能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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碇潜(禅鳳本による) 浅見真州(銕仙会定期公演)

観世流 宝生能楽堂 2013.11.08
 シテ 浅見真州、前ツレ 浅見慈一 長山桂三
  子方 谷本悠太朗、後ツレ 北浪貴寬 浅井文義
  ワキ 森常好、アイ 高野和憲
   大鼓 亀井広忠、小鼓 曾和正博
   笛 松田弘之、太鼓 小寺佐七

碇潜、いかりかずき(かづき・・・と書きたいのですが、現代仮名遣いではこちらの方が正当でしょうか)は、このブログ二度目の登場です。ただし今回は(禅鳳本による)と注釈のある通り、金春禅鳳の本に基いて古い演出の形を復活させた一番です。

前回は国立能楽堂での観世流岡久広さんの演能(鑑賞記初日月リンク)の鑑賞記を書いています。こちらは船出之習の小書が付いていました。

その折の鑑賞記にも書きましたが、この曲、現在は観世流と金剛流のみが上演曲としています。しかし演出が違いまして、金剛流は後場にツレ二位の尼と大納言の局が登場しますが、観世流はツレの出ないのが基本の演出になっています。
しかし前回鑑賞記に書いたように、観世でも船出之習の小書が付くと金剛と同様に後ツレが登場する形になります。このあたりの異同については、今回少しばかり調べてみましたので、この曲の鑑賞記の後に書いておこうと思います。

さて今回の演出は、金春禅鳳の本をもとにより古い時代の演出を復活してみたという試みで、前ツレが出たり、碇の作り物を出したりという賑やかなものでした。
常の演出との違いなどについては、後ほど小書の形を含めて触れることにして、明日からは、まず舞台の展開を追ってみようと思います。
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碇潜のつづき

舞台は先ず次第の囃子。
無地熨斗目着流しに茶の水衣、角帽子のワキ旅僧が登場して次第の謡。正面に向き直って名乗り。ここでは以前の鑑賞記にも書いた通り「平家の一門が長門で果てた」との一節は無く、単なる「西国行脚の僧」と名乗ります。このあたりは当然ながら下掛の謡本の通りです。続いて道行。

ワキが「早鞆の浦に着きにけり」と謡い納めて着きゼリフ。「心静かに一見せばやと思ひ候」と云ってワキ座に着座すると一声の囃子です。

後見が登場して舞台上に三艘の舟を並べます。一艘は本幕から二艘は切戸口から持ち出し、本幕から持ち出した舟を正中にして、三艘を目付柱に近い方から、笛座にかけて並べた形です。
安芸太郎の浅見慈一さんが先に立ち、シテ、最後に安芸次郎の長山桂三さんが、いずれも着流しに褸の水衣、腰蓑を着け右手に棹を持って登場。シテは尉の形ですが、ツレ二人は若い男で着付けは無地熨斗目。舞台に進んで太郎が角の舟、シテが中央の舟、次郎が笛座寄りの舟に乗り込んで、シテの謡になります。

ここで謡われるシテの詞章は現在の謡本にはありません。金剛流も常の形ではこの謡はなくて直ぐに「磯千鳥・・・」の謡になりますが、前場に子方を出す演出をとる際には、このシテの謡が謡われるようです。このあたりの異同は後ほどあらためて・・・。
ともかくもシテの謡の後、シテツレ三人で「磯千鳥 友呼び交はす声すなり」と謡い、シテ「海士の子供も」三人「心せよ」と謡って舟漕ぐ形となります。

ワキが立ち上がって「なうなうあの舟に便船し候はん」と声をかけます。謡本では、シテが船賃を問い、ワキが船賃は持っていないと答えると、シテの「門司赤間や波風の・・・」に続きますが、今回はこのやり取りが複雑で、シテが船賃を問いワキが持っていないと答えるまでは一緒ですが、その後、ワキが安芸太郎、安芸次郎、シテ尉の三人にそれぞれ船賃はなくても乗せてくれるようにと問いかけ、これを三人がそれぞれに拒むというやり取りが入ります。
三人が拒んでシテの謡「門司赤間や波風の」になりますが、このつづきはまた明日に
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碇潜さらにつづき

