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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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座・SQUARE 第20回記念公演

7月17日、金春流の若手四人の会「座・SQUARE」の第20回記念公演が開催されました。
なんとなく遠い世界になりつつあった能楽を、もう一度観てみようと思うようになったきっかけは、平成15年10月と、翌年3月の金春会で観た、山井綱雄さんの舎利と歌占でして、その山井さんが同人である座・SQUAREの公演も16年の第7回公演から、スケジュールが合えば観に行くようにしています。

今回はその20回記念公演で、井上貴覚さんが翁を勤め、山井さんの朝長、高橋忍さんと辻井八郎さんが乱双ノ舞を舞うという番組。
第10回では辻井さんが翁を勤めましたが、あれから10年経ったのかと思うと、些か感慨深いものがありました。

番組のうち、鑑賞記は山井さんの朝長のみに留めますが、その前に朝長以外の番組と、簡単な感想のみ記載しておこうと思います。

翁 
 翁 井上貴覚
  千歳 大藏基誠、三番叟 大藏教義
   大鼓 柿原光博、小鼓頭取 曽和正博
   脇鼓 曽和伊喜夫 住駒充彦
   笛 藤田貴寬
   後見 金春安明 金春穂高
   三番三後見 大藏彌太郎 茂山良暢

次が朝長ですので、これは後日記載します

佐渡狐
 シテ 大藏彌太郎
  アド 茂山良暢 山本泰太郎

仕舞 羽衣キリ 金春憲和
仕舞 邯鄲   金春安明

乱 双ノ舞
 シテ 高橋忍 ツレ 辻井八郎
  ワキ 福王和幸
   大鼓 亀井広忠、小鼓 観世新九郎
   太鼓 吉谷潔、笛 杉信太朗

井上さんの翁、堂々として立派な風格でした。20年を飾る翁だったと思います。教義さんの三番三も気合いの入った舞でした。儀式としての要素が強い翁ですが、それだけに観ていて何となく身が引き締まるような感じがします。年に一度くらいは翁を観たい、などと思っています。

佐渡狐は大藏三家の混成。4月の大藏流五家狂言会を思い出しました。彌太郎さん、良暢さん(…現忠三郎さんですが)、泰太郎さんそれぞれの芸風の違いが、舞台を一段と面白くしたように思います。

宗家、前宗家の仕舞を挟んで乱。
金春の乱は、実は初見。しかも双ノ舞の小書が付いて大変賑やかです。両手を上げて揺らぐように舞う型は、はじめて見ましたが大変面白い形です。20回を記念するような、目出度い雰囲気に満ちた一曲でした。

さて朝長の様子は明日から、書いてみようと思います。
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朝長 山井綱雄(座・SQUARE20回記念公演)

金春流 国立能楽堂 2017.07.17
 シテ 山井綱雄
  ワキ 宝生欣哉
  ワキツレ 大日方寛 則久英志
  アイ 大藏基誠
   大鼓 安福光雄、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 小寺佐七、笛 一噌幸弘

舞台には名宣笛でワキ、ワキツレが登場してきます。嵯峨清涼寺の僧と従僧ということで、ワキは茶の水衣、無地熨斗目着流しに角帽子、左の手には白房の数珠。ワキツレは緑の水衣で無地熨斗目に角帽子の出立です。

ワキは常座まで出、ワキツレ二人は一ノ松、二ノ松に控えた形でワキの名乗り。源朝長の跡を弔うため、青墓の宿へ急ぐと言って道行。アシライでワキツレが立ち上がり、舞台に入ると一行は舞台中央で向き合って道行の謡。
近江路を辿り、瀬田の長橋から鏡山、老蘇の森と進んで不破関を過ぎ、青墓の宿にやって来たと謡ってワキの着きゼリフ。朝長の墓所を尋ねようというワキに、尤もにて候とワキツレが答え、ワキツレはワキ座に着座します。

