能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

一角仙人 豊嶋三千春(金剛定期能)

みなさま あけましておめでとうございます。
新年の最初は、昨年の観能記の最後、金剛定期能の一角仙人からです

金剛流 金剛能楽堂 2014.11.23
 シテ 豊嶋三千春
  ツレ 豊嶋晃嗣、子方 溝前辰樹 豊嶋望実
  ワキ 有松遼一、ワキツレ 小林努 久馬治彦
   大鼓 石井保彦、小鼓 成田達志
   太鼓 井上敬介、笛 杉信太朗

あまり馴染みの無い曲なのですが、徐々に上演が増えてきた様子です。時々参照させていただいている大角征矢さんの観世流演能統計によると、昭和25年から34年の十年間では9回の上演で141位、次の十年も9回で152位だったのですが、昭和45年から54年になると20回の上演で132位に、次の十年では38回で107位、平成に入って平成2年からの十年では79回の上演で73位に順位を上げています。
どうも見た目が派手なこともあり、地方のホールでの演能などで取り上げられる機会が増えているらしいのですね。そういう意味では、あまり能楽堂で見かける曲ではありません。

さて舞台には紺の引廻しを掛けた藁屋、屋根に蔦葛が申し訳程度につけられたものが持ち出され、ワキ座に据え付けられました。続いて一畳台が運び出されて大小前に。さらに紫の緞子で形作られた岩の作り物が一畳台の上に据えられます。私の位置、脇正面の橋掛り寄りから見ると、後ろ半分が何もないのがよく分かります。

この作り物の置き方は観世流と同じです。この曲、宝生以外の四流が現行曲としていますが、ものの本などによると、観世流は今回のような置き方。一方、下掛三流は藁屋を大小前に置き、岩をワキ座ないしは笛座あたりに置くのが定石のようです。
しかし今回は観世と同じ形。これが金剛流では一般的になっているのか、今回限りのようなことなのか、このあたりは分かりません。
金春の桜間金記さんが薪能でされたときは、藁屋を大小前に出し、岩は出されませんでしたが、演出には色々な考えもあるということなのでしょう。

さて作り物が据えられると名宣笛。杉信太朗さんの笛で、ツレ旋陀夫人の豊嶋晃嗣さんが先に立ち、輿舁のワキツレ二人が後ろから輿を差し掛ける形、後からワキ有松さんが続いての登場です。緋の大口に唐織打掛、天冠を着けたツレと、輿舁二人は正中まで進み、後から続いたワキが常座に立って名乗りとなります。

これまたいささか異例な形で、ワキがツレなどと一緒に舞台に入るときは名宣笛を吹かないというのが普通かと思います。桜間金記さんの時も、ワキ森常好さんの一行は囃子無しで登場しましたが、この日は特別の演出だったのか・・・ともかくもこのつづきはまた明日に
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一角仙人のつづき

ワキの名乗り。天竺波羅那国の帝王に仕える臣下と名乗り、一角仙人の子細をやや詳しく語ります。鹿の胎内から出生したため、額に角一つが生えている仙人だが、ある事情から竜神と争った。仙人が神通力をもって竜神達を岩屋の中に封じ込めてしまったため、数年の間、雨が降らなくなってしまった。
帝はこれを嘆き、様々に計略をめぐらせたが、旋陀夫人という並びない美人を、道に迷った旅人の態で一角仙人のもとに送り込むことにした。仙人が夫人に心を移し、神通力を失うかも知れないとの計画である。そこでこうして夫人を伴い、山道に分け入ってきたのだ・・・と、そんなことを語ります。

つづいてワキツレとともに一声、上歌と謡い、道行の態で「道の行方はいかならん」と納めて、一角仙人の住む仙境にやって来たと、着きゼリフになります。
怪しい岩屋の影から吹いてくる風が香ばしく、庵もある。ここがかの仙境であろうかとワキが言い、一行は向きを変え、ツレ、ワキが地謡前に。ワキツレ輿舁は鏡板に向かいクツログ形になります。

藁屋の引廻しが下ろされて、中に座しているシテ一角仙人が姿を現します。
シテは藁屋の内で謡い出します。このサシ謡の途中「江上数峯青かりし」あたりでツレとワキが立ち上がってワキ正側に進み、ツレは角の少し下がった辺りに立って前を向きます。ワキは庵を向いて「いかにこの庵のうちに案内申し候」と声をかけます。

