能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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飛鳥川 粟谷充雄(喜多流職分会自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2012.05.27
 シテ 粟谷充雄
  子方 粟谷僚太
  ツレ 佐藤陽、粟谷尚生
  ワキ 村瀬提
   大鼓 大倉栄太郎、小鼓 森貴史
   笛 槻宅聡

この飛鳥川という曲、金剛流と喜多流のみが現行曲としており、今回はじめて拝見しました。世阿弥の作とされていますが、本当のところはよく分かりません。当日いただいた簡単な番組解説には「作者:世阿弥(一部)」とありましたが、そんなところなのでしょうね。

行方不明となった母を子が捜し出して再会するという構成ですが、子と分かれた母が狂女となって・・・という、いわゆる狂女物は、隅田川や櫻川など多くの名曲がありますが、子が母を捜すという展開は珍しい一曲です。
どうして母が行方知れずになってしまったのか、そのあたりの事情は何も明かされませんが、それもまた能らしいと言えば、能らしいところです。子を尋ねてクルイになるという展開ではないためか、狂女物に一般的なカケリは無く、代わってシテは中ノ舞を舞います。全体の雰囲気も、なんとなく五月の田植え時の長閑な様子が印象に残る感じです。

さて舞台は次第の囃子。子方を先に立て、ワキが後から登場してきます。稚児袴の子方に素袍上下のワキですが、舞台中央に向き合っての次第。ワキのみが謡います。

ワキの名ノリは、上京あたりに住まいする男だが、母が行方知れずになってしまった幼き子に御供して、三吉野に参詣し都に戻るところということです。なぜ母が行方知れずになってしまったのか、どういう子細でこの男が幼い子の供をすることになったのか、そのあたりは何もふれられません。
不思議と言えば不思議な話ですが、この能が見せたい主題からすればどうでも良いことなのかも知れません。能というのはそういう構成のものなのだ、ということなのでしょうね。
明日につづきます
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飛鳥川のつづき

次第、名ノリ、道行、着きゼリフと続き、二人は飛鳥川までやって来た様子。「向こうを見れば」と目付柱の先の方を見やる形で目をやり、笛鼓を鳴らし田歌を謡う田植えの一行の様子を見て、子方がワキ座に、ワキは地謡座前に着座して、シテを待ちます。

二人がやって来た飛鳥川は、奈良盆地の南の方を流れる川で大和川の支流。あまり大きな川ではなさそうなのですが、一級河川となっています。
・・・実は、一級河川というのにあまり大きな川ではなさそうだなと思って調べてみると、河川法の指定は水系に対して行われていて、一級と指定された水系に属する支流は原則としてすべて一級河川になるのだそうです。そのため大和川水系の180近い支流もみな一級河川ということになります。なんでも奈良県を流れる川は、すべて何らかの一級水系に属しており、みな一級河川だそうです。

それはさておき飛鳥川、まさに飛鳥の里を流れる、古代の人にとっては身近な川だったのでしょう。さほど大きな川でもないし、大洪水を起こしたなどという話もありませんが、日常に密着しているだけに、増水や渇水によって日々流れの様子、深さなどが変わっていく川の様子に、古代の人たちも思いを寄せ、様々に歌にも詠み込んできたようです。
万葉集にも飛鳥川が詠み込まれた歌が多々ありますが、古今集の「世の中は何か常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬となる」が有名です。この歌、能の中にも引用されていますが、引用されているというよりも、どうもこの歌をヒントとして、この曲が作られたような気がしますね。

ともかくも、子方、ワキが座に着くと一声の囃子で、まずツレの二人が出、後からシテが続きます。ツレは朱系の紅入の箔を腰巻にし白の水衣、左手に小籠を持っています。シテは無紅の唐織を肩脱ぎにして女笠、やはりこちらも左手に小籠を持っています。
シテ、ツレの持つ小籠には緑の葉が束ねられたもの、著莪(シャガ)の束らしいのですが、田植えの苗ということなのでしょうね、これがいくつか載せられています。ほかの曲ではついぞ見かけた記憶がありません。

ともかくも、シテが幕前、ツレ二人は一ノ松あたりまで出て振り返り、シテとツレが向き合った形で三人で謡「飛鳥川 岸田の早苗 とりどりの 袖も緑の 気色かな」を謡います。
さてこのつづき、明日に
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飛鳥川さらにつづき

ツレの謡、シテを含めて三人の謡と続いて、笛のアシライで三人は舞台に入り、ツレは正中のやや小鼓寄りに下がったあたり、シテは常座に立ってサシ謡です。

三人の謡、下歌、上歌と謡い、謡い終えるとシテの詞で、暫く休んで田植えをしようと言って、ツレは目付に。シテは常座で一度腰を下ろして笠を外し、立ち上がって大小前に立ちます。

