能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

頼政 佐々木宗生(喜多流十月自主公演)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2013.10.27
 シテ 佐々木宗生
  ワキ 宝生閑、アイ 三宅右矩
   大鼓 佃良勝、小鼓 森澤勇司
   笛 中谷明

頼政も前回観たのは平成21年の2月、4年半前になってしまいました。このブログでは、金春流本田光洋さん(鑑賞記初日月リンク)と、観世流武田尚浩さん(鑑賞記初日月リンク)の演能について記録していますが、今回は喜多流のベテラン佐々木宗生さんが、老将頼政をどう演じられるのか楽しみに出かけたところです。

まずは名宣笛でワキの出。中谷さんの笛が、この日は一段趣き深く感じましたが、その笛の音に閑さんが無地熨斗目に水衣、角帽子を着けた着流し僧の装束で登場してきます。
常座に出ての名乗り、道行と続き、着きゼリフ。諸国一見の僧が宇治の里にやって来た態です。

正中に出たワキは、宇治の里の景色を謡いワキ座へと向かいます。
三、四足出たところでシテの呼び掛け。何事を仰せかと問いかけるシテに、ワキは振り向くと宇治の名所旧跡を教えてくれるようにと頼みます。
シテは幕内から歩み出し、賤しき身ながらも何とか答えてみようなどと言いつつ幕前に出て正面を向きます。
ワキが喜撰法師の庵はいずれかと問う内に、橋掛りを歩み始めたシテは「さればこそ大事の事を御尋ねあれ 喜撰法師が庵は・・・」と言いつつ、シテ柱からさらに常座へと出て、例の喜撰法師の歌「我が庵は都の巽鹿ぞ住む 世を宇治山と人はいふなり」を謡って、ワキに向き合います。

ワキは、あれに見えるは槇の島かと問いかけつつ、見所、目付柱の先のあたりを見やります。ワキ、シテの名所教えの場面となり、続いて正面に橘の小島が崎。一転して、幕方に目をやり「月こそ出づれ朝日山」と月の出を二人眺める形です。

地謡が宇治の名所教えの様を謡い「聞きしに勝る名所かな」と収めると、シテがワキを向いて平等院のことを語り出します。
さてこのつづきはまた明日に
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頼政のつづき

シテはワキに平等院を御覧になったことがあるかと問いますが、見たことが無いというワキの答えに「此方へ御入り候へ」と斜めに二、三足出て正面を向き、ワキに「これこそ平等院」と示します。
ワキは目付柱あたりを見やると、ふと気づいた風で「またこれなる芝を見れば 扇の如く取り残されて」と、芝が扇の形に刈り残されていることを述べます。シテ・ワキのやりとりはなかなかに趣き深い雰囲気です。

シテは、源三位頼政が合戦に負けて、この地に扇を敷き自害して果てたことから扇の形に芝を残しているのだと語り「今に扇の芝と申し候」と前の方、芝のあたりを見込む風情。
これを聞きワキは「痛はしや さしも文武に名を得し人なれども・・・」と謡いつつ、下居して頼政を弔う風に合掌します。シテも思いを込める風で、その戦の月も日も今日にあたっていると伝え、ワキは驚いて問い返します。
シテが謡い、地謡が続けて頼政の幽霊が現れたことを仄めかし、シテは三、四足ほど目付方に進んでワキに向き直ると、開キ、正面に直してから小さく舞台を廻り、常座で正面に向き直ると、あらためて橋掛りに向かい中入となりました。

シテが幕に入ると間狂言は宇治の里に住まいする者、長上下にて進み出て常座で名乗り「今日は志す日にて候間、平等院に参ろうと存ずる」と言って角に出、僧侶がいることに気づいて型通りの問答となります。
ワキが尋ねたいことがあると言い、これまた型通りのやり取りの後、アイは正中に着座して頼政最後の子細を語り出します。

まず、この宮軍(ミヤイクサ)の起こりとして、頼政の嫡子伊豆守仲綱が飼っていた名馬「木の下」を平の宗盛が所望した一件が語られます。この話は平家物語にも見えますが、仲綱が馬を惜しみ田舎へ送ったと謀ったものの、宗盛の近習が馬を見かけ、宗盛は重ねて馬を差し出すように命じます。
仲綱はこの経緯を頼政に話し馬を惜しむ気持を述べますが、頼政はそんなに欲しがるものは献上した方が良いと諭し、仲綱は歌を添え「木の下」を宗盛に献上します。
しかし宗盛は仲綱の馬を惜しむ気持に怒り、馬の鬣を切って仲綱との焼き印を押し、人前で馬を「仲綱」と呼んで痛めつけます。
これで治まらないのは頼政父子ということになりますが、このつづきはまた明日に
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頼政さらにつづき

さて頼政は仲綱に向かい、平家の人々が我々を軽んじての所行と怒りを表すと、高倉王から宣旨を得て、三井寺を頼んで兵を挙げた、とアイの語りが続きます。
たしか高倉王の宣旨と聞いたように思うのですが、これは本来は以仁王の令旨のはずですね。聞き違いだったのか・・・

