能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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住吉詣さらにさらにつづき

橋掛りの舟に乗り込んだ形の明石の上一行、舟の前の部分に唐織着流しのツレ、真ん中に緋の大口に唐織打掛のシテ、後ろの部分には唐織を肩脱ぎにし棹を持ったツレが立って舟漕ぐ形です。
シテ、ツレ三人の謡で、須磨から津守の浦に着いたことが謡われ、棹持つツレが手をかけて舟漕ぐ様を見せます。こちら側は中所さんだったと思いますが、棹を構えた形が大変美しく印象的でした。

ツレが謡い出し、惟光が立ち上がると、正中辺りから明石の上の一行に向かい合います。ツレの謡で「いかなる人にてやあるらん」と問いかけられ、惟光が「これは都に光君」と答えます。
この詞にシテ明石の上が「あら恥ずかしや光君と 聞くより胸うち騒ぎつつ・・・」と謡い、惟光、シテと掛け合って地謡「玉襷 かけも離れぬ宿世とは・・・」の謡い出しで、惟光は笛座前に戻ります。地謡のうちにシテ、ツレの侍女が舟を下りて舞台に向かい、シテが常座、ツレが大鼓の前あたりに控え、シテはさらに正中に出て着座します。

ロンギになり、明石の上は光源氏と思わぬ再会をすることになります。
源氏物語ではすれ違ってしまう二人が、この曲では再開を果たす、一曲のハイライトとなる場面です。

地謡が「忍捩摺り誰やらん」と謡い、シテが「誰ぞとは 外に調めの中の緒の・・・住吉の岸に生ふてふ草ならん」、源氏が「忘れ草 忘れ草 約言もあらじかし」と謡い継いでいきます。なかなかに情趣深まるところです。

続く掛け合いのうちに惟光が扇を広げて立ち上がり、「傅(メノト)御酌をとりどりの」と謡いつつ源氏の前に立ち、源氏、明石の上と酌をして回ります。
さてこのつづきはまた明日に
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住吉詣もう一日のつづき

惟光の酌に、地謡が「酔に引かるる戯れの舞 面はゆながらも移り舞」と謡い、シテ明石の上が立ち上がり常座へ。後見を向いて立ち、笛の吹き出しで正に向き直って序ノ舞の舞出しです。

初段の直前でツレ源氏が立ち上がってシテと並び扇広げて打込、上扇して段になり、初段は二人の相舞となります。序ノ舞を男女で舞う相舞というのは珍しい形ですね。
二段の頭で扇を左に取り、二人が一度向き合う形になります。ここで源氏は扇をおさめて床几に戻り、シテが地を舞って二段で舞上げとなりシテのワカです。

「身をつくし戀ふる験に此処までも」と謡って地謡。地謡が受けてシテは舞台を廻り、大小前から「互の心を夕波満ち来て」と謡いつつ源氏を向き、舞台を廻りつつ源氏に思いを見せますが、「逢ひ見まほしくは思へども」と正中に下居して頭下げ、立ち上がると常座から橋掛りへと向かいます。

ツレも従って立ち上がり、去って行くシテの一行を追う形で源氏も立ち上がります。
「名残も牛の車に召されて 上れば下るや稲船の」と常座に進んで、明石の上を見送り、正に向き直って開キ、袖返して留となりました。

花やかな舞台で、これはこれで楽しめましたが、それにつけても出演者が多く、度々演じるのは確かに難しそうです。何かの祝い事等の時に演じられる曲というのも納得いく感じがします。

ところで上演が少ないというこの曲ですが、国立能楽堂では、昭和58年、平成5年・13年と、これまで3回の上演があって、河添さんは今回の解説のためにライブラリーで録画をご覧になったそうです。私は録画を見るまでの余裕がありませんでしたが、記録を見てみると観世流が二度、もう一度は金剛流です。
さてそのうちの金剛流の記録では、童随身は登場せず、従者が四人になっています。しかも従者四人はワキ方で、ワキツレと表記されています。してみると、金剛流と観世流では曲の演出にもけっこう違いがあるのかもしれません。
(76分:当日の上演時間を記しておきます)
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八句連歌 野村萬(下掛宝生流能の会)

和泉流 国立能楽堂 2013.03.17
 シテ 野村萬
  アド 野村扇丞

八句連歌は、大藏流山本東次郎さんの上演についてブログに記事を載せています。(鑑賞記初日月リンク
今回は和泉流ですが、八句の連歌自体は基本的に同じものです。二、三、ちょっと言葉の違うところもありますが、大意に違いはありません。

しかしながこの八句の連歌が出てくるまでの展開が違います。
大藏流では、まずアドの貸主が登場して、貸した金を算用させるため借主を訪ねるという形になっています。
一方、和泉流ではシテ借主が先ず常座に立ち、以前連歌の友であった人から金を借りて返せないうちに足が遠のいてしまって、敷居が高いと言い、一度挨拶してこようと言って舞台を廻り、貸主の家にやって来ます。

常座から案内を乞う形で呼び掛けると、笛座前に控えていたアドが立ち上がり、案内の声を聞いて借主と気付き、また金を借りに来たのかと思って居留守を使うことにします。
アドの扇丞さん「案内の声がする。あれは萬の声じゃ」と、ここはそれぞれの名前を使う決まりの様子です。狂言では、役名がない時など、演者自身の名前を使うことがありますが、その段のようです。

留守を使おうとワキ座に出、扇で隠す形で「隣の者」と居留守を使います。
萬さんも「野村扇丞殿」と声をかけますが、留守と聞いて諦め、橋掛り一ノ松まで下がります。アドも笛座前に下がって控えますが、シテはふと振り向いて「坪の内の花が真っ盛り」と庭の花を愛でる形で、一ノ松辺りから舞台を見込み、何やら思いついた様子で常座まで戻って、再び中に声をかけます。

