能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

八句連歌 山本東次郎(銕仙会定期公演)

大藏流 宝生能楽堂 2012.03.09
 シテ 山本東次郎
  アド 山本則俊

出張帰りに観た銕仙会ですが、仕事の都合で一番目の自然居士には間に合わず、狂言からの鑑賞となりました。

私、以前にも書いた記憶があるのですが、狂言のうち「連歌もの」は正直のところ今一つ楽しめておりません。なんといっても和歌に疎いので、連歌をタネにした曲だと何が面白いのか良く分からないからです。原典を知らなければ、パロディを本当に楽しむことは出来ないと思うのですね。
しかもこの曲は、連歌の中身そのものを話題にして進行する部分があり、連歌を聞き取れないと面白さが分からない感じです。

ともかくも、舞台にはアド貸主の山本則俊さんが長上下で登場し、貸した金を「算用させる」すなわち返してもらおうと借主を訪ねることにします。
舞台を廻って借主の家に着いた形になり、作り声をして案内を乞おうとワキ座あたりから声をかけます。これに対して、シテ借主の東次郎さんは「隣の者だ」と居留守を使い、アドが立ち去るとそっと裏口から逃げ出します。
ところがアドと家の外で出くわしてしまい、アド貸主の家に連れて行かれてしまいます。
ここのやり取り、大藏流でも家によっては、アドが居留守に気付いたという設定もあるようですが、この日は居留守とは気付なかった演出でした。

アドはシテを伴って舞台を廻り、アドの家に着いた態。アドは早速「算用さしめ」と借金の返済を迫ります。しかし金のないシテは家の中を見回し、普請されたようだと家を褒めます。さらに、お床の懐紙はどなたの手跡でござるかと問い、アドが「かな法師の手跡」であると答えると、手筋を褒めます。
なんとか褒めて返済から話をそらそうとしますが、アドには直ぐに「算用さしめ」と言われてしまいます。しかしそうこうするうちに、アドがシテに「連歌をする」と聞いたので二人で表八句をしようと誘い、二人で連歌をすることになります。
さてこのつづきはまた明日に
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八句連歌のつづき

どちらが発句を、という話になりますが、アドが「客発句に脇亭主という」と、借主に発句を求め、シテが「花盛り 御免あれかし 末の風」と発句を読みます。

貸主は、花盛りまでは良いが「御免」が心にかかると言います。借財を免除する意味に掛けているのだろうと思いますが、ともかくそう言いつつも、アドは「桜になせや雨の浮雲」と脇を付けます。
今度はシテが「なせや」が気に掛かると言いますが、次の句「いくたびも霞に詫びん月の暮」と詠い、貸主「恋責めかくる入相の鐘」、借主「鶏もせめて別れは延べて鳴け」と続けていきます。
この次に貸主の詠んだ脇があるのですが書き漏らしました。その後は借主が「名の立つに使いなつけそ忍び妻」と詠みます。

これにアドは、名が立つほど使いを付けたことがあるかと怒ります。冒頭のあたりで返済の求めに使いを寄越したというやり取りがあり、これを踏まえての台詞ですが、シテは「使いな告げそ忍び妻」だと説明し、この気転にアドはシテを褒めます。
そして「あまり慕へば文をこそやれ」と付けて、懐から借金の証文と思われる紙を取り出してシテの前に投げます。

借主のシテは、有難いけれども受け取れないと借状を返そうとし、アドとの押し問答になりますが、アドがそれではと借状を懐に入れようとすると、あわててアドを止め文を受け取ります。
アドは連歌をしたくとも相手がいないので、これから度々来て連歌の相手をしてくれと言い、シテはこれまで訪ねてこられなかったのは借状のためなので、これさえなければ喜んで参りますと答えます。

アドが退場してしまうと、一人残ったシテは正中で下居。「夢の覚めたようなことじゃ」と言い、これも日頃連歌を好くによって天神のご納受あったものであろうと喜び、「やさしの人の心や いつ馴れぬ花の姿の 色あらはれて この人の 借り物をゆるさるる たぐひなの人の心や」と謡い、借状を破り捨てて留となりました。