ともかくも頼政は兵を挙げたものの、戦況芳しくなく、南都へ逃れようと進む途中、平等院に籠もって守りを固めることにします。いわゆる宇治橋の闘いとなり、橋を引いて平家方が平等院に渡れないようにと工作したものの、寄せ手は宇治川を渡って押し寄せたため、頼政七十二、敵わずと見て扇を敷いて自害した。これを偲んで扇の型に芝を取り残してあるのだとアイが語ります。
頼政の行年も七十七ではないかと思いますが、当日は七十二と聞いたように記憶しています。

その後、型通りにワキ僧とアイ所の者との問答になり、暫く逗留して頼政を弔おうということになって、アイが下がります。途中からシラセが吹かれ、趣き深い雰囲気です。

ワキは、さては頼政の幽霊が仮に現れて言葉を交わしたのかと納得し、弔いをしようと待謡。「夢の契を待とうよ」と謡って、一声。後シテの出です。
頼政の専用面に頼政頭巾、半切に袷法被肩脱ぎでの登場です。老体をあまり感じさせない動きでススッと進み、一ノ松に出て一セイ。「地は琢鹿の河となって 紅波楯を流し」と謡い出し「あら閻浮恋しや」と謡い、さらに「伊勢武者は 皆緋縅の鎧着て 宇治の網代にかかりけるかな」と、これは平家物語に仲綱の歌として出てくる一首ですが、謡い上げて正面に向いてシカケ開キ「あはれはかなき世の中に」と拍子踏んで地謡を聞きつつ舞台へ。
ワキに向かい、なお読経を続けるようにと求めます。
ワキはシテの様子に、法体の身に甲冑を帯し読経せよというのは源三位の幽霊かと問いかけます。

名乗らぬうちに頼政と知れてしまったのは恥ずかしいと言いつつも、シテはさらに読経を求め、シテ、ワキの掛け合い。
地謡で拍子を踏み、自ら源三位頼政と名乗って常座に。さらに地謡を聞きつつ大小前に進み床几に腰を下ろします。
さてこのつづきはまた明日に
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頼政さらにさらにつづき

都を忍び出て三井寺さして落ちて行ったとの謡からクセ。床几に腰を下ろしたままでの仕方が見せ所になっていきます。

地謡が平家の反撃を謡うに合わせ「山科の里近き 木幡の関を」と幕方を見やって右手を伸べ、宇治の河橋を渡って大和路をさして急ぐところ、宮が六度まで落馬されたとの謡では下を見やり、直して扇を広げると「宇治橋の中の間 引きはなし」と腰を下ろしたまま雲扇、両手を前に出し扇をかざす形に持った右手を左手に被せたところから引き分けて、遠くを見やる・・・喜多流だとカザシヒラキと言ったでしょうか。いつぞやの金春流本田光洋さんは、ここで一度立ち上がり橋板をはがす所作を見せましたが、喜多流では両手を引き開くことで橋板を引き離す象徴的な表現とするようです。

平家の軍勢が押し寄せたものの、橋が引かれており水が高くさすがの難所であるところ、田原の又太郎忠綱が、三百余騎を率いて「くつばみを揃へ河水に 少しもためらはず」と六拍子、踏み返して正へサシ、幕方を見て手を打ち合わせると四拍子。「ざつざつと 打ち入れて」と両手でざっと水を左右に掻き分けるような所作を見せます。

シテは「忠綱 兵を下知していはく」と謡い、続く地謡に、扇を前に出して水底を見るように下を見込んだり、六拍子、七つ拍子と拍子を踏んだりした後「をめいてあがれば」平家の勢が河から上がった様子に合わせるように立ち上がり、正へ出ます。
しかし「我ながら踏みもためず 半町ばかり覚へずしさって」と大小前まで下がり、後ろを向いて太刀を抜くと「ここを最期と戦うたり」とワキ正へ出て一討ち。角に出ると角トリして舞台を廻り、大小前に戻ります。

「是までと思ひて」と太刀差し出して見込んだ後、これを落とし扇を右手にとって正中へ。「是なる芝の上に」と扇をおくと着座して扇を閉じ「さすが名を得し其身とて」と扇を手許に引き寄せて自害した風を見せます。

「埋木の 花さく事も なかりしに 身のなるはては あはれなりけり」これは頼政の辞世ですが、この一首をシテが謡い、地謡で立ち上がると常座から大小前、さらに正先に扇をかざしてから置き、常座に戻ると「帰るとて失せにけり」と一つ拍子を踏んで袖を被いて下居。立ち上がって留となりました。
(78分:当日の上演時間を記しておきます)
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「頼政」をめぐって

