能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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西行櫻さらにさらにつづき

シテ老桜の精とワキ西行のやり取りが続きます。
西行の歌「桜のとが」に、シテは何のとがかと問いかけます。西行は、浮世を離れ隠栖しているのに、桜の花故に貴賤群れ集うのが厭わしい、その心を詠んだ次第を答えますが、シテは「浮世と見るも山と見るも 唯其人の心にあり 非情無心の草木の花に浮世のとがはあらじ」と返します。

良い景色も、良いと感じるのは見る人の心であって、景色自体に良いも悪いもはありません。
見るもの聞くもの、起こることも、所詮それ自体に善悪はなく、心の内にあると考えれば、何が起きようとも穏やかな心でいられる、神仏の計らいというはそういうことなのかも知れません。

地謡「恥かしや老木の 花も少なく枝朽ちて」でシテは立ち上がって作り物を出、ゆっくりと常座に進むと、ワキと向き合う形で二人腰を下ろし、「草木国土皆成仏の御法なるべし」と合掌します。

地のクリで二人は立ち上がり、ワキはワキ座に下がって下居。シテは大小前に進んで正を向いて立ちサシ。地謡の「まづ初花を急ぐなる 近衛殿の糸桜」の謡に、少し出てワキを見、一歩引いて正面に向き直ってクセに入ります。
「見渡せば柳桜こき交ぜて 都は春の錦 燦爛たり」で始まるクセは春の花の盛りを謡い、花の都の様が目に浮かぶようです。能の曲は、それぞれに何月と配されていますが、まさに桜の季節に観るべき一曲。今頃鑑賞記を書いていると時季外れの感が否めません。

クセを舞上げ、「数添う時の鼓 後夜の鐘の音 響き添う」と、はや明け方が近づいてきた様子。「名残惜しの夜遊やな」とシテが謡い「春宵一刻値千金 花に清香月に影 春の夜の」と蘇東坡の春夜詩を謡って序ノ舞です。

ゆったりと序ノ舞を舞上げるとワカ。夜の明ける様子に「待てしばし」と招き扇して正中に出「白むは花の影なりけり」とゆっくりワキを見て、正中から抱え扇して山を見る形。舞台を廻ると「花の枕の」と下居。「夢は覚めにけり」と一声謡って立ち上がり、地謡が繰り返す詞に合わせて七つ拍子を踏み、「雪も散り敷くや」と足許を見回します。
「花を踏んでは」と扇をつまんで前に出して二つ拍子を踏み、常座に向かうと開いて袖を返し「翁さびて跡もなし」と留拍子を踏んで終曲となりました。

杉澤さんは古希を迎えられた由ですが、老桜の精に相応しい風格。会場も喜多の能楽堂が満席となる盛況でした。
(84分:当日の上演時間を記しておきます)
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鐘の音 野村萬斎(緑泉会例会)

和泉流 喜多六平太記念能楽堂 2014.04.26
 シテ 野村萬斎
  アド 竹山悠樹

何度も観ておりますし、ブログにも度々登場しているこの曲ですが、萬斎さんのシテで観たのは初めてです。
別に萬斎さんだからといって特殊な演出をされるわけではありませんが、萬斎さんがなさるとひと味違うような気がします。

寿福寺、円覚寺、極楽寺、建長寺と四寺を廻り、建長寺の鐘が一番と定めて帰る次第。帰ってみれば主人が知りたかったのは金の値。虚けたヤツと怒る主人を、謡でなだめようという太郎冠者の苦心。何度観ても面白い狂言ではありますが、どこがどうと言い難いのですが、萬斎さんのシテだとさらに面白く感じられます。
ちょっとした表情や声の色、そうしたものが総合されて印象が変わってくるのかも知れません。

何度か書きましたように、大藏流では鎌倉五大堂、寿福寺、極楽寺、建長寺と廻ります。また、撞木がないので石礫で鐘の音を聞こうとしたり、僧の撞く鐘の音を聞いたりと、全て自分で撞いて歩く和泉流の形とはだいぶん違っています。

とは言えいずれも建長寺の鐘を随一としていますが、鎌倉五山の筆頭とされる建長寺は足利氏からも庇護されており、その辺りも踏まえてのことでしょうね。
(22分:当日の上演時間を記しておきます)
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海士 中所宜夫(緑泉会例会)

