FC2ブログ

能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

石橋 群勢 深津洋子(金春円満井会特別公演)

金春流 国立能楽堂 2017.12.10
 白 深津洋子
  赤 村岡聖美 柏崎真由子 林美佐
  ワキ 森常好
   大鼓 安福光雄、小鼓 大山洋子
   太鼓 吉谷潔、笛 一噌幸弘

昨年12月の金春円満井会特別公演は、先に記載した本田光洋さんの桧垣と、狂言が昆布売、そしてこの石橋という番組でした。

石橋はこれまで5度、このブログで鑑賞記を書いています。
これまでブログに取り上げたのは、宝生流の高橋憲正さん(鑑賞記初日)、金春流の山井綱雄さんでこちらは古式の小書付(鑑賞記初日)、同じく宝生流の田崎隆三さんの連獅子の小書付(鑑賞記初日)、喜多流の粟谷能夫さん(鑑賞記初日)、そして同じく喜多流の粟谷明生さんの連獅子の小書付(鑑賞記初日)の5回です。

明生さんの石橋を観たのが2009年ですから、かれこれ9年ほど石橋を観ていなかったことになります。当時の観能記にも書きましたが、ずっと機会がないかと思うと続けて観ることになったりするもので、先日は花影会で師資十二段式の小書付も拝見しました。

さて金春の群勢ですが、一昨年NHK新春能狂言で金春安明さんのシテで放映されました。この時は丸能(前後ありの形、金春の能楽師さん達は半能に対して丸能と言っているらしいと以前にもブログに書きました)でしたが、今回は半能です。

上記の通り、石橋の鑑賞記は五度ほど書いていますので、この曲のあれこれを含め、目新しい話もありませんが、今回の上演を観て気付いたことなど、少しだけ書いておこうと思います。
その中身は明日に…
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
スポンサーサイト

石橋のつづき

群勢の小書では、白一、赤三が基本のようで、安明さんの上演では憲和さん、辻井八郎さん、井上貴覚さんが赤で舞いました。今回は村岡さん 柏崎さん 林さんの三人が赤です。シテ白の深津洋子さんをはじめ女性四人による石橋、女性能楽師の活躍する金春流らしい番組かと思います。

舞台上の一畳台は正先のちょうど真ん中あたりに白花の一畳台、その奥に橋掛り側に半分以上ずらして赤花の一畳台が置かれます。これは金春の標準の形なんでしょうね。
いつぞやも書いたとおり、金春の花は固定していないので、獅子が側を通り装束が触れると回ってしまいます。これも一興。

続いて引廻しを掛けた山が運ばれてきて笛座前に斜めに置かれます。
丸能であれば一畳台は冒頭から出されているものの、山は中入後、間狂言が下がってから持ち出されてきます。装束を変えたシテが入っているので当然ですが、半能なので冒頭から出ている形です。

金春の石橋では、白と赤の差をあまり感じないと以前書きましたが、群勢の小書が付くといささか異なるようで、赤三人が小気味よく舞い、台からも飛び降りたりするのに対し、白は重く、親子ほどの違いを感じる様子でした。

上演時間26分と書きましたが、いつものごとく、これは最初に笛方が幕を出てから太鼓方が幕に入るまでの全ての時間を記載しています。
作り物を出したり片付けたりの時間も含まれますので、半能でかつ作り物が多いと賞味の時間とはずいぶん違ってしまいます。
今回では、名宣笛の吹き出しから終曲までの正味では16、7分といったところでした。
(26分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

竹生島 野村昌司(観世会荒磯能)

観世流 観世能楽堂 2018.02.08
 シテ 野村昌司
  ツレ 坂井音隆
  ワキ 舘田善博
  アイ 善竹大二郎
   大鼓 亀井洋佑、小鼓 鳥山直也
   太鼓 金春國直、笛 小野寺竜一

竹生島はこれまで3度、このブログで鑑賞記を書いています。
これまでブログに取り上げたのは、宝生流高橋憲正さん(鑑賞記初日)、喜多流粟谷充雄さん(鑑賞記初日)、観世流小島英明さん(鑑賞記初日)の3回です。

今回、小書付ではありませんし特段の演出はありませんでしたので、気付いたことなどのみ記載しておこうと思います。

まず一畳台と宮が出されるのは常の通り。
今回のワキは舘田善博さん、ワキツレは則久英志さんと森常太郎さんで、型通りにワキは紺地の袷狩衣、ワキツレが朱地の袷狩衣の装束です。
ワキ一行が座に着き、ヒシギが吹かれると後見が舟を出してきます。舟と棹を持って出た後見は、舟をワキ正側に据え、棹を持って後見座に下がります。

これを受けてツレ、シテの出。
先に立ったツレは連面、紅入唐織着流しで、後からのシテは小格子厚板着流しに水衣肩上げ。ツレが三つに区切れた舟の真ん中に立ち、シテが後の区画に棹を持って立ちます。
いつぞやの鑑賞記に書いたように、ツレが釣り竿を持つ形と持たない形とありますが、小島さんの時と同様、ツレは釣り竿を持たない形です。