花を見てあまり見事なので昔を思い出したと言い「花盛り 御免なれかし 松の風」と発句して、主人に言付けしてほしいと言い置いて帰ろうとします。
さてこのつづきはまた明日に
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八句連歌のつづき

発句を聞いたアド主人は、シテの詠んだ発句の面白さに感心し、一度橋掛りに出て外から帰った様子でシテに呼び掛けます。

まずは中へと借主を招じ入れ、アド主人がワキ座、シテが常座に着座してのやり取りに。シテは借りた金が返せないのを気にかけている旨を話しますが、アドは発句が面白いので呼び止めたと応じます。
シテは褒められて気分を良くしたのか、悪いところがあれば直してくれるようにと言います。

これに対してアドは「御免なれかし」が身に障って悪いと言います。「御免」が、借金棒引きを連想させると言うことでしょう。シテは、一応の理屈を言い、これはこのままにしたいと述べます。
さてこの後は、アドが脇を付け「桜になせや雨の浮雲」
シテは「なせや」が気になるといい「なさり」ではどうかと意見して
シテ「いくたびも霞に詫びん月の暮」
アドは「わびん」が気になるので「わびぬ」にしてくれと意見し
アド「恋責めかくる入相の鐘」
シテ「鶏もせめて別れは延べて鳴け」
アド「人目もらさぬ恋の関守」
恋路の使いとは良い題と褒めつつ
シテ「名の立つに使いなつけそ忍び妻」と詠みます。
これにアドが「名が立つほどに使いを付けたことがあるか」と怒り出します。借金の催促をしたという意味でしょうけれども、これに対してシテは「使いな告げそ忍び妻」だと言い訳し、アドがこれを褒めて
「あまり慕へば文をとらする」と詠んで、懐から借主の借状を取り出して、シテの前に投げ出します。シテは、借状を返そうとして何度かのやり取りになりますが、それほど辞退するならばとアドが借状をしまおうとすると、慌てて受け取ります。

最後はシテが「やさしの人の心や いつなれど花の姿の・・・」謡って留。面白くもあり、また風情のある一曲でもありました。本当は歌の面白さがもっと分かると良いのですが・・・
冒頭、連歌が始まるまでの展開は大藏流と随分違いますが、八句の連歌をやり取りするのはほとんど同じ。歌の詞に少しばかり違うところもありますが、誤差の範囲というところでしょうか。
(25分:当日の上演時間を記しておきます)
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檀風 高橋章(下掛宝生流能の会)

宝生流 国立能楽堂 2013.03.17
 シテ 高橋章
  ツレ 武田孝史
  子方 宝生尚哉
  ワキ 森常好
  ワキツレ 殿田謙吉(本間)、野口能弘(船頭)、森常太郎 野口琢弘(輿舁)
  アイ 野村万蔵 野村太一郎
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 金春國和、笛 一噌庸二

檀風(だんぷう)というこの曲、名前だけは知っていましたが、おそらく観ることはないだろう・・・と長年思っていました。というのも下掛宝生流での檀風が東京で上演されるのはなんと四十年ぶり。ワキ方の活躍する数少ない曲の一つで、まさに稀曲の部類です。

実は東京でも平成15年に檀風上演の記録があります。これはシテ方観世流、ワキ方福王流によるもので、国立能楽堂開場二十周年記念公演として演じられたもの。
この曲、シテ方としては宝生流と金剛流にあり、喜多流が参考曲としているそうですが、観世流では江戸時代の末に廃曲になってしまっており、昭和60年に福王茂十郎さんが中心となって、観世流と福王流で復曲したものだそうです。復曲後、関西を中心に何度か上演があるようで、そうした中で平成15年の上演もなされたようです。

さて今回、観に行くについては、当然ながら観世の百番集、續百番集には掲載されていませんので、詞章は例によって半魚文庫さんに頼ることにしました。それと併せてネット上の記事など探したのですが、その中でふと気になったのは、「なんとなく後味の悪い展開」という声でした。いくつかの記事にそうした記載があり、納得できるご意見だったのですが、さて当日観てみると、あまりそうした印象を持ちませんでした。

実は当日のワキ方の詞章が、持って行った半魚文庫さんのものと思いのほかに違います。どうもそのあたりに原因があるように思えました。当日は下掛宝生流の謡本販売があり、梅村さんが紋付き袴で売り場に立っておられましたが、思い切って檀風と経政を購入してきました。この本で確かめてみると、たしかに半魚文庫さんのものとは随分違います。
しかも日野資朝はツレではなく前シテとして記載されています。これは金剛流と同じ扱いのようで、なるほど「下掛」宝生流というだけのことはあると、あらためて思った次第です。

半魚文庫さんの底本である名著全集本「謡曲三百五十番集」は、以前にも書きましたが上掛系の本を底本にしている様子です。シテ方宝生流の本はこちらに近いのですが、ワキ方宝生流は全然違う・・・ということでした。
なお具体的なところは、舞台の展開に合わせて書いていこうと思います。
明日につづきます
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檀風のつづき

囃子方、地謡が着座すると、ツレ日野資朝の武田孝史さん、ワキツレ本間の殿田謙吉さん、輿舁の森常太郎さんと野口琢弘さん、そしてアイ太刀持ちの野村万蔵さんが登場してきます。ツレ武田さんは浅葱の色大口に掛絡を懸けモギ胴の出立。輿舁が後につきワキ座まで進んで床几にかかります。
一緒に出て鏡板にクツロイでいたワキツレ本間が、あらためて立ち上がり、常座に出て名乗りになります。

実はここから既に詞章が微妙に違う、それも本間と資朝の関係を暗示する部分に違いがあるように思えます。
上掛の本では、本間三郎と名乗ったワキツレは、「壬生の大納言資朝卿」を預かり、「いろいろいたわり申す所」に、鎌倉から飛脚を立て急ぎ誅し申せとのことなので、「いたわしながら」明日浜の上野で誅する。これを資朝に申そうと思うと述べます。