シテは人の通わぬこの所にやって来た御身は如何なる者かと問いかけます。これに対してワキは、山道に踏み迷ってので、一夜の宿を貸して欲しいと頼みます。
シテは帰るようにと言いますが、ワキにまず姿を見せて欲しいと言われ、この上は旅人に会おうと言います。これを受けて地謡「柴のとぼそを押し開き」でシテが藁屋の中で立ち上がり、ワキ、ツレがシテに向く形になると、シテが扉を開いて藁屋から出てきます。

黒頭、面は一角仙人の専用面で額に角が生えています。無地熨斗目に緑の縷(ヨレ)の水衣、木の葉を付けており、手に持つ団扇も木の葉のような形をしています。
シテは地謡一杯に藁屋を出、地謡側に置かれた床几に腰を下ろします。ツレ旋陀夫人は再び座して正面を向きます。
さてこのつづきはまた明日に
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一角仙人さらにつづき

ワキは、聞き及ぶ一角仙人でいらっしゃるかと問いかけます。
シテは、自ら一角仙人であると言い、さて見るとただの女人とは見えず、どこから来たのかと問いかけますが、ワキは繰り返して踏み迷った旅人と答えて、旅の慰めに持ち歩いている酒をシテに勧めます。

シテは仙境にあって、酒は飲まないと断りますが、ワキは志を受けるようにと重ねて勧めます。ツレは扇を広げて立ち上がり、ワキが「夫人は酌に立ち給い」と謡うに合わせてシテに二、三足寄って下居。シテは志を無にしては鬼畜にも劣るだろう・・・などと言って地謡。
「夕べの月の盃を」でシテは床几を下りて下居、ツレが寄って酒を注ぐ形です。「折る袖匂う菊の露」あたりでワキは地謡前に下居。

地謡のあと、気を変えるようにシテの謡「おもしろや盃の」。これを受けて地謡が謡い出すと、ツレは扇を閉じて立ち上がり常座へ。左の手を差し出して正中へサシ分けるように右に回り大小前に。「舞楽の曲ぞおもしろき」で答拝して楽を舞い始めます。

ツレが一人で舞い始めますが、カカリの途中あたりでシテはツレの舞を追いかけるように面を使い始めます。初段のはじめ、ツレが扇を広げ上扇の型になると、シテも立ち上がり、少し遅れながら動きだします。
ヲロシの拍子は、ややツレに遅れて踏みますが、少しずつシテの舞がツレの舞に合い始め、二段に入った辺りからは相舞の感じになります。

一度、シテは腰を下ろし、三段はツレだけが舞う形で進みますが、再び立ち上がったシテがツレの左肩に手を添えて拍子を踏みます。その後、逆にツレが腰を下ろし、少し酒に酔ってふらふらした風のシテが舞上げる形になりました。

この相舞が一角仙人の前場のハイライトで、酒に酔って夫人の色香に迷いつつ、合う様な合わないような舞を舞うというのが見せ場です。観世流では割と普通の相舞に近い形で舞うのが通常の形のようで、酔中之楽の小書を付けたときに、このように遅れながら酔いを見せつつ舞う形になるようです。
この楽の途中で切戸から小袖を被った子方二人が現れて岩に姿を隠しました。なにぶん、真横に座っておりましたので、ここは大変良く見えたところ。
さてこのつづきはまた明日に
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一角仙人さらにさらにつづき

楽を舞上げると地謡「糸竹の調べ数々に」となり、シテはサシ込み開キ、大左右。ツレ夫人は扇を広げシテの木の葉団扇に「盃も度々廻れば」と酒を注ぐ形。
シテは角に出「仙人は次第に足弱車の」とタラタラと下がり、大小前にて座して「舞の袂を片敷き臥せば」枕扇の形になります。

「夫人は悦び」と太鼓が刻み、心がはやる風を感じさせます。シテが眠り込んだ風に、ツレ夫人は立ち上がって橋掛りへと向かい、鏡板にクツロイでいたワキツレがシテ柱あたりでツレに輿を差し掛けます。ワキもつづいて「帝都に帰らせ給いけり」で幕に入ってしまいます。

