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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

芦刈 熊谷伸一(東京金剛会例会能)

金剛流 国立能楽堂 2018.09.29
 シテ 熊谷伸一
  ツレ 赤星恵美
  ワキ 大日方寛
  ワキツレ 則久英志 梅村昌功
  アイ 善竹富太郎
   大鼓 大倉正之助、小鼓 住駒匡彦
   笛 槻宅聡

この芦刈という曲、6年ほど前に観世流観世芳伸さんのシテで観ています。その際の鑑賞記でも触れたのですが、この曲をめぐって金剛右京さんの談話集「能楽藝話」にいくつか興味深い話があり、いつか金剛の芦刈を観たいと思っていました。京都では上演されている様子ですが、東京ではなかなか機会がなく、ようやく今回観ることができました。
金剛右京さんは坂戸金剛家最後の当主で二十三世宗家、子供がなく後嗣を立てずに亡くなったため、京都の野村金剛家が宗家を継承しています。「能楽藝話」はその右京さんの談話を三宅襄さんがまとめたものです。どんな話が出てくるのかは、舞台の進行に合わせて書いていこうと思います。なお、そういう事情ですので、観世芳伸さんの際の鑑賞記と重なるところも多いのですが、重複を恐れず書いてみますのであしからず。

さて舞台は地謡・囃子方一同が着座すると次第が奏され、ツレ、ワキ、ワキツレの一行が登場してきます。ツレは紅入唐織着流し、ワキは段熨斗目に茶の素袍上下、ワキツレは無地熨斗目に、紺地に緑で雲文様の素袍上下の装束です。
一行は舞台正面に進み向き合って次第の謡。一緒に出たアイは狂言座に着座します。

この曲、上掛と下掛で謡本の異同が少なからずあって、観世芳伸さんの際の鑑賞記にも書いた通り、次第の後のワキの詞が違います。金剛流や喜多流の明治期の謡本でのワキの詞の大意は以下の通りです。
私は都のさるお方に仕える者だが、こちらにいらっしゃる方が嵯峨の法輪寺に籠られた時に、たまたま自分たちの主人もお籠もりされ、主人はご縁を感じたのか若子の乳母に付けられ、若子は健やかに生育されている。この方に、どちらの国の何と云う方かと尋ねたところ、自分は摂津国難波の日下の里に住む者だが、夫がさる子細あって流浪の身になってしまったと涙を流された。主人はいたわしく思われて、急ぎ夫の行方を尋ねてくるよう仰せになり、我等がお供をして淀から川船に乗って、津の国、難波の内、日下の里へと急いでいる。
とあります。観世や宝生の本では、この方は若子の乳母の人でお里は津の国日下の里だが、今一度下りたいと仰るので我等が供をし、淀から川船に乗って・・・と、簡単に述べられるだけなので、事の経緯が今ひとつよく分かりません。
どういう子細か、下掛宝生流もここの詞章は金剛や喜多の本とは異なり、上掛の簡単な形になっていて、当日も大日方さんのワキは、下掛宝生流の謡本通り簡単な形でした。

ワキの詞に続いて道行。日下の里が現在はどの辺りになるのか、色々と資料をあたってみたのですがよく分かりません。道行では淀川を水野、水無瀬、渡辺、大江と下って難波の浦、日下の里に着いたとあるので、淀川河口近くのあたりと思われますが、海岸の位置が昔とは随分異なっている様子です。
ともかくも、一行は日下の里に着き、この辺りに住む人を呼び出しますが、このつづきはまた明日に
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芦刈のつづき

ワキの着きゼリフ、ワキツレが「尤もにて候」と答え、ワキはツレに向かって「こうこう御座候へ」と声をかけて、ツレ、ワキツレがワキ座に着座します。ワキは常座から狂言座に声をかけ、日下の里の人を呼び出します。
ワキは都から来た者だが日下の左衛門という人はあるかと問います。アイが答えて言うには、以前は此處に居たのだが貧窮して今はこちらには居ないとのこと。ワキは女性を伴っているので報告してくるから暫くそこに待つようにと言って正中に出、ツレに向き合います。

