能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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唐船 中所宜夫(九皐会定例会)

観世流 矢来能楽堂 2015.08.09
 シテ 中所宜夫
  唐子 中所真吾 原田佳典、日本子 松浦薫 松浦航
  ワキ 宝生欣哉
  アイ 石田幸雄 深田博治
   大鼓 亀井広忠、小鼓 観世新九郎
   太鼓 林雄一郎、笛 栗林祐輔

この唐船(トウセン)という曲、私はどうも縁が無いようで、これまで何度か観ようと思って機会を逃してきた一曲。と言う訳で初見です。

確かに上演も少ないのですが、その最大の理由は唐子二人と日本子二人という登場人物。
唐子はシテ祖慶官人が十三年前に唐土に残してきた子供達なので、普通の能楽師でも良いのでしょうけれども、直面でもあり、できれば子方から卒業したくらいの若い人に演じて欲しいところ。日本子はもちろん、官人が日本にやって来てから生まれた子ですから子方になります。
となると、なかなか適当な子供達が揃わないというのが、実情でしょう。
今回は中所さんのご子息はじめ、演者を揃えての上演で、良い機会でした。

さて舞台ですが、まずは名宣笛でワキ欣哉さんの出。青地に白い鶴の文様の直垂上下に、梨打烏帽子に白鉢巻を巻き、アイ深田さんに太刀を持たせての登場です。
常座に出て型通りの名乗り。アイは狂言座に控えます。

ワキは九州箱﨑の何某と名乗り、かつて唐土と船あらそいがあり、日本の船を唐土に、唐土の船を日本に引き取ったが、唐土明州の津の祖慶官人という人を留め置き十年余り召し使っている。牛馬を飼わせているので今日も申しつけようと言ってアドアイを呼び出します。
進み出たアドアイに対し、ワキは祖慶官人に牛馬を引いて野飼いに出るようにと命じ、これを受けてアドアイが幕に向かって声をかけ、ワキはワキ座に、アドアイは地謡前に着座します。
舞台は唐子の登場を待つ形になりますが、さてこのつづきはまた明日に
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唐船のつづき

ワキ、アドアイが着座すると、唐官人出立のオモアイ石田幸雄さんが登場し、橋掛りに船を出して帆柱を立て、控えます。

一声の囃子で唐子二人が登場し船に乗り込みます。唐子には「そんし」と「そいう」という名がついていますが、「そんし」が兄なのでしょう、先に「そいう」が出て前に乗り、「そんし」が帆柱のある後ろ側に立って向かい合い一セイ「唐土船の楫枕 夢路程なき 名残かな」を謡います。
二人は厚板に白大口、側次を着けて唐人の風。続いて「そんし」がサシ謡で、明州の津の「そんし」「そいう」と名乗って、二人ともどもに、父である官人が日本の船に捕らわれて十三年、生きているならばもう一度対面したいと謡って、下歌「思い立つ日を吉日と船の纜解き始め。」と謡い、続いて上歌で明州の津を出て日本に渡り、筑紫松浦潟から箱﨑に着いたと謡います。

この上歌が始まると、オモアイが帆を引き上げます。茶・水色・朱・黄・緑の五色の帆が引き上げられ、船が海上を進む様子がうかがえるところ。
そして上歌の終わり、「箱﨑に早く着きにけり」で二人が向き合うに合わせ、ゆっくりと帆を下ろして、船が着いたことを示します。
「そんし」の着きゼリフ。続いて「そんし」がオモアイを呼び出し、祖慶官人が生きていて箱﨑殿に召し使われていると聞いたので、尋ねて対面したいと伝えるように命じます。
これを受けて船を下りたオモアイは常座に出て、唐音で何やら語ります。唐音といえば「唐人相撲(ないし唐相撲)」を思い出しますが、ここは唐音でやり取りする訳ではなく、一渡り唐音で語った後、「いかにこの内へ案内申し候」と声をかけます。