鑑賞記自体は昨日の分までで終了ですが、頼政をめぐって少しばかり書いてみようと思います。

頼政は摂津源氏で、かの頼光の玄孫、頼光を入れて五代目になります。この日の三曲目が頼光の登場する「土蜘蛛」であったのも、何かの縁なのかも知れません。

今更ではありますが、源氏は臣籍降下の際に与えられる姓の一つですから、醍醐天皇を祖とする醍醐源氏や、村上天皇からの村上源氏、宇多天皇からの宇多源氏など、数多くの系統があります。
その中でも、後世「源氏」と言えば清和天皇の孫にあたる六孫王経基の子孫が最も有名で、八幡太郎義家も、鎮西八郎為朝も、そして頼朝、義経も、皆この系譜です。清和天皇の子孫にあたるので「清和源氏」ということになりますが、清和天皇の子孫では、子にあたる4人の親王と、孫にあたる12人の王が臣籍降下して源を名乗っているのだそうで、経基の系譜以外にも多くの清和源氏がいたことになります。

さて経基の嫡子満仲は、摂津国多田荘に土着し多田満仲(ただのみつなか ただのまんじゅう)と呼ばれます。その嫡男が頼光。「よりみつ」が読みですが「らいこう」と呼ばれることが多いようです。頼光をめぐっては様々な伝説もありますが、頼光の話は後ほど「土蜘蛛」の鑑賞記の際に触れたいと思います。

満仲には多くの子がいますが、三男の頼信は河内国古市郡壷井を本拠地とし、この系譜は「河内源氏」と呼ばれます。頼信の後は嫡男の頼義が継ぎ、さらにその嫡男、八幡太郎と称される義家まで、三代にわたって隆盛を極めます。しかしこの家は、どうも身内で争う傾向があるようで、義家の跡は三男義忠が継ぎますが暗殺され、義家の長男である義親の四男とも、義家の子で義忠の弟にあたるとも言われる為義が跡を継ぎます。この義忠の暗殺は叔父にあたる新羅三郎義光の陰謀と言われています。
為義は長男義朝と対立し、保元の乱で崇徳上皇側に付きますが敗れ、後白河天皇側に付いた義朝によって斬首されます。頼朝や義経は、その義朝の子ですね。

河内源氏が親子入り乱れて戦乱の中に突入していったのに対し、摂津源氏の方は一族結束していたようで、その長老として中心的な立場にいたのが頼政ということになりますが、このつづきはまた明日に
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「頼政」をめぐるつづき

源頼光から頼政にいたる系譜ですが、頼光の後は長男頼国が継ぎますが、頼国の後は子息の多くが早世、配流となったこともあり、五男の頼綱が摂津源氏の嫡流を継承します。
頼綱の長男明国は摂津源氏の本拠地多田荘を継承し摂関家に近侍しますが、次男仲政は白河・鳥羽両院に仕え、検非違使、皇后宮大進、兵庫頭、下総守、下野守などを歴任、位階は従四位下(一説には従五位上)に至り明国を超えます。頼政はこの仲政の長男です。

明国は問題を起こし配流になるなどして歴史の表舞台から姿を消してしまいますが、本拠地である多田荘は明国の長男行国が継承したようです。そういう意味では摂津源氏の嫡流は行国となるのでしょうが、保元・平治の乱を通して勝者側で戦い、平清盛にも重用された頼政が官位も進み、自然、摂津源氏の棟梁的に見られていたようです。
なお、後に義経と行動を共にし頼朝から疎まれることとなった多田行綱は、行国の孫にあたる多田荘の継承者です。

頼政は一族の面倒見も良かったようで、実子以外にも多くの猶子を抱えて、一族揃っての繁栄を願っていたのだそうです。当時は歌人としても有名だったらしく、藤原俊成が頼政を大変評価していたとの話があります。
自主公演能の当日は、開演に先立って友枝真也さんによる解説があり、歌人としての頼政の評判や、謡曲に使われている頼政の歌の紹介などがあり、興味深くうかがいました。

また頼政と言えばなんと言っても「鵺」。この話は平家物語に出てきますが、武人として、歌人として頼政が名を挙げた事件として描かれています。能としても大変面白い一曲ですね。

ところで頼政というと、私はついつい亡くなった俳優芦田伸介さんを思い出します。
実はてっきり今の菊五郎、当時の尾上菊之助が義経を演じた1966年のNHK大河ドラマ「源義経」での配役と思い込んでいたのですが、そうではなくて1972年の「新・平家物語」でのことでした。
「大河ドラマ+時代劇 登場人物配役事典」というサイトを見つけまして、いやあこんな便利なページを作ってくださる奇特な方がいらっしゃるのだと、感心しております。(許可なくリンクするのもどうかと思いまして・・・Googleでご確認ください)

頼政は「源義経」には登場しないようで、確かに時代から言って当然かも知れませんが配役の記載がありません。一方「新・平家物語」の配役を見ると、芦田さんの頼政のほか、仲代達矢さんの清盛に中村玉緒さんの時子・・・間違いなくこちらは記憶があります。山本學さんが頼盛を演じていたシーンも覚えていますので、興味深く観ていたんでしょうね。
「源義経」の方は、私もまだ小学生でしたし、明確に記憶があるのは菊之助の義経、今はその夫人となった藤純子さん(当時はこう書きました)の静御前、緒方拳さんの弁慶くらいです。ですが、配役表をずっとみていくと、なんと工藤祐経を当時41歳の観世寿夫さんが演じておられる。まあ、当時は私も寿夫さんをまったく存じ上げていなかった訳ですが、妙に感心した次第です。
この項、終わり
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銕仙会を観に行く

