能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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月見座頭 山本東次郎(下掛宝生流能の会)

大藏流 宝生能楽堂 2016.08.10
 シテ 山本東次郎
  アド 山本則俊

これまた、下掛宝生流能の会の際の上演ですので、かれこれ一年前の話です。メモが残っていますので、あらましを簡単に書いておこうと思います。

舞台にはシテ東次郎さんが常座まで出て、下京辺の座頭と名乗ります。名乗りは座頭なのですが、装束は勾当出立、長袴に長衣、沙門帽子で杖を突きつつの登場です。
今宵は八月十五日、名月の夜でもあり、心ある人々は野に出でて月を愛で楽しむものだが、盲目の自分は月を見ることが叶わないので、虫の音を楽しもうと思うなどと述べ、「まず、そろりそろりと参ろう」と言って舞台を廻ります。

野に出た様子で正中に進むと、虫の音を楽しむ様子になります。
シテ柱あたりへ進んでは「こおろぎ」か、と言ったり、大小前に「きりぎりす」を聞いたりなどしつつ、正中から角へと出て「いやこの辺りには松虫が居るわ」と腰を落とし聞き入る様子。
松虫にちなんで、津の国阿倍野辺りに松虫を尋ね空しくなった人が居たが、自分はそうならないように…などと、謡曲「松虫」の話を引いて独り言ちします。

さらに左を向き、今度は「くつわ虫がいるわ」と言って、くつわ虫の声に聴き入っている様子のところに、アド則俊さんが登場してきます。

シテはゆったりと、かつ哀愁を帯びた物言いですが、アドは一般の人ということで、月を楽しもうと野に出てきた様子です。シテはワキ座の方に向かい「鈴虫」の音を聴きますが、舞台に進んだアドが常座に出てシテを見つけ、問答となります。
さてこのつづきはまた明日に
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月見座頭のつづき

シテはアドに、月見に出てくるような風流な方なら、さだめし歌を詠むであろうと促し、アドは「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と詠みます。
シテはそれならば自分も、と「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしき一人かも寝ん」と詠みますが、すかさずアドが、それは古歌ではないかと言い、二人はともに大笑いし、すっかり打ち解けた様子になります。
もちろんいずれも百人一首にも入っている有名な歌ですから、ジョークにジョークを返して笑い合ったということなのでしょう。

打ち解けた二人は正中を挟んで座し、アド上京辺の者が携えてきた酒を飲みつつ、歌や舞に興じます。シテの求めでアドが舞い、続いてアドの求めでシテが弱法師を舞います。
なるほど盲人なので弱法師か、というところですが、情趣深くシテが舞うとアドが褒めそやし、二人酒宴を楽しむ風情です。

そろそろお開きにしようということになり、別れを告げ立ち上がります。
秋の夜の趣き深い一時を、しみじみと見せる趣向ですが、これで終わりであれば情趣深き一曲というところ、この後があります。

はや帰ろうと、一度帰りかけて橋掛りまで進んだアドですが、ふと立ち止まり、いまひとしおの慰みに、作り声をして喧嘩をしかけてみようと言うと舞台に引き返してきます。
シテは、思いもよらぬお振る舞いにあったと喜び、帰り道の様子で謡いつつ舞台を進みますが、戻ってきたアドがシテに突き当たり、杖を奪って引き倒してしまいます。

アドは笑いつつ幕に入ってしまいますが、誰とも知らぬ暴漢にひどい目に遭わされたと思ったシテは、幕の方に「卑怯者」と呼ばわるとしみじみと独り言ちします。
さてこのつづきはまた明日に
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月見座頭さらにつづき

舞台に一人残ったシテは、しみじみと謡を謡い、「はあ、くっさめ」と、いわゆる「くさめ留め」で一曲を終えます。

アドが戻ってくるところから後の部分は、現代人の感覚ではなんとも割り切れない感じがするところです。本曲のような、いわゆる座頭狂言では、多かれ少なかれ盲人をなぶるような内容があり、近年上演されることは少ないのですが、こうした演劇が普通に演じられていたという歴史的な事実を確認しておくことにも意味があろうかと思っています。

さてこの曲、ちょっと調べてみると、江戸時代後期に鷺流で作られたようで、大藏流では明治以降に現行曲としたようです。大正年間刊行の「狂言五十番」には鷺流のテキストが取られていて、いささか内容が異なります。
もともとの形では、シテの名乗りは「勾当」となっていて、前半のシテが虫の音を尋ねる場面は、さほど情趣深い感じがありません。月見の人たちと言い合いになったような態を見せたり、「ざざんざ」と小謡を謡い、歌を詠むに邪魔になるといわれた様子など、なんとなく、あとあとなぶられるのも仕方ないと思わせるような展開になっています。

