能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

橋弁慶 観世銕之丞(銕仙会五月定期公演)

観世流 宝生能楽堂 2013.05.10
 シテ 観世銕之丞
  子方 馬野訓聡
  トモ 安藤貴康、アイ 中村修一
   大鼓 亀井広忠、小鼓 亀井俊一
   笛 藤田朝太郎

しばらく間があいてしまっていますが、出張の帰りがけに寄った五月の銕仙会の様子を記しておこうと思います。
能は橋弁慶と海士。いずれもブログで何度か取り上げているのですが、気になった点など記しておこうと思います。狂言の塗師平六は珍しい上演でもあり、舞台の様子などやや詳しく触れられればと思います。

さてその最初は橋弁慶。7年程前に観世流武田志房さんのシテで鑑賞記を書いていますが今回は銕之丞さんのシテ。堂々たる弁慶です。

まずは白大口に縞目の水衣、角帽子を沙門着けにしたシテ弁慶が、トモ従者を連れて登場してきます。トモは素袍上下で持ち太刀、シテが正中に進みトモは目付に控える形になってシテの名乗りです。

以前の記事にも書いたかと思うのですが、弁慶は宿願の子細あって五條の天神に丑の刻詣りをしており、今日がその満参の日と述べます。この「宿願の子細」が何なのか、この曲では最後まで明かされません。いささか気になるところではありますして、ここにこだわって曲の成り立ちを考えてみるのも面白そうなのですが、とりあえず先に進みます。

五條に向かおうという弁慶に、トモは本日は止めてはどうかと申し述べます。十二、三の少年が小太刀で斬り回り不思議の動きをするので止めるた方が良いとの意見です。
いったんは思いとどまった弁慶ですが、そんな話を聞いて遁げるのは無念だと思い直し、五條に向かうことにします。
正中から幕を見込んで「遅しとこそは待ち居たれ」と早鼓の囃子で退場し、短い前場が終わります。
さてこのつづきはまた明日に
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橋弁慶のつづき

シテ、トモが退場すると、代わってアイ早打ちが登場してきます。
弁慶に仕える者と名乗った後、弁慶が例の参詣をしようとすると、余計なことを言う者がいて一度は弁慶が参詣を思いとどまった子細を語ります。

しかし弁慶は情の強い人なので、やはり参詣に出かけると言い出した様子。早打ちは何とかして止めたいものだと言いますが、幕方に向かって弁慶の様子を聞く風を見せると、既に弁慶が屋敷を出られた言い、弁慶の身内に声をかけて退場します。

このアイについては以前の記事にも書きましたが、和泉流と大藏流で形が違い、この早打ち一人が登場してシャベるのが和泉流。大藏流ではオモアイとアドアイの二人が登場して寸劇を演じます。
五条の大橋を通り過ぎた際に後ろから斬られたと言うオモアイに、アドアイが背中に回って「したたかに斬られている」と言い、オモアイが腰を抜かしてしまいます。しかし実際には斬られておらず、二人は大騒ぎをしながら退場するという次第です。

ともかくも、この日は早打ち一人がシャベり、退場します。これに代わって、後場は子方が白衣をまとって登場してきます。
常座に出た子方の一声。今宵を最後に寺に入る、その最後の夜に五條の橋に立ち出でて月の光を待つと謡い、地謡の上歌で「橋板を とどろとどろと踏みならし」と替エの足拍子を踏んでワキ座へと下がります。

後シテ弁慶の出。袈裟頭巾に法被、長刀を携えて一ノ松に出、一度長刀を振り上げて下ろし、右手に立てて持ちながら一声の謡い出しです。

この後は長刀を使いつつシテの謡、常座に出た弁慶と子方義経との立廻になります。

さらに斬り組から、シテは橋掛り二ノ松あたりまで下がって佇みます。あらためて「長刀柄長くおっ取り延べて」と斬り組になり「希代なる少人かなとて呆れはててぞ立つたりける」と大小前にて手を打ち合わせて茫然とした風です。

ロンギとなり、シテと子方が名乗りあい主従の約束をして終曲となりますが、小気味よい展開に楽しく観能した次第です。
(39分:当日の上演時間を記しておきます)
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塗師平六 野村萬斎(銕仙会五月定期公演)

和泉流 宝生能楽堂 2013.05.10
 シテ 野村萬斎
  アド 野村万作、小アド 高野和憲
   大鼓 亀井広忠、小鼓 亀井俊一
   笛 藤田朝太郎

「ぬしへいろく」と読みます。大藏流では「塗師」という曲名のようです。

狂言の中には「舞狂言」とよばれる一群の曲があります。具体的な曲名としては「蛸」や「通円」、「祐善」などといった曲があげられますが、いずれもあまり上演の多くない曲で、これまでこのブログでは「舞狂言」に分類される曲は登場しておりません。
いずれも夢幻能の形式を借りており、シテが亡霊として現れて舞を舞う・・・したがって囃子も入る曲です。
もちろん狂言らしく、亡霊といっても「蛸」はまさに蛸の精が現れ、また「通円」は茶を点てすぎて死んでしまった茶屋の主人であるなど、能の亡霊とは一線を画しています。

これらの曲では、狂言の通例であるシテ、アドではなく、能に倣ってシテの相手役はワキとよばれるなど、まさに能を下敷きとして作られています。能のパスティーシュと言ったら良いのかも知れません。さらに通円などは、明らかに能「頼政」のパロディと言っても良い作りになっています。
こうした舞狂言を巡る話は、調べれば調べるほど興味深い点が出てきそうですが、いずれこうした曲の鑑賞記を書く際に触れるとして、今回は「塗師平六」
実はこの曲、舞狂言には分類されないのですが、舞狂言のパスティーシュと言っても良いような作りの曲です。

舞狂言では夢幻能と同様に、亡霊が仮の姿で現れ、成仏を願って後場で舞を舞う形になっていますが、この曲では生身の人間である平六が、後場でやむを得ない事情ながら幽霊の真似をして舞を舞うことになります。
舞狂言というジャンルが出来上がった後に、それをもとにしてさらに工夫してみました的な仕上がりになっています。

さて実際の舞台の進行は・・・明日につづきます
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塗師平六のつづき

舞台にはまず、括り袴に十徳、頭巾を被ったアドの師匠、万作さんが登場してきます。
常座に立ち名乗り。
実は都で塗師をしているこの師匠、最近はすっかり仕事も上がったりになっています。この師匠の弟子に平六という男がいるのですが、平六は越前の一条に住まいし、腕はそれほどでもないものの、なかなかに繁盛している様子。
前々から平六に、越前に尋ねてくるようにと誘われていた師匠、思い切って平六の世話になろうと思い立ち、越前に向かうことにした次第で、そうした旨を常座で述べると舞台を廻ります。

常座に戻って越前の一条についたことになり、平六の家を探し出して声をかけます。
この声を受けて、笛座前に控えていた小アド平六の妻の高野さんが立ち上がり、ワキ座に出て応対します。

師匠は来訪の旨を述べ、妻が招じ入れて師匠がワキ座に着座すると、妻は座を外して一ノ松あたりに下がり、独白になります。
妻が思うには、平六は腕は悪いものの此の地にほかに塗師がいないので商売がなりたっている。ここに腕の良い師匠が来ては商売の妨げになってしまうだろう・・・ということで、師匠に偽りを言って都へ返してしまおうと企みます。

