能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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このところの様々な出来事

振り返ってみても、1月14日の首都圏の降雪はホントに大変でした。雪国の方からすれば、たかだか10㎝程度の雪で何を騒いでいるんだ・・・というところでしょうけれども「降ってもみぞれ」程度の予報で、ノーマルタイヤのまま出かけた多くのドライバーが各所で立ち往生してしまい、至る所で渋滞どころか「一時間待っても1㎝も動かない」といった事態を引き起こした訳です。
あまりにそのインパクトが大きくて、せっかく久しぶりで出かけた一月の銕仙会も、観能記を書く気力が出てこないままに日数だけが過ぎてしまいました。

あの降雪の後あたりから体調も冴えなくなり、しばらく不調を引き摺ってしまいました。そしてなんと1月27日、ようやく体調も戻ってきた日曜日に「1月31日まではWindows8へのアップグレードが3,300円」という宣伝文句にのせられてアップグレードを試みたところ失敗! 結局、従前の環境を引き継げずに愛機はサラのWindows8パソコンになってしまったのでした。
ここから従前に近いアプリケーション構成をWindows8上で築くのに一週間を要し、ようやく落ち着いてきた今日この頃です。

かつてはパソコンを自作したり、調子が悪くなるとクリーンインストールをし直したりなどしていたため、今回のトラブルも、デバイスドライバーを替えてみたり、ま、どこに手を入れれば良さそうか程度の判断はつきました。そういう意味では、かつての記憶が役だったわけですが、でも正直のところ、しばらくこうしたことをしていなかったので「面倒」と感じたところです。かつては「面白くて」たまらなかったのですが・・・

何はともあれ、久しくそのままになっていた一月の銕仙会の鑑賞記、当日は降雪のため翁付老松しかみておりませんが、この記録を書いておこうと思います。
明日につづきます
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翁付老松 紅梅殿 観世銕之丞(銕仙会)

観世流 宝生能楽堂 2013.01.14
 シテ 観世銕之丞
  ツレ 観世敦夫 岡田麗史
  ワキ 森常好
  ワキツレ 舘田善博 森常太郞
  アイ 山下浩一郎
   大鼓 佃良勝、小鼓 森貴史
   太鼓 小寺佐七、笛 藤田朝太郎

翁については、これまでもこのブログで何度かふれてきました。翁付の五番立てという演能形態についても書きましたが、現代では翁に始まり、脇能からの能五番、狂言四番を演ずる本格的な五番立てをみることは極めて希です。翁に始まって、能が二、三番、狂言が一二番というのが通例の形かと思います。
さらに翁付五番立てであれば、翁と脇能、脇狂言が続けて演じられ、翁の太夫が脇能のシテを勤めるというのが本来の形かと思います。しかし現状では、一見翁付のようでも翁と次の能ではシテが別の役者だったり、さらには翁のみが独立して演じられて、囃子方まで退場の後に別途に次の曲が演じられたりなど、本来の形での翁付で演じられることが少なくなっています。

私は、時代の変遷の中で上演形態が変わっていくこと自体については、必ずしも批判的ではありません。従来の形が「正しい」のであって、変化は「崩れていくこと」と信じている訳でもありません・・・が、この翁付については、翁と脇能が一体的に、同じ演者で演じられる形の方が好きです。

粟谷能の会のホームページに、粟谷明生さんが「宮島厳島神社御神能」での演能についてのレポートで「一人の太夫が翁と脇能の二番を勤めてこそ太夫を勤めたと実感できる」と書いておられます。まさに儀式でもある翁と、脇能を続けて演じてこそ、一つの会を主催する太夫なのでしょう。
そうした意味で今回の銕仙会は、銕之丞さんの翁、敦夫さんの千歳が、そのまま老松のシテと前ツレで登場する形で、私としては感慨深いものがありました。
翁の様子にも触れつつ、能の様子を書いてみようと思います。
明日につづきます
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翁付老松のつづき

さて舞台ですが、まずは切り火が切られて舞台が締まった感じ。長い「お幕」の声が聞こえて幕が上がり、面箱持の野村虎之介さんを先頭に一同が橋掛りを進みます。
虎之介さん、久しく見ない間にすっかり大きくなってビックリ。たしかにもう16、7歳になられたでしょうか。子供が大きくなるのは早いものです。

