能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

富士山 金剛永謹(金剛永謹能の会)

金剛流 国立能楽堂 2012.11.18
 シテ 金剛永謹
  ツレ 宇高竜成 元吉正巳 廣田泰能
  ワキ 工藤和哉
  ワキツレ 野口能弘 野口琢弘
  アイ 石田幸雄
   大鼓 安福建雄、小鼓 曾和正博
   太鼓 小寺佐七、笛 一噌庸二

この富士山という曲は金春、金剛の二流のみが現行曲としています。この日は冒頭におなじみの西野春雄先生が登場し、解説としてこの曲について話されましたが、五音にも引用があり作曲は世阿弥であることに間違いなかろうということでした。
その後、世阿弥の娘婿である金春禅竹が手を入れたようですが、さらに禅竹の孫になる禅鳳の謡本が残っており、ここでも改作が行われたとか。この禅鳳本が金春流の型に繋がっているのですが、金剛流の型は禅鳳改作以前の古い型を残しているとのことで、後場の展開が異なります。

金春と金剛の型の違いは後場の記録のところであらためて触れたいと思いますが、ともかくも西野先生の話では、禅鳳はこの富士山の曲について、多武峰で演ずるために手を入れたと書き残しているそうです。当時、多武峰での演能に際しては新しい作であることが求められたらしく、そのため後場に手を入れたようなのですね。
西野先生が囃子方の方達の話などを聞くなかでは、金剛流の方が後場の流れが自然な感じがすると、そんな意見があるそうです。私は金春の富士山は観ておりませんが、いつも参照している謡曲三百五十番は金春の型の方を取っているようで、これと、この日拝見した金剛の形を比べると、たしかに金剛流の展開の方が一般的な流れに沿って無理がないと思いました。

ついでながら、ご承知のように観世座は世阿弥父子から甥の音阿弥の方へ主流が移ってしまい、世阿弥の伝書などは子息元雅が早くに亡くなったこともあって、禅竹に引き継がれたものも少なくなかったようです。この富士山が金春、金剛のみで演じられるのも、もしかしたらそういう関係があるのかも知れません。

実際の舞台の方は明日にまた
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富士山のつづき

さて舞台の進行ですが、まずは脇能ですので、真ノ次第でワキ、ワキツレ二人が登場してきます。
舞台上に進んだワキは、唐土昭明王の臣下という設定なので白大口に袷狩衣ですが、頭には唐冠を戴いています。ワキツレ二人はいわゆる赤大臣で、舞台中央まで出てワキと向かい合うと次第の謡。型通りに三遍返しで謡った後、ワキの名乗りとなります。

謡曲三百五十番には「唐土昭明王に仕え奉るせうけいと申す士卒なり」とありますが、ここは簡単に「唐土昭明王に仕え奉る臣下なり」とのみ名乗り、唐土の法士が日本に渡って駿河国の富士山に至り不死の薬を手に入れた例がある。自分もその遺跡を尋ねようと富士山に赴くのだと言って、道行の謡。
東に向かって日数を重ね、富士の裾野にやって来たと謡って着きゼリフ。海人と思しき女性が何人かやって来るので、話を聞いてみようと言い、ワキツレの「然るべう候」で一同がワキ座へと腰を下ろします。

続いてシテとツレの出、ゆったりとした囃子でツレ二人が先に立ち、紅入の箔を腰巻にして白の水衣を着けています。後から出たシテも紅入の箔を腰巻にしていますが、上は白練を壺折りに着けています。いずれも肩に竿を担い海人の姿を示して舞台に進みます。
舞台上では地謡側にツレ二人が立ち、後から出たシテが常座あたりに立って向き合っての次第。前に出たツレはシテを振り返るような形になります。
次第、地取り、シテのサシから下歌、上歌と謡って、上歌の最後「妙なる山の御影かな」で一同が立ち位置を換えてシテが大小前へ、ツレは角とワキ正に一人ずつ立つ形です。

ここでワキが尋ねたいことがあると声をかけて問答になります。唐土の方士がこの富士山にやって来て不死の薬を求めたらしいので自分も尋ねてきたのだが、その遺跡を知っているかとシテに問いかけます。

さてこのつづきはまた明日に
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富士山さらにつづき

シテは、その昔に鶯のかえごが化して少女となったものを時の帝が皇女に召されたところ、時至って天に上ってしまった。この時形見の鏡に不死の薬を添えてあったが、後に富士の嶽で焼いたため富士に煙が立ち上った、と答えます。

確かに「鶯のかえご」と聞いたように思うのですが、「卵」は古くは「かひご」で殻(かひ)の子の意味と聞いています。なにか子細があるのかもしれませんが、とにもかくにも鶯の巣から見出された様子です。この少女がかぐや姫なのですが、かぐや姫伝説には、大きく分けると、竹取の翁が竹を切ってかぐや姫が生まれたという系統の説話と、鶯の卵から生まれたという説話の形態があるのだそうで、この曲では後者を取っていることが分かります。
詳しく研究されている方もいらっしゃるようで、鶯の卵から孵ったというのはホトトギスの托卵を踏まえてのことという説もあるようです。私は寡聞にして、鶯の巣からかぐや姫が見出されたという話は知りませんでしたが、13世紀に著された海道記には、竹取の翁の竹林で鴬の卵が女の形にかえって巣の中におり、これを翁が育てて子としたのだが、この女を赫奕姫(かくやひめ)というと書かれているようです。

さて角に立ったツレは、富士山の本号は不死山(ふしせん)なのだが、郡の名に寄せて富士の山と言うのだと謡い、ワキがさらに六月上旬にもなるのに富士には雪がまだ見えるのは、いかなることかと問いかけます。

シテは、「時知らぬ山はふじのねいつとてか かのこ斑に雪の降るらん」と夏の歌にもあることを示し、シテ、ワキの掛け合いで三保の入り海、田子の浦の、青々とした水無月の景色に、高嶺が白く雪の見える高く貴き駿河の富士は、げに妙なる山と謡います。この間にワキは座し、ツレが笛座前に着座する一方で、シテは正先から舞台を廻ります。

さらに地のクリ、富士山が天竺より飛び来たった山であると謡い、シテは大小前に下居して謡を聞く形です。シテのサシから地謡となり、クセへ。
クセは居グセで、かぐや姫が天に上った後、富士の高嶺の上で不死の薬を焼いたところ、煙が万天に立ち上り、日月星宿も光を放ったと謡われます。

さてこのつづきはまた明日に
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富士山さらにさらにつづき

ワキの問いかけ。着座のまま、ワキは目付柱の遠くの方を眺める形で「あれに見える山はいかなる山か」と問いかけます。
シテはやや腰を浮かせ、目付の先に山を見る形で、あれは愛鷹山、富士と並ぶ高山で金胎両部を顕している。と語ります。
ワキは重ねて、浅間大菩薩はいずれの神かと問いますが、シテはここで自らの実体をほのめかし、地謡が「恥ずかしや我が姿」と繰り返すと立ち上がってワキに近寄り「不死の薬は与うべし。暫くここに待てしばし」と言い置く形で、ワキ座から常座に向かい、廻って正に向き直って開キ、あらためて来序で中入となりました。
ツレもシテに従って退場します。

さて囃子は狂言来序に代わり、末社出立のアイが登場してきます。

アイは浅間大菩薩の末社と名乗り、不死の山は人皇二十二代雄略天皇の御宇に一日一夜のうちに湧出し、三十一代敏達天皇の御宇に役行者が見出して富士山と言うようになった三国一の山であると語ります。神武天皇から数えて雄略天皇は二十一代、敏達天皇は三十代だと思うのですが、なぜか一代ずつ違っています。

さてアイは唐土から方士が渡って不老不死の薬を求めた謂われを語り、最前、権現・かぐや姫が姿を現し、さらに不死の薬を与えようと言った次第を述べて、神の出現の前に一曲をも仕れと言われてきたと言って、三段ノ舞を舞います。
「これまでなりとて末社の神は もとの社に帰りけり」と舞上げたアイが退場すると、出端の囃子で後ツレかぐや姫が登場してきます。