ワキの報告を聞いてツレは、あまりに浅ましいと謡ってシオリますが、ワキに向き直ると暫くこの地に逗留して行方を尋ねようと思う旨を告げます。
これを受けてワキは立ち上がり、アイと向き合うと、しばらく逗留することにしたのだが、この地に何か面白いことはないかと問います。アイはこの浦の市に様々の物売りが出ている中に、難波の芦を売る男が色々と戯言を言って面白いのでご覧になってはどうかと答えます。ワキはそれではその者を見てみようと言い、アイが招じてワキは笛座前に座します。
アイは後見座から幕に向かって芦売り男に呼掛けて狂言座に着座し、一声の囃子になります。

シテの出、白大口、段熨斗目に水衣肩上げ、男笠を被り、芦を担って登場してきます。一ノ松で謡出し。難波江の朝ぼらけを心も浮かぶ面白さと謡い「難波なる 見つとはいはじかかる身に」と謡いつつシカケ開キ。続く地謡を聞きつつ舞台に入ってシカケヒラキ、カケリとなります。
カケリでは角に出て左に回り、大小前に回って回リ返シ。二つ拍子踏んで正中へ出、さらに二つ足拍子踏んでヒラキ、角から常座へと回って正面向いてシカケてヒラキます。
このカケリの内に引廻しを掛けた作り物が出されて幕前に置かれ、引廻しが下ろされます。シテは「立ち舞う市の中々に」と謡って角から幕の方を見やり、地謡で常座へ。回リ返シてヒラキ、芦を置いて笠を外します。
さてこのつづきはまた明日に
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芦刈さらにつづき

昨日書いたとおりに、幕前には藁屋の作り物が出されますが、これについて金剛右京さんの藝話には次のような話があります。
「芦刈には昔はどの流儀でも作物を出したものです。宝生と金春は今でも、舞台目付柱か橋掛りかに藁屋の作り物を出すと思います」
右京さんの時代にも、既に観世流では作り物を出さなかった様子で、観世芳伸さんのシテで拝見したときも作り物はありませんでした。しかしこの橋掛りに、しかも幕前に出された作り物が、その後の展開の中で大きな意味を持ちます。今回、初めてこの形で観て、舞台の感じが随分と違ってくることに気付きました。
そのあたりはまた後ほど。

ともかくも、カケリの後、常座に座して芦を置き、笠を外したシテは、立ち上がると、この浜の市に芦を売って世を渡る者と名乗ります。
実はこれが、右京さんの藝話に出てくる二つ目の話。
「観世・宝生では前シテの出で、立ち舞ふ事のなかなかにの後にサシ、下歌、上歌、初同がありましょう。ところが流儀では、かくれ処はあるものを、の次がすぐ名宣で、ワキとの問答と続き、クセの後にロンギが入ります。それから舞になります。これなどは、昔各流が話し合いの結果、下懸と上懸とわざと区別をつけて違えたのです」
というわけで、観世流とは展開が大きく異なります。
明治5年の生まれで、16歳で宗家となった右京さんが昔というくらいですから、江戸時代のことでしょうけれども、流儀で話し合ってわざと区別を付けたというのも、興味深いところです。

さて、シテの名乗りに対して、ワキが芦を買おうと声をかけ、シテは「芦召され候へ」とワキに芦を差し出します。
ワキが一もと買い取って都人に見せようと良い、シテは都人が難波の芦を御賞玩されるのは優しいことと言いますが、続けて、自分が落ちぶれて身は枯芦となっていても「よしとて召され候へ」と謡います。
この芦と「よし」から、ワキが「よしと芦とは別の草か」と問い、シテは同じものと答え、譬えば薄も穂に出れば尾花というようなものだと言います。
問答はまだまだ続きますが、このつづきはまた明日に
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芦刈またつづき

続く問答ですが、この辺りの詞章の大意は各流共通のところで、「よし」と「あし」、「薄」と「尾花」から、物の名も所によって変わるという話になり、芦を伊勢の人は浜荻と呼ぶというシテの詞から、ワキ、シテが一句ずつ謡って地謡に。地謡に乗せての舞は詞章に沿っての型が多く、観世流とも割合似た形と思います。
二つ拍子を踏んで「芦数に おあし添へて召されよ」とワキを向いて芦を両手に持って勧める形から、左手に芦、右手に扇を持って三、四足出て腰を下ろし芦を苅る形。立ち上がって「昼の中に召されよや」と左手に持った芦をワキに差し出し、最後は後ろを向いて後見に芦を渡して正面に向き直ります。