その後は型通りに面箱が据えられて翁の面が取り出されます。これを合図に千歳の敦夫さん以下が舞台に入って着座、笛の座付キの吹き出しです。杉信太朗さんは杉市和さんのご子息で、関西を中心に活動されおられる関係もありあまりお見かけする機会がありません。非常に気迫の籠もった素敵な笛ですが、これから年齢を重ねられるのが楽しみな方ですね。

脇鼓は古賀裕己さんと田邊恭資さん、鵜澤洋太郎さんの頭取で、三丁取りの鼓が能楽堂に響き渡ります。おもむろに銕之丞さんの謡。「とうとうたらりたらりら」と迫力ある謡です。
「自分はいったい能の何に感動しているのだろう」と時々思うのですが、どうも良く分かりません。理屈ではない何かに惹かれるのでしょうね。ストーリー性のある曲は、それはそれで楽しめますが、この翁や、脇能のうちでも高砂などを観ていると、震えるほどに感動する時があります。なにか自分の奥底の方で共振しているものがあるような気がします。

千歳の舞は敦夫さんらしい清々しい舞でした。基礎からしっかりと舞が身についているんだなぁ、としみじみ思った所です。
そして翁之舞。押しも押されもしない一座の棟梁の風格を感じたところです。

扇丞さんの三番叟は楽しみしていたのですが、どうも袖の捌きに苦戦された様子だったのがいささか残念でした。
とにもかくにも新年らしい、ぴんと張り詰めたような翁の時間を楽しませていただきました。三番叟と面箱が退場するまで、一時間をほんの少し過ぎたところです。
続いて地謡が場所を変え、脇鼓が退場して囃子方が整って老松となりました。
このつづきはまた明日に
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翁付老松さらにつづき

さて一同が定位置で落ち着くと笛の吹き出し、ヒシギから真ノ次第となってワキが登場・・・というのが脇能の形ですが、この日の笛はヒシギを吹かずに独特の譜を吹き始めます。代わって小鼓が打ち出し、さらに笛、小鼓、笛と交互に続けてそこから小鼓が加わって奏する形になります。
このあたりで幕が上がってワキが橋掛りに出、三ノ松辺でつま先で伸び上がるような脇能独特の型を見せてそのまま常座へと進みます。常座に至ったワキは下居し、ここで笛がヒシギを吹きます。これを合図にワキは正面を拝し、大鼓が打ち出して真ノ次第の最後の部分となります。
ワキ、ワキツレは常のように舞台に進み、正中で向き合って次第の謡。地謡の地取りの後にさらにワキ、ワキツレが詞章を繰り返す三遍返しの形で謡い終わるとワキの名乗りになります。

この笛、小鼓が交互に奏する形から入る囃子は音取置鼓と呼ばれるものですが、特にこの翁付の脇能のものは礼脇と呼ばれる独特のもので、翁付の時のみ真ノ次第ではなく、この特殊な形でワキが登場します。おそらくは翁に登場しないワキが、当日最初に舞台に入る際に、翁に準じた出方を考えたのだろうと想像しています。

道行は「上野に通う春風の 上野に通う春風の 音も吹飯の浦伝い 明石の戸よりかくよりて実に定めなき旅の空 なお遥かなる播磨潟室の友君きぬぎぬの 朝妻舟やしらぬひの 筑紫の地にも着きにけり 筑紫の地にも着きにけり」と聞きましたが、なにぶん手許に下掛りのテキストが無いのでちょっと怪しいところです。

ともかくもワキ、梅津の何某の一行は筑紫安楽寺に参詣せよとの霊夢に導かれて、はるばる筑紫へとやって来ます。着きゼリフで安楽寺に着いたことが述べられ、人がやって来たなら名木の謂われを聞こうと、一同は座して待つことになります。

ゆったりと真ノ一声が奏され、前シテ、前ツレの出です。常の形では前ツレは若い男ですが、この日は紅梅殿の小書が付いて前ツレは若い女になります。紅入唐織着流しのツレが先に立ち、シテ老翁は白大口に小格子厚板、水衣を肩上げにし、杉箒を肩に担っての登場です。
さてこのつづきはまた明日に
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翁付老松さらにさらにつづき

