能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

箕被 山本東次郎(第53回式能)

大藏流 国立能楽堂 2013.02.17
 シテ 山本東次郎
  アド 山本則孝

箕被(ミカズキ)を前回見たのは何年前だったか、ともかくこのブログを始める前のことだったので、鑑賞記を書くのは始めてということになります。確かその時もシテは東次郎さんだったような・・・

この曲は以前ブログの中で、笑いのない狂言として「鶏猫(けいみょう)」や「牛盗人」などと共に曲名のみを取り上げたことがあります。しかし今回あらためて観てみると、腹を抱えるような笑いの要素はありませんが、思わず顔がほころんでしまうような、優しい笑いの要素を持った印象を受けたところです。

舞台にはまず後見が出て、笛柱に箕を立てかけます。これが後ほどの伏線になりますが、準備が整うとシテの夫、東次郎さんが小袖壺折出立、狂言袴に段熨斗目を壺折に着けて登場してきます。
後ろにはアド妻の則孝さんが続き、シテが常座に、アドは箕の立てかけられた笛座前に控えます。

まずはシテの名乗りで、自分は連歌が好きで好きでたまらず、あちらの会、こちらの会と家にも戻らず遊び歩いているが、この度、頭に当たったので明日の会の準備のために家に戻ると語ります。この日の東次郎さんは壺折出立ということで、半袴に段熨斗目をゆったりと着けた独特の形。この曲では布羽織半袴出立で出る場合と、この壺折の形で出る場合とあるようですが、こちらの方がより風雅めいた様子を表す装束のようです。

さてシテは型通りに独り言ちしながら舞台を一廻りし、家に着いた風で常座から家人を呼びます。これに答えてアドが立ち、ワキ座へと出てシテに向かい合い問答になります。
このつづきはまた明日に
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箕被のつづき

シテは、連歌の会の頭に当たったので明日客人が集まってくるから準備をするようにと妻に命じます。しかし妻は、日々の暮らしさえ苦しいのに、そのような準備はできないと反対します。シテは、妻の父親も連歌好きだったので、頭に当たった大事さは分かるだろうなどと言いますが、アドも簡単には引き下がりません。

シテは、以前に頭に当たった時は用意をしてくれたではないかとアドに言いますが、アドは、その時は実家の親に頼んで用意を調えたのだと返事します。
ならば実家の親に頼んでくれとシテは重ねて言いますが、さすがにそれは出来ないとアドが拒み、どうしてもというなら自分に暇を出してくれと求めます。

さすがにこの申し出にシテ夫もやむを得まいと、仕方なく暇を出すことを承知します。
妻は、それでは暇の印に何かくれるようにと求めます。しかし家の中にはなにもありません。
妻は暇の印は夫から渡されることが大事で、ものは何でも良いのだ(「塵を結んでなりと下されい」)と重ねて求めます。これに再度家の中を見回していた夫は、それならば朝夕手馴れた箕を持っていくようにと言って、アドに立てかけてあった箕を渡します。

さて箕を渡されたアドはこれを裏返しに被く形にして頭上に掲げ「さらば さらば」と別れの挨拶をして、家を出ていきます。

この後ろ姿を見ていたシテが、その姿に風情があると、にわかに連歌を詠みたくなり
「未だ見ぬ 二十日の宵の 三日月(箕被)は」と詠みかけます。
三日月と箕被をかけた、確かに面白い発句ですが、これを聞いたアドが怒り出すかと思うとさにあらず。発句を詠みかけられて返歌をしないと、後の世には口のない虫に産まれるという、などと独白し、返歌をしないわけにはいかないと戻ってきます。
さてこのつづきはもう一日明日に
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箕被さらにつづき

アドが戻ってきたのに驚く夫に、返歌をしないと後の世に口のない虫に産まれると言うから返歌を詠みに帰ってきたと言って、アドは
「今宵ぞ出ずる 身(箕)こそつらけれ」と詠みます。

このアドの歌に、シテは「面白い」と感激します。たしかに連歌としてなかなかに面白い出来です。シテはこの歌が面白いと褒め、長年連れ添った妻が、こうも見事な連歌が詠めることに気付いて喜びます。
そして、これまではあちらの会、こちらの会と遊び歩いてきたが、もう出かけることはせず、二人連歌を楽しみつつ暮らそうと、妻を呼び戻します。

