能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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松虫 泉雅一郎(東京観世会)

観世流 観世能楽堂 2013.11.23
 シテ 泉雅一郎
  ツレ 金子聡哉 小檜山浩二 岡庭祥大
  ワキ 福王和幸、アイ 山下浩一郎
   大鼓 亀井広忠、小鼓 森澤勇司
   笛 藤田貴寬

11月東京観世会の二曲目は松虫です。
以前、喜多流の梅津さんがなさった際の鑑賞記(鑑賞記初日月リンク)にも書いたのですが、この曲のテーマがどうもよく分かりません。不思議な話・・・というところですが、ともかく舞台の様子を書いてみます。

まずは名宣笛でワキの出。緑系の段熨斗目に素袍上下の出立で、素袍も緑の地に白紋がまるで唐草文様のように見えるもの。常座まで出て、津の国阿倍野あたりに住まいする者と名乗ります。市に出て酒を売っていると、若い男達がたくさんやって来ては酒を飲み、酒宴をなしていく。なにやら不審に思うので今日も来たなら名を尋ねてみよう、などと言ってワキ座に着座します。

続いて次第が奏され、シテ、ツレの一行が登場してきます。
シテは段熨斗目に白大口、鮮やかな緑の絓(シケ)の水衣を肩上げにし、笠を被っての登場です。続くツレ三人は白大口に無地熨斗目、褸(ヨレ)の水衣を着けています。
喜多流では以前書いたように、ツレが一人しか出ませんので、ツレが先に立ちシテが後から続きました。またシテは笠を被りません。
ツレが一人か、三人なのかというのは、何でもないようで捉えようによれば大きな演出上の違いにもなるように思います。このあたり、後ほど触れてみたいと思います。

また装束について、これまで長年、シケとヨレは片仮名書きとしてきました。本来は今回記載したように絓(シケ)と褸(ヨレ)の字がありますが、シケの字が機種依存文字のため片仮名書きを使ってきた次第です。しかしOSも大きく変わってきた昨今、そろそろこの機種依存文字の考慮を止めようかと思っています。当面カッコ書きで読みを示す形で併用しようかと思います。

なおこの日の装束、シテ、ツレ、ワキが皆、緑がかった装束を着けて、視覚的にも「松虫」らしい雰囲気でした。喜多の梅津さんの時も緑系の水衣だったように記録しています。
舞台の続きはまた明日に
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松虫のつづき

シテを先頭に橋掛りを進んだ一行は舞台に入り、向き合うと次第の謡です。
松虫の音にも友を偲ぶと謡って、シテのサシ、一同の謡から下歌、上歌と続け、上歌の終わりに立ち位置を入れ替えてツレが地謡前に並び、シテは常座に向かうと後ろ向いて笠を外し、一同が正に向き直ります。

ワキが「伝え聞く白楽天が酒功賛を作りし・・・」と謡い出します。この日の一曲目が白楽天だったことに呼応するような謡。続けて「いかに人々酒召され候へ」と声をかけ、シテとの掛け合いになります。

ワキが「早くな帰り給ひそとよ」と言い、シテはワキを向いて「なに我を早くな帰りそとや」と念を押すように尋ねます。月を見捨てなさるなとのワキの言いに、シテは言われるまでもなく酒友を見捨てることなどないと応じます。

二人の掛け合いから地謡。
「夜遊の友に馴衣の」と扇差し出して下を見、ワキ方にやや面を上げて「袂に受けたる月影の」と月見る風情。二、三足出て「盃に向へば」と笠を盃に見立てると、目付に出て角トリ。舞台を廻って常座に行くと「変らぬ友こそは買ひ得たる市の宝なれ」と、ワキに向かってサシ込み開キして正面に直します。

ワキが「松虫の音に友を偲ぶ」の意を問い、これに答える形でシテは正中に出、腰を下ろして笠を置くと語りになります。

ある人が阿倍野の松原を二人連れで歩いていたところ、松虫の声が面白く聞こえてきて、一人がその音に引かれて行った。残る一人は暫く待っていたが、友が戻ってこないので探しに行くと既に空しくなっていた・・・と語り、これを受けて地謡。
友を偲ぶ亡霊がここに来たのだという謡に、シテは腰を浮かせて笠を被ります。ツレが先に動き出すと「立ちすがりたる市人の」でシテも立ち上がり、ツレは先に橋掛りに。
ツレの一同は地謡いっぱいにそのまま幕に入ってしまいますが、シテは後からゆっくりと後を追い、一ノ松まで進んで歩みを止め、正面に向き直ります。

ロンギ「不思議やさてはこの世にも」の地謡。シテの謡の後、地謡の「そも心なき虫の音の」でシテは再び舞台に戻り常座に立ちます、
シテ、地謡に掛け合いの後、地謡「我かと行きて」で目付に出たシテは舞台を廻り、常座に戻るとワキに向きサシ込み開キ。あらためて常座から中入となりました。
このつづきはまた明日に
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松虫さらにつづき

間語りは阿倍野あたりに住む者。
シテが退場すると、長上下姿で立ち上がり常座に出て名乗ります。用を足そうと出てきたと言い、正中に進んで両手をつき、ワキに「人が少なくなった市にどうして残っているのか」と問います。ワキは逆にどうして市に来るのが遅くなったのかと問い返し、アイが用事がたくさんあってなどと答えます。
このやり取りから、ワキはアイにこのあたりにて松虫の友を呼ぶ話を聞かせて欲しいと尋ね、これを受けてアイが型通り「詳しくは存ぜず」さりながらと語り始めます。