勾当は検校、別当の下、一般の座頭よりは上という地位ですが、裕福な者も多かったようで、勾当出立の装束からもうかがえるところです。金貸しをしていた者も少なからずいたようで、後段のアドがシテをなぶる展開をスムーズに導く設定となっていたのかも知れません。

山本家では、この日のように勾当出立で出るものの、名乗りは座頭とするようで、しかも前半の展開からみて、シテの悲哀、情趣を描き、しみじみとした風情を醸し出そうということで、装束のみ勾当の格を示した演出か、と思われます。
鷺流の形では、アドが引き上げた後、道に迷ったシテが、犬に追われて逃げ入るという留めになっています。一人舞台に残って謡い、しみじみとした場面を作りあげる山本家の形とは、相当に異なった印象です。
(34分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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浮舟 彩色 梅若玄祥(横浜能楽堂講座)

観世流 横浜能楽堂 2016.09.17
 シテ 梅若玄祥
  ワキ 工藤和哉
   大鼓 柿原弘和、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 松田弘之

昨年9月の横浜能楽堂講座、ということで浮舟をスリーステップで学ぶという企画。
スリーステップ…というのは、まずフェリス女学院大学名誉教授の三田村雅子さんが「源氏物語『浮舟』を学ぶ」という題で源氏物語を解説。次に歌人の馬場あき子さんが「能『浮舟」の詞章を読む」と題して、浮舟を謡曲の詞章から解説。さらにシテを演じる玄祥さん自身が「能『浮舟』を知る-演者の視点から-」として、曲の解説と当日の演技、装束などについて解説し、これを踏まえて演能を観るという趣向です。

源氏物語の最末尾になる宇治十帖では光源氏は既に亡く、薫や匂宮など次の世代が物語の中心になっています。浮舟は、その薫中将と兵部卿の宮(匂宮)二人から思いを寄せられ、苦しんだ末に入水してしまいます。
本曲はこの浮舟を主人公とする能で、横越元久という武士の作った詞章に世阿弥が節付けをしたと言われる趣き深い一曲です。世阿弥自身も申楽談義の中で、砧を無上無味、最高の曲趣と書いたのに続けて、松風村雨と浮舟を並べ、芸位がこれらの曲と相応しい役者を最高の役者とするとしています。それほどの曲なのですが、その割にあまり上演されません。
実は本曲の影響を受けて作られたといわれる玉葛(観世流は玉鬘)が人気曲で、よく似た展開の浮舟はついつい玉葛の影に隠れて上演が遠くなってしまうようなのです。禅竹の作と言われる玉葛、以前、宝生宗家が演じられた際の記録(鑑賞記初日月リンク)を載せていますので、併せて参照いただければと思います。
浮舟の舞台の様子は明日から
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浮舟のつづき

舞台には名宣笛でワキ都方の僧が登場してきます。無地熨斗目着流しに水衣、角帽子を着け常座まで進み出て名乗り。和州初瀬の観世音に参籠したので、これから都に上ろうと思う旨を述べて道行。
初瀬山を越え三輪山を見て進み、狛のわたりを過ぎて宇治の里に着いたと謡い、暫く休んで名所を眺めようと言ってワキ座に着座します。

これを受けて一声の囃子。笛のヒシギで直ぐに幕が上がり、後見が舟を持って出てワキ正に置きます。常の形では舟を出さず、水棹を持ったシテが出て舟に乗ってやって来た形を示すだけですが、彩色の小書がつくと舟を出すようです。後見は舟と併せて水棹も持って出ており、舟を据えた後は棹を持って後見座に下がります。

登場したシテは若女の面、朱の縫箔を腰巻に薄い緑の水衣を肩上げにし、女笠。橋掛りを進んで舟に乗り込むと後見が棹を渡し、一セイ「柴積舟の寄る波も」と謡い出します。
二ノ句、サシ、下歌と謡い進み、地が上歌を続けますが、この間、舟に乗ったシテはほとんど所作なく、ゆっくりと漕ぎ寄せる風情です。

ワキが声をかけ、シテ・ワキの問答。ワキは、この宇治の里に,は古(いにしえ)いかなる人が住んでいたのか語って欲しいと問いかけます。シテは型通り、詳しくは知らないと言いながら、浮舟が住んでいたと語ります。浮舟といえば源氏物語、その子細も併せて語るようにとワキが重ねて求め、地謡が橘の小島が崎、宇治の夕景色を謡って、シテは舟を漕ぎ寄せる形。