ここで、よしとあし、薄と尾花から、物の名も所によって変わるという展開になりますが、この後の部分は菟玖波集にある「草の名も 所によってかはるなり 難波の蘆は 伊勢の浜荻」を引いているようです。菟玖波集は南北朝の時代に作られた連歌集ですが、もちろんそれ以前から難波では蘆と呼ぶ草を伊勢では浜荻と呼んでいたのでしょうし、「難波の鯔(ぼら)は伊勢の名吉(みょうぎち)」などという言葉もある様子ですので、難波と伊勢の言葉の違いは良く引き合いに出されたのかも知れません。

さて謡の後はワキとシテの問答になります。
流儀によって言葉は少なからず異なりますが、大意としてはワキが「御津の浜」の謂われを問い、シテは昔仁徳天皇が難波に宮を造営し住まわれたので御津の浜といういのだと答えるやり取りです。
そしてこの御津の浜のやり取りの終わりに、シテはワキ正を向いて「やぁ」と声を出し、笠ノ段「あれ御覧ぜよ御津の浜に 網子調ふる網船の えいやえいやと寄せ来たるぞや」へと展開していくわけです。

笠ノ段は謡として聞いても調子の良い面白いところですが、舞もまたなかなかに面白いものです。というわけで、このつづきはまた明日に
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芦刈またまたつづき

笠ノ段、シテは謡って二足ほどツメ、地謡で正を向くと角に出て角トリ。左へ回って地ノ頭から大小前へと回り、シカケヒラキますが「古歌をも引く網の」でワキの袖取って引く形。正先に出てからタラタラと下がり「あれ御覧ぜよや人々」と常座でワキを見て向き合う形になります。

「面白や心あらん」と謡いつつヒラキ、地謡で大小前へと進みしかけヒラキ、六つ拍子踏んでヒラくと「おぼろ船こがれ来る」と幕方を見ます。
さらに大小前に下がって小左右、扇広げて「雨に着る」と謡いつつ上羽から大左右。正先へ打込むと「露も真菅の笠はなどか無からん」で後見座に行き笠を受け取ります。ここからは笠を持っての舞。観世流では笠に持ち替えることはなくそのまま扇で舞いますが、後記のように笠を持つのが古い形のようです。

地謡と掛け合いで謡いつつ、正中へと出て「鵲も有明の」で打上ヒラキ(観世流でいう雲扇)の形。「月の笠に袖さすは」と左右を見つつ正先へ出、さらに角から大きく回って大小前へ。「それは少女」と回リ反シ(観世の小回リ)、「これはまた」と謡いつつ笠を両手で差し上げます。「難波女の」の地謡に数拍子踏んで角へと行き「袖笠ひぢ笠の」で回リ反シして腰を下ろし、「雨の芦辺の」で立ち上がると地ノ頭から常座へと大きく回り「あなたへざらり」と正中へ。「こなたへざらり」と常座へ。「ざらりざらり」と回った後に「風のあげたる古簾」の詞章に笠を投げます。
とがった方を下にして投げた笠はくるくると回りつつ角に落ち、そのまま回り続けて舞台から白州へと落ちて行きました。シテは「つれづれもなき心面白や」の謡に大小前に下がって舞い納めます。

この笠を投げる型ですが、もともとは投げる方が一般的だったようで、「投げないこともある」と書かれた本を読んだことがあります。しかし先に記したように観世流では笠を持ちませんから、投げる型はありません。他流はどうなのか観てみたいものですが、これはいずれ機会をみて。
この点について右京さんの「能楽藝話」に「私が六つか七つの頃です。父が舞台で芦刈の稽古をしていました。風のあげたる古すだれと笠を投げる型がありますね。あれは古簾が風にまき上がるのをうつす心です。普通は笠を捨てるだけですが、父はそれを高く上げてクルクルと廻して、消えて無くなる心で稽古していました。上からクルクルと廻って落ちてきて、スーツと消えてなくなる風に見えました。ですからシテ自身が、つれづれもなきと舞台を廻る間、笠は宙で廻っていました。今でもその鮮やかさは目に残っていますが、私には真似出来ません」という話があります。
ともかくもシテが笠ノ段を舞い終えたところで、このつづきはまた明日に