さて呼ばれて戻った妻と、夫はあらためて盃を交わすことにします。
それぞれに酒を酌み交わし、一つ謡おうと謡い出します。
「三年の過ぎしは夢なれや。現にあふの松原かや。木陰にまといて難波の昔語らん」
これは、能「芦刈」の一節、小謡としても謡われる部分です。芦刈は観世芳伸さんの演能の鑑賞記を書いておりますので、併せてご一読下さい。(鑑賞記初日月リンク

さらに箕を手にとって謡い舞い
「濱の真砂はよみつくしつくすとも。此の道は尽きせめや。唯もてあそべ名にし負う。難波の恨み打ち忘れて。ありし契りに帰り逢う。縁こそ嬉しかりけれ」
と、これまた芦刈の一節です。
芦刈が、貧窮の末に妻と別れた夫が妻と再会する曲であることから、パロディーとしてこの曲に取り入れられたのでしょうね。なお、上に記した詞章は謡曲「芦刈」のものですが、この箕被では「難波の恨み打ち忘れて」を「打ち被けて」と謡い、ここで夫が手に持った箕を妻に渡し、扇に持ち替えて舞上げる形でした。

そんなバカなと思う反面、夫婦の縁なんてこんなものかもなあ・・・と妙にしみじみと思った次第です。
(19分:当日の上演時間を記しておきます)
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震災から2年

実は昨年の3月11日には、まったく普通にブログを書いていまして、その前後の記事を見ても「震災」の文字が見あたりません。
その前の年、震災の直後をみると3月13日には、二日ぶりに電気が通じたということで、早速観能記を書いたりしています。

・・・なんだかスゴいなあ、我ながら。
というよりも、2年経ってようやく震災を振り返れる余裕が出てきたのかも知れません。

正直のところ、あのときは大変でした。とても観能記を書くような余裕はなかったと思うのですが、逆に平静を保とうと無理していたのかもしれません。
本日は2蒔46分に、会議を中断して全員で黙祷。昨年はそんなこともしなかったなあ・・・

いささか考えてしまう今日の一日でした。

枕慈童 高橋忍(第53回式能)

金春流 国立能楽堂 2013.02.17
 シテ 高橋忍
  ワキ 宝生欣哉
   大鼓 内田輝幸、小鼓 古賀裕己
   太鼓 井上敬介、笛 寺井宏明

以前、関根祥六さんがなさった菊慈童の鑑賞記を書きましたが(鑑賞記初日月リンク)、その際にも触れた通りに観世流では「菊慈童」というこの曲、他の四流では枕慈童といいます。観世流にも枕慈童がありますが、こちらはいささか設定が違う別曲です。

舞台には菊籬を付けた一畳台が運び出されてきて大小前に据えられます。さらに紫の引廻しをかけた山が運び出されてきて一畳台の上に据えられます。山と書いたのは上に木の葉が載せられた形になっていたからですが、祥六さんのときの記録と比べていただくとお分かりの通り、作り物の出し方がけっこう違います。

祥六さんのときには菊籬の付いた一畳台に枕を乗せて正先に出し、一方、大小前に引廻しを掛けた藁屋が出されるという形でした。藁屋の引廻しが外されると菊の籬が付けられているという趣向でして、一畳台を正先に置くのが普通の形と思っておりましたが、枕慈童は違うのかも知れません。

舞台が整うとワキの出、当初予定の宝生閑さんがご病気ということで、ワキが宝生欣哉さんに代わり、大日向さんと梅村さんがワキツレで出ました。

次第の囃子で登場したワキの一行、舞台上で向き合い次第を謡った後、ワキの名乗り。魏の文帝に仕える臣下と名乗ります。酈(機種制約文字ですので表示されない場合は、麗の右におおざとを書いた字)縣山の麓から薬の水がわき出ているのでその水上を見てくるようにと宣旨を受けたと言います。以前も書きましたように、観世流のみ「レッケンザン」と読みますが、観世以外は「テッケンザン」と読むようで、当然ながらこの日はワキ方もシテ方も「テッケンザン」と謡っておりました。
さてこのつづきはまた明日に
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枕慈童のつづき