古、この場所にて「変わらぬ友」と言って若い二人の男がいたが、花鳥風月は言うに及ばず、どこへ行くのも一緒だった。この二人が阿倍野の松原を通っていたとき、長月のこととて松虫が面白く鳴いていた。一人が松虫を探すと言って草むらに分け入ったが、虫の音は間近に聞こえても姿は見えず、精根尽き果てたのかそのまま空しくなってしまった。
一人の友は、やや久しく待ったが友が帰ってこないので草むらに分け入って探し、死体に行き会い嘆き悲しんだ。やがてこれも絶望の果てか草露に空しくなってしまった。
人々はこの二人を不憫に思い、同じ土中に突き込めたと物語り、その後は型通りに弔いのやり取りをして、アイが狂言座に下がります。

ワキはアイが下がると待謡。「かの跡弔ふぞありがたき」と納めて、一声の囃子。
後シテは怪士ですかねえ、黒頭に濃紺のような色目の半切、厚板に褸(ヨレ)の水衣を重ねて登場します。
サシ「あらありがたの御弔ひやな」と謡い出し「魄霊これまで来たりたり 嬉しく弔ひ給ふものかな」とおさめます。魂魄と言いますが、魂が陽の霊、魄が陰の霊とも言われて、魂がこの世を離れていくのに対して魄はこの世に留まるとも言います。魄は「白骨」からこの字義となったとも言いますが、いずれにしても思いを残してこの世に留まる霊が、姿を現し弔いの有り難さに感謝する様子。

ワキが魄霊の出現に気付き「人影の幽かに見ゆるは在りつる人か」と謡いかけ、シテ、ワキのやり取りになりますが、このつづきはまた明日に
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松虫さらにさらにつづき

「このつづきはまた明日に」と書いたときは、まさにそのつもりなのですが、いざその「明日」になってみると帰りが遅くなったり、様々な事情で書けないことも少なくないのが実情です。昨日もそんな一日でした。
という訳で、一昨日の松虫の続きです。
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シテ、ワキのやり取りから、ワキ「古今こそ シテ「変れども 地謡「古里に。住みしは同じ難波人・・・」でシテは扇差し出して開キ、足拍子。続く謡に、サシ込み開キ七つ拍子踏んで左袖を返し、ワキに寄ると「懐かしの心や」と見込みます。

地のクリで大小前に進み正を向いて立つと「朝に落花を踏んで相伴って出づ」と謡い、地謡、シテ、地謡と続いて、地謡の謡の終わり「聞けば心の友ならずや」にゆっくりワキを向いて二足ほど詰めます。
クセになり、右に扇出してやや右を向き、直すと正先に出て「菊の水。汲めども。汲めどもよも尽きじ」と下を見、扇開いて下居し汲み上げる型。立ち上がると正先に差し出し「手まず遮れる心なり」と扇を横に引いて下を見て開キ。「廬山の古虎渓を去らぬ」と角へ小廻りして角トリ。左へ回って笛座前から正中へ。左右打ち込みして上げ端「それは賢き古の」と上扇。その後、大左右から正先、打込開キと、クセの基本的型をなぞります。

クセの終わりに袖返して左右、ワキに向くとシテのワカ。「盃の。雪を廻らす花の袖」と袖を直して扇閉じ、目付に出て後ろを向き開いて黄鐘早舞です。

この曲、いわゆる執心物ということいなろうかと思います。松虫の姿を求めて松原に分け入り死んでしまった友への執心が、シテの魄霊をこの世に留めている訳ですが、後場は必ずしもそうした執心の苦しみを強く見せようという立て付けではなく、むしろ亡き友と楽しき遊びの思い出を懐かしむ風情が感じられます。

黄鐘早舞も遊舞の楽の雰囲気で舞上げて、ワカを謡いつつ上扇。左右から地謡の「機織る音の」に打込開キ。大ノリで「きりはたりちやう」と謡いつつ二度手を打ち合わせます。さらに地謡に合わせてサシ込み開キ、角へ出て「色々の色音の中に」と下を扇で指しつつ回り、「松虫の声 りんりんりんりん」と下見回しながら出て正先へ。
「夜の声めいめいたり」とタラタラと下がり、左右打ち込みして開キます。

袖を直すと「難波の鐘も明方の」と雲扇して大小前から常座へと進みワキに向かって「名残の袖を」とサシ込み開キ。角へ小廻りし角トリして左へと回り、「草茫々たる朝の原に」とワキ座から常座へとノリ込んで正を向いてサシ込み開キ。
「虫の音ばかりや 残るらん」左袖返して留拍子を踏み終曲となりました。

舞台は以上の通りですが、少しばかり思うところを明日に続けたいと思います
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松虫もう一日のつづき

最初に書きました通り、この曲がテーマとするところが今ひとつ理解できないでいます。男同士の愛情なんでしょうか・・・ねぇ。この二人の関係ってどういうことなのか。
まあ、あまり考え込んでも仕方ないことなのかも知れません。以前の鑑賞記に書いたように、古今集仮名序の「松虫の音に友を偲び」をもとに作られた能であることは明白ですし、仮名序の不思議さをどうのこうの言っても仕方ないとも思えます。

後場が執心を仕方に見せるような展開ではなく、黄鐘早舞としているのも、そうした「気分」の曲だからなのかも知れません。
泉さんの後場の演技も、そうした気分を現すような雰囲気で、わけても早舞から後は、流麗というのが相応しい舞姿と感じ入った次第です。

それにつけても、前場でシテの男は何故、若い男達と現れ度々酒宴を催すように描かれているのか、このあたりは不思議なところです。
喜多流のように、ツレと二人で現れたならば、もしやこのツレの男が草露に空しくなってしまった友の亡霊なのではないか、とも思えるのですが、今回のように観世流ではツレが三人出ます。
明らかに、シテの男は多くの友と酒宴を催す風ですが、これはどういうことなのかと、なんとなく落ち着きません。
とは言え、なんとない不条理さも、また能の魅力でありまして、これはこれで、そのままに楽しめという事なのでしょうね。

