能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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観世会を観に行く

本日は久しぶりに観世会を観に、観世能楽堂まで行って参りました。
夏も終わりかという時期になって、またまた暑さが戻ってきた様子の一日。さすがに東京は暑いなあ・・・

観世会はいつもの通り、能三番と狂言一番、それに仕舞という構成です。
今月は関根祥六さんのシテで通小町、こちらは雨夜之伝の小書付です。
狂言の因幡堂、善竹十郎さん、富太郎さんによる一番を挟んで、観世清和さんのシテで遊行柳、青柳之舞の小書が付いています。
さらに仕舞と、観世芳伸さんのシテで大会という番組。
なかなかに見応えのあるところでした。

観世会も一昨年から全席指定になったので、開演間際に着いても大丈夫。以前に比べると特急1、2本分くらい時間に余裕ができたかなあ。あの「お決まり席」の札をシートに挟んだりする必要もなくなりました・・・が、こちらはちょっと懐かしい感じもしますね。
鑑賞記は遊行柳まで、書いてみようかと思っています。
いずれまた
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水無月祓をめぐって

鑑賞記そのものは一昨日の分までで終わりですが、この一曲、私としてはとても良い印象でした。長年、見よう見ようと思っていて縁がなかったからかもしれませんが・・・

銕仙会の恒例として、終演後に簡単な解説がありまして、今回は鵜澤久さんがお話をされました。大意としては、この曲はおそらく「夏越の祓・・・茅の輪くぐりを見せよう」というのが主題だろうということでした。
私もそうだろうなあと思って拝見しました。生き別れになった男女の再会ものというテーマではあるのですが、どうも能の作りとして、描き方としては、物狂いからの再会というよりも、下鴨神社の夏越の祓神事を舞台にかけて、貴人に見せようという方が強いような感じがします。

もちろん、物狂いからの再会は大事なところではありますし、これをどう見せるかは演者としても考えるところだろうと思います。光さんも心を込めて演じているのが感じられたところです。しかし同時に、その愛情劇のあたりはあまり出過ぎない方が、能としては良さそうだな、とも感じられた一番でした。
様々な演じ方がありそうな一曲です。

ところで水無月祓、夏越の祓の茅の輪くぐりは各所の神社でも見られます。その謂われは曲中でも語られていますが、旧暦の六月、水無月の晦日に行われる神事で、年初からの半年間の罪や穢れを払い落とすという意味のようです。
水無月をなぜ水無月というのかには、様々な説があり、梅雨明けの雨の少ない時期だから水無月というとも、逆に雨が多いので「水な月」が変じたとも、様々に言われます。
というのも水無月を新暦に当てはめると6月下旬からのこともあれば、7月中旬からのこともあり、微妙な時期だからなのでしょう。
とは言え、いずれにしても夏の京都は本当に暑く、昔は夏場にバタバタと人が亡くなったらしい。ここで穢れを落としておいて、無事に夏が乗り切れますようにと、おそらくそんな心だったのではないかと想像しています。
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あれこれのことども

春先から何かと慌ただしく、観能記も随分とたまっていましたが、8月末まででなんとか整理がついた感じです。
・・・一昨日の観世会は追々振り返ることにしたいと思っています。

鑑賞記の索引もしばらくほったらかしにしていましたが、昨年の12月後半分から索引の整理もしました。
能が18番、狂言が9番ほどになりますが、鑑賞記を省略したものもあるため、観た番数としてはもう少し多くなっています。いずれの曲もそれぞれに興味深いものでした。
能の鑑賞記索引狂言鑑賞記索引

またこの間に、ブログのアクセスも26万ヒットを超えました。
度々ご来訪いただいている方も、少なからずおいでと思います。つたない記録ですが、お読み頂いてありがとうございます。
能狂言をご覧になる際の、なにがしかの参考になれば幸いです。

本年は持ち回りで地域の役職が回ってきまして、そういう意味でも何かと忙しい日々になっています。秋はイベントも多く、能楽鑑賞にもなかなか出られそうにないのですが、機会をみて・・・と思っています。

それにつけても暑い毎日です・・・
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通小町 雨夜之伝 関根祥六(観世会定期能)

観世流 観世能楽堂 2013.09.01
 シテ 関根祥六、ツレ 武田尚浩
  ワキ 野口敦弘
   大鼓 國川純、小鼓 幸清次郎
   笛 寺井久八郎

なんだか穏やかな笛の音、と名宣笛に聴き入ってしまったのですが、この曲はシテ、ツレが執心深い姿を見せるだけに、ワキはより穏やかに演じる方が良いのでしょうね。
登場したワキ僧の野口敦弘さんも、常座での名乗りは気負いの無い印象です。