ワキは常座まで行き、ここでアイを呼びます。呼び出されたアイ青墓宿の長の下人は、一ノ松に出て応答。朝長の墓所を教えるやり取りの後、アイは狂言座に下がり、ワキはワキ座に着座します。
ヒシギが吹かれて次第の囃子。前シテ青墓の宿の長者の出です。
無紅唐織着流し、右手に白房の数珠、左手には小枝を持って出ます。
長者はもともと「かしら立った者」あるいは富裕者を言うわけですが、この青墓宿をはじめ、池田宿、室泊など、宿駅や津泊には宿駅の長が置かれていまして、特に宿駅で遊女を旅人に世話する主人を宿の長者とし、女性が多かったようです。熊野にはアイが演じる池田宿の長者が出てきます。
登場したシテは常座に出て次第を謡いますが、このつづきはまた明日に
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朝長のつづき

朝長は、2014年3月に出雲康雅さんのシテで拝見した際の鑑賞記(鑑賞記初日月リンク)を書いています。
その際も簡単に書きましたが、喜多流でもシテ一人が登場して次第を謡い、続けてサシ、上歌、下歌と謡います。しかし観世、宝生の二流では、シテとともにツレの侍女と、太刀持ちの従者(観世はトモ、宝生はツレ)が出て、次第を三人で謡い、サシの一句「これは青墓の長者にて候」をシテのみが、その後、再び三人で謡う形になっています。
ここは上掛と下掛で分かれるところのようですが、太刀持ちの従者は太刀を持って延々と座り続けるので、けっこう大変そうです。
ともかくもこの日は下掛ですので、シテ女が一人の登場でした。

下歌の最後「思ひ出づるもあさましや」で、シテは下居、モロシオリの態となりますが、あらためてワキの方を向くと「あらふしぎや」とワキに気付いた様子で声をかけます。
ここからシテ、ワキの問答です。

シテの問いに、ワキは朝長の乳母子何某と答えます。以前の鑑賞記にも書きましたが、修羅能は僧侶が古戦場に立ち寄り、仮に老人の姿となって現れた古の武将の霊と言葉を交わし、その場に留まって弔いをしていると、武将の幽霊が生前の姿で現れるというのが一般的な形です。しかし本曲では、ワキは僧侶ではあるものの、朝長の乳母子というごくごく近しい間柄で、しかも前シテもかねて義朝が親交あった青墓宿の長という設定で朝長の幽霊ではありません。これは珍しい設定です。

二人の思いを述べるやり取りが続き地謡。「死の縁の 処も逢ひに青墓の」の謡い出しを聞いてから、シテは小枝を置き、後見がこれを下げます。
地謡が「形もなき跡ぞあはれなりける」と謡い納めると、ワキがシテに朝長の最期の様子を話してくれるようにと求めます。

これを受けてシテは「その時の有様申すにつけていたはしや」とワキに答え、正に直してあらためて「暮れし年の八日の夜に入りて 荒けなく門を敲く音す」と語り出します。
このつづきはまた明日に
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朝長さらにつづき

朝長の最期の様子をシテが語り地謡。下歌「これは最期のお言葉にて こときれさせ給へば 義朝正清とりつきて 嘆かせ給ふ御有様を よその見る目も哀れさをいつか忘れん」と地謡を聞いて「哀れさをいつか忘れん」でワキを向いて片シオリ。
続く上歌を聞いて末尾の「亡魂尊霊もさこそ哀れと覚すべき」で再び片シオリ。ここは上掛の本では「亡魂幽霊もさこそ嬉しと思ふべき」となっていて、解釈が違いそうです。
なにぶん、上掛では前場にツレ・トモが出るのに、下掛ではシテだけしか出ないくらいですから、詞章もけっこう違います。

下歌「かくて夕陽影うつる」となり、シテは一度腰を浮かしますが戻して、二度目の「かくて夕陽影うつる」で立ち上がると、ワキも立ち、「青野が原の露分けて」と開キ。右へ回って地謡いっぱいに常座に立ちます。
シテは「しばらくこのところに御逗留候ひて 心静かに朝長の御跡を御弔い候へ」と言い、ワキが「心得申し候」と答えて中入です。
金春はこのままシテが中に入ってしまう形ですが、他流は概ね、ここでシテかまたは、シテに命じられたツレが、アイを呼び出して僧に宮仕えするように命じて、アイとワキとの問答になっていきます。