そう言えば、古くは松虫と鈴虫が今と逆だったという話があり、この曲の松虫も鈴虫だったのかも知れません。
附け祝言は千秋楽でした。
(82分:当日の上演時間を記しておきます)
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鉢木 角寛次朗(観世会定期能)

観世流 観世能楽堂 2013.12.01
 シテ 角寛次朗、ツレ 坂口貴信
  ワキ 森常好
  アイ 山本凜太郎 山本則俊
   大鼓 柿原崇志、小鼓 観世新九郎
   笛 寺井宏明

ようやく12月の観世会にたどり着きました。
一曲目は鉢木。8年ほど前に金春流櫻間右陣さんの鑑賞記(鑑賞記初日月リンク)を書いて以来です。直面で舞もなく謡の掛け合いを主体に進む曲で、独特の魅力がある曲です。シテの角寛次朗さんは観世会のベテランで、舞台上でのお姿も何度も拝見しておりますが、我ながら驚いたことにシテで拝見するのは今回が初めてでした。

まずは出し置きでツレの坂口さんが登場してきます。
無紅唐織で、落魄した武士である佐野源左衛門の妻という役処ですが、橋掛りを進む運びが綺麗。・・・あまり拝見していないのですが、私、坂口さんの能を大変気に入っております。宝生流の高橋憲正さんと芸大の同期だそうで、お二人ともいずれ両流を支える演者になられるだろうと、大変期待をしています。
ともかくも、無紅と言いながら白い小紋が散らされた割と明るい印象の装束で舞台に進み、地謡前に着座して次第の囃子となりました。

ワキの登場ですが、無地熨斗目に墨染め風の水衣。角帽子に笠を被って舞台に進み、常座で斜め後ろを向いて次第。正面に向き直って笠を外しての名乗りです。
諸国一見の修行者と名乗って、信濃国に居たけれども雪が深くなったので鎌倉に上り、春になってからあらためて修行に出ようと思う旨を述べて、道行の謡になります。

浅間の嶽に立つ煙を眺め、大井山・・・これは佐久の平尾山のことのようですが、伴野、離山と長野県内の地名が続き、さらに碓井川と群馬に入って、板鼻から佐野のわたりに着いたと謡われます。板鼻までは中山道に沿って進んでいるようですが、鎌倉に上るのに佐野へ行くのは廻り道になってしまうとのではないか、といささか気になるところです。
ともかくもワキ森常好さんの謡ですが、この道行、スゴいなと当日のメモにあります。いつにもまして味わいある謡だったと記憶しています。
さてこのつづきはまた明日に
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鉢木のつづき

道行を謡い終えたワキは笠を外し、正面を向いて上野の国佐野のわたりに着いたと延べます。佐野と言ってまず思いつく栃木県佐野市は下野の国になります。どうして上野なのか、いささか不思議なところですが、先の道行の話も合わせ後ほど触れたいと思います。

さてワキは雪が降ってきたため宿を借りようと家の内に声をかけます。ツレとの問答になりますが、主のいない間に宿を貸すことはできないとの返事。ワキは主の帰りまで待とうということになり、後見座にクツロギます。

シテの出。段熨斗目に素袍上下で登場し、一ノ松に立つと「ああ降ったる雪かな」と詞を発します。この冒頭のところ、とりわけ「ああ」が大変難しい・・・と常々思っています。さすがに見事な一声でしたが、雪が降るにつけても我が身の落魄が思いやられる言葉が続きます。「袂も朽ちて袖狭き」と歩み出し、常座に進むとツレを向いて「あら思ひ寄らずや」と気付いた風に声をかけ、雪の降る中どうして外に佇んでいるのかと問います。

修行者が宿を借りたいと言って主人の帰りを待っていると、ツレが説明する間にワキが立ち上がり、シテが大小前、ワキがワキ正に立って二人の問答になります。
ワキは宿を貸してくれるようにと頼みますが、夫婦二人でさえ住みかねるほどみすぼらしい家で、宿は貸せないとシテは断ります。
何度かのやり取りの後、ワキは諦めて立ち去った風で常座から後見座にクツロギ、笠を被ります。

ここでツレの謡。自分たちがこのように落ちぶれてしまったのも、前世の行いがいたらなかった故だろうに、あのように困っている人を助けてこそ、後の世の便りともなろうというもの。宿を貸して差し上げて欲しい、と謡います。この謡のうちにワキは後見座を立ち橋掛りに進んで一ノ松あたりに佇みます。

これを聞いたシテは、そう思うならば早くに言えば良いものをなどと言いながらも、修行者を追いかけることにし、正先から正中へと三、四足出て「なうなう旅人」と、二の松あたりまで進んだワキに声をかけます。
さてこのつづきはまた明日に
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鉢木さらにつづき

宿を貸そうと声をかけたシテは、雪中の修行者の様子を述べ「袖なる雪をうち払ひうち払ひし」と左の袖を二度ほど払う所作。「駒とめて袖うち払ふ蔭もなし 佐野のわたりの雪の夕暮」の歌を引いて謡います。

地謡の下歌「これは東路」でシテは歩み出して橋掛りに入り、ワキに寄ると左の袖を引いて向き合います。ワキが笠を外し、上歌のうちに立ち位置を入れ替えてワキを先に立て、二人は舞台に戻ると、ワキがワキ座、シテが常座にと立ちます。「憂き寝ながらの草枕」と向き合い、シテは正中に進んで「夢より霜や結らん」の上歌の終わりに一同が着座して、家の中に入った形になります。
「駒とめて・・・」の歌の「佐野」は紀伊の国ですから「これは東路」とあえてことわったということでしょうね。