芦刈なおつづき

笠ノ段を舞い納めると、ツレがワキに声をかけます。
芦売りに芦を一本持ってくるように言って欲しいと頼み、ワキは心得申し候と答えて立ち上がり、シテに向かうと、輿の内より芦を求めておられると告げます。ここでツレが輿に乗っていると分かります。
シテは心得申して候と答えて後見座から芦を持って出、ワキに差し出します。ワキが輿の内に直に持って行くようにと言いますが、シテはあまりに異体なので憚られると遠慮します。ワキは重ねて異体は苦しからずと言い、シテは棒に挟んだ芦を外し「芦を持ちて参りて候」とツレの前に芦を置きますが、逃げるように橋掛りへ進み幕前の藁屋に入ってしまいます。ツレはその様にシオル形。

ワキは芦売りの男が逃げ去りツレが落涙していることに不信を示しますが、ツレが答えて芦売りは自分の夫であると明かします。ワキは目出度いことと喜び、追いかけてこようと言いますが、ツレは皆が行ったのでは恥てしまわれるだろうから、自分がひそかに行って尋ねようと言って立ち上がり、橋掛りへと進みます。

一ノ松あたりから、藁屋に向かって謡いかける形でツレの謡。
ツレはこれまで訪ね来た思いを謡い、出てくるようにとシテに促しますが、シテは人目が気になると思い沈む様を謡って返します。
さらにツレが謡いかけると、シテは藁屋の内でツレに方に向いて思いを述べ、ツレの詞を受けて「げにや難波津浅香山の 道は夫婦の媒なれば」と謡うと地謡。
シテは藁屋の中で立ち上がると「小屋の戸を 押しあけて出ながら」の謡に戸を押し開けて藁屋を出ます。正に向くと「三年の過ぎしは夢なれや」でツレが向きを変え、先に立ってシテが続き、二人は舞台に立ち戻ります。
ツレがワキ座、シテは正中に立って向き合い「木陰に円居して難波の昔かたらん」の謡に二人は向き合ったまま腰を下ろします。

観世流では藁屋を出しませんので、芦をツレに差し出したシテは幕前まで逃げるものの、その場で下居し小屋に隠れた形となります。
能なので、作り物がなくても想像力で補えば良い、とも言えるのですが、実際に藁屋の作り物が幕前に出されていると、空間が広がるような感じがします。当日の座席が正面地謡側で、幕を遠くにのぞむような場所だったせいもあるのかも知れませんが、作り物がない場合とは何か異なった舞台の印象で、劇的な要素が高まったような感じを受けました。
能の抽象化の方向とは逆なのかも知れませんが、これはこれで面白い印象です。

ともかくも二人が再会したところで、このつづきはまた明日に
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芦刈なおなおつづき

二人が再会を果たすとワキが、都から烏帽子直垂を持ってきたので着用するようにと勧めて物着となります。
シテは正に直して立ち上がり後見座で物着。ここはアシライはありませんで、アイが立ち上がって常座に立ち、最前尋ねていた人は只今の人の様子だがこの由を申そうと言って大小前に着座し、ワキに探していた人と早速合うことが出来た様子、めでとう候と声をかけます。
ワキとアイの問答となりますが、ここは名所なので歌を詠んではどうかとのワキの問いに、アイは名所に住むにつけ古歌の一つも知らなくてはと思い習い覚えたとして「物の名も 所によりて 変わりけり 難波の鰺は 伊勢の蛤」と歌を披露します。ワキは「難波の芦は伊勢の浜荻」と聞いていると誤りを正し、左衛門殿が烏帽子直垂を着したならば、これへお出になるようにと言ってくれるよう、アイに告げます。
これを受けて、アイは大小前からシテに声をかけて狂言座に下がり、地謡が謡い出します。

シテは立ち上がって常座から大小前へと出て下居。シテ、地謡と交互に謡ってクセに。
クセは舞グセで一句聞いて「今は春べと咲くや この花」で立ち上がり足拍子一つ。左、右と出て謡を聞き、「浅香山の言の葉は」でワキ正を向いて二足ほど出ると、正に向き直ってシカケヒラキ。ゆっくりと角へ出て角トリすると左へ回って地ノ頭から大小前に進み、シカケヒラキ、打ち込んでヒラキ。「然れば目に見えぬ鬼神をもやはらげ」の謡に大小前からワキ正に出て、さらに打込ミヒラキ、扇広げて「津の国の 難波の春や夢なれや」と謡いつつ上羽ヒラキ。大左右から打ち込んでヒラキと曲舞の形をなぞって、クセの終わりは左右打込んで下居します。