観世流 喜多六平太記念能楽堂 2014.04.26
 シテ 中所宜夫
  子方 松浦薫
  ワキ 野口能弘、アイ 石田幸雄
   大鼓 柿原光博、小鼓 住駒充彦
   太鼓 観世元伯、笛 藤田貴寛

海士は昨年二番、赤頭三段之舞と懐中之舞の小書付で観ておりますが、今回は小書無しのプレーンな一番です。このブログで鑑賞記を書いたのは、四年ほど前に栃木県足利市で観た中村裕さんの演能(鑑賞記初日月リンク)、昨年の長山禮三郎さんの赤頭三段之舞(鑑賞記初日月リンク)、清水寛二さんの懐中之舞(鑑賞記初日月リンク)の三番です。中村さんは梅若研能会、長山さんが九皐会、清水さんが銕仙会と、所属されるグループは違いますが、いずれも観世流で、今回の中所さんも九皐会所属ですから、基本的には同系統ということになります。

中村さんの演能は地方のホールでの公演でしたので、省略された部分も多かったのですが、今回は小書無しの基本的な形での上演です。とは言え、基本的な部分は変わりませんので、舞台の進行を細かく記すのではなく、気付いたことを主に記すような形で記録しておこうと思います。
なお、海士伝説を廻る話なども、これまでの鑑賞記に記載しておりますので、舞台の進行と併せてご参照いただければと思います。

さて、次第で登場した子方、ワキ、ワキツレの一行が着座すると一声でシテの出になります。シテは無紅の縫箔を脱下げにし、右手に鎌、左手に海松を持っての登場です。面は深井とのこと。
この縫箔がとても綺麗。紺地、納戸色なんでしょうけれども、これに桜と蜘蛛の巣の文様があしらわれた大変印象的な装束です。縫箔を腰巻にし水衣を着けた形の方がよく見かけますが、この日はあえて脱ぎ下げにされたとか。

常座に出たシテと、ワキとの問答になります。このくだり、中所さんご自身も某所に書いておられるように、いささか腑に落ちないところ。水底の海松を刈るようにというワキの詞に、空腹ならば刈るまでもなくこの海松を召し上がれば、とシテが手に持つ海松を差し出します。
しかし水底の月を見るのに海松が妨げになるので刈除けよという意味だとあって、そういえば昔もそんなことがあったと、失われた明珠の話に繋がります・・・繋がっているのかなあと、思いますが、ともかく舞台は進行していきます。
このつづきはまた明日に
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海士のつづき

明珠の話が出、地次第「天満つ月も満潮の 天満つ月も満潮の 海松藻をいざや刈ろうよ」でシテは二足出て開キ、地取りのうちに後ろを向いて海松を後見に渡しワキ正に出ます。シテ、ワキの問答で、面向不背の珠の子細が明らかにされます。

この途中で子方が「やあこれこそ房前の大臣よ」と声を上げ、これを受けてシテは持っていた鎌を落として正中に出、下居します。
昨年の小書付二番は、いずれも着座していったん鎌を置きますが、その後も鎌を持って舞う形。しかし小書のないもともとの形は、「房前の大臣」との言葉に驚いて鎌を取り落とし、その後は扇で舞う形です。もっとも、幽霊は房前の大臣と知って姿を現すのでしょうから、驚いて鎌を落とすというのも違わないかぁと思わないでもない・・・のですが。

短い居グセから、ワキが玉取を仕方に見せるようにと求め玉之段へと続いていきます。
玉之段は、これだけを仕舞で観ても十分に見応えのある部分ですが、前半の竜宮の景色に圧倒される様子、波の彼方の我が子に思いを寄せ涙するところから「又思ひ切りて手を合わせ」て「南無や志度寺の観音薩埵」と六拍子踏んで竜宮に飛び入る後半へ、劇的な展開となっていきます。

特に、前半部分での母性の思いが深ければ、後半の展開が一層活きてくるように思います。今回の中所さんの上演では、この母性の部分が強く感じられたところです。
玉之段を舞上げ、クドキ。引き上げられた海士人が、自ら乳の辺りを掻き切って隠した珠を示し、淡海公がこれを取り出したことが謡われます。「さてこそ」とシテは子方を向き、我が子を世継ぎの位になすとの約束の故に、彼方はこの浦の名に寄せて房前の大臣となられたが、自分こそその母である海士人の幽霊と明かすくだり。思わず涙腺が緩くなりまして・・・