シテの謡で「無道心なる僧」と云われたワキは、「無縁の僧から船賃を取ろうと思う人こそ無道心」とやり返し、シテは話を転じて首に懸けたものは何かと問いかけます。

詞章通りなら首から下げた経巻を示すところでしょうけれども、ここは懐から巻物を出して右手に持ち「これは一乗妙典なり おん望みあらば読誦せん」とワキが答えます。ツレが「さては御僧の読誦をわれらが船賃にて」と謡い、ワキ「今この船に法の道」シテツレ三人「いざ聴聞せん・・・」で一同が着座し、ワキが巻物を広げて「妙法蓮華経・・・」と読誦する形です。

シテ「こは渡りに船・・・」と三人合掌します。地謡でワキは巻物を巻いて懐に入れ、一同立ち上がると、中央に置かれたシテの舟の前側にワキが下居し、乗船した形となります。
「げにや洩らさじの誓ひの船に・・・」あたりでシテは舟漕ぐ形で揚げ幕からワキ正あたりを見回し、正面に直して地謡の終わり。シテが舟が着いたと声をかけ、ワキが答えて舟を下りた様子でワキ座に立ちます。

ワキは「思ひもよらぬ所望」と云いつつ、源平の軍物語を聞かせて欲しいと求め、シテが答えて一同着座。シテの語となります。
語の詞章は微妙に謡本とは違っていますが、要は能登の守教経が奮戦しているところに、知盛から「然るべき者」と戦うようにと使者が来たため、敵の大将九郎判官(義経)を探して判官の船に乗り移った。判官が味方の船に飛び乗って逃れたので、教経は腹を立て長刀を捨てて立っていた。と、シテとツレ二人の掛け合いの形で謡が進みます。
シテは下居して語る形ですが「教経はせん方もなく」で立ち上がり「長刀投げ捨て」あたりから拍子を踏んで怒る様を見せます。

三人が「かかりけるところに」と謡って地謡。ツレ二人も立ち上がり「安芸の太郎同じき次郎」とシテに向かって棹を構えて戦う形を見せます。
「彼らを掴んで引き寄せて」の謡で二人が中の舟移り、シテがツレ二人を抱え込む形になると「左右の脇に挟んで波の底に沈みけり」で三人が舟から飛んで出て沈み込みます。
笛の音で静かに立ち上がるとそのまま橋掛りに進み、二ノ松から一ノ松にかけて三人が並びます。謡本にあるシテの「さてこそ人々の」はワキが謡い、地謡「幽霊ぞとは・・・」であらためて三人は歩み出して中入となりました。
出した時と同様、シテの舟は本幕から、ツレの舟は切戸口から下げて、アイの出になりましたが、このつづきはまた明日に
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碇潜さらにさらにつづき

中入で登場したアイはこの浦里に住まいする者と名乗り、旅人を待って渡そうと思う旨を述べて角に進み、ワキに気付いて型通りの問答となります。
ワキの求めにより源平両家の合戦の様を居語りに語ります。

讃岐国志度の合戦に敗れた平家一門は元暦二年早鞆の浦にやって来たが、源氏が寄せて再び戦いになった。平家の命運も尽きたのか、主上八歳、山鳩色の御衣にびんずら結わせ、伊勢神宮に御暇された。二位殿が、これより西方に西国浄土として国がある、御幸あれかしと泣く泣く申しあげ、二位殿は立ち上げって主上の目を塞ぎ玉体を抱いてそのまま海に入られた。一門の人々も続いたが、中でも門脇殿の教盛、経盛の御兄弟は手に手を取って海に入られた。
能登殿は小舟を走らせていたところ、安芸の太郎、次郎が寄せ懸かってきた。教経は「寄れ、冥土の伴をせよ」と言い、兄弟を両脇に挟んでそのまま海中に入られた。
また新中納言知盛は乳人子の家長ともども、急ぎ主上のお供をしようと鎧二重ねに碇を被いて、二人して海中に入った。