「桜になせや・・・」から「・・・文をこそやれ」までの八句、なんとか書き取ったものの、連歌としての面白さを理解するにはとても至りませんでした。とは言え、借金をめぐる人の心の動きなど、いかにも狂言らしい演出になかなか面白い曲と思った次第です。
(28分:当日の上演時間を記しておきます)
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国栖 観世銕之丞(銕仙会定期公演)

国栖 観世銕之丞
 白頭 天地之声
観世流 宝生能楽堂 2012.03.09
 シテ 観世銕之丞
  前ツレ 清水寛二、後ツレ 観世敦夫
  子方 長山凜三
  ワキ 森常好
  アイ 山本則重、山本則秀
   大鼓 柿原弘和、小鼓 曾和正博
   太鼓 観世元伯、笛 藤田貴

国栖はこのブログ初登場の曲です。大友皇子に追われて天武天皇が吉野の山中に逃れ、国栖の地で老夫婦に出会い助けられるのが前場。後場では天女、蔵王権現が姿を現し、天武天皇の御代を寿ぐという展開になっています。

この曲はなぜか観世流のみ、浄見原天皇すなわち天武天皇や、大友皇子の名を伏せています。天皇は「やごとなき御方」あるいは「よしある御方」などとされ、大友皇子は「御伯父なにがしの連」などとされています。
この日は特別に、古い詞章の形、他流と同じ浄見原天皇、大友皇子の名を出す形で演じられました。銕仙会のリーフレットには「戦時中に改変される以前のものにもどして」とありましたが、明治43年観世清廉訂の観世流謡本など、明治期の本でも「やごとな記御かた」などと表記されていますので、もっと古い時代に名を伏せられたのだろうと思います。

また上に記載のとおり、現行の観世流の本では大友皇子を「御伯父」と書き、他流でも大友皇子を浄見原天皇の伯父としていますが、日本史の授業を思い出して頂ければお分かりの通り、まったく逆の話で、天武天皇は大友皇子の父である天智天皇の弟ですから、天武天皇の方が叔父にあたります。壬申の乱の話ですが、この辺りの整理は不思議なところです。(もっとも天武天皇が天智天皇と本当に兄弟だったのかどうか疑問という説もありますが・・・)
また大友皇子は現在では弘文天皇と諡号され、日本史の授業でもそう習った記憶があります。しかしこの諡号は明治になってから追号されたもので、天皇として認められるようになったのも明治初年のこと。少なくとも江戸時代までは天皇とはされていませんでした。
なお、多くの謡本では「清見原天皇」と表記していますが、この項では、より一般的な「浄見原」の表記を用いました。天武天皇を祀る吉野の浄見原神社もこちらの表記です。飛鳥浄御原宮の表記がまた微妙に異なるのは気になるところですが・・・

さて舞台の展開は明日からということで・・・
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国栖のつづき

まずは一声の囃子で子方を先頭に、ワキツレの輿舁2名が後ろから輿を差し掛け、ワキがその後ろについての登場です。
大口に単衣狩衣、初冠の子方が浄見原天皇ということで、正先まで進みます。ワキはやや常座寄りに控える形で一セイの謡。ワキのサシ「神風や五十鈴の古き・・・」で輿舁が下居。ワキ、ワキツレの同吟となり、下歌で輿舁が立って上歌と謡い続けます。

ワキの着きゼリフで子方がワキ座で床几に腰を下ろし、ワキが地謡前に座し、ワキツレは退場します。後見が引廻しでくるんだ舟を出してきて、橋掛り一ノ松あたりに据えます。大小アシライのうちに、無紅唐織に縷の水衣、肩に竿を担ったツレ姥が先に立ち、無地熨斗目に絓水衣(シケの水衣 シケは糸偏に圭)を肩上げにしたシテ漁翁が登場してきます。舟のところに至って後見がシテに棹を渡し、二人は船に乗り込みます。