アドアイが応対に出ると、オモアイは、この屋の内に祖慶官人という人がいるだろうかと問いかけます。やり取りがつづき、オモアイは祖慶官人の子「そんし」「そいう」が数々の宝を船に積み、宝に代えて官人を帰国させようと唐土からやって来たことを明かします。
アドアイは「目出度きこと」と言ってワキ箱﨑殿に報告し、箱﨑殿も早速会おうと言いますが、さてこのつづきはまた明日に
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唐船さらにつづき

ワキの詞を受け、アドアイはオモアイに再度向き合い、中へ入るようにと告げます。
オモアイがシテ柱あたりに下居し船中の兄弟に声をかけると、二人はワキ正まで出てワキに向き合います。

ワキは「唐土人はいづくに渡り候ぞ」と声をかけ、「そんし」が答えて祖慶官人を迎えに来たことを述べます。ワキは、祖慶官人を預かっていることを告げますが、なぜか、官人は今朝から「物詣で」に出かけているので、戻ってきたら会わせようと言います。
飼っている牛を野飼いのため連れ出させたはずなのですが、ともかくも「そんし」はこれに待ち申そうと言って、唐子二人は立ち上がり鏡板に控えます。またオモアイは船を持ち上げて橋掛り奥の欄干に立てかけ、狂言座に下がります。

ワキがアドアイを呼び出し、官人に牛馬を引かせていることは兄弟に知らせるなと言い、また思う子細あって官人には裏から帰るように告げよと命じます。
アドアイはこれを受けてシテ柱横に進み、幕に向かって官人に裏道から戻るようにと声をかけて下がります。

一声の囃子。
日本子二人を先に立ててシテの登場。小格子厚板に水衣を肩上げにした老人の出立で橋掛りに出「いかにあれなる童ども」と謡い出すと、子方二人が振り返りシテと向かい合う形になります。

シテと子方との謡で、野飼いの牛を追いつつ家路に向かう情景を示し、シテの謡になります。唐土明州の津に祖慶官人という者と名乗り、日本に来て子を二人もうけたが、唐土にも二人の子を残してきた思いを述べます。
「二人の子供なかりせば」と子方二人を見やる風。下歌「老い木の枝は雪折れて・・・」と謡いつつ正に直してシオリます。左の手には牛馬の曳き綱ということか紅白の紐を持っています。
地の上歌を聞き「我が身ながらも愚かなり」の句に、上体をやや倒して面を伏せるように物思いの態。下歌「いざや家路に帰らん」で直して子方と向き合い、二足ほどツメて直し正に向いてロンギとなります。
さてこのつづきはまた明日に
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唐船さらにさらにつづき

日本子二人は唐土では牛馬を飼うのかと問いかけ、シテがこれに答えると、子方はさらに唐土と日本は何れが優る国かと更に問います。

子方とのやり取りを地謡が「語り慰み行く程に」と受け、三人は橋掛りから歩み出して舞台に順に入ると「松原や末になりぬらん」あたりで子方が地謡前に。シテは常座に進み、一度子方の方を向いてから後見に曳き綱などを渡し「箱﨑に早く着きにけり」と常座で正面に向き直ります。

ワキが「官人は今帰りてあるか」と声をかけ、シテとの問答になります。
この問答のうちにシテは正中近くに進み下居、ワキはシテ官人に唐土に残してきた二人の子は「そんし」「そいう」というのかと尋ねます。シテは驚きますが、ワキが唐子二人が官人を迎えにやって来たことを明かし、対面を勧めます。
「さらば此方へ来たり候え」とワキが声をかけ、シテ、ワキが立ち上がって幕方を見やり、唐子が乗ってきた船を見る形になります。

シテは余りに見苦しいので装束を整えたいと言い、物着となります。装束付けには、物着に白垂唐帽子単法被着るもあり・・・とありますが、ここで水衣を外して青地に金文様の単法被を着けます。鏡板に控えていた唐子二人が立って橋掛りへと向かい、シテは唐帽子を着けると立ち上って正中へ。橋掛りを振り返って「やあいかにあれなるは 唐土に留め置きたる二人の者か」と声を上げます。

