能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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轍の会を観に行く

本日は第36回轍の会の日。金春流、桜間金記さんと本田光洋さんの二人会です。
この会も何度か拝見しては、おりますが、このところ金春からやや足が遠のいておりまして、年に一度・・・も観ておりませんね。

本日の番組は金記さんの蟻通と、光洋さんの清経、こちらは恋ノ音取の小書付です。
金春らしい、独特の謡に身を任せていると、なんとも不思議な世界に引き込まれそうです。
狂言は山本家の素袍落。東次郎さん、泰太郎さん、凜太郎さんと、なかなかに面白い一番でした。

先月観に行った緑泉会の鑑賞記も、まだまったく手がついておりません・・・
このところ、観能記を書くような余裕をいささか失っておりまして、心して取り組まないと、このまま書かず終いになってしまいそう。
という訳で、まずは緑泉会の鑑賞記、その後、轍の会の鑑賞記と、書いていこうと思っています。
なにしろ、緑泉会での鈴木啓吾さんの清経には、感じるところも多々あり、そんな中で、今度は金春の恋ノ音取、ということですので、受けた印象の違いなど、是非書き記しておこうと思っています。
とは言え、今日は、とりあえずこの辺で・・・
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清経 鈴木啓吾(緑泉会例会)

観世流 喜多六平太記念能楽堂 2015.06.14
 シテ 鈴木啓吾
  ツレ 佐久間二郎
  ワキ 森常好
   大鼓 佃良太郎、小鼓 幸正昭
   笛 一噌隆之

清経をこのブログで取り上げるのは三度目、いずれも観世流です。
そういう意味では、特段の違いはないということにもなるのですが、実は観た印象が随分と違っていまして・・・あれぇ、清経ってこんな曲だったかなあと、いささか戸惑いもし、また納得もしたところです。

鈴木啓吾さんの能は九皐会の田村以来ですので、もう四年ほどになりますか。
地謡やツレでは、その後も度々拝見していますが、今回、シテを演じられるのを観て驚いたのは、まるで銕之丞さんのような声、謡、迫力だったこと。そしてそれが、これまで持っていた清経という曲の印象と随分違うように感じたのです。
とは言え、観ているうちに、なるほどそういうことかと思いもし、また会場で渡された鈴木さんの書かれた解説を(その時読めば良いものを)後刻家に帰ってから読んで、そういうことかなと納得もしました。
そのあたりのことを含めて、舞台の様子を書き記しておこうと思います。

まずは囃子方、地謡が座に着き、出し置きですのでツレの佐久間さんが登場してワキ座に着座します。朱の唐織を着流しに。佐久間さんは小柄な方なので、ツレとしての映りは良いように思います。大鼓は事前のチラシでは佃良勝さんになっていたのですが、ご子息良太郎さんに変更です。

座が静まるとワキ淡津三郎の森さんが登場、白大口に黒の素袍で笠を被り、胸には清経の遺髪を納めた守袋を懸けています。
次第の囃子で登場し、常座で型通りの次第を謡います。
さてこのつづきはまた明日に
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清経のつづき

謡に続いて名乗り、道行の謡となりますが、この曲ではワキの詞章が上掛と下掛で、割と異なっています。上掛の本では「(平家が)筑紫の戦で負けてしまい、(清経は)都へはとても帰れないだろうし、雑兵の手にかかってしまうよりはと思われたのか、豊前の国柳ヶ浦の沖で、更けゆく月の夜、舟から身を投げてしまわれた」といった内容を、ワキが語ることになっていますが、下掛宝生の本を見ると「清経は終に御身の成り行くべき事を思し召し定められけるか 豊前の国柳ヶ浦の沖にして 御身を投げ空しく成り給いて候」と、いささかあっさりした叙述になっています。