さて常座に戻った妻は、平六は去年の秋「秋の露と消えました」と、死んでしまったと偽ります。これには師匠も驚きますが、そこにちょうど平六が帰ってきます。

平六の萬斎さん、たすき掛けに右手に漆刷毛、左手には漆入れと思しき「わっぱ」のようなものを持ち、「やいやい女ども」と妻を呼びながら一ノ松まで出てきます。
これに慌てた妻が立ち上がり、平六を止めます。
師匠がやって来たというので喜んで会おうとする平六に妻は事情を説明し、会わないようにと言いますが、幼少から世話になった師匠を追い返せないという平六と言い合いになります。
さてこのつづきはまた明日に
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塗師平六さらにつづき

平六と妻の言い合いで、どうしても師匠を追い返せないという平六に、妻はいまさら師匠にあわせる顔がないから暇をくれと言い出します。
暇をやることはできないが、さりとてどうしても師匠に会いたいという平六に、妻はそれならば幽霊になってお目にかかるようにと言います。

狂言らしいところではありますが、平六は納得して、それならば幽霊らしく取り繕って出ようと言って退場します。ここで中入。
さて座に戻った妻に、師匠は平六の声が聞こえたようだがと言い、妻は幽霊が現れたのだろうと、しばし幽霊話になります。その話の末に二人で鉦鼓を打ちながら供養しようということになり、妻が後見座から鉦鼓を持ち出してきて師匠に渡します。
ここで切戸口から囃子方、地謡が登場して着座し、師匠が正中、妻がやや下がってワキ正側に着座します。

二人は
「旅人は鉦鼓をならし女房と 鉦鼓をならし女房と 平六の亡き跡いざや弔はん 亡き跡いざや弔はん」
と待謡を謡います。謡い終えると師匠がワキ座、妻が地謡座前に目付を向いて下居の形。
狂言一声の囃子で幕が上がり、シテが狂言袴に水衣、黒頭に痩男のような面(狂言面の塗師と思われますが)をかけた幽霊の姿で登場してきて一ノ松に。まさに一声の風で「あら有難の御弔いやな」と謡います。
師匠は「不思議やな平六の姿の影の如くに現れたるは 念仏の功力なるかや有難や」と、能のワキの態です。平六はこれに答えつつ舞台に入って舞う形になります。
「恥ずかしながら餓鬼道の」と謡い、これを地謡が受けて「恥ずかしながら餓鬼道の ぬし(主と塗師をかけたのでしょう)となって・・・」と、あとは書き取れませんでしたが、地獄の様を謡う能に倣いつつも、漆塗りにまつわる道具などを謡い込んでの地謡に、舞あわせる形で留となりました。
「面白い」という訳ではありませんが、趣向を変えて楽しもうという趣旨だったのでしょう。珍しい一曲でした。
(28分:当日の上演時間を記しておきます)
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海士 懐中之舞 清水寛二(銕仙会五月定期公演)

観世流 宝生能楽堂 2013.05.10
 シテ 清水寛二
  子方 長山凜三
  ワキ 野口敦弘、アイ 深田博治
   大鼓 佃良勝、小鼓 鳥山直也
   太鼓 徳田宗久、笛 藤田貴寛

4月の九皐会から一月で、再び海士を観ることになりました。しかも子方は同じ長山凜三クン。巡り合わせもあるんだなあと思うところです。

さて舞台ですが、子方、ワキ、ワキツレの出は同じ形で進行し、ワキの一行は次第、ワキのサシ、子方の名乗りからワキ、ワキツレの謡と続きます。
この同吟の謡、途中の「泊り定めぬ あま小舟」を繰り返したところまでで後を略してワキの着きゼリフになりました。
人が来るので尋ねてみようとワキが述べ、ワキツレが答えて一同はワキ座へ。子方が床几に腰をかけ、ワキツレ二人が続いて、子方から一番遠い笛座前に近い辺りにワキが目付柱の方を向く形で座してシテの出を待ちます。

前シテは一声での出、無紅唐織脱下げで、右手に鎌、左手に海松を持ち常座に出て一セイ。「海士の刈る 藻に栖む虫にあらねども われから濡す 袂かな」と謡い、ワキが立ち上がって「いかに 汝はこの浦の・・・」と声をかけました。シテのサシ、下歌は省略です。

シテ、ワキの問答で海松を刈ることになり、子方の名乗りへと続いていきますが、この辺りは前回、赤頭三段之舞の小書付で記した形と変わりありません。
子方の「やあこれこそ房前の大臣よ」という名乗りに、シテは正中に出て下居、鎌を置きます。これは赤頭三段之舞の小書でも同じ形でしたが、通常の海士の演出ではシテは子方が房前の大臣であるとの名乗りに驚いて鎌を落とし、以後、扇をもって進行する形になります。

さてこのつづきはまた明日に
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海士のつづき

この後、玉取の様子を見せて欲しいとの求めから玉之段となり、クドキから中入へと続いていきますが、ここも前回の記録と特に変わったところはありません。
いずれにしても玉之段あたりは、この曲が古くは現在の前場の部分だけで演じられていた、というのが納得できるような、面白い部分。清水さんの能は気力充実し、見所も引き込まれる感じです。

シテは懐中から中啓を出して子方に渡し、シオリつつ常座に下がると橋掛りへ進んで中入。一度、一ノ松辺りで振り返ってツメ、海に沈んだ態で下居した後、あらてめて幕に入りました。

中入ではアイ当浦の住人と名乗っての居語り、これも前回の記録と変わりありません。
アイが狂言座に下がるとワキが、子方に手蹟をみるように勧め、子方が中啓を広げて読み上げる形。凜三クン、大きな声で朗々と読み上げます。

地謡から出端の囃子で後シテの出。
後シテは朱地の半切に緑地の舞衣、龍戴をいただき、左手に経巻を持って登場してきます。常座に立って「あらありがたの御弔やな」と謡い出し、地謡の「深達罪福相 遍照於十方」で大小前から正中へと出て腰を下ろし経巻を広げると、読み上げる形です。

地謡との掛け合いで、地謡の「天人所戴仰 龍神咸恭敬 あらありがたの御経やな」で経巻を差し上げると笛の吹き出し。シテは経巻を巻き上げて懐中にしまいます。
これが「懐中之舞」の小書名の由来となったところで、常ならば地謡の最後で経巻を子方に渡して早舞となりますが、この小書では経巻を懐中に早舞を舞う形になります。

立ち上がったシテは常座に向かい、子方を見つつ三足ほど出、シオルと下がって合掌。早舞の舞出しです。五段に舞う内の四段の最後で経巻を子方に渡す型が入り、子方は床几を下りて経巻を広げます。
この後は常の形と大きくは違いませんが、この曲自体の面白さ、シテの技量、見所の雰囲気、思わず引き込まれた一番でした。
(93分:当日の上演時間を記しておきます)
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右近 澤田宏司(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2013.05.18
 シテ 澤田宏司
  ツレ 金野泰大 金井賢郎
  ワキ 舘田善博、アイ 野村太一郎
   大鼓 飯島六之佐、小鼓 住駒匡彦
   太鼓 徳田宗久、笛 藤田貴寛

五月は久しぶりに五雲会にも顔を出してみました。
番組はいつもの通り能四番と狂言二番ですが、今回はこのうち、能「右近」と狂言「盆山」のみ取り上げてみようと思います。

さてこの「右近」という曲、脇能なのですが、あまり上演の多い曲ではありません。というよりも、脇能なので上演が少ない・・・と言った方が良いかも知れません。
これまでも度々書いてきましたように、脇能は祝言性の強い、逆に言えばドラマ性の乏しい曲が多いわけです。能楽の成り立ちから言えば祝言性が重視されるのは当然ですし、五番立ての演能形態が遵守されているうちは、ある程度のバリュエーションが求められたのだろうと想像します。毎回、同じ曲ではつまりませんしね。