ともかくも八瀬の山里に一夏を送る僧、毎日木の実爪木を持ってくる女を待つことにします。ヒシギから次第、囃子を聞いてやがてツレの登場です。
武田尚浩さんの舞台は久しぶりです。本日のツレは無紅唐織着流し・・・全般に黄色がかった、まるで白の布地がやや黄色味のある照明に照らされたそのままのような微妙な色合いで、中年の女性を表すような雰囲気。面は深井か・・・中年の面持ちです。左手に籠を持ち、常座に出て次第謡。

八瀬の山里にお出での尊き人に今日も木の実爪木を持ってきたと言い、正中に腰を下ろして左手を伸べ籠を差し出す風です。
ワキが声をかけて木の実の数々を物語るようにと求め、ツレは籠を下ろして地謡との掛け合いに木の実尽くしを謡います。

ワキがあらためて、木の実の数々は承ったが、さて彼方は如何なる人か名乗るようにと求めます。
ツレは正に直して「恥ずかしや己が名を」と謡い出し、地謡が「小野とは言はじ」と受けて謡い出すと立ち上がって常座へ。さらにワキを見込んで「跡弔ひ給へ」とツメて下がり、右へ小さく回ると常座でやや腰をかがめる風、直して「かき消すように失せにけり」と中入りしました。
このつづきはまた明日に
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通小町のつづき

以前にもなんどか触れましたが、この通小町は「四位の少将」という古作の能を観阿弥、世阿弥が改作したといわれる曲で、もともとは今回のようにツレが中入する形だったようです。
何時の頃からかツレが中入しない形が主流になってきたようで、多くの場合、ツレは紅入唐織に小面など若い女の姿で出て、中入せずに後見座にクツログ形がとられます。
しかしながらこの中入前の地謡には「市原野辺に住む姥ぞ」の詞章があり、若い女のままではいささか落ち着かないこともあって、今回のように中入りする演出も試みられています。特に小書が付くと、そういう試みがされることが多いように感じます。

ただ今回不思議に感じたのは、姥なら姥で、思い切って老女の形にした方が落ち着くと思われるところ、中年の女性の出立だったことで、さてどういう意図だったのかと未だに引っかかっております。前ツレを老女としてしまうと、卒都婆小町や鸚鵡小町など一連の老女物とイメージが被ってしまい、主題がズレてしまうような気もします。また、それ以前の問題として、姥にすると中入の短時間に鬘まで変えなければならないので、中年の姿を取ったのかもしれません。さて演者の真意が奈辺にあったのか気になるところです。

ともかくもツレが幕に入ってしまうと、ワキは「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ 小野とはいはじ薄生いたり」という歌を引き、先ほどの女性が小野小町の幽霊であったと気づきます。
市原野に立ち出で、小町の跡を弔おうと「この草庵を立ち出でて」と謡い出し、立ち上がると正面を向き「市原野辺に尋ね行き」と腰を下ろし「座具を展べ香を焚き」と合掌して「南無幽霊成等正覚 出離生死頓生菩提」と祈ります。

ヒシギがワキの謡に被って一声。
後ツレが紅入唐織着流し、面も若い女の姿に変えての登場です。常座に出てワキを向き「嬉しのお僧の弔いやな」と謡い出します。

さてこのつづきはまた明日に
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通小町さらにつづき

ツレが喜びの心で受戒を乞う旨を謡うと、幕内からワキ僧に戒を授けず立ち去るようにというシテの謡が聞こえてきます。
ツレは幕方に向き直りシテに恨み言を述べる風ですが、幕内からはさらにシテの謡が続きロンギ。シテが「共に戒を受け給へ」と謡うと、ツレはワキに向かい「出でてお僧に弔はれんと」と少し正に出、さらに「薄押し分け出でければ」とワキに向かって詰めます。

幕が上がってシテは「褁(つつ)めども我も穂に出でて」と謡い、ようやく橋掛りに姿を現します。
黒頭に面は痩男か、白練モギドウ、指貫の装束での登場です。

シテの装束は演出によって様々ですが、小書無しの場合は白大口に水衣、熨斗目を被いて出る形が多いように思います。
シテは「さらば煩悩の」と橋掛りを進み、「犬となって 打たるると離れじ」とシテ柱に到ります。「恐ろしの姿や」と謡うツレに寄り「袂を取って 引き止むる」と右手でツレの袖を取り、左手をツレの肩に載せて執心の強さを見せます。