シテと唐子のやり取り。夢かと喜ぶ祖慶官人と唐子の掛け合いから地謡となり、シテは大小前に、唐子二人はワキ正に着座し、一度向き合った後に、シテは正面に直し、唐子達はワキに向き合い、地謡の「尊とや箱﨑の 神も納受し給うか」の謡に、シテは合掌して感謝を示します。

ここでオモアイが大小前に進み出て下居し追風が下りたので船に乗るようにと声をかけます。「そんし」がシテにこれを繰り返し、シテはワキ箱﨑殿に暇乞いをします。
ワキは「やがて御帰国候え」と言いますが、このやり取りに日本子二人が自分たちも連れて行って欲しいと立ち上がります。
シテは常座に進みかけますが、日本子の声に振り返り「此方へ来たり候え」と招きます。しかしワキ箱﨑殿が「暫く」とこれを遮ります。
さてこのつづきはまた明日に
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唐船またつづき

ワキはシテを遮り、祖慶官人が帰国するのは良いとして、日本で生まれた子供達はこの地にあって、いつまでも召し使うからこちらに来るようにと、立ち上がって子方に寄ります。
子方二人はワキに向き合い「あら情けなの御事や・・・」と謡いシオリます。

唐子二人が立ち上がり「時刻移りて叶うまじ」と謡い出し「纜を解く」とシテを急かしますが、シテは何れの子も捨て難く進退窮まってモロシオリの態。
一同も腰を下ろします。

短いクセの謡。進退窮まったシテは「巌にあがりて十念し既に憂き身を投げんとす」の謡通り、正先に進み出て身を投げる態になりますが、全員が立ち上がり、唐子・日本子四人が「子供は左右に取りつきて」と、シテを留める形になります。シテは下がって座し、官人の子四人が地謡、笛座前から、モロシオリするシテを見込む形です。

ここでワキが言葉をかけ、暇を許します。シテは喜びの声を上げ、オモアイが船を組み立てます。ワキの「とくとく船に取り乗りて」の声にオモアイが船をワキ正に出し、シテは地謡の「真に諸天納受して」で正中で合掌。子らを振り返り、「時刻を移さず 暇申して」とワキに頭を下げると、立ち上がって常座で後見から唐団扇を受け取ります。

子等は船に乗って着座。地謡「棹のさす手も舞の袖」を聞いて、シテは船の前部に乗り込み「波の鼓の舞楽に連れて面白や」と聞いて答拝し、船中で楽を舞います。

楽は途中から調子が盤渉に上がり、祖慶官人の喜びを表現する舞。船中の前部だけを使っての舞ですので、ほとんど動く場所もないくらいですが、実に面白く、また悦ばしく感じた舞でした。
舞上げるとキリ。シテは「名残おしてる海面遠く」と雲扇。ワキが立ち上がって「招くも追風」と招き扇。「帆を引き連れて」の謡にオモアイが帆を引き上げ、「喜び勇みて」とシテはユウケン。「唐土さしてぞ 急ぎける」の謡に船を下りて留となりました。

ところで、この日は小書の無いままに盤渉楽となったので、いささか疑問だったのですが、森田流では唐船の場合、小書無しでも盤渉になるようだと、後刻、中所さんから伺いました。森田光風師の遺稿集「森田流奥義録」には、以前は笛方の権限により随時に機をみて盤渉に替えた、という話が出てきます。また、この盤渉調は五行の配在では水、北に位置するので、夜陰の能、水にちなんだ能に用いられるとあり、唐船には最適のようです。
(84分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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内沙汰 野村万作(九皐会定例会)

和泉流 矢来能楽堂 2015.08.09
 シテ 野村万作
  アド 高野和憲

内沙汰という狂言は観たことがないなあ、と思いつつ観ておりましたが、これは大藏流の右近左近(おこさこ)と同曲ですね。筋立てでいささか異なるところはありますが、右近が左近との公事の稽古をするという構成は同じ。
そのあたりを気付かずに観ていたため、登場したシテ万作さんが「当所に住まい致す 右近(うこ)と申す百姓でござる」と名乗った、その「右近(うこ・・・『おこ』ではなく『うこ』と言ったように聞きました)」が聞き取れず、なんていう名前か分からずにおりました。

