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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

枕慈童のつづき

まず舞台には大小前に一畳台が出され、緑の引廻しを掛けた大藁屋が持ち出されて台の上に乗せられます。
次第の囃子が奏されてワキ一行の出。菊慈童と同様に白大口に袷狩衣の臣下と、いわゆる赤大臣の従者二人が登場し、舞台中央で向き合って次第。次第の詞章は菊慈童(他流の枕慈童・・・以下同じ)と同じです。

続いてワキの名乗り。これは実に簡単で、自ら漢の皇帝の臣下と名ノリ、酈縣山から薬の水が流れ出ているので水上を見に行くと言って道行になります。菊慈童では、もともとあった前場が省略された関係か、道行、着きゼリフなどがなく、ワキの名乗りからいきなりシテの出となりますが、この辺りは形を整えたということでしょう。
ワキが着きゼリフを述べている間に引廻しが下ろされて、大藁屋の中で座した形のシテが姿を現します。

藁屋には菊籬が取り付けられており、シテの座した見所から見て右側、地謡側には朱の布をかけた枕が置かれています。

シテのサシは「山迤邐として霜侵せる紅樹。水縈廻として露潤す黄菊。あら面白の折からやな」で、あらためて作られたものの様子です。この間にワキが立ち上がり「不思議やな これなる庵の内を見れば」と声をかけます。菊慈童では、シテのサシの後に地謡の上歌が入るのと比べると展開が早くなっています。

さてそのシテ・ワキの問答ですが、ワキは「いと美しき童子あり」と言い、いかなる人ぞと問いかけます。これに対してシテは周の世に慈童という者であったと答え、逆にワキに何の為にこの深山に分け入ってきたのかと問い返します。
この辺りのやり取りは菊慈童と大きく異なるものではありませんが、とは言え、ワキは漢の皇帝の臣下と名乗り、周の世は八百年の昔なのに、今も童子の姿であるのは如何なることかと聞きます。
ここでちょっと不思議なのは穆王の名が出てこないことです。周の世と一口に言っても、春秋戦国時代とニアリーイコールの東周の時代は除くとして、その前の西周の時代でも三、四百年続いたと言われます。どこを起算して八百年と言っているのか、妙と言えば妙です。菊慈童に穆王とあるので、当然に穆王の時代を考えていたが、穆王の名を入れ忘れた・・・のか、あるいは何かの考えがあって外したのか、いささか気になるところではあります。
ですが昨日書いたとおり、穆王から起算しても、また春秋時代の始まりである紀元前771年から起算しても、七百年ではいずれも漢代で、魏の文帝まではまだ二、三百年の時間があります。七百年は単に「遠い昔」という程度の意味なのでしょうけれども、気になるといえば気になるところです。そこで、あえてここを八百年とし漢の時代の出来事にしたのではないかと想像されます。

慈童と臣下の問答はまだ続きますが、長くなりましたのでこのつづきはまた明日に
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