ツレ、シテと謡って地謡に、シテは手を離して「深草の少将」と二人ともどもにワキに向く形になります。
ワキは二人が小野小町と四位の少将であると知り、百夜通いの様を見せてくれるようにと言います。ツレは答えて謡いつつワキ座に進んで着座し、シテは百夜通いの様を見せる様になります。
「君をおもへば徒歩跣足」とツレを見、後ろを向いて常座に戻ると後見から笠を受け取ります。
小書、雨夜之伝ではこの笠を持って舞うところが特徴ですが、このつづきはまた明日に
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通小町さらにさらにつづき

ツレの謡「さてその姿は」に、シテは「笠に蓑」と笠を一度上げて下ろし、ツレ「さて雪には」の謡には「袖をうち払い」と左手を出して雪を払う様を見せます。
正に直して笠を着け、さらに「身一人に降る 涙の雨か」と外した笠を差し出して三四足。笠を下げて足拍子を踏み立廻りです。

両手で笠を頂いて目付に出ると左へと回ります。
正中から常座に向き思いを込めると、再び歩み出して橋掛りへと進みます。一ノ松にて笠を捨て下居。暫しの後、笠を取り正に向いて笠を構えると「かように心を 尽くし尽くして」と謡い出します。
シテの謡「あら暗やの夜や」からノリ地の「あかつきは・・・獨人寝ならば 辛からじ」までを略しての展開です。

いつぞや銕仙会の山本さんがなさった雨夜之伝では橋掛りに入らず、立廻りを笠を使って舞いつつも、それ以外は常の型のような演出をとられましたが、この日の祥六先生の演出の方が観世の雨夜之伝としては普通の形のようです。

ここから仕舞でもよく舞われるところ「榻の数々 よみて見たれば」と左手をあげ「九十九夜なり」と指を折って数えて小指を残し、立ち上がると舞台に向かいます。

シテ柱から「姿は如何に」と常座、さらに正中ややワキ正寄りに出て「笠も見苦し」と笠を捨てると扇を出し「蓑も脱ぎ捨て」と低く上扇。
左右、打込「裏紫の」と開いて「藤袴」と左手で紫の指貫を取る型。

「あら忙がしや」と数足出て常座方を見込み、「衣紋けたかく引きつくろい」と下がって左右、拍子を踏みます。
ここで謡は一転して飲酒戒の話になり、扇を左にとって六足程出ると、扇を差し出して下居。「戒ならば保たんと」と抱え扇の型から立ち上がり、左から小さく回って正中で「多くの罪を滅して」と羽根扇。ツレも立ち上がり、シテが常座、ツレが笛座に「小野小町も少将も 共に仏道成りにけり」と並んで合掌。地謡が繰り返す中、合掌の手を下ろすと二人並んで立ったままの終曲となりました。
見応えある一曲でした。
(60分:当日の上演時間を記しておきます)
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因幡堂 善竹十郎(観世会定期能)

大藏流 観世能楽堂 2013.09.01
 シテ 善竹十郎
  アド 善竹富太郎

時々書いておりますが、狂言の曲は流儀によって随分と違った作りになるものと、さしたる違いの無いものとあります。本曲は後者の方でして、以前に鑑賞記を書きました和泉流、深田さんや月崎さんの上演と流れは同じで、筋に特段の違いはありません。

常座に出たシテは、妻が大酒をたべ自分をないがしろにするので、親里に行ったを幸いに離縁状を送ったことを述べます。とは言え独りでは不自由なことから、五条の因幡堂に妻乞いに参詣することにした旨を述べて舞台を廻る形で、特に違いはありません。

「五条の因幡堂は験仏者(げんぶっしゃ)」と申すによって・・・と、この「験仏者」二三度出てきますが、霊験あらたかな神仏といった意味で、往時はよく使われていた表現のようです。因幡堂が霊験あらたかな寺社として信仰を集めていた点は以前にも書いていますが、この曲を始め鬼瓦や仏師など、よく知られた狂言の舞台になっているのも、そした信仰のゆえということでしょう。

その後の展開も特に変わるものではありませんが、富太郎さんの女がなかなかに面白く、シテに連れられて家に行き、さて杯事の段になると、この飲みっぷりが派手。あっという間に盃を干してしまう様子が笑いを誘います。

十郎さんの剽げた雰囲気と良いバランスで、楽しく拝見しました。
(20分:当日の上演時間を記しておきます)
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