シテが「姥や見給へ」と声をかけ、二人は自分たちの家に、天使の御座所に立つという紫雲がたなびいていることに気付きます。シテは「舟さしよせて」と舟漕ぐ形。
地謡が二人の謡いにつづき、その「釣り竿をさしおきて」でシテは棹を後見に渡し、二人とも舟を下りて舞台に向かい、ツレが常座からワキ正へと進み、シテは常座から正中へと進みます。
地謡の謡いっぱいに二人は下居、子方とワキに向き合う形になります。この間に舟は後見が狂言座に立てかけてしまいます。

シテがどうしたのかと問いかけると、ワキは浄見原の天皇が大友皇子に襲われて、これまで逃げ延びてこられたのだと答えます。さらに「二三日がほど御供御を近づけ給は」ないので、「何にても御供御にそなへ」るようにと頼みます。何も召し上がっていないので食べる物を出してほしいと、そういうことですね。

シテは姥に何か奉るようにと言い、姥が根芹があるというと、それと自分の捕った国栖魚があるのでこれを奉ろうとって、扇を取り出して広げます。シテは、国栖魚、根芹を奉る態で扇を両手に捧げ、ワキに寄ると、ワキの広げた扇に捧げ持ったものを注ぎ込むような形から扇を被せてすべてを移し替えた様子となります。国栖魚は鮎のことですね。
ワキは立って、これを子方に捧げ「これにはいかで勝るべき間近く参れ老人よ」の地謡で正中に下がったシテに向き合う形で下居します。
さてこのつづきはまた明日に
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国栖さらにつづき

ワキは、供御として捧げられた国栖魚の残りを尉に下さるると告げつつ、立ってシテに寄り、シテの扇に注ぎ込むようにして下がります。
シテは姥に魚を見せるように扇を見せ、この魚はまだ生きているように見えると言います。そして吉野川に放してみようと言って川を見る形です。

ツレは放したからといって生き返るものかと諫めますが、シテは神功皇后が鮎を放させた故事を語りつつ、魚を見る形から面を上げ、地謡で立って正先へ出ると扇を伏せて川に鮎を放った態とし、一度下がってから舞台を一廻りします。

早鼓の手がゆっくりと打たれる中、ワキが「あら笑止や 追っ手が掛りて候」と事態の急を告げ、シテは自分に任せるようにと言うと、狂言座に立てかけた舟を取りに行きツレと二人で地謡前に持ってきます。子方が舟の後ろに隠れ、二人が子方の上から舟を裏返しにして被せる形。シテ、ツレが舟の前に立つと、早鼓のテンポが速まり、アイ二人が登場してきます。

アイの一人は槍を構え、一人は弓を引く形で登場すると舞台を廻ろうとして、シテ老翁、ツレ姥に気付きます。
この曲、布を掛け回した舟に子方を隠したり、追っ手のアイとシテが言い合ったり等、他の曲に無いような展開になっています。この場面も、手に汗握る・・・とまでは言いませんが、通常「能」に対してもつイメージよりも随分と劇的な構成が強い感じです。いつ頃出来上がった能なのか、興味深いところですが、残念ながら詳しいことは分かりません。いずれにしても、世阿弥の手になる一連の能とは、かなり雰囲気を異にする曲ではあります。

さてアイの二人は浄見原の天皇を追っているのだが知らないか、とシテに問います。シテは「何、清み祓え」とわざと聞き違え、清み祓ならこの川下へ行けととぼけます。アイの二人は、老いぼれている様子なのでもっと大きな声で言ってみようと、声を大きくして聞き直します。
シテは、浄見原とは人の名か、と気付いた様子になりますが、とは言えこの吉野山は隠れ家多い広大な場所であり、いったいどこまで探すつもりか、早く帰った方が良いと諭します。
さてこのつづきはまた明日に
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国栖さらにさらにつづき

アイの二人はシテの詞に納得し、帰ろうかという話になって舞台を廻りますが、ここで舟に気付いた態になり、舟が怪しいとシテに告げます。
シテは、乾してある舟だと言いますが、アイの二人は合点がいかぬので舟を捜したいと言います。シテは腹を立てた風で、漁夫には家も舟も同じで、そこを捜すというのは狼藉であると、子々孫々や山々谷々の人々に狼藉人を打ち留めよと声を上げます。