その一方で、道行の謡の後、ツレ清経の妻のもとを尋ねてからのやり取りが、少しばかり丁寧になります。上掛では案内を乞うワキの声に、ツレは淡津の三郎と気付き「人までもなし此方へ来たり候へ」と呼び入れ、ワキが進み出ると、ツレは続けて「さて只今は何の為の御使いにてあるぞ」と問いかけます。
下掛宝生本では、ツレが「此方へ来たり候へ」と招じたのに対し、ワキは「や」と声を上げ、(常座から正中に出て、ツレに向かって両手を突きつつ)「これは御声にてありげに候 粟津の三郎が参り候」と声に出します。さらにツレから「さて只今は何の為の御使いにてあるぞ」と問われ、上掛本では直ぐに「さん候 面目も無き御使いに参りて候」と答えますが、下掛宝生本では、ツレの問いに「かくと申さんためこれまでは参りて候へども」と言い、続けて「何と申し上ぐべきやらん 是非を弁えず候」と謡います。これにツレが「あらふしぎや なにとて物をば申さでさめざめとは泣くぞ」と問いかけて、ワキの「さん候 面目もなき御使にて候」へと続きます。

シテはシテ方の本、ワキはワキ方の本を基本に演じますから、今回のような場合、ワキの「何と申し上ぐべき・・・」の謡の後、シテの謡がないままに、ワキは「さん候・・・」と続けることになります。
いささか細かく書いてしまいましたが、こうしたシテとワキのやり取りのすれ違いは、時々気になることがあります。とは言え、やり取りがいささか落ち着かない感じになってしまうのは仕方ないところで、これがまた座付きのワキという形態がなくなってしまった現在の能の特徴でもある、ということでしょうか。

さて面目もない御使と言った淡津の三郎ですが、清経が身を投げたことを妻に語ります。このつづきはまた明日に・・・
(観世流では淡津三郎と表記しますが、下掛では粟津の表記のように見受けます)
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清経さらにつづき

ともかくも、ワキは正中に進み出てツレと対峙します。「面目も無き使い」とは何かが明かされる訳ですが、豊前の国柳ヶ浦の沖で身を投げたとの話に、ツレは恨み言を述べる形になります。
敵に討たれてしまった、あるいは病に倒れてしまったのなら諦めもつくが、自ら身を投げたのでは・・・とシオリます。続く地謡のうちに、ワキは座したまま扇を広げ、首に懸けた守り袋を外して扇の上に置き、あらためて左手で守り袋を取り上げると、右手を突いてツレを敬う形。

「御身を投げ給いて後、船中を見奉れば・・・」と言いつつ立ち上がったワキは、ツレに寄ると扇を置き、ツレに遺髪を渡して正中に下がり着座します。
ツレは「これは中将殿の黒髪かや」と遺髪を取り上げて謡い出しますが、見る度に「心尽くし」だと、横に置いてしまいます。
地謡が受けて謡ううちに、シテが幕から姿を現し、ワキはそっと切戸口から退場してしまいます。

シテは「寝られぬにかたぶくる」で一ノ松あたり、さらにそのまま舞台へと進み「枕や恋を知らすらん」で常座でサシ込み開キしてサシ謡になります。

シテは黄の色大口、青地の長絹を肩脱ぎにした貴公子の形。「聖人に夢なし」と謡い出し「行くも帰るも閻浮の故郷に」と幕方を振り返り、「いかに古へ人」とツレを見込んで「清経こそ参りて候へ」とツメます。
ここからシテ、ツレの掛け合いになる訳ですが、冒頭にも書いたとおり、シテ鈴木啓吾さんの謡は堂々と力強く、ツレ佐久間さんもただ悲嘆にくれて弱々しい・・・という訳ではないので、なんだか夫婦げんかを見ているような印象です。
それで・・・清経ってこんな曲だったかなぁという印象になったのですが、あらためて詞章を良く読んでみると、確かに言い争いになっています。

そこで鈴木啓吾さんの書かれた解説が登場するのですが、<すれ違う夫婦>と小見出しを付けられたように、清経の妻としては、清経の入水は一門の士気を下げる許せない行為だったのではないかと指摘しておられます。
このところ、もう少し明日につづけます
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清経さらにさらにつづき

鈴木さんは解説の中で、清経の妻の系譜にも触れていますが、ご存知の通り清経の妻は大納言成親の娘、「俊寛」に登場する丹波の少将成経とは兄弟姉妹の関係です。
小松の大臣重盛の子供達のうち、嫡男維盛と三男清経が成親の娘を妻としており、この二人がともに入水しているのは、なんだか因縁めいたものを感じます。