昨晩は宝生能楽堂に銕仙会を観に行っておりました。
たまたま東京に出かける用事がり、5時過ぎに終了したので水道橋へ。

6時からの開演で、片山九郎右衛門さんのシテで「巻絹」
休憩をはさんで石田幸雄さんのシテで狂言の「鐘の音」
最後に浅見真州さんのシテで「碇潜」ですが、こちらは今回「禅鳳本による」ということで、金春禅鳳の本に依った古い演出を再現する試みの一曲です。

「巻絹」は、何度か書いていますように、四番目物とは言いながらさしたるドラマ性のない曲ですが、諸般あって好きな能の一曲です。
今回は清司さんが九郎右衞門を襲名されて以来、シテとして拝見するのは初めての舞台でもありましたが、正直のところ本当に見に行って良かったと・・・しみじみ思った次第です。
このブログを書くにあたって、個人的な感想として良いの悪いのという話は書かないのを基本にしていまして、鑑賞記を読んでいただいてもほとんどそういう評価は出てきません。が、今回は久しぶりに「良かった」と書いておきます。小書無しの普通の巻絹ですが、流麗な神楽に見入ってしまいました。・・・もちろん、これまで鑑賞記を書いた多くの上演も「とても良かった」のですが、あえて書いておりませんので・・・

碇潜は船出之習よりもさらに古い形を演じようという試みですが、こちらもとても面白く拝見しました。

すっかり能を堪能して水道橋の駅に向かったところエライ混雑。しかも圧倒的に女性が多く、いったいどうしたことかと思ったのですが、なんでも「関ジャニ∞2013 LIVE TOUR JUKE BOX」、関ジャニのコンサートがドームであったということらしいです。なるほど・・・

帰りはちょっとしたトラブルもあり、家に着いたのはやっぱりほぼ12時になってしまった・・・
鑑賞記はいずれ
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狐塚 三宅近成(喜多流十月自主公演)

和泉流 喜多六平太記念能楽堂 2013.10.27
 シテ 三宅近成
  アド 高澤祐介 三宅右矩

狐塚は過去2回ほどブログで鑑賞記を書きました。20年4月の三宅右近さんのシテによる上演(鑑賞記初日月リンク)と、24年8月の山本泰太郎さんのシテによる、こちらは小唄入りの小書付の上演(鑑賞記初日月リンク)です。

以前の記事にも書きましたが、この曲、和泉流と大藏流では微妙な違いがあり、和泉流では太郎冠者一人が狐塚に出かけ、後から見回りに来た次郎冠者と主人を縛ってしまうという展開。一方、大藏流では、太郎冠者と次郎冠者の二人が狐塚に遣わされ、見回りに来た主人を二人して縛ってしまうという形になっています。

今回は右近さんのご子息近成さんのシテですし、記録を見返しても特に演出上で変わるところはありませんでした。とは言え、右近さんのシテの時はアド主人が近成さん、小アド次郎冠者が前田晃一さんでしたが、配役が変わると微妙に雰囲気も違ってきます。

高澤さんの主人、ちょっと偉そうで、それでいてまんまと太郎冠者に縛られてしまう、なかなかに味わいある人物でした。
シテ太郎冠者に狐塚に行くように命じると、鳴子を渡して「昼の間は鳥を追おうず 夜になったら猪、狼が出ようず 心して追え」と、臆病な太郎冠者に余計なことを言ってしまうあたり、それらしい雰囲気だったように思います。

太郎冠者を見舞いにやって来る次郎冠者、主人が、暗い中で見えないというのを、太郎冠者が声を頼りに来れば良いと言って導き「どっちじゃ どっちじゃ」「こっちじゃ こっちじゃ」と言い合いながら、囃子物のように動き回るのも、なかなかに楽しい一曲でした。
(24分:当日の上演時間を記しておきます)
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梅枝 狩野了一(喜多流十月自主公演)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2013.10.27
 シテ 狩野了一
  ワキ 殿田謙吉、アイ 前田晃一
   大鼓 大倉慶乃助、小鼓 田邊恭資
   笛 槻宅聡

富士太鼓という能があります。
富士という楽人が浅間という楽人と内裏の管弦の役を争い、浅間に討たれてしまいます。夫の帰りが遅いため富士の妻は子を伴って都に上り、富士が討たれたことを聞いて悲嘆に暮れます。夫の楽人としての装束を纏った妻は、太鼓を敵と見て打ち、悲しみの楽を奏しますが、やがて舞収め装束を脱ぎ捨てた妻は、名残を残しつつも故郷へと帰っていきます。

この富士太鼓については、宝生流小倉敏克さんの演能(鑑賞記初日月リンク)の鑑賞記を書いていますが、「梅枝」はその後日談のような能で、富士の妻も既に亡くなった後の世、旅の僧が妻の幽霊に出会うという設定です。