老松は宝生流今井泰行さんの観能記(鑑賞記初日月リンク)を書いていますので、小書無しの場合との比較の意味で参照いただけると良いと思いますが、前場はツレが若い女である以外に大きな違いはありません。ともかくも先に出たツレの若い女が一ノ松に、シテが三ノ松に立って向き合い一セイ。
続いて正面を向いてツレの二ノ句、二人同吟でシテは杉箒を肩から外して右手に持ち、歩みアシライで舞台に入って、ツレが正中、シテが常座に立つとシテのサシ謡です。

型通りの所作・進行ですが、下歌・上歌と謡って最後の「梅の花垣を囲はん」でシテ、ツレが立ち位置を入れ替えてシテが大小前、ツレが目付に進み、立ち上がったワキとシテが向き合う形になります。

ワキはシテ老人に問いかけ、飛梅とはどの木かと尋ねます。老人は「自分たちは紅梅殿とあがめている」と答えますが、さてその木を指し示すわけでもなく、傍らの松に話を移します。ワキは白木綿(シラユウ)を懸けたその松に、これこそ老松かと気付きます。

地謡のうちにツレが笛座に下居、シテが大小前でワキを向いて下居すると、ワキが当社の謂われを詳しく物語るようにと求めます。
シテは杉箒を置いてサシ謡。肩上げが下ろされて、まずはシテ、地謡の謡で当社の様子が示されます。

クセの謡。松梅はともに天神、道真公のご寵愛であったが、この二種の木は我が朝よりもまず中国でめでられ、梅は文学廃れば匂いもなく色も深くならないので文を好む木として好文木と呼ばれ、また松は秦の始皇帝が雨宿りしたことから太夫の爵を贈られた由来などが謡われます。シテの上げ端から地謡「守るべし守るべしや神はここも同じ名の」でシテは立ち上がり、常座へと向かうと「神さびて失せにけり」と中入となります。宝生流では德川家の本姓が松平であることを憚って手直しした「万代の春とかや」の詞章で中入となる話は以前記した通りです。
このつづきはまた明日に
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式能を観に行く

式能は四年ぶりですが、一・二部を通しで観る気力体力に自信なく、今回は二部のみを観ることにしました。と言うわけで、ほんの少し前に家に戻ってきたところです。
さて式能を前回観たのは平成21年。その第49回式能は宝生和英さんの翁に始まりましたが、今回第53回も一部の翁は和英さん・・・と書いたところで、四年ぶりなのになぜに同じ宝生かと・・・

・・・気になって調べてみましたが、翁は少し遡って46回観世銕之丞、47回喜多六平太、48回金剛永謹、49回宝生和英、50回金春安明、51回観世清和、52回金剛永謹、そして53回が宝生和英。ああ、喜多流が飛んでますね。なるほどなあ

さてその翁の出る一部は飛ばして、今回は二部。
三番目物は観世の吉野天人で天人揃の小書付、狂言の箕被を挟んで四番目物は金春の枕慈童、観世の菊慈童と同曲ですね。さらに狂言の棒縛があって、切能は金剛流の飛雲という番組です。
飛雲には猩々の附祝言。「酔ひも進めば東雲早く」と謡い出し・・・猩々にそんな詞章があったかな? と思われた方は以前の記事をご参照下さい。

今年は先月の銕仙会が雪のため途中で観能を断念したこともあり、今回が今年初観能のような感じです。それぞれに面白かったのですが、鑑賞記はいずれ書かせていただきます。
・・・そうそう、会場で2020年オリンピック・パラリンピック招致のピンバッジが配られてました。なんと言っても式能は「都民芸術フェスティバル」の一環ですし ネ
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翁付老松またつづき

一日空きまして、前シテ、前ツレの中入り後から。
ワキはワキツレを呼び、門前の者を呼んでくるようにと命じます。これを受けてワキツレがアイを誘い、アイ門前の者が正中に出てワキと問答の形になります。