鹿ヶ谷の陰謀で、平家の追い落としを図った一族に連なるだけに、逆に平家に対して申し訳ないという思いを持ったのかも知れません。しかも清経の母は成親の妹である藤原経子ですから、余計にその系譜の深さはあるようにも思われます。

そうした思いを、幽霊として現れた清経にぶつけてみても、「それぞれに言い分を主張しあうものの、けっして交わる事のない価値観。スッタモンダのあげく、入水する直前の念仏の功徳により、まるで振り逃げの如く一人勝手に成仏してしまう清経・・・」と鈴木さんは書いておられますが、このあたりの思いを演技に籠められたのかと、後々、納得した次第です。

言い合いがつづき、シテ「互いにかこち ツレ「かこたるる シテ「形見ぞつらき ツレ「黒髪の 地謡「怨みをさへに言い添へて・・・と続き、シテは開いて足拍子、舞台を廻ると常座で小廻りし、ツレに向き直って「思ふも濡らす袂かな」と開いておさめます。
シテは「古の事ども語って聞かせ申し候べし。今は怨みを御晴れ候へ」と言って大小前に向かい、「さても九州山鹿の城へも」と語りつつ正中に出ると、床几に腰を下ろして、地謡と交互に、豊前国柳に仮の皇居を営み、宇佐八幡に神馬七疋ほか金銀などの捧げ物をしたことが謡われます。

ツレが割って入るように、未だ君まします(安徳帝がご健在だというのに)一門の果てを見定めずに、独り身を捨てるとは・・・と謡いかけます。
シテは、確かにそうだが、ともかくも聞き給えと謡い、右手を上げてツレを制するような形。これを受けて地謡が謡い継ぎます。
このつづき、もう一日明日に
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清経もう一日のつづき

諸般あって二日ほど間が空いてしまいましたが、鈴木さんの清経、最後の部分です。
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地謡が宇佐八幡に参籠した経緯を謡い、続けてシテが「世の中の うさには神も なきものを なに祈るらん 心づくしに」と謡った後、地謡を聞いて、「さては仏神三宝も」と謡って手を打ち合わせます。
正に直すと「力を落として足弱車の」で立ち上がり、二、三足出ると六足ほど下がり、座して両手を突くと片シオリ。

ここからクセの謡となりますが、「かかりける所に・・・」という出だしでシテは立ち上がります。
清経のクセキリは仕舞でもよく見かけるので詳しくは書きませんが、「あぢきなや」の上げ端までは、正先から角、大小前と回り、常座から正先へと打ち込んでの上扇です。

さらに大左右から正先、常座と移り、「待つことありや暁の」と抱え扇。角へと出て開キ、閉じた扇を腰のあたりから取り出す形で「音も高らかに吹き鳴らし」と笛吹く型。
拍子を踏んで角へと進み、さらに大小前へと進んで舞台を廻ります。

「いざや我も連れんと」と合掌すると「南無阿弥陀仏弥陀如来」の謡に六拍子を踏み、舞台を廻りますが、「舟よりかっぱと落ち汐の」で拍子二つ踏んで入水した形。常座に安座して「憂き身の果てぞ悲しき」とシオリます。
ツレが「聞くに心もくれはとり・・・」と謡い、シテは「いふならく奈落も同じ・・・」と謡ってキリの謡に続いていきます。

「さて修羅道にをちこちの」という謡い出しは、何十年か前に初めて聞いたときからずっと心に残っています。このキリの謡で、「まことは最期の十念乱れぬ御法の船に」と突然のように清経の成仏が謡われ「清経が仏果を得しこそ有難けれ」留めになります。

鈴木さんが今回の解説に書かれたように、これって清経の妻からみたらどうなのよ・・・というところではありますね。
能自体が、元々は神に、後には上つ方にお見せするものだったためなのか、無理矢理にでも最後は成仏・・・というケースが多いのは確かなのですが、それにつけてもこの清経の留は確かに考えさせられるものでは、あります。
(62分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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緑泉会の狂言柿山伏と仕舞など