さて茅屋の中の出来事となりますが、シテはツレに向かい、宿を貸したのは良いが何も差し上げる物がないのはいかがしたものかと問いかけます。
ツレが粟飯があると言い、シテはワキに粟飯を差し上げても良いかと確認します。
ワキの返事を聞いて、シテはツレに粟飯を差し上げるよう命じ、ワキに向かって「総じてこの粟と申すものは」と語りかけます。
以前は粟というものは、歌に詠み、詩に作るほどのものと思っていたのに、今はこの粟で命をつないでいる始末、と落魄した様子を語ります。地謡が受けて下歌を謡ううちに、後見が雪綿を載せた鉢木を出してきて目付のやや手前に置きます。

シテが、次第に寒くなってきたけれども何を火に焚いて暖を取らせて差し上げたものか、と独り言を言いますが、「や」と思い出した声を出し、鉢木を持っていたのでこれを火に焚こうと言います。以前は珍しい鉢木を数多く集めていたものの、皆人にあげてしまった。それでもなお梅、桜、松を持っているので、これを火に焚こうと作り物の鉢木を見込んで言い出します。

ワキは、いずれあなたが世に出る時まで取っておかれるべきで、火に焚くなど思いも依らぬ事と断りますが、ツレも交えての掛け合いの謡となり、再び世に出ることなど思いもよらぬ身では、鉢木を人の為に焚くことは、修行ともなるものだと夫婦が言い、シテが「我が身をも」と謡って腰を浮かせて地謡。
鉢木を切ることになりそうですが、さてこのつづきはまた明日に
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鉢木さらにさらにつづき

地謡が「捨人の為の鉢の木切るとても」と謡い出して、シテは立ち上がると扇を広げて常座へ。さらに鉢木に寄ると「雪うち払いて見れば」と広げた扇を上下、左右に払う所作を見せて、鉢木の雪を払ってあらためて見入る風です。
まずは梅を切るべきかと面を伏せて考える風から、面を上げ「今更薪になすべしとかねて思いきや」の謡に鉢木に寄って腰を下ろし、二つ打って枝を取り左に置きます。

ここからクセ。桜、松と切っていく様が謡われ、「家桜切りくべて」で再び二つ鉢木を打って枝を切り取り左に置きます。「松はもとより煙にて」で切り取った枝を左手に取って立ち上がり常座まで下がると、ワキに寄って枝を置き広げた扇で仰ぐ所作。「よく寄りてあたり給へや」とクセの終わりで左手伸べて腰を浮かせ、立ち上がって大小前に下居します。

ワキが火にあたって寒さを忘れたと言ってシテとの問答になり、この間に後見が鉢木を下げます。ワキは主の名字を聞かせて欲しいと尋ねますが、最初シテは名を明かしません。しかし繰り返すやり取りのうちに「佐野の源左衛門の尉常世がなれる果にて候」と名を明かします。
佐野氏は現在の栃木県佐野市あたりに本拠を置いた一族ですが、源左衛門常世が実在の人物なのかどうかは疑わしいともされます。その根拠というのが、佐野氏が本姓藤原氏であるのに「源」左衛門の名乗りであること。佐野氏の代々は諱に「綱」の字が入るのに「常世」であること。そして佐野が下野の国にあるのに、上野の国とされていることなどだそうです。

道行の謡に戻りますが、上野の板鼻宿から佐野にいたったというこの「佐野」は、実は栃木県の佐野ではなく、現在の群馬県高崎市上佐野、下佐野あたりと解する方が理に適います。栃木県の佐野市では、それまでの地名をたどる道筋からも大きく逸れてしまいますし、距離も随分と違います。高崎の佐野は、古くは有名な地名だったらしく、能「船橋」の「佐野の船橋」も高崎の佐野にあったと言われます。「佐野の船橋」は万葉集の歌に詠まれているので、古くからの地名だったのでしょう。
栃木の佐野の源左衛門が、一族に土地を取られて上野に逃れ、同じく佐野という地に住んでいた・・・というなら話がうまく収まるのですが、いくらなんでもそれは出来過ぎでしょう。やはり常世は架空の人物と考えた方が良さそうに思えます。
それはともかく、このつづきはまた明日に
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鉢木またつづき

シテが名を明かすと、ワキはどうしてこういう態になってしまったのかと問います。
シテは一族に所領を押領されてしまったのだと言い、ワキはそれなら何故鎌倉に上って訴訟を起こさないのかと問いかけます。

シテは、運の悪いことに最明寺殿(執権北条時頼)が修行に出てしまわれて訴訟が起こせないことを述べると正面に向き、正先を見込んで「これに物具一領 長刀一えだ」、腰を浮かせて幕方を指し示し「又あれにも馬をも一匹」とワキに示して、鎌倉に大事あれば一番に馳せ参じるつもりだと言います。

地謡「敵大勢ありとても」で立ち上がって扇を上げ、両手を打合せると「この身のこのままならば徒らに飢えに疲れて死なん命」と常座へ両手を打ち合わせて安座します。

ロンギ。一夜明けたという設定と思われますが、ワキは暇を告げます。シテ、ツレは暫く逗留するようにと勧めますが、「名残は宿にとまれども」とワキは腰を浮かせ笠を持つと、シテ、ツレの「御出でか」の謡に立ち上がります。
シテ、ツレも立ち上がり、地謡でワキは正先からワキ正へと進んで「披露の縁になり申さん」と振り返り、さらに右手を差し出して「御沙汰捨てさせ給ふな」と二人に言い置く風情。直すとゆっくり常座側に進む形から、鼓の打ち出し。早鼓に歩みを早めて中入です。シテ、ツレも続いて中入りするとアドアイの出になります。

アドアイ早打は括り袴に、肩衣を肩脱ぎにし、杖を突きつつ走り出て常座に立ちます。
最明寺殿が天下の様子を知るため鎌倉を離れていたが、戻られると関八州の大名小名に、ことごとく物の具して鎌倉に御出であれと命ぜられ、二階堂がこれを承って触れた。
しかしあまりに諸軍勢が遅いので急かせよということになり、二階堂は二カ国のみ。自分が六カ国を受け持ったので忙しい、と言って舞台を廻ります。

