能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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遊行柳 青柳之舞(観世会定期能)

観世流 観世能楽堂 2013.09.01
 シテ 観世清和
  ワキ 森常好、アイ 大藏吉次郎
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 一噌仙幸、太鼓 小寺佐七

いささか間が開きましたが、9月の観世会、清和さんの遊行柳です。
観世小次郎信光の作とされるこの曲、多分に西行桜を意識して作られたようで、いずれも太鼓入り序ノ舞を老体のシテが舞う三番目の曲です。

信光は世阿弥の甥である音阿弥元重の第七子といわれ、主には観世座の大鼓方として活躍したらしいのですが、ワキや、場合によってはシテとしても舞台に上がっていたようで、能作者としても知られます。船弁慶や紅葉狩など、現在でもよく演じられる曲の作者とされており、観世座を支えた重要な人物だったようです。

この遊行柳は小次郎最晩年の作と言われますが、西行桜との対比でみると、この曲独特の雰囲気も感じられるところです。今回はさらに青柳之舞の小書が付き、序ノ舞の形が変わるなどの変化が見られました。

さて舞台には柳の枝を指して、柳の塚と思しき作り物が出され、大小前に据えられます。引廻しは水浅葱とでも言ったら良いのか、薄い鼠色に浅葱がかかったような微妙な色合いです。老木を感じさせるということでしょうか。

次第の囃子は仙幸さんの柔らかい笛の音で、角帽子の大口僧姿のワキがワキツレを従えて登場してきます。向かい合っての次第謡の後、ワキの名乗り。一遍上人の教えを受けた聖と名乗り、六十万人決定往生の御札を遍く衆生に与えようと諸国を回っており、この度は上総国から奥へ下ろうと思う旨を述べます。
道行では、歩みを進めて奥州白河の関に到ったことが謡われ、ワキは着きゼリフを述べてワキ座に向かいます。
さてこのつづきはまた明日に
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遊行柳のつづき

ワキの一行が歩み出すと、幕内からシテの呼び掛け。遊行上人のお供の人に言いたいことがあると声をかけます。
ワキが、札の所望かと問うと幕が上がり、やがてシテがゆっくり姿を現します。小格子厚板に水衣肩上げの老人姿で、右手には杖を持っての出です。

姿を現したシテは、先年の御下向の時も昔の街道をお通りになったので、この度は昔の道を教えようとして出てきたのだと言いつつ、二の松まで出て佇みます。どうもこのシテ・ワキのやり取りがいささか分かりにくく、この曲の解説でも遊行上人(一遍上人)が奥州に下向した際に、老人が現れて以前にも通った古道に導いたとしているものを少なからず見かけます。

しかし詞章を文字通りに読めば、ワキはまず「我一遍上人の教へを受け」と名乗っており、一遍上人の教えにより回国する遊行の聖であるものの、一遍上人その人ではないことが分かります。シテ老人は「先年遊行の御下向の時も 古道とて昔の街道を御通り候ひしなり」と言っており、かつての遊行の聖、それが一遍上人なのかあるいは別の遊行聖だったのかは分かりませんが、ともかく以前に遊行聖がここを通り、その際には古道を通ったという意味でしょう。
だからこそ、ワキは「この道ならぬ古道を 通りし事のありしよなう」と感じ入ったのだと思います。自分が通ったことも忘れてしまったというのでは、いささか腑に落ちません。

ともかくも、シテ老人は地謡に合わせて遊行聖を古道にと誘います。下歌で「老いたる馬にはあらねども」と二足程出てワキを向き、「道しるべ申すなり 急がせ給へ旅人」とツメて左手を差し伸べる型。
上歌になり、歩み出すと「葎蓬生刈萱も」のあたりでシテ柱。さらに常座へと出て歩みを止め「昔を残す古塚に」と塚を見ます。「蔭踏む道は末もなく風のみ渡る」と正へ直し、ワキも正面を向くと、上歌の終わりにシテは五足程下がって佇みます。
さてこのつづきはまた明日に
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遊行柳さらにつづき