後場は、最初に書きました通り金剛流と金春流で進行が違います。これも最初に書いた通り金春の演能は見ておりませんので、謡曲三百五十番が金春の形と想定して記載しますが、三百五十番ではアイの退場後、地謡が「かかりければ富士の御嶽の雲晴れて 金色の光天地に満ちて 明け方の空は明々たり」と謡って出端、後シテの出になっています。

それに対して金剛では、まず出端が奏されて後ツレ天女が登場して来る形です。
さてこのつづきはもう一日明日に
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富士山もう一日のつづき

天女の出現を受けての地謡は、三百五十番のものと一句目「かかりければ富士の御嶽の雲晴れて」までは同じですが、その後が「まのあたりなるかくや姫の神体は現れたり げに有り難や神の代の 尽きぬ御影を現して 不老不死の仙薬を 漢かの勅使に与え給う げにあらたなる奇瑞かな」(いささか詞章が怪しいですが)と続き、この謡で両手に捧げ持った仙薬の箱をツレはワキに差し出して常座に戻り、天女ノ舞になります。

三百五十番だと地謡の短い謡の後、後シテが出端で出て「そもそもこれは 富士山に住んで悪魔を払い国土を守る 日の御子とは我が事なり」と謡い、漢朝の勅使がやって来て不死の薬を求めるので与えようと言って、地謡「神託新たに聞こえしかば 虚空に音楽聞こえつつ 姿も妙なるかくや姫の薬を勅使に与え給う ありがたや」で後ツレの天女舞となっています。
後ツレがどこで出てくるのかが分かりませんが、おそらくは「難波」と同様に出端でシテとともに出て、シテの謡の間は笛座か目付、ないしは一ノ松あたりに控えている形でしょうか。

この日の金剛の形では、天女ノ舞の後地謡、これは三百五十番の天女ノ舞の後の地謡とほぼ同じですが、これを聞きつつツレが大左右から雲扇して神の来迎を迎える形になり、早笛で後シテが登場します。

後シテは荒ぶる神、赤頭に大飛出、半切に袷狩衣の煌びやかな姿で勢いよく登場し、一ノ松で「そもそもこれは・・・」と、三百五十番の後シテの謡と同じ詞章をここで謡います。地謡が受けてシテは舞台に進み、舞台上で舞働。さらに地謡に合わせて力強い舞を見せます。ワキは「勅使は二神に御暇申し」で立ち上がってそのまま退場。ツレも「かくや姫は紫雲に乗じて」とワキにつづきます。シテは正中で面を切り正先に進むと両袖を巻き上げ、橋掛りに入って一ノ松から二ノ松と進み「虚空に上がらせ給いけり」と留拍子踏んで終曲となりました。スケールの大きな舞で、神の威勢を感じさせる力強い一番でした。

三百五十番の形では後シテが出端で出て楽を舞うことになっているので、荒ぶる神ではなく、おそらくは老体の神の形を想定しているのではないかと思います。こうした脇能も無い訳ではないのですが、なんとなくしっくりしない感じがします。富士山の神をどう性格付けるかにかかってくるのでしょうけれども、私としては、賀茂などと同様の、出端、天女ノ舞、早笛、舞働という荒ぶる神の構成の方がなんとなく収まりが良いかなと思っています。
(87分:当日の上演時間を記しておきます)
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ぬけから 野村万作(金剛永謹能の会)

和泉流 国立能楽堂 2012.11.18
 シテ 野村万作
  アド 野村萬斎

この「ぬけから」、以前に観たような記憶があるのですが、この十年近くの記録を探してもとんと見つかりません。さらにそれ以前なのか、あるいは他の曲、例えば「簸屑」などと混同しているのか不明ですが、ちょっとスッキリしませんね。

さて舞台の方はまずはアドの萬斎さんが長上下で先に立ち、後から半袴のシテ太郎冠者の万作さんが登場してきます。
まずはアドの名乗りで、この度の御振舞いは夥しいことだと言い、太郎冠者を呼び出して、振舞いのために和泉の堺へ行って肴を求めてこいと言いつけます。

命じられた太郎冠者は、次郎冠者に命じてくれと言うのですが、アドは次郎冠者にも別に用事を言いつけるし、こうしたことは気の利いた者でないと困るから行くようにと再度命じて下がってしまいます。
さて言いつけられたシテの方は、一度常座あたりまで進みますがここで独白。いつもは使いを命じられる度に酒を下されるが、今日はそれがない。今日くらいは良いかとも思うが、これが例になってはまずいので、気を付けようと主に声をかけます。

出かけたと思った太郎冠者が戻ってきたことを不審に思いつつ、主は太郎冠者にどうしたのかと問いかけます。と、太郎冠者は、肴を買ってくるように言われたが、肴は古いのが良いか新しいのが良いかと問います。主は当然ながら「新しいのが良い」と言うと、太郎冠者は、拙もそう思いましたが肴は新しいが良いように酒も新しいのが良い・・・などと余計なことを言います。

主はこれで、いつも出かける時には酒を呑ませているのに、今日は呑まさなかったため「気を付けに戻った」と理解し、「これは呑まさずはなるまい」と言って、後見が持ち出した葛桶の蓋を持ってワキ座に出ます。
つづきます
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国立能楽堂企画公演を観に行く

本日は国立能楽堂に企画公演を観に行って参りました。
今回の企画公演は「天狗-その知られざる世界」と題して、前日金曜日が狂言「井杭」と能「大会」、そして本日が狂言「鞍馬参」と能「松山天狗」という番組です。
ま、さすがに金曜日は仕事で観に行けず、しかも昨日は久しぶりの大きな余震で、開演の頃は常磐道や北関東道が通行止めになるし、大混乱しておりました。
ですが、一夜明ければ今朝は青空、気持ちの良い観能となりました。

観能記が溜まっておりまして、本日分にたどり着くのははて何時のことになるやらという感じですが、狂言も能もそれぞれに楽しく拝見しました。
鞍馬参は今年一月に大藏流善竹十郎さんのシテで拝見した際の記録を書いていますが、今回の上演では前半の鞍馬参そのものの場面がありません。シテ佐藤融さん、アド佐藤友彦さん父子(子父)という狂言共同社の上演でして、名古屋にはこの形で伝わっていたのでしょうか。鑑賞記を書くまでに調べられればと思いますが・・・

能はシテ梅若紀彰さん、ツレ観世喜正さんということで、観世流の松山天狗のため復曲能です(松山天狗は金剛流のみが現行曲としていて、観世流は平成6年の復曲)。松浦佐用姫の時も思ったのですが、復曲となると、古典的な能の型を基本としつつも現代的な演出を試みるという傾向になるようで、今回の松山天狗もなかなかに凝った演出、面白く拝見しました。
後シテの面は「二十余(はたちあまり)」ということで、蛙に似た面ですが、本来は藤戸の専用面だそうです。銀色に見えるくらい血の気のない、若い男の幽霊というに相応しい面ではありますが、装束と合わせると、崇徳院の幽霊という設定に見事にあっている感じを受けました。

紀彰さんと喜正さんということで、地謡は梅若会と九皐会、それに銕仙会の混成団のような具合。かつての梅若流を構成した流れ・・・ということにはなりますが。
舞台の様子はいずれそのうち
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「ぬけから」のつづき

さてアド主人から酒を勧められたシテ太郎冠者「お律儀千万な」と驚いた風を見せ、毎度くださるものを今日一日忘れられたと言って何ほどのことがありましょうなどと言い、私はもう参りましょうと行くそぶりを見せます。
まあ形だけ断るそぶりを見せるということなのでしょうけれども、これを主が止めて二人して座し、あらためて主人が太郎冠者に盃を勧めます。

シテは「例の大盃でござるか」などと言いつつも嬉しそうに振る舞い「お酌慮外でござる」と言いながら一杯目を受けて飲み干します。味はどうだったかとアドに問われて「ただひいやりといたいたばかりで何も覚えませぬ」と答え、アドは「も一つ呑め」と二杯目を勧めます。
こうしたやり取りは素袍落も同様で、こうした酒好きの男をめぐる定型的なものなのでしょうね。

