能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

玉井 粟谷明生(喜多流自主公演)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2016.01.10
 シテ 粟谷明生
  ツレ 大島輝久 佐々木多門 友枝真也
  ワキ 福王和幸
  ワキツレ 矢野昌平 村瀬提
  アイ 山本泰太郎 山本則孝 山本則重 山本則秀
   大鼓 大倉慶乃助、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 小寺真佐人、笛 松田弘之

この曲は脇能に分類されますが、珍しく半開口となっています。半開口については、以前に白楽天の鑑賞記(鑑賞記初日月リンク)を書いた際に触れましたが、おさらいの意味を込めてもう一度触れてみようと思います。
脇能が翁付の形で演じられる場合・・・囃子方や地謡が居残ったまま休憩なしに翁に続いて脇能が上演される時は、ワキは普通は礼脇(れいわき)という出方をします。翁付ではなく脇能が単独で上演される時は、ワキは真ノ次第で登場するのが一般的ですが、翁付では「置鼓」でワキが登場し、常座で両手をついて拝礼をしてから舞台に入ります。
翁にはワキが登場しないので、翁に続いて演じる脇能ではじめてワキが登場する際に、翁の出に準じて特殊な出方をするようになったのではないか、といわれています。

ただし翁付で上演される脇能も全曲が礼脇になる訳ではありませんで、例えば鶴亀のように、シテとワキが一緒に出てくるような曲では礼脇にはなりません。またこの曲のように半開口になる曲もあります。半開口では「置鼓」で登場したワキは次第を謡わず、名乗りになります。半開口の曲は、翁付ではなく単独での上演でも半開口になります。

半開口というくらいなので、開口はあるのか・・・これはありますが、近年上演されたという話を聞いたことがありません。登場したワキが、上演の都度作られる筋とは関係ない謡を謡うのだそうで、江戸時代には幕府や禁中などで好んで演じられたといいます。
半開口では、特別な謡を謡う訳ではないので「半」開口なのでしょうね。
ほかに翁ナシというのもありますが、これも観たことはありません。
ともかくも舞台の様子は明日から・・・
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玉井のつづき

さて、囃子方、地謡が座に着くと桂の立木台が運び出されて、ワキ座の斜め前あたりに据えられます。観世の装束付けには桂立木丸台とわざわざ書いてありますが、今回の喜多流は角の立木台を出すようです。
さらに四角い井筒が持ち出され、こちらは正先、階からやや左の目付柱寄りに置かれます。

大鼓方は着座したまま小鼓方のみが床几にかかり、笛が音取を吹き出します。ひとしきり笛が奏されると今度は小鼓の置鼓。音取と置鼓が繰り返された後、幕が上がって大鼓方も床几にかかり、ワキが幕を出て橋掛りを進み、舞台に入ります。
白大口に紺地の袷狩衣、唐冠を着けた姿で舞台を正先まで進み、正中まで下がってサシ謡。続いて出た赤大臣姿のワキツレは、シテ柱のわきに控えます。

この曲はいわゆる海幸・山幸の話を能に仕立てた一曲です。
そんな訳でワキが山幸彦にあたる彦火火出見尊、名もなき僧や当今の臣下といった神や幽霊の来臨を見る人ではなく、自らが物語の主人公となる人です。いわゆる大臣ワキではないので、半開口という特殊な形になるということのようです。

サシ謡に続いて、ワキは兄から借りた釣り針を魚に取られてしまったので、兄に子細を話したが許してもらえず、剣を釣り針に作り直して返しても、元の釣り針を返せと責められたため、海中に入って釣り針を探そうと思う旨を述べます。

続けてワキは「わたづみのそことも知らぬ塩土男の・・・」と謡いつつ地謡座前に進み、これに合わせてワキツレも舞台に入って舞台中央で向き合う形になって同吟。
「直なる道を行く如く」と謡い出し道行の形で「広き真砂に着きにけり」と謡い納めて、ワキは常座に、ワキツレはワキ座あたりに着座します。

ワキは常座に立ち、塩土男の翁に教えられた通りにわたづみの都にやって来た。ここに瑠璃の瓦を載せた門があり、門前に玉の井がある、と言いつつ井筒のあたりに目をやります。
さらに桂の木がある、と言いつつ立木台に目を向け、木の下で暫く様子を見てみようと言って、立木台をすり抜けてワキ座に着座します。
さてこのつづきはまた明日に
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玉井さらにつづき