シテはワキを向き、これこそ昔の街道だと言い、ワキと向き合う形で古塚の上の、朽木の柳を示します。
ワキは柳を眺める風でその有様を口にし、その謂われをシテ老人に問います。

シテは鳥羽院の北面の武士だった佐藤兵衛憲清が出家して西行と名乗り、この国に下った際、水無月半ばのある日に川岸の木の下に暫し立ち寄り、一首の歌を詠ったことを語ります。ワキはその歌に興味を示し、地謡の上歌。
西行の歌は新古今にあり「道の辺に清水流るる柳陰 しばしとてこそ立ちどまりつれ」ですが、地謡はこの上の句を繰り返した後「暫しとてこそ立ちとまり」とし、さらに「涼みとる言の葉の 末の世々までも 残る老木は懐かしや」と続けます。

シテはワキに向かって少し出ると、大小前から正中へ出て立ち止まり、一足出して腰を下ろします。杖を置くとワキと向き合う形で「御十念を賜はり」と合掌。「御前を立つと見えつるが」と正へ直して杖を取り、立ち上がってワキ正側を小さく回ると「古塚に寄るかと見えて」と作り物の横に立って正面を向き、杖捨ててタラタラと下がって一度、心を込めるように動きを止め、あらためて「失せにけり」と塚に中入りしました。

シテの中入で長上下のアイが立ち、常座で「このあたりに住まいする者」と名乗ると、久しくどこへも出かけなかったので古塚のあたりに行き、行き来の旅人を見て心を慰めようと言ってワキ正に出て、ワキの姿に気づきます。

ワキとアイの問答になり、アイは正中に着座して朽木の柳の謂われを語り出します。
この朽木の柳は、人皇七十四代鳥羽院の北面、俵藤太秀郷より八代、佐藤憲清出家して西行、諸国を廻るが陸奥に下向の際に、水無月の中、この川下からこのあたりを見ると川に沿って朽木の柳がある気色が、さも涼しげに見えた。ここまで来てみると真に涼しく、暫く休んだ後歌を詠んだが、この歌が新古今に入っていると聞いている。
この柳は、古塚の柳といって名木のように申し伝えているが、昔はこの新しい道ではなく、川下の少し離れたところにあったと言うが、陸奥へ御下向の時もあの古道を通ったと聞いている・・・などと語ります。
その後、型通りに最前の老人は朽木の柳の精であろうということになり、アイがワキ僧に供養を勧めて退場し、ワキの待謡となります。
このつづきはまた明日に
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遊行柳さらにさらにつづき

ワキ一行は着座のまま待謡を謡います。
続いて出端の囃子。作り物の中からシテの謡い出しです。さらに一セイ「徒らに 朽木の柳時を得て」を謡って地謡「今ぞ御法に合竹の」シテ「直に導く 弥陀の教へ」と続きます。シテは伸びやかで力強い謡。

大ノリの地謡となり「老木の柳の」あたりで後見が引廻しに手をかけて「忽然と現れ出でたる」で引廻しが下ろされ、床几に腰を下ろした後シテが、白垂に風折烏帽子、茶の狩衣に緑の色大口の姿を現します。老木の精という次第。

ワキとの掛け合いになり、ワキ「弥陀の教へを」シテ「身に受けて」で太鼓打ち出し、地の上歌「此界一人念仏名 西方便有一蓮生」でシテが立ち上がります。
作り物を出ると右を向き、常座からやや正中寄りに下居、ワキを向いて「上品上生に 到らん事ぞ嬉しき」と合掌します。

正面に向き直りシテの謡。続く地のクリで立ち上がったシテはゆっくりと大小前に進み、サシ。さらにクセへと謡が続き、柳の故事が謡われます。
ものの本によると、このクリの冒頭の部分では、シテが「釈迦既に滅し 弥勒未だ生ぜず」と天竺にまつわる謡。サシでは黄帝に仕え柳の葉に蜘蛛の乗るのを見て船を発明したという貨狄や、玄宗皇帝の華清宮で名木と言われた楊柳のことなど、中国にまつわる謡。さらにクセは清水寺楊柳観音を始め本朝の柳の謡と、三国伝来的な発想で謡が組み立てられているとあります。

