能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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ちょっとごぶさた

なんだか更新が遠のいてしまいまして、はや6月も第二週。
5月の末には一週間ほどアメリカに行っておりまして、そんなこともあってついつい更新がおろそかになっております。

5月の10日には九皐会の例会を観に行ってきまして、初めて「寝覚」を拝見しました。
ほーっ、こんな曲ですか・・・と感心したのですが、鑑賞記には手がつかず。

さてさてメモをひっくり返して、少しずつ書いてみようかな、と、ようやくそんな気になってきました。
明日辺りから書けると良いかな・・・
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寝覺 観世喜正(九皐会定例会)

観世流 矢来能楽堂 2015.05.10
 シテ 観世喜正、ツレ 池上正悟
  天女 新井麻衣子 河井美紀、
  龍神 佐久間二郎 坂真太郎
  ワキ 森常好
  ワキツレ 舘田善博 森常太郎
  アイ 中村修一
   大鼓 亀井洋佑、小鼓 観世新九郎
   太鼓 観世元伯、笛 藤田六郎兵衛

九皐会のパンフレット通り「寝覺」と書いてみましたが、面倒なのでこの後は普通に「寝覚(ねざめ)」と表記します。
さてこの曲、観世流にしかないのですが、その観世流でも滅多に上演されない稀曲の類です。いつも引用させて頂いている福岡在住の大角征矢さんによる観世流演能統計によると、昭和25年から平成21年の60年間に、寝覚が上演されたのは全国で17回。平成に入ってからは3回とあります。たしか平成22年以降に関西で1度、関東で1度上演されている様子なので、今回が平成に入って6度目の上演という次第です。

別に変な曲という訳でもないのですが、後場で天女二人に龍神二人が出て、それぞれ天女ノ舞と舞働を舞い、さらにシテは楽を舞うという、確かに演者を揃えて着付けに追われて・・・と考えると上演に逡巡しそうな気もします。数多い脇能の中ではついつい避けられてしまうのかもしれません。
いずれにしても、遠い曲を積極的に舞台にかけようとしておられる喜正さんならではの選曲かと思います。

さて囃子方、地謡が座に着くと後見が一畳台を持ち出して大小前に。さらに緑の引廻しを掛けた山を出して台上に載せます。山の上には松と榊でしょうか青々とした様。謡本には作物として一畳台と小宮の記載があるのですが、山にされたのは考えあっての演出でしょうか。
囃子が真ノ次第を奏し、ワキが紺地、亀甲に雲の文様の狩衣を着け、大臣烏帽子の勅使の姿、ワキツレ臣下がいわゆる赤大臣で登場してきます。
さてこのつづきはまた明日に
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寝覚のつづき

ワキの一行は、向き合って三遍返しの次第からワキの名乗り。
ワキは延喜の帝に仕える臣下と名乗って、信濃国木曽の郡に、寝覚の床というところがあり、三帰(みかえり)の翁といって寿命の延びる薬を与える者があると帝が聞かれ、急ぎ見て参れとの命を受けて寝覚の里へ急ぐところと語ります。

続いて道行、山また山を越えて木曽路を辿り、寝覚の床にやって来たと謡ってワキの着きゼリフ。翁を待とうと一同はワキ座に着座し、シテの出を待ちます。

真ノ一声でシテの出。先に直面のツレが無地熨斗目に青色の水衣の姿で出、一ノ松まで進んで振り返ります。
後から出た前シテは小牛尉なんでしょうね、なんだか人の良さそうな雰囲気の面でしたが、それに尉髪、茶地の無地厚板着流しに濃い緑のシケ水衣、負柴を背に杖を突いての登場です。装束付には翁付の際にはシテ、ツレとも白大口を着る旨の記載がありますが、本日は翁付ではありませんので着流し。

橋掛りで向かい合っての一セイ、ツレ二の句、二人揃って「世を鶯の声しげし」と謡って舞台へ。ツレは正中、シテは常座にと進みます。

シテのサシ「所から春立つ山路分け過ぎて」、二人向き合ってこれに続け、さらに上歌と、信濃路、木曽の春の風情が謡われます。
上歌の終わり頃「解けて落ち来る谷川の」で二人は動き出し、立ち位置を入れ替えて「水も岩根や伝うらん」と謡い納めつつ、シテは正中、ツレは角に出て階を向きます。