シテの謡、後場の龍神を意識してなのか、いささか強い感じがしましたが、このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

竹生島のつづき

シテ、ツレが舟を漕ぎつつ謡う形で場面が展開し、上歌の終わりにシテが棹で漕ぐ形を見せて「棹し寄せて言問はん」と謡うと、ワキが立って声をかけます。
舟に乗せる、乗せないのやり取りから、地の下歌でシテ、ツレがワキを招き、ワキが舟の前の区画に立って同乗した形。ワキとツレが腰を下ろし、シテの漕ぐ舟で竹生島に向かうこととなります。

上歌「所は海の上」から、舟が湖上に漕ぎ出した態となり、小島さんの鑑賞記と同様の形で、途中何度か棹にてをかけて漕ぐ形を作りながら竹生島へと到ります。

シテの「舟が着いて候 御上り候へ」の声に、ワキが心得たとこたえ、ワキ座のワキツレが立ち上がります。シテが道案内をしようと言って舟を下り、お供しようと答えてワキも舟を下りてワキ座へ、同じく舟を下りたツレは笛座前に立ちます。

シテは常座の少し前あたりに出て宮に向かい、これこそ弁財天だとワキに教え、よくよく祈念するようにと進めて宮の前に下居。シテ、ワキの問答になります。
女人禁制の島に女人を連れてきたのは何故かと問うワキにシテが答えて地謡からクセへ。
クセの冒頭でシテは肩上げを下ろし、上げ端でワキに向かって語る風。地謡が受けて謡う中、ツレが立ち上がってシテの前を通り角へ。ワキに二足ほどツメると下がって扇を広げ「社壇の扉を押し開き」の詞章に合わせて扉を開く形から宮に中入。「翁も水中に」の謡にシテも立ち上がり、常座にてワキに向いてから開キ、正に直して開キから中入となります。
このつづき、もう一日明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

竹生島さらにつづき

中入で登場するアイは、これまでの鑑賞記にも書いたとおりで、大蔵流だと竹生島の天女仕える者と名乗り、天女を讃えた後に御蔵の鍵、天女が朝夕看経せらるる時のお数珠、二股の竹の三つの宝を見せ、岩跳びをします。

アイが退場すると地謡が「御殿頻りに鳴動して…」と謡い出し、引廻しが下ろされると、緋の大口に紫の長絹、天冠を着けた後ツレ弁財天が姿を現します。
この島の弁財天と名乗ったツレはノリ地で立ち上がると台を下りサシ込み開キ。袖の露取って常座に進み、開いて答拝。天女ノ舞の舞出しです。

ツレは天女ノ舞を舞上げ、ノリ地で雲扇して笛座に下がります。
「下界の龍神現れたり」の謡から早笛。
赤頭に龍戴をいただき法被半切で勇ましく登場、両手で宝珠を捧げ持っています。六つ拍子踏んで舞台へと進み、「光も輝く金銀珠玉をかの客人に捧ぐる気色」とワキに宝珠を渡し、舞働。

さらにノリ地でシテが舞い「天女は宮中に入らせ給へば」の謡に、ツレが先に退場。これを見送ったシテは橋掛りに入ると、幕前にて飛び回り、立ち上がって留となりました。

今回の観能は先日も書きました通り、会社のイベントを能楽鑑賞に振り向けての鑑賞だったため、初めて能を観る方がほとんどでした。私としては、脇能では高砂など、後場で神舞が舞われる世阿弥系の曲の方が好きではあるのですが、皆さんには竹生島が割合好評で、初めて観るには嵐山系のこうした曲の方が良いかな、とも思ったところです。
(75分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

歌占 坂口貴信(観世会荒磯能)

観世流 観世能楽堂 2018.02.08
 シテ 坂口貴信
  ツレ 武田宗典
  子方 谷本悠太朗
   大鼓 柿原弘和、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 寺井宏明

歌占(うたうら)は観世流の高橋弘さんが舞われた際の鑑賞記を書いています(鑑賞記初日)。もうあれから十年以上経ってしまったのかと、いささか感慨深いものがあります。金春の山井綱雄さんの歌占も印象に残っているのですが、こちらはこのブログを書き出す前ですから、さらに前のこと。少なくとも十二年以上たってしまいました。

さてこの歌占という曲ですが、不思議な魅力のある曲で好きな能の一つです。大人気曲と言うほどではありませんで、例の大角さんの観世流演能統計では60年間の上演回数が256回、98位だそうで、観世流では現行曲のほぼ真ん中あたりの様子です。
生き別れた親子の邂逅というのが一つのテーマになっているのですが、それがメインテーマなのかというと、どうも違うような、もうちょっと奥深い一曲です。

作者は観世十郎元雅とされていますが、元雅は世阿弥が「子ながらも類なき達人」と褒めたほどの上手で、能作者としても傑出していました。隅田川や弱法師、盛久なども元雅の作とされています。
その歌占を、個人的に注目している能楽師の一人、坂口貴信さんが舞うというので、たいへん期待して拝見した次第です。

ところで最近、下掛宝生流の安田登さんと、哲学研究者やコラムニストをはじめ様々な顔を持つ内田樹さんの対談による『変調「日本の古典」講義』という、実に面白い本を読みました。能楽を廻っても信じられないくらい面白い話を二人でされています。