常座に戻り、武蔵・下総のご人数というかと、二カ国の軍勢に行き会った風。緋縅の鎧など軍勢の様子を語り「急ぎ候へ」と声をかけると再び舞台を廻ります。
今度は「常陸・下野じゃ」と言い、常座で軍勢を見つけた様子で「どこもとのご人数じゃ。やあやあ常陸、下野のご人数じゃ。いろいろの道具を持たせた母衣衆もあり」などと煌びやかな様子を言い「御急ぎ候へ」と声をかけます。

あまり急がれたによって落馬召された、などと言いながら、急いで上総、上野へ参ろうと舞台を廻り、上総、上野の軍勢を見つけます。黒糸縅など軍勢の様子を述べ、六カ国の軍勢がことごとく出でやった、この旨を触れて戻ろうと言って常座で触れ。杖突きつつ退場します。
このつづきはまた明日に
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鉢木またまたつづき

アドアイが下がると一声の囃子で後ワキの出になります。
白大口に紫の水衣、掛絡を懸けて沙門帽子の出立。ワキツレ二階堂が、白大口に側次、梨子打烏帽子に白鉢巻きして登場します。オモアイがこれに従います。
ワキがワキ座で床几に腰を下ろし、ワキツレが控え、オモアイが笛座前に座してシテの出を待ちます。

割とゆっくり目の早笛で、直面に白鉢巻。白大口に段熨斗目、側次を着て、長刀を肩にした後シテが登場し、一ノ松で「いかにあれなる旅人」と謡い出します。
シテは鎌倉に上る東八カ国の大名小名の軍勢の様を描写し、それにひきかえ自分の具足のみすぼらしさを述べて「さぞ笑ふらん」と見回すようにしつつ謡います。
気持は誰にも劣らないと心はいさんでも、痩せ馬が思うように進まず「あら道おそや」と幕方を見る型から地謡。

シテは長刀を立て、背より鞭を取り出すと「よれによれたる痩馬なれば」と馬打つ所作。下がって長刀振りつつ出て後見座で鞭を捨て、常座に出て「追いかけたり」と長刀を肩に持たせる形になります。

シテが動きを止めると、舞台はワキの方に焦点が移ります。
ワキが「いかに誰かある」と呼び、ワキツレ二階堂が進み出ます。ワキは、国々の軍勢の中に「いかにもちぎれたる腹巻を着 錆たる長刀を持ち 痩せたる馬を自身ひかえ武者」がいるはずなので急いで連れて来いと命じます。

二階堂がオモアイを呼び、同じくそのような武者を連れてくるように命じますが、さて立ち上がったアイは、そんな武者などいないと言いつつ正先に出、一ノ松あたりに佇むシテを見つけます。
アイがシテに声をかけてのやり取り。いかにも見苦しい武者を連れて来いと命ぜられたというアイの言に、シテは確かにそれは自分だろうと認め、畏まったと返事します。
アイは切戸口から退場し、シテは長刀を右手で突き立てて、自分を謀反人ということで御前で首をはねようということか、それもまた仕方ないと言います。
地謡が受けての謡になりますが、このつづきもう一日明日に
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鉢木もう一日のつづき

シテは地謡のうちに、まずは七足ほど長刀を突きつつ出ると右、左と周りの様子を見る風に動き、さらに一廻りすると正中に出て下居、御前で畏まった形になります。

ワキが声を上げ、佐野の源左衛門の尉常世にてはなきかと声をかけます。いつぞやの大雪の日に宿を借りた修行者と明かすと、シテは面を上げて常座まで下がり両手を突いて平伏する形です。

ワキは言葉を続け、あのときの言葉を違えず参上したこと神妙と褒め、本領佐野の庄七百余町を安堵します。これ上掛はもちろん喜多流の本にも三十郷とあるのですが、下掛宝生では七百余町としているようです。
さらにワキは言葉を続け、秘蔵の鉢木、梅桜松を焚いたことの返報として加賀に梅田、越中に桜井、上野に松井田の三ヵ庄を領させると言って胸元から書き付けを取り出して投げます。

シテは「常世はこれを賜はりて」と平伏し、一度立って書き付けを取りに行き、頂いて立ち上がると正先に出「これ見給へや人々よ」と安堵の状を差し出します。
さらに立ち上がると常座に行き、下居して状を胸元にしまいます。立ち上がって長刀を突き、地謡「その中に常世は」で六拍子踏んで、両手で長刀を持ち、笛座から目付に出ると「今こそ勇めこの馬に」と馬乗る型。
そのまま幕前まで進むと長刀を一振りして肩に担い「帰るぞうれしかりける」と留になりました。

今回、ながながと舞台の様子を書きましたが、この曲はそもそも平均的な詞章の長さと比べると、詞章自体が倍ほどもある曲で、上演時間も1時間半を越えます。しかも舞などはありませんで、台詞を主体とした劇的な能ですので、場面を追いかけているとついつい長くなってしまいます。
これをあまり劇的に演じては「能」の範疇に入らなくなってしまうでしょうし、能らしく捉えるとするとどう演じるのか、演者の腕の見せ所かと思います。
七十歳を越えられた角寛次朗さんですが、実に力強く、また実直かつ気概を持った武士らしく演じられ、気持ちの良い舞台でした。
(97分:当日の上演時間を記しておきます)
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時頼をめぐって

次の鑑賞記に移る前に、北条時頼についてほんの少しだけ書いておこうと思います。
鎌倉幕府は三代将軍実朝をもって源氏の家系が絶え、摂関家から将軍を迎え、さらに親王将軍が続きますが、実際の権力は早い時期から執権となった北条家が握っており、さらに執権という地位よりも北条宗家、得宗であることに実権が移っていきます。