二杯目を「も一ついただいて味を覚えましょう」などと言いながら飲み干した太郎冠者、「今覚えました」と酒の味が分かった様子で、何時もいただく酒とは違う酒と褒めます。主人は自分が寝酒に呑む遠来の酒だと明かしますが、シテは酒を褒め、さらに人々が主人のことを、お慈悲が深い、いずれご立身なさいましょうと大変に褒めている、などと口にします。
さらに、世間の人がその様な方に仕えている自分のことを果報者だと言う、などと様々に追従を言うと、杯を出して三杯目を催促します。

主人が三杯目を注ぐと、直ぐに飲み干そうとしますがむせてしまい、主人から休んで呑めなどと声をかけられます。
だんだん酔いが回って怪しくなってくるあたりまさに芸の見せ所ですが、万作さんの味わいあるところで、「御前のことを人がいこう褒めまする」と先ほどと同じ話を、さっきよりも酔いが回った雰囲気で繰り返します。

酔いが回って船を漕いでいるので、主が「行かぬかやい」と声をかけますが、「どこへ?」などとシテはとぼけた返事をした上で、分かっていると立ち上がります。
さてこのつづきはまた明日に
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「ぬけから」さらにつづき

シテは立ち上がってさらに酔いが回った風で歩き出し、謡うて行こうなどと言って「浜松」を謡いながら舞台を廻ります。
正中に廻って正面を見上げると、石仏を人と見間違って挨拶し、石仏と気付いて「石仏が人に見えては行かれぬ ちと寝ていこう」とその場に横になってしまいます。

さてアド主人、酒に酔って行った路次の程が心配と、太郎冠者の様子を見に出かけますが、道ばたで寝込んでいる太郎冠者を見つけ、起こそうとします。
しかしあまりに酒臭いので懲らしめてやろうと思い、寝ている太郎冠者に武悪の面を被せて「先ず帰って様子を見ようと存ずる」と先に帰る風で笛座に下がります。

ようやく目覚めた太郎冠者、どうやら顔が面腫れたような、などと言いながら舞台を廻り、水を飲もうと清水に立ち寄って水面を見ますが、鬼の姿を見つけて驚き、橋掛りまで逃れます。
もう一度見てみようと再び水辺に寄り、鬼は自分の姿と気付きますが、何の因果か鬼になってしまったとしょげかえり、仕方がないので主人の所に戻ることにします。
さて家まで帰ってきた太郎冠者、主人を呼びますが、出てきた主人に「鬼は出て行け」と言われてしまいます。しかし自分は太郎冠者で気付いてくれと懇願し、門番として置いてくれと言い、駄目だと言われると、それでは台所で釜焚きにしてくれなどと言ったりします。

結局、主人に拒まれた太郎冠者、それでは清水に身を投げるしかないと、先ほどの清水まで行って身を投げますが、その勢いに面が外れ、主人の下に急いで戻ります。
主人を呼び出し、鬼の抜け殻と面を示すと、主人が叱って留になりました。

大藏流にもあり、こちらは抜殻と表記します。演出もいくつかあるようで、最初に酒を呑まずに出かけた太郎冠者が、主人に気付かせようと戻る際に、肴は新しいのが良いかといった問いではなく、直截に「何か忘れたことはないか」と尋ねたり、最後も主人が面を取って顔にあて「いで食らおう」と太郎冠者を驚かしたりなど、様々な演じ方があるようです。
(38分:当日の上演時間を記しておきます)
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羽衣 盤渉 金剛龍謹(金剛永謹能の会)

金剛流 国立能楽堂 2012.11.18
 シテ 金剛龍謹
  ワキ 野口敦弘
  ワキツレ 工藤和哉 野口琢弘
   大鼓 亀井洋佑、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 小寺佐七、笛 一噌幸弘

このブログでも何度か取り上げていますが、羽衣ほどポピュラーな能は少ないと思います。正直のところ、この日はスケジュールが立て込んでいたこともあり、時間の都合で羽衣は無理に観なくとも良いかなどと思ってもいたのですが、「ぬけから」まで終えたところでまだ時間の余裕もあったことと、前々から、龍謹さんの舞を観てみたいと思っていたこともあり最後まで拝見。これが予想外に面白かったというのが本音です。
そんなわけで、何度か観能記を書いている曲ですが、あらためて羽衣について書いてみようかと思った次第です。

羽衣はいわゆる羽衣伝説を能化した一曲で、五番立てでいうと三番目物で春の曲です。ただし一場構成の太鼓入り序ノ舞物で、東北や野宮などのように大小序ノ舞の曲、いわゆる「本三番目物」には含まれません。曲調も全体として明るく、昔は四番目ないし五番目物とされていたらしいというのも納得感があります。

羽衣伝説は日本各地に古くから伝えられていますが、いくつかの類型があるようで、羽衣を隠されて天に帰れなくなってしまった天女が、人間の男と所帯を持って子をもうけるといった形が多いようです。しかしこの羽衣の能では、漁師が羽衣を見つけて持ち去ろうとするところに天女が声をかけ、問答の末に舞を舞うことと引き換えに羽衣を返してもらうという展開になっています。
これは駿河国、三保の松原に伝わる伝説で、静岡市清水の御穂神社には天女が羽衣を懸けたという松や、羽衣の裂が残されているそうです。ただし、この曲の展開が当地三保に残されている伝説と同じなのかどうかは確かめてはおりません。
なにはともあれ、舞台の進行は明日につづきます
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羽衣のつづき

囃子方、地謡が座に着くと後見が登場し、一ノ松の欄干に畳んだ衣を懸けます。この曲は正先に松の立木台を出し衣を懸けるのが通例ですが、小書が付くと立木台を出さずに勾欄に衣を懸ける形になる場合が多いようです。

実は金剛の小書無しの演能も観能記を書いているので、この点、念のために確認しておこうと思ったのですが、そうした細かいことは何も書いてありませんでした。このブログも最初の頃は観能の印象を主にしていたためですが、その場の日記としては良いとしても、後で何かを確認しようとするとほとんど役に立ちません。
その後、いわゆる感想の記載は思い切って削り記録を主に書いていますが、他流との比較や能楽師の演出の意図を考えたりするには、この方が有意と考えています。まあ個人のブログなので、どう書いても個人的な満足以上のものではありませんが・・・

それはさておき・・・今「閑話休題」と書こうとして、そもそも全体が「閑話」ではないのかと自分に突っ込んでしまいました・・・舞台の進行に移ります。
ワキの野口さんのお父さんの方、ワキツレ工藤さん、野口さんのご子息と三人が一声で登場し舞台中央で向かい合って一セイ「風早の 三保の浦回を漕ぐ舟の 浦人さわぐ浪路かな」を謡います。三人は大口に水衣、肩に竿を担い漁師の姿。謡い終えるとワキツレ二人はワキ座に向かい、ワキのみが後見座で竿を下ろして橋掛り一ノ松に向かいます。

一ノ松でワキのサシ「これは三保の松原に 白龍と申す漁夫にて候」を謡い、直ちに詞「われ三保の松原に上がり・・・」となります。常の形は舞台上で向き合って一セイ、ワキのみ正面を向いてサシ、向き合って三人の謡、下歌、上歌と続いてワキの詞になるわけですが、バッサリ省略されています。

ワキは「寄りて見れば」と衣に寄り両手に取ると「家の宝ともなさばやと」と舞台へ向かいますが、ここで幕が上がりワキが正中あたりに至ったところで、シテの呼び掛けとなります。「自分の衣なのになぜ持っていくのか」というわけですが、ワキは拾った衣なので持って帰るんだよ、と答えます。このあたりからシテが鏡の間内を歩み出し、「それは天人の羽衣とて」と説明しつつ幕を出てきます。
天人の羽衣と聞いては国の宝にしなくてはならないから返せないとワキが言い、一ノ松までやって来たシテが「羽衣がなくては天上に帰れないので返してほしい」と懇願する形です。
さてこのつづきはまた明日に
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羽衣さらにつづき

シテ、ワキの問答が続いて、ワキはシテに向き合う形になり、ワキ「白龍衣をかえさねば」シテ「力及ばず」二人「せんかたも」地謡「涙の露の玉鬘・・・」と続き、シテはシオル型から舞台に入ります。
舞台に入ったシテは常座で「天の原 ふりさけみれば・・・」とワキを向いて謡い、地謡の下歌で正面に向き直り四五足出て下がり、「うらやましきけしきかな」と片シオリです。