一方、下掛の本では、本間の何某と名乗り「日野の中納言資朝卿」を預かったが、都より飛脚が立って急ぎ誅し申せとのことであるので、番のことを固く申しつけようと思うと述べます。
上掛の本だと、本間が資朝を「いたわしく思い」なにかと「いたわっている」ことが織り込まれていて、本間と資朝の間に心の通い合いが感じらるところです。

この後、本間はアイを呼び出しますが、呼ばれて出たアイに、番の段を遺漏なく果たし、誰も会わせるなと念押しして地謡前に下がります。アイが笛座前に下がって次第の囃子。ワキ帥の阿闍梨と子方梅若の登場になります。

白大口に厚板の梅若が先に立ち、後から出たワキは白大口に水衣、篠懸をかけ兜巾を着けた山伏姿。子方が二の松まで進んで振り返ると、幕前のワキと向き合って次第の謡です。謡い終えるとワキが幕前で正を向き、都東山今熊野梛の木の坊に帥の阿闍梨と申す客僧にて候と名乗ります。
上掛の本では「山伏」と書かれていますが、客僧は実質的に山伏なので、この辺りは特に詞の使い分けの考え方はなさそうです。
ともかくも明日につづきます
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檀風さらにつづき

ワキの詞では、資朝が佐渡に流された子細が繰り返され、連れた子は資朝の子息、梅若殿と申すのだが、資朝卿が近く誅せられると聞かれて、今一度対面したいと、佐渡に向かうことが述べられます。上掛の本もほぼ同じですが「近く誅せられ給う由聞こし召され」の章句がありません。ここもまた聞いていて印象が違ってきます。

ワキの詞から、二人向き合っての道行。道行の後、ワキの着きゼリフになり、囚人の奉行は本間というらしいので、案内を乞おうと言い、子方が尤もにて候と答えると、子方を下がらせ、ワキは自ら二の松あたりまで出て案内を乞います。
アイが出てシテ柱辺りに立ち問答になりますが、本間から誰も会わせるなと命じられているアイは、対面は固く禁制と断ります。しかしワキが子方梅若をアイに示し、本間への取り次ぎを頼み込みます。

アイはワキと子方を待たせて大小前に出、本間に申し出ます。本間とアイのやり取りで、面会しようということになり、一度橋掛りで後ろを向きクツロイでいた二人にアイが声をかけ、ワキが子方を後ろから支えるようにして舞台に入って、子方ワキ正、ワキが常座に立って本間とのやりとりになります。

本間の問いかけに、ワキは資朝の子息梅若が今一度対面したいと申されるので、遙々これまでお供してきた。引き合わせてほしいと頼みます。これを聞いて本間は資朝にその由を話してこようと、対面を認めます。
上掛の本では、本間は「幼き人の遙々これまで御下向にて候ほどに」資朝卿にその由を申すとしていますが、下掛の本は「稚き人と申し 殊更客僧の懇ろに承り候間」とあって、これまた印象の違うところです。

さてワキが子方の背に手を添えて後見座に導き、二人が後ろを向いてクツログと、ツレが謡い出します。
籠の鳥に思いを寄せ、みずから囚われの身となったことをしみじみ謡った後、明け暮れ物を思うよりも、あっぱれ早く斬られたいと思うと語ります。
さてこのつづきはまた明日に
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檀風さらにさらにつづき

独り言を言う資朝に本間が声をかけ、問答になります。本間は都より飛脚が立ち、疾く誅し申すようにとのことであったと資朝に告げます。資朝はこれを聞いて、長らえて人に面を晒すよりも早く誅せられたいというのが望みであると答えます。

本間は資朝の返事を聞いて「御諚ゆゆしく候」と答えた後、悦ばしいことがあるとして、帥の阿闍梨が資朝の子息を伴ってきたので、対面するようにと勧めます。しかし資朝はこれを断り、自分は子を持たないと否定して、追い返してほしいと言います。

本間は驚きますが、それでは早速追い返そうと答えます。しかし資朝が、都の者と聞けば懐かしいので、物陰から姿を見たいと言い、本間はこれを許します。
本間が「さらば御覧候へ」と、立ち上がったツレの横に立って、扇を広げて動かし戸を開けた風の所作を見せます。するとツレがシオリ、これを見て本間は、どうして涙したのかと問いかけます。
資朝は、その子の父も流罪になり、配所を聞き違えて遙々来たのだろうと思うと、不憫さに泣けてしまったのだと答え、急いで追い返してほしいと本間に求めます。

このやり取り、上掛の本もほぼ同じ展開ではあるのですが、資朝の独り言の後、本間が声をかける際に、鎌倉より飛脚が来て急ぎ誅し申せとのことなので「明日浜の上野に御共申し 御いたはしながら誅し申し候べし」という章句が入っています。これの有る無しで印象が変わるのがお分かりいただけると思います。

さらにこの後は、資朝に追い返してほしいと言われた本間とワキ阿闍梨とのやり取りになりますが、そのやり取りを下掛と上掛のそれぞれに意訳すると
下掛:
本間:申し出の通りを資朝卿に伝えたが、子供は無いと仰った。どうして軽率なことを言うのか。
阿闍梨:それは不思議だ。私が行った通りに伝えてくれれば、そんなことは仰らないだろう。
本間:なに、申し出の通りを私が言わなかったというのか。侍ほどのものが、一度言ったことを直ぐに変えるようなことがあるものか。資朝卿は物陰から様子をご覧になって、我が子では無いとはっきり仰った。そのうえ資朝卿に子供は無いそうだ。まったく初めから軽率な山伏だ。このうえは弓矢八幡の神も照覧いただき何事も申し出は聞き入れない。
阿闍梨:いやそれは余りに情けないではないか
本間:いやいや、とにかくもう聞き入れないぞ