ワキが立ち上がってシテに向き、声をかけます。
シテは見かけない人だが都から御出かと聞き返し、これを受けてワキは、延喜の帝に命ぜられて三帰の翁に会いに来たことを話し、翁の家を教えて欲しいとシテに問いかけます。
勅使と聞いて、シテ、ツレは敬意を表し下居「あらありがたや候」と謡うと、再び立ち上がって、三帰の翁には生まれた所も、出自の所もなく、ただいつの頃からか寝覚の床に住む老人なので、いずれここにやって来るだろうと謡います。さらにワキとの掛け合いの形になりますが、さてこのつづきはまた明日に
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寝覚さらにつづき

シテが「暫く御待ち候へとよ」とワキに向かって謡うと、ワキが「暫し休らう」と返し、シテが「その中に」と謡いつつワキに向かい二足ツメて地謡に。日も暮れて月も朧にさし出でる弥生三月の空。松陰に暫し休らおうと謡います。
シテは正面に直し、ツレが笛座前、ワキがワキ座へと下がります。「なるや弥生の空なれば」でシテはワキ正に二足、さらに正へ直して四足ほど出つつ「山の端白き松の風」と徐々に下から見上げる風。左から回って常座からワキに向き「暫し休らう旅居かな」の地謡に正中まで出て下居し杖を置きます。

ワキが寝覚の床の謂われを物語って欲しいと求め、地のクリからシテのサシ、クセへと続いていきます。

打掛の囃子に誘われるように地謡が、寝覚の床は役行者が観念の眠りを覚ました所と謡い、シテは負柴も外して肩上げを下ろし、三帰の翁の子細を語る風でサシの謡。地謡が途中で引き継いで、三帰の翁は出自も分からないが、忽然と寝覚の床に現れて千年を送り、寿命を延ばす薬を服して三度若返った。それゆえ三帰の翁と呼ばれることが謡われます。

クセは居グセ。
その翁が、あるとき言うには、羿養が射術を伝えて名を上げ、愛染明王は定慧の弓矢で悪魔を従えた。自分は薬の威徳をもって大君の世を治めようと思うと、勅使に申し上げれば・・・このあたり、不思議な謡なのですが、三帰の翁があるとき言った、とはじまり、途中から三帰の翁が勅使、すなわちワキに語っているような形になります。

そしてシテの謡「今は何をか褁むべき」から、シテの老人が三帰の翁其の人であると明かされ、シテも中腰からワキを向き、「勅使暫く待ち給え」の謡に正面に向き直りつつ立ち上がります。夜もすがら舞楽を奏し、薬を与えようから、しばし待つようにと勅使に言って岩陰に姿を消した・・・という謡で中入になります。「また御薬を与えんと」で左手を延べワキに語りかける風。ゆっくりそのまま正面に直し、常座へと回ると一畳台の脇、太鼓前で正面を向いて開キ、山に入る形の中入です。
囃子は来序で、ツレが立ち上がり幕に入ります。
さてこのつづきはまた明日に
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緑泉会例会を観に行ってきました

このつづきはまた明日に・・・
というお決まりの言葉を書いたのが一昨日。

しかしながら、昨日は水戸の芸術館でマキノノゾミさん作の「赤シャツ」の公演を観ておりまして、すっかりブログの事は頭から離れてしまい、本日は本日で目黒の喜多の能楽堂まで緑泉会の例会を観に行き、先ほど帰ってきたところです。

「赤シャツ」・・・かの「坊ちゃん」に登場する赤シャツが主人公。
なんとか角が立たないようにと、様々な問題に八方美人よろしく立ち回り、結果的には誤解されてしまうという、悩める文学士「赤シャツ」を真ん中に据えた視点から、「坊ちゃん」を換骨奪胎した作品。なかなかに面白い舞台でした。主演は大沢健さん。
作者のマキノノゾミさん、NHKの連続テレビ小説「まんてん」の脚本で有名になった方ですが、キムラ緑子さんと夫婦でもありますよね。

そして今日はまた緑泉会。
中所さんが誓願寺をなさるというので、これは是非と出かけたのですが、鈴木啓吾さんの清経も、なるほどと思った一番でした。
番組はこの中所宜夫さんシテの誓願寺と、鈴木啓吾さんシテの清経の能二番、山本泰太郎さんのシテで柿山伏、そして仕舞が三番、桑田貴志さんの大江山、津村禮次郎先生の水無月祓、新井麻衣子さんの天鼓、という次第です。