ワキの名乗りが終わるとシテが作り物の中から謡い出します。
「それ邯鄲の枕の夢 楽しむこと百年(ハクネン)」・・・観世は「百年…モモトセ」と謡いますが、上掛の宝生流もハクネンの様子。なるほどなるほど。
忍さんの舞台は久しぶりに拝見しましたが、謡の声が朗々と響きます。

地謡になり、一度目の「枕詞ぞ恨みなる」で引廻しが外されて、シテが姿を現します。
黒頭の慈童姿で、黄色地の縫箔かと思いますが、金地に緑の文様の半切を着け、袷法被を脱下げにし右手に唐扇、菊の花をイメージしたような装束です。

現れ出でたシテの姿に、ワキは訝しみ、いかなる者ぞ名を名乗れと問いかけます。
シテとワキのやり取りになり、周の穆王に仕えていたという慈童の言葉で、七百年の時が流れていたことが明らかになりますが、このあたりのやり取りは以前も書いた通りです。
シテは、帝の枕に二句を書き添え賜ったので、枕を見てみるようにとワキに言います。
この部分、手許の謡本には「立ち寄り枕をご覧ぜよ」とあるのですが「間近く寄りて枕をご覧ぜよ」とシテが謡い、ワキは「これは不思議のことなりと・・・」と謡いつつ、シテに寄って一畳台の前に下居し、シテの足許に置かれた枕を見る形になりました。

ワキが二足ほどシテの方に出てから、一畳台に向きを変えて二足ほど詰め、遠く台上の枕を見やる形だった祥六さんの演能の際の記録と比較していただくと面白いところです。
シテが大小前の藁屋に居て、正先の一畳台に置かれた枕をワキが見る形と違い、台上に山を立て、その足許に枕がある形なので「間近く寄りて・・・」と謡うのかと思います。詞章と作り物の位置関係はリンクしているのかも知れません。

シテ・ワキ同吟で「具一切功徳慈眼視衆生 福寿海無量是故応頂礼」の謡から地謡に。シテが作り物の内で立ち上がり、ワキも立ってワキ座へ。シテは作り物から常座側に台を下り、常座から出てサシ込み開いて「楽」となりました。

このつづきもう一日明日に
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枕慈童さらにつづき

シテ、ワキが謡う偈文、ご承知の通り法華経観世音菩薩普門品の偈、いわゆる観音経の終わり近い部分ですが、偈の構成からいうと二句というよりは四句では・・・と思ったら、喜多流では四句と謡うらしいです。

ともかくも「楽」ですが、ゆったりと始まって異国風の雰囲気がなかなか良い感じ。
舞上げるとシテの「ありがたの妙文やな」から地謡、大左右打込、開キと型が続きます。「泉はもとより酒なれば」と六拍子を踏み、目付で酒を汲む型から正先へ「酌みては勧め」と酒を勧める形。

「月は宵の間」と抱え扇して月を表し、六拍子踏んで「酔いに引かれてよろよろ」と下がり、台上の枕を取り上げると「戴き奉り」と正に向かって枕をいただく型。
直して立ち上がると舞台を廻り、大小前にて「花を筵に臥したりけり」と枕扇、安座して「もとより薬の酒なれば」と謡います。

地謡を聞きつつ、立ち上がるとシカケ開キ「七百歳を保ちぬるも」とユウケン。
一度、枕を見込んだ後、ワキに寄って「いかにも久しき千秋の帝」と正中に下がって下居。両手着いてワキに礼する形から立ち上がって角へ。
さらに大小前へと戻り,再び「酌めや掬べや」と酒を酌む形。正先へ出ると舞台を廻り、常座で小回りしてシテ柱に向かい、留拍子を踏んで終曲となりました。

もともとは、慈童が帝の枕を跨いでしまい、その罪の故に酈縣山に追放されたという前場があり、これが省略されてしまったために、なぜ枕が出てくるのか、ストーリー的には収まりの悪い曲になっていますが、菊と酒の功徳を舞を見ながら楽しもうと、まあそういう気分を大事にしたということなのでしょう。
ある意味で、能らしい能かも知れません。
(50分:当日の上演時間を記しておきます)
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棒縛 野村万蔵(第53回式能)

和泉流 国立能楽堂 2013.02.17
 シテ 野村万蔵
  アド 野村萬 野村扇丞

お馴染みの曲ですので、あえて記すほどのこともないのですが、なぜかこのブログを始めて以来、あまり観る機会がありません。この6、7年では、平成20年に同じ万蔵さんのシテで見て以来です。
その際の鑑賞記もありますのでご一読頂ければと思います。(鑑賞記初日月リンク

