能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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当麻のつづき

曲によるのですが、ワキの詞章に流儀による異同の多い曲と、ほとんど異同の無い曲がありまして、本曲は割合違いのある方です。世阿弥作といわれていますが、どの辺りでこうした異同が生じてきたのか、気になるところではあります。

さて次第の後、ワキの名乗り。西国の聖と言いますが、上掛の本では念仏の行者としています。三熊野に参った帰り道で大和路にかかり、上掛では当麻の御寺に参ろう、下掛では都へ上ろう、と言って道行の謡。
道行も上掛と下掛では若干違って、謡い出し、上掛では「程もなく 帰り紀の路の関越えて」ですが、下掛は「捨人の衣も同じ苔の道」となります。その後は「こや三熊野の岩田川・・・」と同じになりますが、下掛は途中「夜昼わかぬ心地して」の後に「和泉の杣木たなびくや」の一句が挿入されています。

ともかくも「二上山の麓なる 当麻の寺に着きにけり」と謡って当麻寺に到着。ワキの着きゼリフの後、ワキ一行はワキ座に着座し、シテを待つ形になります。

一声の囃子、先に前ツレ女が紅入唐織着流しで出て一ノ松に、後から前シテ老尼が登場し幕前に立って謡い出し。前シテは無紅唐織着流しに薄黄の花帽子を着け、右手に杖を持っています。
シテの謡「一念弥陀仏即滅無量罪とも説かれたり」、ツレが高めに調子を取って「八万諸聖教皆是阿弥陀ともありげに候」と続けます。

当麻寺は奈良時代の創建当初は、学問寺院として三論宗を中心に南都六宗が兼学されていたようですが、平安時代になると真言宗に改宗します。平安末期に一度焼失し寺勢が衰えたものの、その後鎌倉期に入って再建され、さらには浄土教団の信仰を集めて、やがて浄土宗が同居するようになります。寺伝を拝見すると応安3年(1370年)のことだそうです。
本曲は世阿弥晩年の作ではないかと言われますが、世阿弥の没年は嘉吉3年(1443年)とされているので、当麻寺では真言宗と浄土宗の同居が定着してきた時期と推測されます。シテ、ツレの謡もこうした事情を反映してのものと思われますが、「一念弥陀仏即滅無量罪」の句は、一遍上人語録にもあるようで、時宗との関係深い世阿弥自身の思いで書かれた詞章なのかも知れません。

シテ、ツレの掛け合いから、シテ「すずしき道は」二人「頼もしや」と謡って歩み出し、舞台へと進みます。さてこのつづきはまた明日に
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当麻さらにつづき

シテ、ツレはアシライで橋掛りを進み、舞台に入ると先に立ったツレが正中に、シテは常座に立ち、ツレが振り返って向き合う形になり、次第「濁にしまぬ蓮の糸 濁にしまぬ蓮の糸の 五色にいかで染みぬらん」・・・当麻曼荼羅を思い起こさせる詞章を謡います。

シテのサシ、下歌、上歌と続け、末法の世に弥陀の教えを頼む思いを謡い、上歌の終わりに立ち位置を入れ替えてシテが大小前、ツレが目付に立つとワキが立ち上がって声をかけます。

これは当麻の御寺かとワキが問い、シテ、ツレは当麻の御寺、または当麻寺(とうまじ)とも言うと答え、さらに池を見やる態で、蓮の糸をすすいで清めた池なので染殿の井ともいう次第を謡います。つづけて、当麻寺、染寺、染殿と、様々にあるもの、その染めた糸の一筋のように、一心不乱に南無阿弥陀仏と祈る様を謡い、ツレは両手を合わせて合掌し、シテは右手の杖はそのままに、左の手を上げて片手で祈る形になります。

ワキは少し調子を上げ、花桜が常の色とは違うようだが、故ある宝樹だろうかと問いかけます。シテ、ツレは、その桜木に染めた蓮の糸を掛けて乾したために、蓮の色に咲くようになったという謂われを謡い、シテ、ワキの掛け合いから地謡と続く謡に、ツレはシテの後ろを回って地謡前に進み、ワキツレに並んで座し、シテはゆっくりとやや右を向いて直し、二、三足下がると地謡の方を向いて祈る形になります。

ワキが改めて声をかけ、当麻曼荼羅の謂われを詳しく語るように求め、地謡のクリでシテは大小前で床几に腰を下ろします。
クリ、サシ、クセと中将姫伝説が謡われます。クセは居グセ。
廃帝天皇の御宇、横佩の右大臣豊成の息女、中将姫がこの山に籠もり、称賛浄土教を毎日読誦して生身の阿弥陀来迎を拝みたいと願っていた。一心不乱に念じていると、ある夜、一人の老尼が忽然と現れた。如何なる人かと姫が問うと、呼ばれたからやって来たのだと老尼が答えた。南無阿弥陀仏以外に何も称えていないという姫に、それこそ我が名と老尼が明かし、姫は生身の阿弥陀如来を拝むことができたと感涙に袖を濡らした。と謡います。
さてこのつづきはまた明日に
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当麻さらにさらにつづき

クセに続いてロンギ。シテ、ツレは、時も二月の十五日、法事のためにやって来たのだと謡い、その古の化尼化女が夢中に現れ来たったのだと明かします。
地謡が、光さして花降り、異香薫じて音楽が聞こえてきた様を謡うと、シテは目付柱の方を向き、その有り様を感ずる風。暇申して、とワキを向き「二上の嶽とは二上の」で立ち上がると、ゆっくりと二足出てワキを向いてツメ「尼上の嶽とは申すなり」でシテ柱に向いて少し出て、「登り 登る雲に」あたりで足拍子を二つ。雲に乗った態。
杖を捨てると数珠を取り出し「紫雲に乗りて上りけり」と中入り。送り笛に送られて、ツレともどもに幕に姿を消しました。