アイがシテの勢いにおそれをなして引き上げると、シテ・ツレは舟を返して子方を起こし、舟をシテ柱に立てかけます。最前から鏡板にクツロイでいたワキが立ち上がって地謡前に着座し、地謡のクリ。シテは正中で下居し、肩上げを下ろします。ワキの謡から地謡につづき、子方の謡を挟んで、地の上歌で「忝さに泣き居たり」とシテは左手を上げ、ツレは右手を使っての片シオリ。続く短いクセの「ところは月雪の 三吉野なれや」でシテは立ち上がり、ゆっくりと常座向いて歩み出し、一度正面に向き直って「峰の松風」と遠くを見やる形から正面に直してサシ込み開キ。下り端の囃子で中入になります。

下り端は二人が幕に入っても続き、後ツレの敦夫さんが色大口に朱の長絹、連面に天冠を着けた姿で一ノ松まで出、答拝して下り端の舞となります。この舞を楽にする場合もあるようです。途中、いささかひやっとする場面もありましたが、全体としては整った舞で、よくよく稽古されている様子と感じました。

舞上げると渡り拍子の地謡に後ツレが舞い、地ノ頭から常座に向いて開いて下居。幕が巻き上げられて後シテの姿が見えます。シテは幕の内で「王を蔵すや吉野山」と謡い、地謡が謡い出すと幕がいったん下ろされ、「則ち姿を現して」の後、笛アシライでシテが走り出ます。
白頭の小書のため、袷狩衣を衣紋着けにし、半切。白頭に三光飛出というのだそうですが、大飛出の系統の面を着けた姿です。一度巻き上げられた幕の内で謡い出すのは天地之声の小書で、白頭には天地之声の小書もあわせて付けられるのが普通のようです。

後シテは蔵王権現。豪快に舞い、天武の御代を寿いで留となりました。
一応、前後の構成になっていますが、複式能の一般的な形とは随分と異なった印象の曲です。しかし、比較的長い前場の劇的な緊張感と、後場の舞両方が楽しめる曲となっており、人気ある一曲です。
(74分:当日の上演時間を記しておきます)
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籠太鼓 笠井陸(喜多流職分会自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2012.03.25
 シテ 笠井陸
  ワキ 福王和幸
  アイ 山本則孝
   大鼓 柿原光博、小鼓 森澤勇司
   笛 中谷明

籠太鼓の鑑賞記を書くのは、平成19年の宝生流三川淳雄さんの演能以来ですから5年振りになりますね。(鑑賞記初日月リンク

舞台には、まず籠の作り物が持ち出され、大小前に据えられます。
名宣笛が吹かれて、ワキ松浦の何某が登場。アイの従者を従えています。ワキは常座で松浦の何某と名乗り、召し使う関の清次というものが他郷の者と口論の末に敵を討ってしまったので牢に入れてあると言って、従者を呼び出します。福王和幸さんのワキは、生真面目な印象です。

進み出たアイに、ワキはかたく番をするようにと命じてワキ座に着座します。則孝さんの舞台を拝見するのは一年半ぶりです。番を命じられて常座に立ってシャベリ。清次とは仲の良かった様子を表現しつつ、牢を覗き清次が逃げてしまったことを発見します。何某に叱られるかと心配しつつも「抜けてござる」と報告します。

ワキ何某は、それだからこそ以前から厳しく番をせよと言いつけておいたのに、と詰問風に言いますが、直ぐに清次には子はないかとアイに問います。アイが子はないと答えると、妻はないかと重ねて問い、アイが妻は居ると答えると、急いで妻を連れてくるようにと命じます。

下掛り宝生のワキだと、まず親はないかと問い、次に子、さらに妻と重ねます。
この日もいつもながら半魚文庫さんの詞章をベースに演能を観ておりましたが、半魚文庫さんは野々村戒三訂の名著全集本『謡曲三百五十番集』を底本にしています。この本は野々村氏が現行の「観世流大成版謡本」の編纂にも携わった関係もあるのか、観世流の詞章に最も近いようです。この日は福王流だけあって、ワキの詞章がほとんど記載のものと同じ。下掛り宝生流だと少なからず相違点があるのですが、なるほどとあらためて思った次第です。
さて舞台のつづきはまた明日に
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籠太鼓のつづき