この曲では、縛られてしまった太郎冠者と次郎冠者が、なんとか工夫して酒を飲むところが見せ場ですが、二人の酒盛りではいくつかの小謡が謡われます。
「酒はもとより薬なり 世はまた人の情けなり 浮世を忘るるも ひとえに酒の徳とかや」と、この小謡は例の「のぼうの城」の中で萬斎さんが謡っているとか・・・

いくつかの小謡が出てきますが、最後は
「嬉しやここに酒あり 主は一人 影は二人 満つ汐の夜の盃に酒乗せて、主とも思わぬ汐路かなや」と謡います。これ、謡曲松風の「嬉しやこれも月あり 月は一つ 影は二つ 満つ汐の夜の車に月を載せて 憂しとも思わぬ汐路かなや」のパロディですね。
こんなところが、また狂言の面白いところかと・・・もっともオリジナルが分からないとパロディの面白さは失われてしまいますよねぇ

ところで話は棒縛を離れますが、最近、ジャーナリストで明治大学教授でもある蟹瀬誠一さんのお話を伺う機会がありまして、その折に「亡くなった野村万之丞と親しくしていて」という話がありました。
現万蔵師の兄にあたる五世野村万之丞、八世の万蔵を追贈された耕介さんが亡くなって早9年近く。私もしみじみと惜しい方だったですねぇと申し上げた次第。

蟹瀬さんのお話では、古今東西の歴史から何から極めて博学で、そうした知識を踏まえつつ新しい芸術をプロデュースして行ける希有な人物だったとか。ま、私は能狂言ファンとして舞台を拝見していただけですが、本当に惜しい方でしたねぇ・・・
(26分:当日の上演時間を記しておきます)
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第一回下掛宝生流能の会を観に行く

本日は国立能楽堂へ、第一回下掛宝生流能の会を観に行って参りました。

もともと、昨年十一月頃に喜多の能楽堂でチラシを見かけたのがきっかけなのですが、なにしろ赤系の地色に亡き宝生弥一師の山伏姿、大きく白抜きの文字で「檀風」・・・これ、観たくなりますよねぇ。

本日、配られたリーフレットにもありましたが、下掛宝生流の檀風が東京で上演されるのは40年振りとか。
檀風、谷行など、ワキ方が活躍する能は、極めて上演が少なく、まず観ることはできないだろうと思っていたのですが、思いもかけない機会に早速申し込んだ次第です。

夢中でメモしてきましたので、いずれ記録に残しておこうと思っています。
いつもの通り、半魚文庫さんの謡曲三百五十番から「檀風」をプリントして持って行ったのですが、けっこう違います。いずれ詳しく書きますが、特に本間三郎の性格付けが微妙に異なる感じがします。

謡曲三百五十番は上掛系の本を底本にしている様子で、シテ方宝生流の「檀風」と比べるとほぼ同じなのですが、本日の上演は、なにぶん下掛宝生というくらいですから、本そのものが別系統ということなのでしょうね。

というわけで、思わず会場で販売されていた檀風と経政の謡本を購入。下掛宝生流の昭和決定版だそうで、な、なんとワキ方の梅村さんが紋付き袴で販売を担当されてました。
入り口の主催者テーブルには森常好さんが立ってるし、なんだか手作り感いっぱいの会でした。

席は満席。どうも今まで能楽堂ではお目にかかったことの無い方ばかりのような印象です。関西弁の方も少なからずいらっしゃったような・・・

ともかくも興味深い会でした。
「第一回」というくらいで、ぜひぜひ第二回、第三回を期待したいものです。
アンケートには「観たい曲を」という欄があったので「谷行」などと。

なお番組は

素謡 経政 シテ 宝生閑 ワキ 野口敦弘 地謡 下掛宝生流の方々

仕舞 俊成忠度 香川靖嗣
   天鼓   友枝昭世

狂言 八句連歌 野村萬

檀風 シテ 高橋章 子方 宝生尚哉
   ツレ 武田孝史
   ワキ 森常好
   本間 殿田謙吉
   船頭 野口能弘      ほか

という次第。ワキ方の流儀の素謡というのは、初めて聞きました、ホント。

飛雲 廣田泰能(第53回式能)