今回は、シテがそのまま中入りしてしまうので、アイは立ち上がって常座に出ると、さきほど僧侶が朝長の墓所を尋ねてきたが、まだいるだろうかと言い、正中に出てワキ一行を見つけた態で問答になります。
間語りの内容は以前にもまとめた通りで、、義朝は平治元年極月の都大崩の戦いに敗れて逃れた。この青墓宿の主の娘延寿は、かねて義朝の寵愛が深く十歳の娘も居たので、馴染みであるこの宿の長を頼みここまで逃れ来たものである。
家に入れ一行を休ませたが、朝長は傷が重く一足も動けない。雑兵の手にかかって犬死にになるよりはと、朝長は自害して果ててしまった。義朝は朝長の御首をうち小袖を引き被かせると、猛き義朝も涙に咽んでいた。その有様を見て涙を流さない者はなかった。
この青墓の宿の長は女だけれども、朝長の追善として七日七日に墓所に行き、香華を手向けている…と語ります。喜多流出雲康雅さんの会ではアイを山本東次郎さんが勤めてましたが、同じ大蔵流ではあるものの、メモを見ると今回の吉次郎さんの方がいささか簡略のように思います。

ともかくも、間語りを終えアイが下がると、ワキが朝長の霊を弔うため観音懺法の仏事を行うことになります。
このつづきはまた明日に
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朝長さらにさらにつづき

朝長の続きをもう一日残したまま、一昨日・昨日と更新できず本日になってしまいましたので、つづきを書いておこうと思います。
実は、今日は金春円満井会特別公演、本田光洋さんの桧垣を観てきたのですが、この話はいずれまた。思いもかけぬこともありまして…
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ワキ、ワキツレ揃っての待謡を聞き、出端。囃子に乗って後シテ朝長の霊が登場してきます。紅白段の厚板に茶系の長絹を肩脱ぎにし、白地に稲妻の文様の半切、左折の烏帽子に白鉢巻きの武将姿です。

常座まで出たシテは「あら貴の懺法やな」と謡い出します。ワキ、シテと続けて、地謡が受けるとシテは舞台を一廻りし、常座に出て「あら貴の弔いやな」の謡に合わせ、ワキに向かって合掌します。

ワキが、観音懺法の声澄む中に灯の影に朝長の姿が見えるのは、夢か幻かと謡い、シテとの掛け合いに。地謡となり、シテはシカケ開キ「背くなよ朝長を」で六拍子踏んで開キ、「月も影そひて光陰を惜しみ給へや」で左の袖を巻いて左へと向かいワキと向き合うと「待たぬ浮世のならひなり」で袖を直して常座へ。小廻りして開キ「説法を説かせ給へや」とワキにツメてクリ。
大小前に進んだシテは床几に腰を下ろします。

ここからサシ、クセ、ロンギと床几のまま進行しますが、このあたりの形は各流同様の様子です。
中ノリ地「旗は白雲紅葉の…」となり、シテは床几のまま面を切り「大崩にて朝長が」と六拍子。「鐙をこして」と鐙を踏んだ態で一度立ち上がり「下り立たんとすれども」でストンと腰を落として、難儀する様を示します。
「一足もひかれざりしを」であらためて立ち上がり、「腹一文字にかき切って」で座して腹切る所作。「土となりぬる青野が原の」で立ち、常座からワキに向かって合掌した後、シテ柱を向いて留拍子を踏み、終曲となりました。

形のみ記載しましたが、久し振りに拝見した山井さんのシテ、本当に良かったです。諸般の事情で、最近はあまり金春の能を観ていないのですが、山井さんの能は立ち姿、所作も美しい。さらに、床几に腰を下ろし「魂は善所におもむけど 魄は修羅道に残ってしばし苦を受くるなり」と謡うあたりは、深い情趣を感じたところです。

なお朝長の中入の形をめぐっては、以前の鑑賞記と併せ、朝長と藤戸の前シテの扱いについていささか書いてありますので、こちらもご参照いただければと思います。
(105分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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