アイは橋掛りへと向かい、声をかけてシテを呼び出します。シテが幕前に立ってのシテ、アイのやり取りの後、アイが促す形でシテが舞台に入り正中まで出て下居、立ち上がったワキと向かい合います。

ワキは清次の逃げ先を答えるようにと詰問しますが、シテが夢にも知らないと言いつのるため、夫の代わりに牢に入るようにと言い、アイが作り物の戸を開けてシテを籠に押し込めて見得を切る形になります。
しかしワキは、アイがシテ妻を手荒に扱うのを咎め、そんなことだから清次も逃がしてしまったのだと言って、籠に鼓を付けて一時毎に鼓を打つようにと命じます。

アイは面倒なことになったなどと言いながら、鞨鼓を持ち出して籠の左側に結び付け、どんどんどん、と太鼓を打つ声を出します。やっつ、ここのつ、などと打って、一つ打ち過ぎたので取っておいて明日の足しにしようなどと言います。以前鑑賞記を書いた時は和泉流野村扇丞さんのアイでしたが、このあたりの展開は今回と変わりませんでした。

太鼓を打ち終えると、さて寝ようかとアイは通夜をする時のように座して、扇を構え小首をかしげて寝入った形になります。

ここでシテは籠のうちでサシを謡い出し、アイが「ああかしましい」と起き出して、妻が狂気したことに気付きます。慌ててアイはワキにこれを告げます。ワキは早速に様子を見ようと立ち上がり、作り物を見込んで「やあいかに女、何故に狂気するぞ」と声をかけます。
以前の鑑賞記でも書きましたが、どうもこの辺りは腑に落ちないところで、なぜここで狂ってしまうのか、また籠の中を覗いたアイ、ワキがどうして狂ったと思ったのか、さほど納得できる演出もないところです。この後、シテ、ワキのやり取りが続き、ワキが牢から出でよと戸を開くものの、シテは夫に代わる身だからと籠から出ることを拒み、さらに謡が続きます。その後、シテが「なう心が乱れさむらふぞや」と謡って作り物の内で肩脱ぎとなり、形の上でもクルイの姿となって立ち、作り物を出てシオリつつイロヱになりますが、ここでようやく形の上でもクルイの形がきちんと示されるわけです。
いささか腑に落ちないのですが、ともかくもこのつづきはまた明日に
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籠太鼓さらにつづき

イロヱの後、シテはワキに向かって、籠に取り付けられた鼓は何のためかと問いかけます。ワキが「時守の時を知る合図の鼓よ」と答えると、シテは興味を持った様子で「面白し面白し 異国にもさるためしあり」と言い「時守の打ちます鼓声聞けば」と四拍子を踏んで「君は遅くて」と謡い、地謡が「遅くも君が来んまでぞ」と謡ってカケリです。

カケリの終わりに鼓を打つ所作が入り、謡い舞い。
地謡の「この牢出ることあらじ」で自ら作り物に入り、中から戸を閉めて牢中に腰を下ろします。

この様子にワキは立ち上がり、夫婦ともに助くるぞと言いつつ、戸を開いてシテに外へ出るように促します。
シテは、この上は偽りないと、夫が筑前に知る人があり、そこへ行っていると告げます。
これにワキは、良く答えたと言い、今年は自分の親の十三年忌にも当たり科も許そうと言います。
地謡でシテは立ち上がり、ワキに二、三足詰めると合掌して下居。さらに立ち上がると舞台を廻り、正先から常座へ進んで小廻りし、開いて留拍子を踏んで終曲となりました。

