能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

翁 十二月往来 父尉延命冠者 金春安明(国立能楽堂企画公演)

金春流 国立能楽堂 2016.04.29
 翁・父尉 金春安明
 翁 高橋忍 金春憲和
  千歳・延命冠者 茂山茂、三番叟 大藏彌太郎
   大鼓 大倉慶乃助、小鼓頭取 大倉源次郎
   脇鼓 清水晧祐 飯富孔明
   笛 藤田次郎
   後見 金春穂高 金春康之 佐藤俊之
   三番三後見 茂山良暢 島田洋海

ずいぶん間が開いてしまいましたが、みどりの日に国立能楽堂の企画公演で上演された翁です。この日は「寺社と能<春日大社>」と題した特集で、式三番の古態とされる父尉延命冠者の形に、さらに興福寺薪猿楽で演じられるという十二月往来が挿入されたもの。金春流独特の形です。

いつぞやも書きましたが、翁がどのようにして現在の形に整理されてきたのか、本当のところは良く分からないようです。
とは言え、金春流は江戸時代になっても奈良に繋がりを持ち、古い形を残してきた様子。十二月往来や父ノ尉延命冠者は観世流の小書にもありますが、これは観世元章の時に整理されたもので、古態をそのままに伝えている訳ではないようです。金春流が伝える形は初見でもあり、今回もメモを取ってきましたので、いささか細かくなりますが、何回かに分けて記載しておこうと思います。

まずはお幕の声が聞こえ面箱が登場します。下掛なので千歳を勤める茂山茂さんが面箱持ちを兼ねています。幕を出る際に切り火が見えました。
千歳は常の形と同装で、半袴の千歳直垂ですが、続いてあと二人、素袍上下で恭しく面箱を捧げ持って登場してきます。「おや?」と思ったのですが、翁が三人なので面箱も三つ必要ということなのでしょうね。二人は三番三後見が勤めています。そんな訳で、今回は後見と三番三後見もお名前を記してみました。
このつづきはまた明日に
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翁のつづき

続いて翁の出です。この際も切り火が見え、翁太夫の金春安明さん、続いて高橋忍さん、そして金春憲和さんが、いずれも白の翁狩衣で登場してきました。
登場した三人の翁は地謡座側から順に、宗家、高橋さん、憲和さんと並び、そのまま正先まで出ると答拝、宗家は常の翁のように笛座前に、高橋さんと憲和さんは地謡座前にワキ正を向いて座します。

千歳と三番三後見が三人の翁の前に面箱を置き、面を用意します。
準備を終えた千歳が立ち上がると、囃子方、地謡一同も立ち上がって座に着き、笛が座付を吹きます。
続いて小鼓三丁が打ち鳴らされ、三人の翁の後ろに後見が一人ずつ付いて、翁三人が「どうどうたらりたらりら」と謡い出します。地謡が受け翁と地謡が交互に謡うと千歳が立ち上がって「鳴るは瀧の水」と謡い、地謡と交互に謡いかけて千歳之舞です。
千歳之舞は常の形と特段変わらないように見えました。

舞を終え、千歳が「所千代までおはしませ…(中略)…日は照るとも」と謡い、地謡が「絶えずとうたり ありうどうどう」と受けて、再び千歳が舞います。この千歳の「所千代まで」の謡で、翁が面を着け始めますが、これは常の翁と同じと思います。
千歳が舞上げてワキ座に座すと、翁は「あげまきやとんどや」と謡いつつ、面箱を除けて立ち上がり、同時に立ち上がった三番三といったん向き合う形になります。これも常の形と同様です。

地謡の「参らふれんげりやとんどや」で、笛座側から宗家、高橋さん、憲和さんと並ぶ形になり、シテ翁が「やえ尉殿に申すべきことの候」と声をかけます。ツレ翁二人は目付に行き,笛座前のシテ翁と向き合う形になります。

ここからが十二月往来になるわけです。観世流の十二月往来の詞章はいつぞやもちょっと触れましたが
「睦月の松の風 「八絃(ヤヲ)の琴をしらべたり
「如月の霞は 「天つ少女の羽衣よ
「彌生の桃の花 「三千歳(ミチトセ)もなほ栄うる
といったものですが、これとは異なる詞章が謡われました。
このつづきはまた明日に
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翁さらにつづき