真ノ一声の囃子が奏されて前シテの出。
ツレが先に出て一ノ松にて向き直り、後から出て三ノ松あたりに進んだシテと向き合って一声の謡です。シテ、ツレとも紅入唐織着流し。

一声、ツレの二の句と謡い、同吟で「掬ぶも清き 水ならん」と謡ってツレは舞台の方に向きを変え、アシライで二人は舞台に入ります。
ツレは正中まで進み、シテが常座に立ってシテのサシ「濁りなき心の水の泉まで 老いせぬ齢を汲みて知る」同吟、下歌、上歌と謡って、玉井を讃えます。
上歌の終わりにシテ、ツレは立ち位置を入れ替え、ツレが目付に、シテが大小前に立つと、合わせてワキも立ち上がります。

ワキは独白の態で、玉井のあたりに佇んでいたところ気高い様子の女性が二人やって来て井戸の水を汲む様子、言葉をかけるのもいかがかと思うと言い、この桂の木陰に身を隠していようと言いつつ、少し前に出て立木台の真横に立ちます。
シテは「人ありとだにしら露の」と謡い出し、「玉の井に立ち寄り底を見れば」と謡いつつ井筒に寄って覗き込み「桂木の蔭に人見えたり」と下がって立木台の方を見ます。

ワキは二三足下がり「忍ぶ姿も現れて」と謡いつつ正中の方を見る形。シテはワキが謡ううちに井筒のあたりから地謡前、大小前と動いて正を向きます。
「いかなる人にてましますぞ」というワキの問いかけに、シテは自分の姿が見えてしまった恥ずかしさを忘れる程の立派な姿の方、とワキの様子を褒め称え、名を名乗るようにと求めて二足ツメます。

ワキは火火出見尊と名乗り、シテは正に向きツレがワキを向いてともに二足ほど出ると、ツレが天孫を見奉るのは不思議と謡い、シテがその天孫がここまで来られたのは何事かと問いかけます。
ワキは釣り針を探しに来た旨を述べ、ここは何処かと尋ねます。
シテが龍宮わたづみの宮と答え、二人の名を問うワキの謡に、シテが豊玉姫、ツレが玉依姫と答えて地謡に。
ツレが先に動いて大小前から笛座前へ。シテはワキ正から正中にゆっくりと進み、左に回って地謡前から大小前へと進んで「引く手あまたの心かな」と正面を向いて立ち、二足ほど下がります。
さてこのつづきはまた明日に
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玉井さらにさらにつづき

シテはワキに向き、父母に逢わせたいと言い、釣り針の行方も尋ねるので安心されるようにと述べます。ワキが、それでは宮中に参ろうと言って少し前に出、小さく回ってワキ座に戻り床几にかかります。これで龍宮の宮中に落ち着いたという形。

囃子が奏されて地謡のクリ。シテ、ツレは下居し、後見が作り物を下げます。
シテ、地謡と謡が続き、わたづみの都の様が謡われてクセに。
クセは居グセですが、火火出見尊が釣り針をなくした経緯を語り、わたづみの父神がこの釣り針の行方を捜し、さらに兄の怒りに対するため潮満潮干の二つの玉を尊に捧げた子細が謡われます。火火出見尊と豊玉姫が夫婦となり三年の年月が経ったと謡ってクセの納め。

ワキが、三年も経ち自国に帰ると言い海路の案内を求めます。
シテが海中の乗り物は様々にあるのでご安心されるようにと謡い地謡に。
「大鰐に乗じ」の地謡の謡い出しでシテが腰を浮かせ、ツレともどもに立ち上がると「その程は待たしおわしませ」の謡に、シテはワキに二足ほどツメてから右回りに常座を向き、来序にて中入です。

来序が狂言来序に変わると末社出立のオモアイが登場してきます。
括り袴に褸の水衣、面は賢徳でしょうか。末社頭巾を着けて常座まで出て名乗ります。この名乗りが聞き取れませんで、「みからがい」とかなんとか言ったように聞こえたのですが、これがなんだか分かりません。「蛤の精」ということになっているので、何か貝の古名と思いますが・・・

オモアイはまず立ちシャベリで、火火出見尊が釣り針を探して海中にやって来た子細を語ります。玉井の所で尊が豊玉姫、玉依姫と出会い、そのまま宮中に戻って夫婦の契りを交わされたことを、父神が大いに喜び、この上つ方の喜びが下々にも伝わるところ、酒宴を開こうと言って一ノ松まで行き、幕に声をかけてアドアイを呼び出します。