ワキはそうした田植えの様子を目にしつつ、前日渡った川の瀬を渡って戻ろうと、謡いつつ二、三足ばかり足を進めます。この様子に、シテがワキを止めるように声をかけ、そこは渡る瀬ではないので,もう少し上流を渡るようにと言います。
昨日、三吉野に向かう途中で通った際の渡瀬なのに、もっと上流を渡れとは不思議なことだとワキが口にしますが、シテはワキに対して、この川を飛鳥川とご存じならば昨日の淵が今日の瀬になることも、当たり前のことだろうと、やり取りをかわします。

このワキ、シテの問答からシテ、ツレの謡、そして地謡に続き「世の中は 何か常なる飛鳥川 昨日の淵は今日の瀬に なるや夜の間の・・・」と例の古今集の歌を引いた形で謡われます。この古今の歌は、川の様子から抽象化されて、いわゆる無常を詠った歌になっています。もしかするとこの歌では、飛鳥川は単に川瀬の変化が激しい例えとされているだけで、詠み手は飛鳥川自体を歌枕として知っているだけで、現実の川を目の前にしているわけではなさそうな気もします。

ともかくも、この地謡でシテ、ツレの立ち位置が入れ替わって、ツレは笛座前に、シテが常座から目付に出、左から回って常座に戻り、ワキを向いて地のクリ。シテは大小前から正中と出て下居。ツレも同様に腰を下ろしてシテのサシ謡。地謡との掛け合いからクセに入ります。

さてこのつづきもう一日明日に
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飛鳥川もう一日のつづき

クセになり、シテは扇を胸元に入れて「急げや早苗」でツレに向けて手を上げ、ツレが先に、続いてシテも立ち上がると前に進みます。一度、下居する形になって三人ともに田植えの形で、稲苗に見立てた著莪の束を三つずつ置いて立ち上がり、シテは後見座に。ツレは地謡前に進みます。
シテは後見に籠を渡すと扇に持ち替えて、常座から目付へ、さらに舞台を廻って大小前で開キ、左右打込扇広げて、上げ端で上げ扇となります。

クセの後半は曲舞の通常の型をなぞって、最後に大小前左右打込開きと型が続き、扇を閉じて大小前から中ノ舞になります。

粟谷充雄さんのシテは、三、四度くらい拝見していますか。明生さんや能夫さんと比べるとお目にかかる機会が少ないのですが、カッチリとした芸風とお見かけしております。この日の中ノ舞もすっきりした良い舞でした。

舞上げると地謡との掛け合いで、謡い舞いの形ですが、地謡の「心も乱るる青柳のみどりご恋しや」でシオリつつ下がって正中に下居します。
ここからいきなり親子再会となっていくところで、ワキが立って子方の後ろに回り「不思議や見れば母上か 友若ここに来たりたり」で子方を立たせてシテに近寄せます。

シテは子方の方を向き「友若に」と腰を浮かせて立ち上がり、抱扇して子方に寄って子方を幕に向けて送り出します。扇で戸を開くように舞台を廻って常座で開キ留拍子、終曲となりました。

詞章の流れから言っても、親子の別離から再会へという流れが、なんだかとってつけたような感じもあり、いわゆる四番目の狂女物とは雰囲気がかなり違います。
むしろ五月の情景、飛鳥の地に思いを寄せるような感じで楽しんだ方が良いかな、と思った一曲でした。
(62分:当日の上演時間を記しておきます)
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久しぶりに更新を

またまた間が空いてしまいました。
この間に、一応「仕事」でボストン、ニューヨーク、サンフランシスコと回ってきたり、いくつかのイベントがありまして、ブログもすっかりご無沙汰です。

アメリカは仕事での訪問ですが、夜の空き時間を利用してブロードウェイでミュージカルを見たりで、これはまた楽しい時間も過ごしてきました。ずっと以前にブロードウェイにいった時も、あまりに客席のノリが良くて驚きましたが、今回も大変な盛り上がり。こういうのって、舞台の面白さだと、しみじみ思うんですよね。
米倉涼子がブロードウェイでシカゴに主演、というニュースがありました。私が行ったのは、米倉さんが帰国した翌々日でして拝見することは出来ませんでしたが、ご覧になった方の話ではなかなか良かったとか。
もっとも、観客は相当に日本人が多かったそうですが・・・

さて、ブログの方は六月の喜多流自主公演能での雲雀山、観能記が先送りになっていますので、この後、こちらに取りかかろうと思います。

それでは・・・

雲雀山 松井彬(喜多流職分会自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2012.06.24
 シテ 松井彬
  ワキ 福王知登
  アイ 高野和憲
   大鼓 原岡一之、小鼓 田邊恭資
   太鼓 梶谷英樹、笛 小野寺竜一

