能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

舟船(国立能楽堂特別公演)

大藏流 国立能楽堂 2016.01.31
 シテ 善竹忠重
  アド 善竹十郎

このブログを書き始めておよそ十年。その間に「舟ふな」も二度ほど取り上げていまして、いまさら「舟船」でもなかろうと思わないでもないのですが、今回は大藏流でもあり少しだけ気がついたことなど書いておこうかと思いました。

先に書いた二度の鑑賞記は、万蔵家(鑑賞記初日月リンク)と万作家(鑑賞記初日月リンク)の上演でしたので、いずれも「舟ふな」。同じ本により演じられたものということになりましょう。
今回は大藏流ですので、若干なりとも違いがあります。

あらためて話の筋を書きますと、主人が登場して今日は遊山に出かけようと言い、太郎冠者を呼び出して、二人で西宮に向かいます。
途中、神崎の渡にやって来て舟を探しますが、このとき太郎冠者が「おーい、ふなやーい、ふなやーい」と呼んだのが騒ぎのきっかけとなります。
主人は「ふね」と呼べと言い、太郎冠者は「ふな」が正しいと言って言い争いになり、それぞれ古歌を引きますが、太郎冠者が三首あげたのに対して、主人は一首しか思いつかず、同じ歌を繰り返します。
言い合いに負けてしまうと思った主人は、「ふね」の出てくる謡を謡いますが、この謡にも「ふな」が出てきて、太郎冠者の勝ちになってしまい、主人の叱り留めで終曲という話です。

大藏も和泉も、この曲についてはさほど大きな違いはありません。曲名が和泉流では「舟ふな」とするのに対し、大藏流では「舟船」とするのが、まず気付くところでしょうか。主人と太郎冠者のやり取りの構成もほとんど同じですが、舞台の様子で気付いたところなど、明日につづけたいと思います。
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舟船のつづき

さて舞台上は段熨斗目に緑の長上下姿のアド主、十郎さんが先に出て常座に立ち、このところどこにも出かけなかったので遊山に出かけようと思う旨を述べ、シテ太郎冠者の忠重さんを呼び出します。太郎冠者は半袴の狂言出立ですが、肩衣の背の模様は帆掛け船、ちょっと洒落ています。

記録を調べてみると忠重さんの舞台は、少なくともこの十年は観ておりませんでした。忠一郎さんは何度か拝見していますが、いずれにしてもご兄弟とも関西中心に活動されているので、東京ではお目にかかる機会が少ないようです。
いつぞや書いたかも知れませんが、もともと茂山忠三郎家の長男であった弥五郎に対して、金春宗家が長年に亘る流儀への貢献に感謝する意味で「金春禅竹」にちなみ「善竹」の姓を送ったところ、弥五郎の一家がこぞって善竹を名乗ることにしたのだそうです。長男が先代の忠一郎で、当代二世忠一郎がその長男、忠重さんは二男です。
十郎さんは弥五郎の五男圭五郎の長男。圭五郎が東京で活動するようになったため、十郎さんは東京育ち。東京アクセントが身についているので、関西アクセントの狂言が難しいといった話をされているのを、どこかで読んだ記憶があります。

さて主、十郎さんがどこぞへ遊山に出かけようと思うがどこが良いかと問いかけます。これに太郎冠者の忠重さんが、西の宮はどうかと答えるわけです。
たしか和泉流では、それならば西宮へ行こうと直ぐに主が先に立って歩き出しますが、この日は主が西の宮は景の良いところかと尋ね、太郎冠者が景の良いところと答えてから出発する形になっていました。

二人はやがて川のあるところにやって来ます。神崎の渡ですが、主はここをかち渡し(歩いて渡る)に渡るのか、なにか乗り物があるのかと尋ねます。ここは野村家では主がかち渡しでいけるかと問い、太郎冠者が徒では渡れないので、「何か」探してこようという形になっていたと記録しています。

問題はこの後、その「何か」を太郎冠者が「おーい、ふなやーい、ふなやーい」と呼んだことから主従の言い合いになりますが、さてこのつづきはまた明日に
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舟船さらにつづき

主は太郎冠者が「ふなやーい」と呼ぶのを咎めて「ふね」と呼べと言いますが、太郎冠者は「ふな」と呼ぶのが正しいと言い、言い合いの末に古歌に「ふな」とあると言って、「ふな出して跡はいつしか遠ざかる須磨の上野に秋風ぞ吹く」という歌を示します。

これに対して主人は「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆくふねをしぞ思ふ」という歌を引き、「ふね」の例を示します。
太郎冠者はさらに「船競ふ(ふなきおう)堀江の河の水際に来いつつ鳴くは都鳥かも」と二つ目の歌を出してきますが、これに対して主は「このたびは、ちと早う詠まねばならん」と言って、先ほどと同じ「ほのぼのと」の歌を早口で詠みます。