柿山伏は、国語の教科書などにも取り上げられていて、割と馴染みのある狂言だろうと思います。このブログの鑑賞記でも二度ほど取り上げておりまして、今回は特に鑑賞記のような形では記載しませんが、いずれにしても楽しい狂言です。

いつぞや、何かの鑑賞記にも書いたように思うのですが、庶民の生活の中で山伏がどういう立ち位置だったのか、このあたりを調べてみると面白いだろうなぁと想像しています。
日頃、病気や心配事など様々な不安に取り巻かれて暮らしている人々にとっては、いわゆる加持祈祷も、それなりに頼りになる物だったのだろうと思います。したがって尊敬して・・・か、必要に迫られてか分かりませんが、山伏には下手に出ざるを得ないものの、余り尊大に振る舞われると腹立たしい。という訳で、山伏をからかいの種にしてやろうと、まあそういうことで、こうした狂言ができてきたのでしょう。

後段で山伏が祈ると、アドの柿主が引き寄せられたりして、山伏にもそれなりの法力があることが示されますが、それもその程度の話。鳶の真似をして木から落ちて痛がっている山伏には、威厳も感じられませんしね。

山本家らしいカッチリした雰囲気でしたが、十分楽しんで拝見しました。
シテ 山伏 山本泰太郎、アド 柿主 山本則秀
 (13分・・・これまで観た柿山伏の中では上演時間が短い方です)

当日は例によって仕舞三番。
桑田貴志さんが大江山を。緑泉会会主である津村禮次郎先生が水無月祓。そして新井麻衣子さんが天鼓を舞いました。

仕舞の入らない会も少なくない昨今ですが、短い仕舞の中に物語の世界が感じられるか、見所も観る技量を試されていそうに思えます。
三番それぞれに楽しませていただきました。
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誓願寺 中所宜夫(緑泉会例会)

観世流 喜多六平太記念能楽堂 2015.06.14
 シテ 中所宜夫
  ワキ 福王和幸
  ワキツレ 村瀬提 矢野昌平
  アイ 山本則重
   大鼓 柿原弘和、小鼓 飯田清一
   太鼓 観世元伯、笛 杉信太朗

誓願寺、珍しいというほどではありませんが、かといってよく演じられる曲というわけでもなく、私もこの曲は二度目です。
その、以前の鑑賞記にも書きましたが、この誓願寺は浄土宗西山深草派の総本山。同寺のホームページにも「京都の中心地、新京極通りのど真ん中にある」とあるとおり、街の賑わいの中にあるお寺です。

以前にも書いたとおり飛鳥時代の創建時は奈良にあったのだそうですが、お寺のサイトにある「歴史」の記載を読んでみると、京都に移ってきたのは鎌倉の初期。すると、法然上人がこの寺を譲られたときは、まだ奈良にあったということですね。
さらに京都に移転してからも、天正年間に秀吉の寺町整備にあたって現在地に移ったとのことで、鎌倉初期から16世紀末までは一条小川、北野天満宮にも近い辺りにあったのだそうです。
とすると、この曲の一遍上人が誓願寺を訪れたときは、今の場所ではなかったということになりますね。上京区元誓願寺通小川西入る・・・とありますが・・・

さて舞台の方は、囃子方・地謡一同が座に着き、笛の甲高いヒシギから次第が奏されます。この日の笛は杉信太朗さん。杉市和さんのご子息ですから、京都在住ですが、最近は東京の舞台でもしばしばお見かけします。
この方の笛、ともかく強い。ヒシギがビリビリと体に響いてきます。私は好きですが、曲によっては、人によっては、様々にご意見があるかも知れません。
物語の世界と、日常の現実とに一線を画するには、耳をつんざくようなヒシギの音に、意味があるようにも思います。
ともかくもこのつづきはまた明日に
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誓願寺のつづき