上掛:
本間:申し出の通りを資朝卿に伝えたが、子供は無いと仰った。どうして軽率なことを言うのか。
阿闍梨:それは不思議だ。私が行った通りに伝えてくれれば、そんなことは仰らないだろう。
本間:言語道断、口惜しいことを言うものだ。弓矢八幡の神に誓ってねんごろに伝えたが、それでも資朝卿は子が無いと仰ったのだ。私はもう知らない。

ならべてみると印象の違いがお分かりいただけると思うのですが、ともかくも明日につづきます
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檀風またつづき

昨日は資朝と本間のやり取りから、さらに帥の阿闍梨とのやり取りへと、いささか長くなってしまいましたが、あえて細かく記載してみました。

何日にもわたって書いてきていますが、全体の印象として、上掛の本では本間が資朝に同情しているように感じられます。一方、今回観た下掛宝生では、本間は資朝が身分の高い囚人であることから一定の礼儀を保っていますが、それ以上の同情があるようには感じられません。
その後の阿闍梨とのやり取りでは、下掛の方が厳しい応酬になっていて、本間と阿闍梨が感情的にも対立している印象が強く感じられます。一方、上掛の本は言語道断などと言うものの、やり取り自体はサラッとしていて、これまでの本間と資朝の間柄についての印象を壊すほどになりません。

一つ一つの詞章は、それほどに大きく違うわけでは無いのですが、度重なるうちに全体の印象がけっこう違ってくる感じがします。

さて、阿闍梨とのやり取りの末に本間は地謡座前に座ってしまいます。
ワキ阿闍梨は子方に向かい、ただいまの本間の言ったことを聞かれたかと声をかけます。ここでもワキは「なんぼう情けなき御返事にて候」と言い、本間を非難する雰囲気があります。ここは上掛の本では「思いもよらぬ御事にて候」となっていて、本間を非難する雰囲気にはなりません。
ともかくもワキの詞を受けて子方が「悲しやはるばる尋ね来たりたる かひも渚のうつせ貝・・・」と謡い出し、この後はツレとの掛け合いになります。ツレは我が子に逢いたいと思いつつも、名乗れば子供の命も危ないかも知れないと、思いとどまる胸の内をしみじみと謡い、子はまた親に会えず終いとなるつらさを謡います。二人は面会できないのですが、交互に心中を謡うことで、会うに会えない辛さ悲しさを強調する展開です。

ロンギとなり地謡の謡に、ワキが子方の後ろに回り、橋掛りへ進んで一ノ松に立ちます。クツロイでいた輿舁が常座に出てくると、ツレが立って正中に出、輿舁が後ろについて「武士輿にのせ申し」と本間が後ろについて、刑場である浜の上野に向かう形。
ツレの謡に続いて子方が輿の後についていく様を謡い、子方とワキは橋掛りから舞台に入って本間の後ろに立ちます。
さてこのつづきはまた明日に
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檀風またまたのつづき

浜の上野に向かう一行、ワキ森さんの謡は常のワキ方の謡よりもずっと情感深く謡う感じです。一同はぐるっと舞台を廻り、輿舁が常座で離れて鏡板へ、ツレは正中に出て安座、本間はワキ座に下がり浜の上野に着いた態。子方とワキは一度後見座に下がった後、子方が立ち上がって目付からツレに向く形になります。

子方は下居しつつ「あら悲しや我をもつれて御入り候へ」と声をかけますが、ツレは「今は最期にてはなきぞ」と言い、阿闍梨に子を連れて行くようにと声をかけます。これを受けてワキが子方を連れて後見座に下がり、ツレはあらためて本間を向くと、本当は自分の子供であると真実を語ります。その上で、船に乗せて都へ送り届けて欲しいと本間に依頼します。
本間は、はじめからそうではないかと思っていたと言い、誓って都へ送り届けようと約束します。これを聞いて安心した資朝は、もはや思い残すこともないと、地謡の「西に向ひて手を合わせ」で合掌します。本間はその間に立ち上がって地謡座前で肩脱ぎになり、正中、本間の後ろに立って太刀を抜き、斬った形で足拍子を一つ。
「御首はおちにけり」の謡に、資朝は懸けていた掛絡をポンと前に落として、切戸口から退場してしまいます。落とした掛絡が落ちた首のように思える演出です。

上掛の本を見ると、この後は本間が阿闍梨に声をかけ、資朝卿のことは囚人なのでどうしようもなかったが、梅若のことは遺言の通り、明日船に乗せて都へ送るので安心して休むようにと言います。これを受けた阿闍梨は、礼を言い、明日都へ送ってくれるように頼んだうえで、資朝の死骸を孝養したいので下げ渡して欲しいと願い出ます。そしてワキ方の秘事とされているという、資朝の遺骸を大切に供養する場面となります。

ここがまた下掛の展開が違うところで、ツレが切戸口に姿を消してしまうと、ワキが本間に声をかけます。何事かと問う本間に、阿闍梨は死骸を供養したいので自分に賜るようにと頼みます。本間が許すとワキは後見座にクツロギます。後見が小袖を持って出て丸めて置かれた掛絡の手前に小袖を広げます。資朝の遺骸を供養する場面です。
ワキは後見座で肩上げし、大小前から小袖を見込み、少しずつ前に出ると小袖の手前に下居、小袖の頭の方から足の方へとゆっくり見て、手前から向こうに小袖を折ります。掛絡を手に捧げるよう取って、しばし持ったうえで小袖の上に置き、両手で全体を抱きかかえるようにして立ち上がります。まるで遺骸を抱いているような感じに見えます。
右に回りつつ、常座から後見座に向かい,後見の欣哉さんに小袖を渡します。