6月は正直のところ仕事もピークで、余裕のない毎日を送っている・・・はずなのですが、二日続けて観劇って大丈夫なんでしょうか・・・私。
ともかくも、書きかけの「寝覚」の鑑賞記は、明日書こうと思います。

寝覚さらにさらにつづき

寝覚の鑑賞記をつづけます

ツレが幕に入ると、囃子は狂言来序になり、間狂言「山の神」が登場してきます。山の神は末社出立、賢徳の面をかけて登場してきますが、この間狂言の様子に移る前に、いささか寄り道を・・・

クセの謡にある「羿養射術を伝えてその名を雲の上に揚げ されば愛染明王は定の弓慧の矢にて・・・」という一節。おそらく弓の名手「羿(げい:機種依存文字)」と「養由基」を並べ、射術によって名を揚げたという意味だろうと想像しております。
羿は中国の三皇五帝の時代をめぐる神話に出てくる伝説の弓の名手で、帝嚳(こく:機種依存文字)の子である十の太陽が、嚳の次の帝堯の世になると一度に現れ、地上が炎熱地獄のようになってしまったため、堯の命を受けて、九つの太陽を射落としたと言われています。(残った一つが私達の見ている今の太陽ということですね)

一方の養由基は春秋時代、楚の国の武将で、これまた弓の名人と言われ、百歩離れたところから柳の葉を射て百発百中であったとか、様々な伝説があるようです。この二人を並べて、射術で名を揚げたと謡ったのだろうと思うのですが、この謡の部分の解説を探したものの、見つかりませんでした。
愛染明王も手に弓矢を持つ形の像が多いようですが、愛情、情欲など煩悩をそのまま菩提心に昇華する力を持つといわれる明王であり、その持ち物に弓矢があるのは、西洋のキューピッとの比較をしてみたら興味深いかと思います。

さて中入で登場してきた間狂言の山の神ですが、まずは三帰の翁の話を語ります。
この寝覚の床に住み薬を与えてくれる三帰の翁の話を、帝が伝え聞かれて勅使が下向された。しかしその三帰の翁の目出度き薬の子細を語るべき者もいないので、三帰の翁自らが賤しき柴人に身をやつして我と我が身を物語られた。
三帰の翁は、役行者と心を合わせて仙境に入って仙術を行い、またこの川上から龍宮に行き、不老不死の薬を求め、薬を服して三度まで若返ったので「三帰」の翁と言うのだ。翁はこの地にあって、不老不死の薬を与えているのである。
と語った後、まれびと・・・勅使に御礼申し上げようと言って、型通りに目付に出て勅使を認め、一度常座に戻って再び目付に出、両手を突いて勅使に御礼します。
さらに一曲仕ろうか、仕るまいかと尋ね、返事をもらった態で謡い舞いになります。
「やらやらめでたや めでたやな・・・」と謡い舞いし「もとの住処に帰りけり」と納めて退場します。
さてこのつづきはまた明日に
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寝覚またつづき

間狂言が退場すると下り端が奏され、後ツレの出となります。まずは天女が二人登場してきます。緋大口に紫の長絹、天冠を着け橋掛りを進むと、一ノ松と二ノ松に立ち正面を向いて開キ。
渡り拍子の地謡を聞き、「雲の通い路吹き閉じよ」でやや右を向き、袖の露を取って舞台に進みます。「糸竹も音を添えて」と舞台中央に進み、正へサシ込み開キ、答拝してと天女ノ舞の相舞です。

表が桜、裏が紅葉の中啓を広げ、初段で左袖を被いて立ち位置を入れ替え、さらに二段でも立ち位置を入れ替えながら優美に舞います。
全く同じ舞を並んで舞うだけでなく、立ち位置が入れ替わるなど変化があり興をそそります。舞上げると笛座前に二人が座してシテを待つ形。

引廻しの内より「そもそもこれは医王仏の化現」と後シテが謡い出します。
大ノリの地謡が「その時老翁枢を開き」と謡い出すと、ゆっくりと引廻しが下ろされて後シテが姿を現します。金地の半切に茶地に金の袷狩衣、面は悪尉・・・パンフレットの表紙が鷲鼻悪尉でしたので、この面だったかもしれません。
なんだか先日の「張良」の時の黄石公と同装のような感じもしたのですが、ともかくも姿を現した後シテは、扇を上げてワキ座方から目付方を指し示しつつ「東南に雲晴れ 西北の風も 吹きおさまって」と謡い、地謡の「花降り異香音楽の響き」で立ち上がると台を下ります。