次第の囃子でワキ一遍上人の福王和幸さん、ワキツレ従僧の村瀬提さん、矢野昌平さんが登場してきます。ワキは白大口を着けた大口僧。小格子厚板に、茶なのか紫なのか微妙な色の水衣、角帽子を着けて格の高い僧であることが示されます。
ワキツレのお二人は茶系の無地熨斗目に青緑がかった褸(ヨレ)の水衣、こちらは着流しです。下掛宝生を見慣れていると、こうした装束の取り合わせは、馴染みが無いので、ちょっと新鮮な感じがします。
・・・ついでながら、配られた緑泉会の番組では、曲名「誓願寺」の真下に、ワキ一遍上人の福王和幸さんの名が記され、村瀬さんと矢野さんは、その両脇、左右に少し下がって記されています。これは福王流の時の書き方で、下掛宝生ならワキの左側に少し下がってワキツレ二人の名が記されることになります。

ワキの一行は、舞台中央で向き合って次第を謡った後、ワキの名乗り。ワキは念仏の行者一遍と名乗り、六十万人決定往生の御札を広めるため都へ上るところと言います。
控えていたワキツレが立ち上がり、三人シテの道行。「花の都に着きにけり」と謡って納めます。

ワキは都、誓願寺に着いたと言い、(熊野証誠殿での)霊夢に従い御札を広めようと述べると、ワキツレが尤もにて候と受け、一同はワキ座に向かいワキは床几に腰を下ろします。
ワキがあらためて念仏に集まる人々の多さに有り難さを感じていると、アシライ出で前シテの出となります。

シテは白基調の紅入唐織を着流しに右手に数珠。大変綺麗な装束です。
常座に出てサシ。ワキが受けて掛け合いに。シテが「かわれども」と謡いつつワキに二足詰めて地謡。「受け悦ぶや上人の御札をいざや保たん」の詞章どおり、シテは常座からワキに向かって進み、ワキに寄って下居。御札を受け取ると立ち上がり、あらためて正中に下居します。
さてこのつづきはまた明日に
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誓願寺さらにつづき

ここからシテ、ワキの問答になります。六十万人決定往生とは六十万人しか往生できないという意味なのか、これをめぐってのやり取りですが、一遍上人が熊野で「六字名号一遍法、十界依正一遍体、万行離念一遍証、人中上々妙好華」の四句を夢のお告げに授かり、この最初の文字を連ねると「六十万人」になることが示されます。六十万という数の限りを示すものではないという訳です。

シテはこれに喜び「さては嬉しや心得たり この御札の六十万人」と札を手に取り、ワキとの謡から、地謡「称うれば 仏も我もなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかり・・・」の謡に御札を押し戴いて胸元に差し入れます。
「さる程に 夕陽雲に映ろいて」と目付柱の方を向き、さらに「西にかげろう夕月の」と面を幕の方に向けると「念仏を急がん」と立ち上がり「夜念仏をいざや急がん」と常座に向かって歩み出します。

ロンギの地で常座にいたり正面を向きますが「ありがたや五障の雲のかかる身を・・・」と謡い、ゆっくりとワキに二足ツメます。さらに地謡と掛け合いに謡いつつ、目付から左に回り正中で開キ。大小前からワキに向くと右から舞台を廻り、大小前に戻って「このご本尊も上人もただ同じ御誓願寺ぞと」と四足ほど出てワキに向くと下居、「仏と上人を一体に拝み申すなり」と合掌します。

シテが、誓願寺と打たれた額を外し、上人の手になる六字名号の額を懸けるようにと言い出します。ワキは驚きますが、さらに驚いたことに、シテは「ご本尊の御告と思し召せ」と言います。ご本尊のお告げとはただ事ではありませんが、ワキが彼方はどこに住む人なのかと問いかける、シテは「あの石塔」と目付柱の方をみやります。その石塔は和泉式部の墓と伝えられていますが、その不思議をワキが問いかけると、シテはこれをはぐらかしつつ、地謡でゆっくり立ち上がり「和泉式部は我ぞとて」という地謡に、舞台を廻って中入となりました。
さてこのつづきはまた明日に
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誓願寺さらにさらにつづき