アドアイ三人は同装ですが、こちらの面はうそぶきの様子。オモアイがワキ正に、アドアイがワキ座前に着座すると、オモアイが「蛤、酌にささしめ」と声をかけます。アドアイの一人が立ってお酌をすると、一同で一句謡い、皆の勧めでオモアイが舞を舞います。
「おさまる海中に 入りにけり」でユウケンして常座で後ろを向いて足拍子。留の雰囲気でアドアイも立ち上がり一同幕に退場します。
このつづきはまた明日に
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玉井またつづき

アイが幕に入るとヒシギが吹かれ、出端の囃子で後ツレ二人が登場してきます。
先に出たツレは緋の大口に紫の長絹、天冠を着けて、青珠を持っています。後から出たツレは同装ですが、大口が薄い黄地の色大口で白珠を持っての登場です。
橋掛りで向き合い「光散る 潮満玉のおのづから くもらぬ御影 仰ぐなり」と謡い、地謡が続ける謡のうちに舞台に進んで大小前に出ます。
豊玉姫と玉依姫の二人が、各々玉を持って尊に捧げに出てきた態です。

前場ではシテが豊玉姫、ツレが玉依姫ですが、後場ではシテが綿津見の宮主となり、二人の姫はツレとなります。
二人は大小前に並び「玉を供え 尊に捧げ奉り」の謡にワキを向き、さらに釣り針を待ち「綿津見の宮主 持参せよ」で幕に向き、笛座前に進んで目付柱の方を向きます。
大癋の囃子が奏されて後シテの出となります。

シテは白頭に大龍戴を載せ、紫地に金の鱗文様の半切、白地に金の文様の袷狩衣を着け、鹿背杖を強く突きつつ一ノ松まで出て謡。
「まうとの君の命に随い わたづみの宮主釣針を尋ねて」と謡いつつ、向きを変えて舞台に入ります。「天孫の御前に奉る」と謡ってワキの前まで進み下居。釣針をワキに渡すと、立って下がり向き直って常座、橋掛りへと進んで、地謡が「潮満潮干二つの玉を」と謡うなか、狂言座あたりで床几にかかります。
この間にツレの二人が出て、謡の詞章そのままにワキの前に下居して、珠を置きます。置かれた珠はワキツレ二人が取り上げて持つ形。

続く地謡の「舞楽を奏し 豊姫玉依 袖を返して」でツレ二人は立ち上がって袖の露取り大小前へ。シカケ開いて答拝、天女ノ舞の相舞です。
舞は揃っての形で、特段の変化はありません。

舞上げると地の「いずれも妙なる舞の袖」の謡に左右打込。開いて角へ向かい、角トリして左の袖を被き、左へ回ると大小前で左右「雪を廻らす 袂かな」で打込開いて扇閉じ、笛座前に着座します。
さてこのつづきはまた明日に
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玉井またまたのつづき

シテは床几にかかったまま「わたづみの宮主」と謡って足拍子。
カカリの笛で立ち上がると舞働です、重い位。

杖を突きつつ舞台に向かいます。独特の足使い、ゆっくりと粘る感じで動き出しつっと足を出します。ゆったりとしていながら素早い。
舞台で舞いますが、途中、正中で膝を着く所作を見せます。立ち上がって舞い続け、袖を直して開キます。

舞上げると再び「わたづみの宮主」と謡って正中に出「かせ杖にすがり」の謡に、左の袖を巻いて杖にすがる型。
「拍子を揃えて時移れば」と謡を聞いてワキ正へ出るとワキに向き、「尊は御座を 立ち給い」の謡にワキが立ち上がります。

ツレも立ち上がり「帰り給えば」と聞きつつワキは歩み出しますが、階のあたりでシテがワキに寄り「わたづみの乗り物を奉らんと」でシテは正中に下居して一礼。
「五丈の鰐に乗せ奉り」でワキが鰐に乗る態で、馬に乗る際の所作を見せます。

「二人の姫に 玉を持たせ」と、ワキツレ二人が先ほどから持っていた珠をツレ二人に渡し、ワキ、ツレ、ワキツレが退場します。

「龍王立ち来る波を払い」とシテは正中から目付へ向かい「潮を蹴立て」と波を蹴立てる足使い。左へ回って正先から「遥かに送りつけ奉り」とワキ正へ進んで見送る形。
正に直すと開いて常座に「また龍宮にぞ帰りける」の謡に留拍子を踏んで終曲となりました。
あまり上演の多くない脇能ですが、前後でシテが若い女性と白頭の龍王という別人格で、見せ場も多く、楽しめる一曲かと思いました。シテ粟谷明生さんの力量に負う部分が大きいとは思いますが・・・
またこの曲にはシテ方の小書はありませんが、狂言方の小書「貝尽」が大藏・和泉両流にあり、様々な種類の貝が登場します。ただしオモアイが登場して立ちシャベリ、アドアイを呼んで酒宴、舞という構成自体は特段の違いはないようです。
(107分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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隠笠 山本東次郎(喜多流自主公演)