時頼は五代目の執権ですが、病気のため執権を退いて義兄弟の長時に執権職を譲り、自らは最明寺で出家してしまいます。このため最明寺入道、最明寺殿などとも呼ばれますが、執権職は譲ったものの幕府の実権は引き続き時頼が握っており、後に八代目の執権となり元寇に立ち向かった子の時宗に権力を継承しようとしたようです。
これが得宗政治の先駆けになったというのが一般的な見方のようです。

さて時頼自身は、南宋の僧侶である蘭渓道隆を鎌倉に招いて建長寺を建立するなど、仏教わけても禅宗の庇護にあたったほか、様々に善政を行ったといわれていて、それが様々な「廻国伝説」を生む元になったと言えそうです。

いつぞや藤栄の鑑賞記にも触れましたが、江戸時代には時頼の廻国譚がたいへん人気を博したようです。水戸黄門漫遊記はどうなのだ、という声もありそうですが、水戸黄門光圀は江戸時代初期の人であるものの、漫遊記自体は幕末に講談が元になって広まったもので、江戸時代にはこうしたものが流布した様子が見えません。
水戸黄門漫遊記は、十五代将軍慶喜の父である水戸家八代藩主斉昭(烈公)を中心に、水戸家が世評を上げるために流布させたという話もあるくらいで、江戸時代中期の人たちには黄門様も有名ではなかった様子です。

何度かふれています通り、私も地元ですので光圀公の事績が顕彰されるのは嬉しいことではありますが、実際にはどうだったと捉えれば良いのか・・・大日本史の編纂や、大船の建造には大変な資金を要し、これを年貢でまかなったため藩内には様々な混乱もあったといった話もあります。
時頼の廻国譚も、さて時頼治世の実態がどうであったのかよく分かりませんが、そんなあたりを思い巡らせてみるのも、また面白いかも知れません。

今回、ふと調べてみて、時頼が37歳で亡くなっていることを知り、いささか驚きました。時宗が34歳で病没したのは意識にありましたが、鉢木の時頼は、なんとなく出家した・・・老年のイメージでした。
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禁野 山本則孝(観世会定期能)

大藏流 観世能楽堂 2013.12.01
 シテ 山本則孝
  アド 山本泰太郎 山本則秀

「キンヤ」と読みます。大藏流では明治以降廃曲とされているのですが、なぜか山本家では割と良く舞台にかけられる様子です。和泉流にも同名の曲がありますが、こちらはまるきり筋立てが違い、このブログにも何度か登場している二人大名や昆布売などと似た展開。最後にシテの語りがあって、この中に禁野の話がほんの少し出てくるだけです。

一方、この山本家の禁野はまさに禁野での出来事を題材にしていますが、なんだか妙な話と言えば妙な話です。ともかくも舞台の様子に。

小アド則秀さんが長上下で登場し笛座前に控えます。続いてアド泰太郎さん、半袴肩衣の出立で登場し、常座で名乗り。
このあたりに住む者だが、このあたりは殺生禁断の所。それだというのに度々殺生する者がいるが、弓矢を持っているので何ともし難い。
そこで・・・と舞台を廻りつつ、友に大いたずら者がいるので、今日はこれと語らって、殺生する者を捉えようと思う旨を述べます。

常座に戻り友の家に着いた態。案内を乞い小アドが出てきます。
アドは小アドに、この交野は禁野であるのに、弓矢を持った者がいて毎日参って殺生をする。これを懲らしめてやろうという相談を持ちかけ、同心ということになります。

今度は二人して舞台を廻り、交野に向かいます。
・・・そもそも禁野とは、帝の猟場として一般の狩猟が禁じられた場所で、河内の交野は名高い禁野の一つです。
舞台を廻り「これに出た」二人は交野に着いた様子。まずは隠れていようと笛座前に控えます。
さてこのつづきはまた明日に
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禁野のつづき

シテの出。紅白段の熨斗目の上に黒色系の素袍上下を肩脱ぎにし、洞烏帽子を着けて、左手には弓を持っています。
常座まで出ると「これはいずれもご存じの者でござる」と名乗り、交野に参ろうと言って舞台を廻ります。交野は禁野であるけれども「某は、さる子細あって苦しうないことでござる」と説明します。

シテが交野にやって来た態になり、舞台を見回し獲物を探す風のところに、アド・小アドが何やら相談をして、アドがシテに声をかけます。
アドは禁野の謂われを問い、シテが由来を語ります。

人皇三十四代推古天皇の御宇、三足の雉が現れたが化鳥なので退治すべしと鷹をあわせた。しかし雉の尾は刃になっており、雉は鷹を刺し殺してしまった。
鷹匠は鉄で鷹を作ったので、雉が何度も刺したものの鉄製の鷹では刺すことができない。そうしているうちに、助鷹をやりかけて雉を打ち殺すことができた。化鳥のこととて土中に突き込め、これより交野を禁野としたのである。
「しかし某はさる子細あって苦しゅうないことでござる」と語ります。

雉の話はまあ分かるとしても「さる子細」とはどういうことかと気になるところです。さる子細の話は二度出てきますが、結局その子細がどういうことなのかは説明されません。これはいささか不思議なのですが、結局はそのまま話が進行してしまいます。

さてシテは、自分は別だという話に続けて、昨日は雉がほろろをかけたのを二つまで射たが、今日はまだない。雉は古歌にある「物言えば父は長柄の人柱 鳴かずは雉も射られまじきを」という歌の心を知らなかったのだろうと言います。
「ほろろをかける」は、鳴くの意味のようで、いわゆる雉も鳴かずば打たれまいということですね。
さてこのつづきはまた明日に
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禁野さらにつづき