結局、妻は夫の逃げた先を隠しており、クルイも偽りだったことが分かるのですが、だからこそ、妙なクルイ方になるのか、なんとなく腑に落ちないものが残る曲です。

笠井さんが小柄なためか、装束のせいか、随分と歳のいった雰囲気でして、はてこの曲のシテは何歳くらいの設定なのだろうかと、ふと思った次第です。
(53分:当日の上演時間を記しておきます)
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国栖 友枝昭世(喜多流職分会自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2012.03.25
 シテ 友枝昭世
  前ツレ 佐々木多門、後ツレ 友枝真也
  子方 友枝大風
  ワキ 宝生閑
  アイ 山本則俊、山本則重
   大鼓 柿原崇志、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 三島元太郎、笛 松田弘之

銕之丞さんの国栖からさほど経たないうちに、たまたま機会あって友枝さんの国栖を観ることになりました。こちらは小書無しの上演ですが、流儀の違いもあるのでしょう、いくつか演出上の違いがあります。曲全体の構成などは変わりませんので、一連の流れを詳細に書くことはしませんが、気付いた点など中心に書き記しておこうと思います。

さて舞台は一声の囃子で子方、ワキツレの輿舁二名、この日は殿田謙吉さんと大日向寛さんが輿を差し掛け、ワキが続いての登場です。子方が正先まで進み、ワキが常座からやや大小前に近い辺りに立って一セイ、サシ、下歌、上歌と謡が進みます。ワキの着きゼリフから子方、ワキが着座するまで、銕之丞さんのときと変わりません。同じ下掛り宝生のワキでもあり、また銕仙会の演能も詞章は古い形に戻しての上演だったため、違いが無いのも当たり前かも知れませんね。

さて一同が落ち着くと、後見が布でくるんだ舟を持ちだしてきます。後見が持ち出してくるのは同様ですが、銕之丞さんの時は橋掛り一ノ松辺りに置いた舟を、この日はワキ正に出し、ツレを先に立ててシテの出になりました。

ツレ姥は浅葱の水衣を着け、釣り竿を肩に担った形で、これは銕仙会の時と同様です。一方、後から出てきたシテは無地熨斗目に水衣を肩上げにしているのは同様ですが、さらに腰蓑を着けての登場です。

さてこのつづきはまた明日に
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国栖のつづき

シテ、ツレはワキ正に置かれた舟に乗り込み、シテが「姥や見給へ」と声をかけます。この辺りは銕之丞さんの時と同様で「舟さしよせて」と舟漕ぐ型になるのも同じです。

地謡になると「後にぞ思ひ白波の」で、シテが棹を落として二人は舟を下ります。シテは正中、ツレは大鼓の前あたりに下居して、子方・ワキと向かい合う形になります。
シテがワキに向かって問いかけ、ワキは浄見原の天皇であると明かします。このやり取りは同じですが、子細を聞いたシテがツレに向かい説明する中では、銕之丞さんの時とは異なり「あれに御座候は忝くも浄見原の天皇にて御座候が、大伴皇子に襲われ給ひ・・・」とワキから聞いたことを繰り返し「なんぼう浅ましき御事にて候ぞ」と言います。

その後の展開は観世と基本的には同じですが、供御に何かをとワキに求められたシテ、ツレが根芹と国栖魚を供えるやり取り、ツレ、とシテの謡が、二人同吟を交えつつ短めの詞章で交互に続く形です。
観世の本ではシテが供御に供えようと言った後、ツレが「姥はあまりの忝さに・・・」から「菜摘の川とは申すなり」まで一人で謡いますが、ここをツレの謡い出しから「心若菜を揃へつつ」はシテが謡い、続けて二人同吟で「御供御にこそ参らせけれ」、「それよりしてぞ・・・菜摘の川とは申すなり」を再びツレが一人で謡う形です。その後のシテの詞も観世の本は、地謡の「吉野の国栖といふ事も」の手前まで、シテが一人で語りますが、ここもシテ、ツレ、同吟、シテ、同吟と細かく掛け合いになります。

このあたりは他の流儀も、上掛りの宝生流を含めて、詞章に多少の違いはあるものの、概ね喜多流と同様の形になっていて、観世流だけ形が違います。浄見原天皇の名を伏せた時に、こうした部分も改変したのかもしれませんね。