ともかくもシテは子方に寄って扇を渡し、下がって中入となります。
送り笛が吹かれシテが幕に入ると、ワキが立ち上がり、常座辺りから狂言座に向かって当浦の人と呼び掛け、この地の住人を呼び出します。
さてこのつづきはまた明日に

海士さらにつづき

ワキとアイの問答。ワキは面向不背の珠を廻る話をアイに尋ね、アイがこれを語ると、房前の大臣の一行であることを明かします。
恐縮するアイに、管弦講で亡き海士人を弔うのでその旨を触れるようにと命じ、アイがこれを受けて立ち上がり、管弦講の触れをしてワキに報告。切戸口へと向かいます。

ワキはここで子方にシテの残した手蹟を読むように勧めます。
子方が扇を開き読み上げる形で謡い出します。大変難しい一文ですが、子方にこれを読ませるというのも、また作者なりの意図があってのことだったのでしょう。

地謡が子方の謡を受け、出端に。
異界のものが出現する際の登場楽ですが、太鼓の刻みが異界のものを呼び寄せるのかも知れません。ゆっくりと登場してきたシテは、紫の色大口に緋の舞衣、龍戴をいただき左手には経巻を持っています。
面は泥眼ですが、随分と優しい印象で「何の面だろう」と思ったほど。後日、中所さんご自身が某所に書いておられましたが、新井達矢さんというお若い面打の方の作だそうです。

後場に母の幽霊が龍女として出るというのは、法華経の提婆達多品に登場する八歳の龍女、娑伽羅竜王の娘にちなみ、成仏の機縁を得たことを示すのだろうと思いますが、とは言え、母が我が子の前に恐ろしい龍の姿で現れることには、いささか抵抗も感じるところです。
そういう意味で、優しい表情を感じる泥眼というのは得がたい選択肢と思いますし、この日の、母性を深く感じる雰囲気に見事に合っていたように感じた次第です。この面を打たれた新井達矢さんという方にも興味を持ちました。

後場の中心はなんといっても早舞。地謡の「あらありがたの御経やな」の謡に、経巻をいただき、巻き上げると左手に持ち、子方に寄って渡します。下がって常座に立ち、一度子方向き合ってから、正面に直して答拝。早舞に入ります。
この曲の早舞はそもそもゆったりと舞う感じではありますが、この日の位は本当にゆったりとして中ノ舞のような舞。あれから二月も経って、何がどうして・・・と、未だにうまく理由づけはできないのですが、あの日のあの一番の中では、あの位が実に収まりが良かった、と感じています。
理屈ではなく、感性の問題ということでしょうか。
(97分:当日の上演時間を記しておきます)
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止動方角 山本東次郎(国立能楽堂普及公演)

大藏流 国立能楽堂 2014.06.14
 シテ 山本東次郎
  アド 山本則孝、山本則俊、山本凜太郎

一月以上前になってしまいましたが、6月の国立能楽堂、普及公演の鑑賞記です。
まずは有名な狂言の一曲ですが、これまで機会なく初見です。
「止動方角」というのは、曲中に出てくる馬を鎮める呪文「寂蓮童子 六万菩薩 鎮まり給へ 止動方角 止動方角」の一部分。(資料によっては寂蓮導師の表記も見ます。当日買ってきた能楽堂のパンフレットには童子とあったのでこちらを取りましたが、上演では「どうし」と発音しておられたように聞きまして「導師」ではないかとも思っています)止動は、金太郎の歌にも出てくる「はいしどうどう」の「し」と「どう」で、「しっ」で馬に動くようにと命じ「どうどう」で止まるように命ずるのだという説を読んだことがあります。

さて舞台にはアド主人の則孝さんが長上下で登場し、常座で名乗ります。
段熨斗目に茶系の長上下ですが、この辺りに住む者と名乗り、天下治まって茶の湯が盛んになっている。自分も本日、山一つ向こうに茶比べに行くのだが、ちょうど茶の詰めたのが無いので伯父から借りようと言って太郎冠者を呼び出し、ワキ座に立ちます。