しかし五番立ての演能が崩れてきて、能二番ないし三番での会が多くなると、あえて脇能を観たい、演じたいという要請が少なくなってきただろうことは容易に想像できます。
そうした中でも、高砂や老松のように脇能の代表的と思われる曲、嵐山などおもしろみのある曲と、それ以外の曲では上演頻度に大きな違いが出てきてしまったということかと思います。

おそらくそういう理由で、あまり演じられなくなっているこの右近ですので、別につまらない能ではありません。観世、宝生、金剛の三流にあります。
なお脇能のジャンルでは珍しい中ノ舞物で、シテは桜葉の神、女神です。
舞台の進行は明日からに
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右近のつづき

実際に観てから随分と時間が経ってしまったので、メモを取った部分以外の記憶が曖昧なのですが、たしか一同が着座すると、直ぐに笛が座付きを吹き真ノ次第でワキ、ワキツレの出になったと思います。

この曲、少なくとも観世流では正先に桜立木台を出すことになっていたはずですが、当日は立木台を見た記憶がありません。右近というのは右近の馬場、右近衛府の馬場の意味で桜の名所だったようです。右近、左近と言えば、右近の橘、左近の桜と言いますが、こちらは御所の階の左右に植えられた橘と桜のことで、右は桜ではなく橘ですね。

ともかくも真ノ次第で登場した大臣ワキの舘田さん、赤大臣の野口琢弘さんと吉田祐一さんを従えて舞台に進み、向かい合っての次第。型通りに三遍返しで謡い、ワキの名乗りとなります。

ワキは鹿島の神職、筑波の何某と名乗り、都に上って名所旧跡を見て回ったが、北野右近の馬場の花が今を盛りと聞いたので、右近の馬場に急ぎ向かっているところと述べます。観世の謡本には「鹿島の神職何某」とあり「筑波」はありませんが、茨城県民としては「筑波の何某」にひかれます。

つづいて三人揃っての道行。桜狩り・・・と謡っていますが、紅葉狩りと違って現在ではまず使われない表現。右近の馬場に着き、車や輿を連ねて花見の人がやって来ているのに気づきます。暫く休んで花を眺めようと言って、一同はワキ座に下がって着座します。

ここで後見が車を出してきます。常座に物見車を据えると一声の囃子。前シテの出です。先に紅入唐織着流しのツレ二人が出て、後から緋の大口に紅入唐織を打ち掛けにしたシテが続きます。
シテのみが車に入り、ツレが車の両側に立ってシテのサシ。両側に立っていますが、設定としては三人とも車中の人ということです。
さてこのつづきはまた明日に
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右近さらにつづき

車に乗った形でシテのサシ、ツレ同吟、シテと、春風に誘われ花見の車を出して花を愛でる、長閑な春の気分が謡われます。
地謡の下歌、上歌と続きます。車中の人、シテはじっと立ったままであまり動きはありませんが「松も木高き梅が枝の」でやや右を向いて遠くを見やる風。正に直して謡を聞き、上歌の最後「轅や北につづくらん」でツレ二人が二、三足下がります。

ワキが立ち上がって謡いかけ、シテが受けて「木陰に車を立て寄せけり」と車が着いた様を謡って、ワキの詞になります。

ワキは女車を見て「見ずもあらず 見もせぬ人の恋しくは あやなく今日や 詠め暮らさん」と業平の歌を口にします。
古今和歌集476番の歌。業平が右近の馬場の「ひをり」の日に馬場にやって来たところ、風が向かいの女車の下簾を吹き上げ一瞬車上の女性の姿が見えます。業平がその車の主に贈った歌。見たともいえず、見なかったともいえない人が恋しくて、今日は訳も分からないままに日を暮らすのだろうか・・・と言ったところでしょうか。

これには477番の返歌があり「知る知らぬ なにかあやなく 別きて言はん 思ひのみこそ しるべなりけれ」とあります。
ワキの口ずさみに面白いと声を出したシテは「恥ずかしながら今はまた 我が身の上に業平の」に続けて、この返歌を取り込んで「何かあやなく別きて言はん 思ひのみこそしるべなりしを」と謡います。

ワキ、シテと掛け合いで謡が続き、そのように眺めた言葉も旧跡もこの馬場のこと、偶々今言葉をかわす見知らぬ人も花の友であると謡います。
地謡が受けて謡う中、まず車の両側に立ったツレが車を離れ、笛座前に下がって着座します。
シテは続く謡の途中で車を出て正中に進み「木の下(モト)に 下り居ていざや眺めん」と下居してワキに向き合います。謡が続くなか後見が車を下げ、正面に向き直ったシテは下歌「はかなき程に羨まれて」で立ち上がるとゆっくり常座に向かい「上の空の心なれ」と佇みます。
このつづきはまた明日に
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右近さらにさらにつづき

ロンギ、シテが桜葉の宮、紅梅殿、老松の社、御輿岡と名所を教える形です。紅梅殿や老松を示すあたりで目付に出て「緑より明け初めて」とワキ正の方を向いて開キ。
さらに地謡で角トリすると「紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖」と額田王の歌をもとにした謡にあわせ舞台を廻り、大小前から正先へ打込。さらに舞台を廻って「右近の馬場わたり神幸ぞ尊かりける」と、常座からワキを向いて正中までツメ着座します。

ワキは詳しく語られた社々の本地を教えてほしいと求め、シテはこのやり取りの内に自らが桜葉の神であることを明かします。
地謡「天照神にては桜の宮と現れ」で立ち上がると正先にサシ込み開キ、舞台を細かく廻りつつ常座で小回り。正面に向き直ると「花に隠れ失せにけり」と来序で中入となりました。

囃子が狂言来序に代わり、括り袴に素袍、士烏帽子姿のアイが登場してきます。
アイは北野あたりに住まいする者と名乗りますが、この曲のアイは今回のような所の者の場合と末社の神で出る場合とあるようです。
狂言来序だと末社が出てくる方がおさまりが良い感じがします。囃子で出てきたものの、常の所の者と同様に名乗りの後、正中に出て着座し、ワキと問答の末に居語りにて桜葉の神のことなどを語ります。

この所に於いて桜葉の明神と申すは当社の末社であるが、目出度き謂われが多々ある。
春になると伊勢の天照大神がこの地に影向なさる。総じて花は時節を違えず咲くものだが、当社は日を違えても、天照大神が影向されなければ咲かず、影向あれば一夜のうちに咲くということだ。
またこの地の桜は歌に詠まれた桜であり、業平が女の花見車を見て「見ずもあらず・・・」と歌を詠まれた。右近のひをりの日と言い習わしてきた次第である。

といいたことを語り狂言座に下がります。
これを受けてワキの待謡となりますが、このつづきはもう一日明日に
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右近もう一日のつづき

ワキ、ワキツレの三人が立ち上がり、舞台中央で向かい合っての待謡。「真なりけりありがたや」と謡って一同ワキ座に下がります。

出端で後シテの出。緋の大口に金糸の入った薄紫の舞衣。天冠を着けて登場してきます。常座まで出て開キ、謡い出しです。地謡が受け、さらにシテが大ノリの謡で「ここに北野の神の宮居に」と謡い、地謡が「花桜葉の神と現れ」と謡うなか、左右から大小前で答拝して中ノ舞になります。