この後上歌が省略されてワキの詞「あまりに御痛わしく候ほどに 衣を返し申そうずるにて候」となり、シテは喜びを見せます。衣を返す条件として天人の舞楽を見たいというワキ、衣がないと舞えないのでまずは衣を返して欲しいとシテ、返したら舞わずに天に上ってしまうのではとワキが疑うやり取りが続きます。
「いや疑いは人間にあり 天に偽りなきものを」というシテの詞に、恥ずかしさを感じたワキがシテに寄って衣を渡し「羽衣を返しあたうれば」と謡って物着になります。

畳んであった衣が広げられますが、これがまた金地に鳳凰の羽が描かれた見事な長絹、素晴らしい装束です。後ろから見るとまさに羽が生えたような印象。
シテは常座に立ち、ワキとの掛け合いからワキを向き、地次第「東遊の駿河舞」で正面に開キ、左右打込開キ。地取りの間に後ろを向いて様子を整えて向き直り、地のクリで大小前に向かいます。

シテのサシ「就中 月宮殿のありさま」からの地謡との掛け合いは立ったままで謡い、地の「駿河舞 世に伝えたる曲とかや」で扇広げてユウケンしクセに入ります。
クセの舞は基本的な形をなぞり、「月の桂の花やさく」で足拍子、「春のしるしかや」でもう一度足拍子を踏んで右に受け、正面を向き直して出ると、目付から大小前に向かい、四拍子踏んで左右、大小前で開キ、打込して扇広げて上端で上扇と、曲舞の形です。

大左右の後、「落日の紅は」と正先から左に回って大小前で左の袖を上げ、見回す形から六拍子、角に進んで扇をカザシ大小前に戻ると左右打込、扇を下ろした後、閉じて合掌の形で「南無帰命月天子本地大勢至」と謡って、地謡「東遊の舞の曲」で後見座に向かい装束直して序ノ舞です。
このつづきもう一日明日に
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羽衣さらにさらにつづき

盤渉の小書の通り、舞は盤渉序ノ舞。初段から盤渉調での舞になります。ゆったりとした舞出しですが、あまり重くなり過ぎず天女の軽やかさも感じられるところ。

二段のヲロシでは猩々をふと思わせるような独特の足使いを見せます。あれは羽衣の力によって空に舞い上がったことを示すのでしょうか、不思議な所作です。金剛の盤渉は、観世の和合之舞と同様に、序ノ舞の最後が破ノ舞の位になると言われますが、龍謹さんの舞はしっかりと軸がぶれない安定感と同時に、徐々に軽やかさを増した感じで気持ちの良い舞姿。舞金剛の名に恥じない動きでした。

一噌幸弘さんの笛、様々な洋楽とのセッションなども行っておられるだけあって、いつもながら間も、音色も楽しめます。時間の余裕があったことに加え,笛が幸弘さんというのも、最後まで観ていこうかと思った理由の一つです。

さて序ノ舞を舞上げると盤渉の小書では破ノ舞が省略されるため、シテのワカ「あるいは天津御空の緑の衣」から地謡「靡くも返すも舞の袖」も省略されて、キリ地の「東遊びの数々に」に繋がります。

シテは大左右、正先へ打込開キ「三五夜中の空に又 満月真如の影となり」と雲扇して月を愛でる形。「七宝充満の宝を降らし」と諸手で招キ扇して国土に降る様を見せ正先に出、角に出ると扇を左手に取ってハネ扇。「時移って」と橋掛りへ進むと、ハネ扇して小廻り。袖を被いてワキの方を見込み、二、三足後ろ向きに下がると、再び小廻り。さらに二、三足後ろ向きに下がって小廻り、さらに下がって、ゆっくり巻き上げられた幕にそのまま下がりつつ姿を消しました。代わってワキが立ち上がって、ワキ留めの形で終曲です。
喜多流の舞込に似た展開で、風情ある形と思いました。羽衣も奥が深い・・・

附祝言は「金銀珠玉は降り満ちて・・・」岩船ですねえ、滅多に聞きませんが。
東京で能を観ていると附祝言の無い会の方が多いですが、あっても通常は高砂で、高砂が既に初番や仕舞で出ていると猩々などが謡われることも。附祝言に使える曲はそれほど多くない中で京都では岩船も珍しくないのでしょうか、ねぇ。
(60分:当日の上演時間を記しておきます)
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雨月 塩津哲生(喜多流自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2012.11.25
 シテ 塩津哲生
  ツレ 佐々木多門
  ワキ 宝生閑
  アイ 石田幸雄
   大鼓 佃良勝、小鼓 観世新九郎
   太鼓 徳田宗久、笛 松田弘之

この能をどう捉えたものか、和歌の知識も無いのでなんともよく分からない一曲です。7、8年ぶりに観たのですが・・・

地謡、囃子方が登場して座に着くと、後見が紫の引廻しをかけた板屋を持ち出して、地謡前に据えます。板屋の作り物は見所から見ると手前側が葺き残してあります。
流儀などによって引廻しをかけない場合もあるし、出す場所も地謡前ではなく大小前とすることもあるようです。また葺き残しをせず、屋根が全部を覆っている場合もあるようですが、この前観た時はさてどうだったのか、記録がないので確認が取れません。

まずは次第の囃子、松田さんの笛で趣が深まるような印象です。
ワキ宝生閑さん、紺の無地熨斗目を着流しに、黒系の水衣、角帽子も同系色のものを着けた上から笠を被り、橋掛りを進んで常座にて型通り斜め後ろを向いて謡い出しです。

地取りで笠を外して正面に向き「嵯峨の奥に住まいする西行法師」と名乗ります。名乗り終えると再び笠を被って道行の謡。
嵯峨野から西の空、月を標に難波の御津の浦伝い、住之江にやって来たと謡って着きゼリフになります。後見は引廻しに手をかけて間合いを計る様子。

ワキは、住吉に着いてはや日も暮れたので、釣殿と見えて火の光が見えるので宿を借りようと言って、常座で後ろを向き橋掛りへ進みます。ワキが後ろを向いたあたりで引廻しが下ろされ、板屋の内には奥側にシテ老翁が床几に腰を掛け、見所から見て手前側にツレ姥が座しています。
さてこのつづきはまた明日に
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喜多流自主公演能を観に行く

昨日は今年最後の喜多流自主公演能を観に、目黒まで行ってきました。
久しぶりに気温が上がり、上々の晴れ。途中、牛久沼近くでは、常磐線の車中から雪を被った富士山が素晴らしく良く見えました。

衆議院選挙の関連で、どうしても早めに戻って来ざるを得ず、最後の猩々は断念。本当は年の最後に目出度く猩々と思うところなのですが、これはやむを得ませんでした。先週、国立の企画能のワークショップで、みんなで猩々を謡ってみようという企画があったので、ま、それをもって代えるということで・・・

番組は佐藤章雄さんの女郎花、万蔵さんと太一郎さんで仏師、高林白牛ロ二さんの葛城というところまで観て早退。
夕べは帰ってきてから選挙関係の件があり、自宅に戻ってきたのが11時58分。ということでブログ更新は断念しました。

さて、本日はこのあと、書きかけの雨月のつづきを更新します。

雨月のつづき

引廻しが下ろされる一方、ワキは橋掛りを一ノ松まで進んで佇む形です。
シテの謡「風枯木を吹けば晴天の雨・・・」ワキはこの謡の終わり近く「余りに堪えぬ半の月」あたりで舞台に戻り、謡一杯に常座に立ちます。

ワキはシテを見込んで案内を乞います。これにシテが答えると、行き暮れた修行者だが一夜の宿を貸して欲しいとワキが宿を乞います。
この手のやり取りは一度シテが断るものですが、型通りシテは余りに見苦しき柴の庵なので宿は貸せないと断ります。

ここからのやり取りは、この雨月という曲の眼目でしょうが、ツレ姥はワキが出家の様子なので中に入るようにと勧めますが、二人同吟の謡で「さりながら秋にもなれば夫婦のもの 月をも思い雨をも待つ 心々に葺き葺かで住める軒端の草の庵 いづくによりて留まり給うべき」と謡います。この謡を聞いてストーリーを理解せよというのはいささか困難な話で、少なくとも私は訳が分かりませんでした。