古歌に詠まれた長柄の人柱の話、今回の大藏流の上演では特に説明されませんが、和泉流ではこの古歌の話が説明されます。

昔、津の国の長柄の橋を架けるときに、難工事でなかなか橋が架からなかったので、ある男が人柱を立ててはと言いだした。その結果、言いだしたその男が人柱となり、無事に橋が架けられた。
その男の娘は、それから三年の間口をきかなかったが、たまたま禁野を通った際に雉が鳴き、供の者が雉を射殺した。娘は「物言はじ父は長柄の人柱 鳴かずば雉も射られざらまし」と詠んだので、どうして三年も口をきかなかったのかと尋ねたところ、自分の父親は口の故に長柄の人柱となった。物言わぬことが良いのだ、と言ったという話です。

長柄橋は現在もありますが、もちろん大昔の話で、場所も現在とは異なっていたようです。この地の伝説では、人柱と言いだした男は垂水の長者、巌氏(いわうじ)というのだそうですが、まさにこの話が「雉も鳴かずば打たれまい」の語源とされているようです。

さてこの話の後、シテは獲物を探しますが、ここでアド・小アドの二人がワキ座から、雉が居るとはやし立てます。シテは目をこらしますが雉が見つかりません。
二人は早く射るようにとシテを急かしますが、シテには雉が見えずうろうろするばかり。
ここでアドが、私が射るので弓矢を貸して欲しいと言い出します。シテもそれならば貸そうと弓矢をアドに貸すと、いきなりアドは弓矢をシテに向け、殺生禁断の所で雉を射たことをなじり、射殺してやろうとシテを追います。

シテは出会え出会えと助けを呼び、小アドが出て止める形になりますが、子細を聞くとアドの味方をして、シテの刀や小袖などを取り上げてしまいます。
そして、このあたりに隠れもなき大いたずら者と名乗り、そもそもシテを懲らしめようと謀ったことを明かして、刀や小袖などを持ち去ってしまいます。

さらに弓矢を持ったアドがシテを追い込んで終曲。
ドタバタ劇ではありますが、いささか不思議な話でもありました。
(25分:当日の上演時間を記しておきます)
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野宮 合掌留 観世清和(観世会定期能)

観世流 観世能楽堂 2013.12.01
 シテ 観世清和
  ワキ 殿田謙吉、アイ 山本則重
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 一噌隆之

野宮は5年振りです。前回は金春流辻井八郎さんの演能(鑑賞記初日月リンク)でしたが、今回は観世宗家。
そう言えば宗家はこの一月から清河寿と改名された様子です。子細の程は分かりませんが、いずれにしてもこの野宮が、私にとっては清和さんの名前で拝見した最後の能となりました。

さて野宮の舞台では、一同着座すると後見が柴垣附の鳥居を持ち出してきます。芳伸さんがなんだか運びにくそうに鳥居を持って出、正先に据えて柴垣を広げると名宣笛。
ワキ殿田さんが登場してきます。無地熨斗目着流しに絓(シケ)の水衣、角帽子を着け常座まで出ると名乗りです。

観世の本には「諸国一見の僧」とあるところ、下掛宝生は一所不住の僧と名乗ります。ともかくも、嵯峨野の方を見に行ってみようと言いますが、さてその途次、とある森を人に尋ねたところ野宮の旧跡ということなので、見てみようと立ち寄ることにします。
アシライで正中に出ると「我この旧跡に来てみれば」と謡い出し「拝み申ぞ有難き」と謡って下居。下歌「伊勢の神垣隔なく 法の教の道真に ここに尋ねて宮所 心も清める夕べかな」と謡い、立ち上がるとワキ座に着座します。

次第の囃子、前シテの出です。紅入唐織着流しに左手には木の葉枝を持っています。
どうも自ら歩んでいると言うよりも、何かに引かれて出てきたような、そんな印象を受ける運びでした。

形通りの次第謡。「花に馴れ来し野宮の 花に馴れ来し野宮の 秋より後は如何ならん」この次第から、サシ、下歌、上歌と続くシテの謡は、とても重要な部分と思っています。わけてもこの次第が大事なところで、一曲の情趣を定めるような感じがします。宗家の次第も深い謡でした。
故観世寿夫さんの録音が手許にありまして、これまた秀逸で本当に深い。
さてこのつづきはまた明日に
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野宮のつづき

上歌を謡い終えたシテにワキが声をかけ問答になります。
ここは古、斎宮となった人が仮に移った野宮の旧跡。その野宮を光源氏が訪れたのが長月七日、ちょうど今日にあたり、その神事をなすというシテ。ワキが昔を思う謂われを問うと、さらにシテが答えます。

光源氏がこの地を訪れ、持っていた賢木の枝を忌垣の内に差し置いたところ、六条御息所は「神垣はしるしの杉もなきものを 如何にまがへて折れる賢木ぞ」と歌を詠まれた。
とシテが語り、ワキは今シテが手に持つ賢木の枝も昔に変わらぬ色かと言います。

シテ、ワキの掛け合いから地謡「末枯の 草場に荒るる野の宮の・・・」となり、常座に立ったままワキと問答を続けていたシテは、するすると割合軽めの運びで正中から正先の鳥居の手前まで出、手に持つ木の葉を鳥居の先に置きます。「跡なつかしき此処にしも」で立ち上がり、大小前からワキを見「仮初の御住居」と目付柱あたりに目を遣る風。
さらに「光は我が思ひ内にある色や」の謡に、ワキ正から幕方へと面を向けて歩み出し、「あら淋しこの宮所」の謡いっぱいに常座に戻り正面を向きます。