と戦の様を語ります。
こののち、詳しいことは知らないが聞いている通り申し上げたなどという型通りのやり取りになり、ワキが弔うことになってアイは退場します。

ここで船出之習と同様に大船が出されてきます。
実はこの部分の記録を取ったメモを紛失してしまいまして、いささか怪しいのですが、大屋形船というのでしょうか、引廻しを掛けた船が持ち出されて大小前に据えられました。
用意が調うとワキの謡が始まります。平家の跡を弔っていると、不思議なことに大船(ダイセン)が浮かんできて、船の中からは琴の秘曲を弾ずる音が聞こえてくる様子が謡われます。
いよいよ後シテが姿を現すところですが、このつづきはまた明日に
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碇潜またつづき

ということで「また」のつづきです。

引廻しのかかったままの船中から後ツレ二位尼の謡い出し。浅井文義さんの特徴ある声です。二位尼のサシを受けて子方安徳帝が「楫枕 せめては月を松風の」と謡い、地謡に。
船出之習では後場は二位尼と大納言の局が出ますが、今回の演出ではさらに子方安徳帝が登場します。

クリ「それ身を観ずる時は岸上の草・・・」で引廻しが外され、二位尼と床几に腰を懸けた安徳帝が船の中央に、笛座側には大納言の局、シテ柱側には後シテ知盛の霊が姿を現します。たしか屋形の部分を巻いていた引廻しが一度広げられ、中央部分に固まっていた後シテ、後ツレ大納言の局がそれぞれ船の前後の部分に移動してから引廻しが下ろされたと記憶しています。(この部分もメモを紛失しました)

二位尼のサシから地謡。「新中納言知盛 二位殿に向ひ宣ふやう 今はこれまで候・・・」の謡に合わせ、シテは二位尼を向いて頭を下げます、クセになり「白き御袴の つま高う召されて」で二位尼が立ち上がり「大納言の局に内侍所を戴かせ」で局を向くと、局も二位尼の方に向き直ります。「皇居に参り跪き」と二位尼は子方を向き下居。

「さすが恐ろしと思しけるか」を二位尼が謡い、地謡「龍顔に御涙を浮めさせ給ひて 東に向はせおはしまし」ここで子方が立ち上がりワキ座方東方に合掌。「天照大神に御暇申させ給ひ 其後西方にて御十念も終わらぬに」で今度は二位尼の方に向き直ります。
「二位殿歩み寄り」で二位尼が子方に寄って立ち上がり「玉体を抱き目を塞ぎて」と子方を連れ「波の底に入り給ふ」と船から前に出て下居。大納言の局も船から出て下居し、ここで三人が入水の形となります。

「語るもよしなや跡弔へや僧達」の謡に三人は立ち上がり切戸口から退場します。
さてこのつづき、もう一日明日に
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碇潜もう一日のつづき

地謡で三人が切戸口に向かい「夜すがらくどき給ひしに」の後「俄にかきくもり」から調子が変わって早くなり、シテは左袖を返して腰を浮かせ「すはまた修羅の」と謡って立ち上がると、地謡が「合戦の始まるぞや」と謡い早笛になります。

早笛の囃子のうちに大きな碇が持ち出され、ワキ座前に置かれます。
碇には道成寺の鐘のように紫の綱が付けられていて、ワキ座前の碇から地謡座の前に綱が延ばされます。

シテは白狩衣を衣紋着けにし、黒垂に風折烏帽子の姿。「波のうえに浮び出でたるは何者ぞ・・・」と謡い、長刀を右手に構えます。
「また瞋恚が起るぞとようらめしや」とシテが謡って地謡。「修羅の戦始まれば」でシテは船を出、舞台上に進んで舞働です。船出之習では、シテ「すはまた修羅の」地謡「合戦の始まるぞや」で舞働になりましたが、この演出では舞働の入る場所が違うようです。