金剛流 国立能楽堂 2013.02.17
 シテ 廣田泰能
  ワキ 高安勝久、アイ 野村太一郎
   大鼓 山本哲也、小鼓 曽和尚靖
   太鼓 桜井均、笛 一噌隆之

ようやく式能の最後の曲「飛雲」にたどり着きました。
この飛雲は極めて上演の少ない曲です。一応金春以外の各流謡本には出ている様子なのですが、喜多流が現行曲としているのかどうか今一つ不明です。少なくとも、ここ数年の演能では金剛流以外に見かけた記憶がありません。

何時もお世話になっている大角征矢さんの観世流演能統計で拝見すると、昭和11年から平成21年までの60年間で上演回数が20回。先日、極めて上演が希ということでご紹介した住吉詣よりもさらに少なく、上演数の順位でいうと206曲中188位という状況です。金剛流では年一度くらいは上演がある様子なので、この辺りは流儀の考え方ということなのでしょうね。

まずは次第の囃子で、三熊野の山伏、ワキの高安勝久さんとワキツレ中村努さんが登場してきます。ワキは小格子厚板に白大口、縞目の水衣に篠懸をかけ、兜巾を戴いています。ワキツレは無地熨斗目に白大口、ヨレの水衣で篠懸兜巾。羽黒山に向かって下向する途次というわけです。

ワキの名乗りの後は二人の道行。「木曽の掛橋谷深み」と木曽路に入ったことが謡われてワキの着きゼリフ。「いずくとも知らぬ山路に分け入りて候」ということで、ここで暫く休もうと言ってワキ座に下がります。

囃子は一声。前シテは無地熨斗目着流しに水衣肩上げの老人。柴を負い、右手には杖をついて登場してきます。
このつづきはまた明日に
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飛雲のつづき

シテは舞台に入り常座に出て一セイ。
シテは続けて、老いの身には(薪を負っての山路は)苦しいと、薪を下ろして休もうと言います。ワキが、紅葉の木陰に休む様子のシテに声をかけ、シテは黒主の歌の心は薪を負った山人が花の木陰に休むけしきを謡ったもの、そのように私も紅葉の木陰に休むのだと、風情ある答えをします。
「志賀」では、山の神となった大伴黒主が樵夫に姿を変えて現れ、木陰に休みますが、これを下敷きにしたような展開です。

ワキ、シテの問答となり、紅葉の名所が次々と語られます。
高雄、嵐山と数え上げられ、地謡に。
シテはゆっくり五、六足ほど出て二足ほど下がり、あらためて正先へ。「このもかのもの草木の」と見回しながら出ると、舞台を廻りワキ座から大小前へ。「梢の秋はおもしろや」と杖に両手を預けて佇む形。
「白露も」と六拍子踏んで、舞台を廻り、常座から正中に出ると「かたしく今宵山伏の」と下居。杖にすがってワキを見込み、「夜遊を慰め申さんと」と立ち上がり「谷の戸深く入りにけり」と常座に進んで一度正面に向き直り、あらためて来序で中入となりました。この間に、ワキ・ワキツレはワキ座で向かい合い、ワキが笛座を向き、ワキツレが正面を向いて、二人とも寝入る形になります。

シテが幕に入ると、来序から狂言来序にかわり、末社出立のアイが登場して常座で名乗ります。
アイは熊野権現に仕える末社と名乗り本山三熊野の山伏たちが出羽羽黒山に下向し、信濃国木曽路に入ったが、この地には飛雲という変化(ヘンゲ)がおり、人をとってしまうそうだ。この鬼神を飛雲というのは、黒雲に乗って飛ぶこと鳥もおよばないことから、飛雲と呼ばれている。その飛雲が客僧の命を取ろうとして、山伏たちを紅葉の道へと誘い、色々物語して打ち解けた。今夜はこの紅葉の木陰にて一夜を明かすようにと言い、自分もまた来るからと言って姿を消してしまった。飛雲は客僧の命を取ろうと楽しみにしている様子である。しかし熊野権現が、末社である自分に、客僧を救うため夢の告げにて助けるようにと仰せられた。
と、これまでの子細をシャベると、寝入っているワキを見つけ、常座で独白の後、目付に出て声をかけます。
客僧達たしかに聞き給え。熊野権現の末社であるが、先の老人は山人ではなく飛雲という鬼神。三所権現は客僧を不憫に思し、力を添えるので知らせよと命ぜられ、ここまでやって来た。急ぎ夢を覚されよ、と夢の告げをする様子で語り退場します。
さてこのつづきはもう一日明日に
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飛雲さらにつづき