同じ一つの話を現在能と夢幻能として作能した例としては、鵺と現在鵺などもありますが、鵺がよく演じられる能である一方、現在鵺は金剛流のみに伝わり上演も稀の様子です。
鵺では鵺の亡霊が登場して、頼政に討たれうつぼ舟に乗せて流された苦しみを見せますが、現在鵺はその頼政の鵺退治自体を見せようというもの。

忠度と現在忠度も、忠度の幽霊が現れる夢幻能と、忠度が俊成に自らの歌を千載集に載せるよう頼みに行く現在能の組み合わせになっています。
いずれも夢幻能の方は良く演じられますが、現在能の方は稀曲の類です。

富士と浅間の楽人争いの話は、現在能である富士太鼓の方が良く演じられ、梅枝は上演の少ない曲ですが、実際に観てみると、この梅枝もなかなかに良く出来た曲との印象でした。
舞台の様子は明日につづきます
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梅枝のつづき

舞台はまず次第が奏され、小格子厚板に白大口、水衣に角帽子を着けたワキ僧殿田さんが、無地熨斗目のワキツレ従僧、御厨さんと梅村さんの二人を従えて登場してきます。

次第を謡った後、甲斐国身延山から出でたる沙門と名乗り、思い立って回国に赴くと言って三人の道行。住之江の里に着いたと謡います。
ワキは着きゼリフで津の国住吉に着いたと言い、にわかに雨が降ってきたので、とある庵に立ち寄り宿を借りようと思う由を述べます。ワキツレが地謡前に進み、ワキは一ノ松あたりで幕に向かうと「いかにこの屋の内へ案内申し候」と声をかけて、正面に向き直ります。

アシライでゆっくりと幕が上がり、無紅唐織着流しのシテが姿を現し、幕前に進むと正面を向いてサシ謡。「こと問ふ人は誰やらん」と謡います。
これに答えて、ワキは無縁の沙門であるが一夜の宿を貸して欲しいと頼みます。
シテは、出家のことでもあり宿はお貸ししたいが、軒も傾く粗末な庵にどうしてお泊めできようかと言いますが、降りくる雨に立ち寄れるところもなく、どうか泊めて欲しいというワキの詞に宿を貸すことにします。

シテの詞にシテ・ワキが向き合い地謡に。下歌でワキが向き直り、二人して橋掛りを進み「御泊あれや旅人」の謡で、ワキはワキ座に、シテは正中に向き合って下居。
上歌「西北に雲起こりて」の一句で、シテは正面に、ワキは脇正面に向き直り、後見が作り物の鞨鼓台を持ち出してきます。

正先に持ち出した鞨鼓台が楽人の太鼓という設定ですが、この鞨鼓台の見所から見て左側、シテから見ると右側に衣を懸けます。
上歌は「松吹く風も心して 旅人の夢を覚ますなよ 旅人の夢を覚ますなよ」と意味深長な句が謡われてワキの詞になります。
このつづきはまた明日に
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梅枝さらにつづき

シテ、ワキが正面に向き直り鞨鼓台が出されたところで、舞台上は室内という次第。このあたりが、能の場面展開の面白さでもあります。

ワキはシテに声をかけ、飾った太鼓と舞の衣装がどういう子細のものか不審だと問います。シテはある人の形見と告げ、それにつき哀れな物語があるので語って聞かせようと言って、語りになります。

シテの語。
昔、天王寺に浅間という楽人がおり、住吉には富士という楽人がいた。二人は内裏の管弦の役者を争って都に上ったが、富士が役を賜った。
浅間はこれを不満に思い、富士を討ってしまった。その後、富士の妻が夫の死を悼み、常々は太鼓を打って慰めていたが、それも終には亡くなってしまった。どうか弔ってやっていただきたい。

ワキはこれを聞いて、その昔の富士の妻に所縁の人かと問いかけますが、シテは遠い昔話とて所縁ではないと言いつつ泣く様子。ワキはなおも不審を感じ、何故、形見の太鼓形見の衣がここにあるのかと問います。シテは、太鼓の主は昔の人となってしまったけれども、太鼓は朽ちずに苔むして残っていると謡い、地謡に。
シテは地謡の二句目で立ち上がり、常座を向いて歩み出しますが「また立ち帰る執心を」と左手を差し出すように振り返り、正中まで出て開キ、あらためて常座に進んで中入となりました。

シテが幕に入ると、後見の内田安信さんが鞨鼓台に寄って懸けてあった舞衣を外し、切戸口から退場。代わってアイ前田晃一さんが長上下で登場して、常座で住吉の里に住まいする者と名乗ります。
型通りにワキとの問答になり、正中に座して富士、浅間のことを語り出します。