この後はワキの問いかけ「偖は雨月の二つを争う心なるべし 月はいずれぞ雨はいかに」ツレ「姥はもとより月に愛でて板間も惜しと軒を葺かず」、さらにシテ、ツレと掛け合いで謡が続いていきます。これらを総合すると、この老夫婦は姥が月を愛でる一方で老人が時雨の音を愛でることから軒端の一部を葺かないままになっている様子です。
作り物の板屋は流儀によってですが、この日はこの謡の通りに屋根の一部に板がなく葺き上げていない形になっています。以前に観たときは確か通常の板屋だったように思いますが、面白い演出ではあります。

シテは掛け合いの謡の最後に「賤が軒端を葺きぞわづらう」と謡い、これは歌の下の句なので、上の句を継がせられたら宿を貸そうとワキに言います。
これに対してワキが「月は洩れ雨は溜れととにかくに」と詠い、シテがこれを歌として繰り返して面白いと謡い「こなたへ入らせ給えや」とワキを招ずることになります。
さてこのつづきはまた明日に
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雨月さらにつづき

ツレが「なう村雨の聞え候」と謡い、シテも村雨が聞こえると応じますが、村雨ではなく秋風が軒端の松に吹き来る音と二人謡いながら、シテが立ち上がり、シテとツレは作り物から出るとワキと立ち位置を換えて、ワキがワキ座に、ツレが笛座に、そしてシテが正中へと出ます。
黒塚・安達ヶ原の観能記にも書きましたが、こうした空間の使い方は本当に能の能らしいところで、シテとツレは板屋から外に出たのですが、外に出ることによって舞台全体が板屋の中になり、ワキは二人の庵の中に入ったということになります。
一瞬にして、外が中になってしまうという空間設定の面白さを感じるところです。

地謡が謡うのに合わせ、シテは舞台中央で小さく回りワキに向いて開キ、「いざいざ砧擣とうよ」とツレに向きます。シカケ開キ、六拍子、左右、打込と型が続き扇広げてシテの謡「時雨せぬ夜も時雨する」と開キ、地謡が「木の葉の雨の音信に」と続けて大左右。舞台を大きく廻って大小前に戻り、「重ねて落るもみぢ葉の」と下を見回す形です。
さらに二、三足出て「色にも交じるちりひぢの」と下居。「木の葉をかき集め」と扇で葉を集める所作を見せてから、地謡の終わりに合わせて扇を閉じます。

シテは下居のままワキを向いて、夜も更けたので旅人も休むようにと勧め、地謡が受けると立ち上がってゆっくり右回りに舞台を廻って常座に向かいます。「松が根枕して共にいざやまどろまん」とワキに向き、太鼓の打ち出しでツレも立ち上がると、二人中入となりました。
最初の一、二足は十分に溜めた感じですが、徐々にするすると歩を早め来序で幕に入ります。シテ、ツレが幕に入ると後見が立って板屋を下げ、これも幕から退出します。ここであらためて囃子が狂言来序を奏し、アイが末社出立で登場してきます。
アイは摂州住吉の明神に仕える末社と名乗ります。

アイは住吉の明神を、その昔異国の夷をも平らげ、陰陽和歌の道にも優るる神であると褒め称えます。
北面の武士佐藤義清(のりきよ)西行法師として出家し世に隠れも無き歌人であるが、住吉の明神が歌の守護神でもあるので住吉に足を運んできた。住吉の両神は仮に老夫婦の姿をとって庵を結び西行を待ち構えていたが、西行がやって来ると老人夫婦には雨月の争いがあって、軒端の屋根が葺き上がっていない。老人夫婦は歌の下の句を示し、西行法師に上の句をつぐように求めたが、西行が見事に歌をついだので、これを愛で住吉明神は奇瑞を見せようと考えられた。その旨を西行に知らせ申すようにとの御神託を受け、やって来たのだと常座にて立ちシャベリです。

明神の詞を伝えるので、皆々心得候えと繰り返して告げ、アイ末社の退場です。
さてこのつづきはもう一日明日に
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雨月もう一日のつづき

このところ、間狂言に注意して聞いてみるようにしています。富士山のアイといい、なかなか面白い。前場の流れを整理するといったのが概ねの形ですが、その中に、何かしら聞いていて「ほうほう」と思うような部分があります。
この雨月、最初にワキが「西行法師」と名乗っていて種明かしは済んでいるのですが、あらためて間語りを聞くと、ワキが西行法師である意味が納得できます。けっして偶々「西行」であるのではなく、西行だからこそ住吉明神が顕現するという奇瑞が起きるのであって、この曲が成立する前提になっているわけです。蟻通のワキが紀貫之であるのと同様の意味づけになっていますが、蟻通の話はこの後、再度触れます。

さてアイが退場すると、後見が御幣を載せた台を持ち出してきてワキ正に据えます。
囃子が出端を奏し後シテの出。明神が下りた宮人(神憑りということしょうね)という設定で、白袷狩衣に深緑の色大口、初冠に白垂の姿で登場します。宮人に下りた明神の姿を示した形です。翁烏帽子の宮守の形で出る演出もあるようで、たしか前回観た時はこちらだったように記憶しています。これは蟻通と同様の形で、神は下りているが宮人であることを示す姿ですね。

シテは一ノ松に立つと「あら面白の詠吟やな・・・」と謡い出します。「われをば誰とか思う 忝くも西の海 檍が原の波間より」と謡いつつ舞台に向かいます。
シテがシテ柱にかかるあたりで、地謡が「現れ出でし 住吉の」と謡い継ぎ、常座に進んだシテは御幣の置かれた台の前に下居して、「神託まさに 疑わざれ」と謡いつつ、御幣を右手にとって振ります。
さらに両手で幣を捧げ、左手に持ち替えると膝に立てた形で祝詞。「そもそもこの神の 因位を尋ね奉るに・・・」と謡い出し。祝詞の謡の終わり「謹上」と謡って再び幣を振り、地謡が「再拝」と受けてシテは答拝、笛のヒシギで幣を置き立ち上がって真ノ序ノ舞です。

前々からだったのか、最近のことなのか、塩津さんお手の震えがいささか目だちます。正直、作り物から出るあたりでは大丈夫かと思ったのですが、謡の声は伸びやかですし、起ち居には何の支障もない様子。舞もしっかりと拝見しました。

舞上げて地謡となり、ゆったりと舞い続け「岸うつ波も松風も」と六拍子しっかり踏んで目付へ。角トリして舞台を廻り大小前、さらに正先にと出て開キ。「神は 上がらせ給いければ」と下居して扇を上げ下ろし、神が離れた態で立ち上がると常座で留拍子となりました。
蟻通との関連を感じる一曲でした。今回の詞章は謡曲三百五十番に依りましたが、一部仮名遣いを直しています。
(88分:当日の上演時間を記しておきます)
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千鳥 野村萬斎(喜多流自主公演能)

和泉流 喜多六平太記念能楽堂 2012.11.25
 シテ 野村萬斎
  アド 月崎晴夫、小アド 高野和憲

千鳥は茂山逸平さんの上演の記録を書いています(鑑賞記初日月リンク)。同じ千鳥ですが大藏流と和泉流では案外違うという一曲。流儀によってもほぼ同じというものもあれば、全く違う曲もありますが、この曲は割合違いがある方かなと思います。

舞台にはアド主人の月崎さんが長上下で先に立ち、半袴のシテ太郎冠者の萬斎さん、長上下の小アド酒屋の高野さんが続いて登場。シテは大小前、小アドが笛座前に控えて、アドの名乗りです。
主人は太郎冠者を呼び出して、この辺りの神事が明日行われるので酒屋に行って酒を取ってきてくれと命じます。しかし太郎冠者は「酒手の算用」が済んでいないのでなかなか酒を取っては来られないと断ります。主人は先日も取ってきたではないかと言いますが、冠者はいろいろな嘘を言って酒を持ってきたもので、とても無理なことと重ねて断ります。
すると主人、されば米をやろうと言い出します。しかし太郎冠者すかさず、僅かばかりしかない米をやったらご飯米にも困りましょうと諫めます。
とは言え明日の神事に酒がなくては済まないだろうと主人に言われ、そこは太郎冠者も納得するところなので、結局は不承不承ながら酒を貰いに行く羽目になってしまいます。