さて直ぐに地謡が調子を変え「かかりければ岩屋の内 頻りに鳴動して」と拍不合で謡い出します。

シテは「あら不思議や」と謡いつつ立ち上がり、ワキ正に出て「竜神をを封じ込め置きし岩屋の俄に鳴動するは」と謡いつつ岩屋を見込み、下居します。
すると岩の内から子方が「いかにやいかに一角仙人」と謡い出し、シテは肩上げして左手に剣を持つと、この子方の謡いっぱいにワキ座へと向かいます。

地謡となり「山風あらく吹き落ちて」の謡にシテはワキ座から岩を見込みます。「盤石四方に破れ砕けて」で岩が左右に割れ、赤頭に龍戴をいただき、袷法被に半切、打ち杖を持った子方の竜神二人が姿を現します。
二人はそのまま舞働。台上に上り、また舞台へ出て竜神のちからを示す形。

シテの謡から地謡となり、シテは正中に出て剣を抜いて竜神と戦いますが、竜神二人に押され「仙人神通の力も尽きて」と橋掛りへ逃げ、二の松辺りで「倒れ伏せば」と両手突いて伏せ、立ち上がるとそのまま幕に入ります。
竜神二人が舞い続け、一ノ松、二ノ松に一人ずつ立って足拍子を踏んで飛び回り、留拍子を踏んで終曲となりました。

この曲、竜神は子方が務めるのが普通ですがツレとしても良いようです。金記さんの演能もツレでした。ただし大人のツレ二人が岩に隠れることは不可能ですから、岩屋を省略されたのだろうと思います。もっとも、ツレ二人の時は、一人が岩屋に隠れ、もう一人は幕から出るという演出もあるようですが・・・

附け祝言は呉服。あれぇこれ何だっけと暫し茫然。東京では附け祝言に絶対出てこない曲ですね。
(50分:当日の上演時間を記しておきます)
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銕仙会を観に行く

既に一週間近く前のことになってしまいましたが、十二日の成人の日、銕仙会の一月定期公演を観に宝生能楽堂へ行って参りました。
宝生能楽堂は昨年、座席の改修工事があり、大変座り心地が良くなりましたが、今年から座席番号が変わって、正面、脇正面、中正面で番号帯が分かれました。これまでは、例えば「ろ-1」が正面にも、脇正面にも、中正面にもあって、時々席を間違われる方を見かけました。改定後は脇正面が1番から、中正面が21番から、正面が51番からと、被らない番号になっているので、とても分かりやすくなりました。

さて銕仙会ですが、いつもは金曜日の夜の公演のところ、一月の会は休日の日中ということで、余裕をもって観て参りました。
例年通り、翁に始まる番組ですが、今年は父尉延命冠者の小書がついていささか特別な感じです。父ノ尉を銕之丞さんが、延命冠者を淳夫さんが勤め、三番叟は石田幸雄さんでした。
銕仙会では翁付にされないことが多く、今回も翁の後は、清水寛二さんのシテで葛城。大和舞の小書付です。狂言は萬斎さんのシテで成上り、最後に山本順之さんのシテで恋重荷という番組でした。

父尉延命冠者は初めて観ましたが、一口に言えば四日之式の翁が父ノ尉の面をかけ、千歳が延命冠者の面をかける、といった形です。いずれ舞台の様子はブログに書くつもりでおります。相変わらずの毎日で、なかなか鑑賞記を書く時間がとれないため、いささか先になるかも知れませんが・・・

葛城の大和舞、今回は特殊な演出で途中でいささか驚きましたが、いずれにしても清水寛二さんらしいしっかりした舞台で、雪の葛城山が眼前にイメージされたところです。

恋重荷、どうにもやるせない一曲ですが、山本順之さんの荘司と西村高夫さんの女御で、しみじみと思いの深い舞台を拝見しました。
いずれ翁から恋重荷まで、鑑賞記を書くつもりです。

ところで翌日の十三日に、片山幽雪さんが亡くなられたとのこと。翁の時は見所に井上八千代さんのお姿を見かけましたが、あれから京都に戻られたのか。九郎右衛門さんも葛城の後見に出ておられましたが・・・
また一人、惜しい方が亡くなられました。心よりご冥福をお祈りします。
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翁 父尉延命冠者 観世銕之丞(銕仙会一月定期公演)

観世流 宝生能楽堂 2015.01.12
 父尉 観世銕之丞
  三番叟 石田幸雄、延命冠者 観世淳夫、面箱持 内藤連 
   大鼓 柿原弘和、小鼓頭取 大倉源次郎
   脇鼓 田邊恭資 清水和音
   笛 松田弘之

