能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

知章 中所宜夫(九皐会四月定例会)

観世流 矢来能楽堂 2013.04.14
 シテ 中所宜夫
  ワキ 殿田謙吉、アイ 善竹大二郎
   大鼓 高野彰、小鼓 田邊恭資
   笛 小野寺竜一

この知章(トモアキラ)は三年程前に、角当直隆さんのシテで拝見して以来、二度目の鑑賞です。(鑑賞記初日月リンク)以前にも書きましたが、修羅物の中では遠い曲であまり上演されません。全国の観世流での上演回数を調査された大角征矢さんの統計では、平成12年から21年までの十年間で8回の記録があります。修羅物の人気曲「清経」が、同期間に248回の上演を数えているのと比べると、いかに遠い曲かが分かります。

そのあたりの事情については、角当さんの鑑賞記の際にいささか考えた所を書いておきましたが、さて、今回の中所さんの上演。一曲見終わっての印象では、そうした事情を感じさせない・・・もっと素直な印象でした。
曲自体の構成が、知章と、その死を悼む父知盛の思いをともに見せようという、いささか複雑な構成になっており、しかもその知章が、平家の公達でありながら怪力といわれた武将であったことなど、考え出すときりがない。そうした様々をスッと躱した感じで、素直な修羅物として演じた印象を持ちました。

まずは次第の囃子でワキの出。無地熨斗目着流しに水衣、角帽子を着けた旅の僧です。角当さんの時もワキは殿田さんでしたが、今回はワキツレなしのワキのみの演出です。

常座での次第から、名乗り、道行と謡って須磨の浦に着きます。ワキは何やら気づいた風で「またこれなる磯邊を見れば」とやや斜め先、正先を向いて正中まで出、平の知章と書かれた卒塔婆を見つけた様子を見せます。
さてこのつづきはまた明日に
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知章のつづき

ワキが卒塔婆を見つけた様子を見せているうちに幕が上がり、ワキがワキ座に向かって歩み出すと、シテが声をかけて橋掛りを進んできます。段熨斗目に白大口、掛け素袍の姿での登場です。
卒塔婆に書かれた平の知章とは如何なる人だろうという、ワキ僧の疑問に答える形で、シテは舞台に歩みつつ知章の事を語ります。常座まで進むとワキを向き、回向の礼を述べて正中まで出ます。

シテは正中に下居「弔ふ事よさなきだに」と合掌。ワキもこれに合わせてワキ座前に下居して合掌し、二人同吟「一見卒都婆永離三悪道・・・」と謡い出します。地謡の下歌を聞き「仏果に到り給へや」で合掌を解き、二人は正対する形になります。
続く上歌のうちに、ワキが立ち上がってワキ座に下がって着座し、知章最期の折の、父知盛の様子を尋ねます。

シテ、ワキの問答から地謡へと、知盛が名馬井上黒を泳がせて御座船にたどり着いた様が謡われます。問答の初め、シテは「さん候知盛は。あれに見えたる釣舟の程なりし。・・・」と正面に向かい中腰となり遠く見やる形。その視線の先に釣舟が見えるようです。

続くロンギでは、シテが一門の中にある者の幽霊であるとあかし、立ち上がると目付から常座へと進んで中入となりました。送り笛を聞きつつシテが幕に姿を消すと、アイが立ち上がります。

肩衣半袴のアイは常座に出ると、津の国須磨の浦に住まいする者と名乗り、久しくどこにも出なかったので、今日は外に出て心を慰めよう、などといって目付まで進みワキの姿を認めます。
型通りのワキ、アイの問答から、ワキは平家の公達知章の果てたる様子を聞きたいと求め、アイが知る所を語るという展開です。
さてこのつづきはまた明日に
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知章さらにつづき

間語りでは、卒塔婆の主は平家の一門、武蔵の守知章であるとあらためて述べられ、元暦元年如月七日の曙、平家が源氏方に負けて散り散りになって逃げたことが語られます。もっとも平家方は元暦の元号を使わず、滅亡するまで寿永の元号を使い続けたので、平家方から見れば寿永三年の如月七日となりますが・・・

さらにアイは、知盛が知章と監物太郎の三騎となって逃げて行ったものの、汀に児玉党が追いかけてきて争いとなったこと。知章が敵の大将と思しき武将と組み合いになって両馬が間に落ち、その間に知盛が井上黒によって船にたどり着いたことなどを語ります。

知盛の乗っていた井上黒は名馬の誉れ高い馬ですが、二十余町というから2㎞あまりでしょうか、海を泳ぎ切って御座船までたどり着いた訳です。しかし船は狭く、井上黒を載せる場所もないため、やむなく馬を追い返した子細も語られます。