ともかくも登場したシテ右近は、アド女を呼び出し相談事があると言います。伊勢講が成就したので近日参宮するから連れて行こうと思う、という話です。女房は喜びつつも、誰が一緒かと問います。
シテが、上野刑部三郎、柿ノ本渋四郎左衛門、左近(さこ)など連中皆だと答えます。すると女房は嫌だと言い出します。その人達は身代が良いので馬や乗り物で詣るだろうが、自分たちは身代がならぬによって徒裸足で行くのはいやだ、という次第です。

シテは困ってしまいますが、それならば牛に乗って行くのはどうかと女房に問います。
女房は牛に乗るのは良いとして、その牛はどこにいるのだと問い返します。さてこれに答えて右近が言うには、先日、左近の牛が自分の持ち物である山の手の田を食っていたので、牛の手綱を捉えて言って聞かせた。大事な御年貢を納める田を食うたからには、左近に御年貢を納めさせ、汝は身共の牛にするぞ、と言ったところ、牛がもーっと返事をした。
と説明します。

女房はあきれて、牛が返事をする訳はなかろうと言いますが、右近は重ねて、この道理は左近にも通しておいたと説明します。
左近には、お前の牛が御年貢を納める田を食ったので、お前が代わりに年貢を納め、牛も渡せと言ったところ、左近もこの道理に言葉に詰まり、にーっと笑ったから、話はついているという次第です。
女房はいよいよ呆れてしまいますが、さてこのつづきはまた明日に
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内沙汰のつづき

シテは、それならば地頭殿に公事にしてでも取ってやろうと言い募ります。
揉め事の裁定を地頭に訴え出ようという次第ですが、女房は冷静で、左近は常日頃、地頭殿に親しく出入りしているのに、こちらは年に一度の挨拶にも参上しない。これでは公事に勝とうはずもないと言い切ります。

しかしシテは理のあるところなのだから、今から地頭殿の所に行って取って見せよう、と言って地頭の屋敷に向かおうとします。女房はこれを留め、こういう公事は「内沙汰」といって、前もって公事の稽古をしておくものだ、と夫を諭します。
そこでシテも、もっともだと納得し、内で公事の稽古をしようということになりますが、さて地頭の役をやる人がいないと言い出します。

女房は自分が地頭の役をやろうと言いますが、シテは笑いだし、そなたが地頭とは・・・と取り合いません。しかし女房は、女だからといって理非の分からぬものではなかろうと言い、夫もこれに納得しますが、とは言え見た目が女なので、地頭には見えないと納得できない様子。
すると女房は、地頭が常々烏帽子を着け、太刀を持っているというので、自分もそのなりをしようと言い、シテも同意して、アドが扮装をこらすことになります。

女房は笛座で後見の手を借りて、美男鬘の上から烏帽子を着け、鬘桶と太刀を持ってワキ座へと出て「心得ました」と言って、太刀を持って鬘桶に腰を下ろします。

シテ右近は早速に稽古をすることにし、女房のすすめで、まずは左近の立場で公事の稽古を始めます。
シテ柱まで下がり、ここから地頭の屋敷を訪れた態で門番などに挨拶する真似をしつつ広間に進みます。左近は常々、地頭の屋敷に出入りしているので、門番なども見知っているから気安く進めるだろう、などと言いつつ、女房扮する地頭殿の前に出、これまた顔見知りの態で公事の事を申し出ます。
さてこのつづきはまた明日に
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内沙汰さらにつづき

右近は、左近になったつもりになり、地頭と顔見知りの態ですらすらと言い分を述べ、左近の牛が右近の田で一穂、二穂食べたところ、右近が年貢を代わりに出せ、牛を渡せと言うので迷惑していると言います。
地頭に扮した女房は、一穂、二穂では牛を引くことはできまい、と言い、左近役の右近は、公事の際にはよろしくお願いしますと言って稽古が終わります。