六足ほどでサシ込み開キ「少女の袂」と小さく舞台を廻りつつ袖の露を取り「返す返すも面白や」の謡に大小前サシ込み開キ、答拝して楽となりました。

楽は、三度も若返ったという不思議な翁らしく、ゆったりと舞われますが、四段で台上に左足を載せ、右の袖を巻き上げると、地で直して立ち舞い続けるなど、独特の型があります。
楽を舞上げるとノリ地の謡となりますが、このつづきはもう一日明日に
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寝覚もう一日のつづき

「夜遊の舞楽も時過ぎて」の謡に、シテは大左右、正先へ打込、開キ「有明方の 月も落ち来る」で出て雲扇。
直すと「不思議や川波烈しく荒れて 二龍の姿は現れたり」の謡に、ワキ座から常座へとツメて幕方を見込み、早笛で台上に戻り床几に腰を下ろします。

黒髭の面をかけ、赤頭に輪冠龍戴をいただき、厚板に法被半切の龍神二人が現れ、先の龍神は常座へ、後の龍神は一ノ松に立ち、地謡の「両龍王は川波に浮かみ」で六拍子を踏みます。さらに先の龍神が目付に出ると、地謡の「かの御薬を 捧ぐる気色」の謡に、後の龍神が台上のシテに薬を渡す・・・のですが、この辺りメモが混乱しています。
先に出た龍神が薬を持って常座に立ち、一ノ松に立っていた後の龍神が舞台に入って先の龍神から薬を受け取りシテに渡す、と読めるのですが、はて本当はどうだったのか、最初から後の龍神の方が薬を持っていたのではなかったか、今ひとつ記憶がハッキリしません。なにぶん時間が経っていまして、やむを得ないところと思っています。

ともかくも、先の龍神は台の右に控え、後の龍神が常座から台上をうかがって、シテの「老翁喜びの思いをなして」の謡に、薬を捧げます。
地謡が「老翁喜びの思いをなして」と受け、シテがゆっくりと薬を下ろすと、「神通自在の秘術を現して」の謡に、龍神二人は立ち上がり、舞台を一回りし、小廻りして出ると舞働です。

龍神が舞上げるとシテが「かくて時移り 頃去れば」と謡い、立ち上がって台を下ります。地謡が受け「かの御薬を君に捧げ」と謡うと、シテは正中で薬をやや差し上げてワキに寄り、下居して薬を渡します。「これまでなりと」の謡で立ち上がり、正中まで下がり正面に向いてサシ回し角へ。左の袖を巻いて「木曽の桟道ゆらりと打ち渡り」で二つ拍子を踏みます。「帰り給えば」で正先から一畳台へと戻ると、龍神が立ち上がり、橋掛りへと進んでそのまま幕に入ります。
「夜も白々と 明け方の空に」の謡にシテは出て開キ、正先へと進むと左袖、右袖と巻き上げて正先から常座へ。「夢の寝覚は 覚めにけり」の謡に小さく回って袖を直し、開いて留拍子を踏みました。
珍しい一曲でしたが面白く楽しませていただきました。
(92分:当日の上演時間を記しておきます)
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九皐会の狂言、仕舞など

5月の九皐会は狂言が酢薑、和泉流石田幸雄さんのシテに高野和憲さんのアド。
仕舞はいつも通り三番で、長山耕三さんの安宅、観世喜之さんの誓願寺、そして遠藤喜久さんの網之段でした。

酢薑も割とよく演じられる曲ですので、これまで二度ほどブログで取り上げています。いずれも和泉流三宅派ですので、特段の違いはありませんでした。今回は思い立って、系図比べの後、「から」と「す」の秀句のやりとりに出てくるものを並べて書き取ってみました。
「身共から」の「から」で大笑いをし、「まっすぐに参ろう」の「すぐ」で大笑い、ここから道中になります。
唐松に杉の木
唐草に忍冬(スイカズラ)
山雀に対しては、巣立つと見えてすくうでいる・・・とここでまた大笑い
唐物に数寄屋道具
唐の鏡を姿見に
向こうの掛け物は唐絵、何やら墨絵に書いた
賛も唐様、すごう・・・後日調べてみると南宋の文人「趙子昂」の子昂(スゴウ)・・・の自画自賛であろう
と続きます。
雨も降らぬにカラカサ、後から菅笠
二人は五条の橋にやって来て・・・
川を渡る人がからげて渡る、裾を濡らすまいため
とそれぞれが言い合う形です。この秀句の対は、流儀、家によってバリエーションがあるようなのですが、メモを取り始めて以来、和泉流三宅派でしか観ていませんので、機会があれば・・・と思っています。上演は18分でした。
なお、竹山さんの鑑賞記の時にも書きましたが、薑は山椒と生姜と何れをさす場合もあるようで、この薑売りは山椒の皮を売っているというのがもともとの解釈のようです。