今回の十二月往来の詞章、参考までに、国立能楽堂のパンフレットにより記載しておきます。
シテ「やえ尉殿に申すべきことの候」ツレ「そもやそもなじやう事にて候」
シテ「かかるめでたきみぎんには 十二月の往来こそめでたう候へ」
ツレ「それこそ尤もめでたう候」
シテ「正月の松の風」ツレ「君のことをしらべたり」
シテ「二月のつばめ」ツレ「よわひよわひをはやめたり」
シテ「三月の霞」ツレ「四方の山にたなびく」
シテ「四月のほととぎす」ツレ「所によき事を告げ渡る」
シテ「五月のあやめ草」ツレ「玉の御殿をふきかざる」
シテ「六月の扇」ツレ「とくわかに風を出だす」
シテ「七月の蝉の声」ツレ「林に謡ふたり」
シテ「八月の雁がね」ツレ「放生会に参らふ」
シテ「九月の菊の酒」ツレ「不老ほうやくの御薬となる」
シテ「十月の時雨」ツレ「木の葉を深めたり」
シテ「十一月のあられ」ツレ「ふどうのしらげに異ならず」
シテ「十二月の氷」ツレ「ますかがみ」
シテ「大にほつぽう」ツレ「ならびにほつぽう」
シテ「ようがんみすい」ツレ「しまこんじき」
シテ「十を十」ツレ「百の百」
シテ「千の千」ツレ「万の万」
続いて、シテ翁、ツレ翁が揃って「みたらはします御調の宝 数へて 参らせん翁ども」と謡いますが、この謡の前半で三人は正中から左右に並び、シテのみが立って、ツレ二人は下居。

続けて地謡が「あれはなじよの翁ども そやいづくの翁ども」、シテ翁が「そよや」と謡って翁之舞になりますが、これは常の形と同じですね。観世流では「あれはなぞの翁ども そや何処の翁とうとう」「そよや」ですが、下掛の詞章は先の形。
シテ翁が舞い始め、ツレ二人は常座前に座します。
このつづきはまた明日に
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翁さらにさらにつづき

翁之舞では、つま先を上げては下ろす形で角まで進み、足拍子を三つ踏んで扇カザし、大小前へと戻り左の袖を被きます。俯き加減に広げた扇で口元を隠す形のまま小さく回って再び大小前へ。今度は左の袖を巻き上げ、やや上方を見上げる形で扇を最前と同様に構え、再び舞台を小さく廻って左右、足拍子を五つ程踏むという形。これは何度か観ている小書無しの金春の翁と同様ですね。いささか舞台を廻るのが小さいのは、ツレ翁が出ているためでしょうか。

シテ翁の「千秋万歳の喜びの舞なれば 一舞舞ほう万歳楽」の謡にツレ翁二人が立ち上がります。シテが少し出て三人が並び答拝。三人はそれぞれの面箱の前に戻ると面箱に向かって座し面を外します。
面を外し終えた三人は面箱の前でワキ正を向く形で座します。

シテ翁の前に千歳が面箱を据え、そのままワキ座に行くと後ろを向いて延命冠者の面をつけます。シテ翁が父尉の面をつけると、延命冠者が立って常座に進み「生まれし所は忉利天 育つ所は花が園 ましまさばとくしてましませ父の尉 親子ともにならべつれて ご祈祷申さん」と謡いつつ舞います。この「花が園」あたりで父尉も立ち上がり、「ご祈祷申さん」で父尉と延命冠者が向き合う形になります。

父尉は正中に出て答拝すると「一天波風おさまって 民五湖の楽にほこり されば天地 ひらけ始まりしよりこの方 伝はりきたる翁なり そよや よわひには そよや よわひには 松をば 根ながらこそとれ」と謡います。
この「そよや よわひには」で左を向き扇を縦に振り、繰り返す「そよや」で反対にも同様の所作をします。「松をば」で下を向いて掬う型を見せ、左右、打込。

地謡が「松をこそとれ ありうどうどう」と謡い、シテ翁は扇を閉じつつ地謡座前に置かれた面箱の前へ。延命冠者も後から歩みを早めて、同じ面箱に手前側から向かう形になり、二人とも面を外し、面箱にしまいます。
二人がワキ正に向き直ると、シテ翁、ツレ翁都合三人が立ち上がり、一度正に向いて答拝。シテ翁を先頭に翁還りとなります。
さてこのつづき、もう一日明日に
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翁またつづき