今回の「歌占」の鑑賞記は、この曲自体のこと、安田さんと内田さんの本のことなども含め、思いつくままに書き留めておこうと思っています。いつもよりもさらに、長く、かつ日数もかかりそうですが…
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

歌占のつづき

さまざまに書きたいことはあるのですが、それはさておいて、ともかくも舞台の様子を記しておこうと思います。

まずは次第の囃子が奏されて、子方とツレが登場してきます。子方は稚児袴の出立で先に立ち、ツレは素袍上下で後から続きます。舞台中央まで進み出て次第。「雪三越路の白山は 夏陰いづくなるらん」と謡います。狭義の三越路は越前、越中、越後の三国ですが、高志の国へ向かう道ととらえれば加賀の白山も越路の山。時は夏に向かう頃、所は加賀白山と示したところでツレの名ノリ。「加賀の国白山の麓に住まいする者」と名乗ります。
以前の鑑賞記にも記した通り、下掛ではワキが演じる白山の男、上掛ではツレが演じます。

この程、どこの者とも知れぬ男巫がやって来て歌占をするが、たいへん良くあたるので、今日は占いを引こうと思う旨を述べ、子方に呼び掛ける態で子方と向き合い、歌占のご所望であれば供をしようと言って、二人ワキ座に着座します。

一声の囃子、シテの登場となります。
直面に白垂、翁烏帽子を着け、浅黄の色大口に厚板、白の褸狩衣(当日のメモに袷狩衣と書いてあるのですが袷のはずはなく、どう考えても記録間違いと思います)の姿で、右手に弓を持ち、一ノ松まで進むと正を向いて一セイ。さらにサシ、下歌、上歌と謡い、上歌の終わり近く「引けば引かるゝ梓弓」でゆっくりと向きを変えて歩み出し「日向のことも問ひ給へ」と常座に出ます。

一セイからサシ、下歌、上歌と続く謡は、歌占にちなんで弓を謡い込んだり、天地開闢から今に到るまで歌が尊ばれることを謡ったり、さらには伊勢の浜荻から難波、日向のことも占いに問えと、次々に言葉が広がっていく様子。
「伊勢の浜荻」は菟玖波集にもみられる「難波の蘆は伊勢の浜荻」のことわざに拠ると思われますが、登場した男巫が、伊勢に関わりあることを示唆する意味もあるのでしょう。

それにつけても、多くの謡曲では、特にシテの出で謡われる一セイ、サシ、下歌、上歌などが、このように次々と言葉がそれからそれへと繋がって、きちんと現代語にし難い…「何を伝えたいのですか?」と聞かれると困ってしまうようなことが多いです。
安田さんと内田さんは、これが能の能らしいところとして能の世界を語っているのですが、そのあたりは舞台の様子を書き終えてからということで、このつづきはまた明日。常座に出たシテにツレが声をかけての問答へとつづきます
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

歌占さらにつづき

シテにツレの男が声をかけます。彼方はいったい何處から来た人なのか、見れば若いのにどうして白髪になったのか、などと問いかけます。
ツレは武田宗典さん、4月の花影会では石橋の赤を拝見しています。

シテはツレの問いに答えて、自分は伊勢の国二見浦の神職だが諸国一見の旅に出たところ、あるとき俄に頓死してしまった。三日のうちに生き返ったが、その折白髪になってしまったと語ります。

ツレは納得して歌占を引くことにします。
シテが正中で床几に座し、一番に手に当たった短冊の歌を読み上げるようにと言い、ツレは弓弦に付けられた短冊の右から二つ目を見て「北は黄に 南は青く東白 西紅の染色の山」と短冊の歌を読み上げて、立ち上がって下がり改めて下居。
シテは、この歌は須弥山を詠んだもので、父のことをお尋ねだろうと断じます。
ツレは親が病気となり、生死の境にあると答えます。

そしてシテが、委しく判じて聞かせようと言って占いを語るのですが、以前の鑑賞記にも書いたとおり、これがたいへんに難しい内容です。昔の人でも、これを耳で聞いて分かったのか、どうも疑問に感じるところですが、立て板に水のごとくこの難解な占いの文言をシテが語ることによって、歌占の神秘さ、不思議な世界が沸き立ってくるような気がします。実際この日の坂口さんの謡も、シテがただならぬ力を持った人物と感じさせるものでした。
須弥山をめぐる世界観については、若い頃に講談社現代新書の「須弥山と極楽」という本を読んだのが印象に残っています。既に絶版になっている様子ですが、これもまた書いておきたいことの一つではあります。また占いの冒頭、シテの詞章に「今度の所労」とありますが、喜多流と金剛流はこれを「金土の初爻」とします。この違いについて、粟谷明生さんが興味深い話を書いておられます。こちらにも触れたいのですが、これを書き出すと、しばらく舞台の様子に戻ってこられそうにないので、まずは舞台に戻り、鑑賞記の後に再びこの点に触れようと思います。