長上下姿のアイ所の者が進み出て常座での立ちシャベリ。念仏の行者一遍上人がお出でになって、六十万人決定往生の御札を広められている。ところでこのあたりの者達の夢に、昔からの誓願寺と打った額を除け、上人の手になる六字の名号にかけ替えるようにとの、新たなお告げがあった。この由を上人に申し上げよう、と言って型通りに正中に出ます。
進み出たアイは、お告げの子細をワキに語りますが、これに対してワキは和泉式部のことを語って聞かせるようにと求めます。アイは寺の本尊の話から始めますが、神といい仏というも水波のようなもの、和光同塵と、色濃く神仏習合の思想を背景としたシャベリになっています。
さらに和泉式部のことに移り、和歌に才長けた人であったが信心を起こし、この地にて往生を遂げたと聞いている旨を語ります。

この後は型通りのやり取りで、最前の様子をワキが語り、アイが和泉式部が現れたのだろうと推量、急ぎ六字の名号に額を掛け替えるようにと勧め、ワキもアイの勧めに従うことにします。この由を皆に触れるようにとワキが言い、アイが立ち上がって常座にて触れ、正中に戻ってワキに報告をすると狂言座に下がります。

さてワキ、ワキツレは立ち上がるとワキ座前に進み出、正面を向き、ワキが手前でワキツレが後ろ、二等辺三角形の頂点にワキが居るような、いわゆる雁行の形で座しワキの詞。「仏説に任せ・・・」と謡い出し、さらに三人の待謡。
「鉦打ち鳴らし同音に」とおさめてワキの謡。合掌して「南無阿弥陀仏弥陀如来」と謡い、ワキ座へと戻ります。床几は片付けられており、歌舞の菩薩たる和泉式部の来臨を迎え奉る形になります。

出端の囃子が奏されて、後シテ和泉式部の出。緋の大口に薄い浅葱の長絹。天冠に花。中所さんの装束は本当に美しい。大口は織り文様のようです。さながら極楽の菩薩が降臨したような・・・
こののち、短いクセから序ノ舞。さらに舞上げて上扇。舞台を回りつつ謡い舞いし、「六字の額を 皆一同に 礼し給うは」と常座で扇を閉じて合掌。さらに扇を広げて袖を返し、「あらたなりける 奇瑞かな」と留拍子を踏んで終曲となりました。
趣き深い一曲です。
(118分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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蟻通 櫻間金記(轍の会)

金春流 国立能楽堂 2015.07.12
 シテ 櫻間金記
  ワキ 宝生欣哉
  ワキツレ 高井松男 大日向寛
   大鼓 柿原弘和、小鼓 幸清次郎
   太鼓 小寺佐七、笛 小野寺竜一

蟻通(ありどおし)は、宝生流の朝倉俊樹さんの演能(鑑賞記初日月リンク)と、今回と同じ金春流の本田光洋さんがなさったもの(鑑賞記初日月リンク)の鑑賞記を書いています。一時間弱の小品ですが、なかなかに典雅な味わいのある曲で、私は気に入っています。
本田さんの上演は秀麗会でしたが、今回はその本田光洋さんと櫻間金記さんの二人の会「轍の会」。金記さんは、長くご本名の瀬尾菊次さんとして舞台に立っておられましたが、長年の功績に対して、櫻間家から金記の名前を許されています。以前にもどこかに書いたような記憶はありますが、ともかく、小流である金春の中で、長年、流儀の先頭に立って活躍されてきた訳です。先年、ご病気をされてから、正直のところ舞台はどうなのだろうと心配されたところです。しかしこの日も、確かに謡の声など、ご病気を感じさせるところは多々ありますが、この曲の味わいを見事に表現されていたと感じました。

さて舞台は次第の囃子でワキ一行が登場してきます。
笛は一噌庸二さんの予定でしたが、ご病気ということで小野寺さんが代演。二曲目が恋ノ音取なので、いささか大変かなと想像したところですが、この曲ではまったく普段と変わらない感じを受けました。

ワキは白大口に青鼠の様な色の単衣狩衣。風折烏帽子を着け、素袍上下のワキツレ従者を従えての登場です。大日向さんが太刀を持っていたと記憶していますが、秀麗会で本田さんがなさっときもそうでした。
さてこのつづきはまた明日に
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