なるほど秘事とされるだけはある見事な所作でした。
またまた明日につづきます
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檀風なおつづき

ワキ阿闍梨による供養が済むと、本間が地謡前に立って、部下達に疲れただろうから私宅に帰って休むようにと触れ、自分も臥所に入って休むと言います。
ここで子方がワキ正、ワキが常座に出、ワキは本間に対して「梅若殿これまで遙々御下向候に 一日もそひ申されずして 斯様に敢えなき有様を見せ申され候事 余りに情けなき御事にて候」と言います。しかし「去りながら 資朝の卿の仰せられ候ごとく」梅若を船に乗せ都へ送ってほしいと頼みます。本間は船に乗せ都へ送ると約束し、自分の家に来て休むようにと言って、自分も臥所に入ります。

昨日書いたように、上掛の本では先に船に乗せる約束をするやり取りがあって、遺骸の供養、そして部下に対する触れになり、自分も臥所に入るという展開です。上掛と下掛のそれぞれの展開を比べてみると、阿闍梨・梅若と、本間との間の描き方が随分と違っているのがお分かりいただけると思います。

本間が下がり、ワキがワキ正に、子方が大鼓の前あたりに立つと、ワキ阿闍梨は子方梅若に対し、遙々ここまで下向してこられたのに一日も添うことができず、敢えなき有様をご覧になり口惜しい事でしょうと声をかけます。しかし御最期を御覧になったことも本望であると思い、(本間も)明日は船に乗せて都へ送ろうと言っているので、館にお供しましょうと言います。
すると梅若が言いたいことがあると言いだし、何かと問う阿闍梨に梅若は、本間を討とうと思うと告げます。
この流れは自然に感じら、特段の違和感がありません。思いあまった子が本間を討ちたいと思う気持ちも分かるような気がします。

上掛の本では、本間が下がるとワキ阿闍梨が子方梅若に、本間の館に着いた旨を言い、明ければ船を仕立てて送ってくれると言っていたので安心するようにと言います。すると梅若が言うことがあると声を上げ、本間を討って欲しいと阿闍梨に頼みます。
随分印象が違います。しかも、自ら討つのではなく、阿闍梨に「討って賜はり候へ」と言う形になっています。

繰り返しになりますが、この曲を観る前にネットで見かけた「あまり後味の良くない」という評、こうして比べてくると、上掛の本での展開では、そうした印象を持つのも「さもありなん」という感じがします。一方、今回の上演を観ていて、そうした印象を持たなかったのも十分ご理解いただけると思うのです。
このつづきなお明日に
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九皐会四月定例会を観に行く

金曜日からちょっと立て込んでおりまして、檀風の鑑賞記が中途になっています。

そんな中ですが、本日はやや風の強い中、矢来能楽堂まで九皐会の四月定例会を観に行って参りました。
本日の番組は、能が中所宜夫さんの「知章」と、長山禮三郎さんの「海士」こちらは赤頭三段之舞の小書付です。
狂言は善竹十郎さんの文相撲で、ほかに仕舞三番。

いつもと同様に、いずれ鑑賞記を書くつもりでいますが、それぞれに楽しみました。
知章は、修羅能としてはテーマが複雑に混乱している曲、と思っていたのですが、本日の演能はうまく整理された印象を持ちました。終曲まで違和感なく、僅か十六で亡くなったという平家の公達を描ききったように思えました。

海士は初めて観た小書でして、だいぶん重い扱いと感じたところです。大龍戴も重そうでしたが・・・
前シテの玉之段、もともと好きなところですが、本日はまた一段と深い感じを受けました。そして、子方長山凜三さん。健気でしたねぇ・・・。このところ健気な子方の舞台、というのに恵まれています。相当に大変だったのだろうと想像していますが、大きく成長していただきたいもの、と祈るような気持です。

いささか疲れておりまして・・・本日はこれにて
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檀風なおなおのつづき

さて阿闍梨は梅若の申し出に、本当の敵は都にいる相模守であるし、離れ島のこの地で本間を討つのは危険だと諭しますが、梅若の固い決意に手助けすることを決め、二人で本間の臥所に忍び込むことにします。

ワキは子方に寄り添って、橋掛り一ノ松まで出、ここから臥所に忍び込む態で舞台常座に進みます。まだ火が消えていないので逡巡しますが、明かり障子に虫が飛び付いているので、障子を細めに開けて虫を中に入れ、灯火に飛び入らせて火を消そうという算段。
ワキ、子方の掛け合いで謡いつつ、常座から正中に出て片膝をつき、障子を開ける所作から、立ち上がります。二人小刀を抜いて、ワキ座で三度にわたって刺す型を見せ、一ノ松へと走ります。
もちろんここは能のことですから、本間は既に寝入るという設定で切戸口から退場してしまっていて、二人は刺す所作のみをみせる次第です。

地謡「追手は声々にとめよとめよと追っかくる」で早鼓、二人は後見座にクツロぎ、アイが立って杖突きつつ出、本間に仕える者と名乗ります。帥の阿闍梨が逃げたので追っ手を懸ける旨を触れて退場します。

アイが退くとワキと子方は立ち上がり、船着きまで出て船に乗ろうと言ってワキ座に立ちます。
すると幕から棹サシ(船頭)が登場してきます。素袍を肩脱ぎにして竿を担って出、常座に出て棹を構え船漕ぐ形になります。
この船頭にワキ阿闍梨が便船しようと声をかけますが、船頭は柱を立てて帆を曳く程になった船をどうして磯まで戻すものか、まだ出ていない船に乗ったら良かろうとつれない返事です。

阿闍梨は、人を討って追っ手がかかっているので何とか乗せて欲しい、と言いますが、船頭は科人ならばなおさら乗せるわけにはいかないと断ります。
阿闍梨と船頭の言い合いが続き、船頭は向きを換えて後見座の方を向き、船が遠ざかる様子で橋掛りへと進みます。
さてこのつづきはまた明日に
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檀風まだつづき