舞は軽やかな雰囲気。同じ中ノ舞でも、男女の情愛を描く曲とはずいぶん位が違う感じです。天女ノ舞を思い起こさせるような舞を舞上げて地謡。「月も照り添う花の袖」と謡うにあわせ、大小前大左右からワキ正へ。舞台を大きく回りつつ大小前に戻り破ノ舞。

春の花の精と言っても良いような軽やかな舞をサラサラと舞って大小前「治まる都の花盛り」とシテの謡。
地謡が続けて謡います。シテは「御池の見ずに御影を映し」と目付に出て、扇をカザシ水面を覗き込む形。さらに舞台回って常座で左右、七つ拍子踏んで正面に向かい雲扇。
下がって右に回り、目付から正中、常座へと進み、小回りして袖を返し、留の拍子を踏みました。

澤田さんはたしか京都ご在住だったかと思いますので、北野の雰囲気もよくご存じなのでしょうね。春の脇能らしい心地よい雰囲気のまま一曲を終えました。

私は、脇能の祝言性が好きでして、ドラマ的でない能も能ならでは・・・の楽しみではないかと思っています。振り返って、何かドラマがあったわけでもない一曲ですが、気分を楽しんだと、そんな感じがしたところです。
(77分:当日の上演時間を記しておきます)
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盆山 河野佑紀(五雲会)

和泉流 宝生能楽堂 2013.05.18
 シテ 河野佑紀
  アド 野村万蔵

割とポピュラーな狂言で、たしか国語の教科書にも取り上げられていたように記憶しています。上演時間も短いので、学校巡回の狂言教室のような形で御覧になった方も、少なからずいらっしゃるのでは、と思います。
そんな盆山ですが、このブログでは初めての登場。

舞台にはシテ河野さんが、半袴に肩衣の狂言出立で常座に進み名乗り。
万蔵という人が盆山を沢山集めているが、自分には一向にくれる様子がない。今宵は忍び込んで一つもらって帰ろうなどと述べ、舞台を廻ります。

常座に戻り、万蔵氏の家に着いた風で、表は入りにくいので裏に回ろうと家の裏手に回ります。裏には垣根がありますが、こんなこともあろうかとノコギリを用意してきたと言い正中へ出ると「ズカッ ズカッ ズカッ」と垣根の上下を切って、メリメリメリと垣を外します。
あまりに大きな音がした、と自分で自分の耳をおさえて座り込みますが、立ち上がって「夥しう鳴った」とひとしきり驚いた様子を述べた後、葦垣を越えようと言って垣を越えた型からワキ座に進みます。

このあたりの忍び込む様は、連歌盗人をはじめ似たような展開の曲が少なからずあります。このブログでは亡くなった茂山忠三郎さんが演じた「子盗人」が、大変よく似た展開ですので、併せてご参照頂ければと思います。(鑑賞記初日月リンク
もっとも「子盗人」は野村萬さんのシテでも観ていますが、こちらはノコギリなどを使わず忍び込む形。萬狂言の万蔵さん、河野さんの演じる「盆山」だけに、いささか不思議な感じもします。
さてこのつづきはまた明日に
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盆山のつづき

さて、垣根を越えて忍び込んだ形のシテ、ワキ座から正先、目付と、数多の盆山を見つけた様子で、感心します。

そこに太刀を持ったアド有徳人の万蔵さんが登場し、一ノ松あたりで「盗人が入ったか」と言い、さらに目付まで出てきます。
シテは慌ててワキ座のあたりで、盆山の蔭に隠れようと言って片膝をつき袖を上げて隠れる形になります。

しかし盆山に隠れられるわけもなし、アドは隠れたつもりのシテを見て常座に下がり、散々に嬲って帰そうと存ずると言います。
そしてシテの方に向かって、あれは何じゃ、人かと思ったら人ではないそうな、犬じゃ・・・などと言います。犬ならば鳴きそうなものだと言うと、シテは鳴き真似をせずばなるまいと言って「びょうびょうびょう」と犬の鳴き真似をします。
狂言では犬が「びょうびょう」と鳴きますが、このあたりは時代の違いを感じて面白いところです。

シテがひとしきり鳴き真似をすると、アドはさらに嬲ってやろうと「犬ではない猿じゃ」と言い出します。「猿ならば身せせりをして鳴きそうなものだが」とアドが言い、シテはやむなく猿の真似をして、今度は「きゃあきゃあ」と鳴き真似です。

さらにアドはシテを嬲り「あれは猿でもない あれは鯛じゃ」と言い出します。まさか鯛が庭に居るはずもありませんが、そう言われたシテは「ヒレを立てそうなものじゃ」と言われて扇を背に立てる形をし、さらに「鳴きそうなものじゃ」と言われて鳴き真似をしようとしますが、鯛の鳴き声が分かりません。アドから迫られて苦し紛れに「たい たい」と言いながら逃げ、アドが追い込んで終曲となりました。

柿山伏なども、散々に真似をさせたりしますが、短時間ながら楽しい、ある意味、狂言らしい狂言でした。
(10分:当日の上演時間を記しておきます)
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雷電 佐藤寬泰(喜多流青年能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2013.06.22
 シテ 佐藤寬泰
  ワキ 御厨誠吾、アイ 山本則秀
   大鼓 國川純、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 小寺真佐人、笛 杉信太朗

喜多流の青年能を観に行ってみました。若い方達の能、仕舞から堪能しましたが、仕舞に能三番、狂言一番の番組です。能は佐藤陽さんの経政、塩津圭介さんの羽衣と、そしてこの雷電です。塩津さんの羽衣、久しぶりに小書の付かないプレーンな羽衣を観ましたが、やっぱりこの曲は面白いんだなあと、しみじみ思った次第です。

さて今回は、このうち最後の曲「雷電」のみ鑑賞記を書いておこうと思います。
このブログでは雷電は初登場ですが、同じ「らいでん」の読みで、宝生の高橋亘さんがなさった「来殿」の鑑賞記を書いています。こちらは鑑賞記を参照頂けるとお分かりの通り、後場を早舞物に直した改作版でして、その改作の事情も高橋亘さんご自身がコメントして下さっています。(鑑賞記初日月リンク

要は、この能の主人公である菅丞相、菅原道真の霊が後場で大暴れすることについて、ご子孫に憚って直された曲ということのようです。宝生以外の各流は、もともとの形「雷電」を演じているようです。
もっとも宝生流でも今年7月「時の花」の公演で、辰巳満次郎さんが「雷電」の試演をなさったようですので、もしかして宝生流では今後、雷電と来殿の両方が観られるのかも知れませんね。

さて舞台の方は、囃子方、地謡が座につくと、直ぐにワキ、ワキツレの出。着流しに水衣、角帽子をつけたワキ僧の御厨さんが先に出、同じく着流し僧のワキツレ野口琢弘さん、森常太郎さんが続きます。
ワキは正中まで出てサシ謡。ワキツレは一ノ松、二ノ松に控えます。
さてこのつづきはまた明日に
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雷電のつづき

ワキは比叡山延暦寺の座主、法性坊の僧正と謡い、天下ご祈祷のため百座の護摩を焚いてきたが本日が満参なので、仁王会を執り行う旨を述べます。

このワキの言葉を聞いて、ワキツレ一同立ち上がり、ワキ座に進んでワキは床几に、ワキツレは控えて下居します。

床几に腰を下ろしたワキはサシを謡い出し、途中「名にし負う比叡の御嶽の秋なれや・・・」から、ワキツレがあわせて謡います。この謡のうちに前シテが幕を出て橋掛りを進みます。
黒頭の童子姿で箔を腰巻にし浅葱の水衣を着けて歩み、ワキ・ワキツレの「人を洩らさぬ誓なれ」を聞いて、一ノ松で謡い出しとなります。