さて長い占いの言葉の後、シテはツレの父親の病状について、病は命に関わるものだが蘇生するであろうから頼もしく思うようにと告げます。
ツレはこの占いに喜びますが、さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

歌占さらにさらにつづき

ツレは礼を述べると立ち上がり、子方の横に寄って腰を下ろしつつ、この幼い人も占いを望んでいるとシテに告げます。

シテは子方にも、一番に手に当たった短冊の歌を読み上げるようにと言い、子方は立ち上がって三番目の短冊を「鶯の卵(かいこ)の中のホトトギス 己(しゃ)が父に似て己が父に似ず」と読み上げ、下がって下居。シテは、これまた父のことをお尋ねだなと断じます。
子方が父を失って尋ね歩いていると答えると、シテは既に逢っているという占いだと言います。子方は逢っていないからこそ尋ねているのだと返しますが、シテは占いに偽りはないのだと言い、鶯には「逢ふ」の音もあり卵の中の郭公とも言うし、時も卯月ほどで合っているのに・・・などと言う様子。

と、目付柱の方に顔を上げて「や 今啼くは郭公にて候か」と問いかけます。子方が「さん候郭公にて候」と答えると、面白し面白しと言い、鶯の子は子なりけりと繰り返すと、子方を向いて弓を立てて持ち「不思議や御身は何處の人ぞ」と問います。子方が伊勢国の者と答えると、在所はと問い、二見浦と答えると、父の名字はと重ねて問います。

子方は二見の太夫渡會の何某と答え、シテ「さてその父は」子方「別れて今年八箇年」シテ「さておことの幼名は」と続き、子方が「幸菊丸と申すなり」と謡うと、シテは「こはそも神の引き合わせか これこそ父の何某よ」と弓を落として語りかけます。

父と子の再会という次第ですが、これでめでたしめでたしと直ぐに終曲に向かう・・・という訳ではありません。

シテ、子方のやり取りから地謡の上歌。これは親子の再会を不思議なことと謡う内容ですが、シテは一句聞いて立ち上がり、子方に寄ると「げにや君が住む」で子方を立たせてワキ座に送り「古りにし人の行方とて」と座らせる形。
「四鳥の別れ親と子に」で再び立ち上がって正中へと戻り「二度逢ふぞ不思議なる」の謡に下居して子方と向き合います。
再会を果たしたシテにツレが声をかけますが、このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

歌占またつづき

ツレは親子の再会を祝いますが「また人の申され候は」と話を変え、渡會の何某が地獄の有様を曲舞に作って謡うと聞いているので、ぜひ謡って聞かせて欲しいと所望します。
シテは、この一曲を謡うと「神気が添うて現なくなり候へども」帰国する名残にと言って、ツレを向き「現なき有様見せ申さん」と謡って地謡に。

地次第「月の夕べの浮雲は」の一句を聞いてシテは立ち上がり、サシ込み開キ。「浮雲は後の世の迷なるべし」を聞いて、地取りで常座へ向かって後見座を向いて立ち、向き直ってクリ。大小前へと進んで地謡で床几に腰を下ろします。
シテのサシ「一生は唯夢の如し 誰か百年の齢を期せん」地「萬事は皆空し 何れか常住の思ひをなさん」シテ「命は水上の泡」地「風に随って経巡るが如し」シテ「魂は籠中の鳥の」地「開くを待ちて去るに同じ 消ゆるものは二度見えず 去るものは 重ねて来たらず」と掛け合いで謡い継ぎます。

そしてクセ、いわゆる地獄の曲舞と呼ばれる部分です。
以前にも書きましたが、この地獄の曲舞はもともと独立した謡物であったのが、古くは「百万」に取り入れられて舞われていたようです。この百万の曲舞を世阿弥が差し替え、使われなくなった「地獄の曲舞」を元雅が取り上げて一曲の能に仕上げたのが、この歌占ということのようです。

今回は便宜のためクセの詞章をまるごと記載しておきます。観世流大成版の記載を用字、フリガナそのままに書き取ったものですので、表示できない文字はご容赦ください。

地「須臾に生滅し。刹那に離散す恨めしきかなや。釋迦大士の慇懃(おんごん)の教を忘れ。悲しきかなや。閻魔法王の。呵責の言葉を聞く。名利身を資(たす)くれども。未だ。北邙(ほくぼう)の煙を免れず。恩愛心を悩ませども。誰か黄泉(こうせん)の責に從はざる。これが為に馳走す。所得(しょどく)いくばくの利ぞや。これに依つて追求(ついぐ)す。所作多罪なり。暫く目を塞いで。往事を思へば。舊遊皆亡ず。指を折つて。故人を數ふれば。親疎多く没(かく)れぬ。時移り事去つて。今なんぞ。渺茫たらんや人留まり我往く。誰かまた常ならん。
シテ「三界無安猶如火宅。
地「天仙尚し死苦の身なり。況んや下劣。貧賎の報に於いてをや。などかその罪輕(かろ)からん死に苦しみを受け重ね業に悲しみなほ添ふる。斬鎚(ざんすい)地獄(じごく)の苦しみは。臼中(きゅうちゅう)にて身を斬る事截断(せつだん)して。血(ち)狼藉(ろうせき)たり。一日乃その中(うち)に。萬死(ばんし)萬生(ばんしょう)たり。剱樹(けんじゅ)地獄の苦しみは。手に剱(つるぎ)の樹をよどれば。百節零落す。足に刀山(とうせん)踏むときは。剱樹共に解(げ)すとかや。石割(せっかつ)地獄の苦しみは。両崖(りょうがい)の大石(だいせき)もろ/\の。罪人を砕く次の火盆(かぼん)地獄は。頭(こうべ)に火焔を戴けば。百節の骨頭より。焔々たる火を出す。ある時は。焦熱大焦熱の。焔に咽びある時は紅蓮大紅蓮の氷に閉ぢられ。鉄杖頭を砕き。火燥足裏を焼く。
シテ「飢ゑてハ。鉄丸を呑み。
地「渇してハ。銅汁を飲むとかや。地獄の苦しみハ無量なり餓鬼の。苦しみも無邊なり。畜生修羅の悲しみも。我等にいかで勝るべき。身より出せる科なれば。心の鬼の身を責めて。かやうに苦をば受くるなり月の夕べ乃浮雲は。後の世乃迷ひなるべし。