この後ロンギとなります。ここは上掛の本には無い部分ですので一応詞章を記しておきます。明治期の古い金剛の本から起こしていますので、読み違いがあるかも知れません。当日の謡も少しだけ違っていたように感じましたが・・・
ロンギ 地「実にや妹背の仲立ちの。芦の葉草の末かけて頼むや契なるらん。
シテ「思はずも尋ねあふせぞ難波江の。藻に埋もるゝ玉柏あらはれぬべき住居かな。
地「住家もよしや逢ふまでと。心を砕く紫の。
シテ「霞の盃
地「とりどりに
シテ「さす盃や梅枝の匂ひも深き。袂かな。
となります。これに続いてワキがシテに一さし舞うようにと求め、地謡が「匂ひも深き袂かな」と繰り返してシテは答拝し男舞。男舞を三段に舞上げてキリとなり、拍子踏んでヒラキ、大左右から正先に打込んでヒラキ「月も残り」と抱え扇して常座へと回り、六つ拍子踏んでヒラキ、角から左へ回り正先から常座。正へヒラキ幕方向いて留拍子を踏み、終曲となりました。

熊谷さんの能は、十年以上前に花月を観て以来ですが、直面は初めて。味わいある謡で好感を持ちました。
前々から観たいと思っていた金剛の芦刈ですが、良い機会だったと思っています。
(83分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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空腕 善竹十郎(東京金剛会例会能)

大藏流 国立能楽堂 2018.09.29
 シテ 善竹十郎
  アド 野島伸仁

この空腕、4年ほど前に山本則孝さんのシテで鑑賞記(鑑賞記初日月リンク)を書いています。
その際にも書きましたが、この曲は大蔵流、和泉流いずれにもあり、基本的な構成は同じなのですが、家々によって細かい点で違っている様子です。

今回は山本家と同じ大蔵流ですが、やはりいくつかの違いがありました。大筋が変わる訳ではありませんので、全体の流れを細かく記すつもりはありませんが、山本家と異なる点を中心に、気付いたことなどを記しておこうと思います。

まずは主人が太郎冠者を呼び出し、明日の振舞のために淀に行って鯉を買ってくるようにと命じます。このあたりは特に変わりませんで、杭を人と間違えて怯えたりする騒ぎも同じです。
しかし山本家ではその後、目が見えるから怖いので目を閉じて歩けば大丈夫などと言って、目を閉じて歩き出すものの石に躓いてしまうという下りがありますが、今回の舞台ではそうした展開はありません。杭を大男と見誤った次は、松並木を人が大勢立ち並んでいるところと勘違いしてしまいます。

山本家では、この大勢の人と見誤ったところで、太郎冠者が太刀を先に差し出した形で、命を助けて欲しい、太刀を差し上げますので、これを納めて命ばかりは助けて欲しいと命乞いをする展開になりますが、今回の舞台では、ここでは太郎冠者が松の並木かと気付き、さらに先に進む形でした。
さてこのつづきはまた明日に

空腕のつづき

太郎冠者が先に進んでいると、主人が立ち上がり「帰りが遅い」ので太郎冠者の様子を見に行きます。
主人と太郎冠者がそれぞれに舞台を廻っているうちに、太郎冠者はまたまた待ち伏せに出くわしたと勘違いし、命乞いの末に太刀を差し出します。
主人は何もないところで、太郎冠者が独り言を言って太刀を差し出そうとしているので、太郎冠者を扇で打ち据え太刀を奪って屋敷に戻ってしまいます。このやり取りは山本家とも同様です。

起き出した太郎冠者が、自分は死んだものと思い込んでしまっているのも同様です。
月が出て明るくなってくると、見覚えのある淀の城が見え、そうこうするうちに自分はまだ生きていると気付き、喜んで屋敷に戻ります。