ワキが「なほなほ浮舟の御事委しく御物語候へ」と言って地のクリ。
シテは棹を落とし、船中で床几に座って笠を外します。
さてこのつづきはまた明日に
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浮舟さらにつづき

シテがサシを謡い地謡が受けてクセに続いていきます。
浮舟のもとには薫の中将が通っていたが、兵部卿の宮が忍んで訪ね来たと謡われます。
「兵部卿の宮」は、本名の分からない架空の皇子を物語で便宜的に呼ぶ名で、源氏物語では紫の上の父など三人が登場しますが、この宇治十帖では匂宮を示します。

薫中将が設えた家から、匂宮は浮舟を連れ出して舟に乗せ宇治川を渡ります。途中、橘の小島に舟を寄せて暫し留まったのち、川向こうに匂宮が用意した家へと浮舟を誘う訳です。

クセの上げ端「水の面も曇りなく」と謡いつつ、シテは舟からワキ正側に水面を見る形。さらに地謡が「舟棹し留めし行方とて」と謡うのを聞いて立ち上がり、舟を下りると少し出て笠でワキから面を隠す形。左手に笠を持ち、地謡の「終に跡なくなりにけり」の謡で、常座あたりまで進み、振り返ってシオリます。

ワキが「浮舟の御事は承り候ひぬ さて御身はいづくに住み給ふぞ」と問いかけます。
シテは答えて、此処には仮に通うもの、住み家は小野なので、都のつてに訪ねてほしいと言います。ワキは、さらに小野では誰と尋ねれば良いのかと問います。シテは横川は水のすむ方を、比叡坂と尋ねてほしいと謡い、地謡が下歌で、物の怪が身について悩むことがあり、法力を頼んで待っていると言い、行方が知れなくなったと謡うに合わせて「法力を頼み給ひつつ」とワキに詰め、最後の一足を念を押すようにしっかりと抑えると、幕を見やり、「浮き立つ雲の跡もなく」とワキを向いてから正に直し、笠を落として中入となりました。松田さんの笛で送リが吹かれました。

この「小野」「横川」ですが、源氏物語では入水した浮舟を、比叡山の横川中堂を拠点に活動する横川の僧都が偶然に見つけ、小野の草庵に連れ帰ったとされており、これを暗示する詞章となっています。
さてこのつづきはまた明日に
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浮舟さらにさらにつづき

中入でアイの出。宇治の里に住まいする者ということで長上下にて出ると、型通りにワキに気付き問答となります。ワキは浮舟のことを聞かせてくれるように求め、アイがこれに答えて浮舟の物語を語ります。さらに、ワキ僧に対して小野に赴き浮舟の霊を弔うようにと言って退場します。
これを受けてワキの待謡。ここは上掛と下掛と違うようで、上掛の本では「かくて小野には来たれども…」とワキの台詞があって待謡になり、「所の名さへ小野なれば 草の枕は理や 今宵は此処に経を読み かの御跡を弔ふとかや かの御跡を弔ふとかや」と謡いますが、当日は下掛宝生の工藤さんがワキでしたので、台詞はなく「今もその 世を宇治山の道出でて 世を宇治山の道出でて うつるも迷ふ徒波の 小野の草叢露分けてあはれをかけて弔はん あはれをかけて弔はん」と謡いました。

一声で後シテの出。十寸髪の面に髪を垂らし、白が基調の縫箔に、波に千鳥の模様大口を着けて、一ノ松にて謡い出しです。
法力を頼んで現れたと謡い、「明け暮れ思ひ煩ひて 人みな寝たりしに」と謡いつつゆっくりと幕方を見、「風烈しう川波荒う聞こえしに」と左手を上げ、「知らぬ男の寄り来たりつつ 誘ひ行くと思ひしより」と謡って舞台に向きを変え、イロエで舞台に入って一廻りしてから「心も空に成り果てて 逢ふさきるさの事もなく」と謡います。

常の形では「心も空になりはてて」まで謡ってカケリになりますが、彩色の小書で、ここの形が変わっています。
地謡「俄の気色も浅ましや」で扇を上げ、続けて謡いつつ四足ほど出るとサシて右に回り大小前「この浮舟ぞ 寄る辺知られぬ」と左の手で右に下がった鬘を取ります。開いて拍子を踏み、サシ込みから「明けては出づる日の影を」と雲扇。
角へと出て扇カザシ、左に回って正中からワキに向いて開キ。
「頼みしままの観音の慈悲」と謡って四拍子。舞台を廻りつつ舞い、横川の僧都の弔いに「思ひのままに執心晴れて」とユウケン、橋掛りに入って一ノ松にてサシて三ノ松まで進み、「杉の嵐や残るらん」と留拍子を踏んで終曲となりました。
(77分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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放生川 武田孝史(宝生会月並能)

