能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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秀句傘 野村万作(九皐会別会)

和泉流 国立能楽堂 2012.04.28
 シテ 野村万作
  アド 石田幸雄、高野和憲

手許の鑑賞記録を見てみると秀句傘が見あたりません。以前見た記憶はあるのですが、記録を始める前のことだったのか・・・

ともかくも、舞台上には素袍上下に洞烏帽子の大名姿でシテ万作さんが登場し「隠れもない大名」と名乗ります。大名は早速に太郎冠者の石田さんを呼び出すと、前夜の座敷で皆が一度にどっと笑っていたのは何だろうと問いかけます。
冠者が、それは秀句を言って笑い合っていたのだと答えると、その秀句を習いたいと大名が言い出します。
秀句・・・いわゆる「しゃれ」で、取り立てて習うようなものでもなさそうな気がしますが、ともかく秀句を知らなかった大名としては、何とかしたいと思ったわけでしょう。

さて秀句をならうについては、秀句を知っている者を新しく抱えようということになり、太郎冠者が上下の海道に適当な男を捜しに出ます。
ここからは、文相撲や今参など、新参の者を抱えるという設定の曲と同様の進行です。

ちょうど通りかかった小アド高野さんに声をかけた太郎冠者、男が奉公の望みあって上方へ行くというので、秀句はどうかと尋ねます。男は肩に担った傘を見せ、以前傘張りをしていたので、傘についての秀句ならばいくらでも言えると答えます。
太郎冠者は満足し、自分が肝を煎って出してやろうと、早速同道することにします。

このやり取りは秀句傘独特の部分ですが、またまたこの後は、今参などと同様に展開します。大名が太郎冠者相手にわざと大きな声で様々に言いつけたりなどして、外で待つ新参の者に威厳を示そうとするあたりなど、笑いを誘うところです。

さてこのつづきはまた明日に
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秀句傘のつづき

さて、いよいよ対面ということになり、進み出た小アドに、大名は早速秀句を言うようにと求めます。これに答えて男は様々に傘にまつわるしゃれを言いますが、大名はやり取りの内に怒り出して太刀の柄に手を掛け、男は逃げて橋掛りに控えます。
大名は太郎冠者を呼び、秀句を言えと命じたのに秀句を言わない、あの様な者は追い返せと言います。秀句を知らない大名、男が秀句を言っているのに理解できなかったという次第です。これに対して太郎冠者は落ち着いて、さきほど男が言っていたのは皆傘にまつわる秀句であると教えます。

そこで大名は太郎冠者に命じて、先ほどの秀句はみな聞き事だったし、太刀の柄に手を掛けたのは心根をみようと思ったからだが、その太刀を傘で防いだのも見事だったと褒めている、と伝えさせます。
そしてまた秀句が聞きたいので、出てくるようにと太郎冠者に言わせ、二人は再び大名の前に出ます。

さて男が進み出ると、大名は最前の男の振る舞いを褒め、扶持を取らせると言います。これに男が有り難いと礼を言うと、今度は失敗するまいと思った大名、この礼も秀句だと勝手に解釈して笑い出し、男に扇を与えます。

これに男が礼を言うと、これまた秀句だと刀を与え、次々と与えて小袖、上下まで脱いで与えてしまいます。
この頂き物をまとめて手にした男は、最前から持っていた傘を太郎冠者に渡して、大名に差し上げてくれるように頼んで退場してしまいます。

太郎冠者から傘を受け取った大名、傘を広げてさすと「雨の降る夜は なおりやり候いそ からかさゆえにこそ みはほるれ」と謡い、最後に「ああ 秀句は寒いものじゃ」と言って留になりました。
最後はなんとも余韻の残る留です。

ところで他の曲とも同断ですが、奉公の口を捜しているという男に何が出来るかと問うと「弓鞠包丁、碁双六、馬の伏せ起こし、やっと参った」を致しますと答えます。この最後の「やっと参った」って何でしょうね。常々疑問でありますが。
なお「秀句傘」は「シュウクガラカサ」と読みます。どうして「カラカサ」ではなく「ガラカサ」なのか、二語がつながっているので後側の語頭が濁音になる・・・のですかねぇ。これまた疑問であります。
(33分:当日の上演時間を記しておきます)
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山姥 白頭 中所宜夫(九皐会別会)