船頭は遠ざかりつつ「風に出船の習いなり」と言い、阿闍梨「さてこの風は」、船頭「東風の風」と二の松で向き直ります。ワキは「向ふて西になそうぞゑい」と風向きを変えて見せようと、常座につめて「ゑい」と声を出しますが、船頭は再び向き直り「なほこの船を押して行く」とゆっくり幕に向かいます。地謡の「追手は波に近づきたり」に、船頭は既に遠ざかった様子で、幕前にいたり正を向きます。

ワキは子方の前に安座し、思いついた事があると言い出します。これまで三熊野の権現に詣ってきたのもこういう時のため、海上に三所権現を勧請し、不動明王の索にかけて船を祈り戻そうと言って、子方をワキ座に下げ、立ち上がると「やあその船まことに戻すまじいか」と船頭に声をかけます。

さらに船頭とのやり取りになり、ワキは「あふ(オオ) 何というとも悔まうぞ悔むな男」と謡って常座までススッとつめます。さらに地謡の「台嶺の雲を凌ぎ」で正中まで下がると数珠を揉んで祈ります。
地謡に合わせた阿闍梨の祈りに、船が戻される様子で船頭が少しずつ動き、橋掛りを戻ると、引き戻された形のまま切戸口から退場します。

ワキ阿闍梨は地謡前に下がって着座、早笛の囃子が奏されて、シテの出になります。
シテは法被半切、赤頭に唐冠をつけ、法被は肩脱ぎにして登場してきます。シテは「本宮証誠殿 阿弥陀如来の誓にて」と謡い、地謡と掛け合いで謡いつつ、袖を返して舞台を廻り謡い舞いの形です。

シテ熊野権現の力で風向きを西に変えて船を戻し、二人を乗せた後、熊野新宮薬師如来の浄瑠璃浄土は東にあり、この東に再び風を変えて二人の乗る船を若狭の浦に着け、二人を都に帰したと、地謡の謡ううちに、ワキは子方を立たせて橋掛りに進み、シテ熊野権現がこれを見送る形。ワキは謡のうちに幕に入り、シテが常座で回って開キ、留拍子を踏んで終曲となりました。

いつもはここで観能記を終えますが、今回はもう一日つづきます
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檀風まだまだのつづき

いつもより長々と書いてきましたが、ワキ方中心の能の常として、まず詞章自体が長大です。さらに登場人物も多く、場面展開も複雑。そのうえ今回は、上掛と下掛の本の違いで受ける印象も異なることから、場面を追いかけているうちに観能記も随分と長くなってしまいました。

観能記もさらに、さらにさらに、また、またまた・・・と続けてきましたが、この「さらに」とか「また」とかは、これまでも観能記の題として何度か用いてきました。お気づきの方もいらっしゃったかも知れませんが、これは2001年に亡くなられた作曲家でエッセイスト団伊玖磨さんのエッセイ「パイプのけむり」からの連想です。私、このシリーズが好きで、続、続々、また、またまたと続くパイプのけむりを愛読しておりました。

さて話はもう一度「檀風」に戻りまして、この曲がどういう子細で作られたのか、ワキ方の演者が多数出演する形なのは何故か、調べてみたのですが結局わかりませんでした。また上掛と下掛の本の相違も、どうしてこうも違いが生じたのか、どちらがもとの形に近いのかなども、気になるところです。

ともかく、ワキ方が演ずる帥の阿闍梨、本間、船頭、それぞれに重要な役回りで演技力も求められるところです。さらに子方梅若が極めて重要な役割を果たします。
今回の子方、宝生尚哉さんは欣哉さんのご次男ですが、気持ちの良い舞台でした。健気にも・・・という印象です。ご長男朝哉さんは、七年ほど前に岩船のワキで拝見しましたが、現在は中学三年になる様子。尚哉さんは小学校二、三年らしく、将来を期待したいですね。なお下掛宝生の檀風では、これまでも子方はワキ方から出ている様子ですが、福王流では、復曲した際には福王和幸さんが子方を勤めていますが、その後の上演ではシテ方から出ていることが多いようで、国立能楽堂での上演では関根祥丸さんが梅若を演じています。

ところでこの曲名、現在の金剛流の本では壇風と書かれていますが、いずれにしても「いったいどういう意味なんだい」と思わないでもありません。
「檀」は、紫檀、黒檀、白檀、栴檀などにも使われるように、木の種類を示す字で、一字での「檀」は「まゆみ」をさすのが普通です。香木の名にも用いられる字なので、檀風・・・香のようにかぐわしい風・・・の意味にも取れそうです。
また「壇」は仏壇などにも使われるように、一段高いところの意味ですが、壇風・・・なにやら仏様から吹く風とでも感じられるところです。

実はこの曲名、檀風ではなく擅風(せんぷう)というのがもともとの名だったという説があります。独壇場も、もともと独擅場だったのが、誤って広まったといわれていますが、「擅」は「思うままにする」という意味で、独擅場も自分の思うままにという意味なら理解できるところです。

この曲の後場、ワキ帥の阿闍梨と船頭のやり取りで「東風」「西の風」が重要な意味を持ち、さらに阿闍梨の祈りによって熊野権現が現れ、風の力で遠ざかる舟を引き戻し、無事に佐渡から逃げ延びることが出来たわけで、こうした意味を表すとすれば「擅風」という曲名は納得のいくところに思えます。
(98分:当日の上演時間を記しておきます)
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木賊 山本順之(響の会研究公演)

観世流 銕仙会能楽研修所 2013.03.30
 シテ 山本順之
  ツレ 長山桂三 浅見慈一 岡田麗史
  子方 谷本悠太朗
  ワキ 宝生欣哉
  ワキツレ 大日向寛 則久英志
   大鼓 柿原崇志、小鼓 観世新九郎
   笛 松田弘之