当日のブログに書きましたように、なぜかこの曲に縁が無くて、かれこれ三十年ほど前に、たまたま雲雀山が演じられる会に急遽行けなくなって以来、とうとう今にいたるまで観る機会に恵まれませんでした。
この曲、中将姫伝説をベースに置いているのですが、中将姫にまつわる能といえばほかにもう一曲、当麻があります。実はこちらも縁が無くてブログ未登場の一曲です。なんだか中将姫に縁が無いということかも知れませんが、ともかく鑑賞記に入る前に、その「中将姫伝説」について書いておこうと思います。

中将姫といえば当麻寺(お寺のある奈良県葛城市の地名や、お寺自体の表記は當麻ですがここでは当麻の表記で記載します)ゆかりの方ですが、当麻寺のサイトに記載されたものをベースに、中将姫伝説を簡単にまとめてみます。

中将姫は天平19年(747)、藤原豊成(とよなり)の娘として奈良の都に生まれました。
豊成は武智麻呂の長男ですから鎌足の曾孫になりますが、右大臣まで上り、別名難波大臣あるいは横佩(よこはぎ)大臣などとも呼ばれました。この横佩ですが、折口信夫の小説「死者の書」に「父は横佩の大将と謂はれる程、一ふりの大刀のさげ方にも、工夫を凝らさずには居られぬだて者であつた。なみの人の竪にさげて佩く大刀を横に吊る佩き方を案出した人である」とあり、太刀を横に吊って佩く形を創出した洒落者だったのでこの名が付いたとされています。
なにはともあれ、この大臣の娘として生まれた中将姫は観音に祈願して授かった子で、姫自身も観音を篤く信仰したとか。4才の時には『称讃浄土経』と出会い、幼少の頃からこの経典を諳んじていたといわれます。 しかし5才の時に母を亡くし、豊成が後妻を迎えると、その継母に妬まれ、次第に命さえ狙われるまでになってしまいます。周囲の助けで命を長らえながらも継母を恨むことなく、父豊成が都を離れていた14才の時に雲雀山へ逃れ、読経三昧の隠棲生活に入りました。
さてこのつづきはまた明日に
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雲雀山のつづき

翌年、都に戻った豊成に連れ戻され、隠棲生活から晴れて都に戻った姫は『称讃浄土経』の写経をはじめます。千巻の写経を成し遂げた16才のある日、西の空、夕陽の中に阿弥陀仏が浮かび上がり、夕空一面に極楽浄土の光景が広がるのを見ました。
その光景に心を奪われた姫は、夕陽の中に見た仏様に仕えたいという一念で都を離れ、観音を念じながら歩いてたどり着いたのが、二上山の麓、当麻寺です。

当時の当麻寺は男僧の修行道場で女人禁制でしたが、姫は門前の石の上で一心に読経を続け、その石に読経の功徳で姫の足跡が刻まれます。この奇跡に心を打たれた当麻寺別当実雅和尚が、女人禁制を解いて姫を迎え入れ、翌年、剃髪の儀が執り行われて姫は法如という名を授かり尼僧となりました。

剃髪の翌日、姫は剃り落とした髪を糸にして、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の梵字を刺繍し、夕陽の中に見た阿弥陀仏の姿、夕空に広がった浄土の姿を今一度拝ませて欲しいと一心に願ったといわれています。
その想いに仏の応えがあったのか、翌日、一人の老尼が現れ「蓮の茎を集めよ」と告げました。父豊成公の協力を得て諸国から蓮の茎を取り寄せたところ、数日で百駄ほどの蓮茎が集まりました。再び現れた老尼とともに、姫が蓮茎より糸を取り出し、その糸を井戸で清めると、不思議にも五色に染め上がったといいます。

数日後の黄昏時、ひとりの若い女性が現れ、五色に染まった糸を確認すると、姫を連れて千手堂の中へ入り、三時(みとき)の時間が過ぎた後、姫の目の前には五色の巨大な織物ができあがっていました。織物には姫がかつて夕空に見た輝かしい浄土が表されていました。これが国宝である綴織当麻曼荼羅です。

織物の中央に阿弥陀如来。左右に観音、勢至の両菩薩。さらにさまざまな聖衆が集っており、周囲には『観無量寿経』に説かれている釈迦の教えも描かれています。曼荼羅の輝きに心を救われた法如、すなわち中将姫は、人々にその教えを説き続け、29才の春に不思議にもその身のまま極楽浄土へ旅立たれたと伝えられています。
と、かいつまんで中将姫の伝説を記しました。