シテ太郎冠者の東次郎さん、呼ばれて常座に出て主人と向かい合います。
主人は伯父に茶を借りてくるように命じますが、続けて太刀を借りてくるようにと命じます。さすが太郎冠者も、太刀は自ら持つべきものではと意見しますが、主人は拵えているのだがまだ出来上がってこないので、借りてくるようにと重ねて命じます。承った太郎冠者に、主人はさらに馬も借りてくるようにと命じます。

今から茶比べに行こうというのに、馬は無し太刀は無し、なによりもまず比べる茶も持っていないとは呆れた話ではあるのですが、その割にはこの主人、大変威張っています。和泉流では三主といって、鬮罪人、武悪とともに怖い主人の曲とされているそうですが、ともかくも早速伯父のところに向かうことにした太郎冠者は、舞台を廻りつつ道すがら日頃の愚痴を並べます。

さて伯父のところに着いた態で、舞台を廻った太郎冠者は常座から案内を乞い、笛座前に控えていた小アド伯父がワキ座へと進み出て応対します。
この伯父さん、大変に良い人で、太郎冠者の求めに従って茶、太刀、馬と、直ぐに貸してくれます。馬は幕から連れてくるのですが、さてこのつづきはまた明日に
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止動方角のつづき

一度、幕に入った小アド伯父が、馬を連れて出てきます。
馬は凜太郎さん、黒頭に賢徳の面をかけての登場です。終曲まで四つん這いの形ですので、かなりキツいのではないかと想像しますが、ともかくも伯父に従って馬の登場。

伯父は太郎冠者に馬を渡しますが、その際に、このところ馬に悪いくせがついてしまい「すわぶき」(しわぶきとも言いますが咳のこと)をすると暴れてしまうのだと言います。暴れては大変と怖がる太郎冠者に、伯父は「寂蓮童子 六万菩薩 鎮まり給へ 止動方角 止動方角」と唱えれば鎮まるから大丈夫だと教えます。

これに安心した太郎冠者は、茶の入った鬘桶と太刀を持ち、馬引く人もついでに貸して欲しいと申し出ます。しかし伯父は、ちょうど人が居合わせず、こうして自ら引いてきたような次第なので、太郎冠者も自分で引いて行ってくれと言います。

やむなく太郎冠者は左手に馬を引き、右手で鬘桶と太刀を持って舞台を廻り帰り道の態。伯父は幕に入ります。

さて太郎冠者は常座からワキ座へと進み、戻って正中から橋掛りへと進みます。
この間に主人が立ち上がり、地ノ頭あたりで様子を見に来たと言ってワキ座に出ます。太郎冠者を見つけると、これしきのものを借りてくるのにどれほどの時間がかかるのかと、早速叱りつけます。

正中辺りで主人は太郎冠者の引いてきた馬に乗り、太郎冠者が遅いので他の人々は既に茶比べに出かけてしまい、自分のみ後から追いかけることになってしまったと怒ります。
散々に叱りつける主人に対して、太郎冠者が馬の後ろに回り咳をすると、馬が暴れ出して主人は落馬してしまいます。

太郎冠者は早速、例の呪文を唱えて馬に乗り馬を鎮めます。落馬した主人に、直ぐにも介抱いたしたいところ、今は馬を乗り鎮めておりますので手が離せませんなどと言い、見所の笑いを誘うところです。

ようやく鎮まった馬に再度乗った主人は、先へ失せいと太郎冠者を先に行かせて、角からワキ座、そのまま橋掛りに入り、幕前まで進みます。
さてこのつづきもう一日明日に
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止動方角さらにつづき

先へ失せいと言っていた主人ですが、太郎冠者の歩みようが気に入らず、今度は後へ失せいと後から付いてくるように命じます。

舞台に戻りワキ座から正中に進み、今度は引っ添うて失せいと、そばに着いて来るように命じます。茶の入った桶と太刀を持って太郎冠者がぴったり主人に寄り添います。
これでは馬を進められないと主人が怒り、そんなに近寄るなと太郎冠者を叱りつけます。
太郎冠者は主人が引っ添うてと言ったから添っているのだと抗弁しますが、重ねて叱りつける主人に、太郎冠者は再び馬の後ろに回って咳をします。
またしても主人が落馬し、今度はしたたかに腰の骨を打ったと痛がります。