太郎冠者が同じ歌ではないかと言うと、主は、先ほどのは人丸の歌で今度は猿丸太夫の早歌だと言い張ります。
太郎冠者は船着き場を証拠に挙げ「ふね」が正しいと言い、さらに三番目の歌「ふな人も誰を恋ふとか大島の浦かなしげに声の聞こゆる」を詠みます。

以前の鑑賞記に書きましたが、和泉流三宅派では三首の歌を、
「船競ふ(ふなきおう)堀江の河の水際に来いつつ鳴くは都鳥かも」
「ふな人も誰を恋ふとか大島の浦かなしげに声の聞こゆる」
「ふな出して跡はいつしか遠ざかる須磨の上野に秋風ぞ吹く」
の順に示します。
一方、主は同じ「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆくふねをしぞ思ふ」を三度繰り返し、一度目は柿ノ本の人丸の歌、二番目は僧正遍昭の歌、そして三番目は小野小町の歌だと言うなど、この日の大藏流の形とは微妙に違っています。

その後、主人が「山田、矢橋の渡し舟の…」と謡を謡うのは一緒で、「…ふねもこがれて出づらん」の後、「ふ…」と言いかけて口をつぐみ、太郎冠者がこのあと「ふなびとも…」と続きを謡ってしまう形です。

言い争いに負けてしまった主人は「なんでもないこと しさりおれ」と太郎冠者を叱って留になりますが、和泉流の「時々は主にもまけていよ」という留もまた味がありますね。
(13分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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唐船 盤渉・手掛之応答 武田志房(国立能楽堂特別公演)

観世流 国立能楽堂 2016.01.31
 シテ 武田志房
  唐子 藤波重光 馬野訓聡、日本子 武田章志 長山凜三
  ワキ 福王和幸
  アイ 大藏吉次郎 大藏千太郎
   大鼓 國川純、小鼓 観世新九郎
   太鼓 桜井均、笛 藤田次郎

唐船は昨年8月に同じ観世流の中所さんがなさった際の鑑賞記を書いています。長年、観る機会のなかったこの曲を、半年ほどのうちにまた観ることになるとは思ってもいませんでした。
同じ観世流でもあり、鑑賞記をどうしようかと思ったのですが、ワキが福王流、アイは大藏流と、前回の下掛宝生流、和泉流とは異なっていることもあり、ともかく舞台の様子を記しておくことにしました。

まず舞台には名宣笛でワキの登場。黒い、褐色(かちんいろ)でしょうか直垂上下に梨打ち烏帽子を着け、白鉢巻き姿で舞台に進み常座で名乗ります。
後からアドアイの吉次郎さんが太刀を持って続き、後ろに控えます。

ワキは名乗りに続け、祖慶官人に野飼いを申しつける旨を述べ、正中に出るとアイを呼び命じます。アイは常座に下居してワキの命を承り、ワキがワキ座に向かうと常座に立ち上がって、祖慶官人に命ずる旨を告げます。さらに左右にこの分心得るようにと触れて笛座前に着座します。

アシライで後見が船を一ノ松に出し、一声の囃子でオモアイと唐子二人が船に乗り込みます。唐子が向き合っての一セイ。アイは帆柱を立て帆を組み立てます。
続いてソンシのサシ、ソイウと二人での謡で、十三年前に日本に捕らわれてしまった父を探しにやって来たことを謡います。
下歌から上歌となり「明州河を押し渡り」と一句謡ったところでアイが帆を揚げます。道行の様子が謡われ「箱﨑に早く着きにけり」の謡で帆が下ろされます。
さてこのつづきはまた明日に
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唐船のつづき

二人の唐子はソンシとソイウという兄弟ですが、着きゼリフの後、ソンシはオモアイ船頭に箱﨑殿と交渉してくるように頼みます。船頭がこれを受けて船を下り、常座へ進んで案内を乞います。
和泉流石田さんのオモアイは、ここで一度唐音で何かシャベリ、あらためてアドアイに声をかけましたが、今回は唐音の下りはありませんでした。

オモアイはアドアイに子細を告げ、アドアイがワキ箱﨑殿に言上します。ソンシとソイウが父祖慶官人を連れ戻しに来たという話を改めて繰り返し、箱﨑殿も両人に会おうということになり、アドアイがオモアイにその由を告げます。
オモアイは船に戻り唐子に報告をし、二人は船を下りて舞台へと進みます。ワキが声をかけ、ソンシが常座、ソイウがワキ正に立ちワキとの問答になります。