ワキが、なお御息所の謂われを物語るように求め、地のクリでシテは正中に下居。
サシからクセへと光源氏と御息所の恋の行く末が謡われます。ロンギとなり、あらためて「常人ならぬ御気色 その名を名のり給へや」と地謡が謡い、シテは「その名もなき身とぞ問はせ給へや」と謡って、名を名のらないことと「亡き身」であることをかけて暗示します。
さらに掛け合いが続き、地「御息所は」シテ「我なりと」地「夕暮れの秋の風・・・」と続いて、シテは初めて腰を浮かせて立ち上がり、ゆっくりと目付を向いたところから「影幽かなる木の下の」と常座に歩み出し、正面に向き直ると「鳥居の二柱に」と三足ほど出、「立ち隠れて」と五足ほど下がると、やや面を伏せあらためて送り笛で中入となりました。
金春の辻井さんの演能では、クセ上げ端の後から立ち上がりましたが、この日の形は中入の直前までじっと座ったままでした。
このつづきはまた明日に
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28万ヒット

ふと気がつくとカウンターが28万ヒットを超えていました。
日頃、このブログを御覧頂いている皆様、あらためて感謝申し上げます。

度々書いていることではありますが、素人の備忘録的なブログですので、こんな風だったという記録を残しているだけのものです。私個人の記録が主ですので、内容の誤りなども多々あろうかと思います。
ときどき以前の記事を読み返すと、明らかな用語や字の間違いに気付くことがあります。いやあこんなものを公開していたのかと、我ながら恥ずかしくなることもしばしばですが、まだまだ観能も続けていくつもりでおりますので、気が向いたらまたご来訪頂ければと思います。

野宮さらにつづき

シテの中入でアイの登場。長上下の出立で常座に立ち、このあたりに住まいする者と名乗ります。本日は野宮の御神事なので急いで野宮へ参ろうと言い、いつも賑やかなのに今日は参る人もなく淋しいなどと言いつつ目付に出て、ワキ僧を見つけ声をかけます。

型通りワキとの問答になり、正中に座して源氏と御息所のことを語ります。
この野宮は、古、伊勢斎宮に立たれた方が仮にご精進される場所。
さて御息所が野宮へ移られたというのは、前坊(前の皇太子、源氏物語では桐壺帝の弟で、皇太子であったが亡くなった御息所の夫)に死別し、一度は光源氏の愛を受けたものの源氏の来訪もなくなってしまった。
このまま都に居ても詮無いものと、御息所は姫君ともども伊勢下向を決められてこの野宮にいらっしゃった。
源氏がこれを聞いて、今一度対面して心中を慰めようかと長月七日、この地を訪れたが、さすがにご精進の場でもあり垣の内には入られなかった。
源氏が手に榊の枝を持ち垣の内に差し入れると、御息所が「神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れるさかきぞ」と歌を詠み、源氏が「少女子があたりと思へば榊葉の香りをなつかしみとめてこそ折れ」と返歌をされた。
源氏は都に戻られ、御息所は伊勢へと旅立たれた・・・という子細を語ります。源氏物語賢木の巻の話をまとめたところです。

その後常の通りのやり取りからアイが下がり、ワキの待謡「片敷くや森の木陰の苔衣」の謡となり、一声の囃子で後シテの登場となります。

後シテは緋の大口に紫の長絹、三番目物らしい優雅な出立ですが、その緋の大口はややさめたような品の良い色目のもの。常座まで出て一セイです。

ワキの謡に「車の音の近づく方を」とあり、舞台上に作り物は出しませんが、御息所の幽霊が車に乗って現れたことが分かります。
その出現の様の通り、シテは賀茂の祭の車争いの屈辱を、ワキとの掛け合いで謡います。このあたりかなり抑揚を強くした大胆な謡でした。
さてこのつづきはまた明日に
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野宮さらにさらにつづき

地謡となり「人々轅に取りつきつつ」とシテはワキ正にススッと出て両手を重ね、「奥に押しやられて」と下がって常座。「身の程ぞ思ひ知られたる」とシオリ、目付に出ると左に回り、正中で「牛の小車の廻り廻り来て」と一廻り、さらに小さく回って大小前へ。

ワキを向いて下居し合掌。「昔を思ふ 花の袖」と合掌を解いて立ち上がり、常座に向かうと後見座を向き、装束を直して序ノ舞に入ります。
序ノ舞の所作は記しませんが、たいへん美しい舞でした。舞上げるとシテ「野の宮の月も昔や思ふらん」と上扇。中左右から足拍子二つ踏んで「森の下露」と打込開キ。
そのまま謡うと、地謡の「庭のたたずまひ」でサシて五足ほど出、庭の風情を見る心で手を下ろすと「気色も仮なる」で胸サシして鳥居に寄り、扇で「露うち払ひ」と打ち払う所作。
サシて舞台を廻り、「松虫の音は」と角トリ、左へ回って鳥居をゆっくりと過ぎ、大小前にススッと進むと、招き扇して鳥居に寄り、ここから「懐かしや」とタラタラと下がってシオリ。破ノ舞となります。

太鼓の入らない大小序ノ舞物で破ノ舞も舞われるのは、観世流ではこの野宮一曲だったはずですが、今回は小書合掌留のため、この破ノ舞が変わります。

シオリをしたまま舞に入り、角に出てワキ座へ。ワキ座あたりでサシて大小前に向かうと、霞扇で正先まで進み、鳥居の手前に下居。扇を置いて合掌します。笛のヒーの音で舞上げ、合掌で留める形です。

キリの地謡となり「此処は元より忝くも」を聞いて「神風や」で扇を取って立ち上がり、二足詰めると「鳥居に出で入る」の謡に、高く一足出して、引き抜くように戻します。下がって左に回り、扇下ろしつつ「車にうち乗りて」と拍子二つ踏んで、扇を直しつつ常座へ。
「火宅の門をや出でぬらん」と開キ「火宅の門」で左袖返して留の拍子を踏み、終曲となりました。
二時間を越える一曲でしたが、夢のような時間を過ごしました。
(123分:当日の上演時間を記しておきます)
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