女房は(右近が)いつからそんなにちゃんと話ができるようになったのかと、大変感心します。右近も気をよくしますが、女房に、今度は右近の公事の稽古をしようと言われて、急に弱気になってしまいます。
ともかくも、今度は自分の側から公事を申し出る稽古になりますが、シテ柱あたりから既に怖じ気づいてしまい、ようやく地頭役の女房の前まで出ますが、ちゃんと話をすることができません。

右近は女房に急かされ、きちんと申し出ないと縛ってしまうぞ、と叱責され、さらに牛は諸足踏み込んだか片足か、居食いか撫で食いかと問い詰められると気を失ってしまいます。女房が介抱し、右近は気がつきますが、地頭殿はどこへ行かれたなどと、状況が理解できない様子。
女房が説明をして子細を思い出しますが、今度は急に怒りだし、女房のくせに縛るのなんのとは、なんと言う言い様だと女房にくってかかります。

女房は、稽古をしていて気を失ってしまうようでは、とても公事には勝たれまいし、昔から諸足踏み込んでの居食いならば田主の理分、片足踏み込んでの撫で食いでは左近の道理で、右近の方は無理だと諭します。

右近はこれを聞いて、「無理 無理」と不満げに繰り返しますが、ふと気が変わったように納得した風で、よいよい、いつでも左近のことを相談すれば、左近が道理で自分が無理というであろうものに、由ないことを相談した・・・と言います。
突然、妙な話になってきますが、このつづきはまた明日に
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内沙汰もう一日のつづき

由もないこと・・・という右近の言葉に、女房はどういうことかと詰めよります。言えば恥になる、恥になるようなことはない、とやり取りの末、右近が語り出します。

先月の地蔵講は上野刑部三郎だったが、自分が遅れていくと、左近がツイっと立っていった。どうも合点がいかないので、後をついて家に帰ってきてみると、汝が左近を裏の藪から帰らせなんだか、と女房に言います。

女房は「腹立ちや腹立ちや」と怒り、そんなことを見たならその時言えば良いものをと詰ります。右近はその時は我慢したのだと言いますが、女房はそれは誰の恥だ、と怒ります。
右近は、お前の恥だろうと女房を指さしますが、これに怒った女房は、もう一度指差したら、その指をへし折ってやると言い募ります。
差せ、差せ、差すぞ、差すぞ、という言い合いの末に、右近が女房を指差すと、怒った女房は右近を押し転ばし、腹立ちやと言いつつ退場してしまいます。

さて残された右近ですが、立ち上がると、どう言っても、お前と左近は「夫婦じゃわいやい」と繰り返して留。静かに退場します。

なんだか右近の情けない思いが残る舞台でした。
右近左近(おこさこ)では、いきなり公事の話になりますが、本曲はその前段として伊勢講の話があり、さらに後段もより劇的に構成されています。
狂言記に収録されている内沙汰は、右近左近の形で、いきなり公事の話になりますから、おそらくはこの形がもともとで、後に前後を膨らました本曲の形になったのだろうと想像します。

それにしても、左近と自分の女房ができている、というオチは、いささか唐突な感じがしないでもありませんでした。
(30分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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宝生会 秋の別会能を観に行く

本日は久しぶりに宝生会を観に出かけました。
いささか風が強く、これから寒くなるのかなと思わせる雰囲気のなか、宝生能楽堂へ。

このところ、ホントにいろんなことがあり、先月は洪水対応のため九皐会の九月例会を断念。チケットも、JRの指定も取ってあったのですが・・・残念ですが仕方ありませんね。災害に遭われた皆さんのご苦労を思えば・・・
震災の翌々日も、九皐会を断念したことを思い出しました。

