能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

満次郎の会 第6回東京公演

個人主催の会が少なく、どちらかというと地味な印象のある宝生流の中にあって、精力的に活動されておられる辰巳満次郎さんの公演。東京での満次郎の会は6回目ですが、今回はじめて拝見することにしました。
第1回の邯鄲傘之出にはじまり、昨年の第5回は翁付高砂と七人猩々など、番組も大変意欲的です。

今回は「盛衰無常」と題して、昼の部は蝋燭能「清経」を中心に狂言や仕舞、一管など。夜の部は「鞍馬天狗」に「天狗揃」の小書を付け、このほか那須之語や一調、仕舞などの番組。今回もなかなかの構成です。
私は日中所用があったため、夜の部を観に出かけたのですが、この東京に向かう常磐線の特急がトラブル。途中の羽鳥駅で一時間以上停車したままとなりました。先行する列車が、どうやら人身事故に逢ったとか。

そんなわけで、夜の部の番組は満次郎さんのご挨拶の後、祇王の仕舞から幕を開けたのですが、当然これには間に合わず、次の狂言語、善竹十郎さんの「那須之語」の途中でようやく宝生能楽堂に辿り着きました。

と、能楽堂のロビーで満次郎さんの等身大パネルがお出迎え。
宝生能楽堂の満次郎の会
思わず写真を撮ってしまいました。

那須之語は十郎さんの熱演の様子でしたが、途中で入るのはどうにも気が引けて、ロビーのモニターで拝見。生で観たかった・・・と。

続いて八島の一調は、喜多流の粟谷明生さんに亀井広忠さんの大鼓。さらに仕舞が二番、武田孝史さんの二人静と、宝生和英さんの船弁慶。いずれも会を盛り上げる充実したものでした。
ところで二人静の仕舞、武田孝史さんがお一人での登場。本来は相舞の曲ですが、あえて一人舞の演出とし、幻影を想像して・・・という次第。これもなかなかの趣向でした。宝生流では二人静を廃曲していますが、技量の揃った二人を並べるのは大変に難しいという話を何かで読んだ記憶があります。

さて能、鞍馬天狗は明日から、鑑賞記を書かせていただきます。
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鞍馬天狗 天狗揃 辰巳満次郎(満次郎の会)

宝生流 宝生能楽堂 2014.11.02
 シテ 辰巳満次郎
  牛若 片桐賢、花見兒 水上達 和久凜太郎 水上嘉
     片桐遵 鵜澤龍之介 一噌隆晴 大倉伶士郎
  天狗 佐野登 山内崇生 小倉健太郎 水上優
     小倉伸二郎 澤田宏司 東川尚史 辰巳大二郎
  ワキ 森常好、ワキツレ 舘田善博 森常太郎
  アイ 善竹十郎、木葉天狗 大藏教義 善竹大二郎 野島伸仁
   大鼓 亀井広忠、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 観世元伯、笛 一噌隆之

出演者の名前を書くだけで大変・・・という一曲。
鞍馬天狗は、通常でも子方義経(牛若)や花見兒が出て賑やかな雰囲気ですが、今回は後シテに従って天狗が八人現れるという演出。「白頭 別習」とも云うのだと思いますが「天狗揃」の方がストレートで分かりやすい。以前、この小書に触れた際には、シテの外に天狗が七人と書いたのですが、今回は八人が登場。あれだけの装束を揃えるだけでも大変だったのではないか・・・などと。

さて舞台には白大口に黒の水衣、篠懸をかけ兜巾を着けたシテ満次郎さんが重々しく登場。
前場は特段、特殊な演出はなかったように思いますが、型通りにシテが常座に出て名乗り。花見の会がある由を聞いたので、出かけていって余所ながら花を眺めようと言い、後見座に後ろを向いてクツロギます。

