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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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月を廻ってさらにつづき

ともかくも、この絵巻から想像する限りでは、鎌倉時代の終わり頃には、絵巻に名入りで描かれるほどに、自然居士は有名だった様子です。観阿弥が京都で活躍したのは1370年頃からですから、自然居士は百年近くも前の人ということになりそうです。

さて人名辞典に戻ると、自然居士は禅宗系の説経者で「謡曲拾葉抄」が円爾の孫弟子とつたえる、とあります。別な本では、自然居士は南禅寺で修行した僧で、東福寺聖一国師すなわち円爾につき、東山の雲居寺で説経をしたともあります。いずれにしても臨済宗系の僧侶の様子です。しかし僧侶とはいうものの、絵巻の自然居士は烏帽子を被り髭を伸ばした俗の格好で踊っていて、僧侶という言葉から想起される風体とは、およそ異なった印象です。
これはどういうことでしょうか。

そこで三道にある「放下には自然居士…」という記載です。
放下というのはもともと禅宗から出た言葉で、ものごとを放り投げて無我の境に入ることを〈放下す〉と言い、ここから何かを放り投げて曲取りする曲芸を指すようになったようです。日本大百科全書には、放下は僧形の下級芸能者で品玉、輪鼓を放り投げて曲取りする曲芸をもっぱらにし、室町時代ごろに定着。品玉、輪鼓、手鞠、コキリコなどを行って大道に立つと解説されています。また世界大百科事典では、室町期には僧形をした放下僧や、烏帽子姿で短冊を付けた笹竹を負った放下師などが活躍し、品物を投げて曲取りする散楽系の曲芸やコキリコなどでリズムを取り物語歌を歌い歩きしたと解説されていて、二つの事典では僧形なのか、僧形でないものも含むのか、この点は微妙に違います。

いずれにしても、室町時代に放下と呼ばれる雑芸人が定着した様子で、自然居士はその走りなのでしょう。自然居士自身は、絵巻でもあくまで宗教者として描かれていますし、雲居寺で説教していたという伝承もありますから、布教の便法として歌や踊りを取り入れていたということなのだろうと想像しますが、僧形には拘らずに踊りに合う形をしていた様子が見受けられます。こうした系譜に連なる人々が、さらには曲芸なども取り込んで、放下として定着していったということなのでしょう。
そこでもう一つ、説教という視点からはどんな様子が見えてくるのか、明日その辺りを考えてみたいと思います。
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