長刀を持って、舞台上を文字通り舞い働きし、合戦の様を見せます。
舞働の後は地謡「修羅の戦始まれば」を繰り返すところから謡い舞いになり、「御座船には目もかけず」と角から常座に開キ。シテ「平家の公達艫へに回り」で足拍子踏んで角へ。長刀構え「大長刀を 茎長に取り延べ左を薙ぎては右を払い」と長刀を振り、戦う形です。

「多くの敵を亡ぼしけるが」と戦いますが「今はこれまで沈まんとて」と長刀を捨て、「鎧二領に兜二はね」で船に乗り、碇の綱を取ると「碇の大綱いやいやと引き上げて」と碇を引き寄せ、差し上げると船を下りて橋掛りへ。
一ノ松で欄干に足をかけ「海底に飛んでぞ 入りにける」と、碇を捨てて安座し、入水した形で留となりました。
(84分:当日の上演時間を記しておきます)
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碇潜を巡って

ともかくも、今回の舞台の様子を書き綴ってみました。
鑑賞記としては昨日までの通りですが、今回、禅鳳本による演出ということで様々な変化がありました。以前鑑賞記を書いた船出之習ともまた異なっています。こうした違いについて、いささか調べもし、考えてもみましたので、本日から少しばかり書いてみようかと思います。
と言っても、私自身は別に研究者という訳でもなく、地方の勤め人ですので調べられる資料にも大きく制限があります。あくまでも手に入る限りの資料や、聞いた話などのなかで、あれこれと考えてみたという次第です。度々書いています通り、自分自身の覚書的な意味合いの強いブログですので、そのあたりは斟酌のうえお読み頂ければと思います。

さて碇潜という曲が、現在では観世流と金剛流のみで演じられることは度々書いる通りです。金剛流の方は実際に観たことはないのですが、以前にも書いたように、謡本などで辿る限り観世流の船出之習と同様、後場に二位尼と大納言局が登場する形です。
今回の演出は、この曲のオリジナル金春禅鳳の本に基づいています。この古い形では前ツレ男二人、後ツレ二位尼、大納言局、そして子方安徳帝が登場する訳ですから、観世流の小書無しの形よりも金剛流や船出之習の形の方が古い演出ということになりましょう。
なお禅鳳の本は、法政大学能楽研究所のデジタルライブラリーで自筆本ではありませんが転写本を見ることができます。

さて禅鳳本の形を再現するにあたっての経緯が「銕仙630」号に掲載された碇潜の解説に触れられています。銕仙会では平成10年、大槻文藏さんのシテで船出之習の小書付の演能があり、この際に碇を出したのが出発となったとあります。観世流では小書のありなしに関わらず、碇の作り物は出さないのが基本ですが、これを出してみたという次第です。
翌年、大槻能楽堂で浅見真州さんのシテにより「古演出による」という小書で上演され、この時は前場で舟三艘を出す演出が試みられたとあります。

こうした試みを重ねながら今回の演出に到ったということで、今後もさらに見直しが続いていくのかも知れません。
さてこのつづきはまた明日に
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碇潜を巡ってのつづき

今回の禅鳳本による演出が、金春禅鳳オリジナルとどのくらい近いのかは、なにぶん当時の演出がわからないので見当がつきません。しかし登場人物は確認できるので、その点は間違いないとすると、オリジナルの形から船出之習、そして小書無しの現行の形へと、登場人物が整理され、削られていくのがわかります。
鑑賞記中にも書きましたが、金剛流でも前場に子方二人を出すという演出があるようで、こちらの方が古い形に近いのでしょう。

この整理、わかるような気がするのです。
登場人物が多く写実的な方が面白いのですが、あまり能らしくない・・・能らしいというのも思い込みなのだと思いますが、世阿弥の目指した能の極致とは方向性が違うように思えます。世阿弥だったらこんな風には作らないだろう・・・と、改作者も考えたのではないかと思うのです。
特に前場、ツレ男二人が登場し(子方でも同じですが)シテを中心に三人が中入りする形では、前ツレは明らかに能登の守教経の霊になってしまいます。いやそういう意図で書かれた曲なのでしょうけれども、後シテが知盛の霊であるのを考えると、なんとなく前場は「平家の公達の幽霊である尉」に留めておきたい感もあります。
私の聞き違いかも知れませんが、当日の間狂言の最後に「知盛の幽霊現れ」という一句があったように記憶しています。
前後でシテの人格が違う曲も珍しくはありませんが、なんとなく落ち着きが悪い感じもするのですが・・・。