この木賊、不思議な設定の曲でして、幼い我が子が拐かされてしまった老人の男物狂いが、序ノ舞を舞うという珍しい能です。老女物に準ずる重い扱いをされているそうで、観世流の謡曲等級では重習中伝になっています。

突然、等級などと書いてしまいましたが、「謡」を習う際には当然のことながら簡単な曲から難しい曲へと進んで行く訳で、観世流では全ての曲を簡単な方から、五級、四級、三級と位置付け、一級の上は準九番習、次が九番習となります。
この上に、重習として初伝、中伝、奥伝の区分があり、初伝は求塚や砧など。中伝がこの木賊や望月など。奥伝には道成寺や石橋などがあります。さらにその上と言って良いのでしょうが、別伝として鷺、関寺小町、姨捨、檜垣といった曲が並んでいます。

まずは極めて重い扱いがされる曲なのですが、拐かされた幼子とシテの老人との年齢差の問題など、なんとなくしっくりしない点もあり、繰り返しになりますが不思議な設定の曲と思います。

さて舞台には、次第の囃子で子方を先頭に立てたワキの一行が登場してきます。
子方は無地熨斗目着流しに水衣、角帽子を着けています。ワキ、ワキツレはいわゆる大口僧の出立で、少年僧を伴った旅僧の一行といった態です。
舞台中央に進んで向き合い、次第の謡となります。
このつづきはまた明日に
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木賊のつづき

次第の地取りの後、ワキの名乗り。ワキは都の者と名乗り、連れている幼い人は信濃の国の人で、自分を頼ってこられたので師弟の契約をしたものだが、本国に父を持っており今一度対面したいというので、供をして信濃国へ急ぐところだと言います。
つづいて道行。
木曽路を経て園原山に着いたと謡ってワキの着きゼリフになります。

園原山という山があるのかと思っていたのですが、調べてみると長野県下伊那郡阿智村の園原地区のことらしく、山の名という訳ではなさそうです。そのあたりのことは、また後に触れるとして、ワキは「あれを見れば草刈り あまた来たり候。これに相待ち、名所などをも尋ねばやと思い候」と言って、ワキツレともどもワキ座に下がり着座します。

一声の囃子でシテ、ツレの出。小格子厚板に水衣肩上げのシテ老翁が先に立ち、ツレの男三人は素袍上下肩脱ぎの形で続きます。シテ、ツレともに木賊の挟み草を肩に担っています。舞台中央まで進むと向かい合い一セイ「木賊刈る 山の名までも園原や 伏屋の里も 秋ぞ来る」と謡い出します。

ツレの二の句、シテのサシから下歌、上歌と謡い継ぎ、古来名所といわれるように、山野の眺めも美しい、信濃路、園原辺りの様子を謡います。
上歌の終わりに、シテは常座へと移り、ツレ三人はワキツレのそばから小鼓の前にかけて並びます。

地謡「いざいざ木賊刈ろうよ」でシテ、ツレが向き合いロンギに。地謡との掛け合いで「木賊刈る 園原山の木の間より 磨かれ出づる 秋の夜の月」が謡われます。これは平安後期の武将でもあり、歌人でもあった源仲正(仲政とも)の歌で、この歌の故に園原は月の名所として古くから知られていたようです。今も園原の月見堂(広拯院)には、この歌の歌碑が残されているとか。
園原はまた木賊の名産地だったらしく、昔は紙ヤスリのように広く用いられた木賊だけに、この点でも有名な場所だったようです。「木賊刈る」と言えば「園原」ということらしいのですが、また俳句では「木賊刈る」は秋の季語となっています。

シテは正面を向いて「木賊刈る 木賊刈る 木曽の麻衣袖濡れて」と謡い「磨かぬ露の玉ぞ散る」と謡いつつ、やや右を向くと下を見つつ二足ほど出ます。
続く地謡では「思えば木賊のみか」と手に持つ木賊の挟み草を見、直して挟み草を右手に取ると、鎌を出して下居、「身の為にも木賊刈りて」と草刈る型を見せて立ち上がり、後見に鎌を渡すと「木賊刈りて取ろうよ」と挟み草を持ち直して正面を向きます。
このつづきはまた明日に
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木賊さらにつづき

正面を向いたシテにワキが立ち上がって声をかけます。
ワキはシテに、年老いて自ら木賊を刈ることに不審を述べますが、シテは園原山の木賊は歌人も愛でる名物なので家への土産にしようと思うのだと答えます。ワキは納得し、さてこのあたりに伏屋の里というのはどの辺りかと問いかけます。

ここからの問答は園原、伏屋の森の帚木をめぐるもの。これは源氏物語巻の二「帚木」に見える源氏と空蝉の話に由来します。帚木の巻では、はからずも契りを交わした空蝉にもう一度会いたいと深く思う源氏は、空蝉の邸に赴きますが、空蝉は身を隠して源氏と会おうとしません。
そこで源氏は、空蝉を園原にあるという帚木のように、近づくと見えなくなり迷ってしまったと歌いかけます。園原には、遠くから見ると箒を立てたように見えるのに、近づくとどの木なのか分からなくなってしまうという、不思議な檜があるとの話が、当時都でも知られていたらしいのですね。
歌は「帚木の 心を知らで そのはらの 道にあやなく 惑ひぬるかな」です

これに対して空蝉は、いやしい伏屋の生まれと言われるのがつらく、いたたまれぬ思いに帚木のように消えてしまうと歌を返します。この伏屋は、園原に伝教大師が建てたといわれる難所越えの旅人を救助する布施屋のことらしく、これまた都でもよく知られていた様子です。