なるほどそんなものか、と思いつつ謡を追いかけていると、クセは舞グセで、冒頭で二足程下がって正面を向き、一度右に受けた後「尋ね上りし水上に 金色の光さす」と正面に直して足拍子を一つ。そこから出てサシ込み開キとクセの基本的な形をなぞります。
老体の舞ということで、上げ端の後、左右から打込、開キ、さらに舞台を廻るなどした後「これは老いたる柳色の」と四拍子踏んで左袖を返し「狩衣も風折も」と正面に直して返した袖を見込み、袖を直してサシ。
目付に出ると扇をカザシ、舞台を廻りますが「老木の柳気力なうしてよわよわと」と常座のやや前あたりから、タラタラと下がって「現と見るぞはかなき」と作り物に左手を差し伸べて立ち、クセを終えます。
このつづきもう一日明日に
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遊行柳もう一日のつづき

太鼓コイ合、シテの拍不合の謡「教へ嬉しき法の道」地「迷はぬ月に 連れて行かん」でシテは後見に向き装束を直して序ノ舞の舞出し。

青柳之舞の小書は、この序ノ舞の型が変わるのが一番大きな変化。ゆったりと序ノ舞が舞われますが、二段で扇を逆手に取ると、型通り二度目で開キ、ヲロシになってぐっと沈み込む型から正面に向かって扇を出し、舞台を右に回ります。目付から正中へ開いてサシ、さらに舞台を目付へ。沈み込んで行きカカリ、袖を直して小さく回り、常座へ向かうと小回りして打込「青柳に うぐひす伝ふ 羽風の舞」とワカ。序ノ舞舞上げです。

ワカの終わりに上扇、左右、打込開キと、続け、地謡との掛け合い。シテの謡「上人の御法を受け」とワキを向き「喜ぶ」の次から大ノリに「報謝の舞も」と正中まで出て開キ下居。「名残の涙」と左手出してシオリます。

「木綿附の鳥も啼き」と正へ直して立ち上がり、サシ込み開キ。
地謡「手折るは青柳の」と目付へ出て両手合わせ、扇を左にとって舞台を廻り「枝もすくなく」と塚を見込みます。老体の態で「漂ふ足もとも よろよろよわよわと」と正中からタラタラと下がって、抱え扇して「仮寝の床の」と座します。
「草の枕の一夜の契りも」と枕扇から腰浮かせて立ち上がり、「他生の縁ある上人の御法」とワキ向いてワキと見合う形。「西吹く秋の風」と右手を挙げて幕方を見「うち払い」と返して羽根扇。開いてサシ、目付から塚を見込みます。

さらに「露も木の葉も」と左袖被きつつ作り物に入り「残る朽木となりにけり」とゆっくりと沈み込む形になり留。あらためて作り物を出て立ち、袖を直して退場となりました。

老体の柳の精ということですが、実に典雅な味わいある一番でした。予想外に面白く上演時間の長さを感じずに観てしまったという印象です。
(116分:当日の上演時間を記しておきます)
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喜多流自主公演を観に行く

本日は目黒まで喜多流の職分会自主公演を観に行ってきました。
昨日までの荒天が嘘のような青空。爽やかな秋の一日です。

番組は佐々木宗生さんのシテで頼政。
三宅近成さんたちの狂言狐塚を挟んで、狩野了一さんのシテで梅枝。
さらに粟谷浩之さんの小鍛冶の仕舞、最後に笠井陸さんのシテで土蜘蛛。

それぞれなかなかに面白かったのですが、五時間観てるといささか疲れますねぇ・・・

さらに本日は能楽堂近隣の杉野服飾大学、同短期大学部が学園祭の様子で、バンドの音などが能楽堂にも忍び込んできます。まあ、これも仕方ないのかな。

このところ土日にも様々な用事が入ってしまうので、なかなかのんびりと能楽見物という訳にもいきませんが、できる限り楽しんで観たいものと思っています。

観能記は近いうちに・・・

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