比叡山の法の力で願いを叶えて欲しいと謡い「中門の扉を敲きけり」とシテ柱の方を向いて門に至った風です。
ワキは、真夜中というのに戸を敲く音がすると不思議がりますが、重ねて扉を敲く音に物陰から見れば、かねて知る菅丞相であることに驚きます。シテ、ワキと謡が続き、ワキは一度立ち上がり、シテもシテ柱に迫って地謡に。
ワキはワキ座に戻って腰を下ろし、シテは橋掛りを進んで常座からさらに正中まで出て腰を下ろします。二人は「逢瀬とこれを思はめや」という地謡の謡う詞章そのままに、向き合って語り合う風情になります。

ワキはシテに、御身が筑紫で果てたと聞き様々に弔いしたが届いただろうかと尋ねます。シテはこれを感謝し、二人掛け合いで、師弟、主従、親子の契りの三悌をあげ、中でも師弟の約が最も真実の志が深いと謡います。

地謡が続けてクセになります。
クセは居グセで、僧正と丞相の師弟の契りが謡われ、二人向き合ってその昔に思いを馳せる風になります。
しかし地謡の後、シテは正面に向きつつ、自らが死んで後「梵天帝釈の隣を蒙り 雷鳴となり内裏に飛び入り 我に憂かりし雲客を蹴殺すべし」と物騒なことを言い出します。
さてこのつづきはまた明日に
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雷電さらにつづき

シテは続けて、やや腰を浮かせてワキを向いて念を押すように、その時にきっと僧正が(宮中から)呼ばれるだろうが、参内しないようにと言います。

ワキは、宣旨があっても一、二度までは参内しないと答えますが、シテはさらに、勅使が度々重なったとしても、けっして参内しないようにと求めます。しかしワキは、王土に住む以上、勅使が三度に至れば参内しないことは出来ないと言い切ります。

するとシテは様子を変え、扇を広げるとワキの謡の内に立ち上がり、地謡にあわせて本尊の前に置かれた石榴を取るように正先に素早く進み、両手で石榴を取り上げる形。六拍子踏んで面を切り、目付から小回りをしつつワキ座前まで進み僧正に迫る形です。
さらにワキ座前から常座へと進みますが「僧正ご覧じて騒ぐ景色もましまさず」の地謡に、ワキは静に合掌します。

菅丞相が石榴をかみ砕いて吐きかけた先が燃え上がった火焔も、僧正の祈りで消えた態。
シテは常座で小回りし開キ、扇を閉じて囃子の奏でる来序を聞き、ゆっくりと一足ずつ歩を進めて中入。橋掛りから徐々に歩を早めますが、ワキ・ワキツレもこれを追って中入となりました。

代わって狂言来序で能力出立の間狂言が登場、常座で立ちシャベリになります。
アイは法性坊の能力と名乗り、天下のご祈祷のため僧正が百の護摩を焚き本日満参のところ、筑紫にて亡くなった菅丞相が現れ妻戸を敲いた・・・と前場のあらすじを整理します。
僧正が何とてお出でなされたと問うと、丞相は讒言にて流されてしまったため、梵天に頼み鳴雷となって御殿に入り(讒言した者を)蹴り倒そうと思うと仰った。丞相は僧正に、求められても御殿にお出でにならぬようにと求めたが、僧正は二度までは行かぬが三度求められれば参内すると仰った。
丞相が怒って石榴を噛んで吐きかけると炎となった。しかし僧正が遮水の印でこれを鎮め、丞相は雷電、稲妻を巻き起こして御殿の方へ飛び去ってしまった。

さて僧正には勅が下り、参内されることになったと述べ、心得るようにと触れて退場しました。
さてこのつづきはまた明日に
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雷電さらにさらにつづき

アイが退場すると、後見が一畳台を持って出ます。
まずワキ座前に一台を縦長に置き、さらにもう一台を持ち出してワキ正側にやはり縦長に据え付けます。正先を挟んで両側に前後に長く一畳台が並ぶ形です。

後ワキは白大口に水衣を着け、掛絡をかけて沙門帽子を被り登場してきます。
ワキ座側の一畳台に乗ると、正面を向いて数珠を揉み出し「さても僧正は紫宸殿に座し・・・」と謡い出し。数珠揉んで普門品を唱えたと謡うと地謡になり、黒雲が吹き塞がって闇夜のようになった内裏が(普門品の功徳で)にわかに晴れて明るくなったと謡います。
この様子に油断したとワキが謡うと、地謡が虚空に黒雲が覆い雷が四方にひらめく様を謡います。ゆったりした謡い出しの内に、後シテは衣被いて幕を出、橋掛りを進んで一ノ松で正面方を向きます。
「雷の姿は 現れたり」で一ノ松にスッと寄り衣を後ろに落として、法被、半切に赤頭の姿を現します。

ワキはシテ菅丞相に、昨日までは君恩を蒙る臣下であった身、静まるようにと言いますが、シテは「あら愚かや僧正よ」と言葉をかけ、自分を見放す以上は僧正であるとも恐れないと開キ、一ノ松に向かってシカケ開キして、地謡が続けます。

「思い知らせん人々よ」の謡い出しで足拍子を踏み、さらに繰り返す謡に六拍子を踏んで幕方を見、向きを変えて舞台に向かいます。
一畳台の前を通ってワキの横から大小前へ。小回りして出ると正中で六拍子、踏み返し。「紫宸殿に僧正あれば」で台上に飛び上がり、開いて四拍子。台を下りると「清涼殿に移り給えば」と橋掛りへ進みます。
謡に合わせて舞台に戻り雷神の勢いを見せますが、帝が天満自在天神と贈官を菅丞相に下されたとの謡に、手を突いて頭を下げ、立ち上がると橋掛りへ進んで三ノ松へ。
「黒雲にうち乗って虚空にあがらせ給いけり」と三ノ松で留拍子を踏んで終曲となりました。
以前、同じ喜多流の替装束の小書付で観たことがありますが、装束だけでなく、所作にも変化があったようでした。
いずれにしても、お若いシテの元気ある舞台で、興味深く拝見しました。
附け祝言は高砂・・・千秋楽も久しぶりに聞いたような気がします。
(56分:当日の上演時間を記しておきます)
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逆矛 中森貫太(若竹能 大和の巻)

観世流 矢来能楽堂 2013.07.22
 シテ 中森貫太
  ツレ 桑田貴志 中森健之介
  ワキ 野口敦弘、アイ 竹山悠樹
   大鼓 柿原光博、小鼓 曾和正博
   太鼓 大川典良、笛 栗林祐輔

先日の「右近」に引き続き、脇能ですが、これまたあまり上演の多くない一曲。この曲、観世流のみが現行曲としていることもあり、余計に上演が少ない気がします。

舞台には後見の手で一畳台が運び出されてきて大小前に据えられます。続いて紫の引廻しをかけ、青葉に紅葉を混ぜた枝を頂に載せた作り物を出して、一畳台に乗せます。
真ノ次第でワキ、ワキツレの出。いわゆる大臣ワキで、赤大臣の随臣が続きます。舞台中央に出て向かい合っての次第。滝田の神に参ると謡ってワキの名乗り。ワキは当今に仕え奉る臣下と名乗り、和州龍田の明神に参詣する旨を述べて道行の謡です。