さて本日の秋の別会能、例によって能三番、狂言一番の番組です。
能は、小倉敏克さんのシテで「当麻」、前田晴啓さんのシテで「砧」、そして武田孝史さんのシテで「正尊」
狂言は、お馴染み万作さんの「寝音曲」です。

これだけ重い曲がならぶと観る方も大変です。
私の方も諸般の事情があり、申し訳ないのですが、途中で退席してきました。残念ですが、これまた仕方ない。

いずれ「当麻」については鑑賞記をまとめようと思っています。なにぶん、このブログではまだ取り上げておりませんでしたし・・・

それにつけても空席が目立ったなあ・・・今日は

鵜飼 長山耕三(九皐会定例会)

観世流 矢来能楽堂 2015.08.09
 シテ 長山耕三
  ワキ 野口能弘
  ワキツレ 野口琢弘
  アイ 内藤連
   大鼓 佃良太郎、小鼓 住駒匡彦
   太鼓 梶谷英樹、笛 槻宅聡

鵜飼の鑑賞記を書いたのは、もう7年も前になるんですねぇ・・・。
2008年の9月に日立のシビックセンターで、岡久広さんが真如ノ月の小書付でなさった際の鑑賞記以来です。
今回は小書無しの通常の形ですが、演能記録を見ると観世流の場合は真如ノ月の小書を付けて演じられることが多いように感じます。

ともかくも、舞台には名宣笛でワキ僧が従僧を従えて登場してきます。無地熨斗目に茶系の絓の水衣、角帽子のワキが先に出て常座で名乗り。ワキツレ従僧は一ノ松に控えます。
安房の清澄から甲斐国へ向かうと述べてサシ謡。謡いつつワキ座方へ向かい、ワキツレも舞台に入ると、二人向き合っての謡になります。以前書いたように、清澄から六浦、鎌倉山と進む道は「六浦」のシテと逆コース。さらに道を進めて都留から石和にやって来たと謡って、ワキの着きゼリフです。
日も暮れたので此処に泊まろうというワキに、ワキツレが尤もと答え、ワキツレがワキ座に。ワキは常座から「在所の人」声をかけアイを呼び出します。

立ち上がったアイとの問答で、宿を借りたいというワキに、アイは禁制なので貸せないと断り、ワキは諦めて立ち去ろうとしますが、ワキ座に向かうワキを「あら いたわしや」アイが呼び止め、お宿を貸そうと言い出します。
アイは川に突き出た場所にある堂に泊まるようにと言いますが、その堂はあなた方が建てたのかとワキが問うと、アイは違うと答えます。ワキはそれならば勝手に泊まるものを、と言いますが、アイは「光る物が出る(ズル)ぞや」と言います。ワキは法力によって泊まると言ってワキ座に着座します。
さてこのつづきはまた明日に
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鵜飼のつづき

一声の囃子でシテの出。やや大きめの柄の小格子目引を着流しに、灰系の水衣肩上げ、腰蓑を着け松明を振りつつの登場です。
常座まで進み、松明を上げたまま一セイ謡い出し。「鵜舟にともす篝火の 後の闇路を 如何にせん」と謡って松明持つ手を下ろし、サシ。
続けて、月のない闇夜に鵜を使う面白さに殺生をする自らを自嘲的に語り、下歌、上歌と謡います。

真如ノ月の小書ではサシの後、詞、下歌、上歌が省略されて、この後の「いつもの如く」の詞に続きますが、今回は小書無しのため、シテは殺生を悔いつつも鵜飼の業を止めることのできない思いを、しみじみと謡います。

シテの詞。「いつもの如く御堂に上り鵜を休めうずるにて候」で右ウケして松明を上げて下ろし、ワキ座を向いてワキ達の姿に気付いた態で「や」と声を出し「これは往来の人の御入り候よ」と述べます。
シテ・ワキの問答になり、ワキが堂に泊まっている子細を述べ、シテに素性を尋ねます。シテが鵜使いと答え、月が出ている間は御堂で休み、月が沈むと鵜を使うのだと説明します。