当麻寺の伝承が起源の伝説ですが、この話が広く伝えられるようになったのは、まさに世阿弥の作といわれる雲雀山、当麻の二曲によるものです。その後、浄瑠璃、文楽、歌舞伎と中将姫が取り上げられていますが、そうしたきっかけとなったこの曲、いささか感慨深いものがあります。このつづきはまた明日に
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雲雀山さらにつづき

前置き、中将姫伝説から、いよいよ舞台に話を移します。
舞台には後見が藁屋を持ち出してワキ座に据えます。戸を開いた形にして後見が下がり、代わって唐織着流しの子方、中将姫が登場して藁屋に入りワキ正を向いて座します。

この藁屋、観世流では通常萩小屋を出すようです。流儀によって藁屋と萩小屋と使い分けがあるようで、しかも今回は子方が自身歩いて登場し作り物に入りましたが、引廻しを掛けて作り物を出し、引廻しを下ろすと中に子方が着座いるという演出も多い様子です。

つづいてワキツレ、豊成の家臣が登場してきます。この曲、ワキツレが三人出ますが、まずは野口能弘さんの家臣が素袍上下で出て名乗ります。豊成がある人の讒言を聞いて、姫を雲雀山にて殺すようにと命じたが、自分は姫を殺すに忍びないので、柴の庵を結んで姫を匿い、姫の乳母である侍従とともに養育していると語ります。
常座での名ノリの後、一ノ松から侍従を呼び出し、シテ侍従が登場してきます。

幕から出たシテとワキツレの問答。侍従は木々の花や木の実を里人に売って姫の養育に当てていますが、家臣が侍従に今日も里へ出るようにと勧めます。
シテ侍従は、姫君に挨拶して里に出ようと、ワキツレと橋掛かりですれ違い正中に出ます。ワキツレはそのまま退場。

シテが子方に声をかけ子方のサシ。シテの謡、下歌、上歌とつづいて山里に暮らす貧しさを謡いますが「かくて煙も絶え絶えの」で立ち上がると藁屋の戸を閉め、常座まで進んで振り返り、あらためて「また里にこそ出でにけれ」で常座からゆっくりと動いて橋掛りに入り、アシライで中入となりました。

シテが幕に入ると一呼吸置いて次第。白大口に緑の狩衣、風折烏帽子を着けたワキ豊成と、素袍上下のワキツレ従臣二人、野口琢弘さんと吉田祐一さんが登場してきます。
型通りに舞台中央で向き合っての次第、ワキの名乗り、上歌とつづき、こちらは狩に出た様子です。「鷹の落ちを求め」よとのワキの命で、一同着座。間狂言の登場となります。
このつづきはまた明日に
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雲雀山さらにさらにつづき

この曲の間狂言は舞台に興を添えるという趣旨なのか、鷹匠と瀬子、犬引などが出て狩の寸劇を演じます。この日はオモアイ野村扇丞さん以下、都合五人が登場し、オモアイは士烏帽子姿で一ノ松から下知をする形。一度はワキ座前で獲物を狙い、これを外すと、二度目は常座に出て一ノ松あたりに獲物を見つけ、今度は首尾良く獲物を捕らえて舞台を廻り退場しました。「ほう鷹ほう鷹」という掛け声が耳に残ります。

賑やかな狂言が退場すると後シテの出。一声で唐織肩脱ぎ、野の花の挿し花を肩に担い一ノ松に出て「さつき待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」と謡います。
さらに謡いつつ花を下ろして扇のように使いながら「色ある花を手折りつつ」と花を差し出し見る心。舞台に入って正中にで「いろいろの」からカケリになります。

姿形、カケリを舞うなど物狂いの態なのですが、シテ侍従は別に誰かと生き別れたわけでもなく、いささか不思議なところです。一説には侍従の「花売り」という役処が、物売りの技芸といった芸尽くしの一端と捉えられ、それが物狂いの連想に繋がっているとの解説もありますが、たしかにそうした見方も納得できるところです。

カケリの後は地謡との掛け合い、大小前で四拍子を踏み、ワキ正から角へと進んで左に回り、大小前に戻って「花橘や召さるる」と、ワキツレとの問答に入る形になります。
なぜ花を売るのかというワキの問いかけに、シテが様々な花を示して買うようにと勧めますが、このあたりは花売りの面白さを見せようというところで、確かに芸尽くし、物狂いといった雰囲気が感じられる所です。

「忍ぶ草を召されよ」とワキツレに花を差し出し、さらに「などや花は召されぬ」と両手で花を捧げ持って勧める風から、後見に花を渡して扇に持ち替え「花好かぬとぞをかしき」と常座に立ちます。
このつづきもう一日明日に
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