銕仙会の翁、今年は父尉延命冠者(ちちのじょうえんめいかじゃ)の小書が付いています。
これまで、このブログでは翁をめぐって様々なことを書いてきました。翁の話だけを取り上げたこともありますし、翁の観能記の都度、翁自体についても触れてきたところです。
これまでの記載は「能の鑑賞記索引」と「能楽の手引索引」から辿れますので、機会あればご参照下さい。

今回、特に事新しく「翁」について語るつもりではありませんが、実は昨年、角川学芸出版から出ている「能を読む」全四巻の巻一「翁と観阿弥」を読みまして、翁と能の源流についていろいろと考えるところがありました。大変参考になる良書と思います。
こちらも併せて目を通されると、実際に翁をご覧になる際もより深く感じることが出来ようかと思います。

さて今回の小書「父尉延命冠者」ですが、ずっと以前にブログにも書いたように、鎌倉時代の翁をめぐる記録に、児、翁面、三番猿楽に続いて冠者、父允と都合五役が記されているものがあるそうです。児(ちご)が現在の千歳に、翁面は翁に相当する訳ですが、三番猿楽が三番叟にストレートに結びつくのかどうかには、異説もあるようです。
ともかくも古い時代には父尉や延命冠者も登場していたらしいのですが、父尉は既に室町時代には省略されるようになっていたとの話も聞きます。残念ながら、この古い時代の父尉や冠者がいったいどういう舞を舞い、所作をしたのか、現在では分からなくなってしまいました。

ところで観世流の翁には、「初日之式」「二日之式」「三日之式」「四日之式」「法会之式」「十二月往来」「父尉延命冠者」「弓矢立合」「舟立合」の九つの形式があります。通常、翁と言ったときは「四日之式」を指しますが、こうした形に整理されたのは、どうやら江戸時代中期の十五世観世太夫元章のときだったようです。
父尉延命冠者もこの時に現在のような形に整理されたらしいのですが、言ってみれば、翁が父尉に、千歳が延命冠者になり、詞章が変わるといった態で、古い時代のように五役が登場したり、翁之舞や千歳之舞と異なる特殊な舞が舞われるといったこともありません。
とは言え、滅多に観られない特殊な形でもありますので、いささか詳しく舞台の様子など書き記しておこうと思います。
明日につづきます
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父尉延命冠者のつづき

開演を待っていると、後見、おそらく浅見真州さんだったと思うのですが、片幕から上半身を見せて切り火。ああ、翁だなあと、しみじみ思ったところです。観世流は舞台に向けて切り火しますが、他流ではあまり記憶がありません。

さて幕内から長く引く声が聞こえ幕が上がると、緑の直垂姿の面箱持内藤連さんが先に立ち、続いて翁太夫の銕之丞さん、延命冠者の淳夫さんが続きます。翁の装束は常の蜀江錦の翁狩衣ではなく、茶の狩衣で指貫も白と常と異なる形です。観世家には徳川家康から拝領したという薄茶地銀欄の翁狩衣があるそうですが、この日の装束の由来はどうなのか・・・

ともかく面箱持が舞台に進み角に着座すると、翁が正先まで進み出て両手を突いて深く拝礼します。延命冠者以下の一同が橋掛りに控えて着座するなか、翁太夫は笛座前に向かい、音を立てつつ目付柱を向いて着座します。これを合図に面箱持が面箱を持って翁に寄り、向かい合って座すと面箱を開いて面を用意します。
正面席を取っていたので、面箱持の背中から見る形になり、手許はよく分かりませんでしたが、袋に入った面を取りだして面箱の上に並べる際、いつもよりもかなり時間がかかりました。常の形では白式尉一面を取り出すだけですが、今回は面箱持から見て左側に父尉の面、右側に延命冠者の面を並べる形になっています。

さて面箱の準備が整うと、延命冠者がワキ座に、面箱持がその隣の地謡座側に控えて着座。囃子方、地謡一同も着座し、笛が座着キを吹き出します。
直ぐに小鼓方が身支度を始めますが、同時に延命冠者も立ち上がり、翁のそばに寄ると面箱の地謡座側に面箱を向いて着座。翁と90度の位置に座して面箱から延命冠者の面を取り上げ、戴いて面をかけました。面の紐は浅葱色のようでしたが、白式尉同様、目をへの字の形にして笑い顔の表情です。