宝生流 宝生能楽堂 2016.10.09
 シテ 武田孝史 ツレ 水上優
  ワキ 殿田謙吉
  ワキツレ 則久英志 梅村昌功
  アイ 高澤祐介
   大鼓 亀井広忠、小鼓 森澤勇司
   太鼓 小寺真佐人、笛 一噌庸二

昨年10月、久し振りに宝生会の月並能を見に行った際の一番。脇能の一曲ですが、これまた極めて遠い曲でして初見です。

真ノ次第が奏されてワキ一行の登場。白大口に黒系の袷狩衣、大臣烏帽子のワキ。ワキツレはいわゆる赤大臣で、舞台中央まで出て次第。脇能につき三遍返しの後、ワキの名乗りです。
ワキは鹿島の神職筑波の何某と名乗り、都に上って洛陽の名所旧跡を見て回ったが、今日は八月十五日、南祭の日にあたるので八幡に参詣しようと思う旨を述べて、道行の謡となります。

「南祭」は石清水八幡宮の祭で、下鴨神社と上賀茂神社で行われる葵祭が「北祭」と呼ばれるのに対しての呼び方です。八幡宮の社伝によれば、清和天皇の貞観五年、旧暦の八月十五日に「石清水放生会」と称して、始められたと言い、男山の裾を流れる放生川に魚鳥を放ち、生きとし生けるものの平安と幸福を願ったとされています。
祭は応仁の乱の頃から二百年程中断しましたが、その後復活して、明治からは新暦の九月十五日に催されています。本曲はこの放生会を取り上げた曲ですので、ワキが祭の日に八幡宮に向かうところからはじまります。
もっとも上掛の本では「また今日は南祭の由」とのみ記されていますが、下掛の本では「また頃は八月十五日南祭の由」とあります。当日は下掛宝生流の殿田さんがワキでしたので、八月十五日と述べました。

続く道行、木幡山から竹田河原を過ぎ八幡の里に着いたと謡われます。上掛の本では竹田河原ではなく鳥羽の細道とありますが、どちらが先だったのか些か興味あるところです。ともかくも一同は八幡の里に着き、心静かにじんばい…と聞いたようにメモしてあるのですが「神拝」でしょうか、ともかく参詣しようと言ってワキ座に着座します。
さてこのつづきはまた明日に
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放生川のつづき

ワキの一行がワキ座に着くと前シテの出。
真ノ一声で、まずはツレ男の水上さんが、段熨斗目に白大口、水衣の姿で先に立ち、後から前シテが小格子厚板に白大口、水衣を肩上げし、右手に杖、左手に白木の桶を持って登場してきます。
ツレが一ノ松まで出て振り返り、シテとともに一声、ツレが二の句と謡い、ツレが先に舞台に入って正中へ、シテは常座に進んで、シテのサシ謡と続きます。

サシから下歌と続き、八幡宮の神威を謡ってシテ、ツレは立ち位置を入れ替え、シテが正中、ツレが目付辺りに立ったところへワキが立ち上がって声をかけます。

ワキはシテの持つ桶を見咎めた様子で、八幡の神事で皆が清浄の儀式を執り行おうとしているのに、魚を持って、殺生の業をしているのはなぜかと問いかけます。
これに対してシテは、今日の神事はどの様なことと知っているのか問い返します。ワキが遠国より初めて参詣したので委しいことは知らないと返事すると、シテは「御覧候へ」と左手の桶を差し出し、生きたままの魚であることを示し、ツレが続けて、シテとともに二人で放生会の謂われを語り、謡う展開となります。

生きた魚を放つことにより神の恵みがあると二人は謡い、事の起こりを尋ねるワキに、異国退治の後、多くの敵を亡ぼした事を機縁として、放生の御願を起こされたのだと答えます。
さらにワキが川の謂われを問いかけると、シテは「御覧候へこの小川の 水の濁りも神徳の」と、角の辺りを見廻す風。ワキとの掛け合いから地の上歌。地謡の「取り入るる この鱗類を放さんと」を聞いて、ツレは笛座前に進み、ワキは着座します。
シテは「掬ぶやみづから水桶を」と正先へ出て下居、水桶を出して置き「魚は喜び鰭ふるや水を穿ちて岸蔭の」と、左手を上げ魚を逃がす形。下を見廻して立ち上がり、桶を置いたまま杖のみを持ち、常座へ進むと小さく回って「御誓ひあらたなりけり」とワキを向きます。
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放生川さらにつづき