延命冠者の面を外した千歳は、そのまま舞台に残り三番三とのやり取りになっていきます。
まずは翁還りの小鼓に、大鼓が加わると、三番三が進み出て常座に座します。
後見が黒式尉の面を持って三番三に寄り、三番三は面をつけると目付に出て千歳との問答になります。

ここから後は常の翁と同じで、千歳との問答から鈴を渡されて揉ノ段、さらに鈴ノ段と三番三が舞いました。この三番三の舞、千太郎さんが彌太郎を襲名されて初めて拝見した舞台ですが、充実した素敵な舞でした。

三番三以降は、通常の翁の形と特に変わったところは無かったようですが、いずれにしても滅多に観ることのできない特別な形を観ることができ、よい機会だったと思います。

なお国立能楽堂のパンフレットには、特集として「神仏分離と南都両神事能 -春日大社の翁舞はどう変わったか-」と題し、法政大学教授の宮本圭造先生が一文を載せておられます。今回の「十二月往来・父尉延命冠者」の形が、興福寺と春日大社で行われる薪能の初日、春日大社舞殿で演じられるものであることなどが紹介されています。

両神事能とは、薪能と若宮御祭で、私も若宮御祭は何十年も前に一度だけ見に行ったことがありますが、薪能はまだ見たことがありません。このなかで翁舞がどう変遷してきたのかなど、簡潔に記載されていて参考になりました。
併せて、明治初頭の神仏分離、廃仏毀釈が薪能・若宮御祭に大きな影響を与えたことも記されています。

実は私の家は江戸時代、いわゆる山伏として加持祈祷を行い、併せて寺子屋のようなことをしていたらしいのですが、明治維新にあたって曾祖父が還俗し、神官となっています。そんなこともあって、宮本先生の一文も大変興味深く拝読しました。
(77分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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末広がり 大藏彌右衛門(国立能楽堂企画公演)

大藏流 国立能楽堂 2016.04.29
 シテ 大藏彌右衛門
  アド 大藏基誠、小アド 大藏吉次郎
   大鼓 大倉慶乃助、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 大川典良、笛 藤田次郎

お馴染みの「末広がり」ですので、あらためて筋立てなど記載はしませんが、この日の特集「寺社と能<春日大社>」にちなんで選ばれた曲のようです。
というのも、翁、脇狂言「末広がり」、そして三曲目が切能の春日龍神と、五番立ての骨組みを抑えたような構成と、同時にいずれも春日大社との関連を感じさせる曲になっているためです。

末広がりに春日大社は直接登場しませんが、すっぱに騙されて、扇の代わりに傘を求めて帰った太郎冠者が、怒った主人の機嫌を直そうと謡う囃し物に「かさをさすなる春日山」の一句があります。いわずと知れた、春日大社裏の山ですね。

また併せてこの日は、シテ大果報者を、2月に彌右衛門を襲名された二十五世宗家が、士烏帽子に花を着けた目出度い形で演じられました。

翁の鑑賞記にも書きましたが、千太郎さんが彌太郎を、彌太郎さんが彌右衛門をと、ダブルの襲名でしたので、目出度さも一入という感じです。
たしか四十年程前に、当時の水道橋能楽堂で大藏基嗣、基義さん兄弟の二人袴を観て大笑いした記憶があるのですが、その基嗣さんが彌太郎を経て二十五世大藏彌右衛門虎久を名乗られたという次第。
基義さんは大藏吉次郎を名乗って活躍中ですし、彌右衛門さんの長男千太郎さんは彌太郎千虎として、弟の基誠さんや、吉次郎さんのご子息教義さんとともに活躍中です。

京都の茂山家も、千五郎さんが千作を、正邦さんが千五郎を、やはりダブルで襲名されますし、来年一月には現野村万蔵さんの長男、虎之介さんが六世万之丞を襲名されるそうです。
狂言の鷺流や、ワキ方の春藤流など、明治以降の混乱の中で姿を消した流儀もありますが、現存流儀が隆盛にあることは嬉しいことです。
(35分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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春日龍神 龍神揃 宇高通成(国立能楽堂企画公演)

金剛流 国立能楽堂 2016.04.29
 シテ 宇高通成
  前ツレ 宇高徳成
  後ツレ 龍女 種田道一 廣田幸稔、龍神 豊嶋晃嗣 
   宇高竜成 山田夏樹 惣明貞助 小野芳朗 漆垣謙次
  ワキ 殿田謙吉
  ワキツレ 則久英志 大日向寛
  アイ 大藏教義
   大鼓 亀井広忠、小鼓 住駒幸英
   太鼓 三島元太郎、笛 杉信太朗