唐子二人は白大口に、それぞれ朱と赤の厚板に側次を着け、ワキに向かうと父の祖慶官人を連れて帰国するため、数々の宝を持ってやって来たことを述べます。
箱﨑殿は祖慶官人が物詣でに出かけているので暫く待つようにと言い、これを受けて唐子二人は後見座にクツロギます。この間にオモアイは船を片付け、橋掛り後ろの欄干に立てかけて狂言座に着座しています。

ワキはアドアイを呼び祖慶官人に裏道から帰るように言えと命じ、これを受けてアドアイは橋掛りの入り口から幕に向かって、裏道から帰るようにと告げて切戸口から退場します。

一声の囃子。シテと日本子二人の出となります。
日本子二人が先に立ち、シテ祖慶官人が後から続きます。囃子のうちに橋掛りを歩みつつシテがサシ「いかにあれなる童ども…」と謡い出し、子供達が振り返ります。
シテの装束は小格子厚板に水衣肩上げですが、阿古父尉の面をかけ白垂に唐帽子を着けています。尉髪で出、物着で唐帽子を着ける形はありますが、この日は登場から唐帽子を着けた形でした。
さてこのつづきはまた明日に
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唐船さらにつづき

シテは二の松に立ち、日本子二人と掛け合いの謡。三人で「老いの心の 慰なれ」と謡うとシテの名乗りです。

シテは唐土明州の祖慶官人と名乗り、故郷が恋しいと謡いますが、日本で時を過ごすうちに二人の子をもうけ、唐土にも二人の子を残している。いずれもがいとおしいと謡って下歌、上歌と謡い継ぎます。
上歌のはじめ「あれを見よ 野飼いの牛の声々に」で右手に持った小さな笞を上げて示す形です。左手には曳綱を持っていて、こちらは装束付け通りですが、右手の笞ないし杖は装束付けにはありません。

ロンギとなり、日本子二人は祖慶官人に、日本と唐土を比べていずれがまさるかと問いかけ、シテは唐土に日本を比べれば九牛一毛と、笞を右手にして抱え扇の形です。
日本子達は父に唐土が恋しかろうと謡い、シテは日本子が生まれてからは帰国のことは思わないと謡って地謡。
「語り慰み行くほどに」の詞章そのままに一同は歩み出して、日本子は地謡座前に。シテは常座に立って笞を放し扇に持ち替えます。

ここでワキが声をかけます。
なぜ遅くなったのかというワキの問いかけに、牛馬があまりに多く遅くなったと言い、シテは正中に下居。日本子も下居します。
ワキはシテに、唐土に二人の子があるかと尋ね、さらにソンシ、ソイウという名かと尋ねます。シテは驚きますが、ワキはその二人が数の宝に代えて祖慶官人を唐土に連れ帰るためにやって来たのだと明かします。

シテは船はどこにあるのかと問い、ワキが「此方へ来たり候へ」と言うと、シテは立ち上がり、ワキに随い大小前から船を見る形になります。
シテは自分の船であると認め、対面を促すワキに、あまりに見苦しいので行き繕わせて欲しいと言って物着。アシライはありませんが、大小前にて笛座を向き、水衣を外します。さてこのつづきはまた明日に
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唐船またつづき

どうもこの物着のところでふっと気を抜いてしまったようで、気がついたらいつの間にか装束が替わり、水衣ではなく袷法被なのか、やや重い感じのする濃茶系の装束になっていました。

この間に唐子二人は立ち上がって橋掛りへと進み、一ノ松あたりに立っています。
シテは常座あたりから二人を見て、声をかけます。
シテ、唐子の掛け合いから地謡が受けて「春宵一刻その値 千金も何ならう」と謡うなか、シテは右の手を上げて下ろし、大小前で一廻りします。唐子二人は舞台に入りワキ正へと進みます。
「尊とや箱﨑の 神も納受し給うか」と地謡が納める内に、オモアイも後見座前に進んで一同が着座し、シテは正中で合掌します。

オモアイが追い風が下りたと告げて狂言座に下がり、ソンシがこれをシテに告げます。
シテが暇乞いをしワキも許すと、シテが立ち上がりますが、同時に日本子二人も立ち上がって、シテの後ろ姿に自分たちも連れて行って欲しいと声をかけます。

シテは向き直り、忘れていたこちらへ来るようにと日本子達に声をかけますが、これをワキが留めます。祖慶官人が帰国するのは良いとして、日本子たちは此所の生まれであり自分が召し使い続けると言います。これを受けて日本子二人は情けないと歎き片シオリです。