馬を鎮めた太郎冠者は、主人に馬に乗るようにと勧めますが主人は懲りて馬には乗らないと言い出します。そんな馬は放してしまえと言いますが、借り物の馬を放してはまずかろうと太郎冠者が意見し、ならばお前が乗れと主人が言います。
しかし太郎冠者は桶と太刀を持っています。これでは馬に乗れないと言うと、主人が持ってやろうということになり、馬に乗った太郎冠者に、桶と太刀を持った主人が付き従う形になります。

太郎冠者は、これでは知らない人が見たら自分が主人で、主人が使用人のようだなどと言い出します。さらに、主人のことを皆が褒めるという話を始めます。
主人はいずれきっと出世するだろうと皆が言うと、太郎冠者に言われた主人もまんざらではありません。太郎冠者は、いずれ主人がご出世の折には自分も取り立てて欲しいと言い、主人ももちろん取り立ててやろうと言います。

太郎冠者は、馬に乗れるほどに取り立ててもらえようかと問い、主人は馬に乗れるほど取り立ててやろうと言いますが、さてここからが太郎冠者のうまいところで、馬に乗れるほどの身分になったときに、従者の扱いが悪くては拙かろうし、ひいては主人の評判にも差し障ろう。そういう身分になったときの稽古をしておきたいもの、と言い、いやこれは戯れ言と否定します。

主人は鷹揚なところを見せて、ここは誰もいないのでお前が主人で、自分が太郎冠者ということで稽古してみようと言いだします。太郎冠者は最初は、そんなことはできないとか、恐ろしくて主人のことを太郎冠者と呼んだりはできないなどと遠慮していますが、結局は主として振る舞い、日頃主人から言われているような口ぶりで、散々に主人を叱りつけます。
さすがに主人も気付き、最前の叱り返しをするのかと怒り、太郎冠者から馬を奪い自分が馬に乗ります。すると再び太郎冠者が咳をし馬が暴れます。
逃げる馬を二人が追って留め。
主人はやたらと怒る怖い主人ではありますが、太郎冠者に稽古を許したりなど、案外良い人なのかと思わせる部分もあって、楽しめる一曲となっています。
(35分:当日の上演時間を記しておきます)
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皇帝 梅若紀彰(国立能楽堂普及公演)

観世流 国立能楽堂 2014.06.14
 シテ 梅若紀彰
  ツレ 山中迓晶 角当直隆
  ワキ 高安勝久、アイ 山本則秀
   大鼓 柿原光博、小鼓 曾和尚靖
   太鼓 小寺真佐人、笛 一噌幸弘

3年ほど前に観世流木月宣行さんのシテで「鍾馗」を観まして(鑑賞記初日月リンク)、その際の鑑賞記に鍾馗が登場する能は「鍾馗」と「皇帝」の二曲あると記しておきました。そのもう一曲の方「皇帝」です。
この曲、金春以外は各流とも現行曲としている様子ですが、その割には遠い曲でして、東京だと各流あわせて年に一度くらい上演があるかないか…という程度。作り物など道具類も多く、一時間ほどの小品の割に変化に富むため、上演が難しいのかも知れません。

囃子方、地謡が座に着くと、後見が一畳台を二つ運んできて、地謡前とワキ正に向かい合うようにして縦に並べます。さらに緋の引廻しをかけた宮を運び出して地謡前の一畳台に乗せます。ワキ正に向けて置かれたため、正面席からは横を見る形になります。

狂言口開、アイ官人が括り袴に側次、官人頭巾の姿で登場して常座に出、名乗ります。
唐土、玄宗皇帝に仕える官人と名乗り、三千人の妃のうち寵愛随一の楊貴妃が病となり、貴妃を慰めるため皇帝が見舞われるので、皆参内するようにと告げて幕に入ります。

真ノ来序の囃子。ワキが玄宗皇帝という設定ですので、いきおい囃子も荘重な響。それにつけても一噌幸弘さんの笛は、いつもながら華麗と表現したらよいのか、荘重さに花やかさを加える音色です。

白大口に袷狩衣、唐冠のワキ玄宗皇帝が先に立ち、いわゆる赤大臣のワキツレ、岡充さんと丸尾幸生さんが続きます。
サシ謡の後、ワキは大小前で宮を見上げ直して正中に出ると、ワキ正側の一畳台に乗り、正面を向いて着座します。ワキツレも笛座前に着座です。
地謡の下歌から上歌となり、上歌の最初「心づくしの春の夜の」の一句を聞いて幕が上がりシテが姿を見せて徐々に歩みます。