企画公演の三曲目は春日龍神、龍神揃の小書がついています。
9年程前、平成19年の8月に国立能楽堂で金剛永謹能の会があり、このとき龍神揃の小書付で春日龍神が上演されました。
観能記にこの際の記録を載せていますが、記載したとおり、金剛流の龍神揃が東京で上演されたのは江戸時代以来だったようです。

今回は9年振りということですが、当然のことながら基本的な演出は宗家の上演と同じです。そこで今回は、主として以前の鑑賞記に書けなかったことを中心に触れておこうと思いますので、前回の鑑賞記を併せてご参照いただければと思います。
前回の鑑賞記(鑑賞記初日月リンク

舞台はワキ明恵上人とワキツレ従僧が次第で登場して始まります。無地熨斗目に白大口、水衣に角帽子の、いわゆる大口僧の形で、次第からワキの名乗り、道行と謡って、ワキはワキ座で床几に。シテの出を待つ形になります。

直面のツレが先に立ち、後から出た老体のシテと橋掛りを進むと、シテが常座、ツレが正中に出て一セイ。サシから下歌、上歌と謡って、型通りに上歌の最後で立ち位置を入れ替え、シテが大小前、ツレがワキ正に出て正面を向きます。
ここでワキが声をかけて問答となる訳です。

ワキ明恵上人が入唐渡天の暇乞いの参詣であると述べると、シテは入唐渡天を思いとどまるようにと諭しますが、このやり取りから地謡が謡い、さらにクリ、サシ、クセと続いていく訳です。このクリの部分、前回も書きましたように上掛の本では欠けています。
このあたり、明日につづけます
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春日龍神のつづき

下掛の本に広くあたった訳ではないので、あくまでも今回のパンフレットによって…ですが、入唐渡天も仏跡を拝むためであって神慮に背くものではないと謡うワキに対し、シテが反論します。「人間は申すに及ばず 心なき」と謡うのを受けて、地謡が「三笠の森の草木の」と続け、春日山の鹿までも悉く上人を礼拝する奇特をみれば、真の浄土がどこかと問うまでもないと謡い「神慮をあがめおはしませ」と謡ってクリになります。

クリは「それ仏法東漸とて 後后の時代に至りつつ 三国流布の妙道 今我が朝の 時節とかや」と地謡が謡う形になっています。これに続けてワキのサシ「然るに入唐渡天と言つぱ 仏法流布の名を留めし…」と続きます。

この部分、観世の本では「神慮をあがめおはしませ」の地謡の後、ワキが「なほなほ当社の御事委しく御物語り候へ」と言い、シテサシ「然るに入唐渡天といつぱ…」とシテの謡に繋がる形です。
宝生流は現行本を確認していませんので、今は違うかも知れませんが、少なくとも明治の頃の本では「神慮をあがめおはしませ」の地謡の後は、ワキサシとして「然るに入唐渡天といつぱ…」とあって、クリは欠くものの、その後は金剛の本と同様の形です。
このあたりの相違と変遷も調べてみると面白いのかも知れません。

居グセの後、ワキが入唐渡天を思いとどまると言い、さて御身はいかなる人ぞとシテに問いかけます。シテ、続けて地謡が、三笠の山に五天竺を模し、摩耶の誕生、伽耶の成道、鷲峰の説法、双林の入滅まで、悉く見せようと謡い、来序にて中入となります。

代わって狂言来序でアイ末社の神が登場してきます。
末社出立、紫地に大紋の括り袴、金の小袖に白の水衣を着けての登場です。常座に進み出ると、これまでの流れを整理する形で立ちシャベリ。
この立ちシャベリ、今回は可能な限り書き取ってみましたので、大意を記しておこうと思いますが、いささか長くなりそうなので、明日につづけます。
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春日龍神さらにつづき

まずアイは、春日大明神に使える末社の神と名乗り、栂尾の明恵上人が入唐渡天の暇乞いに当社を参詣したので、秀行をもって留たとシャベリ始めます。

大明神は笠置の解脱上人と栂尾の明恵上人を、ともに頼みとしていたが、解脱上人にやや慢心の様子が見えたため、解脱上人を次郎とし、明恵上人が御心、直心であり太郎として頼りにしていたものである。
明恵上人には直に言葉を交わされ、上人が当社参詣の際は奈良坂までお迎えに出られた。このため心なき草木まで枝を垂れ、畜類、鳥類に及ぶまで皆従うほど尊い御方である。
明恵上人がなくては、大明神もかなうまじとて、秀行をもって入唐渡天を留めようとしたが、上人の心は固く、気持ちは変わらない。