大藏流 喜多六平太記念能楽堂 2016.01.10
 シテ 山本東次郎
  アド 山本凜太郎 山本則孝

「かくれがさ」というこの曲、「宝の槌」の類曲で、宝比べのため、何か珍しい宝を求めてくるようにと命ぜられた太郎冠者が、都のすっぱに騙されてつまらないものに大金を払ってくるという一曲です。
大藏流では明治期に廃曲になったとされていますが、山本家と茂山家では時折上演しているようです。
和泉流では「宝の笠」の曲名で上演されます。

アドの主がシテ太郎冠者を伴って登場し、宝比べが盛んに行われているが今度は目の前に奇特がある宝を出すことになった。そのような宝は自分の道具にあるかと問いかけます。太郎冠者はそのような物はお道具の中にはないと答えますが、それではどうしようかと二人して思案の末、太郎冠者が都に買いに行くことになります。

このあたりの展開は「宝の槌」はもちろん、末広かりなど、脇狂言、果報者狂言には多々見られる形です。型通りに太郎冠者は都に向かい、街中で宝を買おうと呼ばわって歩き、すっぱに目を付けられます。

すっぱは普通の笠を「宝の笠」だと言って売りつけることにします。太郎冠者に手はきれいかと尋ね、太郎冠者が今朝手水を使ったままだと答えると、ちょっとむさいが仕方ないなどと言いながら、笠の講釈を述べます。

すっぱは、鎮西八郎為朝という弓取りを知っているだろうと太郎冠者に問い、その為朝が鬼ヶ島に渡った時、鬼共が為朝をやつけようとした。しかし為朝は鬼達と様々に勝負して悉く勝ったので、宝物を手に入れて帰ってきた。その宝来の島の宝、隠蓑に隠笠、打ち出の小槌のうち、蓑と槌とは年月の経つうちに失われ、隠笠のみが都の重宝として留め置かれたが、宝を探している様子なので譲ってやろうと言います。
さてこのつづきはまた明日に
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隠笠のつづき

「宝の槌」でも同様の説明がされ、隠蓑と隠笠は失われ槌のみが残ったとして、槌の代わりに太鼓の撥を売りつけることになっています。
宝の槌では、すっぱが太鼓の撥を振って、小刀などを打ち出し太郎冠者を信用させますが、本曲では笠を被ると姿が見えなくなると騙します。

笠を受け取った太郎冠者は「南無宝」とありがたがりますが、すっぱは太郎冠者に笠を着けさせ、姿が見えないと言って騙します。笠を外すと、再び見えたような事を言い信用させて、古い笠を万疋で売りつけます。

さてすっかり騙された太郎冠者は笠を持って帰路につきます。
主の屋敷に帰り着き、宝を披露することになります。

早く宝を見せろという主人に、太郎冠者は手はきれいかと、すっぱに問われたのと同じことを言い、主も今朝手水を使ったままだと、同じように返事します。このあたりはちょっと笑いを誘うところ。
さて太郎冠者は主に宝の笠を渡しますが、主は都で雨にでも遭ったのかと言い、戯れ言を言わず早く宝を見せよと太郎冠者に言いつつ、笠を投げ捨てます。

太郎冠者は、あわてて勿体ないと笠を拾い、南無宝、南無宝とありがたがってから、主にすっぱから聞いた宝の笠の由来を語ります。鎮西八郎為朝の持ち帰った宝来の宝と聞いて主もありがたがり、早速試してみようと自ら被ってみます。

しかし当然のことながら姿は消えません。太郎冠者はこれを見て騙されたことに気付きますが、主には姿が見えなくなったと言ってその場をしのごうとします。
しかし主は、宝の奇特を自分も見たいので太郎冠者に笠を被って見せよと命じます。
これをしのぐため、宝は持ち主が被らないと効き目がないなど様々に言い、それでも主に強く求められて、主に被り終えるまで見ないようにと言って主の後ろに隠れ、やり過ごそうとしますが、結局見つけられて追い込みで終曲となります。