舞の様子など、このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

歌占またまたのつづき

クセの冒頭部分は床几に座したまま聞く形ですが「指を折って 故人を數ふれば」で左の手を上げて数える型。下ろすと「今なんぞ」で立ち上がってサシ込み開キ。「誰かまた常ならん」で打込、扇広げて前に出して上げ端。
「三界無安猶如火宅」と謡って上扇。地謡で大左右と曲舞の基本的な形を舞います。

謡は斬鎚(ざんすい)地獄、剱樹(けんじゅ)地獄、石割(せっかつ)地獄、火盆(かぼん)地獄、焦熱大焦熱、紅蓮大紅蓮と地獄を数え上げ、その苦しみの様を謡います。二段グセの形でシテは「飢えては 鉄丸を呑み」と謡い、さらに舞いますが「かやうに苦をば受くるなり月の夕べの浮雲は 後の世乃迷ひなるべし」の謡に、抱え扇して月を見上げる形を見せてクセを舞上げ、一セイ「後の世の 闇をば何と 照らすらん」と謡って正先へ出て開キます。

地獄の曲舞は、地獄の苦しみを謡う訳ですが、「須弥山と極楽」という本にも地獄の記載があります。ただし倶舎論に書かれる八大地獄は等活・黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱で斬鎚地獄や剱樹地獄などというのは八大地獄には含まれていません。時代が下るほどに、地獄の描写も様々になってきた様子です。
能の舞ですから、それぞれの描写に合わせた具体的な所作を見せるわけでもなく、抽象的な曲舞の型を基本に舞うわけですが、それでいて詞章と舞の端々からイメージが湧き上がってくるところが能の面白さかも知れません。

シテの一セイを大ノリの地謡が受け「胸の鏡よ心濁すな 心濁すな」と謡うのを聞いて立廻。橋掛りへと入ります。
一ノ松に立って「あら悲しや只今参りて候に これ程はなどやお責めあるぞ」と言い「あら悲しやあら悲しや」と謡いつつ片シオリです。
ツレは「神気とて面色変わりさもうつつなきその有様」とシテの様子が急変したことを謡い、シテ・ツレ掛け合いでの謡から地謡へ。
この途中「雪を散らせる如くにて「天に叫び「地に倒れて・・・からは歌占のキリの仕舞とされるところですが、仕舞としてもたいへんに好きな部分です。
・・・が、ここはメモがありません。立廻の後はひたすら舞台に引き込まれて、もはやメモをとるような余裕もありませんでした。
本当に、能を観る楽しみを再確認した一曲でした。

舞台の様子は以上ですが、明日から歌占をきっかけとして、安田さんと内田さんの本の話、須弥山と極楽の話などを、少しばかり書き連ねてみようかと思います
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

歌占を廻って

終曲までとりあえず舞台の様子を書き終えましたので、観能記の初日に書いた通りに安田さんと内田さんの対談や、須弥山と極楽など、歌占をめぐって思いつくままに書き留めておこうと思います。
と言いながら、今回の舞台について少しだけ戻りまして・・・。

今回の観能は先日書いた通り(先日の記事)会社のイベントを能楽鑑賞に振り向けたものです。
終演後、初めて能を見たという人から歌占のシテが素晴らしいというコメントをもらった話も書きました。この話をもう少し詳しく書くと、この方はミュージカルなどは割合よく見ているそうですが、坂口さんの体の動きや発声、醸し出す雰囲気にいたく感動したそうで「二番目の能のメインの人、スゴイですよね」という発言になったということです。
実際、スッと片足で立って微動だにしない型も何度かあり、私も、謡・舞の表現力とともに並々ならぬ身体能力の高さを感じました。こういう素晴らしい芸を観ることができるのは、舞台に出かける大きな楽しみです。