主人は後見から葛桶を受け取り正先に置いて下がります。
太郎冠者は、小さな樽ならまだしも大きな樽を持ち出して、と困りますが、ともかくも桶を持って酒屋に向かうことにします。
この独白で、主人が酒好きで何かにつけては酒を呑んで困ったものだという話も出てきます。

大藏の形では、酒屋の主人と太郎冠者が親しい仲で、しかも太郎冠者が酒好き。せっかく酒をもらってきても自分に呑ませてくれないと太郎冠者が主人に文句を言い、主人が今度は太郎冠者に最初に呑ませるから、などと言い訳して使いに行かせるやり取りがあります。冒頭の部分でもいささか違いがあって面白い。今回の上演では明日が当地の神事というのが、その後の酒屋とのやり取りの伏線になっています。
ともかくも、このつづきはまた明日に
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千鳥のつづき

さて舞台を廻って酒屋に着いた態の太郎冠者、樽を見せてはなるまいと常座と後座の境に葛桶を置いて声をかけます。これに答えて小アド酒屋が立ってワキ座に。

シテは酒屋に追従を言い、さらに明日は神事があるので、子供など連れて早朝からおいでいただきたいと酒屋を誘います。
酒屋は用事があって行かれぬと断りますが、それでは子供だけでもいかがか、などと太郎冠者はねばります。明日の神事では面白い山が出るなどとさらに誘うのですが、酒屋はなかなか応じてくれません。そんなやり取りの内に、太郎冠者は神事なので酒が要ると自然に話を持っていき、正先に樽を出します。

なんとなく良い雰囲気で話を進めてきた酒屋も、算用が済んでいないので酒は売れないと、ここは厳しく断ります。しかし太郎冠者は、今朝ほどこちらに向けて牛につけて一駄の米を送ったがまだ着かないか、と言い出します。

主人は機嫌を直し、米が来るなら酒を詰めてやろうということになり、酒を詰めた樽を正先に出し、米が届くまで話をして待っていようということになります。
そこで太郎冠者が尾張の津島祭の話をすることになります。大藏流では、酒屋が太郎冠者に代金のない時だけ自分の所に来るのだろうと言い、しばらく来なかったのがその証拠だと言うと、太郎冠者は尾張の津島祭を見物に行っていたので来られなかったのだと言い訳し、津島祭の話をする展開です。

今回の舞台でも、以前観た大藏流でも、まずは浜辺で子供が千鳥を取るのを見た話になり、酒屋に「浜千鳥の友呼ぶ声は」と囃させ「チリチリヤ チリチリ」と樽を千鳥に見立てて、千鳥取りの真似をします。
最初は酒屋も面白がっていますが、太郎冠者が千鳥に見立てた酒樽に手を出し酒屋が止めさせます。もう一度ということでまた囃しますが、今度は太郎冠者が葛桶に引き綱をつけて引こうとし、酒屋これは面白くないと言って千鳥の話は終わりにして違う話を求めます。
このつづきはもう一日明日に
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千鳥さらにつづき

そこで今度は流鏑馬の真似をすることになります。
酒屋が馬場先の人を追い払う役になり、後から太郎冠者が「お馬が参る、お馬が参る」と走り回ります。これは大藏流とも同じ展開。しかし太郎冠者が酒樽に手を出そうとして、またもや酒屋が警戒してしまいます。
太郎冠者は的が必要だと言って酒屋をワキ座に立たせ、扇を的に見立てて顔の脇にかざさせます。これで自分の動きが見えないようにして、「お馬が参る、お馬が参る」と舞台を跳ね回り、再び酒樽に手を出そうとします。

ちょうどその時に酒屋が扇を下げて太郎冠者を見ようとし、太郎冠者は弓を構える形をして「危ない」と酒屋を脅かします。酒屋は面白いところが見たいのだと言いますが、太郎冠者はもう少しで矢が当たるところで、危ないところだった。面白いところになったら声をかけるから、それまで扇をきちんと構えているようにと酒屋に言って、さらに「お馬が参る、お馬が参る」と舞台を跳ね回ります。

そうこうしているうちに、太郎冠者は矢が当たったと酒屋の扇を打って酒屋を押し倒し、樽を持つと急いで逃げて行きます。
型通りに酒屋が太郎冠者を追って終曲。
大藏流と異なり、山鉾の仕方話は出てきません。いくつか、大藏流との相異がありますが、比べてみると太郎冠者の性格付けなどに違いが見られて面白いと感じました。

茂山逸平さんと萬斎さんと、流儀も異なり同じ曲ながら展開に違いもありますが、なにか微妙に共通するものを感じました。なんといったら良いか、リアルというとニュアンスがちょっと違うのですが、狂言の様式に従っていながら、様式をはみ出ている。新しさなのか、工夫なのか、ともかく面白い狂言でした。
(34分:当日の上演時間を記しておきます)
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花筺 長島茂(喜多流自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2012.11.25
 シテ 長島茂
  子方 友枝大風、ツレ 大島輝久
  ワキ 森常好
  ワキツレ 大日向寛 森常太郞 御厨誠吾
   大鼓 柿原光博、小鼓 森澤勇司
   笛 寺井宏明

花筺は、以前観世流鵜澤久さんの筺之伝、大返の小書付の上演についてブログで取り上げています(鑑賞記初日月リンク)。小書による変化はさほど大きくありませんが、流儀の違いもあり、舞台の流れを書いておこうと思います。

まずはワキツレの大跡部皇子に仕える男、大日向さんが素袍上下で登場し、常座にて名乗ります。武烈天皇の跡を大跡部皇子が譲られたので今朝上洛された。ついては寵愛していた照日の前に、手紙と朝夕手馴れた花筺を下されたので、届けに行くところという子細です。花筺ということで、花が入った手籠を持ち、胸元には文が覗いています。

橋掛りに向かい一ノ松から声をかけるとシテの出。幕前に立ったシテは即位を目出度いと思うものの名残惜しいと謡い、とは言え手紙を残されたのは有り難いことで早速読もうと、ワキツレから受け取った花筺を左手に携えて大小前に下居、文を広げて読み上げます。手紙の文字を追うように面を使いつつ謡い、地謡の下歌「書き置きたまう水茎の跡にのこるぞ悲しき」で文を下ろしてシオリます。

上歌で佇まいを直し、「松の嵐もいつしかに」と目付柱の方に見上げる形。「花の跡とてなつかしき」と手籠を取って立ち上がり、扇を返して右手の籠に添え「抱きて里に帰りけり」とアシライで中入となりました。
このつづきはまた明日に
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花筺のつづき

シテが幕に入ってしまうとあらためてヒシギが吹かれて次第の囃子。子方を先頭にしてワキツレ輿舁の二人が後ろから輿を差し掛け、ワキの官人森常好さんが供奉する形で登場。子方は白大口に朱の狩衣、初冠の姿で正中やや前気味に立ち、ワキは常座に控えます。

次第の謡からワキのサシ謡、ワキツレとの掛け合いから三人での謡と続いて、大跡部皇子が即位して継体天皇となり、秋の日に初紅葉を愛で行幸されることを謡います。
謡い終えると子方はワキ座にて床几に。ワキは隣に控え、輿舁は鏡板に控えて後シテの出を待ちます。

一声の囃子、左手に籠を持ったツレが先に出て一ノ松に立ち、後から出たシテは肩脱ぎの姿です。物狂いの態で都への道を教えて欲しいと旅人に呼び掛けるようにシテの謡。ツレが都への道は雁が示してくれると受けます。
シテ、ツレの一セイ「玉章を つけし南の都路に」で二人は舞台に入り、ツレが笛座に、シテは地謡の謡う中、常座から正中に進んで足拍子を踏みカケリです。

カケリで舞台を廻りシテの謡「宿かりがねの旅衣」。地謡の謡で舞台を一廻りして大小前で開キ、シテのサシ「君が住む越の白山知らねども 行きてや見まし足引きの」と続きます。地謡、シテと掛け合いで謡が続き、天皇の位に上った皇子を尋ねて都へ向かう様が謡われます。