宝の槌では「主が立身して普請をする瑞相に、番匠の音がかつたりかつたり」と太郎冠者が落ちを付け、また末広がりなどでは囃子物をして主の機嫌を直したりします。本曲はストレートに追い込みの形で、見ては面白いのですが、上演が少ないのは、もしかすると祝言性がやや劣るということかも知れません。
(31分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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鱗形 廣田幸稔(国立能楽堂特別公演)

金剛流 国立能楽堂 2016.01.31
 シテ 廣田幸稔
  ワキ 高安勝久
  ワキツレ 小林努 丸尾幸生
  アイ 松本薫
   大鼓 谷口正壽、小鼓 林吉兵衛
   太鼓 観世元伯、笛 槻宅聡

正式な上演曲としているのは金剛流だけのこの曲、金剛流でも上演は稀です。
聞くところによると、もともと明治大正頃までの金剛流では上演曲にはしておらず、喜多流が所演曲としていた様子です。しかしその後、喜多流では上演曲から外して参考曲扱いとなった一方で、金剛流は金剛右京が昭和版の謡本を刊行した際に正式に上演曲としたそうです。
金剛流では宗家にはこの曲が伝わっておらず、弟子家の方に伝承があったらしいのですが、様々な紆余曲折の末に、廣田家の先々代である廣田弘氏の強い希望があって右京宗家が上演曲にしたようです。弘氏が弁財天を信仰しており、また廣田家の家紋が八ツ鱗であることが理由の一端だったそうですが、この日のシテは、その廣田家の幸稔さん。どんな曲かいな、と観に出かけた次第です。

舞台には一畳台が運び出されてきて大小前に据えられます。続いて紫の引廻しをかけた小宮が持ち出されて台上に。舞台が整うと次第の囃子です。
ワキ一行の出になりますが、ワキは白大口に掛直垂、風折烏帽子の形。随うワキツレ二人は素袍上下ですが、無地熨斗目の着付けに、素襖は色違いで茶と薄い茶、従者二人の色目が違うというのは下掛宝生や福王ではあまり見ないように思います。高安流の形なのでしょうか。ワキも、白大口に掛直垂なら士烏帽子が出立の基本形と思うのですが風折烏帽子でしたし、掛素袍なら烏帽子は着けないでしょうから、はてと思ったもののあまり拘るものでもなく次第の謡に。
地取りでワキツレが下居するとワキは北条四郎時政と名乗ります。
さてこのつづきはまた明日に
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鱗形のつづき

時政と名乗ったワキは、いまだ旗の紋が定まらないので、江ノ島の弁財天にこの事を祈るため参詣するところであると言って両手を合わせ、ワキツレと向き合うとサシ「それ弓矢は天地陰陽をかたどり 七徳五行の姿なり」と謡います。ワキツレが続け、さらにワキも加わって弓矢の徳を謡います。
「神農の作りし桑の弓 怨敵破戒を亡ぼして」などと、弓矢立会をふと思い起こさせるような謡が続き、道行のような形で謡い納めてワキの着きゼリフ。
江ノ島に着いたので、まず社壇に参ろうと言い、ワキツレが尤もにて候と受けて、一同はワキ座に向かおうとします。

ここで幕が上がり、ワキがワキ座に辿り着くやや手前でシテの呼び掛け。
「時政に申すべきことの候」と、ワキの名を呼んで呼び掛けます。

着座したワキ一行ですが、名を呼ばれてワキが立ち上がり、何のことかと問いかけます。
シテは橋掛りを歩みながら、長年の信心が深い故に望みを叶えようと現れ来たったのだと述べます。一ノ松を過ぎ歩み続けるシテに、ワキは望みを叶えるというのは一体どなたかと問います。
後座で向きを変えたシテは、名乗らなくても御身の信心が深いのだから神を敬う恵に、と謡いつつ常座に立ってワキに向きます。

ワキ「国も豊かに シテ「民栄え 地謡「治まれる御代のしるしも今更に」と謡がつづき、ワキは着座し、シテは地謡に合わせてシカケ、ヒラキ、ワキに二足程詰めてから左に回り「千年をかけて御注連縄 永くも代々を守るなり」と宮の手前から常座に戻りヒラキ、ワキを向いてツメます。