ともかくも、まずは前ツレが整理されて、前場はシテ尉のみが登場する形になったのだろうと思います。続いて後場ですが、たまたま銕仙会の当日、近くの席の女性が後場の大屋形船を見て笑い出しました。もちろん笑いを抑えて・・・ではあるのですが、後で友人と思われる同行の方に、なんだか大きなものが出てきて広げた幕の内側で人が動いているのを見ていたら可笑しくなってしまったと、そんな話をされていました。
当日、脇正面だったので、横からシテやツレの動きが垣間見えたこともあるのですが「可笑しい」と思う人も居るんだなぁと、妙に納得したところです。
大屋形船が出てくるなどというのは他曲にはありませんし、これまた能らしくないということなのかも知れません。
さてこのつづきはまた明日に
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パソコンが不調です

・・・このつづきはまた明日に・・・
と直前に書いたのですが、パソコンの調子が極めて不安定でいつ止まってしまうか・・・危ない状況です。

既に前月終わり頃から不調で、いろいろ試しても直らないので、新しいパソコンをオーダーしてあります。
なんとかパソコンが届くまでは、騙しながら使っていこうとしているのですが、ついさっきも突然電源が落ちました。何度か再投入して動き出しましたが、いつまた止まるかも知れません。

そんなわけで、明日以降、もしかしたらしばらく更新できなくなる可能性があります。
更新がされない状況が続いた場合は、そういう事情とご理解下さい。

碇潜を巡ってさらにつづき

本日も、パソコンを使っている途中で二度ばかり電源が落ちましたが、今はかろうじて動いています。

さて「碇潜」の観世流の本をネットなどで辿ると、明治17年発行の観世流謡本では現行通り、ツレの登場しない形で記載がされています。この本の奥付には以下の記載があります。
 右之本者観世太夫章句真本令版行畢
 正徳六丙申歳弥生
 示来荏苒数十年ノ星霜ヲ経ルニ従ヒ改正増補ヲ加ヘシモ
 印刷ニ附セサレハ之ヲ世ニ公ニスル能ハサルヲ悲ミ今般
 宮内省御用達観世清孝ノ校合ヲ以テ之ヲ上梓ス
 明治十七年七月五日 出版御届
 同   年七月   刻成発兌
 出版人 檜 常之介

正徳六年は1716年で、当時の観世太夫は十四世織部清親ですが、この時期には既にツレの登場しない形に整理されていたのだろうと想像されます。また明治26年観世清廉訂の謡本は、観世太夫織部の真本の章句により天保十一年に京都の山本長兵衛が出版したものを底本にした旨の記載がありますが、こちらも内容は同じで、やはり十四世織部清親の本が元になっているようです。

ところが大正11年に観世元滋(後の二十四世左近)名義で出版された本では一転して船出之習の形、後ツレが出る詞章が記載され、その後に「當分ノ内能ノ節中入後ハ是ヨリ」と注記があって現行の後場の詞章が記載されています。
その後、昭和18年の大成版になると今度は逆になって、本文は現行の詞章により記載され、その後に「中入後ハ左ノ如クニモ」とあって船出之習の形が記載される形に変わります。現在の大成版はこの「中入後・・・」の記載が「船出之習ノ節ハ中入後左ノ如ク替ヘル」と変わっていますが、基本形は昭和18年の大成版と同様です。

このあたりの変遷は、なかなかに想像をかき立てます。
が、長くなりそうなのでもう一日だけ明日につづきます
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碇潜を巡ってもう一日のつづき