観世流 国立能楽堂 2012.04.28
 シテ 中所宜夫
  ツレ 古川充
  ワキ 森常好
  アイ 深田博治
   大鼓 安福建雄、小鼓 観世新九郎
   太鼓 小寺佐七、笛 寺井宏明

山姥は平成18年に、たまたま観世、金剛、金春、宝生の順で四流の演能を観る機会があり、ブログにも鑑賞記を載せています。観世月リンク)、金剛月リンク)、金春月リンク)、宝生月リンク
それ以来、久しぶりの山姥ですが、心地よい充実感を感じたところです。

曲の筋はこれまでのブログ鑑賞記でも記載していますので、特に解説はしませんが、ともかくもツレ都の百万山姥が紅入唐織着流しの装束を着け次第の囃子で登場し、素袍上下のワキ、ワキツレが続きます。
型通りの名ノリ、道行、着きゼリフと続いてアイを呼び出し、善光寺に行くには上道、下道、上路越えの三つの道があると聞き出します。

ワキがツレに報告する形となり、ツレが上路越えを選んで、一行は上路越えを進む形です。
しかしワキ、アイのやり取りから、急に日が暮れてしまった様子となり、ここでシテが呼び掛けで登場します。
橋掛りを進むシテと、舞台上のワキのやり取りから、シテは正中に出てワキ、ツレと同時に着座します。
さてこのつづきはまた明日に
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山姥のつづき

舞台上がシテの庵の中という設定になりますが、ここでシテは自ら真の山姥であると明かし、ツレ百萬山姥が自分を謡い舞いして有名になったのに、少しも心に掛けてもらえないと、怨みを述べにきたことを告げます。(「百萬山姥」は観世流大成版の表記によりましたが、読みは「ヒャクマヤマンバ」で、他流や観世の古い本などでは「ひゃくま山姥」や「百ま山姥」「百魔山姥」などの表記が見えます。)

シテ山姥は、自らが謡い込まれている山姥の曲舞をツレが謡ってくれれば、その力で自分の妄執が晴れ輪廻を逃れることができると語ります。このあたりも不思議な話ではあるのですが、けっしてとって喰おうといった恐ろしい話ではなく、その不思議さを中所さんが良い具合で演じられていました。

私、この部分で、つねづね民話の「大工と鬼六」を思い出します。何度架け直しても急流に流されてしまう橋を、鬼の力で架けてもらった大工。鬼に、その代わりに目玉を寄越せと言われてしまいます。しかし鬼は「オレの名前がわかったら勘弁してやろう」と謎のような話をします。大工は困り果てますが、たまたま鬼の娘が、親鬼の名「鬼六」を手鞠唄に歌っていたのを聞き、鬼の名を当てて難を逃れたと、そんな話です。
自分の本当の名は人に呼ばせるものではない、というのは中国伝来のものでしょうけれども、日本でも江戸時代までは、本当の名前を呼ぶとその人の霊的な人格を支配してしまう大変無礼なこと、といった考え方が普通だったようです。この民話もそうした「諱」の文脈で考えるのが普通なのだろうとは思うのですが、でも私としては「鬼が自分の名を知られたがっていたのではないか」という疑問をずうっと以前から持ち続けています。
とても人間には架けられないような橋を架けた力を持つ自分という存在が、鬼六という名を持つことを知らせたい、世に残したいという欲望を、鬼が持っていたのではないか。なんだかそんな気がして仕方ないのです。

そんな風に考えると、百萬山姥のもとに現れ、自分を歌った曲舞をと所望し、その望みを遂げることで妄執を晴らし輪廻から解脱できるという山姥の主張に、なんだか共通するものが感じられるのですね。

ともかくもそうしたやり取りの後、せっかく謡ってくれるならば夕暮れを待って・・・と言い立ち上がったシテは、地謡「移舞を舞うべしと」まで聞くと、謡にのって二ノ松まで走り、「かき消すように失せにけり」で一度回って立ち止まり、そのまま謡の繰り返しを聞きつつ中入となりました。
白頭の小書がついていますが、ここまでは小書無しと特に演出に変化はなかったように感じました。
このつづきはまた明日に
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山姥さらにつづき

中入となり、アイが舞台に進んで「また夜が明けた」と、急に暗くなってしまった異様な現象がおさまったこと示します。
ワキがツレに謡うようにと勧め、ツレの謡からワキ、ワキツレの待謡。そして一声の囃子で後シテ山姥が登場してきます。