この謂われを踏まえつつ、シテ・ワキは園原の帚木を眺めます。
一連のやり取りの後、シテはワキの一行に、自分の家で一夜を過ごすようにと進めます。ワキが、それは嬉しいことと喜んで申し出を受けることにしてワキ座に着座し、シテは後見座に向かい肩上げを下ろします。
ツレの三人の男達は後ろを向いて肩脱ぎになっていた素袍を直し、岡田さんだけが立ち上がって正中に出、下居してワキに向かい、先ほどの翁は思い詰めたことがあり、時々現ない様子になってしまうことがあるので、心得て置いて欲しいと言い、三人ともに立ち上がって切戸口から退場してしまいます。
さてこのつづきはまた明日に
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木賊さらにさらにつづき

ツレが退場するとシテが立ち上がり、正中に出て着座、ワキの一行に向かって話し始めます。
自分は子供が一人いたのだが、見知らぬ人に拐かされて行方知らずとなってしまった。もしかして行方を聞くことが出来るかも知れないと思い、道近くに家を建て、往来の人をとめて子供の行方を知らないかと尋ねているのだと話します。

老人は続けて、子供は小歌曲舞が好きで、友達を集めては謡い舞いしていたので、自分も時々は舞を舞っている。と言って立ち上がり、目付方に「誰かある御盃を参らせ候へ」と声をかけて後見座に向かい、物着となります。

シテが装束を直しているうちに、子方がワキに向かい、今の老人は自分の親であると言い出します。驚いたワキは、直ぐに名乗るようにと勧めますが、子方はこれを止め、思う子細があるので、しばらくは知らぬ振りをしていて欲しいと言います。ワキがこれに応じると、子方は切戸口からいったん退場・・・これはこの日の演出なのか、子方の谷本悠太朗クンがあまりに小さく、この後も序ノ舞などがあり、着座し続けるのが大変だからなのか、さてどちらなのかと思った所です。

ともかくも物着を終えたシテが扇を広げて、右手に酌をする形に持ち、常座に出て下居、ワキ一行に声をかけます。
シテは肩上げを下ろした水衣の上から、子方用の浅黄色の掛け素袍を着て、放ち髪にした頭に小結烏帽子を乗せています。これはまた不思議な装束です。行方知れずになったという子供が、どのくらいの歳だったのか、謡曲からはよく分かりません。子方が演じていても、能の場合は立派な大人の役の場合もありますし、なんとも言えないところです。しかしここで、あえて子方用の小さな掛け素袍を着ることで、行方知れずになったのは「子供」なのだと、示しているのかもしれません。
なにぶんシテが老人で、その一人子が幼いというのも、これまた不思議な設定です。そのあたりを踏まえての装束なのか、とも思います。
さてこのつづき、もう一日明日に
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木賊もう一日のつづき

シテはワキ一行に酒を勧めます。飲酒戒のゆえに呑まないというワキに、シテは虎渓三笑の故事を引き、地謡で立ち上がるとワキの前に下居、酌をして立ち上がります。どうもこの扇もやや小振りのような気がしたのですが、確かなことは分かりません。

さて地謡のクリで大小前に進んだシテは下居、サシ、クセと謡が続き、鄭太尉(朝夕に木樵をして親を養い太尉になったという後漢の人。宇治拾遺物語に説話が見えます)や虞舜、釈尊と羅睺羅などを引きつつ親子の情を謡いシオリます。

クセの途中「親は千里を行けども」で立ち上がり、二三足出ると「子を忘れぬぞ真なる」と俯いて思う形。左、右と退いてシオリ「げにや人の親の」と謡って扇を広げます。
正先へと打込、ワキ正へと向かうと「我が子はかうこそ舞ひしものを この手をば かうこそさししぞとて」と扇を前に出して左に取り、子の舞う姿を思いつつ舞う形。羽根扇から舞台を廻り、ワキ正に出ると「酔泣きも子を思ふ涙とや人の見るべき」とシオリつつ退がり、一度後見を向いて扇を閉じ、正面に向き直って序ノ舞の舞出しとなりました。

老翁の舞う序ノ舞としては、西行桜や遊行柳などもありますが、それは草木の精、これは男物狂いという特殊な設定です。位取りも難しいところと思うのですが、二段のヲロシで、シテ柱まで後退りするようにして立ったシテは、左手に持った扇を見入る型から、扇下ろして右手でシオリ、子を思う心をしみじみと見せる形です。
さらに舞い続けて三段に舞って舞上げ、ワカ。

ワキ正で「影に酔ひ臥す枕の上に」と枕扇。正面に向いて「親物に狂はば」とツツっと出て「子は囃すべきものを」と手を打ち合わせます。
「あら恨めしやただ」と謡い、常座に戻るとつっと出、下がって「父に見えよかし」と安座してモロシオリ。
ロンギになり、子方が切戸口から再び登場、ワキが子方を支えてシテに向かわせ、親子の再会となります。

シテは扇を広げて立ち「疾くにも名乗り給はぬぞと」と招き扇、子方に寄って下居します。キリの謡になり、シテは立ち上がると子方を送り出して橋掛りに向かわせ、自らは橋掛りの入り口で扇を立てて頭上に上げ「後に伏屋の物語 浮世語になりにけり」の謡のままに退場し終曲となりました。

この曲、正直のところ解釈の難しい曲と思います。なぜ老人に幼い一人子なのか、老人は知らぬ人に拐かされたと言い、ワキは出家したいと望んできたと言う。理屈ではうまく理解できないのですが、それにもかかわらず、なんとも言えない親子の情を感じてしまい、舞台に惹きつけられてしまいました。本当に良い舞台でした・・・
後日、9日付けの日経新聞夕刊にこの日の能の評が載りました。こんな風に書くと、素晴らしい能だったことが伝わるんだなあ・・・と思った次第です。まあ、あまり感想めいたことを書かないのが、このブログの特徴でもあり、稚拙なところはご容赦下さい。
(98分:当日の上演時間を記しておきます)
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