人皇九十四代、花園の院の御宇。天下のご祈祷のため七日の管弦講を催すこととなり、伶人の浅間が召されて都に上った。しかし住吉の伶人富士も罷り出て、浅間と富士が役を争ったが、結局、浅間は召し出されず富士が召されて役を仰せつけられた。
浅間はこれを無念に思って恨み、夜更けに富士の家に忍び込んで富士を討ってしまった。富士の妻は夫との別れを悲しんで、明け暮れ、夫の装束を着、太鼓を打って夫を偲んでいたが、程なく亡くなってしまった。
ところで音楽というのは目出度い事柄であり、天照大神が岩戸に閉じ籠もった時も、天鈿女命が楽を謡われたので、神がこれを喜んで岩戸を出られた。今に四方の国が明らかなのもこの故のことである。
など語り、その後は常の如くワキとのやり取りとなって、ワキに弔いを勧めて退場します。
さてこのつづきはまた明日に
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梅枝さらにさらにつづき

アイが下がるとワキ、ワキツレの三人が立ち上がり、ワキ座前に出て正面に向かい、ワキが前に、その左右後方にワキツレが並んで雁行の形で下居。ワキのサシ「それ仏法様々なりと申せども 法華はこれ最第一」ワキツレ「三世の諸仏の出世の本懐 衆生成仏の直道なり」ワキ「なかんづく女人成仏疑いあるべからず」と謡い、ワキは中啓を置いて数珠を取り合掌します。

ワキ、ワキツレ三人の謡から地謡に。ゆっくりした運びで仏法の功徳が謡われ、ワキの一行は合掌を解くと、気を変えて「あるいは若有聞法者」と謡い地謡に。一同は立ち上がってワキ座に着座。幕が上がり、唐織腰巻に舞衣を壺折にし、鳥兜を被った後シテが地謡の中、舞台に向かい歩み出します。シテは橋掛りを進み「夢か現か見たりともなき姿かな」と常座まで出て佇みます。

ワキはシテの出に、女性であるのに舞の衣装を着てさながら夫のようである、さては富士の妻の幽霊かと謡います。シテは大小前に歩みつつ「げにや碧玉の寒き芦」と謡い出し、大小前で正面を向いて腰を下ろしシオリます。
クドキの詞章「妙なる法の受持に逢はば 変成男子の姿とは などや御覧じ給はぬぞ」は、夫の装束を纏って出てきた執心の幽霊ではなく、男装であるのも悟りを開く変成男子の姿と見て欲しい・・・ほどの意味でしょうけれども、とは言え悟りを開いたという訳でもなく、続く地謡で自らの昔を懺悔に語ろうと謡って、執心の様を示す形になります。

地謡「憂かりし身の昔を懺悔に語り申さん」を聞き「さるにても我ながら」で立ち上がったシテは、足拍子を踏むと「ゆひかひなくも恋衣の」でシカケ、扇を上げると「夫の形見を戴き」と鳥兜を差し、開キ。太鼓に寄ると「常には打ちしこの太鼓の」と打込、開キ。目付に進んで角トリ、舞台を廻って「残る執心を晴らしつつ」と大小前に、正面に向いてシカケ開キ、左右、打込、扇広げて「思ひ出でたる一念の」と上扇です。

続いて地謡の「起こるは病となりつつ・・・」と大左右、打込とクセの型をなぞりつつ舞台を廻り、「契麻衣の片思ひ執心を助け給へや」と左右、打込してワキを向きます。
さてこのつづきはまた明日に
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梅枝もう一日のつづき

ロンギ「げに面白や同じくは」で後ろを向いて常座に向かったシテは、正面に向き直り、「いざいざさらば妄執の」と謡い出し、三足程出て「夜半楽をかなでん」とワキに向き合います。

地謡で正中に出ると、扇を差し出しシカケ開キ。「波もて結へる淡路潟」と謡って正にサシ、下を見回しつつ出ると右に回って常座で正にサシて、地謡の「軒端の梅に鶯の」で角へ。「来鳴くや花の越天楽」と目付柱を見上げて扇を下ろし、左へ回ると「梅が枝」と目付柱を向き、ワキ座前にて扇を閉じて胸元に入れると向き直って鞨鼓台に寄り、撥を取って太鼓を打つ形から「楽」となりました。

富士太鼓と同様ここは楽を舞う訳ですが、感情的な起伏を感じさせずゆったりと舞われた印象です。途中、段の所で撥を落とすと、胸元の中啓を出して広げて上扇。その後は位が早くなり、優美さを感じる舞。

楽を舞上げると「面白や鶯の」と謡って足拍子、地謡に合わせて舞い続け、「うつつなの我が有様やな」と小廻りして太鼓に寄ると、タラタラと下がってシオリ。
「思へば古を」と謡ってワキ前に出、「申せば月も入り」と雲ノ扇。サシて右に回り、常座で扇をかざすと開キ。「面影ばかりや残るらん」とくるくると回って開キ、留拍子を踏んで終曲となりました。
なかなかに味わい深い一曲です。

ところで富士太鼓とも共通ですが、楽人の名前が富士と浅間であるのは、この二山が並び称せられたからなのでしょうか。確かに都から東に下ると、途中に浅間の煙が見え、富士を仰いで東国に到るのでしょう。
富士山もたまたま現在は噴火していませんが、江戸時代まで噴火の記録はあるわけですし、現代人とはまた違った感覚で、富士や浅間という名を口にしていたのかもしれません。