続いてアイ能力の出。能力出立の十郎さんが登場し常座にて名乗ります。この間に幕が上がり兒の出。先頭に牛若の片桐賢クンが立ち、花見兒7人が続きます。名前を見れば想像つくとおり、シテ方や囃子方のお子さん方。水上優さんのお子さんは二人とも登場。
そう言えば、ロビーで那須之語を聞きながら待っていると鵜澤洋太郎さんをお見かけしたが、なるほど付き添いのお父さんだったわけですね。源次郎さんや隆之さんと違い出番もないのにどうされたのかと疑問だったのですが。

ともかくも、子方に続いてワキ東谷僧の森常好さんと、従僧の舘田さん、常太郎さんも登場し橋掛りに並びます。三ノ松あたりに立ったワキのところへ、アイが書状を持って行き、西谷より使いに参ったと言って膝をつき、ワキに文を渡します。
さてこのつづきはまた明日に
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鞍馬天狗のつづき

文を受け取ったワキは文読む形で謡い、西谷僧からの花見の誘いの文を読み、古歌「けふ見ずは くやしからまし 花盛り 咲きものこらず 散りもはじめず」と謡って、文を胸にしまいます。
さらに、たとえ誘いがなくとも見に行くものを・・・などと謡い、地謡を一句聞いて、一同は舞台に入ります。

先頭の牛若がワキ座まで進み、兒達は常座まで順に並んで着座します。
ワキが「いかに能力」とアイを呼び出し、子供達を伴っているので、何か一曲奏でるようにと命じ、アイの謡い舞い。
「いたいけしたる物あり、張子の顔や塗児衆、くしや結びに笹結び、山科結びに風車、瓢箪に宿る山雀、胡桃に耽る友鳥、虎斑の狗子、起揚がり小法師ふり鼓、手鞠や踊る毬小弓」と謡いながら舞う形です。
いつぞやも書きましたように、大藏流では「いたいけしたるもの」という狂言小舞で、ここには大藏の詞章を書きましたが、和泉流は若干の異同があるようです。

この謡い舞いの途中でシテが後見座から立ち、正中に着座します。「鞠小弓」まで謡ったアイは、ここで見知らぬ客僧が座しているのに気付きます。
見慣れぬ客僧がいるので、この由を申し上げようと言ってワキに寄り、当山では他山の輩は禁制であり、急ぎ引っ立てましょうと進言します。
しかしワキは当山では無用のこと、と取り合いません。花は明日でも見られるもの、まず此処を立とうと声をかけ、能力と牛若を残し、ワキ、ワキツレ、兒たちは退場してしまいます。

残ったアイ能力は不満に声を荒げ、皆が奥に行ってしまったのはこの客僧のせいだ、このこれを・・・と拳をあげ、いただかせたいものだと言って足拍子を踏みますが、拳を振り下ろすことも出来ず、のう腹立ちや 腹立ちやと言いつつ退場します。

アイが姿を消し舞台が静まると、シテがゆったりと謡い出します。
人家に花があれば入って来る人もあるもの。貴賤や親疎を問わず(ともに花を楽しむこと)こそ、春の習いであろうに、慈悲深いという多聞天を本尊とするこの鞍馬寺にあって慈悲のない人々であることよ、としみじみと謡います。
これに牛若が謡いかけますが、このつづきはまた明日に
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鞍馬天狗さらにつづき

シテの謡を受けて、子方牛若の謡。立ち去っていった人々を慈悲に洩れたと嘆くシテに、近く寄って花を眺めるようにと勧めます。

シテ、子方の掛け合いで謡が進み地謡に。見知らぬ客僧に声をかけ花見を勧めた牛若と、山伏の心が通う様が謡われます。ここの掛け合いから地謡の詞章は、なにやら深い意味がありそうなのですが、正直のところよく分かりません。直訳しただけでは「ああそうですか」に終わってしまう・・・もう少し古典の教養があると良いのですが。
ともかくも地謡の後、シテがあらためて牛若に対し、兒達が皆帰ってしまったのに、どうして一人残られたのかと問いかけます。