仕舞三番はそれぞれに趣が違い、番組の構成として良い印象です。つい数日前には九皐会所属の中所さんのシテで誓願寺を観ましたが、喜之先生が誓願寺の仕舞だったのは、何か繋がりがあったのかも知れませんね。
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鞍馬天狗 白頭 長山禮三郎(九皐会定例会)

観世流 矢来能楽堂 2015.05.10
 シテ 長山禮三郎、牛若丸 長山凜三
  花見 新井弘悠 佐久間瑞稀 桑田大志郎 桑田潤之介
  ワキ 殿田謙吉
  ワキツレ 則久英志 梅村昌功
  アイ 高野和憲 飯田豪
   大鼓 國川純、小鼓 幸清次郎
   太鼓 小寺真佐人、笛 寺井宏明

鞍馬天狗もこのブログでは四度目の登場です。これまで金剛流工藤寛さん(鑑賞記初日月リンク)、宝生流水上優さん(鑑賞記初日月リンク)の、いずれも小書無しの演能と、宝生流辰巳満次郎さんの珍しい小書「天狗揃」付きの上演(鑑賞記初日月リンク)を取り上げてきました。
今回は観世流、白頭の小書付ですが、曲全体の流れが大きく違うわけではありません。辰巳さんの天狗揃は「白頭 別習」とも言われる小書で、後シテのみに注目すれば、今回の白頭と似た印象です。ただし天狗揃は、なにしろ後シテ以外に七人の天狗が登場するため、舞台の雰囲気は大きく異なります。

ともかくもこれまでの記録と重複を恐れず、舞台の展開を追っていこうと思います。

さて囃子方、地謡が着座すると、前シテが登場し正中に出て名乗ります。濃い茶か紫・・・どうも見た目では色が良くわかりませんで・・・の色大口、格子柄の厚板に茶の縞目の水衣、篠懸をかけ兜巾を戴いた山伏の姿です。色大口は白頭のためでしょうか。鞍馬の奥僧正が谷の客僧と名乗ったシテは後見座にクツロギ、アイ能力の高野さんが右手に文を持って登場してきます。

能力は常座で、当山西谷に仕える能力と名乗りますが、この間に子方牛若丸を先頭に花見の稚児やワキ僧、ワキツレ従僧が登場して橋掛りに並びます。
今回の牛若丸はシテ長山禮三郎さんのお孫さんの凜三クン。一昨年、海士赤頭三段之舞でも、お祖父さんのシテに凜三クンの子方を観ていますが、世の中にはこんなにかわいらしく、かつまた健気な子供がいるのかと驚きました。その前年には銕之丞さんの国栖の子方でも観ているのですが、国栖の子方は謡もあまりありませんで、強い印象は残っていないのですが、海士では見事な舞台でした。
さてこのつづきは、また明日に
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鞍馬天狗のつづき

さてアイがワキに寄り、下居して文を渡すとワキは文を読みます。東谷の僧であるワキに、西谷の僧から花の盛りなので見に来るようにとの誘いの手紙です。このワキの詞を受けての地謡でアイは狂言座に下がり、ワキは一度斜め後ろを向いて胸に書状をしまった後に正面を向き、しばらく謡を聞くと「奥も迷わじ咲き続く」あたりで一同は舞台に入って「花を眺めん」と着座します。

ワキはアイを呼び稚児の慰みに何かせよと命じ、アイがこれを受けて小舞を舞います。
アイの小舞は和泉流ですので風車ないし小弓などと呼ばれるものですが、大藏流の「いたいけしたるもの」と同曲。

