきはまた明日に
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木曽の続き

一同が着座すると池田役の馬野さんが進み出て、正中で詞となります。
義仲の軍が白旗を多数立てたために、平家が取り籠められては大変と砺波山の山中に陣を取ったという報告です。これを聞いて義仲は、今夜にも押し寄せようと池田に命じます。

さて義仲は、北の山中に社が見えるが如何なる神かと池田に問いかけます。池田が埴生の八幡宮であるとこと答え、義仲は特に考えずに陣取りをしたところが偶々八幡の地であったとは吉兆だと喜んで、覚明を呼びます。
八幡神は言わずと知れた源氏の氏神ですから、吉兆という義仲の詞は当然のもの。

さて進み出たシテ覚明に対し、義仲が願書を奉納しようと思うが如何にと問い、覚明が「然るべう候」と答えると、義仲は願書を書くようにと覚明に命じます。
シテは直垂上下に袈裟頭巾で頭を包み、立ち上がって一度後見座に向かいます。ここで文を受け取ると角に出て座し、文を広げて地謡に合わせ願書を書く形となります。

願書を書き終えた風で「御前に於いて讀み上ぐる」の地謡に続き「南無帰命頂禮八幡大菩薩は 日城朝廷の本主 累世名君の曩祖たり」と願書を謡い出します。難しい言葉が連ねられたものですが、これを堂々と謡いつつ、願書を読み上げるさまで徐々に文の目を通すところを動かしていきます。
最後は「壽永二年五月日と 高らかに讀み上げたり」と謡いつつ、両手に広げた願書を持ち上げて捧げる形にし、地謡のうちに畳んで義仲に向き直ります。義仲は背から矢を一本取ってシテに差し出し、シテが義仲に寄ってこれを受け取り左手に持って立ち上がります。「内陣に納めよ」という地謡に合わせ、シテは願書と矢を後見に渡して正中に立ち、願書と上差の鏑を奉納したことを告げます。

義仲が覚明に酌をを求め、さらに一差し舞うようにと所望します。
シテがこれを受けて、両袖の褄を取って立ち答拝して男舞です。今回は恐之舞の小書が付いており、ワキ座の義仲を憚るような形で舞が進行します。
舞上げると、地謡が謡う八幡の霊験、山鳩が味方の旗手に飛び翔り八幡神納受の證とみえたことに、一同が両手を突いて伏し義仲が合掌。
シテは立って留拍子を踏むと正中に出て義仲に向かい、両手を突いて拝し、義仲が立ち上がって進むと、シテ以下が続いて退場しました。

この曲では小書が付くと直垂上下の装束にすることが多いようですが、法被・半切が本来の形のように思われます。
喜正さんは堂々たる演技で覚明を演じられましたが、さて能となると、この曲はなんともとらえどころが難しいところで、願書と舞はあるものの、今一つ構成が盛り上がりません。覚明の人物像も見えないし、観世以外の流儀が現行曲としていないのも納得いく感じがしました。
(43分:当日の上演時間を記しておきます)
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喜多流自主公演能を観に行く

本日は喜多流職分会の自主公演能を観て参りました
いつもの通り、能三番に狂言一番の番組ですが、本日は諸般の事情がありまして、最初の「清経」をパス。狂言「鐘の音」の途中で能楽堂に着いたのですが、途中で見所に入るのは遠慮しモニター鑑賞。能の二曲目から見所に入りました。

拝見したのは、笠井陸さんのシテで「籠太鼓」と友枝昭世さんのシテで「国栖」。それと佐々木宗生さんの「雲林院」の仕舞がありました。
友枝先生のお出になる自主公演は満席になってしまうのが常で、本日も二階席まで満席でした。
もともと途中入場の予定だったため、事前に指定席を取っておいたのですが、指定席発売日当日の11時過ぎには、既に脇正面しか空いておりませんでした。相変わらずの人気であります。

先日の銕之丞さんの国栖も、まだ鑑賞記を書いておりませんで、本日の鑑賞記もいずれそのうちと言うことになりますが、流儀の違い、小書の有無などもあり、興味深く拝見したところです。

ところで狂言「鐘の音」。以前にも書きましたが、和泉流は太郎冠者と主人の二人のみの登場ですが、大藏流では太郎冠者と主人に加え仲裁人が登場します。モニターで見ていましたら、仲裁人は遠藤博義さんでした。
山本家の「鐘の音」の鑑賞記も既に書きましたが、叱り留めになっていて、野村家の「鐘の音」などとは、随分違った印象になります。

能二番の鑑賞記は、銕仙会の鑑賞記の後に・・・

船弁慶 観世喜正(神遊)

船弁慶 観世喜正
   重キ前後之替 船中之語 早装束 舟唄
観世流 国立能楽堂 2012.02.26
 シテ 観世喜正
  子方 奥川恒成
  ワキ 宝生閑
  アイ 野村萬斎
   大鼓 柿原弘和、小鼓 観世新九郎
   太鼓 観世元伯、笛 一噌隆之