子方牛若は、兒達が平家の一門、わけても清盛の子供達であるため、寺も兒たちを大切にしているが、自分は月にも花にも捨てられたのだと言います。
これを受けてシテは「流石に和上臈は常磐腹には三男、毘沙門の沙の字をかたどり、御名をも沙那王とつけ申す」と、いきなり牛若の素性を語ります。見所にも、この山伏はただならぬ者と理解されるところです。

地謡下歌、上歌と聞いて、途中「夕べを残す花のあたり 鐘は聞こえて夜ぞ遅き」で座したまま目付柱の方を向いてやや上を見上げ、続いてやや面を伏せて鐘を聞く態。「奥は鞍馬の山道の」で立ち上がると子方に寄り、子方を立ち上がらせると後ろに立って手を放し正中へ。「さてもこの程お供して」あたりで、シテ正中、子方ワキ座で向き合う形になります。

「愛宕高雄の初桜」とシテは正先へ出、開いて目付、常座と回り「見残す方もあらばこそ」と謡一杯に常座からワキ座に立った子方と再び向き合います。
ロンギの謡。子方はシテに名を名乗るようにと謡いかけ、シテはこれを受けて、この山に年経たる大天狗と名乗りつつ出て開キます。
地謡「君 源の棟梁にて」と面を切って正中へ出、「平家を討たせ申さん為」と幕方を見込みます。「さも思し召されば」で子方に向き直ると「明日参会申すべし」と両手をついて別れを告げ、立ち上がって目付から正中、常座と回り「大僧正が谷を分けて」の謡に一ノ松までススッと進みます。
しばし一ノ松で佇み謡を聞くと、来序であらためて退場。子方も続いて退場し、アイの出となります。
このつづきはまた明日に
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鞍馬天狗さらにさらにつづき

昨夜は福島に行っておりまして、ブログ更新を断念しました。
という訳で一日あきましたが、観能記の続きです。

狂言来序となり、小天狗出立・・・鳶の面に末社頭巾、水衣に括り袴で杖を突きつつアイ木葉天狗の教義さんが登場してきます。さらに大二郎さん野島さんの二人は水衣を着けない形で続きます。

このブログで鞍馬天狗を取り上げるのは三度目ですが、金剛流工藤寛さんの時のアイは大藏家で、木葉天狗は教義さん・宮本さん・榎本さんでしたので、今回とほぼ同じ形でした。また宝生流水上優さんの時のアイは和泉流野村万作家で、岡聡史さんお一人が木葉天狗として出て立ちシャベリの形です。(金剛流工藤寛さんの鞍馬天狗月リンク)、(宝生流水上優さんの鞍馬天狗月リンク

小天狗出立で出た教義さんは常座に立ち、続いた二人はワキ座と笛座前に立って、教義さんの立ちシャベリ。鞍馬の奥、僧正が谷の大天狗に仕える木葉天狗と名乗り、花見を廻る騒動の一件を喋ります。
鞍馬では西谷、東谷と交代で花見を催し、今年は西谷の番ということで東谷の衆が西谷を訪れた。大天狗は面白いことと思い花見を覗いてみようと、客僧の形に姿を変え紛れていたところ、能力に見つけられてしまった。東谷の衆は奥に引っ込んでしまい、沙那王一人が残されていた。大天狗は沙那王に声をかけて慰め、花を見たければ見せ申そうと愛宕、高雄、吉野や勝手など様々な花を見せ、さらに兵法の大事を伝え平家を討たせ申そうと、様々に教え申した。木の葉隠れなど様々な秘技を伝えられたが、我等木葉天狗にも沙那王殿の打ち太刀をせよと命じられたので、これまで出てきたと語ります。
さて舞台を見回し、他の二人に向かって、お前達は沙那王殿の打ち太刀をしようと出てきたのかと問いかけます。大二郎さんが、聞けば沙那王殿の相手は常人では勤まらないそうだと返事し、これを受けてそれならば稽古しようと二人は正中で斬り合いの形になります。残る野島さんは目付柱のところで一人で稽古をしています。
やっとな、やっとなと二人が斬り組みますが、負けた大二郎さんは戻るぞ戻るぞと退場してしまいます。そこで教義さんが野島さんに声をかけ、今度は二人の斬り組になりますが、やはり負けた野島さんが退場してしまいます。
一人になってしまった教義さん、一人では沙那王殿の相手も出来まいし、ここまで罷り出た印に沙那王殿を呼び出して帰ろうと言うと、沙那王殿と大声で呼ばわり杖を突きつつ退場します。
・・・今回、いささか詳しく間狂言の様子を記してみました。