小書に従って白頭、緑の葉をつけた鹿背杖を突きつつ二ノ松まで出て謡い出し。その後「前生の業を恨む」で一ノ松まで進みます。
「寒林に骨を打つ霊鬼泣く泣く前生の業を恨む 深野に花を供ずる天人返す返すも幾生の善を喜ぶ いや善悪不二 何をか怨み何をか喜ばんや」墓場で自らの骨を打ち前世の悪業を恨む霊鬼と、これまた墓場で自ら花を供え前世の善業を喜ぶ天人を対比させ、しかもその善悪は同じことと達観するこの謡、この曲の独特の雰囲気を象徴するようです。

ゆっくり常座に出たシテにツレが謡いかけて問答に。地謡で開キから目付に出て、シテは七つ拍子を踏み、小さく舞台を廻って常座に戻ります。
「春の夜の一時を千金に替えじとは」と詞。「げにこの上は・・・」のツレの謡に、「一声の山鳥 羽を搏く」とシテは杖を抱え込み羽ばたく型を見せます。
地次第「よし足引の山姥が よし足引の山姥が 山廻りするぞ苦しき」で、シテは持っていた鹿背杖を後見に渡し、扇に持ち替えてワキ正から大小前へと進みます。クリの謡を謡いつつ正中で床几に。

サシからクセへと、もともとこの一曲は山姥の曲舞から作られたと言われていますが、そう言われると納得してしまうクセ。「下化衆生を表して金輪際に及べり」と扇をもって遙か地の下、金輪際を差す型から立ち上がり、クセの舞になります。舞台を廻り舞ううちに、色即是空の理を示しつつも、さらに目に見えぬ山姥のことを都に帰って人に語って欲しい、欲しいと思うがそれもまた妄執か、唯うち捨てておけと地謡が謡い「よし足引の山姥が山廻りするぞ苦しき」と地次第の章句に戻ってクセが終わります。

もう一日つづけます
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山姥もう一日のつづき

クセを舞上げ、シテ「足びきの」地「山廻り」の謡から立廻。扇を鹿背杖に持ち替えて山姥の舞です。

シテは「あら御名残惜しや」と正中で杖にすがり下居し暇乞い。立ち上がると、地謡の「春は梢に」で橋掛りに入り、二ノ松で正を向き「花を尋ねて山廻り」と一廻り。「月見る方にと山廻り」と白頭を左手に取って月見る型。
「雪を誘いて山廻り」と橋掛りから舞台に戻り常座から正中へ。正先から正中に下がって杖にすがる型から「峯に翔り谷に響きて」と橋掛りへ向かい、まるで山中の霧が流れるように、まさに「行方も知らずなりにけり」と留になりました。

中所さんの書かれた当日の解説を借りれば「天地開闢よりの自然界の霊気を集約した存在」そのままに、恨みもなく、ただ山姥の姿を取り大自然を廻り続ける姿が、目の前に現出し去って行く、その後ろ姿をしばし追い続けてしまいました。

一昨日は大工と鬼六の話にふれましたが、実は、この曲をめぐってはもう一つ。「色即是空その侭に 佛法あれば世法あり煩悩あれば菩提あり 佛あれば衆生あり衆生あれば山姥もあり」というクセの一節。これを聞く度に白隠禅師座禅和讃を思い出すのです。白隠は江戸時代の禅僧ですから全く関係ないのですが、「衆生本来佛なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の他に佛なし」と始まるこの和讃。拙宅は臨済宗の檀家のため子供の頃から聞き覚えていましたが、この曲のクセを聞く度に、和讃を思い出します。

山姥は霊気が集まり人の形になったもの、人とは別次元の存在であり、だからこそ行方も知らず失せてしまうとも言えるのですが、一方で、山姥も人間も所詮は同じものなのではないか、とも思えるのです。私自身も今現在たまさか人の形をとっているのであって、本来は形あるものではないのかも知れません。
そこに思いを馳せるとき、なにやら穏やかなものを感じられる気がします。

ここしばらく、人としての生き方の問題など、様々に思うところがあり、そんな中で観たこの一番。とりわけ終曲で、橋掛りを去るシテ中所さんの後ろ姿に、思いを重ねていました。そうした思いを受け止めてもらえる素敵な舞だったと思い返しています。
何やら装束も見事でした。
(93分:当日の上演時間を記しておきます)
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