この日二曲目の能は船弁慶。重キ前後之替、早装束の小書は、銕之丞さんが二年以上前に演じられた際に鑑賞記を書いています。(鑑賞記初日月リンク
今回はさらにワキ方の小書「船中之語」と狂言方の小書「舟唄」がついて、小書満載のような(萬斎さんのアイだからというわけでもありますまいが・・・)上演となりました。
舞台は常の形と同様、まず子方義経、ワキの弁慶、ワキツレ郎党二名が次第で登場し、次第謡からワキの詞、サシ、下歌、上歌と続いて「大物の浦に着きにけり」となります。

ここで通常はワキが大物浦の知人であるアイを呼び出し、宿を借りるやり取りがあります。
しかしこの日は「まずこうこう御座候」の台詞で、ワキツレがワキ座方に着座し、ワキは一度後見座あたりまで下がり、さらに正中に出ると両手を突いて子方に向き「いかに申し上げ候」となりました。

ここのアイとのやり取りは余計と言えば余計なのですが、これがあると後々船を用意するよう命じるところのおさまりが良い感じがします。銕之丞さんの重キ前後之替の時はアイとのやり取りがありましたが、金剛の白波之伝の時はこの部分が省略されていました。小書のためか、シテの考えなのか、興味深いところではあります。

さて、子方とのやり取りの後、ワキは立ち上がって橋掛りへ進み、一ノ松あたりから前シテ静を呼び出してのやり取りとなります。
このつづきはまた明日に
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船弁慶のつづき

ワキ弁慶の呼び掛けに、シテが登場してワキとのやり取りとなります。
型通りに、シテ静が義経の本意を自ら問いたいと言い、二人は舞台に入ります。ワキが先ず正中に出て両手突き静の来訪を義経に奏上し、立ち上がって笛座前に下がります。
シテは常座から正中に出て下居、義経との問答になります。

これまた型通りに、静が思い違いを詫びる態となり、子方義経が弁慶に対し、静に酒を勧めるようにと命じます。弁慶は立ち上がると進み出て扇広げて酒を注ぐ形。
シオるシテに、ワキが言葉をかけ一差し舞うようにと勧めます。
シテが立ち上がり、ワキから烏帽子を受け取って物着。物着アシライのうちに烏帽子に加え紫の長絹も着けて立ち上がり「立ち舞うべくもあらぬ身の」と謡い出し、大小前で左右。地謡が「袖打ち振るも恥ずかしや」と謡って、シテのサシ「伝え聞く陶朱公は勾賎を伴い」から、地謡、クセへと続いていきます。
重キ前後之替の小書のためイロヱが省略されます。

ここの物着は烏帽子だけを着ける形が普通ですが、長絹を着けることもある・・・といったところでしょうか。このブログで取り上げた過去数回の船弁慶はすべて烏帽子のみの物着でした。
私は正直のところ、長絹を着ける形の方が好みです。唐織着流しに烏帽子だけ着けるという形が、なんだかしっくりこないのですねぇ・・・

とにもかくにもクセの謡い舞いとなりまして、私の好きな部分。
最後は大小前の左右から子方を向き、袖を直して、地謡の「唯たのめ」の謡から盤渉序ノ舞となりました。繰り返しになりますが、観世流は本来ここで中ノ舞を舞うところ、小書のため盤渉序ノ舞となります。

初段の足拍子の後すぐに橋掛りに入り、一ノ松と二ノ松の間あたりで振り返ると下居。遠く義経を見る形でシオリ、立ち上がると笛が盤渉調になります。
その後、再び舞台に戻って舞が続きますが、このつづきはまた明日に
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船弁慶さらにつづき

序ノ舞を舞上げるとシテのワカ「唯頼め 標茅が原の さしも草」
この間にアイ萬斎さんが登場してきて狂言座に控えます。格子柄の小袖に肩衣を着け狂言袴を穿いています。

地謡とシテが交互に謡う形になり、シテは地謡の「はや纜をとくとくと」で立って正中から橋掛りを見て抱え扇。「勧め申せば判官も 旅の宿りを出で給えば」と子方も立って出立の風。シテ「静は泣く泣く」地謡「烏帽子直垂脱ぎ捨てて・・・」と中入前の別れの場面が謡われます。そうそう「烏帽子直垂脱ぎ」とあるところからも、長絹まで着けた方がしっくりする感じがするのですが・・・
ともかくも送り笛に背を押されるようにシテの中入です。

ここでアイが立ち、弁慶とのやり取りとなります。「最前申しつけたる船を・・・云々」と、ワキは既に船の手配を申しつけていた様子。冒頭のワキ、アイのやり取りがあれば、この詞もおさまりが良いのですが、この日のように冒頭部分を欠くと少々分かりにくい感じがします。

ともかくも、アイがいったん狂言座に下がり、ワキ・ワキツレのやり取りの後、いよいよ船を出そうということになります。ワキが「立ち騒ぎつつ舟子ども」と謡い、地謡「えいやえいやと夕汐に」で、アイが船を取りに走ります。早装束の小書付のため、肩衣に狂言袴の形から、柿色の羽織に浅黄の括り袴、頭巾まで着けて船を持って走り出ます。分かっていても本当に早い。初めて見るとホントに驚きますよね。