屋敷に戻った太郎冠者は、太刀を奪われてしまったことをごまかそうと、主人に偽の武勇伝を語ります。これも基本は山本家と変わらないのですが、とはいえ今回の舞台では、まず杭を大男と間違え、次に並木を大勢と勘違いし、さらに別の者に出会って太刀を奪われたという形です。このため太郎冠者の武勇伝も大男をやっつけ、槍を持って出た多数もやっつけと続き、その後、人数に囲まれて太刀で戦ったのだが、刀が折れてしまったという展開になっています。
山本家の際には上鳥羽と下鳥羽の間で七、八十人が申し合わせて待ち構えていたという話になっていますが、そういうやり取りはありませんでした。

ともかくも太郎冠者が武勇伝の末に太刀が折れてしまったので捨ててきたという話を聞いていた主人が、太刀のことは心配しなくても良い、太郎冠者が出かけた後に新しい太刀を求めて置いたと、太刀を持ってきます。
ここからは山本家と同じですが、太刀に見覚えがないかと言われた太郎冠者は、見覚えないと白を切り、主人が太郎冠者を打ち据えて太刀を取り戻してきたと明かします。しかし太郎冠者は太刀が折れたのは本当で、太刀が名作物なので、自分より先に癒え合って戻ってきたのだろうなどと言い訳をし、主人が太郎冠者を追い込んでの留。

基本は同じながらも家々によって微妙な違いがあり、それもまた狂言の面白さかと思いました。
概して大蔵流の大蔵家、善竹家は、上演時間が短い場合が多いような気がします。山本則孝さんの時と比べると10分以上短い上演でした。
(30分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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鉄輪 工藤寛(東京金剛会例会能)

金剛流 国立能楽堂 2018.09.29
 シテ 工藤寛
  ワキ 則久英志
  ワキツレ 高井松男
  アイ 善竹大二郎
   大鼓 大倉正之助、小鼓 幸信吾
   太鼓 桜井均、笛 小野寺竜一

鉄輪と書いて「かなわ」。火鉢やいろり、どちらも最近は見かけなくなりましたが、これに鍋やヤカンをかける際に置く鉄製の台のことで、輪に三本の足がついています。私の家のあたりでは五徳と言っていましたが、同じものです。

さてこの鉄輪、十年以上前に二度ほど鑑賞記を書いていますが、それ以前にも何度か観ていますので、自身にとっては馴染みある曲です。(観世流山本順之さんの鉄輪月リンク)(喜多流笠井陸さんの鉄輪月リンク

まずは狂言口開。大二郎さんが括り袴に水衣、立烏帽子で登場し、貴船の宮に仕える者と名乗って、霊夢を得たので女がやって来たら伝えようと言って下がります。
次第で前シテの出、箔に唐織腰巻、女笠を被っての登場です。一ノ松で一度正面を向き、斜め後ろに向き直して次第を謡います。
正に向き直ってサシから下歌、上歌と続け「消えんほどとや草深き市原野辺の露分けて」でワキの方を向いて一、二足出て左の手を笠に添え「月遅き夜の鞍馬川」と月を見上げてから川を見る心で下を見、手を下ろして歩み出します。

シテ柱から常座へと進み、さらに大小前へと移って床几に腰を下ろします。アイが立ち上がり角に出てシテに声をかけ、霊夢の内容を告げます。アイが急いで戻ろうと言って退場する姿を床几のまま見送ったシテは、正に直して謡い出し地謡に。「云うより早く色かはり」の一句を地謡が謡うと、シテは扇を落とし笠の紐を外します。
「美女の形と見えつる」で立ち上がり笠を前に。「緑の髪は空ざまに」と左の手を上げて髪が逆立つ様を示し、角へ出ると笠を胸に当て「思ふ中をば避けられし」辺りでワキ座から常座へと向かい「恨みの鬼となって」と回リ反シて笠を投げ捨てます。「人に思ひ知らせん」と幕方を見込んで「憂き人に思ひ知らせん」の謡に走り込んで中入となりました。芦刈で笠を投げる型の話を書きましたが、鉄輪の女も笠に様々な意味を持たせているようです。

無地熨斗目に素袍上下のワキツレが登場し常座で名乗り、安倍晴明に占ってもらおうと言って一ノ松から幕に呼び掛けます。
ワキ清明が白大口に白の単衣狩衣の装束で幕前に出て応対しますが、このつづきはまた明日に
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鉄輪のつづき