唐子が急ぎ船に乗るようにと改めて声をかけて立ち上がり、シテを真ん中に、日本子と唐子が左右から取りつく形で囲み、一同は腰を下ろしてシオリます。
短いクセとなり、「今は思えばとにかくに」と謡ったシテは、続く地謡の「船に乗るまじ留まるまじと」で日本子、唐子と見て立ち上がり、「巌にあがりて十念し」で合掌して身を投げる態で正先に出ようとしますが、四人の子がシテに取りついて留めます。
四人の子が片シオリ、「さすが心もよわよわと」とシテは下がって大小前でモロシオリの形になります。
さてこのつづきはまた明日に
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唐船またまたつづき

ここでワキが「よくよく物を案ずるに」と語り出して、日本子を連れての帰国を許します。
シテは「余りのことの不思議さに 更に誠と思われず」と謡いますが、ワキは疑うことはないとシテを急かします。地謡の「ありがたの御事や 誠に諸天納受して」の謡に、シテはワキを向いて合掌。正へ直すと「暇申して唐人は」で一同が立ち上がり、船に乗り込む形になります。

日本子が後ろ側に、唐子がその前に乗り込み。唐団扇を持ったシテが船の前側に乗り込んで「波の鼓の舞楽につれて面白や」の地謡に、答拝して楽を舞出します。
この日は手掛之応答と盤渉の小書が付いていて、楽は出だしから譜も少し違っています。高い調子での譜が続き、流石の次郎さんもいささか苦しそうな印象を受けました。

狭い船の中で楽が粛々と舞われます。
ほんの数歩動けるかどうかという狭い空間で、広がりを持った楽を舞い、面白く見せるには相当の力量をを要するところと思います。

キリの謡で再び帆が上げられ、最後は「唐土さしてぞ 急ぎける」の謡で留。シテは留で船を下り、子供四人も立ち上がります。

一曲の様子を記載してみました。
前回の唐船の鑑賞記と比べて頂くと、微妙な違いもお分かりいただけると思います。
今回は子方四人がほぼ同年齢でそれぞれに上手。長山凜三クン、この日も光ってました。ただし十三年前に国を離れた父を探しに来た唐子と、日本に捕らわれてから生まれた日本子が同年代というのは、いささか引っかかるかなという印象もあります。唐子を大人が演じることもありますので、ちょっと気になったところ。
また袷法被なのか、物着後のシテの装束は豪華で大変素敵な物でしたが、いささか重い感じを受けました。軽い装束だと船の上で風に吹かれるような印象を受けたりもするのですが、装束の選択によっても曲の印象が変わってくるのだと思った次第です。
(82分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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金剛定期能を観に行く

昨日は京都金剛能楽堂に、定期能を観にいって参りました。
一昨年11月の定期能以来です。

今回は満仲と泰山府君の能二番に、狂言が因幡堂。そして仕舞が三番という番組です。

「満仲(まんじゅう)」は金剛でもあまり出ない曲のようです。
冒頭、解説をされた種田道一さんは、50年程前に子方で美女丸を演じたが、その後は記憶がないといった趣旨のことを話されました。この満仲という曲、観世では「仲光」という曲名で上演されますが、金剛の満仲の方が古い形を残しているということで、楽しみに出かけたところです。

実はこの古い形ですが、シテ仲光ではなく、美女丸が舞を舞うという形だったらしいのです。
私、事前に国立国会図書館近代デジタルライブラリーにある、明治33年刊の金剛流謡本と明治42年刊の四流対照謡曲二百番を参照しまして、美女丸が舞うと思われる詞章になっているのを確認しておりました。
しかし当日は、この部分、他流と同じ詞章でシテが男舞を舞う形。これはどこかの時代に変更されたのだろうか、と疑問に思ったところでした。

たまたま後ろの席の方が、満仲と泰山府君の謡本をお持ちで、その他の資料なども広げておられる様子だったので、もしやご存知かと尋ねてみたところ、もともと美女丸が三段之舞を舞う形だったが、シテが舞う形に変わったのだという経緯を教えていただきました。

実は、横浜能楽堂の企画公演で「生と死のドラマ」と題して4回にわたる公演があり、この第3回で観世流の野村四郎さんが、「仲光」を「古演出による試演」として、美女丸が舞う形で上演されたのだそうで、後ろの席の方はこの横浜の公演を御覧になったということでした。
いやこれは奇遇でした。この古い形と今回の違いなどを含め、いずれ観能記にまとめてみようと思います。

実は先月は、横浜能楽堂の企画公演、第3回ではなく第2回の「重衡」を観てきておりまして、この鑑賞記をまだ書けずにいます。その後ということになりますが、さていつになることやら・・・

それにつけても水戸から京都まで日帰りだと、ちょっと疲れが残りますね…

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