大二郎さんが間語りを終えて狂言座に戻ると、ワキが知章の跡を弔おうとする旨を述べて待謡。一声の囃子に乗って、後シテ知章の幽霊が登場してきます。

浅葱の色大口に緑地の長絹を肩脱ぎにし、公達の姿での登場です。観世流の装束付けをみると法被、または長絹にも・・・とあり、単法被で出るのを基本としているように見えますが、ここは知章が怪力の持ち主だったというあたりを気にするかどうかで装束も替わってこようかと思うところです。

常座でサシ謡の後、目付に出て一セイ。「後の山風」と幕を見込み、七つ拍子を踏んで目付から常座に戻り、小回りしてワキに向き合います。
ワキが「いかなる人にましますぞ」と問いかけ、シテが知章であると名乗ります。

さてこのつづきはもう一日明日に。
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知章さらにさらにつづき

シテ、ワキの掛け合いから地謡へ、シテがワキ僧の弔いに感謝し現れた様子が謡われ、シテは舞台を廻ってワキ僧に重ねての弔いを求める様子です。

ワキが、その折の有様を詳しく物語るように求め、シテは地のクリで大小前へ進み、正中で床几に腰をかけてサシ。
一門の人々が船に乗り海上に逃れた中で、知盛、知章、監物太郎は主従三騎に討ちなされて御座船に向かおうとするも、敵に阻まれて知章と監物太郎が討死。知盛のみが逃れたことを謡います。

既にここで知章は死し、続くクセは生き残った知盛の思いの視点からの謡になっていきます。
クセの前半は、知章の死を御座船の一同が涙を流して悼んだ様が謡われてシテの上げ端。「武蔵の守知章は」と謡ってシテは立ち上がり、拍子を踏んで舞台を廻ります。

短いクセの後半からロンギ。知章自身の最期を懺悔に語り給えとの謡に、シテは知章の最期を仕方に見せ、最期は「跡弔いて賜びたまえ」と地謡の謡うなか、常座で留拍子を踏んで終曲となりました。

先にも書いた通り、知章を失った知盛の心中がクセで描写された後に、重ねて知章自身の最期の様子が示されるという、いささか複雑な構成ですが、中所さんは平家の若き公達の悲劇として素直に演じた印象で、すんなりと拝見することが出来ました。
(73分:当日の上演時間を記しておきます)
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文相撲 善竹十郎(九皐会四月定例会)

大藏流 矢来能楽堂 2013.04.14
 シテ 善竹十郎
  アド 善竹富太郎 野島伸仁

文相撲は4年程前の2009年に、同じ大藏流山本則直さんのシテで鑑賞記を書いています。(鑑賞記初日月リンク
その翌年、則直さんが急逝されたこともあり、記憶に残る舞台です。鑑賞記には、舞台の展開など割合細かく記載していますので、ご参照頂ければと思います。その折は、常々は演じられないことも多い、新参者の男を大名が眼で使う場面も演じられるなど、細かな演技が重ねられたこともあって、全体で50分を超える上演でした。

今回は、十郎さんご一門らしい軽妙な展開で、全体も30分少々という上演。基本的な形は変わりませんので詳細は記載しませんが、十郎さんの大名は実に味のある雰囲気でした。

大名の名乗りは「遠国に隠れもない大名です」という形で、則直さんとは微妙に違いましたが、ともかくその後の展開は同じ形。大きな違いとしては冒頭に書いたように、大名が新参者を眼で使うという場面がないことくらいでしょうか。

しかし、もともと様式的な山本家と、軽妙洒脱な雰囲気の十郎さんでは受ける印象が相当に違います。ともかくも舞台を楽しませていただきました。

最後は、新参者が大名に勝って退場してしまった後、見物していた太郎冠者に大名が「何をしている」と問いかけ、無理矢理引き廻して投げて、退場してしまう・・・これは則直さんのときと同様の留でした。
(31分:当日の上演時間を記しておきます)
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海士 赤頭三段之舞 長山禮三郎(九皐会四月定例会)

観世流 矢来能楽堂 2013.04.14
 シテ 長山禮三郎
  子方 長山凜三
  ワキ 福王和幸、アイ 善竹富太郎
   大鼓 國川純、小鼓 幸正昭
   太鼓 助川治、笛 松田弘之

海士をこのブログで取り上げるのは二度目になります。
前回は3年程前に栃木県足利市の足利能で、観世流中村裕さんのシテで拝見していますがそれ以来ということになります。
その際の鑑賞記には、この曲が讃岐国の志度寺あたりに伝えられる海女の玉取伝説から作られたことをはじめ、淡海公を巡る話などについても記載しています。