延命冠者は翁の横、地謡座側に座してシテ柱の方を向いて面をかけ、後見の永島忠侈さんが面紐を締めます。
翁が「とうとうたらり」と謡い出し、地謡と交互に謡いますが、地謡「幸ひ心に任せたり」に続く翁の「とうとうたらりたらりら」の謡の辺りで、延命冠者の用意が調い、地謡座前のあたりに下居して待つ形。地謡の「ちりやたらいたらりら たらりあがりららりとう」の最後に笛がヒシギを吹くと延命冠者は袖露取って立ち上がり、「鳴るは瀧の水」と謡いつつ大小前へと向かいます。
さてこのつづきはまた明日に
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父尉延命冠者さらにつづき

地謡「絶えずとうたりありうとうとうとう」の謡にこたえ、延命冠者は「絶えずとうたり 常にとうたり」と謡って舞に入ります。
千歳之舞の型を知っているわけではないので、あくまでも印象に過ぎませんが、常の千歳之舞と特段変わらないと感じました。この舞の内に翁太夫が面箱から父尉の面を取り出します。
父尉の面は、常の白式尉と比べるといささか目が吊り上がった独特の表情ですが、切り顎の形式で白式尉、黒式尉と共通です。翁太夫は面を一度押し戴いてから着けます。

延命冠者は舞い終えると「所千代までおはしませ」と謡い出します。
ここの詞章は四日之式とは異なっていて、延命冠者の謡に続き
地謡「我らも千秋さむらはう」
延命冠者「鶴と亀との齢にて 所は久しく栄え給ふべしや鶴は千代経る君はいかが経る」
地謡「萬代こそ経れありうとうとうとう」
と謡って二度目の延命冠者の舞に入ります。

延命冠者は舞の途中扇を広げ、舞い終えると大鼓の前あたりに立ちます。四日之式では舞い終えた千歳はワキ座に戻りますが、延命冠者は大鼓の前のあたりに立ったままで、翁、ここでは父尉の謡を聞く形になります。

四日之式では千歳之舞の後、
翁「座して居たれども」
地「尋(いろ)ばかりやとんどや」
地「参らうれんげりやとんどや」
翁「千早振 神のひこさの昔より 久しかれとぞ祝ひ」
地「そよやりちや」
翁ワカ「凡そ千年の鶴は 万歳楽と歌うたり 又万代の池の亀は 甲に三極を備へたり 渚の砂 索々として朝の日の色を朗じ 瀧の水 冷々として夜の月鮮かに浮んだり 天下泰平国土安穏 今日の御祈祷なり 在原や なぞの 翁ども」
地「あれはなぞの翁ども そや何くの翁とうとう」
と謡が続きます。その後は翁が「そよや」と謡って翁之舞です。

しかし今回は詞章も異なりますが、このつづきはまた明日に
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父尉延命冠者さらにさらにつづき

父尉が「あれはなぞの小冠者ぞや」と謡い、地謡が「釈迦牟尼仏の小冠者ぞや 生まれし所は忉利天(トウリテン)」と続けるなか、大鼓がアシライ、父尉は目付柱の方から大小前の方向へと向きを変えます。

父尉「育つ所は花が」と謡って立ち上がると、大鼓の前あたりに立っている延命冠者と、常座あたりで立ち上がった三番叟が父尉の方を向き、父尉に向き合う形になります。四日之式では千歳がワキ座に下がっていますので、翁と三番叟が向き合う形ですが、ここでは延命冠者がその間に入る形になります。

地謡「園ましまさば 疾くしてましませ父の尉 親子と共に連れて御祈祷申さん」の謡で、三番叟は後見座へと向かい、父尉と延命冠者が並んで立つ形になります。見所から見て右側の父尉の方がほんの少し前に出、左側の延命冠者が少しだけ下がった感じ。父尉の面紐は薄茶色、蒲色でしょうか。
二人連吟で「一天収まって日月の影明かし 雨潤し風穏やかに吹いて 時に随って干魃水損の恐れ更になし 人は家々に楽しみの声絶ゆる事なく 徳は四海に余り 喜びは日々に増し 上は五徳の歌を謡ひ舞ひ遊ぶ そよや喜びにまた喜びを重ぬれば 共に嬉しく」と謡います。
地謡の「物見ざりけり ありうとうとう」で父尉が前に出、延命冠者は地謡座の前に移って下居します。
ここまでが四日之式と異なるところで、その後は父尉が「そよや」と謡って翁之舞になります。舞自体は常の翁之舞と同じ形だったと思います。