なお観世では前場に萩藁屋を出すのが普通の形ですが、喜多流では藁屋を出さないのが普通のようで、今回も藁屋は出ませんでした。粟谷能夫さんが、喜多流としては初めて藁屋を出す演出をなさったという話を聞きましたが・・・
(102分:当日の上演時間を記しておきます)
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たまにはミュージカルも・・・

昨日は所用あって防衛省に。
正門前までは何度か行ったこともありますが、初めて中に入りました。ほーっ、こんな所かと感心。

で、本日はうってかわって、水戸芸術館で「Forever Plaid/フォーエヴァー・プラッド」を観てきました。
川平慈英さんが、オフブロードウェイで初演を観て以来、すーっとやりたかったという作品。9月29日のプレビュー公演、10月1日からの東京公演に始まり、地方公演と続いての最終公演が水戸・・・だったのですが、11月28日に青山劇場で追加公演があるそうです。

とっても楽しい2時間でした。
盛り上がった末に、しんみりとして最後の曲が「Love Is a Many-Splendored Thing」・・・思わず涙が出てしまった。慕情は私が生まれた年の映画で、ビデオかなんかで観たのももう何十年も前ですが、弱いなあ。

ともかく素敵なミュージカルでした。
ブロードウェイでも、「ミスサイゴン」や「天使にラブソングを」を観て感動しましたが、それとはまた違った意味で良い舞台でした。

という訳で、本日も鑑賞記はお休みです・・・

土蜘蛛 笠井陸(喜多流十月自主公演)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2013.10.27
 シテ 笠井陸
  頼光 大島輝久、胡蝶 佐藤陽、太刀持 谷友矩
  ワキ 大日向寛、アイ 金田弘明
   大鼓 佃良太郎、小鼓 幸信吾
   笛 小野寺竜一、太鼓 観世元信

以前、金春流山井綱雄さんの上演の鑑賞記(鑑賞記初日月リンク)を書いた際に「宝生流と金春流は『土蜘』と書くのですが・・・」と書きました。が、ふと気になって明治大正頃の古い謡本を覗いてみると、観世、金剛、そして喜多流とも、みな「土蜘」と表記しています。
どうやら宝生、金春両流以外の流儀は、割と近年になってから表記を変えたということのようですね。

さて今回は喜多流の土蜘蛛ですが、他流同様にまずは舞台に一畳台が出されてワキ座に据えられ、ツレの頼光と太刀持が登場してきます。白大口、長絹に風折烏帽子の頼光大島さん、気品ある雰囲気で台上に上がり、肩から手前左側に置かれた鬘桶に小袖を掛けて、病に伏せっている態になります。太刀持が太刀を頼光の元に置いて、地謡座前に控えると次第の囃子。ツレ胡蝶の登場です。

胡蝶は佐藤陽さん、唐織着流しで常座に出て次第。サシで頼光に仕える胡蝶と名乗って、典薬の頭からの薬を持って頼光の御所に戻るところと述べます。
・・・実は学生時代、素謡でこの胡蝶を謡ったことをふと思い出しました。「テンニャクノカミ」って、音だけ聞くと「典薬の頭」に繋がりませんでしたが・・・

さて太刀持と胡蝶の問答から、太刀持が頼光の機嫌を見て申し上げようと言って頼光のサシ謡。大島さんの頼光、なかなかに風格があります。
その謡の途中で太刀持が立ち上がり、頼光の前に両手を突いて「いかに申し上げ候・・・」と声をかけます。

頼光が許し太刀持に導かれて胡蝶が正中に出て下居。薬を持ってきたことを告げます。
頼光は加減が悪いことを告げ、胡蝶との掛け合いから地謡に。この地謡のうちに幕が上がってシテが姿を現し、地謡いっぱいに白大口を着け厚板に黒の水衣の姿で、沙門帽子を被ったシテが一ノ松まで進みます。
さてこのつづきはまた明日に
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土蜘蛛のつづき

前シテは一セイの後、一ノ松から「いかに頼光」と声をかけ、頼光が答えると「愚かの仰せ候や・・・」と言いつつ「来べき宵なりささがにの」で橋掛りを歩み出して、舞台に向かいます。

上掛の本とはシテと頼光の詞章の配りがいささか異なり、頼光「蜘の振舞かねてより 知らぬというに猶近づく」でシテはシテ柱あたり。シテ「姿はチチウ(蜘蛛)のごとくなるが」で常座からワキ座を見込み、頼光「かくるや千筋の糸筋に」でシテが正中に向けて巣糸をかけます。

シテ「五体をつづめ」頼光「身を苦しむる」で地謡に。
頼光は肩脱ぎになり、立ち上がって太刀を抜き一畳台から飛んで下りますが、ここにシテが巣糸を投げかけ、これを太刀で薙ぎ払う型。・・・実際はうまく太刀に絡めるようにすくい取って、蜘蛛の巣糸がかかった様が強調されるような動きです。