このやり取りのうちに、「いたいけしたるもの」の謡い出しで、後見座にクツロイでいたシテが立ち上がって一ノ松に出ます。「虎斑の狗子(えのころ)」あたりで常座から舞台に入り角に安座します。
これを見咎めて、アイはワキに狼藉者を追い立てようと訴えますが、ワキは無用だとこれを押し止め、花は明日でも見られる、ここを立ち去ることにしようと言って花見やワキツレを従えて退場してしまいます。
一同が退場すると、アイは再び立ち上がって常座に出、腹立ちのほどを述べると目付に出て、「これ、これをいただかしょうものを」と拳を振り上げ、シテに悪態をついて退場します。

舞台が静まりシテの謡。賑やかな花見の様子、アイのひと騒ぎから、シテと子方二人のしみじみした場面に切り替わるところ。静かなシテの謡に子方牛若が答えて、シテと子方の掛け合いになります。
鞍馬寺の本尊は大悲多聞天、分け隔て無く慈悲の心を注ぐ仏であるが、(そこに仕える人たちが)よそ人と分け隔てをするのは慈悲に漏れたる人々であることよ、と嘆く謡。
子方はシテに近く寄って花を見るようにと勧め、さらに謡が続きます。

地謡の後、シテはあらためて子方に、稚児達が皆帰ってしまったのに何故一人残ったのかと問いかけます。
子方は稚児達が平家の一門であることを述べますが、さてこのつづきはまた明日に
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鞍馬天狗さらにつづき

子方の説明に対して、シテは「和上臈は常磐腹には三男、毘沙門の沙の字をかたどり、御名をも沙那王殿とつけ申す」と続けます。
以前の鑑賞記にも書いた通り、突然現れた山伏が牛若の素性を知っているのは、不思議な話で、シテがただの山伏ではないことが窺える展開です。

地謡の下歌、上歌。その「奥は鞍馬の山道の」あたりでシテは、シテ柱側に少し目を向けると立ち上がり、子方に寄って立ち上がらせ正面を向かせ、自らは後ろに立つ形。
続く下歌は、大天狗である山伏が牛若を伴い、通力をもって名所名所の花を見せる様を謡いますが、シテはまず地謡前に下がり、ワキ座の先に立つ子方と向き合い「この程お供して」と、牛若を伴う風。
さらに「ある時は」と大小前に進み、「愛宕高雄の初桜」で正面を向き、「比良や横川の遅桜」でサシ回しして面を使い、桜を見回す風。「吉野初瀬の名所を」とシテ柱見込んで常座へと進み「見残す方もあらばこそ」と子方と向き合います。

ロンギとなり子方の謡。シテの素性を怪しんで「御名を名乗りおわしませ」とシテに名乗りを求めます。
シテはこの山に年経たる大天狗と自のらの素性を明かし、サシ込み開キ。
地謡で六足ほどワキ正に出、「平家を亡ぼし給うべきなり」と子方を見やります。さらに子方に向かい「明日参会申すべし」と四足サシ込み開キ。「さらばと言いて客僧は」とやや面を伏せ、ススッと正へ出ると一つ拍子を踏み、「大僧正が谷を分けて」から橋掛り二ノ松までススッと進み、一度立ち止まってあらためて中入です。
来序の囃子で子方も従い退場します。

二人が幕に入ってしまうと囃子は狂言来序にかわり、木の葉天狗のアイが登場してきます。常座にて立ちシャベリ。
大天狗に仕える木の葉天狗と名乗り、風に木の葉の散るように自在に飛行するので木の葉天狗というのだと述べます。さて罷り出た訳は、学問のために鞍馬の山に上った牛若が、実は平家を討とうと志していることを大天狗が知り、牛若に近付こうとした。牛若が稚児達と花見の宴に出たところに、大天狗が山伏に身を変じて宴に紛れ込んだが、一同は牛若を残して帰ってしまった。大天狗は通力をもって牛若に各所の花を見せ、さらに兵法の一大事を残さず伝えようと、様々な奥義を伝えた。大天狗は小天狗達に打ち太刀を務め、牛若の稽古の相手となるよう命じ、稽古も済んだので大天狗にその様子を伝えようとシャベリ、常座から橋掛り入り口へと移り、幕方に向かい大天狗に声をかけて退場します。
さてこのつづきはまた明日に
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鞍馬天狗さらにさらにつづき

一声の囃子で後子方の出。白大口、水衣は薄い萌黄だったように思うのですが、白鉢巻きを締め右手に長刀を持っての登場です。常座で謡った後、地謡で子方はワキ座に進み、長刀を立てて後シテの出を待ちます。