しかし大唐長安の都から天竺摩詞陀国王舎城まで五万里という、また海路を尋ねれば十万里の波濤ともいう。陸路も厳しく、古の玄奘三蔵法師も度々流砂に阻まれた七度も生を失ったが、七度生まれ変わって天竺王舎城に至り志を遂げたものである。
大唐と天竺の間には、流砂をはじめ四つの難所がある。このような難所に明恵上人が赴くことを、大明神はいたわしく思われて、もし上人が渡天を思いとどまるならば、今夜のうちに三笠山に五天竺を移し、摩耶の誕生など、入滅までの有様を悉く見せようと思し召されていると、秀行がかたく留め申したので、上人も渡天を思いとどまった。

と語り、はや五天竺が移ってきたらしく山河鳴動してきたと言って触れ、退場します。
面を着けてのシャベリですが、教義さんの語り口が吉次郎さんと大変よく似ていて、さすがに親子と感じたところです。

さて末社が退場すると地謡が「時に大地震動するは いかさま下界の龍神の出現かやと 人民一同に 雷動せり」と謡い、早笛となります。
以前にも書いたように、この早笛、これが早笛かと思うくらいゆったりと、大癋のように奏されます。
実はこの部分も、観世流では末社が退場するとワキの待謡になっていまして「神託まさにあらたなる 神託まさにあらたなる 声の内より光さし 春日の野山金色の 世界となりて草も木も仏体となるぞ 不思議なる 仏体となるぞ不思議なる」とワキ、ワキツレが謡って早笛になります。
このあたりも、何かしらの意図があったのでしょうね。
もう一日、つづけます
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春日龍神さらにつづき

後シテは緑系の半切に白の袷狩衣を衣紋着けにし、大龍戴をいただて、右手には白く太い杖を突いています。

シテが常座へ進むと龍女二人、龍神六人が幕を出てきます。
龍女は緋の大口に紫と緑の舞衣、龍戴をいただいています。龍神六人は法被半切の同装です。
シテが常座に進み、龍女、龍王が橋掛りに並んだ形になって地謡「時に大地震動するは 下界の龍神の参会か」を聞き、シテが「すは八代龍王よ」と謡います。
龍神揃でなければ、この後は、地謡が「難陀龍王」シテ「跋難陀龍王」地「娑伽羅龍王」シテ「和修吉龍王」と続くところですが、これを龍女二人、龍神二人が順に謡い、続く地謡で、シテは杖を突きつつ正先へと進みます。
龍女二人、龍神二人も舞台に入り、シテを先頭に雁行の形に。残る四人の龍神は橋掛りに並んでいます。
「仏の会座に出来して 御法を聴聞す」の謡に、一同下居して仏の声を聞く形。

シテが「その外妙法緊那羅王」と謡うと、今度は橋掛りの四龍神が順に「また持法緊那羅王」「楽乾闥婆王」「楽音乾闥婆王」「婆稚阿修羅王」と謡います。地謡でシテが立ち上がり、一同も立つと、シテは笛座前で床几に腰をかけ、一同はいったん下居。
龍女二人が立ち上がって天女ノ舞の相舞です。

続く地謡で龍女が雲扇、地謡座前に立つと、龍神が立ち上がって舞働となります。
舞働の後、シテが「八大龍王は八つの冠を傾け」と謡い、立ち上がると正中から正先へ進みます。左の袖を巻き上げ、下がると大小前に杖を突いて下居。
立ち上がってワキ正からワキ座、正中へと回り、大小前から常座へ。

ここから「明恵上人さて入唐は」の地謡にあわせてワキにツメ、返答を迫る形。ワキが「留まるべし」と答え、シテは杖を持っていったん下居。「さて仏跡は」で再び立つと、舞台を廻り「龍神は猿沢の」で四拍子踏んで、波を蹴る足捌きで角に進みます。
左袖を巻いて引き、常座へと進み四拍子を踏んで袖を被き、下居、さらに立ち上がって留となりました。

順に退場する中、附け祝言は「国富み民も豊に 万歳を謡う春の声 千秋の秋津洲 治まる国ぞ久しき 治まる国ぞ久しき」と淡路。目出度い気分で観能を終えました。
(92分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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