ワキは、シテが老人であることを見て、老体で殺生をするのはいかがかと言いますが、このやり取りからワキツレ従僧が口を挟みます。二、三年前に老人の鵜使いに行き会い殺生を止めるようにと諭した話をします。シテは「さてはその時の御僧にてわたり候か」と自らがその時の鵜使いであることを明かしますが、さらに自ら既に死んでしまったと述べます。
以前の鑑賞記にも書きましたが、亡霊が現れる場合、前場中入前に幽霊であることを仄めかしてシテは姿を消し、後場で生前の姿で現れるというのが複式夢幻能の基本的な形です。しかしこの曲では、前場の途中で幽霊であることが明らかになり、前場の後段は幽霊が生前の鵜飼の様子を仕方で見せるという、夢幻能の後場の大部分と同等の構成になっています。このため本曲の後場は、鵜飼の霊が成仏する機縁となった法華経の功徳を地獄の鬼が示すという、常の曲なら後場の最後の部分キリで謡われるところが、大きく拡大され後場全体になっているような構成です。
ともかくもこのつづきはまた明日に
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鵜飼さらにつづき

幽霊であると明かしたシテは、自分が死んだときの有様を語るので跡を弔って欲しいと言って正中に下居し、語り始めます。
そもそもこの石和川は、上下三里が殺生禁断となっているところを、禁を犯して漁を繰り返していたところ、人々に見つけられて「ふしづけ」にして沈められてしまったと語ります。
「ふしづけ」は、以前の鑑賞記にも書いたとおり罪人を簀で巻いて縛り水中に投じてしまう刑罰ですが、柴漬ないし罧の字を書くようで、柴を漬けるというのが原義らしく、柴を束ねて水に沈めるとその柴の隙間に魚が入りこれを捕らえる漁法がもともとの意味のようです。これが転じて刑罰に用いられるようになったのでしょう。
シテの話にワキは「さらば業力の鵜を使うて御見せ候へ。あとを懇に弔うて参らしょうずるにて候」と言い、シテがこれを受けて鵜を使ってお目に掛けようと言います。

「既にこの夜も更け過ぎて」と腰を浮かせたシテは「鵜使う頃にもなりしかば」と下を見た後、元に戻します。ワキが返す言葉の内にシテは置いていた松明を取り上げると「湿る松明振り立てて」と振りつつ立ち上がり、後ろを向いて大小前に行き、右手に松明を持ったまま左手に扇を取ると「この川波のばっと放せば」と松明を振り、扇を差し出して鵜の羽根のように使います。

地謡が受けて鵜飼の有様が謡われます。
松明を振りつつ角へと出て「隙なく魚を食う時は」と左手の扇を半開きの形で差し出します。舞台を廻って再び松明を振りつつ角に出ると「小鮎さばしるせせらぎに かだみて魚はよもためじ」の謡に、松明で下を照らしつつ見回す形。「不思議やな篝火の」と松明を見て、直すと今度は「月になりぬる悲しさよ」とワキ座の方を見、扇と松明を落として下がります。
ワキ正からゆっくりと右に小さく回り「闇路に替えるこの身の名残おしさを」と常座からワキに向き合い、ここから二足程下がって「名残惜しさをいかにせん」とあらためて右から小さく回り中入となりました。
さてこのつづきはまた明日に
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鵜飼さらにさらにつづき

真如ノ月の小書では間狂言が省略されますが、小書無しの形ではここでアイが進み出てワキ正にて先ほどのお僧達はどうしただろうか、見舞い申そうなどと言い、角に出てワキに声をかけます。
アイはワキとのやり取りで、「ふしづけ」にされた男の話を所望され、正を向いて語り出します。話の中身は前場でシテの語ったことを繰り返す形ですが、さすがに間語りだけあって、いささか詳しくかつ聞き取りやすい次第です。
この石和川の三里ほどの間は、殺生禁断の所なのに、度々鵜使いが入り込んで魚を捕っている様子に、若い者達が怒り、ここかしこに隠れて鵜使いがやって来るのを待っていた。やって来た鵜使いを捉えて詰問すると、鵜使いは殺生禁断と知らずに、今夜初めて鵜を使ったと弁明した。
この弁解に若い者達が大いに怒り、鵜使いをふしづけにすることに決め、在所の者が一人も残さず出て鵜使いをふしづけにしたと語ります。
その後は型通りのやり取りとなり、知らせ笛が吹かれる中、さらなる弔いを勧めてアイが退場します。