したがって今回はそうした部分は記載しませんが、さて舞台の記録に入る前に、前々からなんとなく腑に落ちない点について、いささか思う所を書いておこうと思っています。

この曲、前場では房前大臣の亡母が海士人の姿で現れて、玉取伝説を踏まえた仕方話を見せ、自ら母の幽霊であると明かし弔いを求めて姿を消します。
さて問題は後場で、龍女が現れて房前に経巻を渡し早舞を舞うのですが、さてこの龍女は何者なのか・・・という疑問です。

いや、房前の母であるのは、それはそうなのでしょうけれども、どういう性格付けなのかがすんなりと理解できないと、まあそういうことなのです。
亡き母は龍女に変じることによって成仏を得ようとしている・・・あるいは成仏したのですが、どうしてまた龍女を持ち出してきたのか。また成仏しているのか、する直前なのか・・・などなど、わかったような、わからないような・・・
今回は舞台の様子の後に、この辺りを巡って思う所を書いてみようと思います。
さて舞台の様子は明日につづきます
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海士のつづき

まずは次第の囃子で、金風折烏帽子を頭に載せ、白大口に長絹の子方を先頭に立て、素袍上下のワキ、ワキツレ一行が登場してきます。

向かい合っての次第の謡から、ワキのサシ、子方の名乗りと続いて、房前の大臣が亡母追善のため讃州志度の浦、房崎に下る途次であることが示されます。
型通りに下歌、上歌と謡ってワキの着きゼリフ。一人の海人がやって来るので、この辺りの謂われを尋ねようと言って、一同着座。子方がワキ座で床几に腰を下ろし、ワキツレが子方に添うように地謡前に、ワキは笛座前から小鼓の前あたりに目付柱を向いて着座する形になります。

ここで前シテの出。無紅縫箔を腰巻にし、右手に鎌、左手に海松を持って登場してきます。常座に出て一セイ、続いてサシですが「これは讃州志度の浦 寺近けれども心なき あまのの里の海人にて候」までを謡ってあとは略。下歌も省いてワキの「いかにこれなる女・・・」の詞となりました。

シテ・ワキの問答で、月を見る障りとならないように、シテは水底の海松を刈ることになりますが、地次第で海松を刈る形から後見に海松を渡して正面に向き直り、ワキ正に出ます。ワキがここで声をかけるとシテは常座に戻り、玉取の話になります。
この途中、房前の大臣の名が出ると子方が「やあこれこそ房前の大臣よ」と声を上げます。

今回の子方、長山凜三クンは、シテ長山禮三郎さんのお孫さんですが、いやあ世の中にこんなかわいらしい男の子がいるのだろうか、と驚いた次第。しかも堂々と、大きな声で謡う姿は健気でもあります。実は、こんなことは珍しいのですが、この四月の九皐会に続いて五月の銕仙会でも海士を観まして、これがまた凜三クンの子方でした。
五月にはお父様長山桂三さんの会で、初シテ、合浦を舞われたようです。将来が楽しみなお子さんです。
さてこのつづきはまた明日に
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海士さらにつづき

子方の声を受けて、シテはゆっくりと正中まで出ると下居、鎌も置いてしみじみと房前大臣の母の話を語る風です。
気を変えるようにワキの詞になり、珠を潜きあげたところを擬うで見せて欲しいとの求め。シテがこれにこたえて玉之段に入っていきます。

「さらばそと擬うで御目にかけ候べし」と、シテは再び鎌を取って右手に持ち、鎌を剣に見立てる形で玉之段を舞います。
以前にも書きましたが、この玉之段は完成度の高い部分で、もともと前場だけで一曲として演じられていたらしい・・・というのも納得いく感じがします。
ともかくも玉之段を舞い終えると、シテは胸中から中啓を出して子方に寄り、その筆跡を見るようにと言い置く形で橋掛りへと進みます。一ノ松で振り返り、三足ほど戻ってさらに想いを示す様子を見せた後、「波の底にしずみけり」と一度、腰を下ろし、あらためて立ち上がると中入となりました。

シテが幕に入るとワキが立ち上がって大小前に出、当浦の人のわたり候かと声をかけ、アイが狂言座から立ち上がってこれに返事。アイを招ずる態で、ワキが笛座前、アイが大小前にて向き合った形となり、アイの居語りになります。

以下、前場の謡にあった玉取伝説を繰り返す形ですが、間語りのおおよそを書き記します。
奈良の都、大織冠の御娘、淡海公の妹である光伯女は、唐の高宗皇帝に見初められて唐土の后となっておられたが、興福寺に納め給おうと、唐土に隠れもない三種の宝、華原馨・泗濱石・面向不背の珠を送らせた。この三つの宝物が我が朝に渡される子細を龍神が聞き、宝を竜宮のものにしたいと思い、明珠をこの浦で手に入れてしまった。このため華原馨と泗濱石のみが京着した。
淡海公はこれを惜しみ、身をやつしてこの浦に来たり、賤しき女と契りを結び竜宮から珠を取り戻させたのであった。海士は珠を取り戻すに際して、自らの産んだ子を世継ぎとしてもらうよう約束をし、その子が今の房前の大臣である、という次第です。