さて、間狂言が退場してしまうと一声の囃子、後子方の登場となります。
白大口に白の水衣を肩上げし、白鉢巻きも凛々しく、長刀突いて登場した子方は常座にて一声です。
さてこのつづきははまた明日に

鞍馬天狗またつづき

後子方は常座にて一声を謡い、地謡でワキ座へと移ります。
ながながと書いてきましたが、ここまでは小書無しの鞍馬天狗と特に大きく変わるところはありません。
変化があるのはここからで、地謡の「花やかなりける出立かな」の最後が長く引かれる中、大べしの囃子がかぶります。大ベシはそもそも極めてゆったりとした囃子ですが、白頭の位ということか一段重い感じがします。

後シテ大天狗は、白頭に大兜巾を付け、白の袷狩衣に白の半切、背に羽団扇を刺し、鹿背杖突いてゆったりと登場です。続いて天狗が八人、こちらは赤頭、概ね紺地の袷狩衣に朱の半切の出立です。

大天狗はシテ柱横に立ち、八人が橋掛り、幕前までずらっと並びます。これは壮観。
「そもそもこれは 鞍馬の奥 僧正が谷に年経て住める 大天狗なり」と、白頭の大天狗らしい、ゆったりと重々しい謡。
地謡が「先御供の天狗は。だれだれぞ筑紫には」と続け、常ならばシテとの掛け合いになるところですが、小書により供の天狗が出ていますので「彦山の豊前坊」から地謡と掛け合いつつツレの天狗が名乗るように謡う形です。

この謡の途中「大峰の前鬼が一党」あたりで、シテは杖を突きつつ舞台に入り、常座に立つと袖を巻いて正中へと出てきます。
「我慢高雄の峯に住んで」あたりで目付柱を見上げると、正に直して二、三足出て足拍子。「霞とたなびき雲となって」の地謡に、正中で一つ回って左袖を被き下居。
「月は鞍馬の僧正が」と立ち上がると目付柱に向かいます。控えていたツレ天狗一同も立ち上がり、八人のうち手前の三人が舞台ワキ正に並びます。
地謡の謡一杯にシテは鹿背杖を捨て、子方との問答になります。

このつづきもう少し長くなりそうですが、本日選挙の関係で夜まで出歩いておりましたため明日にまた・・・
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鞍馬天狗またまたのつづき

シテと子方の問答になります。
シテはワキ座に立った子方に向かい、小天狗を遣わしたが稽古の手並みをいかほどか見せられたかと問いかけます。子方はこれに対して、薄手にも斬りつけ手並みを見せたかったが、師匠に叱られるのではないかと思いとどまったと返事します。

これを聞いてシテ大天狗は、大小前で羽団扇で煽ぎつつ「ああ由々しし由々しし」と言います。「由々し」は良い意味、悪い意味どちらもありますが、ここは師匠を大事にする牛若を褒めたと解して良いのだろうと思います。シテは続けて(師匠にちなんだ)物語があるので語って聞かそうと言い、正中で床几にかかります。
ツレ天狗一同も立ち上がると、三人は地謡前に後ろを向いて座し、残る五人は橋掛りで後ろを向いてクツログ形となり、羽団扇を小枝に持ち替えます。

シテは張良と黄石公の話を語り始めます。話の中身は能「張良」そのままに、黄石公が張良に履を取らせた故事ですが、一度は左の履を落として取らせ、次には左右の履を落として取らせた、その両の履を「落ちたる履をおっ取って」と謡いつつ、羽団扇を両手で捧げ履を取り上げた形。
地謡「張良履を捧げつつ」の謡い出しとなり、地謡の後、シテは「其の如くに和上﨟も」と謡います。鞍馬天狗の舞囃子でお馴染みの部分。