舞い終えると父尉が「千秋万歳の 祝ひの舞なれば 一舞まはう万歳楽」と謡います。四日之式では「喜びの舞」と謡いますが、九つある翁の形の内、三日之式と四日之式は「喜びの舞」それ以外は「祝ひの舞」と謡います。どういうわけか理由は分かりませんが・・・

続いて地謡と父尉が「万歳楽」と繰り返し、地謡がさらに「万歳楽」と謡うと、父尉と延命冠者は面箱前に向かい、揃って座して面を外します。
翁が立って正先へと向かい、両手を突いて深く拝礼して立ち上がると、これに合わせて延命冠者も立ち上がり、翁還りとなります。
この後は四日之式と同じですが、もう少しだけ明日につづけます
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父尉延命冠者もう一日のつづき

父尉、延命冠者を勤め上げた銕之丞さんと淳夫さんが鼓に送られて退場すると、後見は面箱から黒式尉の面と鈴を出し、見所から見て左、笛座側の浅見真州さんが黒式尉の面、右、ワキ座側の永島忠侈さんが鈴を、それぞれ袖に隠します。

三番叟の石田さんが「おおさえおおさえ」と謡いつつ進み出て揉ノ段を舞います。
昨日も書いたとおり、三番叟は四日之式と異なることはありません。通常に揉ノ段を舞いますが、烏飛びのあたりで後見二人が立ち上がり、黒式尉の面は狂言後見に、鈴は面箱持にそれぞれ渡して退場します。

地謡もこれに合わせて立ち上がると切戸口から退場です。
翁付であればそのまま舞台に残るところですが、今回は翁のみの上演のためシテ方はここまでで全員が退場してしまう形。なんだかちょっと寂しい。

舞台では揉ノ段を舞上げた三番叟と面箱持の問答になり、常の形のごとく座敷に戻れの、先に舞えの、のやり取りから、面箱持が三番叟に鈴を渡して鈴ノ段になります。
石田さんの三番叟は初めて拝見しましたが、万作家らしい切れの良い舞です。
ゆったりとした舞出しから、徐々にテンポが上がり、最後は激しく舞い、笛のヒシギに小鼓が留ノ手を打って終曲となりました。

三番叟が面、鈴を面箱に戻し退場。面箱持、囃子方も退場し翁が終了しました。
囃子方が退場する最後の最後になって拍手が出ましたが、ここは拍手が無くても良かったのでは・・・などと。
銕仙会では常々囃子方が退場し始めるまで拍手が出ませんが、翁付であれば本来ここでは囃子方は退場しないわけですし、儀式的意味合いの強い「翁」ですので拍手はなくても良かったのでは、などと考えたところです。見所の気分でもあり、目くじら立てることではありませんが。

ところで先日ちょっとふれた「花もよ」、一昨年の第6号に山崎有一郞さんのインタビューが掲載されています。山崎さんも百歳を越えられたはずですが相変わらずお元気な様子。
さてそのインタビューの中に「昔は『能』という『舞』であった、今は『能』という『劇』になっちゃった」という一節があります。山崎さんがこの七、八十年舞台を観ているうちに能楽も変化してきていて、ドラマティックに演じられるようになり、わかりやすくなったという指摘です。
しかし、つまらなくなってしまったとも仰っています。この辺りは「花もよ」でお読み戴くのが一番で、変な引用をするともとの文脈と違ってしまいそうなのですが、私がこの舞台を観つつ、ふと山崎さんの言葉を思い出したのは、翁や多くの脇能は「ドラマティック」に演じようのないものだと、あらためて感じたからです。

これまでも「高砂などの神能が好きだ」と何度か書いていますが、特段のドラマ性が無い、舞を観て気分を感じるだけの能が、なぜか私は好きです。もちろんドラマティックなものが嫌いというわけではありませんが、妙に神能の持つ気分に引かれることがあります。翁はその最たるもの・・・とあらためて感じたところです。
(おおよそ60分:当日の上演時間を記しておきます)
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