さて一同が船に乗り出発となりますが、このつづき、もう一日明日に
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船弁慶またつづき

この日は船中之語の小書が付いているため、アイの萬斎さんがワキ弁慶の閑さんに戦の様子を語ってくれるように求め、これに答えてワキが一ノ谷の戦いの様子を語ります。
さらに続いて、ワキがアイに唄を歌うようにと求め、狂言の楽と思われる囃子が入ってから、アイが歌います。こちらは狂言方の小書で舟唄。
いずれも私は初めてでしたが、それぞれに聞かせ所。
書き取れるとよかったのですが、さすがに無理。舟唄の方は「やらめでたや やらめでたや」と謡い出し「波風静かに漕ぎ寄する」と長閑に歌う様子でした。

通常はアイが船を漕ぎ出した後、ワキが「風が変わった」と口にすると、ワキツレの一人が「船に妖怪(アヤカシ)が憑いた」と言って怯える様子を示しますが、このワキツレのやり取りはありませんでした。
少し端折らないと、あまりに長大になってしまうからかも知れません。
喜多流の粟谷明生さんが書いておられるところでは、伯父様にあたる故粟谷新太郎さんのシテで真之伝・浪間之拍子・船中之語・早装束・舟歌と小書満載の船弁慶を演じた際、なんと二時間二十分かかったそうです。それはさすがに観ている方も大変だったでしょうね。

とまれ、この日はワキツレの台詞はなくワキの台詞となり、海上に平家の一門が浮かび出た様が謡われると、子方が弁慶を呼んで今更驚くなと謡い、地謡に。
「主上を始め奉り一門の月卿雲霞の如く」の謡に、幕が巻き上げられてシテが出ると幕が静かに下ろされます。

シテはいわゆる白式の形で、白基調の装束になります。幕前に立ったまま「そもそもこれは 桓武天皇九代の後胤 平の知盛幽霊なり」と謡い、詞の後の地謡で一度幕内に下がります。ここからあらためて早笛の囃子にのって走り出て舞台に進み、舞働へと進んで行きます。
波を蹴る足、流足など、技巧を凝らした舞事の末に、子方義経と手合わせ。弁慶の祈りに追われて、橋掛りから幕に入り、弁慶が進み出て留となる形です。
やっぱり船弁慶は面白い、とまたまた思った一番でした。
(99分:当日の上演時間を記しておきます)
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神遊 その他

今回の神遊の公演では、能二番に加え、以下の出し物がありました。

独吟 起請文 観世喜之
一調 勧進帳 観世銕之丞 柿原崇志
奈須与市語 野村万作

要は観世流で言う「三読み物」を、能と独吟と一調で、という趣向で、起請文は喜正さんの父上である三世観世喜之さん。勧進帳を銕之丞さんが謡われました。
さらに狂言方の語り物の白眉とも言える「奈須与市語(大藏では那須語)」を万作さんが演じたところです。

喜之さんの起請文は優しい感じを受けましたが、勧進帳は銕之丞さんらしい力のある謡で、まさに「天もひびけと讀み上げたり」でした。

また万作さんの語りは、しみじみと上手さを感じました。
萬斎さんの奈須語は何度か観ているのですが、万作さんの奈須与市語を生で見たのは初めて。かなり以前に録画されたビデオを見たことはあるのですが、それとはまたひと味もふた味も違い、年齢を重ねられた今だからこそ拝見できる演技だったと感じています。

一日の番組の構成として、なかなか面白い企画だとあらためて思った次第です。
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六年を想う

このブログを開設したのは6年前、平成18年の6月です。ただしこのブログの記事はそれより3ヶ月ほど早い18年の3月5日から始まっています。以前にも書いたことがありますが、3月5日に「能楽にまつわるブログ」を書いてみようと思い立ち、別なサイトで書き始めたのですが、諸般の事情から3ヶ月ほどで、このFC2に引っ越してきたという次第です。

その際に、3月からの記事も移設したため、ブログ開設前の記事があるという、そんな具合になっています。

それにつけても6年というのは、自分でもちょっと驚きです。けっこう長いこと書いてきました。
それでも鑑賞記を書いた曲は能で170曲ほどですから、現行曲を網羅するにはまだまだ遠い道のりです。この先は稀曲と言われるような曲も少なからずあって、果たして現行曲すべての鑑賞記を書けるのかどうか分かりませんが、少しずつも観て、書いていきたいと思っています。

またこの間に、観世流関根祥人さんをはじめ、素晴らしい演者が世を去りました。思い起こすと寂しい限りですが、その活躍の一端を観能記の形で残すことができたことは、私自身にとって意味あることと感じています。

昨年来、ブログ更新も途切れがちにはなっていますが、無理のない程度に書いていければと思います。6年目の3月を終えるにあたって、ひと言書いておこうと思った次第です。
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頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

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