シテは大小前からツレを見込んで正面に向き直り、地の下歌。続く上歌で目付柱の方に三足ほど出、正に向き直るとシカケ開キ、右から廻って大小前。「なほ通いゆく秋草の」とワキ正の先を見込んでワキ正にツメ、「野暮れ山暮れ」と笛座方に向きを換えて正中で小廻りし「玉穂の宮に着きにけり」と正面を向きます。いよいよツレともどもに都にやって来た態です。

ここでワキが立って「時しも頃は長月や」と謡い出し、紅葉狩りの行幸が進む様子を謡います。
シテ、ツレは向き合って「さなぎだに都に慣れぬ鄙人の」と謡い出し、狂いを見せて行幸の一行の前に出た様子。ワキは狂女の様子に不審を感じ「官人立ちより払ひけり」とツレの持った籠を打ちます。
さてこのつづきはまた明日に
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花筺さらにつづき

ワキは「そこのき候へ」と声をかけ、ツレが「君の御花筺をうち落とされた」と声を上げます。持っている花籠を「君の御花筺」と尊ぶのはどういうことかとワキが不審がり、ツレ、シテをともどものやり取りに。

シテは「この君」以外に日本に別の君が御出なのかと言い、ツレが「忝くもこの君は応神天皇五代の御孫」シテが「大跡部皇子と申ししが」と続け、継体天皇となられた君の御花筺なのにおそれもせずに・・・と掛け合って、仕舞でもお馴染みのクルイ
ツレ「打ち落とし給ふ人々こそ」
シテ「我よりもなほ物狂よ」とワキを向いて二足ツメ
地謡の「恐ろしや 恐ろしや」で六拍子踏み返し、シテは角へと向かってクルイの舞い始め「世は末世に及ぶといへど 日月は地に落ちず」と続いていきます。

花筺のクルイの仕舞は素人さんの会でも良く舞われる有名なもので、私もとても好きな仕舞です。謡も面白く、また所作も謡に合って見どころの多いところです。
「日月は地に落ちず」と上を見上げ、左に回ると正先から常座へ、さらに大小前から「天の咎も忽ちに」と正へ四足ほど出、右から廻って「わが如くなる狂気して」と右から廻って大小前でシカケ開キ「ともの物狂いと」と六拍子踏んでワキに向く形から左右し「かやうに申せば」と正に向いてシテが謡います。

再び地謡が続け「この君いまだその頃は・・・」と静かに謡う感じとなり「朝毎の御勤めに」と正先へツメ「花を手向け礼拝し」と謡が締まって、シテは下居して合掌です。
「御手を合させ給ひし」と立ち上がって大小前へ、型通り左右、打込、扇広げ「陸奥の 安積の沼の花がつみ」と上げ扇。大左右から正先に打込「乱れ心は君のため」と開キ、右から廻って常座へ。「月の都は名のみして」とワキ正へツメ、「袖にも移されず」と左の袖から手先を見やり、「また手にも取られず」と右手扇を出して見、目付に出て小廻り。左へ廻ると「叫び伏して泣き居たり」と正中から後ずさりするように下がって大小前に下居してシオリます。

以前、ブログに書きました鵜澤久さんの花筺は筺之伝の小書が付いていたため、このクルイは左手に籠を持ち、右手に扇を持って舞う形でした。綺麗な型ですが、なかなかに難しそうだと思ったものです。今回は小書無しの通常の形ですが、緩急をつけ情趣深い謡い舞いでした。
このつづきはまた明日に
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花筺さらにさらにつづき

クルイの最後の部分「唯徒に水の月を望む猿の如くにて 叫び伏して泣き居たり」は、中国の仏書にある「猿猴捉月」の故事を引いての詞章でしょうけれども、余談ながらこの言葉「身分不相応な大望を抱いて破滅することのたとえ」などと解説されているのが普通ですが、私はそう解釈してしまうといささか意地悪過ぎるような気がしてなりません。

この花筺の印象も影響しているのかも知れませんが、本当の真理「月」そのものではなく、水に映った月を求めて破滅してしまうという、凡人に対する誡め、人の愚かさに対する警句であるとともに、そう動いてしまう人の悲しさを示しているようにも思えるのですが・・・。

それはともかく、ワキがシテに声をかけ、車近くにて狂って舞い遊ぶようにとの宣旨があったと告げ、これを受けてシテが立って常座に進み、イロヱになります。短い舞は狂い舞いの象徴です。
続いてシテのサシから李夫人のクセになります。

以前のブログにも書きましたが、この李夫人のクセは漢王と李夫人の別れを謡うもので、これに合わせてのゆっくりした曲舞で、王と夫人の別れの心情を情趣を込めて表現します。先のクルイが緩急を強め激情ほとばしるようであるのに対して、静的な中に思いを込めることで、対比の面白さを醸し出すところです。

曲舞の基本に従いつつ「なほいやましの思い草」とシオリ、さらに常座からハネ扇、正先で扇を差し出す形から下ろして「縹渺悠揚として」と下から見回す面に引かれるように右から回り、扇を右手に取り直して大小前。シテが「悲しさのあまりに」と謡って舞台を廻り、「空しき床を打ち払い」と扇をかざすと舞台を廻って大小前から左右、打込して下居「ひとり袂をかたしく」と納めます。

ワキが花筺を上げるようにと宣旨を伝え、ツレが渡した籠をシテはワキに渡して正中に下居。ワキが「帝これを叡覧あって」と子方に対して膝を突いて籠を見せます。
シテ、ワキのやり取りの内に、花筺が標となり地謡のうちにシテは立って正中に出、あらためて腰を下ろして「君の御心ぞありがたき」と合掌します。

キリの地謡で輿舁が立って後見座へ、ワキが子方を拝し「今は還幸なし奉らんと」と子方が立ってワキが続きます。
シテも立ち上がると常座まで追って大左右の型。子方・ワキの退場を見送って橋掛りへ。一ノ松で足拍子二つ踏み、扇を合掌するように逆手にとって、二足ツメてそのまま留となりました。
(81分:当日の上演時間を記しておきます)
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車僧 友枝真也(喜多流自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2012.11.25
 シテ 友枝真也
  ワキ 舘田善博
  アイ 竹山悠樹
   大鼓 原岡一之、小鼓 古賀裕己
   太鼓 林雄一郎、笛 杉信太朗

車僧は5年ほど前に、近藤乾之助さんのシテで白頭の小書付の観能記(鑑賞記初日月リンク)を書いておりますが、今回は喜多流の小書無しということで、シテも老練な乾之助さんとお若い友枝真也でもあり、特に前場は随分と印象が違うように思いました。

ところで舞台の前に、以前の観能記の時は特に触れませんでしたが、そもそもこの車僧という曲について、いささか書いておこうかと思います。
この曲、原典も作者も不詳とされていますが、一方で「車僧」と呼ばれた人物が実在したことも知られています。謡蹟めぐりをされている方のサイトなどにも取り上げられていますが、京都市右京区太秦海正寺町にかつて海正寺というお寺があり、この寺の開山である深山正虎(しんざんしょうこ)という僧侶が「車僧」と呼ばれていたらしいのです。

深山正虎という方は、13世紀の終わり頃から14世紀頃に実在したらしいのですが、出自など全く不明の様子です。九州福岡の筥崎宮で参禅した後に直翁智侃(じきおうちかん)のもとで剃髪・出家したと言われ、太秦海正寺を開いたのだとか。ちなみに直翁智侃は遙々南宋からやってきて建長寺の開山となった、かの蘭溪道隆の弟子にあたる方です。

さてその深山正虎、いつも破れ車に乗って町に居り、この車を子供達が押したり引いたりしていたということで、「破れ車」とか「車僧」とか呼ばれていたらしいのですね。
もちろんそれだけの話で、法力によって車を動かしたとか、深山和尚のもとに天狗が現れたなどいう話は無いようです。

一方、曲名は車僧ですが車僧はワキの役で、シテは車僧のもとに現れた天狗、愛宕山の太郎坊です。花月の謡ではありませんが「愛宕の山の太郎坊、比良の峯の次郎坊」と謡われるように天狗の代表格。ここは特に太郎坊に意味があるわけではなく、天狗の代表としてその名が用いられたということなのでしょう。
さて舞台の方は明日につづきます
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車僧のつづき