この道行の謡、残念ながら書き取れなかったのですが、観世の本とは異なる詞章。朝まだき、霧のかかる中に紅葉を見つつ歩みを進め龍田山に着いたと謡いますが、観世流しか上演しないこの曲も下掛宝生には別の系統からの本が残っているのでしょうか。

道行の謡の終わり、ワキは龍田山に着いたと述べ、人が来たならば龍田の明神のことも尋ねようと言って、一行はワキ座に着座します。

囃子は真ノ一声。前シテ、前ツレの出になります。
ツレの宮人桑田さんが先に立ちますが、紺地の厚板に白大口、ヨレの水衣を着けて右手に松明を持っています。松明を振りつつ先へ進みシテ柱近くまで出て振り返ります。
後から出たシテは鼠系の小格子厚板に白大口、単衣狩衣を肩上げにし、翁烏帽子をつけた老人の姿。右手に持った榊の小枝を肩に担っての登場です。
さてこのつづきはまた明日に
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逆矛のつづき

シテ・ツレ橋掛りで向き合っての一声、ツレ二の句と謡って同吟「錦を張れる気色かな」で笛のアシライが入り、ツレは舞台に向かい松明を振りつつ先導する形で正中まで進みます。後からシテが続き常座へ、老人にしてはススッと軽やかな動きです。

シテは当社龍田の里に住んで久しい者、と謡い出しツレとの同吟で下歌、上歌と続けます。長月二十日あまり、紅葉の季節ながら闇の夜、瀧祭の夜祭りの夜であることが謡われます。
上歌の終わり「誓いも絶えぬ瀧祭 いただく神の手向けかな」でシテ・ツレ立ち位置を入替、シテが正中、ツレは松明を振りつつ目付に出ます。

この二人にワキが立って向き合い声をかけます。
ワキは火の光につてい問いかけ、宝山への道を教えてほしいと頼みます。これに対してシテは、これから夜祭りに参るところなので道案内をしようと言い、三人は立ち位置を変えて、シテが目付から作り物の山を見る形、ワキはワキ座から同様に山を見、ツレは笛座前に立って同じく山を見る形になります。

これがかの「宝山」かということですが、ワキは日本第一の宝の矛を納めた山はここかと問い直します。シテがこの山の謂われを語ることになり、クリ前の囃子で一同が立ち位置を変え、ワキ・ツレ・ワキツレがワキ座に並んで座し、シテは正中に着座して肩上げを下ろし、榊を扇に持ち替えます。

地謡のクリ、シテのサシ、さらにクセと続いてこの山の謂われが語られます。
当社は瀧祭の御神である。昔、七代に至って現れ給う(神)を、伊弉諾伊弉冉と号す。国常立の神が伊弉諾に託して仰るには、豊葦原千五百穐の国があり汝よく知るようにと天の御矛をお授けになった。伊弉諾伊弉冉の両神は天の浮橋に佇んで、この御矛を海中にさし下ろされたことから天の逆矛と名付けられ、今の世に至るまでの宝となったのである。
瀧祭の明神がこの矛を預かり、この山に納めて宝の山と号した。瀧祭の神の社はいずこかと問えば、それは龍田山、紅葉の名所でもある。よくよく敬うようにと、語る形での謡です。
さてこのつづきはまた明日に
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逆矛さらにつづき

古事記のはじめには、天地の発けし時に天之御中主神を始め五柱の別天津神が現れたと書かれています。続いて国之常立神、豊雲野神の独神二柱、その後は二神ずつが現れ七代目に伊邪那岐、伊邪那美の両神が現れたとされます。(伊弉諾伊弉冉は日本書紀の表記)
記紀神話では、伊弉諾伊弉冉の両神が天沼矛で混沌とした大地をかき回し、引き上げた矛の先から落ちる雫がオノゴロ島となり、ここに両神が下りて国生みをしたとされています。その矛がこの曲の主題です。

ロンギの謡、宝の御矛を見せて欲しいというワキの求めに、シテは自らが瀧祭の神であると明かし夜に紛れて姿を消した、と中入になります。
シテの謡の後、地謡になると後見が榊の枝を再び持ち出して扇と代え、シテは榊を持って立ち上がります。ワキを向いて「瀧祭の神は我なりと」自ら明かす形。「木綿四手を靡かし」と正面に向かってサシ込み開キ、左右から右へ回って常座に一度立ち、あらためて作り物に中入りします。ツレはシテの中入を待って橋掛りから退場です。

ワキが「いかに誰かある」と声をかけ、ワキツレに所の者を呼んでくるようにと命じます。アイがワキツレに従って登場しワキとの問答。天の逆矛の子細を詳しく語るようにと求められて間語りになります。

当社、龍田の明神はナガトベの命と申し奉る武人にて、天の逆矛を守る方であると語り始めます。「ナガトベノミコト」と聞いたように思うのですが、龍田大社の祭神、天御柱命・国御柱命の両神は風の神とされ、男神である天御柱命は級長津彦命(しなつひこのみこと)別名を級長戸辺命(しなとべのみこと)というとされていることから、この神のことであろうかと思います。
間語りではさらに、この山を宝山というのは、伊弉諾伊弉冉の国生みの際に使われた矛を収めたからで、それによりこの山を矛山というのだと続けます。国生みの様子も、最初に淡路島、紀ノ國、日向、伊勢、志摩などと語られますが、記紀神話とはいささか違う様子です。
ともかくも木火土金水の五行の神が、はじめに木火土が伊弉諾と現れ、金水の精が伊弉冉と現れたのだと語り、当社はその御矛の守りの地であると語って退場します。
このつづきはまた明日に
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逆矛さらにさらにつづき

アイが狂言座に下がると囃子が入り、ワキ・ワキツレの三人は舞台中央に向き合って待謡となります。「異香薫ずる有難や」の謡から出端の囃子、後ツレ天女の出です。

天女は紫の色大口に朱の舞衣、天冠を着けて橋掛りを進み、地謡「楽にひかれて」の謡い出しで一ノ松に立ちます。一度正面を向いて両袖の褄を取った後、地謡を聞きつつ常座へ進んで答拝し、天女ノ舞です。
三段に舞上げてツレ天女が笛座に下がると、作り物の中からシテの謡い出し。「抑もこれは天の御矛を守護し奉る瀧祭の神、和光に出でて龍田の神」と謡って地謡との掛け合い。さらに地謡が大ノリで「拍手響く山の雲霧・・・」と謡い出し、「光の如くに」で引廻しが下ろされ「天の御矛は現れたり」と、赤頭に小べし見、唐冠を着け、紺地に金の半切、白の袷狩衣を衣紋付けに着て、右手に矛を持った後シテが姿を現します。

矛は、長刀に似た体裁で先が真っ直ぐに両刃の形になったもの。この曲と項羽くらいですか、滅多に出てこない道具です。観世流と他の流儀では形が違うらしいのですが、詳しいことは分かりません。

シテは床几に腰を下ろしたままノットの囃子から「抑も大日本国と云っぱ神国たり」と謡い出します。地謡と掛け合いで謡いつつ、矛を先に延ばし、また手許に寄せ「青海原を攪き分け撹き分け」と差し出した矛で掻き回す様を見せます。「矛の滴り凝り固まって」と矛の先を少し上げ雫の滴り落ちるのを見る形。
シテは「まず淡路島」と謡って矛を直し、立ち上がって作り物を出ると、サシ込み開キ、サシて目付へ向かい、ここから常座へ、さらに小回りして出ると矛を両手で捧げ舞働になります。

別に何かと戦う訳ではありませんが、矛を捌きつつの舞働は小気味よい動きで、荒ぶる神の力を示すようです。
さてこのつづき、もう一日明日に
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逆矛もう一日のつづき