夢見が悪いというワキツレに、女の恨みのため今夜のうちにも命を落とすかも知れないとワキ清明が答えます。ワキツレはなにとぞ祈念して欲しいと頼み、ワキはこれを受けて舞台へと向かいます。ワキツレが幕に入るとワキはいったん後見座でクツロギ、一畳台が運ばれてきます。

一畳台が正先に出され、さらに棚が出されて一畳台の先、階側に置かれます。この棚、流儀や家々によって様々な様子で、謡には三重の高棚とあるのですが、金剛流は二段棚の様子。上の段には四隅に幣が立てられているのですが、見所から見て右前と左後ろは表裏が紅白のもの、左前と右後ろは黄青になっています。

ワキは「謹上再拝」と幣振って謡い、幣を右の膝に立てると「夫れ天開け地固りしよりこのかた」と祈りの言葉を謡います。
地謡となり「神鳴り稲妻頻りにみちみち」の謡に、ワキは腰を浮かせてワキ正側を見込んで幣を構えます。「身の毛よだちておそろしや」で正に直し幣を右膝に立てると出端に。ヒシギを聞いてワキは笛座前へと移ります。

後ジテは金地に朱の鱗文様の摺箔に縫箔を腰巻、頭に鉄輪をいただき、右の手には打ち杖を持って出、一ノ松で正向いてヒラキ謡い出します。
「恋の身の浮かぶことなき加茂川に」と謡いつつ面を伏せて地謡に。「沈みしは水の青き鬼」の謡に右の手を上げヒラキ、シテ、地謡と交互に謡いつつ、謡に合わせた所作、舞が続きます。
いつぞやも書きましたが、こうした曲では後場でワキが調伏の祈りをし、シテと舞働などで闘う形になる場合が多いのですが、この鉄輪ではワキはシテの登場に先だって笛座前に下がったままでシテと交わりません。ひたすらシテの一人芝居が続き、ワキはそれを観るだけの形です。これがまた本曲の特徴的なところと思います。

さて棚の人形を見込み恨みを募らせるシテは、シカケヒラキ、六つ拍子を踏んだりなどの末に「いでいで命を取らん」と人形を見込んで棚により、台上で打杖を上げて、棚に置かれた髪を手に巻き打つ形。さらに「ことさら恨めしき」とシオリ、男の命を取ろうと台を降り、大小前から改めて台に寄りますが、清明の下ろした三十番神に妨げられて寄ることが出来ず「力もたよたよと 足弱車の」と回りつつ下がり、打杖を扇に換えてサシ角へ。さらに大小前から橋掛りへと進み「目に見えぬ鬼とぞなりにける」の謡に、二ノ松で拍子踏んで下居、改めて立って留拍子を踏み終曲となりました。

なお上掛の本では、最後「姿は目に見えぬ鬼とぞなりにける 目に見える鬼となりにけり」と章句を繰り返す形ですが、下掛は「姿は目に見えぬ鬼とぞなりにける」で留となるようです。
(59分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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大晦日にひと言

このブログを始めて以来12年以上の時が経ちました。
ここ数年は仕事の忙しさもあって、ブログの更新も滞りがち。昨年は毎年大晦日に書いてきた「ひと言」も飛ばしてしまいました。しかし今年は、年の半ばに仕事も変わり少しずつ落ち着きを取り戻してきています。

振り返ってみれば、これまでに翁を含め能が407番、狂言は193番の鑑賞記を書きました。能の曲数でいうと220曲あまりとなり、自分でもよく観てきたもの、と感慨を覚えるところです。
とは言え、現在各流が現行曲として数え上げている曲の総計は重複を除き270曲あまりになりますので、まだまだ観ていない、鑑賞記を書いていない曲が50曲以上あります。これからの人生、このうちどれだけの曲を観ることができるのか分かりませんが、来年からもまた少しずつ、観る機会を増やし鑑賞記として残していければと思っています。

本日は昨日までに書いた鑑賞記の索引も追加しました。
今年観た能狂言で鑑賞記を書いていないものが能四番、狂言三番ありますが、これは新年の宿題ということで今年を終えようと思います。

来年は平成最後の、そして新しい元号の最初の年となります。
この記念すべき年を、皆さま健やかに迎えられますよう、心よりお祈りいたします。
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このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです

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