長上下姿のアイが狂言座から進み出て、常座で当寺門前に住まいする者と名乗って型通りに角に出、ワキに気付いた態で声をかけます。
ワキとのやり取りから中将姫と曼荼羅をめぐる、やや長い物語を重々しく語ります。

ところで前場のシテ、ツレですが、古に中将姫の前に現れたという化尼化女(すなわち生身の阿弥陀如来と観音菩薩の化身)と自らも名乗っていますし、そう考えるのが自然です。しかし間語りの後、ワキの詞に喜多流や下掛宝生流では「さては中将姫仮に現れて給いけるぞや」とあり、また最前の老女と女の出現は中将姫であろうと間語りでいうこともあるそうですから・・・今回の石田さんの語りにはありませんでしたが・・・阿弥陀如来と中将姫ではないか、中将姫と侍女ではないか、といった解釈が様々にある様子です。

私個人としては、ワキの夢に出現したのは、中将姫に現れたのと同じ化尼化女、すなわち阿弥陀如来と観音菩薩の化身と解釈する方が素直だと考えています。当時の能作者の立場として考えれば、観客に中将姫と同じ体験をさせ、後場でその中将姫が極楽の菩薩として姿を現す。浄土経を深く念ずれば観客であるあなた方もその功徳によって極楽に往生出来るかも知れない、その機縁を見せようと考えたのではないかと思えます。
しかし一方で、中将姫の化現と考えると、それはそれで物語に広がりが出てきますし、そのあたりの解釈を曖昧にしておくことも、能を観る楽しみかも知れません。

ともかくもアイが語り終えて下がると、ワキ・ワキツレが立ち上がりワキの詞から待謡となります。さてこのつづきはもう一日、明日に
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当麻もう一日のつづき

ワキ、ワキツレは舞台中央で向き合っての待謡。「いいもあえねば 音楽の(上掛は不思議やな)妙音聞こえ光さし 歌舞の菩薩の目のあたり 現れ給う不思議さよ」
謡い終えた一同はワキ座に着座しシテの出を待ちます。

出端の囃子。後シテは緋大口に白の長絹、天冠を着けて左手には経巻を持っています。
常座まで進み出ると、唯今夢中に現れたのは中将姫の精魂と自ら謡います。
浄土経の功徳を謡うシテの謡を受け、地謡が「ありがたや 尽虚空界の荘厳は」と謡い出し、シテは七、八足ほど前に出「転妙法輪の音声は」と下がり、やや右を向くとサシて開キ、地謡の「惜しむべしやな」から後ろを向いて大小前へ。正に直すと六、七足ほど出て経巻を広げ「唯心の浄土経 いただきまつれや」の謡に、両手に広げた経巻を頂き、ワキに寄って手渡します。

ワキは座したまま正に向いて、頂いた経巻を広げて読む形。シテは正中で「為一切世間 説此難信」と謡います。
シテ、地謡の掛け合いとなり、シテはワキを向いて扇を広げて指し、正に直すと「乱るなお」と再びワキに向いて左袖返し、直して正中から右に回ると大小前に戻って開キ。
答拝して早舞となりました。
この間にワキは経巻を持って立ち、ワキ座へ下がります。

早舞は常の型ですが、舞上げると「後夜の鐘の音」と謡い、八足ほど出て行きカカリ。開いて右に回り、正中で開キ。謡に合わせて舞台上を舞い、「唯西方に 迎え行く」で目付柱から笛座に向けて雲扇。サシて目付柱に向いて出て舞台を廻り、正中から常座へ進みます。
最後は左の袖を返し「夜はほのぼのとぞ なりにける」の謡に留拍子を踏んで終曲となりました。宝生流らしい燻し銀のような舞台でした。
(114分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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大晦日にひと言

毎年、大晦日を迎える度にひとこと書いていますが、今回がちょうど十回目。なんだか感慨深いものがあります。

学生時代にサークル活動で能楽の世界を垣間見て以来、四十年以上の月日が流れました。一観客として・・・能楽とふれあってきましたが、あまりに奥が深くて、まだ入り口あたりをウロウロしている状況です。
今年は昨年にもまして身辺が慌ただしく、日々、仕事や家事に追われてしまった感がありますが、それでも今年の観能は能が22番、狂言が10番と、昨年の倍近くにはなりました。いずれにしても数の問題ではないので、機会があれば、その機会を楽しもうと心がけています。

このブログも、おかげさまで間もなく満十年。ヒット数もいつのまにか36万を超えました。これもまた、読んで下さる皆さまのおかげと思っています。

このところ、稀曲の類を観ています。
別に拘りを持って「全曲制覇」などと言うつもりはないのですが、やはりまだ観たことのない曲は観てみたい、すると自然、稀曲の類になってしまうという次第です。
谷行は、もしかすると観ることができずに一生を終えるか・・・と思っていたのですが、今年はとうとう拝見することが出来ました。

しかし山崎有一郞さんが、どこかに書いていたように、どんな曲もその場限りで、二度、三度と観てもけっして「同じ」ということはありません。
一期一会の言葉のように、全ての一番一番を大切に観たいと思っています。

観能記の方は、なかなか手を付けられずに遅れ遅れでなんとか書いていると言う状況です。十二月はベトナムからの出張帰り、羽田から直接、宝生能楽堂に向かい、宝生の月並能を観ました。これが今年最後の観能ですが、この観能記は年が明けてからになります。
とは言え来年も、なんとか時間の都合をつけつつ、舞台を観ていきたいと思っています。

皆様、どうぞ健やかに新年を迎えられますよう、お祈りいたします

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