地謡の「げにや誓いの数々に 御代を守りのお告げとは如何なる人におわします」のロンギに、シテは正面を向き、「今は何をか包むべき 我此島に跡を垂れ」と謡い出します。地謡との掛け合いになり「沖の鴎に心添え」とワキ正向いて二足ほど出、正先を向いて「汀の千鳥鳴く田鶴も」と見廻す形。正先に出るとワキに半身となって心を込め、右に回って常座へ。台横にてヒラキ、宮に中入となりました。
さてこのつづきはまた明日に
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鱗形さらにつづき

中入に際して、シテは「今は何をか包むべき」と謡った割には、本地垂迹、和光同塵の理を述べ、此島に神と現れたと言ったのみですが、江ノ島の神と言えば弁財天なので名乗るまでもないということかも知れません。

シテが宮に姿を消すと、アイ所の者が狂言座から立ち上がり、常座で立ちシャベリ。
国々在々処々に、霊験あらたかな天女がお出でになるが、中にも江ノ島の天女はとりわけ霊験あらたかであり、各地から信仰を集め多くの人々が参詣している。と述べ、さらに江ノ島の由来として欽明天皇の御代云々と続けます。

後日調べてみると、江島神社に伝わる江島縁起には、欽明天皇の御代に天変地異の末、海中から島が出現したこと。この島に天女が現れたが、鎌倉にある湖に住む五頭龍が悪行を行い人々を困らせていたので、悪行を止めるなら夫婦になろうと言ったこと。五頭龍はこれを喜んで悪行を止め、天女と夫婦の契りを交わし、天女は江ノ島の弁財天、五頭龍は瀧口明神として祀られたとあるそうです。

この子細を間語りに語っていたようで、さらに続けて、北条四郎時政が江ノ島の天女を常々信仰し本日も参詣したところ、天女が喜び姿を現した。
天女は大蛇の鱗三枚を時政に与えることにし、この印を旗に付けて戦えば、向かうところ敵なく、天下泰平を迎えるであろう。これも時政が正直で天女を信じているからだ。何事も祈れば所願成就疑いない。「この分、心得候え」と触れて狂言座に下がります。

出端の囃子が奏されて、地謡が「御殿しきりに鳴動して」と謡い出します。「日月光り雲晴れて」と後見が引廻しに手をかけ、「山の端出づる如くにて」で引廻しを広げて下ろします。「現れ給う有り難さよ」と後ジテが姿を現しました。
緋大口に薄く黄色がかった舞衣。天冠には鳥居が立ててあります。
何よりも目を引くのは左手に立てた棒の先に付けた三つ鱗の紋。朱地に金で鱗形をあらわした旗で、目に焼き付く強烈な印象です。
さてこのつづきはまた明日に
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鱗形さらにさらにつづき

姿を現した後ジテは「胎蔵界の弁財天」と謡い、地謡が「晴れたる空に旗さしの」と謡うと立ち上がり正先へ出ます。
「弓矢の家を守りの証しぞと」でワキを向き旗を渡します。

ワキは立ち上がって旗を受け取り、その場で下居し礼。
シテは目付へと進み、宮を見込んで直すと大小前へ。「雲を廻らす 袂かな」の謡を聞きつつ宮の前で答拝して中ノ舞となりました。
「雲を廻らす 袂かな」の地謡のあと、シテが「謹上」地謡が「再拝」と謡って、神楽を舞うこともあるようです。手許に持っていた半魚文庫さんの謡曲三百五十番のテキストにはこの形が書かれているので、正直のところ神楽を期待していたのですが、中ノ舞でいささかがっかり。単に神楽が好きなので観たかったと、それだけの意味ですが・・・

ともかくもシテは中ノ舞を舞い、ワキは旗をワキツレに渡してワキツレが立てて持った形です。
いつぞやも書いたかと思いますが、金剛の舞は特段の小書など付かずとも面白い。所作に少し手が込んでいる印象を受けます。その中ノ舞を舞上げると地謡が「かくて夜遊も時過ぎて」と謡い、シテはシカケ、ヒラキ。
左右から正先に打込ミ、ヒラキ。六拍子踏んで常座へと回ります。ワキを向き「この旗をさし上げ」とカイ込ミ、ヒラキ。ワキはこれを受けて平伏します。

「六通三明の剣を引つ提げ」と左袖を返して正先から常座へ。
「その身も息災安穏なる」で六拍子踏んでワキにカイ込ミ。正中に進んでヒラキ、「天女は御殿の扉を開きて 御帳の内にぞ 入り給う」の謡に、サシて正先に出、扉ノ扇の型で常座へ進み、留拍子を踏んで終曲となりました。

作り物の出し入れを含めて50分程の小曲ですが、面白く拝見したところです。
(52分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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