しかしながら、生きている人間は常に変化しています。坂口さんはこれからもこうした素晴らしい舞台を見せてくださるでしょうけれども、それでもいつか体にも変化が訪れるでしょう。そうした変化の中で、坂口さんがどのように芸を変化させていくのか、これまた大変に楽しみです。
私自身の年齢からいって、坂口さんが老境を迎えられる姿を拝見することはできませんが、世阿弥の言う「まことの花」をきっと咲かせる方なのだろうと、秘かに期待しています。

一言のつもりが長くなってしまいましたので、歌占をめぐってのあれこれは明日から書いていこうと思います。ですが、特に歌占の占いの言葉は「須弥山と極楽」という本を思い出すきっかけにもなり、粟谷明生さんが書かれた話もこれをめぐってのことですので、参考までに観世流大成版をもとに占いの部分の詞章を記載しておきます。大成版のフリガナ、用字そのままに記載しますので、表示されない文字がある場合はご容赦ください。

心得申し候。委しう判じて聞かせ申さう。
それ今度の所勞を尋ぬるに。邊涯(へんがい)一片(いっぺん)の風より起つて。水金(すいこん)二輪(にりん)の重結(ちょうけつ)に顕る。それ須彌ハ金輪より長じて。その丈十六萬由旬の勢ひ。四州常樂の波に浮かみ。金銀碧瑠璃玻球迦寶の影。五重色空の雲に映る。されば須彌の影映るに因つて。南瞻部州の草木緑なりと云へり。さてこそ南ハ青しとは詠みたれ。こゝに又父の恩乃髙き事。高山千丈の雲も及び難し。されば父ハ山。染色(そめいろ)とハ風病の身色(しんしき)。しかも生老病死の次第を取れば。西紅(にしくれない)と見えたるは。命期(めいご)六爻(りっこう)の滅色(めつしき)なれば。あうこれハ既に難義の所労なれども。こゝに又染色とハ。聲を借りたる彩りにて。文字にハ蘇命路なり。蘇る命の路と書きたれば。眞に命期の路なれども。また蘇命路に却来して。二度(ふたたび)こゝに蘇生の壽命の。種となるべき歌占の言葉。たのもしく思し召され候へ。
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

歌占を廻ってのつづき

まずは須弥山の話を書いておこうと思います。
この歌占の詞章を読んでいて、ずいぶん前に読んだ講談社現代新書の「須弥山と極楽」という本を思い出したのは、先日書いたとおりです。調べてみると絶版という訳ではなさそうなのですが、とは言え現在は書店でもネットでも手に入りません。

そんなわけで、この本に書かれた須弥山を中心とした世界の様子を簡単にまとめておこうと思います。この本は当時東海大学の教授だった定方晟さんが書かれたもので、ヴァスバンドゥ(世親)の『倶舎論』を元に宇宙の様子などを記述しています。

虚空の中に風輪という円盤状のものが浮かんでいます。周の長さは「無数」で厚さ160万由旬とされています。「無数」は音訳では「阿僧祇」とされ、時代や地域によって10の31乗とか10の104乗とか様々なことが言われますが、ともかくもの凄く大きな数ということです。ちなみに阿僧祇は恒河沙の上の位ですが、恒河沙はガンジス川の砂の数ほどの意味だったと記憶しています。
由旬の方も様々な説がありますが、倶舎論の解釈に際しては1由旬が約7㎞とされるようです。繰り返しますが、とてつもなく大きな円盤状のものが虚空に浮かんでいると、そういう程度の話です。

この風輪の上に水輪(すいりん)があり直径120万3,450由旬、厚さ80万由旬。さらに水輪の上には金輪(こんりん)が乗っており、こちらは直径120万3,450由旬、厚さ32万由旬とされます。
水輪と金輪は直径が同じで、もともとは一つの水輪だったものが、牛乳を温めると膜が出来るように、上部に金輪ができたとされます。この水輪と金輪の境を金輪際(こんりんざい)といい、真底という意味になります。

金輪の上には九つの山があり、中央が須弥山でその外側に七重の方形の山脈のような形で山があります。市川団十郎の定紋である三枡文が七重になっているようなイメージです。この須弥山を囲む七重の山の外に四つの洲・・・大陸を想像すれば良いと思いますが、これが浮かんでいます。

須弥山の東方が勝身(しょうしん)洲、南に贍部(せんぶ)洲、西には牛貨(ごけ)洲、そして北が倶盧(くろ)洲という四洲です。これらの外側、金輪の縁近くには環状の山である鉄囲山(てっちさん)があります。鉄囲山はその名の通り鉄で出来ていますが、七重の山は金で出来ており、須弥山は金、銀、瑠璃、玻璃の四宝から出来ています。

四洲はそれぞれ、勝身洲が半月形、贍部洲はほぼ逆三角形に近い台形、牛貨洲が満月形、倶盧洲は方座型とされていて、人は贍部洲に住んでいるとされます。贍部洲は閻浮提(えんぶだい)とも呼ばれますが、逆三角形の北の方に山があり南は平地となっていて、直ぐに想像つくとおり、この贍部洲の形はインド亜大陸そのものです。

一方、世界の中心にあるとされる須弥山ですが、インド神話ではメール山、あるいは「善・・・妙」を意味する接頭辞「su」を付けてスメール山と呼ばれる山のことで、そのスメールを音訳して蘇迷盧とも言われます。この蘇迷盧が転じて謡曲中の蘇命路になっていると思われます。