実はもう一つ、聞きつけた話があります。
同じ観世流でも梅若六郎家や観世喜之家では、小書無しでも後場に大屋形船に乗って二位尼と大納言局が登場し、しかも碇を出すという話です。

昨日の記載に戻りますが、明治26年の謡本が底本としている天保十一年山本長兵衛刊の本は「観世流謡別能二十八番」とされていて、これに収録されている二十八番は江戸時代には観世座の正式な演目とはされなかったと言われています。碇潜以外では、飛雲や放生川など遠い曲もありますが、雨月や水無月祓など比較的上演の多い曲も含まれています。
さてこの二十八番を現在で言う「復曲」するについて、初代梅若実が大きく関わっていたと言われています。このあたりは武蔵野大学客員教授をされている三浦裕子さんが梅若実日記などから詳しく調べておられるようです。ともかく碇潜も、初代「実」は明治32年頃から何度かの試演を繰り返した上で、明治41年に初演しているとのこと。この明治41年は、初代が82歳で亡くなった明治42年の前年ですから、本当に最晩年までレパートリーを増やす努力を続けられた希有な方、ということのようです。

さてこの梅若の碇潜ですが、おそらくは後場に大屋形船に乗った後ツレが出、碇も出されたのではないかと想像しています。
観世喜之家の初代観世清之は一時梅若実の養子となり梅若六郎を襲名していましたが、後に梅若実に実子が生まれたため観世に復し清之を名乗った経緯があり、六郎家と密接な関係にありました。六郎家、喜之家いずれもが後ツレの出る形を基本にしているとすれば、源流はこの初代実の演能にあったと考えるのが筋が通ると思います。

ところで初代実の没後、謡本の発行などを巡って従来から争いのあった観世、梅若の関係が抜き差しならないところに至り、大正10年に梅若流が独立するという事態になります。
さて昨日取り上げたいくつかの謡本のうち観世元滋名で発行されたものは、まさにこの翌年大正11年の発行です。ここに収録された碇潜が、後ツレありを本文とし「當分ノ内」は能の際、後ツレなしの形とする旨記載したのは、この梅若との経緯があってのことと想像されるところです。
一つだけ解せないのは、以上のような経緯だったとして何故銕之丞家の碇潜が、後ツレを出す形ではないのかということです。梅若流独立の際は、当時の梅若万三郎、梅若六郎、観世銕之丞(六世)の三人が中心となっており、また六世銕之丞の夫人は初代実の娘という血縁関係にもありました。
もっともその後を見ると、銕之丞家は宗家との関係を深めていますし、いち早く観世流に復帰し大成版謡本の編纂にも協力していますので、いささか立ち位置が違うのかも知れません。

と、まああくまで想像の話ですが、いくつかの資料を見ながら、なにかと考えてみるのもまた一つの楽しみという次第です。

ここまででこの項を終わりにしようと思います。
なんとかパソコンがもって良かったというところです。これからパソコン到着までの数日間、ブログ更新をお休みしようかと思っています。なにしろ、いつ止まるかわからないのをだましだまし使っているのはけっこう負担でして・・・
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ようやくパソコンも安定してきまして・・・

これまで使っていたパソコンが不調のため、新規に購入したパソコン。
設定も終了し、ようやく使い勝手がわかってきました。

ということで、本日より久しぶりに鑑賞記を再開しようかと思います。
しばらく間が開いていますが、まずは昨年11月の東京観世会から書いてみようと思います。

それにつけても今年の冬は寒いような気がします。
パソコンも寒さに参ったのか・・・

白楽天 高梨良一(東京観世会)

観世流 観世能楽堂 2013.11.23
 シテ 高梨良一、ツレ 北浪貴裕
  ワキ 殿田謙吉、アイ 野村扇丞
   大鼓 柿原崇志、小鼓 大倉源次郎
   笛 一噌庸二、太鼓 観世元伯

この白楽天という曲、脇能の一曲ですがいささか珍しい作りの曲です。
まず曲想が変わっていまして、日本の智慧を計ろうとやって来た唐の詩人白楽天を、漁翁に身をやつした住吉明神が問答の末に追い返すという、まず他曲にはない展開となっています。