アイが下がるとワキ、ワキツレは着座のまま待謡の謡い出し。待謡が終わると早笛となり、後シテの出になります。

後シテ地獄の鬼は、赤頭に唐冠、紺地に金の袷法被に朱の半切を着け、一ノ松に出ての謡い出しです。
鵜使いは若年より漁を続け(殺生の)罪が夥しい。さらば無間の底に堕罪すべきであるが・・・との謡に「金紙を汚す事もなく 無間の底に 堕罪すべかっしを」と閉じた扇を上から立てて前に構え、下を指し拍子を踏みます。扇で地獄を指し示す形。
しかし「一僧一宿の功力に引かれ 急ぎ仏所に送らんと 悪鬼心を和らげて 鵜舟を弘誓の船に為し」と謡い、かつて従僧を泊め諭しを受けた機縁により、成仏することとなった次第が明かされます。

一セイ「法華の御船の済け船 係日も浮かむ気色かな」を謡って、シテは舞台に入りサシ込み開キ。地謡を聞きつつ角へ出て角トリ。「実相の風荒く吹いて」と謡いつつ左に回ると大小前から正先に出、左袖を巻き上げて常座に出、小廻りして開キます。
ロンギとなりますが、このつづきはもう一日明日に
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鵜飼もう一日のつづき

ロンギの地謡に、後ろを向いたシテの装束を後見が整え、正向いて地謡を聞く形。
「法華は利益深き故 魔道に沈む郡類を救はん為に来たりたり」と謡って開キ、地謡を聞きつつ角に。角トリして左に回り。
「それは褒美の言葉にて・・・」と謡いつつ地ノ頭あたりから大小前に行き小廻り。地謡「経とはなどや名づくらん」で開キ、「それ 聖教の 都名にて」と数拍子を踏みます。
「唯一乗の徳によりて」と正面向いて上をサシ「奈落に沈み果てて」と開いて安座。
「仏果を得ん事はこの経の力ならずや」と中腰になりワキを見込みます。

「これを見かれを聞く時は」の地謡に扇を広げ、ユウケンして立ち上がると角へ。角トリして左に回り大小前から「僧会を供養するならば その結縁に引かれつつ」と大小前からワキに向かって正中へと出、開いて正へサシ、左に回って角から常座へと行き、小廻りして開キ。「他を済くべき力なれ」と留拍子を踏んで終曲となりました。
長山耕三さんらしい、キチンとした舞台に好感を新たにした一曲でした。

ところで今回の鑑賞記の冒頭に、7年程前岡久広さんの真如ノ月を観たことを書きました。
あのときは太鼓が亡くなった三島卓さんでした。卓さんが亡くなったのが、次の年、2009年6月。36歳の若さで急逝され本当に驚きました。
実はその岡さんの鵜飼の後、2008年の11月に、喜多流自主公演能で粟谷充雄さんが龍田を舞われた時が、私が卓さんの舞台を観た最後です。
この時の鑑賞記には「神楽でトラブルはありましたが」とのみ記載がありますが、実は神楽の途中で卓さんが太鼓を打つことができなくなってしまったのでした。記憶がどうもハッキリしないのですが、たぶん次の曲を打つことになっていた小寺佐七さんが、途中から代わられたのではなかったかと思います。
その時はどういう子細か分からなかったのですが、ともかく詳細を記録に残さない方が良さそうだと思ったのでしょう。

卓さんはその年の暮には、お仲間にしばらく舞台を休むという挨拶をされたようですから、もしかしたらあの時の龍田が最後の舞台だったのかも知れません。
あらためて合掌。
(70分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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