ワキは、都の西梅津の何某と名乗り、霊夢を受けて参詣に参ったところだが、当社の謂われ、老松、紅梅殿のことを詳しく物語るようにと求めます。
これに答えてアイの語りになります。
先ず飛び梅というのは、ここにあるその梅を言うのだが、北野の天神が菅丞相と云われた頃にさる子細があってこの安楽寺にお出でになった。都にいた時と違い、田舎のことで徒然に過ごされていたが、ある日「東風吹かば匂いおこせよ梅の花・・・」という歌を詠まれ、このご詠歌により都から梅が飛んできた。
丞相は梅をご寵愛なされて飛び梅と名付けられたと聞いている。さらに年々美しく咲くほどに紅梅殿と呼ばれるようになったそうな。
またこちらの松についても謂われがある・・・(こちらは聞き落としました)
菅丞相は都に戻り、その後は七月七日梵天に祈られると、天から巻物一巻が下った。巻物には南無天満天神とあったが、さらに祈るとまた巻物一巻が下り、こちらには南無天満大自在天神とあった。それより都に上って何物も思し召すままになるようになって、北野の天神の元となられた。
さあるによって、北野のご参詣の際は、こちらにも御参りされるのだ、と語り、この後は間語りの常のやり取りが続きます。

知らせ笛が吹かれて間語りが終わると大鼓の打ち出し。ワキ、ワキツレ三人が立って正中で向き合っての待謡。謡い終わると出端の囃子です。
後ツレ紅梅殿が先に出てきます。黄の色大口に朱の長絹、紅梅の天冠を戴いた天女風の姿です。ツレはワキ正まで出ますが、後から出た後シテは、茶の色大口に金地の狩衣、初冠に松の葉と緑の日陰の糸を配し、老体の姿で二の松あたりでサシ謡。
これにツレが答えて掛け合いの謡。地謡が「舞楽を備ふる宮寺の 声も満ちたる有難や」と謡い、ツレは大小前でサシ込んで開キ、答拝して真ノ序ノ舞です。
シテは一ノ松まで出て床几に腰を下ろし、紅梅殿の舞を見守る形。

ツレが舞上げてワカ、地謡からシテが「これは老木の神松の」と謡って立廻。ゆったりと老木の厳かな雰囲気を示します。舞上げるとシテ「これは老木の神松の」と再び謡い膝着いて雲扇。立ち上がると地謡にのって正先に出て左の袖を巻き上げ、さらに常座を向いて両袖を巻き上げると常座に進み、小回りしてワキを向いて開キ。「久しき春こそめでたけれ」と終曲になりました。

後ツレの岡田さん、地謡ではお見かけするものの、久しく立ち姿を拝見しておりませんでした。なにかお体を壊されたのか、いささか気になったところです。
(翁から通しで161分、老松の音取置鼓の笛吹きだしから97分)
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女流能・・・

式能の話をさておいて何を書き出すのか・・・というところですが、ふとこの間から気になっている話を書いておきたくなりました。

実は先般・・・1月19日に水戸の県民文化センターで「茨城能」と題して、観世流の女性能楽師宮内美樹さんの公演が開催されました。残念ながら私は公演の開催に気付かず拝見しておりませんが、大洗町出身の宮内さんの演能ということで、地元では注目を集めたようです。
宮内さんは、かの橋岡久馬先生のおそらく最晩年のお弟子さんのご様子。社会人になってから入門されてプロになられたとか。それだけでも「スゴい」と思ってしまいます。
今後とも、より一層のご活躍をお祈りするところです。
さてこの日、宮内さんが披かれたのは石橋。半能ではなく前・後場のある、金春流で言う「丸能」ということで、拝見したかったですねぇ。

この演能について、とあるHPで『「石橋」を女性能楽師が一人で舞う。 日本、いや世界で一番最初の出来事ではなかろうか』・・・と、まあこれは書かれたご本人もいくらなんでもジョークのおつもりだろうとは思いますが、それならば女性が石橋を披いた初めはいつなのだろう、とふと気になりました。

「女性能楽師」プロの女性という意味では、観世流の故津村紀三子師が昭和十四年に師範の免状を受けられたのが、女性能楽師の初めてということのようです。津村紀三子師は数々の困難を乗り越えてプロの能楽師として一座を率い、その生涯は金森敦子さんが「女流誕生 能楽師津村紀三子の生涯」という本にまとめておられます。凄絶といっていいほどの生き様ですが、この津村師が昭和十八年に石橋を披いておられて、おそらくこれが女性能楽師としては初なのだろうと思います。

ただ、かの白州正子さんが大正十三年に女性として初めて能楽堂の舞台に上がっていて、さて白州さんが石橋を舞ったことがあるのかどうか、このあたりがよく分かりませんでした。