ワキが当社の事を物語るようにと勧め、地のクリ。シテは正中に進んで下居、肩上げを下ろします。
シテのサシ、地謡と交互に謡いクセに。クセは居グセで、石清水八幡の神徳、謂われをシテの老人がワキ鹿島の神職に語り聞かせる形です。

石清水八幡宮の社伝では、平安時代の初め貞観元年に南都大安寺の僧である行教和尚が、豊前の宇佐八幡に籠もって祈る中で、八幡神より「都近き男山の峯に移座して国家を鎮護」するとのご託宣を受け、神霊を男山に奉安したのが起源とされ、翌貞観二年、朝廷が八幡宮の社殿を造営したと伝えられています。
クセではこの縁起が「行教和尚の御法の袖に影うつる 花の都を守らんと」と謡われ、その神威によって「国富み民の竈まで 賑ふ鄙の御調船四海の波も静かなり」と、八幡神を讃えます。
シテの上げ端「利益諸衆生の御誓ひ」から、さらに地謡が続けて男山、石清水の名を織り込んで神徳を謡います。

ロンギとなり、かくも委しく語られるのは神のお告げかとの地謡に、シテは「二百余歳の春秋を」過ごしてきたと続け、自ら武内の神であると明かして、男山の山上さして上がってしまったと地謡が謡う中、杖とって立ち上がると常座に回り込み、正面を向いて二足下がり立ち上がったツレともどもに送り笛に送られて中入。ワキは座に座り直しました。

ワキがワキツレに声をかけて、ワキツレが立ち上がって所の者アイを呼び出します。呼ばれたアイが進み出ると、ワキが型通り神事の由来を語るよう求め、アイが神功皇后の三韓征伐以来の由来を語ります。さらに型通りにアイがワキに子細を尋ね、重ねて信心をなし更なる奇特を見るように勧めて退場すると、ワキの待謡となります。
さてこのつづきはまた明日に
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放生川さらにさらにつづき

ワキの待謡、これは流儀によってけっこう違うようで、観世の本と宝生の本も違っています。下掛はまた異なった形で、この日はその下掛系の謡「げに今とても神の代の げに今とても神の代の 御末はあらたなりけりと 云えば虚空に夜神楽の聞こえて異香薫ずなる げにあらたなる奇特かな げにあらたなる奇特かな」が謡われました。

囃子はゆったりと出端を奏して、後シテの出。白垂に初冠、厚板に萌黄の色大口、金地の袷狩衣を着けて常座まで出て開キ「ありがたや百王守護の日の光…」と謡い出します。「武内と申す老人なり」と謡いますが、後シテ武内の神は武内宿禰、二百年以上を生き五代の天皇に仕えたとされる伝説の忠臣です。

地謡と掛け合いの謡が続き「御前(ミサキ)飛び去る鳩の嶺」でやや右を向き遠くを見やる形。さらに「月の桂の男山」と八足程出てサシ込み開キ「さやけき影は所から」の地謡に袖の露取って常座へ進み、正を向いて答拝して真ノ序ノ舞の舞出しとなります。

長寿を保った武内宿禰らしく、ゆったりと舞い扇を下ろして納め舞上げ。ロンギとなります。掛け合いで謡いつつ角に出、左へ回って大小前。地謡座の前まで行き「かたへ涼しき川水に」と謡いつつ正先へ出て、今度は右に回り正中。大小前へと下がって開キ、拍子を踏むと「日数も積もる雪の夜は」の詞章に、探るように足を踏み出し角へ。「廻雪の袖を翻し」と謡って左の袖を被き、左へ回って常座へ。
さらに正中から大小前に回り、霞扇しつつ足拍子。「言葉の花も時を得て」と、左袖、右袖と巻き上げて角に出、常座へ回って正を向いて小廻り「和歌の道こそめでたけれ」の謡に、袖直して開キ留拍子を踏んで終曲となりました。

世阿弥の作とされる一曲ですが、なんとなく捉えどころない印象で、だからこそ遠い曲なのか、遠い曲だからそういう印象だったのか…
それにつけても、ワキはなぜ鹿島の神職、筑波の何某だったのだろう。これまた気になったところでした。
(104分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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