さてここの部分で、シテは背から扇を出して広げ、鮎などを載せて供える形でワキに寄って、ワキの広げた扇に注ぎ込み、ワキがこれを子方に捧げます。「近く参れ老人よ」の謡でシテは正中に出て下居。
ワキが「いかに尉」と呼び掛け、供御の残りを下されると告げるところになります。
さてこのつづきはまた明日に
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国栖さらにつづき

シテは「あらありがたや候」とワキに寄り、扇でワキから鮎を受け取る形。立ち上がってツレ姥を向き、声をかけて、吉野川に放してみようとのやり取り。ツレの詞に「いやいや昔もさる試しあり」と両手で扇を捧げたまま神功皇后の奇瑞を語ります。
「その如くこの君も」と子方に面を切り、「都に還幸ならば」と扇を捧げ上げると、子方に寄って正先へ進み「魚もなどか生きざらんと」と鮎を放す形です。

シテは舞台を廻り「魚のおのづから生き返るこの占方頼もしく思しめされよ」とワキに向いて、話しかけるような態です。
ここでワキが「あら笑止や 追手が掛りて候」と言い、何事も自分に任せるようにとシテが言って、シテ・ツレがワキ正に置かれていた舟を地謡前に持ち寄り、子方を隠します。シテは正中に出て幕の方を遠く見やり、下がって舟の前に立つと鼓を打つ手が早くなりアイの登場となります。

この間狂言の型は大藏流と和泉流で若干違うようですが、今回は銕之丞さんの時と同じ大藏流山本家のため、シテの詞章がいささか異なる以外は、基本的に同じ展開です。

アイの二人を追い返した後、シテは退場する二人を見送る形で七、八足ほどワキ正までツメ、幕を見込んでしばし佇みました。思い入れ深く、追手が戻って行く様を確認するような雰囲気ですが、こうしたところが友枝さんの演技の深いところなのだろうと、しみじみ思った次第です。

ここからシテが「なう聞こし召せ」と振り返り、追手の武士が帰ったことを告げると、ツレが「今はかうよとて おほぢ姥は」と謡って二人で「えいや」と声をかけつつ舟を返して除けます。ここの詞章は観世流ではシテ、ツレが逆になっています。

舟を起こすと、シテ、ツレが舟をワキ正へ戻し、子方は床几に腰を下ろします。ワキは子方に並んで着座し、ツレが笛座前、シテは正中に出ます。
さてこのつづき、もう一日明日に
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国栖もう一日のつづき

クリの謡、正中に座したシテに後見が寄って腰蓑を外し、肩上げを下ろします。
一般に、肩上げを下ろすのは、神仏の化身のように実はただ者ではないことを示す意味がありますが、必ずしもこの老人が後場の蔵王権現の化身というものでもなさそうに思います。初日にも書いたように、典型的な複式能とはやはりいささか趣を異にする曲、ということなのでしょう。

ともかくも、地のクリからワキの謡、地、ワキと謡って、尉と姥の忠勤が褒め称えられます。観世では「されば君としてこそ 民をはごくむ習なるに かえって助くる志」と子方が謡う部分がありますが、ここは子方が謡わずにワキが謡います。ここも他流も同じ形のようで、観世流のみ子方が謡う形に直したようです。地の上歌、シテ、ツレは下居したまま謡を聞く形で、その間に後見が舟を下げます。「夫婦の老人は忝さに泣き居たり」と二人片シオリ。

クセの謡「三吉野なれや」で二人は立ち上がると、下り端の囃子で中入となります。
二人が幕に入って一度幕が下ろされ、囃子のノリが少しばかり良くなった感じで、幕が上がって後ツレ天女の出になります。
ツレは橋掛りを歩みつつ両袖の褄を取り、常座に出て答拝。下り端の舞となります。
緋の大口に紫の長絹、天冠を着けた、よく見る天女の装束です。