アイが幕に入ると、ワキ・ワキツレが立ち上がり「あら恐ろしの気色やな」とワキが謡い出します。夢のお告げに目が覚めた様子。二人掛け合いで、夜も更け月も暗い山中に逃げ行く場所もなく、夢のお告げに頼みをかけて三熊野三所権現に祈りを捧げます。

地謡が続けて黒雲が沸き立ってきた様子を謡うと、幕が上がってシテが小袖のようなものを引き被いて登場してきます。地謡に合わせて橋掛りを進み、「光の中に 現れ出ずる鬼神の姿」と常座に立ち、「面をむくべきやうぞなき」と引き被いていた布を落とすと半切の袷法被、赤頭の後ジテ鬼神が姿を現します。

ワキは懸命に数珠を揉み「祈リ」となります。
シテはワキの祈りに橋掛りまで下がりますが、再び舞台に戻りワキに迫ります。さらにシテ柱に巻き付くような所作も見せます。
この辺りが金剛流らしいところと思うのですが、様々な舞の技巧が組み込まれている感じです。

「祈リ」が終わると、ワキが「東方に降三世明王」と謡い出し、ワキツレともども一層強く祈る様子。シテは橋掛りに退却し袖を被いて下居し「明王の繋縛にかかる」様子から、再び立ち上がって「飛行をなして」と舞台にもどってきます。
しかし「上らんとすれども 大地に倒れ伏し」と飛安座して苦しむ様子を見せ、さらに再び立ち上がって攻めようとするものの、「智我心者 即身成仏」と再び飛安座して祈り伏せられた形。

再び立ち上がると「ただよい行くと見えつるが」とくるくると回って常座に向かい、さらに橋掛りから幕前まで走ります。「ありつる姿は雲煙と立ち消えて」と飛び回って下居。「鬼神の姿は失せにけり」と立ち上がって留。終曲となりました。

金剛流らしい見せ場のある後場だった、という印象です。
この曲がどうして観世流では滅多に上演されないのか、観れば理由が分かるかなと思っていたのですが、特にこれというものも気付きませんでした。
ワキがワキツレと向き合って寝入るというのも見たことのない型ですが、この曲独特なのか、高安流だからなのか、そのあたりも分かりませんでした。

ともかくも、切能として面白く演じられていたかな、と思った次第です。
附け祝言は猩々。といっても「酔ひも進めば東雲早く」という謡い出し。いつぞや書きましたように、金剛流では「乱」になると「猩々」のキリの「ゑひに臥したる枕の夢の」が上記のように変わり、その後は「覚むると思えば・・・」と続くのだそうです。これを附け祝言で謡うということのようですね。
(48分:当日の上演時間を記しておきます)
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舟渡聟 野村万作(のうのう能特別公演)

和泉流 国立能楽堂 2013.02.24
 シテ 高野和憲
  アド 野村万作 石田幸雄

例によって、いただいた番組には万作さんのお名前が上に、下の段に高野さんと石田さんのお名前がありましたので、今回は表題に万作さんのお名前を持ってきてみました。
一応、解説本などを読む限りは、この手の聟物では大藏、和泉両流とも聟をシテとするとありまして、その段で聟の高野さんをシテに、舅の万作さんと姑の石田さんをアドに記してみた次第です。

以前にも、大藏流山本則孝さん(鑑賞記初日月リンク)と和泉流三宅右矩さん(鑑賞記初日月リンク)の船渡聟をブログに取り上げていまして、特に三宅右矩さんのものは基本的に同じ形と言って良いので、今回は筋書きについて特に記載するものはありませんが、いくつか気になったことなど・・・

酒樽を持ち込んだ聟に、船頭が呑ませろと迫って舟を揺らしたりの大騒ぎの末に、まんまと酒を呑むことになります。さてこの呑む際に、船頭は背中に差していた「あかとり」を取り出して、これで呑むと言います。汚いではないかという聟に、水で洗えば大丈夫だと答えて「あかとり」に注がせますが、さてこの「あかとり」です。前々から気になってはいたのですが、どうやら淦取りと書くらしい。淦水(かんすい)は船底に溜まった水のことだそうで、これを取る道具の様子です。「垢取り」じゃあ変だしなあ、と思っていたのですが、ようやく納得できました。