「いかにも大事を残さず伝えて」で立ち上がったシテは、子方に寄ると子方が持っていた長刀を受け取り、「抑も武略のほまれの道」を聞いて舞働となります。
白頭の位で、ゆったりとした舞働。実は、天狗揃の小書ではツレ天狗が大勢出ているので、シテは床几にかかったまま舞わず、子方とツレの舞になるのでは・・・と想像していたのですが、シテの舞働にいささか驚いた次第。
しかしツレ一同も立ち上がった中、途中まではシテがゆったりと舞いますが、シテは子方に寄ると長刀を返し、受け取った子方が今度は常の舞働の位で舞う形です。

子方は舞台のツレのうち二人と斬り合い、残る一人と打ち合うと、橋掛りへと進みます。橋掛りに並んだ五人ともそれぞれに打ち合うと、打ち合った都度、天狗は着座して、子方が幕前まで進み、ここから舞台に戻って舞上げとなります。

地謡が「抑も武略のほまれの道」を繰り返すなか、シテが立ち上がり、「これまでなりや」で一同も立つと、「弓矢の力をそへ守るべし」あたりから、ツレ天狗、子方が退場し、シテはこれを送りつつ橋掛りへと進みます。
「夕影鞍馬の梢にかけって」と三ノ松あたりで飛び開ク形から留拍子を踏んで終曲となりました。
(80分:当日の上演時間を記しておきます)
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雁礫 茂山七五三(金剛定期能)

大藏流 金剛能楽堂 2014.11.23
 シテ 茂山七五三
  アド 茂山宗彦 茂山千五郎

なんとも慌ただしい11月、12月を過ごしましたが、ここにきてようやく落ち着いてきたところです。そんなわけで、11月の金剛定期能、はじめて京都の金剛能楽堂を訪れて拝見した際の記録を整理しておこうと思います。
途中からの入場となってしまいましたが、そのあたりの経緯は先に簡単に触れたところ(リンク)です。定期能全体についての感想などは後ほどまた書くこととして、とりあえず狂言の雁礫から・・・

さてこの雁礫、これまでこのブログでは二度ほど取り上げていますが、いずれも大藏流で、一度は大藏吉次郎さんのシテ月リンク)で、一度は今は亡き山本則直さんのシテ月リンク)で観ております。
今回も大藏流ですが、以前から書いておりますように狂言は家々によって違いがあり、同じ流儀でも本自体が違うこともあります。ましてや演出の違いは大きく、随分と異なる印象を受けることがあります。

この雁礫も、山本家のカッチリとした芸風と、大藏家や茂山家の芸風にはかなりの違いがあります。大藏家と茂山家は何代か遡ると兄弟弟子だったこともあり、似たような印象を受けますが、そうは言っても家毎に、演者毎に、違いが出てきます。

まずは舞台にシテ七五三さんが登場、洞烏帽子に素袍上下の大名出立で弓矢を持っての出です。常座に立って、ご存知の者でござると名乗るのは、これまでの鑑賞記と一緒です。このところどこにも出かけなかったので、「心が屈して悪しゅうござる」とおっしゃったと思うのですが、気が滅入ったくらいの感じでしょうか、ともかく気晴らしに狩にでも出かけようという段で、舞台を廻って野へと向かいます。
金剛能楽堂、喜多六平太記念能楽堂と同じくらいの印象で、見所と舞台が大変近く感じられます。
舞台を廻りつつ、今日は天気が良いので何も獲物がないということはなかろう、とか、近々来客があるので、獲物を捕ったらもてなしにしようなどと独り言ち。ぐるっと舞台を廻って「野へ参った」と目的地にやって来ます。
いつもこの辺りには鳥がいるのだが、などと言いつつ野を様々に見やるうち、大きな雁が下りたので、これを射てやろうと言って、身支度を始めます。
さてこのつづきはまた明日に
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雁礫のつづき