黒頭に黒系の水衣着流し、着付けも黒と見まがうような濃茶でしょうか。面は鷹だそうですが、怪士のような暗く怪しい印象。観世流の装束付けでは、前シテは小牛尉または阿古父尉をかけ尉髪、小格子厚板に水衣の尉姿とされていますが、今回の装束は梅若の伝承なのか、シテの工夫なのか、ともかく老人ではなく、得体の知れない人物であることが強く感じられます。
このつづきはまた明日に
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皇帝のつづき

地謡の上歌の内に橋掛りを進んだシテは、一ノ松からワキに「いかに奏聞すべき事の候」と声をかけます。

正面を向いていたワキは、右から振り返ってシテを見、声をかけます。観世流の本では階の下に人が来たことを述べ「さも不思議なる老人なり」と評し「そも汝はいかなる人ぞ」と問いかけるようになっています。

シテの装束からみても「老人」はないだろう…と思っていたのですが、ワキの高安勝久さんの謡は「さも不思議なる人体なり」。
「はて・・・?」と思い、後日、金剛流の本を見てみるとこちらも「人体なり」の表記になっています。高安流の詞章は元々座付きであった金剛流とほぼ同一と聞いていますので、この表現は本来の形なのでしょう。シテの装束には適した詞章でしたが、それにつけてもこの日の装束の由来はどうだったのか興味のあるところです。

さてワキの問いにシテが答え、ワキは振り返った形のまま問答がつづきます。
シテは鍾馗の霊と名乗ります。多くの夢幻能では不思議な人物とワキとの問答がつづき、最後にシテは自分が霊であることを仄めかして姿を消しますが、この曲は場面展開が小気味よく、最初に自らの正体を明かす形になっています。
ところでシテは「これは伯父の御時に 鍾馗と云ひし者」と名乗りますが、伝説では鍾馗は唐の高祖の時に宮中で自殺したとされていて、玄宗はその高祖の玄孫(やしゃご)ですから、謡曲にはままあることですが何か混同があるのでしょう。

さてワキとの問答ですが、シテはかつて贈官のみならず遺骸に緑袍まで掛けて頂いた恩に報いるため、貴妃の病を治して差し上げようと言います。そして明王鏡を枕元に立て置いたならば必ず姿を現そうと言います。

これを受けて地謡。通力によって貴妃の姿を誘う風を静めようと言うと御階の下に姿を消したと謡い、シテはワキに向かってサシ込み開キ、面を切って橋掛りに進み三ノ松で一度立ち止まって一回りし、あらためて中入となりました。

この地謡のうちに引廻しの中に鬘桶が入れられます。
シテが幕に入ると引廻しが下ろされて、楊貴妃が姿を現します。台上に座し左肩に緋の小袖を掛けています。この支えに最前入れられた鬘桶が用いられていますが、この小袖は病床にある象徴で、土蜘蛛の頼光も同様の形ですね。
さてこのつづきはまた明日に
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皇帝さらにつづき

ワキはツレ楊貴妃に向き直り「いかに貴妃」と謡い出します。まさに皇帝らしい重々しい謡。
シテの中入後は間狂言が出て、これまでの子細などをまとめるのが普通ですが、この曲では間狂言は出ず、ワキとツレによる場面となっています。玄宗皇帝と楊貴妃のやり取りは、かの長恨歌を引きつつ、ワキ、ツレの掛け合いから、クセへと展開し、聞き応えある場面です。

ツレ楊貴妃は金地の唐織に天冠を頂き、貴婦人の装いです。観世流ではこの楊貴妃を「子方(ツレにも)」としていて、子方を出すことを想定しているようです。どちらが良いかは難しいところで、それぞれに得失がありそうですが、この日のツレは、ワキの重さと良いバランスだったように感じました。

地謡の「月の都の舞楽まで」の辺りで幕が上がり、後見が明王鏡を持って出てきます。
ワキは一度、正面に向き直っていますが、この辺りで再びツレに向き直ります。
「天長く地久しくて尽くる時もあるまじ」の謡で、後見は鏡を常座からやや太鼓に近い辺りに立て、ツレに向ける形にします。