それと最後の謡、この曲は舅と聟が小謡を謡って留になりますが、この小謡、聞き書きですが
あの日をごろうぜ 山の端にかかった
めいめいざらり ざらりざらりと
梅はほろりと落つるとンも
鞠は枝に留まった とまった とまった
とまり とまり とまった と と と いーやー

と、概ねこんな詞章でした。(違う点があるかと思いますが聞き書きにつきご容赦を)
これって平安神宮の時代祭に出てくる、室町洛中風俗の風流踊りで謡われるものと大変よく似ています。狂言が取り込んだということなのでしょうか。

それにつけても万作さんの舅、なんとも可愛げのある酒飲みでした。
(36分:当日の上演時間を記しておきます)
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住吉詣 観世喜正(のうのう能特別公演)

観世流 国立能楽堂 2013.02.24
 シテ 観世喜正
  ツレ 梅若紀長(源氏)、中森健之介 桑田貴志 小島英明(従者)、遠藤喜久(惟光)
  子方 馬野訓聡 遠藤遙実(随身)、奥川恒成(童)
  ツレ 中所宜夫 遠藤和久(侍女)
  ワキ 森常好、アイ 深田博治
   大鼓 亀井広忠、小鼓 大倉源次郎
   笛 藤田六郎兵衛

上演当日のブログに書きましたが、住吉詣は上演が少ない曲の部類です。最大の理由は人数らしく、上に記したようにシテ、ワキ、ツレ、子方、アイなど、都合13人が登場します。これだけの演者を揃えるのは確かに大変。しかも子方が三人で、花見の稚児のようにただ立っていれば良いという訳ではありませんから、これまた大変そうです。

当日は上演に先立って東京学芸大学教授の河添房江さんの解説があり、この曲の原典となった源氏物語との比較から、興味深いお話がありました。
源氏物語では、朧月夜との仲が発覚して都を逃れた源氏は、須磨、明石と遍歴し明石の上と知り合いますが、朱雀帝の許しを得て都に戻ります。

そして続く「澪標」で、源氏は須磨から逃れる際に祈りを捧げた住吉大社に詣でますが、偶々同じ日に住吉大社に詣でていた明石の上とすれ違ってしまいます。
一方「住吉詣」は、この澪標の巻を原典にしているのですが、この曲では源氏と明石の上が再会し、共に舞を舞うという花やかな展開になっています。この、なぜ二人は対面したのという点について、河添さんは住吉の神の霊験説や、中世の源氏物語梗概書に「ここにて源氏御対面あり」といった記述がなされているものがあり、こうしたものの影響かと話されていました。
また詞章の中に伊勢物語に由来する地名が謡い込まれていることについても話がありましたが、こちらは能の展開に沿って触れたいと思います。

ともかくも、舞台の展開は明日につづきます
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住吉詣のつづき

舞台にはまず名宣笛でワキ住吉の神主と、アイ社人が登場してきます。
ワキ森さんは白大口に単狩衣、風折烏帽子の神職の風体、アイの深田さんは半袴に肩衣を着け太刀持ちの形です。
常座まで進んだワキは摂州住吉の神主、菊園の何某と名乗り、光源氏が当社にご参詣されるというので、社人を集め社内を清めて、源氏を迎える心得をしておくように申しつけようと思う旨を述べて、アイを呼び出しワキ座に立ちます。

ワキはアイに対して、社内を清め心得るようにと命じると、鏡板の所に行ってクツロギます。命ぜられたアイは、常座に立って社内を清め、迎える心得をするようにと触れて、橋掛りに向かい、幕に入ります。
ヒシギが吹かれて一声の囃子。後見が車の作り物を持ち出して正先に置き、源氏の一行が登場してきます。

先頭に子方の童随身二人が立ち、源氏、舞童、惟光、そして三人の従者が舞台に進み、源氏が車に入って、童随身、舞童、従者が左右に並び、惟光は源氏の真後ろに立って、一セイ、惟光のサシ、一同の謡と続きます。この道行で、一行は住吉近くに到った様子で「なほ行先は渡辺や 大江の岸に寄る波も」と源氏は下がって車から出、一同下がって、源氏がワキ座、舞童、童随身、従者三人とならんで、最後に惟光がちょうど正面あたり。源氏がここで床几にかかり、一同が下居して源氏のサシ謡になります。