大癋(おおべし)の囃子で、白の袷狩衣に白の水衣、白頭に兜巾を着けて鹿背杖を突き、後シテ大天狗が登場してきます。
常座に立ったシテは「そもそもこれは鞍馬の僧正が谷に年経て住める大天狗なり」と謡い、地謡と掛け合いで供の天狗を従えている様子を謡います。「飯綱の三郎富士太郎」と幕に向かって二ノ松で回り正へツメ「外までもあるまじ」と左袖を巻いて「辺土においては」と舞台を見込みます。袖を直し「我慢高雄の峯に住んで」でゆっくり右へ回って三ノ松。さらに「霞と靉き雲となつて」と左の袖を被き「月は鞍馬の僧正が」と謡います。
地謡が続け、面を切ったシテは「谷に満ち満ち峯を動かし」の謡に合わせて下から見上げる風。一度幕前まで下がってから、ササッと舞台に出、常座で杖を捨て「天狗倒しは夥しや」と子方に半身で決める形です。

シテは子方と言葉を交わし、物語を聞かせようと言って正中に進み、右手に羽根団扇を持って床几に腰を下ろすと、張良と黄石公の話を語り始めます。
能「張良」の話そのままの謡。あるとき黄石公が馬上で左の履を落とし、張良にとって履かせよ命じる。張良は納得いかないものの履を取って黄石公に履かせるが、別の日、今度は黄石公が左右両方の履を落とし、再び取って履かせよと命じた。安からず思った張良だが、一大事を相伝するためと思い、落ちた履を取り上げた、とシテは語り、「落ちたる沓をおっ取って」で立ち上がって、地謡の「張良履を捧げつつ」で沓を取り上げる型。
正面を向き、「石公に 履かせけるにぞ心解け」で下がって再び床几に腰を下ろし、「奥義を伝えける」と子方を見込みます。

シテは「その如くに和上臈も」と謡い、地謡に合わせ「姿も心も荒天狗を」と四つ拍子。子方を向いて正に直し、「優しの志やな」で再び子方を見込みます。

続く「そもそも武略の誉の道」は床几のまま足拍子を踏みますが、常ならばこの後入る舞働は小書のため省略されます。
さてこのつづき、もう一日明日に
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鞍馬天狗もう一日のつづき

「そもそも武略の誉の道」と地謡が繰り返すうちに、シテは立ち上がり、角から常座へ。「清和天皇の後胤として」の謡に子方に向いて胸サシして開キ。
「あらあら時節を考え来たるに」とワキ正に出るとさして正先へ。「驕れる平家を」と正先へ。「西海におっ下し」と幕方を見据えます。

「煙波滄波の浮雲に」の謡に、常座から幕方を見込み、ユウケンして平家を討つ心構えを祝す心。
「これまでなりや」と正中で頭を下げ、牛若に別れを告げる形になりますが、「御暇申して」と常座へ進むシテに子方が寄り、袂を引く形になります。
シテは舞台を廻り、「頼めや頼めと夕影暗き」で左袖を巻き上げて橋掛りを進み、繰り返す「頼めや頼め」の謡に幕前まで進むと、「夕影鞍馬の」で左袖を被いて直し、「梢に翔って失せにけり」と、袖を直して留拍子を踏みました。

白頭のため舞働はありませんが、牛若、後の義経を盛り立て平家を討たせようとする、大天狗の心遣いのようなものが、より感じられるような印象でした。
(75分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

ところでこの鞍馬天狗ですが、確定ではないものの「宮増」の作とされています。
この宮増(みやます)ですが、どういう人物であったのか、実は良く分かっていない様子です。
宮増という名は室町時代の前期から後期にかけ、各種の資料に出てくるようなのですが、当然ながら同一人という訳ではなく、何人かの「宮増」がいたと考えられます。このうちの誰が能作者の宮増なのか、これがよく分からないらしいのです。一節には宮増を名乗るグループ、自分たちでも小さな座を持つとともに、観世や、後には金春、金剛座などにも所属したグループがあり、このグループに属する何世代かの作者達の総称ではないか、との話もあります。
いずれにしても、この鞍馬天狗のほか、小袖曾我、調伏曾我、烏帽子折、大江山などの作者とも言われていて、劇的要素の強い、後の歌舞伎にも繋がりそうな曲を作ったようです。安宅ももしかすると宮増作ではないかとの説も見受けます。
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