この本には地獄や西方浄土、そしてこうした世界の記述から、仏教が何を目指したのかなどか書かれていますが、今回はとりあえず須弥山世界の記述に留めて、明日はこれをもとに歌占の占いの言葉を読み解いていこうと思います。
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

歌占を廻ってのさらにつづき

ツレの問いの答えて、委しく判じて聞かせようと言ったシテは「それ今度の所労を尋ぬるに」と語り出します。
「今度の所労」は、この度の病気くらいの意味ですが、先日書いたように、喜多流と金剛流はここを「金土の初爻」と謡います。

喜多流の粟谷明生さんが、粟谷能の会のサイトに歌占の演能レポートを掲載されているのですが、この中で・・・「金土」は“金剛に覆われた聖なる国”とか“須弥山の世界”の意で「初爻」は占いの初めを意味し、「西方金剛界におられる諸仏にお目通りを願って、占いの第一からいいますと」というような、巫の常套句ではないかと考えられます。雄大な宇宙観のもとに占いを始めるという、武士好みの凝った言葉の選択には、喜多流の神髄が現れているようです。・・・と書いておられます。
確かにそういう解釈をすると、占いがより重々しく感じられるような気がします。

ところで、初爻の「爻」ですが、易占では六本の算木を使い、筮竹を数えて陰陽を定めて算木を置きます。算木を三本重ねると、陰陽の組み合わせは八通り、当たるも八卦当たらぬも八卦の八卦です。さらに三本を重ね六十四掛で万象を表し吉凶を占う訳ですが、この算木六本が表す陰陽を、下から順に初爻、二爻、三爻、四爻、五爻、上爻と言い、初爻が一番下、最初の爻になります。と言うわけで占いの初めということですね。
金土にそういう意味があるのか不案内ですが、巫が雄大な宇宙観を持って占いを始める常套句という解釈は、なるほどと思うところです。

さて占いの方は続いて水輪と金輪が重なり、その金輪から十六万由旬の須弥山が立ち上がって、四洲がその回りを囲んでいると続きます。実は「須弥山と極楽」に拠れば、金輪上には八万由旬の深さで水が湛えられており、須弥山も八万由旬は水の中、水上には八万由旬の高さで聳えるとあります。半分は水の中ということです。

さてその須弥山のまわりには四つの州が浮かんでおり、須弥山の宝の影が映っている。南の瞻部州の草木はこの故に緑であり、歌には「南は青し」と詠まれているわけです。
父の恩は山の高さにも喩えられることから「父は山」。染色は風病に罹ったときの体色のこと、と続きます。占いの最初のあたりにも「辺涯一片の風より起こって」とありますが、ツレの父親は風病(ふうびょう)の様子です。
長くなりそうなので、このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

歌占を廻ってのさらにさらにつづき

古来、中国の医療では、病の原因として、風、寒、暑、湿、燥、火の六つをあげます。
これらは、本来の正常な状態では人体に対して無害で「六気」と呼ばれますが、これが異常な状態になると、六淫となって病を引き起こすと考えられています。
六淫の邪気が入ると、抵抗力の落ちている者は発症してしまうのですが、中でも風の邪気は、他の邪気とも相俟って様々な病の原因になる・・・風邪は万病のもとというわけです。

日本でも、古くは多くの病が風淫のためと考えられていて、脳卒中などによる麻痺を中風(風に中…あたる)と呼んだり、破傷風という名前があったりなど、現在の風邪よりはずっと広い範囲で風の病、風病(ふうびょう)を捉えていたようです。
ただし、ものの本を読むと、鎌倉時代には既に、いわゆる感冒の類と中風の類は別物と考えられていたという説もあり、この曲での「風の病」が具体的に何を指すのかは不明です。ちなみに謡曲「土蜘蛛」では、源頼光が風病に罹っており、侍女の胡蝶が「風のこゝちを尋ねん」と謡いますね。

さて話は戻って、風病のツレの父親ですが、「西紅」は命期六爻の滅色。西方は日の沈む方角で紅は入日の色です。六爻は先の易占に従って言えば上爻で、登りつめた一番上。人生でいえば最期の時期でしょう。それが紅、滅色なのですから命も尽きようかという状況です。しかしここで歌には「染色の山」とあり、染色は音を借りたもので文字に書けば蘇命路。蘇る命の路であり、ふたたび生き返って寿命が続くという言葉。頼もしく思いなさい。と、シテの語る占いの言葉は、このような意味と思われます。

しかし、この占いの言葉を聞いて分かるのかという点ですが、それは室町時代や戦国、江戸時代の人でも、そりゃあおおかた無理だったろうと思うのです。

さてそこで安田登さんと内田樹さんの対談本『変調「日本の古典」講義』です。この中で安田さんが『「分からない」という理解の仕方』という話をしています。
この話を明日、書いてみようと思います。
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

歌占を廻ってのまたつづき

加工して書くと上手く伝わらないような気もしまして、『変調「日本の古典」講義』の中から、「分からない」という理解の仕方について、安田登さんが話しておられる部分を抜き書きさせていただこうと思います。