ここで謡われる道行「今日思ひ立つ旅衣 薄き日影も白鳥の」と謡われますが、ここに「山崎」「芥川」の地名が読み込まれ、さらに「交野に狩り暮れて 春見し花のそれならん」の詞章があって、最後に「住吉」の地名が出てきます。
河添さんの解説だと、これらの地名などは伊勢物語との連鎖を示唆するもので、「山崎」や「交野に狩り暮れ・・・」は八十二段惟喬親王の段からの引用とのこと。光源氏を業平の色好みに擬する意図があるのかもしれないと話されていました。

ともかくも、このつづきはまた明日に
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響の会を観に行く

本日は、青山の銕仙会能楽研修所に「響の会」を観に行って参りました。

青山は久しぶりです。正直のところ、椅子席ではないので長時間だとキツいのですが、空間が狭めなので演者の息遣いが伝わってくる感じで好きな舞台です。遠く、電車・・・おそらく地下鉄の走る音が聞こえてくるのもご愛敬ですが・・・

響の会は、銕仙会の西村高夫さんと清水寛二さんお二人の会で、今回の研究会は第37回。
本日はお二人の仕舞の後、同じく銕仙会の山本順之さんのシテで「木賊」という番組。あまり出ない曲ですが、じっくりと見せていただきました。

西村さん、清水さんいずれも早稲田大学観世会のご出身で、その早大観世会を指導しておられたのが山本さん。お二人の手ほどきをされた先生であります。
その後、二人共に銕仙会に入られています。観世寿夫さんの晩年に入門されて、八世銕之亟である静夫さんのもとで修行された年代ですね。「晩年」と書きましたが、当時、まさかあんなお歳で寿夫さんが亡くなるなどとは予想もしていませんでしたので、お二人が入門された昭和50年、51年頃は寿夫さんの絶頂期だったと言っても良いのかも知れません。

それにつけても、本日は、能といい、それに先立つ仕舞といい、本当に良い舞台でした。
鑑賞記をいずれアップします。

仕舞
 自然居士    西村高夫
 花月       清水寛二

 木賊   シテ 山本順之

住吉詣さらにつづき

光源氏の謡から地謡の上歌「日の本の神の誓いはおしなべて・・・」となり「八相成道は・・・」で源氏が立って正中へとゆっくり進み「誰かは仰がざるべき」と両手を突いて参拝の形、立ち上がって床几に戻ります。

住吉の神に目出度く光源氏が参詣したという態で、ワキが常座に下居「ただいまのご参詣めでたう候」と述べます。
惟光が「さあらば祝詞を参らせられ候へ」と声をかけ、ワキは立ち上がると後見座にて幣を受け取り、まずは後見を向いたままノットの囃子を暫し聞き、立ち上がると大小前にて下居。右膝に幣を立てて「いでいで祝詞をもうさんと」と謡い出します。

「謹上再拝」と幣を右から振り出し、両手に捧げて拝した後、右の膝に弊を立て「敬って申す」と祝詞を唱えます。地謡がこれを受けて謡い、ワキは立ち上がって後見に弊を渡すと常座に下居。「悦びの御盃 神主に賜びければ」の謡に、童随身二人が立ち上がって源氏に酌をし、戻って着座します。
さらに舞童が立ち上がって大小前に立って「一樹の蔭や一河の水」と謡い、地謡が受けて謡う中、正先に出て開キ、右に回って正中から笛座を見込み中ノ舞を舞います。

中ノ舞の譜ですがカカリの後、初段の所で扇を逆手にとって両袖を巻き、舞台をほぼ一廻りすると「我見ても 久しくなりぬ すみよしの」と謡って上扇、カカリと三段の一部分を舞ったような具合です。
地謡の大ノリの謡に、舞童はサシ込み、開キ、サシて正中から幕を見込み「明くる住吉の」と雲扇。童随身が源氏の後ろに下がって向かい合い、この二人分、一同の位置が詰められた形になって一声の囃子が奏されます。

囃子が始まると後見が舟を出して二の松に据え、侍女二人を従えた明石の上が登場してきますが、このつづきはまた明日に
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