ワキは、ここにその房前の大臣がお出でになり、亡母の弔いのために管弦講を催すこととされたので役者を集めるようにとアイに求め、アイがその旨を触れて狂言座に下がります。
さてこのつづきはまた明日に
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海士さらにさらにつづき

ワキは子方に向かって両手をつき、あまりに不思議な話なので、最前の御手跡を披いてご覧になるようにと勧めます。
これを受けて子方が中啓を広げ「さては亡母の手跡かと・・・」と謡い出します。たいへん難解な謡なのですが、凜三クン朗々と謡上げました。
実はずっと床几に腰を下ろしたままの間に、なにやら泣いていたような様子だったのですが、この謡を聞くとそういう雰囲気でもないようでした。地謡の駒瀬さんが何やら話しかけたりしていたのですが、さてどんな子細だったのか・・・

ともかくも子方の謡から地謡となり、出端が奏されて後シテの出になります。

後シテは赤頭三段之舞の小書がついたため、常の黒頭から赤頭にかわり、冠も大龍戴となっています。右手に鬼扇、左手には経巻を持ち、ゆっくりと登場。大龍戴が凄まじい大きさなので、素早い動きは難しそうです。それもまた装束のねらいなのかも知れません。

ゆったりと常座まで出ると「あらありがたの御弔やな」と謡い出します。
地謡が受けて「深達罪福相・・・」と法華経の経文を謡い出し、シテもこれと掛け合いの形になると、経巻を捧げてから両手で広げ、経文を読み上げる形で謡が続きます。

地謡の謡のうちに経巻を巻き戻して立ち上がり、子方に近寄って左に持った経巻を渡すと、子方が下居して経巻を広げ、経文を読む形になります。
これに合わせるようにシテは常座あたりから子方を見込み、さらに正中へ出て答拝し早舞舞出しです。

早舞は小書の名の通り三段に舞います。二段のオロシで逆回りに舞台を廻ってワキ座前に至り、ここから橋掛りへと進んでいきます。橋掛りでクツロギ。しばしゆったりとした後、舞台に戻って正先で羽根扇の型から三段へ。正中に進んで下居し、子方を見込んで舞上げとなります。
このつづき、もう一日明日に
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海士もう一日のつづき

早舞を舞上げたシテは右手を差し出し、この経の徳用にて龍女も成仏、讃州志度寺は法華八講により仏法繁昌の霊地となったと謡われるなか終曲となりました。

さてこの項の初日にもどって、なぜここで龍女が出てくるのかという辺りをめぐって、少しばかり思う所を書いておこうと思います。

そもそも往時の仏教では女性は成仏できないとされていて、成仏するためには一度男子に生まれ変わらなければならない、いわゆる変成男子の考え方が前提となっていた・・・というのは、この曲の解説などでもよく見かけるところです。
また龍女は、法華経提婆達多品にある娑竭羅龍王の女の話が元になっており、八歳でありながら智慧利根、よく仏の教えを解して成仏に到ったという話です。そこで、そのままでは成仏できない海女の霊が、龍女に生まれ変わることによって成仏を得たと、そういう作りになっているのだろうと思います。

これはこれで納得いく話ではありますが、さて振り返って、能には様々な執心を持った、様々な女達がシテとして登場してきますが、多くは後場で生前の姿をもった幽霊として現れ、ワキ僧の供養を受けて成仏していきます。
この成仏の過程で、男子に生まれ変わったり、龍女に変ずるなどという話は、どうも聞いた記憶がありません。
今、一番一番を確かめているわけではないので、海士以外にもそうした曲がありそうな気もしますが、ともかくもメジャーな展開ではないと思うのです。

なぜ龍女でなければならなかったのか、かつまた、この龍女は成仏しているのか、これから成仏する所なのか、今ひとつすっきり腑に落ちてこないのです。
海士であるということが、殺生と結びつき、女であることに加え殺生に至る罪科から、そのままの姿では成仏できないのだ、と、そういう解釈なのかも知れません。

書き出してはみたものの、やはりよく分からないというのが現状です。この曲に様々な小書のバリエーションがあるのも、そうした状況の現れかとも思います。まあ、こんなことを考えながら、観てみるのも楽しいといえば楽しいですし・・・

附け祝言は淡路。治まる国ぞ久しき・・・と、乱高下する金融市場など今の世相にも相応しい祝言かも知れません。
(96分:当日の上演時間を記しておきます)
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