舞働の後、シテは常座にて矛を立てて立ち「さて国々は新島なれば」と謡い、地謡が続くと矛を抱えて目付へと進みます。
角トリして舞台を廻り「矛の手風 疾風となって」と矛で薙ぎ払う形。「引き捨て置けば」と正中に片膝を突きますが直ぐに立ち上がり、さらに地謡に合わせ矛を使いつつ舞台を廻ります。

「御矛を守の倶利伽羅明王 この宝山に納め奉り」と矛を後見に渡して扇に持ち替え、嵐山のキリ同様に両袖を巻き上げて留となりました。
私としてはなかなかに面白い曲と思ったのですが、右近でも書きましたように、脇能の需要が少ない現代、あまり上演されないというのも仕方のないところかと思います。

ところで曲名の「逆矛」ですが「逆鉾」ではないのかと思われる方もお出でかと思います。確かに例の三百五十番では「逆鉾」としていますし、能「逆鉾」と記した本も少なからずあるようです。
ただし現行の観世流大成版では「逆矛」の表記としており、当然ながら九皐会のパンフレットも逆矛です。

ホコと読む字はたくさんあって「矛」や「鉾」以外にも「戈」や「戟」などもホコと読まれます。いずれも武器の名で、日本ではみんな「ホコ」ですが、中国では区別があったようです。矛は古くは木製だったが、鉾の字は金属製のものを指すという話もありますが、さてどうなののか。

実はここからは私の勝手な解釈です。伊弉諾・伊弉冉両神が天の浮橋から混沌を掻き回したホコは天沼矛(あめのぬぼこ)と呼ばれ、この表記はどこを探しても「矛」であって「鉾」は見かけません。しかしその別名とされる「天逆鉾」となると、高千穂峰に突き立てられたとされ「鉾」の表記が出てきます。

どうも記紀神話に登場する天沼矛が、中世に至ると仏教系の様々な影響を受けて「独鈷杵」であると見なされたりするようになり、そうした中で「天逆鉾」に変容していったのではないか・・・と考えています。

そういう意味ではもともと「矛」なのだけれども「さかほこ」になると「逆鉾」と書くのが正しいのか、とも思います。大相撲の関取にも何人かの「逆鉾」がいて、皆さん天逆鉾にちなんで鹿児島県出身の方のようですが、記憶に新しいところでは、寺尾関と兄弟で関取となり人気のあった現井筒親方が思い出されますね。
(81分:当日の上演時間を記しておきます)
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文山立 大藏千太郎(青山能)

大藏流 銕仙会能楽研修所 2013.07.27
 シテ 大藏千太郎
  アド 大藏基誠

もう七年以上も前のことになってしまったとあらためて思ったのですが、この「ふみやまだち」を前回観たのは、和泉流三宅右近さんのシテ。和泉流では文山賊と書いて同じ読み方をします。表記は違うのですが、筋立ての違いはほとんどありません。

まずはアドの基誠さんが弓に矢をつがえ、シテの千太郎さんは右手に槍を持って、幕の内から「やるまいぞ」「やれやれ」と大きな声で呼ばわりながら登場し、舞台を廻ります。
さらに獲物を取り逃がしてしまったのは相手のせいだと言い合いになり、アドは「弓矢八幡申し通せぬぞ」と弓矢を投げ捨て、飛安座で地謡座近くに座します。シテも大声を出し槍を投げ捨てると常座あたりで飛安座して座ります。

二人はそれぞれに、これまでついぞ誰を襲ってもうまくいかなかったのは、これまた相手のせいだなどと言い合い、立ち上がると取っ組み合いになります。
二人で押し合いとなりますが、地謡側に押して行くと、押されたアドが後ろは茨畔じゃと気付き、あそこへ入ったら痛いなどと云って舞台中央に二人が戻ります。逆にワキ正側に押して行くと、今度は後ろが崖じゃということになり、これまた危ないと中央に戻ります。

さて取っ組み合いを続けているうちに、シテは、二人こうして取っ組み合いをしているところを行き来の人に見せたいものではないか、と言い出します。アドも納得し、誰も見ていないところで死んでも犬死というものだ、などと意見が一致します。
ついては書き置きを残そうということになりますが、どちらも力を抜くと相手に出し抜かれそうだと、組み合った手を緩められません。
ここは相クツロギにしようということになり、数を数えて同時に手を放していったん常座とワキ座に下がり、そこから互いに寄って大小前に並びます。

さてこのつづきはまた明日に
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文山立のつづき

さて、並んで座った二人ですが、アドの「矢立は持っているのか」という問いかけに、シテが矢立を出し、アドに「何か言えばそれを書き取る」と言います。アドは一筆啓上申し上げ候と書けなどと言い出しますが、さすがにそうでもあるまいと、シテは自ら考えて書くことにします。

さらさらと筆を運ぶ風でなにがしか書き上げたシテは、まんまと書いたと言い、自ら書いた文を読み上げます。「さてもさても ただかりそめに家を出て山立をし、人のものを得とらずして・・・結句 友どちと口論し 引くなよわれも引かじとて 刀の柄に手をかくる」と読んだところで、アドがいきなり跳んで下がり、刀の柄に手をかけます。

シテは驚いてどうしたのかと問いますが、アドは「刀の柄に手をかくる」と言ったではないかと返事します。
シテは、これは文ではないかとアドをなだめ、その先は一緒に読もうと、二人並んで座して共に文を読み上げます。

このままここに死するならば 上り下りの旅人に踏み殺されたと思うべし・・・構えて構えてこのことを 人々に」語り伝えて欲しいと文を読んだ後、謡になり「あとに留まる女房や 娘子供のほえんこと 思いやられて哀れなり」と謡って二人は大泣きします。

そのうち二人は「死にたくなくなった」と言いだし、料簡すれば済むことだと二人仲直りすることにします。
最後は「思えば無用の死なりと 二人の者は仲直り さるにても賢う過ちしつろうと 手に手を取りて我が宿へ 犬死にせでぞ帰りける」と謡って舞台を廻り、二人の寿命は「五百八十年七回りまでも」めでたいと言って、連れ立って退場します。

謡の詞章など、和泉流のものと変わらないように思いますが、大藏家らしく動きなどがより派手だったように感じました。面白い一番です。
(17分:当日の上演時間を記しておきます)
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水無月祓 鵜澤光(青山能)

観世流 銕仙会能楽研修所 2013.07.27
 シテ 鵜澤光
  ワキ 野口能弘、アイ 善竹大二郎
   大鼓 柿原光博、小鼓 観世新九郎
   笛 藤田貴寬

四番目物、いわゆる狂女物の一曲です。観世流にしかありませんが、けっして稀曲という訳ではなく上演回数は中の下くらいの曲です。しかしどうも私はこの曲に縁がないようで、今回が初見です。
思い起こせば三十数年前、銕仙会の定期公演だったと思うのですが、浅見真州さんがこの曲をなさることになっていて、観に行こうと楽しみにしていたところ、子細は忘れてしまいましたが何か急用が出来て行けなくなってしまいました。それ以来、なぜかこの曲には縁がなく、ようやく今回観ることができたという一番です。

まずは名宣笛でワキの出。段熨斗目に茶系の素袍上下を着けたワキ野口能弘さんが登場し、アイ大二郎さんが続いて出て狂言座に控えます。

ワキは下京辺に住まいする者と名乗り、播磨国室の津に逗留していた際にある女と親しくなり、京に戻ったならば必ず妻に迎えようと約束をしたことを語ります。自分も都に戻ったので、人を遣わし室の津に迎えに行かせたところ、女は行方知れずとなっていた。どうしようもないので、賀茂の明神に参詣し、今日はまた夏越の祓の日でもあり再びの逢瀬を願おうと思う旨を語ります。