下り端の舞は割合長めですが、なんとも良い雰囲気でした。舞上げて地謡。ツレは正中から常座に進んで雲扇、蔵王権現を迎える形です。これに幕が上がって後シテが衣を被いて身をかがめつつ橋掛りを進み「王を蔵すや吉野山」と謡って、二ノ松で立ち止まります。
地謡の「即ち姿を現して」で衣を落とし、白頭に半切、袷狩衣を衣紋着けにした姿を現します。面は不動か蔵王か、能面には今一つ詳しくないのでしかとはわかりませんが、いずれにしても不動系の独特の面です。ついぞ見かけたことのないもので、能面というより仏像の様な印象。

拍子を踏んでは袖を巻き上げ、豪快な舞で天武の御代を祝い、常座で開いて留拍子となりました。友枝さんも七十歳になられたはずですが、どこからこの気迫が出てこられるのか、正直のところ不思議と思うくらいの舞台でした。
(80分:当日の上演時間を記しておきます)
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中所さんの山姥を観に

本日は連休初日。観世九皐会の春季別会を観に国立能楽堂に出かけました。

ゴールデンウィーク・・・ということですが、この時期、個人的には様々な用事が入るのが通例で、あまりゴールデンと思った記憶はありません。
今年も農作業の手伝いを始め何かと用事が入っておりますが、とりあえず今日は観能です。

番組は能が、中森貫太さんのシテで「西行櫻」と中所宜夫さんのシテで「山姥 白頭」の二番。
狂言が野村万作さんのシテで「秀句傘」
それに舞囃子と仕舞、連吟といった構成です。

諸般の事情で能楽堂到着が西行櫻の開演後になってしまったため、モニターで鑑賞しようかと思ったのですが、係の方が親切にも「一番後ろの列に空き席があるので・・・」と勧めて下さったので、そおっと入って一番後ろの列の端っこに座り、鑑賞させていただきました。
開演に間に合わなかった時は、基本的に見所には入らないことにしているのですが、今回は特別に失礼しました。

それにつけても、私、このブログでは良かったの、つまらなかったの、などと感想めいたことはあまり書かないようにしているのですが、本日の中所さんの山姥は良かったです。
いずれ後ほど鑑賞記としても書いておこうと思いますが、そもそも山姥という曲自体が、このところの私自身の興味・趣味にとても合っています。そのせいというのがあるのかも知れませんが、それにしても終曲でシテが幕に入った後、何ともいえない穏やかな気持を感じて、思わず涙が出そうになり、千駄ヶ谷の駅までそんな気持を感じながら歩きました。
能楽を観る楽しみをしみじみ感じた一日です。

西行櫻 中森貫太(九皐会別会)

観世流 国立能楽堂 2012.04.28
 シテ 中森貫太
  ワキ 宝生閑
  ワキツレ 工藤和哉、大日向寛、御厨誠吾、高井松男
  アイ 野村萬斎
   大鼓 亀井広忠、小鼓 幸清次郎
   太鼓 金春國和、笛 一噌庸二

先日も書きましたが、諸般の事情により当日の到着が西行櫻の開演後となってしまいました。このためメモも取っておりませんので、このブログとしては珍しく印象のみ書かせていただきます。

この曲、ブログで取り上げるのは、金春流高橋汎さんの演能以来で5年ぶりです。その折も書きましたが、シテは櫻の老木の精であり、老体ですが老人ではありません。この辺りの扱いが難しいところですが、その老木の雰囲気を良く出されていたと感じました。

事前のチラシには薄い紫か薄鼠に枝垂れ桜の文様をあしらった狩衣の写真が使われていますが、当日、引廻しが下ろされて現れた姿は、まさに桜色の狩衣で、緑の色大口に映えて大変綺麗な装束でした。
序ノ舞を含め、シテはゆったりと静かに舞いましたが、老人の態ではなく、老木の色気を感じさせる一曲。

穏やかな気持でいることを大切にしたい・・・と、このところ思うのですが、草木の精を主人公に、穏やかに舞を見せて一曲を構成するという能楽の有り様が、好ましいものと感じたところです。
最初を観ていませんので、正確な上演時間は分かりませんが、終演時刻からみて80分ほどだったと思います。
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