ところで津村紀三子師が戦前の厳しい状況のなかで、なんとか女性としても能を演じようと苦節の中にあった時に、陰ながら支援の手を差し伸べたのが当時の橋岡久太郎(おそらく六世の久太郎、雅雪)です。宮内さんの師匠にあたる八世久馬は、この六世久太郎の芸事養子である七世久太郎の長男。なんだか不思議な縁を感じてしまいます・・・
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のうのう能特別公演を観に行く

昨日は強風の中、国立能楽堂へ「のうのう能特別公演」を観に行って参りました。今回は常磐線を使っておりませんが、案の定、風のために遅延した様子です。

さて今回の「のうのう能」は源氏物語をめぐってということで、「源氏供養」と「須磨源氏」の仕舞をそれぞれ観世喜之さんと梅若玄祥さんが舞い、狂言の「舟渡聟」を挟んで、能は「住吉詣」という番組でした。「舟渡聟」も「住吉詣」に舟が出てくるのにちなんでの選曲だそうです。

冒頭、東京学芸大の河添房江先生の解説がほぼ30分ほど。
なかなかに面白い解説だったのですが、その中で、この曲は上演回数も少なく、河添先生自身も初見であるとのお話がありました。もちろん、と威張る話でもありませんが、私も初見です。
久しぶりに大角征矢さんの観世流演能統計で拝見すると、昭和11年から平成21年までの60年間で上演回数が30回。二年に一度、全国どこかで演能されることがある、という程度。上演数の順位でいうと206曲中183位という次第です。

ついでながら大角さんの統計については、以前もこのブログで取り上げたことがありますが、以前は平成11年までの50年間の統計でした。しかしその後も作業を続けられていたご様子で、平成21年までの60年間に統計が進んでいます。
玉壷庵主人こと久下昌男さんのHPに大角さんの統計が掲載されていますので、アドレスを記載しておきます。
久下さんのホームページ
大角さんの統計のページ

ともかくも珍しい一曲でしたが、なかなか面白い出来の曲で楽しめました。
いずれ鑑賞記は式能の記録の後にでも・・・と思います。
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吉野天人 天人揃 山階彌右衛門(第53回式能)

観世流 国立能楽堂 2013.02.17
 シテ 山階彌右衛門
  ツレ 武田文志 清水義也 小早川修 下平克宏 松木千俊
  ワキ 福王茂十郎、アイ 山本則重
   大鼓 柿原崇志、小鼓 幸清次郎
   太鼓 金春國和、笛 一噌仙幸

吉野天人は、一昨年1月に弘田裕一さんのシテで拝見したのが初見です。その際の鑑賞記も併せてご参照頂けると幸いです。(鑑賞記初日月リンク
その際にも書きましたが、キリの仕舞はよく初心者が習うもので、観世のお稽古をなさった方には極めてポピュラーな曲と思います。ですが一方でプロの演能となると、さほどポピュラーな曲ではありません。調べてみると、観世流としての演能頻度は中くらいの曲なのですが、仕舞ではよく見かけるのに演能としてはさほどでもないため「能としては滅多に見かけない」という印象になってしまうのかも知れません。

さて舞台にはまず桜の立木台が持ち出されて正先に。次第の囃子でワキの出になります。今回のワキは福王流、ワキツレは村瀬堤さんと村瀬慧さん。弘田さんの時はワキが村瀬堤さんでしたが、その弘田さんも今回は地謡に出ておられました。

ワキ・ワキツレの次第に続き、ワキは都方に住まいする者と名乗り、吉野の千本の桜を年々眺めているので、若い人を伴って大和に向かうところと言い、揃っての道行の謡になります。

道行を謡い終え、着きゼリフから、ワキの一行がワキ座に向かおうとすると、シテの呼掛けになります。
さてこの続きはまた明日に
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吉野天人のつづき

同じ観世流の吉野天人、小書も同じでして、弘田さんのときの記録と見比べてみましたが、展開も型も、動きのきっかけなどもほとんど違いはありませんでした。
とは言えシテの個性というのは出るもので、山階彌右衛門さんの声や所作から出る雰囲気は、華やいだ印象を感じたところです。

さて、シテとワキの問答から地謡、シテは舞台を概ね一廻りして桜の花を愛でる風情を出します。ワキがシテの素性に不審を言い、シテが自ら天人であることを明かして中入に。この日の笛は一噌仙幸さんで、次第といい、この送リ笛といい実に味わい深い音色でした。