ワキの詞「げに今思ひ出したり・・・」で明王鏡を枕元に置くようにという、鍾馗の霊の言葉を思い出します。
これを受けて、ワキツレ大臣が「勅諚尤も然るべしと・・・」と言いつつ立ち上がり、鏡を持つと「明王鏡を取り出し」と正先に置きます。鏡面を後ろ向きにして置かれた鏡を、ワキが見る形です。

鍾馗の伝説では、玄宗皇帝自身が瘧にかかり高熱を発して苦しんでいる時に夢を見、宮廷内で暴れる小鬼達を、どこからともなく現れた大鬼が難なく捕らえてしまったので、玄宗が大鬼に正体を尋ねると、武徳年間に科挙に落ち自殺した鍾馗であると明かしたことになっています。贈官の恩に報いるために現れ玄宗の病を治したのだと言ったので、夢から覚めた玄宗が鍾馗の絵姿を描かせ、それが端午の節句に飾る鍾馗の絵の元になったという話です。
楊貴妃が病になったというのも、明王鏡という鏡の話も伝説には出てこず、いずれもこの曲の作者、観世小次郎信光の創作であろうと言われています。

ともかくも、地謡で鏡の内に鬼神の姿が映ったことが謡われて後ツレ鬼神の出となりますが、このつづきはもう一日明日に
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皇帝もう一日のつづき

早笛で幕が上がるとツレ鬼神が登場してきます。赤頭に顰(シカミ)の面、袷法被に半切の姿で出、正中から鏡に寄ります。地謡が病鬼の様が鏡に映った様子を謡い「帝はこれを叡覧あって」で鬼神はワキ皇帝に寄ります。

ワキは剣を抜いて構え、台を下りて斬りつける形になりますが「御殿の柱に立ち隠れて姿も見えず失せにけり」の謡に、鬼神はワキ座で後ろを向いて座し、袖を被きます。

ワキは常座で「不思議や曇る空晴れて」と謡い出し、鬼神は紺の小袖を被って姿を消した形になります。地謡が「鳴動するこそ恐ろしけれ」と謡って、大べしの囃子、後ジテの出になります。

ゆっくり幕が上がり、黒頭に小べし見の面、緑の半切に白の袷狩衣を衣紋着けにし、右手に剣を持った後シテ鍾馗が登場してきます。
ワキは地謡前、一畳台の向こう側に座してシテを迎える形。

橋掛りを進んだシテは一ノ松で立ち止まり「そもそもこれは 武徳年中に贈官せられし 鍾馗大臣の精霊なり」と謡います。
続けて、貴妃の病を平らげるため通力を以て奇瑞を現すと語り「南無天形星王」と幕方を向くと、二、三足出「虚空を翔って参内せり」と面を切って正先に向き、剣を振って正面に戻します。

地謡となり、鬼神がゆっくり立ち上がると小袖を被ったまま正先を向きます。
シテは「鍾馗の精霊馬より下り立ち」と馬下りる型から左袖を被き大小前へ。さらに「明王鏡に向ひ給へば」と正先に出ますが、鬼神が小袖を跳ね上げて、舞働、鬼神と鍾馗の戦いになります。
鬼神は橋掛りに逃げ、シテがこれを追って橋掛りへ。入れ違いになって鬼神が舞台に戻り正先に、シテが戻って常座に立ち鬼神の謡「鬼神は通力自在も失せて」
鬼神とシテの戦いがつづき、鬼神は再び橋掛りに逃げて幕前まで進みます。シテがこれを追い「利剣を振り上げずたずたに斬り放し」で斬った型。幕前に座した鬼神を、後ろから幕で覆うような形で幕入りという珍しい形でツレ鬼神の退場になります。

「貴妃も息災」の謡に、ツレ貴妃は左肩に掛けた小袖を取って病気平癒の形。シテは常座に立ち、左の袖を巻き上げると橋掛りへと進み、三ノ松に立ち「姿は夢とぞ なりにける」で留拍子を踏んで終曲となりました。

実に場面展開の早い盛り沢山の曲ですが、船弁慶や紅葉狩など、ワキ方の活躍する独特の能を書いた観世小次郎信光ならではの一曲、面白く拝見しました。
(60分:当日の上演時間を記しておきます)
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