持っていた弓矢を投げ捨て、身支度をしますが、さて弓矢を構えようとして持つ手を間違え右手に弓を持とうとしまいます。で「いやいや 弓手はこちらでござった」と持ち替えるのですが、これがあまりに自然でして、はてあれは本当に間違えたのか、それとも演出なのかと迷ったほど。このあと、矢をつがえる際に、鏃の方を弓弦にあて、矢羽根の付いた方を獲物に向けて「これは違う こちらじゃ」と言うので、ああ、やはりさっきのも演出だったのかと思った次第です。

ともかく七五三さんに限らず、茂山家の狂言は本当に楽しい。どこまでが素で、どこからが芸なのかと思うくらいに、自然とおかしい雰囲気が醸し出されます。

さて大名が、こちらから射ようか、もうそっと寄ろうかなどとあれこれ算段しているところに、アド宗彦さんが登場してきます。忙しや忙しやと橋掛りに出るそばから大声で言い、主人の命で山一つ向こうに行くのだが忙しいことだなどと言いつつ雁に気付き、見事な雁なので礫を打って取ろうと言うとそのまま狙いを付けて礫を投げる所作。
雁に礫が当たった様子で、嬉しや嬉しやとさっそく雁に見立てた洞烏帽子を取り上げて去ろうとします。
烏帽子は角近くに置かれていますので、常座から出てそのまま取り上げ去ろうとする形ですが、笛座からワキ座あたりへとあちらこちら動きながら狙いを付けていたシテが、やいそこなやつ、と怒って声をかけます。

この後は、シテ、アドの言い合いになり、弓矢をつがえた大名がアド男を脅し、アドが呼び出して仲裁人が出るといういつもの形。小アド仲裁人の千五郎さんは、シテとともに出て狂言座に控えていましたが、ここで立ち上がって二人を留める形です。
実は私が座ったのが脇正面の一番橋掛り寄りで、狂言座が直ぐ近く。ほんの数メートル先に千五郎さんが座っていて、着物の柄までよくよくわかります。こんな臨場感はなかなかない。

ともかく二人に割って入った仲裁人の捌きにより、雁をもう一度元のところに置いて大名が矢で射ることにします。この際、明らかに仲裁人は男の肩を持っている風で、死んでいる雁を射るのでは大名に有利だ、と言う男を、あのおさむらいの手許を見るなかなか当たるものではあるまいとなだめます。
また大名が矢を射るのに、だんだん雁に近付いてしまうのを男が押し止めると、男に加勢して早く射るようにと声を出すなどの動きをします。

とうとう大名が矢を射ると、矢は当たるどころか飛びもせず、男と仲裁人は大笑い。仲裁人は男に、はよ行け、はよ行けと促します。大名が呼び止め、片羽がいなりとも置いてゆけと声をかけます。片羽がいをどうするのだと男が問うと、大名は羽箒にすると言いますが、男は片羽がいでもやるものではないと言い放ち、仲裁人がはやく行けと促して二人は幕に。大名がやるまいぞと追いかけて留になりました。

登場人物の性格付けがよりハッキリと感じられ、仲裁人もなかなかに味のある役どころであると感じられたところです。
(15分:当日の上演時間を記しておきます)
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花もよ

二年半ほど前、正確には2012年5月に創刊された「花もよ」という能狂言の総合誌があります。隔月刊で現在16号まで出ていますが、20ページ少々の薄い体裁なのに、充実した誌面で、なかなかに読み応えがあります。

創刊号から全て手許にありますが、まだ半分も読んでいません。最初、何号か続けて買ってみたのですが、さっと読み飛ばすにはあまりにもったいない気がして、一号読むのにも大変な時間がかかってしまっています。
何ヶ月か前に、思い切ってバックナンバーをまとめ買いしたのですが、積ん読状態です。まあ、焦らず気の向くままに読んでいこうと思っています。

それにつけてもどうしてそんなに時間がかかるのか、というと、一つ一つの記事に様々なことを考えてしまうからなのです。
これから機会を見て、記事をもとに思ったことなども書いてみようかと思っていますが、今日は昨年1月の5号に掲載されていた、増田正造さんの一文から。
「寿夫帰らず」の題で、4号の付録CDに収録されていた観世寿夫さんの邯鄲の録音から、寿夫さんを巡る思いなどを綴った小文です。