・・・今日の対談は公開対談で、最初に内田さんと『井筒』を謡いましたが、おそらく多くの方にはちょっとストレスだったんじゃないかと思うのです。だいたいの方が、僕らが何を謡っているか分からなかったはずです(笑)。能の謡を稽古した人が聞いたら、知らない人よりは聞き取ることはできたかもしれない。でも、それが分かるかというとちょっと違うと思うのです。僕たち能楽師だって、新作能の詞章を聞いたら、やはり分かりません。
書かれたものは分かるのが当たり前、あるいは書く人は分かるように書くのが当たり前というのとは実はちょっと違って、「分かること」を前提として書かれていないテキストが、日本語の中に少なからず存在しています。能の詞章などはその代表です。
能の謡を聞くときには、断片的に聞こえてくるさまざまな音や言葉を自分の頭の中で組み立てていく。そこに立ち上がってくるイメージを楽しめばいいのです。それを「分かろう」とした瞬間に眠くなります。「能を分かりたかったら100回見なさい」という人がいますが、100回見たって分からないものは分からないし、眠くなるものは眠くなります。100回見るというのは、これは「分かる」ための努力をあきらめなさい、ということなんです。その努力を手放した途端に、能は突然面白くなってきます。
とかく僕らは「分かること」を中心に世界を理解しようとするクセがありますが、これは無数にある世界の理解の仕方の一つにすぎず、「分からない」という理解の仕方もあるということも大事なのです。・・・(変調「日本の古典」講義、祥伝社刊)

というものです。
これは、歌占の難解な占いの謡のみが該当する訳ではなく、当然ながら広く謡曲全般にかかわるものです。今回の鑑賞記の初めの方に書きましたが、とりわけ前シテの一セイ、サシ、下歌、上歌あたりは、まさに断片的に聞こえてくるさまざまな音や言葉から立ち上がっているイメージを楽しむべきものと思います。この本を読んでいて目が覚めたような気がしました。

明日、もう少しだけつづけます
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

歌占を廻ってのまたまたつづき

『変調「日本の古典」講義』は、安田さんと内田さんの何度かにわたる対談から文章化したもので、様々な話題が語られています。
人馬一体ではありませんで、馬に乗ることで弓もより強く引くことができるといった話も出てきます。那須与一が扇の的をねらうに際して、馬に乗ったまま海中に少しばかり進んで弓を引いたのは、馬の力を使ってより強く、確かに矢を放とうとしたのだ、といった解説もあります。

そんなことを考えたこともなかったので、読後感としては「そんなもんかいな・・・」と思った程度だったのですが、その後、ちょうど味方玄さんの「屋島」で萬斎さんの奈須余市語(どういう訳か和泉流三宅派ではこう表記します。他は那須語などの表記が多いようです)を観る機会があり、タイミングの良さに驚きました。
いずれ鑑賞記に書こうと思いますが、萬斎さんの奈須余市語は、以前拝見したときよりもさらに進化しているような印象です。それはともかく、馬に乗った形で弓を引いて正中からワキ座前あたりに進む型を観ていると、馬と人の力が一つになると奇跡が起きるのかも知れないと、なんだか納得してしまいました。

この本の中で、安田さんと内田さんは六芸の話でも盛り上がっていて、その一つである射と御に関して、この那須与一の話に触れています。六芸は礼、楽、射、御、書、数ですが、世上言われる解釈と、お二人の話はだいぶん違う感じです。
礼や楽なども、礼儀作法や楽曲を楽しむといった範疇を超え、鬼神に仕える作法として説明されています。

これを読んでいて思ったのですが、古典を読むとき、ついつい現代の感覚で判断してしまう。けれども、それぞれの時代それぞれの地域によって、拠って立つ世界観、死生観が全く異なっていたはずで、その前提を忘れてしまうと本当のところが分からないのではないかと、あらためて認識したところです。考えてみれば、孔子の時代は2500年も前のことで、不老不死を願って徐福に霊薬を探させたという始皇帝よりもさらに200年以上前の人です。確かに論語には現代に通じる話も多々ありそうですが、だからといって現代の感覚で判断してしまうのは危ういと感じました。
古今集仮名序の「力をも入れずしてあめつちを動かし目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ男女の仲をもやはらげ猛きもののふの心をも慰むるは歌なり」も、当時の人にとってはけっして比喩ではなく、文字通りの意味だったのでしょう。だからこそ平安貴族は歌ばかり詠んで遊んでいたようですが、それはそれで立派なまつりごと・・・政だったということです。

今回は坂口さんの素敵な歌占の舞台をもとに、様々に書き連ねてみました。
思い返せば、子供の頃に小児喘息のため漢方医に診てもらっていたことから漢方や中医方に興味を持ったり、高校時代に易経に入れ込んだり、仏教の宇宙観に興味を持ったりなどなど、今回、書き連ねたことの多くは二十歳前から気になっていたことばかりでした。
ここにきて本当に自分が興味を持っていたことに戻ってきたような気がします・・・
この項終わり
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

 | HOME | 

カレンダー

« | 2018-05 | »
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad