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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

翁付淡路 武田文志(第四十三回花影会)

観世流 観世能楽堂 2018.04.15
  面箱  山本泰太郎
  三番三 山本凛太郎
  千歳  武田章志
 シテ 武田文志
  ツレ 佐川勝貴
  ワキ 野口能弘
  ワキツレ 則久英志 野口琢弘
  アイ 山本則重
   大鼓 大倉慶之助、小鼓 大倉源次郎
             飯富孔明 田邊恭資
   太鼓 小寺真佐人、笛 藤田貴覚

昨年11月の第四十二回花影会の関寺小町がたいへん印象的だったこともあり、第四十三回も観に行ってみようと思い立って出かけた会です。番組の書き方は変則的ですが、翁付ということで先に翁のみに出演される方を記載してみました。

当日のパンフレットにもあるのですが、昨今、翁付での上演が少ないことに鑑み、花影会は今回の春の会から、春は翁付での上演を試みることにされたとのことです。
この日は翁付淡路から、さらに囃子方が舞台に残ったままで脇狂言「目近」が上演されましたので、13時の開演から二時間半ほどの舞台となりました。

翁については特に所作など記載しませんが、なんと言っても山本凛太郎さんの三番三、初めて観まして実に感慨深いものがありました。
第47回式能で、亡くなった十六世喜多六平太さんの翁に、千歳の披キで山本凛太郎さんが舞い、大変に感動してから早10年を超える月日が経ちました。凛太郎さんは七年ほど前に三番三の披キを済ませていますから、もうすっかり板に付いた芸ではあるのですが、私個人としては、10年以上前の千歳からこの日の三番三へ、大きく飛躍されたように感じられて、たいへん感慨深い一番でした。

翁を勤める武田文志さんは、本来の翁付の形なので続く淡路のシテも勤めます。能楽師としては負担も大きいと思うのですが、能楽堂全体を寿ぐ堂々とした翁でした。蜀江錦がやや青みがかって印象的でした。

このつづきはまた明日に
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翁付淡路のつづき

開演から70分ほどで三番三が退場して地謡が地謡座に移り、脇鼓が退場して淡路となりました。

次第が奏されてワキ一行の出。大臣ワキの野口能弘さん、舞台を拝見するたびに充実感が増しているように感じます。ワキツレは則久さんと野口琢弘さん。脇能らしく三人が登場し、三遍返しに次第を謡ってワキの名乗り。当今に仕える臣下と名乗って、住吉玉津島への参詣を済ませ、淡路国に渡ろうと思う旨を述べて道行。
玉津島神社は和歌浦にあり、ここから舟を漕ぎ出して海路、淡路に向かいます。

短い道行の謡から着きゼリフ。一行は神代の古跡をを尋ねようといってワキ座に下がります。
真ノ一声の囃子で前シテ、前ツレの出。
先に出たツレは段熨斗目に水衣、白大口に朳を肩に担い一ノ松まで出ます。シテは小格子厚板に水衣肩上げ、白大口に、ツレ同様朳を肩に担い、幕前まで出てツレと向き合います。

一セイ、二の句と謡って、ツレが先に立って舞台へ。シテは朳を肩から外し右手に持って常座へと進みます。
シテのサシからツレとの同吟、上歌と続きますが、神代から神の恵みを受けて田を耕し種を納めてきた淡路の地で、頃しも春の田を作るとき。苗代の水に桜も散って雪を思わせる景色を眺めると謡い、上歌の終わりでシテ、ツレが立ち位置を入れ替えて、シテが正中、ツレは角へと移ります。
「雪をもかへすけしきかな」の謡を聞きつつ、ツレは常座で後見に朳を渡して角まで出、シテは肩から下ろした朳をそのまま手に持って常座に立ちます。

ワキが声をかけ、水口に幣帛を立てる様子からみて、ここは御神田かと問います。シテは当社二の宮の御供田なので、内外清浄にして田を作っているのだと答えます。
ワキは続けて、二の宮といういうからには国の一の宮はどこかと問いますが、シテの答えは、当社は二の宮だが、国中の一、二を言うのではないという思いもかけない答えです。さてこのつづきはまた明日に
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翁付淡路またつづき

シテの意外な詞を受け、さらにツレが、当社は二柱の神の神殿なので二の宮というのだと続けます。二柱は伊弉諾と伊弉冉ですが、ワキを交えての問答から「伊弉諾と書いては」「種蒔くと読み」「伊弉冉と書いては」「種を収む」「これ目前の御誓なり」とシテ、ツレの詞、謡が続いて地謡に。
地謡を聞きつつ、ワキはワキ座に、ツレは笛座前に、シテは舞台を一廻りして常座から正中に出て座します。

ワキが、なお当社の謂われなどを物語るように求め、地のクリ。天地開闢の昔、混沌が分かれて清く明らかなるものが天となり、重く濁るものが地となったと謡う地謡に、シテは正中に座して肩上げを下ろし、当社の謂われを語る態でサシ。
木火土金水の五行が陰陽分かれて、木火土の精が伊弉諾となり、金水の精が伊弉冉となったと謡が続きクセに。

クセは居グセで、伊弉諾・伊弉冉の国生みの初め磤馭慮島はこの淡路島のことで、その後大八洲が作られ皇孫が天下った、と国生みの神話が謡われます。
ロンギ、天浮橋の古を現して客人を慰めようとシテが謡い、「烏羽玉の 我が黒髪も 乱れずに 結び定めよ 小夜の手枕」の歌を残して、姿を消してしまったと謡う地謡に、シテは立ち上がって常座で開キ、あらためて送り笛に送られて中入となりました。
この「烏羽玉の」の歌、原典が分かりませんが、なんとなく万葉集にでもありそうな印象の歌です。

シテが幕に入ると、アイ所の者が呼び出されて正中に出、ワキとの問答から当社の謂われなどをあらためて語って下がります。
ワキ、ワキツレによる待謡。謡い終えてワキ一同がワキ座に下がると出端が奏されて、後シテの出となります。
さてこのつづき、もう一日明日に
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翁付淡路またまたつづき

シテは袷狩衣に白地に波の文様の半切、天神の面をかけて透冠の姿で一ノ松に出てサシ。伊弉諾の神は我と謡い「御裔は今に 君の代より」と謡って開キ、袖の露取って舞台に入り、常座に立って神舞となります。

装束付では、面は邯鄲男又は天神とされていますが、面が変わると随分と印象が変わる気がします。個人的には、いささか憂いを含んだ印象のある邯鄲男の方が好きですが、天神だと神の力強さが強調されるような感もあります。そのせいか、神舞も強い感じを受けました。

神舞を舞上げ、さらに謡に乗せてシテが舞います。最後は「千秋の秋津洲 治まる国ぞ久しき 治まる国ぞ久しき」と目出度く舞上げて終曲となりました。
ここまでで二時間半弱。淡路自体は80分ほどの上演です。

シテ、ワキに続き地謡も退場しますが、囃子方はそのまま舞台に残り狂言「目近」になりました。

目近
 シテ 山本東次郎
  アド 山本泰太郎 山本則秀 山本則重

目近はあまり上演されない狂言ですが、末広がりと同様の曲で、果報者が一族を招いての宴で長老達に「目近籠骨」を贈ろうと思い立ち、太郎冠者・次郎冠者に「目近籠骨」を求めさせるという展開です。
末広がり同様に、二人は都に上り、すっぱに騙されて普通の扇を高く買わされて帰り、果報者の不興を買いますが、囃し物をして主の機嫌を直すというもの。和泉流では「籠骨」を「込骨」としているようですが、要は扇の要がしっかりして、骨の数が多い上等の扇を指す詞のようです。

実はこの目近から後、石橋までのメモを紛失しまして、やむなく鑑賞記はここまでです。東次郎さんの果報者が後段で機嫌を直すと舞台全体が目出度い感じに包まれたこと、石橋は師資十二段式の小書が付き、獅子が十二段で舞われましたが、たしかに数えてみると段が十二あり、杉信太朗さんの力ある笛にのせ気迫ある紅白の獅子の舞だったことが印象に残りました。
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屋島 弓流 素働 奈須与市語  味方玄(第三十六回テアトル・ノウ)

観世流 宝生能楽堂 2018.05.12
 シテ 味方玄
  ツレ 武田祥照
  ワキ 宝生欣哉
  ワキツレ 野口能弘 御厨誠吾
  アイ 野村萬斎
   大鼓 亀井広忠、小鼓 成田達志
   笛 杉信太朗

味方玄さんの能は、以前、横浜能楽堂の企画公演で重衡を観て以来です。その重衡の印象がたいへん良かったので、いずれまた味方さんの能を拝見したいものと思いつつ、なかなか機会がありませんでした。今回はアイに萬斎さんを迎えての屋島の弓流で楽しみに出かけたところです。

屋島の鑑賞記はこれまで四度、うち二度は弓流の小書付でしたので、曲の解説などは省略します。(宝生流水上優さん観世流松木千俊さん観世流浅見慈一さん観世流川口晃平さん

舞台はワキの出、次第の囃子で角帽子着流しの僧三人が出て、塩屋に宿を借りようと言って一同がワキ座に着座。シテ、ツレの出となります。
先に出たツレは段熨斗目、腰蓑を着け緑の水衣を肩上げ、右肩に釣竿を担っています。後から出たシテは無地熨斗目着流しに腰蓑、茶の水衣肩上げに、やはり竿を担っての出です。
型通り、一声の囃子で出て橋掛りで向き合って謡い出し、シテ「海士の呼び聲。二人「里近し。まで謡って舞台に進み、ツレ正中、シテ常座に立ってシテのサシから下歌、上歌と謡います。シテ、ツレは釣竿を後見に渡して立ち、シテの詞「まづまづ塩屋に帰り休まうずるにて候」を聞いてワキが声をかけます。

ここから、宿を貸す、貸さないのやり取りとなり、さらに屋島の合戦の語りとなります。シテは背から扇を出して、下居の構えで語り出し、錣引の仕方話。前場の見せ所ですが、武将達の戦いがその場に見えるようです。立ち上がって馬を汀に寄せる形から正中に戻って下居、肩上げを下ろしてロンギです。
「我が名や 名のらん」あたりでワキを向くと、立ち上がって常座へ。「夢ばし覚まし給ふなよ」と念を押すように、扇を上げてワキを指し、直して中入となりました。森田流ではありますが、ここは送リ笛に送られてシテは幕に入り、アイ萬斎さんが常座にて名乗ります。
さてこのつづきはまた明日に
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屋島のつづき

さて萬斎さんの奈須与市語ですが、5月に歌占を廻ってあれこれ書いた際にも触れましたが、以前拝見したときよりもさらに進化しているような印象を受けました。「そもそも」のひと言から見所を全部さらってしまったようです。
わけても馬に乗った形で弓を引いて正中からワキ座前あたりに進む様は、扇の的に向かい汀に進み出た与市が、さながら眼前に現れたようです。以前書いた通り『変調「日本の古典」講義』では、安田登さんと内田樹さんの対談で、馬に乗ることで弓もより強く引くことができるといった話も出てきますが、これなら的を射る奇跡が起きることも不思議ではないような気がしてきます。

見事に扇の的を射落とし、大将義経の褒めに預かったところまでを仕方話に見せて萬斎さんが下がりましたが、見所中が引き込まれてしまっていて、さてこれでは後場がどうなってしまうのだろう、と些か心配したところです。

ワキが立ち上がっての詞から待謡。中入の間に、鼓方の床几と鬘桶が交換されていて、弓流へ向けて準備が整っていきます。
一声の囃子、後ジテ義経は法被半切の甲冑を表した姿で登場してきます。

ワキが、もし判官かと声をかけシテとの問答。地謡になってシテは開キ、拍子二つ踏んで前へ出「弓前の道は迷はぬに」と七つ拍子踏んで行カカリ、サシて角へ出、下がって「帰る屋島の」と幕方を見、正へ回って「夢物語申すなり」と常座で小回りして出て開キます。
打掛のアシライから地のクリ。シテは正中に出て床几・・・鬘桶に腰を下ろします。
シテのサシ、地謡が受けて「元の渚は此處なれや・・・」と謡い出し「鑣を浸して攻め戦ふ」と謡いきるとシテが立ち上がり、弓流の働事になります。
静かな囃子でゆっくりと目付柱の手前一間ほどまで進んで左に回り、ワキ座に向かうとワキツレの前あたりでしばし立ち止まり、小鼓の手に合わせて扇を落とします。テンポを上げた囃子に乗ってシテは橋掛りへと向かい、一ノ松あたりで「その時何とかしたりけん 判官弓を取り落とし」と謡い出します。
さらに素働へと続いていきますが、このつづきはまた明日に
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屋島さらにつづき

シテの詞を受けて地謡が「引く汐にて 遥かに遠く流れ行くを」と謡い、シテは謡に合わせて、一ノ松に寄り、流れゆく弓を見る態で舞台を見やります。
「敵に弓を取られじと 駒を波間に泳がせて」と謡いつつ、シテは馬に乗る型から、橋掛りを進んで舞台へ戻り、地謡が「既に危く見え給ひしに」と謡いきると今度は素働。

目付まで出て一度小さく回り、あらためて目付から左へ回って正中へ。さらに常座にと進んで右手を上げ、扇に寄って取り上げようとしますが、取り損なった態をみせ、流レ足で常座へと下がり、「されども熊手を切り拂い」と謡いつつ、太刀を抜いて扇を取り上げます。
「弓を取り返し」と後ろを向き、地謡「その時兼房申すやう」で正中に出て、大小前で床几に腰を下ろします。
ここからクセは居グセですので、床几に腰を下ろしたままで、「さればこの弓を」と扇を上げて見込んだり、「敵に渡さじとて」と扇を右に取り直したりなど、扇を弓に見立てての仕方を見せて「身を捨ててこそ後記にも」で立ち上がって常座へ。「佳名を留むべき弓筆の跡なるべけれ」と常座でワキに向かってサシて開キ。

ここから拍不合で「また修羅道の鬨の声」と謡いながら、シテはサシ込み開キ、行きカカル形で地謡となり、「矢叫びの音震動せり」を聞きながら橋掛りへと進んで一ノ松に立ちます。

この後、常の形ではカケリが入りますが、弓流、素働と小書が二つ付いたときは、このカケリは省かれるのが普通のようで、一ノ松に立ったシテは「今日の修羅の敵は誰そ」と謡い出して「なに能登の守教経とや」で扇を広げ「あら物々しや手並は知りぬ」とユウケンし、サシて出て開キます。
地謡の「その船戦今ははや」に六つ拍子分で左に回り、二ノ松でサシて舞台に戻り「船よりは鬨の声」と常座で雲扇。さらに型通りに進んで「浮き沈むとせし程に」で再び橋掛りへと入り、一ノ松。「敵と見えしは」と左右に面を使い、「高松の浦風」の謡に橋掛りを進んで幕へ。ワキが立ち上がって「朝嵐とぞなりにける」とワキの残留で終曲。

正直のところ、奈須与市語で見所が水を打ったようになってしまい、後場はどうなるのかとも思ったのですが、見事に見所を惹きつけて、本当に能は面白いと堪能させていただきました。
(114分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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屋島をめぐって

鑑賞記の通り、今回の屋島、本当に堪能しました。
さてその小書、弓流、素働ですが、記載の通り、弓流の部分と素働の部分、いずれも囃子に乗ってシテが演じる訳です。
型の流れから言っても、弓流の小書だけを付けて演じることはあっても、素働だけを付けることはなさそうです。この両方を付ける場合は「大事」と記載する場合も多いようです。味方さんは、弓流、素働と並べていますが、こちらがもともとの形です。

弓流などの小書が付くと、間狂言も替エになり、奈須与市語(流儀などにより、那須語など表記は様々)になるのが普通ですが、与一の扇の的の話だけではなく、私は観たことがありませんが、佐藤継信の最期を語る継信語もあるようです。

ところで、いつぞやこのブログにも書いたような記憶があるのですが、たまたま高松に用事があって出かけ、屋島が地続きになっているのに驚いたことがあります。
高松の浦風、朝嵐、と謡われるくらいで、屋島は高松の直ぐそばではあるのですが、江戸時代の塩田開発と干拓により、陸続きになってしまったのだそうです。

この屋島、名前の通り屋根のような台地の形をしていますが、標高300メートルほどの頂上に、なんと水族館があります。
この屋島を含む備讃瀬戸は瀬戸内海国立公園として、日本初の国立公園の指定を受けているため、どうもこの水族館の抜本的な改修が難しく、老朽化している様子です。

私は水族館自体には行っていませんが、その時、地元の方から聞いた話では、国立公園内にあるという制約もあって、いずれ閉鎖されるということだったのですが、調べてみると現在も営業中の様子。
さらに高松市も、リニューアルの方向を考えている様子です。

300メートルほどの山頂にあるという、全国でも珍しい水族館ですので、うまい形で存続、改修されると良いですね。
この項終わり
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