さて舞台上ですが、地謡、囃子方が座に着くと、後見が作り物の車を持ち出してきてワキ座に据え、轅を前に出して形を整えます。

次第の囃子でワキの出、白大口、小格子厚板に水衣を着け、掛絡を掛けて金地の沙門帽子を着けています。法力ある車僧その人ということですが、型通りに常座で斜め後ろ向いて次第を謡い、地取りで正面を向いて上歌。雪が舞う小倉山を過ぎ、嵯峨野嵐山、大井川と雪雲の空を見つつ西山本に着いたと謡って言葉。
嵯峨野辺りに車を駐め、四方の景色を眺めようと思うと言って、正中からワキ座に置いた車に向かいます。この時幕が開いてシテが姿を現し、「いかに車僧」と声をかけます。

シテは白大口、縞目の水衣に篠懸をかけ、兜巾をいただいた山伏姿。幕前でワキと問答を始めます。
シテ「浮世をば」ワキ「浮世をば」シテ「浮世をば 何とか廻る車僧 まだ輪のうちにありとこそ見れ」ワキ「浮世をば廻らぬものを車僧 乗りも得るべきわがあらばこそ」と、聞いていてもなかなかに興味深い謡をかわしつつ、シテが橋掛りを歩み出します。

シテ「我が名のみ高尾の山にいひ立つる」と舞台に入って常座に立ちます。
以前にも書きましたが、このシテ、ワキのやり取りの詞章、なかなかに面白いと私は思っています。地謡になるとシテはまずワキ正へ二足ほど出て「火宅をば出でたる三つの車僧かな」とワキを見込みます。法華経の火宅を出る三つの車にかけての謡。
上歌では正先へ出て開キ、舞台を廻って大小前へ。「我が住む方は愛宕山」と二足ほど出て幕方を見込み、「太郎坊が庵室に」とワキに向き直って開キ、常座へ移って小廻りし開いて「黒雲に乗りて上がりけり」と来序で中入となりました。

来序が狂言来序に代わってアイが烏天狗の出立で登場し常座にて立ちシャベリです。
愛宕山太郎坊に仕える溝越天狗と名乗り、車僧の子細を語るとって、車に好いて乗り給うにより車僧と云うのだが、人も引かず牛も引かず払子を一振りすれば車が飛行するのだと語ります。
太郎坊からは、魔道に引き入れるため車僧を笑わせ心に隙を作らせるようにと命じられたので罷り出たと言って目付に出、車僧を認めます。
さてこのつづきはまた明日に
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車僧さらにつづき

アイの溝越天狗、いったんワキの姿を認めると常座に戻って独言し、再び目付に出てワキに声をかけます。しかしワキは微動だにしませんので、常座に戻ると耳が聞こえないのかと訝ります。再度声をかけてみようと目付に出て声をかけますが、やはり返事がなく常座に戻ります。

車僧笑わしょう お笑いあれや車僧 車僧の鼻の先を鼠が走り あなたへはちょろちょろ こなたへはちょろちょろ お笑やれや車僧
と囃しますがワキはやはり少しも動きません。
「にっこりともせぬ」とアイは言い、今度はくすぐってでも笑わそうと「こそぐろうぞ車僧 笑わしょうぞ車僧」と囃して「くつくつや くつくつ くつくつや くつくつ」さらに「くつくつ」とワキに近寄っていくと、ワキが車の轅を叩きます。
これに驚いたアイは常座に下がり、幕方向いて車僧が微動もしない子細を告げて退場します。

近藤乾之助さんの車僧を観た時は、アイが当時の野村小三郎、現十四世野村又三郎さんでした。同じ和泉流ですが随分違った印象で、車僧を笑わそうとお尻を振ったり、車僧をくすぐるところも「こそこそこそ」と寄っていったりなど、所作にも違いがあります。

この日のアイ竹山さんは野村万作家のお弟子さんですが、同じ「野村」であるためちょっと分かりにくいのですが、芸の系統が違います。和泉流は古くは山脇、野村、三宅の三派からなっており、野村又三郎家は野村派の当主の家ですが、金沢がもともとの出身地である野村万蔵家は三宅派に属します。そのため持っている台本にも違いがあるらしく、東京では三宅派がほとんどなので異同を感じることはまずありませんが、野村又三郎家の狂言や、山脇派の流れを組む狂言共同社の狂言を観ると、おやっと思うほど違うことがあります。(和泉元彌さん達の芸系は本来は山脇和泉の流れと思いますが、先代の故元秀さんが九世三宅藤九郎の長男でもありさてどうなのか・・・)

ともかくも、間狂言が退場するといよいよ後シテの出になります。
このつづきはまた明日に
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車僧さらにさらにつづき

大ベシの囃子が奏されて後シテの出です。太鼓が高刻みになると幕が上がり、袷狩衣に半切、大ベシ見の面を掛け赤頭で羽根扇を持った後シテが登場してきます。いつぞやどこかに書いたような気がしますが、大ベシの囃子はゆったりと、しかしこのゆっくりさは高速で飛ぶジェット機を遙か彼方で見るのと同じで、本当は高速なのだと聞いたことがあります。

シテは常座に出ると、サシ「愛宕山樒が原に雪積もり」と謡い出します。
ワキに言葉を掛けつつワキを見込み、地謡との掛け合いで正中から正先、さらに舞台を廻って常座と動き「車僧あれば」とワキを見込み、地謡の「祈らば祈るべし」で六拍子踏んで左へ回り、「行徳も劣るまじとよ」と常座でユウケン。
そして「いざ車僧 行比べせん」とワキに扇を投げつけ飛び安座して座し、ワキに挑む形です。

ワキは相変わらず座したまま動かず相手にしません。
シテは「嵯峨野の原にいざ遊ばん」とワキに向いて誘う形。しかしワキはやはり相手にせず「我が心を引かれめや」と言うばかり。シテは「などかは引かであるべきと」と笞を出して立ち上がり「笞を振り上げ車を打つ」と車を打つ型を見せます。
さらにワキ、シテのやり取りが続き、仕舞でも舞われる部分へ。

シテが「所からここは浮世の嵯峨なれや」と謡い出し、地謡との掛け合いで所作を見せ、さらに地謡は、天狗が様々に車僧を眩惑するものの、車僧が微動だにしないことにおそれをなし姿を消したと謡い、終曲となりました。
最後の部分は動きをメモすることも忘れて見入っておりました。

さて私、どうも長年勘違いをしていたようで、中入前の詞章や後場の詞章からみると、太郎坊は自らの住む愛宕山に来るようにと車僧を誘い、後場では舞台は愛宕山となって、車僧が牛も引かぬ車を法力で動かしてやって来たという設定のようです。
ワキがワキ座で車に乗った形のまま微動だにしない演技を続けるので、動かない車僧のもとへ太郎坊がまず山伏の姿で現れ、さらに天狗の本性を現してやって来たように思い込んでいたのですが、これはやっぱり勘違いだったようです。
(53分:当日の上演時間を記しておきます)
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大晦日にひと言

毎年、大晦日を迎える度にひとこと書いていますが、今回が七回目になります。
正直、我ながら良く続いていると思うところです。

今年は能28番、狂言13番を観ましたが、昨年よりは多くなったものの、このブログを始めた頃と比べれば随分と鑑賞が減っています。
土日にも様々に用事が入ることが増えてしまったため、なかなか東京まで出かけてというのが難しくなっています。

ですが、まあ無理をせず負担にならない範囲で、来年も気になる番組を観て、記録していこうかと思っています。

今年は、昨年観ず終いだった喜多流、金剛流の演能にも顔を出してみましたが、一方、割合よく拝見していた宝生流、そして金春流の会には足を運べませんでした。
来年はまた違う展開になりますかどうか、我ながら楽しみではあります。

政治も経済も、大きく変化しようとしています。
世界も大きく動いています。

しかし能や狂言を観ていると、数百年経っても人の喜びや悲しみ、生きることへの思いなどは、存外同レベルにあるのだと感じます。昔の人が偉かった訳でもなく、今の人が素晴らしくなった訳でもなく、人としての本質はあまり変わっていないように思えます。
そんなことを考えつつ、また来年も気の向くままに能楽をみてみよう・・・と思っています。

皆様、どうぞ健やかに新年を迎えられますよう、お祈りいたします

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