シテと頼光の攻め合いで巣糸が何度か投げられ、地謡の最後「形はきえて失せにけり」で頼光が常座まで追うと、一ノ松まで逃れたシテが最後に巣糸を一投げして退場します。

代わって早鼓のうちにワキ独武者の大日向さんが、白大口に掛け素袍、士烏帽子の姿で登場します。火急の事態に急ぎ駆けつけたという様子で常座に。「御声の高く聞こえ候ほどに馳せ参じて候」と声をかけます。

頼光は一畳台のワキ正側に腰をかけ、先ほどの様子を語ります。
シテの語りを聞いたワキは、太刀つけのあとを見ると血が流れているので、この後を辿って化け物を退治しようと言い、早鼓で走り入ります。
頼光と太刀持も続いて退場し、代わってアイ独武者に仕える下人が、括り袴に肩衣を肩脱ぎにし、右手に持った杖を突きつつ登場してきます。
常座に出て立ちシャベリ。これまでの経緯を述べ、触れをしての退場です。

アイが退場すると一畳台が下げられ、代わって緑の引廻しを掛けた塚の作り物が運び出されて大小前に据えられます。
以前の鑑賞記では、一畳台が大小前に動かされて、その上に塚が置かれる演出でした。

さてこのつづきはまた明日に
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土蜘蛛さらにつづき

一声。後ワキ独武者は白大口に法被肩上げ白鉢巻きを締め、ワキツレ従者を従えて橋掛りに出て一セイ。
地謡の「崩せや崩せ 人々と」の謡のうちに立ち位置を変えて、ワキツレが先に舞台に入ってワキ座へ向かい、ワキは後から舞台に入って常座に立ちます。

地謡が大ノリで謡うに合わせて、ワキ、ワキツレは一度向き合ってから、ワキが角へ。ワキツレが笛座へと向かい、ワキはゆっくり舞台を廻ってワキ座に立ち、塚に立ち向かう形。
「鬼神の形は 顕れたり」との地謡で引廻しが下ろされ、赤頭に法被、半切の後シテが作り物の中で床几に腰を下ろした形で姿を現します。作り物には蜘蛛の巣のように紙テープ様のものが張られています。

シテが「汝知らずやわれ昔」と謡い出し、ワキ一同は太刀に手をかけて構える態。
独武者の謡から地謡となり、ワキ一同はゆっくりと塚に寄っていきます。
シテは「蜘蛛の精霊千筋の糸を」で、作り物の巣を破ってワキに巣糸を投げかけ、作り物から出ての舞働になります。

舞働からも、何度か巣糸を投げかけ、シテ、ワキの戦いが続きますが、ワキ一同がシテを取り囲み、シテが安座して切り伏せられた形。シテは切戸口から退場です。
ワキが常座に立って留拍子を踏み、終曲となりました。
(52分:当日の上演時間を記しておきます)

ところで、この能の土蜘蛛は平家物語剣の巻に出てくる、頼光の山蜘蛛退治の話が元になっているようです。剣の巻では、渡辺綱が鬼の手を斬った話に続いて、瘧病を煩っていた頼光のもとに身の丈七尺程の怪しい僧が現れたので膝丸をもって斬りつけたという話が出てきます。頼光の四天王が血の跡を追って北野の塚を見つけ、これを掘り崩したところ四尺ばかりの山蜘蛛が出てきたので絡め捕ったという話です。

平家物語には多くの異本があり、現在、出版されている多くのものは明石検校覚一が書き留めさせた覚一本を底本にしており、私も覚一本の一つである高野本を底本にした杉本圭三郎さんの訳注本を使っています。しかし覚一本には山蜘蛛退治の話が出てくる「剣の巻」は無く、巻十一に「剣」という章はあるのですが、これは草薙剣の話が書かれているだけにすぎません。

「剣の巻」は流布本などに見られるようですが、渡辺綱が鬼を斬った鬚切と頼光が土蜘蛛を斬った膝丸を中心に据え、草薙剣をはじめ剣をめぐる様々な話が書かれています。不思議な話が多いのですが、土蜘蛛だけでなく鉄輪の話もこの中に出てきます。
秘伝中の秘伝とされていたらしいのですが、平家物語の成立なども調べてみると興味深い物が多々有りそうです。
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東京観世会を観に行く

本日は東京観世会を観に出かけたのですが、いつもながら渋谷の人混みには参ってしまいます。
109前あたりって、一体全体、なんであんなに人がいるんでしょうねぇ・・・

しかも帰りは山手線が、池袋と田端と二度も時間調整。あやうく特急に乗り遅れそうになるし、しかもその特急が先行する列車の故障で止まってしまうし・・・いやはやでありました。

それはともかく、本日は能が「白楽天」と「松虫」の二番。狂言はついこの間も観たばかりの「鐘の音」という番組。ほかに仕舞が四番。
いずれもなかなか良かったです。

ちょっと仕事が立て込んでいて、鑑賞記を書いている暇が作れません。
そのうち・・・ということで、まずは目の前の仕事を片付けてしまおう。

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