これまでも何度か触れたことはありますが、観世寿夫さんは現九世 観世銕之丞 暁夫さんの伯父さんにあたり七世銕之丞雅雪の長男。世阿弥の再来とも言われ、当時の能楽界のまさに”スター”でしたが、昭和53年に53歳の若さで早世されました。
私が寿夫さんの舞台を拝見したのは、最晩年・・・今の自分よりも若い年齢に最晩年と使うのも、なんとも残念なことですが・・・の数年間でしたが、よく分からない中に、なんだかスゴいものを観ているという印象だけが残っています。

その寿夫さんについての思い出として増田さんの一文には、あるとき寿夫さんの俊寛の録音が流れているのを聞いて、著名な狂言方のどなたかが、「宝生流でこんなうまい人誰だったっけ」とおしゃったという逸話が紹介されています。
寿夫さんは宝生流の名人といわれた野口兼資に傾倒し、稽古を受けたことも紹介されていまして、ある時期、玄人が聞いても宝生流とまがうほどだったという話です。

私が寿夫さんの舞台を拝見した頃は、もはやそれほどではなくなっていましたが、それでも謡の発声は独特で、観世流というよりは宝生流を思わせるものでしたし、観世流でいうサシの型でも、宝生流のように、扇をほとんど水平に構えておられた記憶があります。・・・最近は観世流の先生方も水平に近く構える方が多いように思いますが、以前はもっと立てていたように思います。

先日「寶生流と喜多流が好きな者」さんからコメントをいただきました。「喜之家の系統は寶生流みたいな趣があり・・・」とのご意見もありましたが、寿夫さんご存命の頃は銕仙会の方がずっと宝生振りに感じられたものです。

「流儀の違い」も時代によって、演者によってどんどん変化するようです。
金剛の謡も、坂戸金剛家最後の当主右京さんの頃と現在では、随分違ってしまい、観世に似た印象になってきたとの話も、どこかで読んだ記憶があります。
家元のもとで内弟子を勤めなければ、独立できないという宝生流と違って、特に観世流では、もともと職分家が数多くあり、梅若流として独立していたことのある梅若六郎家、観世銕之丞家、観世喜之家と、家元に近い系統の先生方など、家々で芸風に相当な違いがありました。これがこの数十年間で、さらに様々に変化をしているように感じます。現銕之丞家は、かつてよりずっと宗家と近い感じがします。

そうそうついでながら、寿夫さんの次弟栄夫さんは、観世流を離れて十四世喜多六平太、、喜多実などに師事し、後藤得三さんの芸養子になって、一時後藤栄夫を名乗っていました。その後能楽界を離れて現代演劇などで活躍し、私もテレビなどで現代劇の役者として拝見していました。しかし寿夫さんの没後、観世流に復帰し、2007年まで銕仙会の重鎮として能を演じておられたのは広く知られるところです。
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大晦日にひと言

毎年、大晦日を迎える度にひとこと書いています。
今回は九回目となりました。観能も間遠になりがちで、今年の観能は能が11番、狂言が6番ほどですが、それでも機会ある毎に観るように心がけています。

そんな中でハイライトと言えば、京都に出かけ金剛能楽堂を訪れたことでしょうか。なんだか能楽堂自体が、アットホームな雰囲気を漂わせていたような気がします。建物は新しいのですが・・・

また、昨日はじめて触れさせていただきましたが「花もよ」など、読むにつけ、能楽の奥深さ、面白さを感じるところです。

仕事の方は相変わらずで、むしろ休日を含め雑事が多くなっていますが、来年もなんとか時間の都合をつけつつ、舞台を観ていきたいと思っています。観能記も遅れがちですが、こちらもまた自分の楽しみとして続けていこうと思っています。

皆様、どうぞ健やかに新年を迎えられますよう、お祈りいたします

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