ワキが地謡前あたりに着座するとアイが出て常座で名乗ります。
都上京辺に住む者と言い、水無月祓の日なので糺(糺の森から下鴨神社の意)へ参ろうと思う旨を述べます。
するとワキが立ち上がり、糺へ参詣なさるのなら自分もお供しようと声をかけます。
さてこのつづきはまた明日に
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水無月祓のつづき

アイはワキから声をかけられたものの、見たところ都人の様子なのに不案内の如くに声をかけたのはどういうことかと問いかけます。
ワキの返事は、都の者ではあるものの暫く田舎にいて都に上ってきたので、供をしたいと声をかけたもの。糺に参詣されるならば是非とも共に参詣したいと、重ねて頼みます。

アイは、そういうこともあろうかと納得して同道することになり、二人舞台を廻ります。さて二人とも正面を向いたところで、ワキはこの頃都ではなにか珍しいことはあるだろうかと尋ねます。
アイが答えて、都は広いので様々に珍しきこともあるが、なかでもこの御手洗(下鴨神社の御手洗川。その水源が御手洗池ですが)には面白いことがあると言い、それは何だと問うワキに、若い女物狂いが巫女のような姿で、水無月祓の輪を持って人々に茅の輪の謂われを説いて輪潜りをさせ面白く舞うのだと言います。

そうこうするうちに糺に着いた様子、アイが今日は殊のほか人が集まっていると言い、物狂いを待とうと、ワキがワキ座に、アイが笛座前に控えてシテの出を待つ形になります。

一声の囃子、シテは箔を腰巻に、薄く黄色がかった水衣を肩上げにし、右肩に麻の小枝に小さな茅の輪と幣を付けたものを担って登場し、一ノ松で謡い出しです。木綿襷を掛ける場合もあるようですが、この日はなかったように記憶しています。
「今日の夏越の祓して この輪越えさせ給えとよ」と麻の小枝を肩から外して差し出します。

一セイ「恥ずかしや 人は何とも白波の」と謡いつつ舞台に進み、地謡「木綿四手かくる御祓川」で六拍子を踏んでカケリ、物狂いの態です。

さてこのつづきはまた明日に
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水無月祓さらにつづき

カケリの後、常座にてシテは「恋路をただす神ならば」と謡い、二ツ拍子踏んでワキ正に詰めます。地謡が続けて謡い、シテは舞台を廻って常座に立ち、サシ謡。
一声での登場の後、シテは思う人を訪ねて都に上り、賀茂の御手洗川にやって来てたことを謡い、ワキの探しているのは私ですよ・・・と言わんばかりの詞章です。

シテサシから地の下歌、上歌と続き、シテは二、三足出ると麻の小枝を差し出して開キ、拍子踏んで右へ流し、戻して正へサシ込み開キ、舞台を廻って常座から「頼みを懸けて憂き人に」とワキ正方へ思いを込める風。戻って大小前で回り「賀茂の河原に着きにけり」と常座に立ち、一度後ろを向きます。

アイが立ち上がり、ワキに向かって先ほど言った女物狂いはこの女性だと示します。
アイはそのまま切戸口から退場しますが、ワキはシテに向かい夏越の祓の謂われを聞かせて欲しいと求めます。
シテは、自らは狂人だけれども祓の謂われを聞かせましょうと言って語になります。

天照大神の皇孫をこの国の主と定めたものの、荒ぶる神が飛満ちていたので、事代主の神が和め祓いしたのが夏越の始めであり、古歌にも「五月蝿なすあらぶる神もおし並めて 今日は夏越の祓なるらん」とある。五月蝿なすとは、夏の蝿の飛び騒ぐように、障りをなす神を言うのだと語り、「かかる畏き祓とも 思い給わで世の人の」と謡いかけてワキとの掛け合いになります。

シテ「今みな盡きぬ ワキ「時を得て 地「水無月の 水無月の 夏越の祓する人は・・・」と続き、シテは地謡の頭で六拍子、踏み返し、正に出て下を向き、「輪は越えたり」の謡に二足でゆっくり輪を越える型を見せます。舞台を左に回り、大小前からワキに向いて「もし悪しき友あらば祓い除けて」と詞章に合わせて麻の小枝で祓いつつ正先に出ます。
正先に暫し佇んだ後、目付に向き、一度ワキを向くと「この輪を先ず越えて」と麻の枝を差し出してツメ、下がってサシ込み開キ。クセのような展開で謡い舞いが続き、打ち込んでシテの「神山の 二葉あおい年ふりて」の謡。開いて大左右、正先へ打ち込んで開キ、舞台を廻って「麻の葉の青和幣」と両手で麻の枝を持ち、大小前から正先に出て下居、中腰の形で「この賀茂の神に参らん」と合掌します。
さてこのつづき、もう一日明日に
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水無月祓もう一日のつづき

合掌するシテにワキが声をかけ、この烏帽子を着けて舞うようにと求めます。
これを受けて笛座前で物着。ワキが衣を持って行き、後見がこれを受けてシテに白地に金で藤の文様が入った長絹をはおり、金の前折烏帽子をつけます。

長絹を着けるのは、この会の工夫でしょうか。装束付けでは紅入唐織着流しで登場し、物着では前折烏帽子を着けるのみになっています。船弁慶の前のような装束ですが、今回は水衣を着けて出、水衣を外して長絹。・・・私としては今回の装束の方が落ち着きが良い感じがします。唐織着流しに烏帽子だけを着ける形は、どうも前々からしっくりしない感じがしておりまして、船弁慶の前シテもなんだか寂しい印象を持っております。

ともかくも笛座から立ったシテは大小前に進んで謡い出し、ワキとの掛け合いから一セイ「さるにても 外には何と 御祓側」と謡いつつ大小前から前に出つつ右から回って常座前、大小前の方を向いて中ノ舞となりました。

実は鵜澤光さんのシテを拝見するのは今回が初めてです。別に女流云々に拘るつもりもありませんし、お母さんである鵜澤久さんのシテはこのブログでも何度か触れているのですが、ツレでは見ているものの、シテはこれまでついぞ拝見する機会がありませんでした。しかしこの中ノ舞は綺麗でした。長年、きちんと稽古を積んでこられたのでしょう。素人目にもしっかりとした型を身につけておられるように感じました。お祖父さんにあたる故鵜澤雅さんも銕仙会の舞台でよく拝見しましたが、こうして芸が伝承されていくのは嬉しいことです。

中ノ舞を舞上げてワカ、上扇から大ノリの地謡に。「うつる姿は恥ずかしや」と正先へ出て水を見込む型。扇で面を隠して「賀茂の社へすごすごと」と常座へ回り、正中から正先へツメて「呉織くれくれと」とタラタラと下がり「倒れ伏してぞ 泣き居たる」と常座で下居してシオリます。
ロンギ、ワキが立って二、三足出てあらためて腰を下ろします。この物狂いこそ男の探していた室の津の遊女であることがわかり、地謡の「げにまことありがたや 誓いは同じ名にし負う」で二人は立ち上がり、ワキは常座へ、シテは正中へと出て下居し合掌。
「二度伏し拝みて」と立ち上がると、ワキは一ノ松まで進み、しては扇広げて常座に出、袖を返して留拍子踏み終曲となりました。
(57分:当日の上演時間を記しておきます)
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