さらに、ワキがその白楽天であること。
一般に脇能のワキは大臣ワキと言われるように、時の帝の臣下や然るべき神社の神官であるのが普通です。
登場に際しては真ノ次第が奏されますが、翁付の形で演じられるときは音取置鼓で出る開口という形になります。以前の鑑賞記にもこのあたりの記載がありますので、あわせて参照いただければと思います。(翁付老松の鑑賞記月リンク

一方この曲では、唐からやって来て追い返される白居易がワキという設定のため、観世流では半開口という独特の形式を取ります。音取置鼓で出たワキが名乗りを上げる形です。
この曲では翁付でなくともこの特殊な形をとりますが、下掛三流では他の脇能同様に真ノ次第で出る形としています。
このため金春、金剛、喜多の謡本にはまずワキの次第「舟漕出て日の本の 舟漕出て日の本の そなたの国を尋ねん」があり、これに続いてワキの名乗りとなります。
観世では舞台の様子としてこの後書きますように、先ずワキの名乗りがあり、その後に次第が謡われる形です。なお宝生流は現行曲としていません。

さてその舞台の様子は明日につづきます
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白楽天のつづき

実際の舞台の流れですが、一同着座するとまずは音取、笛の吹き出しです。
続いて小鼓。さらにもう一度、笛、小鼓と繰り返した後、次の笛に小鼓がアシライ幕が上がります。

ワキは白大口に袷狩衣、唐冠の姿。ワキツレ二人は赤大臣の姿で登場し、ワキはそのまま正中まで進みます。
ワキツレは橋掛りに下居して控え、ワキの半開口「そもそもこれは唐の太子の賓客 白楽天とは我が事なり」と名乗り、続けて東の国、日本の智慧を計れとの宣旨を受け海路に赴く旨を述べます。

ワキツレが立って舞台に入り、三人向き合って次第「船漕ぎ出でて日の本の 船漕ぎ出でて日の本の 其方の国を尋ねん」。続いて道行を謡い、ワキの着きゼリフとなります。ワキツレが「然るべう候」と受けて、一同ワキ座に着座します。

今度は囃子が真ノ一声を奏し、幕が上がるとツレの男が深草色の無地熨斗目着流しに青緑のヨレの水衣肩上げ、右肩に釣り竿担って先に橋掛りを進み一ノ松で向き直ります。
シテは型通りの尉姿、小格子厚板に水衣肩上げ、同じく釣り竿を担って後から出、ツレと向き合っての一セイです。

「不知火の筑紫の海の朝ぼらけ 月のみ残る景色かな」をシテ、ツレ二人で謡うと囃子のアシライ。ツレが先に出て舞台に入り、正中に立ちます。シテが続いて常座に進み、ツレは竿を担ったままですが、シテは竿を肩から外して右手に提げた形でサシ「巨水漫々として碧浪天を浸し」と謡います。
続いて二人向き合い謡が続きます。范蠡の故事を引き海上の景色の面白さを謡う風情あるところ。続いて下歌、上歌と謡い続けます。

上歌の終わり「一夜泊りと聞くからに・・・」でシテ、ツレは立ち位置を入替え、ツレは後見に竿を渡し扇を持って目付へ。シテは竿を持ったまま大小前に立ち、これに合わせるようにワキが立ち上がります。

さてこのつづきはまた明日に
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白楽天さらにつづき

ワキは「小船一艘浮かめり」とシテの乗る舟を認めた風で「日本の者か」と問いかけます。シテは漁翁の姿ながら、ワキへの返事に「御身は唐の白楽天にてましますな」と、いきなり白楽天の正体を見抜きます。