シテが中入りするとアイが登場してきますが、このアイ語り、弘田さんのときは善竹富太郎さんがアイで、鑑賞記には興味深いものだったという話を書きました。今回は山本則重さんのアイでしたが、内容はほぼ同じ。前回聞き取れなかった部分も気を付けて聞いてみました。

段熨斗目に長上下で出たアイは、和州吉野山の麓に住まいする者と名乗り、この山の子細を語り出します。
人皇七代孝霊天皇の御宇、日本に黄金の山を築きたく思し召したところ、天竺五台山、未申の方より我が朝に飛び来るものがあったという話。二つに割れて一つが常陸の筑波山、今一つがこの地に留まって吉野山になったという話の展開は以前書いた通りです。

次に四十三代元明天皇の御宇、和銅年間に、役の行者の祈りで弁財天、地蔵菩薩、蔵王権現が吉野に現れ、このうち蔵王権現がこの地の守護神となって今に至っていること。

これに続いて蔵王権現に子守、勝手の両神があり、勝手明神は弓矢を守りそれ故に勝手と呼ばれること。子守の明神は御子三十五ヤシャを持ち(と聞いたのですが、子守明神は18男18女を育てたという話があるようでして36の聞き違いだったかも・・・)一切の衆生を御子のように守らせるので子守明神という、といった話が出てきます。

さらに五節の舞についての話が続いて、むかし浄見原の天皇が大友皇子に襲われて、吉野山中に隠れた際に、月の明々たる折節に嘆ぜられていたところ、上界の天人が天下り、一度、二度ならず、五度までも袖を翻して舞ったことから、これを五節の舞と称して、後々内裏の節会にも舞われるようになったという話です。最後に吉野の桜が花も盛りとなったので見物に来たれ、と触れて退場します。
このつづきはもう一日
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吉野天人さらにつづき

アイが触れを告げて退場するとワキの謡「不思議や虚空に音楽聞こえ 異香薫じて花降れり」囃子が入って地謡へとつながり、笛のヒシギで下リ端が奏されます。ここは弘田さんの時は出端だったと記録しています。
最初、あれ何の囃子か?と思ったのですが、今回は間違いなく下リ端。もしかして前の記録を間違えたのかと思って謡本を確認してみると、出端または下リ端と書いてありまして、どちらでも良い様子。

囃子のうちに幕が上がり、シテが先に立って、今回はツレ五人が並ぶという豪華な形です。前回は紫の長絹をかけたツレ二人がシテの前後に立って登場し橋掛に並ぶと、いったん幕が下ろされました。「いいもあえねば雲の上」の地謡で先の三人が舞台に進むと、あらためて幕が上がってツレ二人が登場し橋掛りに並ぶ展開。
しかし今回はシテ・ツレ都合六人が順次登場してきます。

シテの後に紫の長絹を着けたツレが二人続き、さらに薄黄、白、緑の長絹を着けたツレが橋掛りに並びます。先の三人はそのまま舞台に進み、残るツレ三人が橋掛りに並びます。
弘田さんの時は矢来能楽堂、今回は国立ですから、橋掛りの長さを考えると、二人と三人との違いも納得できるところではあります。

シテは箔を腰巻にし、朱の舞衣を壺折にして鳳凰の天冠をつけています。
シテとツレ二人が舞台に入って、シテを中央に左右をツレが固める形。弘田さんは桜の小枝を持って出ましたが、今回は扇のままです。ただしツレ五人はみな桜の描かれた同じ扇ですが、シテのみ絵柄が違います。

一同はゆったりとサシ込み開イて中ノ舞になります。
特に特別な型を舞うわけではなく、しかも六人全員での相舞で同じ型をなぞるのは弘田さんの時と同様です。せいぜいシテとツレで袖の返し方が違うくらいですが、これは舞衣と長絹の袖の長さの問題でしょう。

中ノ舞を舞い上げた後も、謡い舞いが続き、「雲に乗りて行方も知らずぞなりにける」と留拍子を踏んで終曲となりました。最後まで六人揃っての型でシテのみが拍子を踏みました。
春を思わせる花やかな舞台でした。
(55分:当日の上演時間を記しておきます)
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