驚いたのが白楽天、初めてこの地にやって来たのに、どうして白楽天とわかったのだと謡いかけ、ツレ、ワキ、シテの掛け合いの謡から地謡の上歌へと続きます。
この謡で、漁翁と若い男は、白楽天が日本の智慧を計ろうとやって来ると聞いたので、西を眺めて待ち構えていたのだと明かします。
地謡になると、ツレはシテの後ろを回って笛座前に着座し、ワキとシテが向き合う形になります。「あらよしな釣り竿のいとま惜しや 釣垂れんいとま惜しや釣垂れん」の謡に、シテは常座に戻りつつ竿に巻かれた釣り糸をほどき、常座からワキ正側、舞台下に釣り糸を垂れる型を見せます。

ワキがさらに尋ねたいことがあるので舟を近づけて欲しいと言い、シテは後ろを向いて後見に釣り竿を渡すと扇に持ち替えて正面に向き直ります。これで舟を近づけ白楽天に寄ったという様子。この曲、舟を出しませんので、舟は見所の心の内。

ここからシテ、ワキの問答になります。
楽天は日本では何事を翫ぶのかと問いますが、漁翁は唐土では何事を翫ぶのかと、逆に問い直します。楽天は唐土では詩を作ると言い、漁翁は日本では歌を詠むと答えます。
こうしたやり取りの内に、楽天は
青苔衣をおびて巌の肩に懸り
白雲帯に似て山の腰を圍る
と詩文をあげ「心得たるか 漁翁」とシテに示します。

漁翁はこれに対して「面白し面白し」と評し、
苔衣着たる巌はさもなくて
衣着ぬ山の帯をするかな
と和歌で返します。
この詩と和歌には原典となったものが、この曲が作られる二、三百年前にあった様子ですが、ともかくも漁翁に姿を変えた住吉明神が見事に白楽天に日本の智慧を示したという場面。
さてこのつづきはまた明日に
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白楽天さらにさらにつづき

楽天は、賤しき漁翁が見事な歌を返したことに驚き漁翁に名を尋ねます。
しかしシテ漁翁は名を名乗らず、さらに日本では人間だけでなく、生きとし生けるものすべてが歌を詠むのだと言い、正中に進んで下居し、肩上げを下ろしてクセになります。

居グセの謡は、鶯の鳴く音がそのままに三十一文字の和歌であったという故事を引きます。この曲全体に古今集仮名序の主張を色濃く反映したということでしょうか。
クセからロンギ。和歌に加えて舞楽も見せようとシテが言って立ち上がります。
太鼓コイ合、シテが常座に立って「葦原の」と謡い出し、地謡が「国も動かじ万代までに」と続ける中、シテは一度扇を差し出して開キ、後ろを向くと来序で中入となります。
この中入はいささか変則的な形で、もともとは中入せず物着の様な形だったのではないかとも言われています。

シテが退場すると代わって狂言来序でアイの出。面を着け末社出立で登場したアイは、常座まで出て扇出して開キ、住吉の明神に仕える末社と名乗ります。
唐の太子の賓客、白楽天が日本の智慧を計りに来ると知った住吉明神が、小船に乗ってさあらぬ態でこれを待ち構え、問答になった子細をシャベリます。

白楽天が帰国するということなので様子を見てみよう、と言って目付に出てワキの様子を覗うと、「存じたよりも凛々しい態」なので自分のような者が出るのも拙かろうなどと言って三段之舞を舞い、退場します。扇丞さんらしい剽げた雰囲気があります。

出端の囃子で後シテの出。深緑の色大口に金地紋の袷狩衣。老体ですので皺尉の面、白垂に初冠を着けて登場です。
橋掛りで一セイを謡い、舞台に入ると常座からサシ込み開キ、達拝して真ノ序ノ舞になります。後場はなかなかに良い雰囲気でした。老体ではありますが、住吉明神ということで凛とした勢いがあり、荘重でありつつ颯爽とした風も感じました。

舞上げてワカ、地謡と続き、ワキ白楽天に「立ち帰りたまへ楽天」と胸差してキメると、地謡に合わせて舞い、最後は「神と君が代の動かぬ国ぞ久しき 動かぬ国ぞ久しき」と左袖巻いて留拍子を踏み、終曲となりました。
(103分:当日の上演時間を記しておきます)
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