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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

石神 茂山忠三郎(国立能楽堂企画公演)

大蔵流 国立能楽堂 2018.11.30
 シテ 茂山忠三郎
  アド 大蔵彌太郎 大藏彌右衛門
   小鼓 久田舜一郎、笛 赤井啓三

あけましておめでとうございます。
さて年はあらたまりましたが、昨年鑑賞した会のうち、まだ鑑賞記を書いていないものがいくつかありまして前々から気になっていたため、とりあえず書いておこうと思い立ちました。新年早々ではありますが、まずは11月末の国立の企画公演からです。

国立能楽堂では、開場35周年記念と銘打って様々な番組が組まれていますが、本番組もその一環という位置付けの様子です。

今回は「蝋燭の灯りによる」と題して、照明を消し、舞台の周囲に立てられた蝋燭の灯りで鑑賞するという企画。写真は開演前ですので照明が点いていますが、この後、開演とともに照明が落とされ蝋燭の灯りに舞台が浮かび上がりました。
蝋燭の灯りによる

今回の番組のように、神や仏が登場する曲ではたいへん効果的・・・とは思うのですが、この蝋燭能の企画、以前にも観たことがありますが、やはり舞台の様子が良く見えません。それが効果の一端というのは分かりますし、雰囲気を楽しむ意味でも面白いのですが、細かいところは良く見えないし、なんと言っても私のようにメモを取ろうとする者にとっては、為す術がない。

まあ黙って舞台に集中せよということかと、いつもより一生懸命舞台を観ましたが、そういうわけで記録としては、まさに記憶の世界です。本曲、そして調伏曽我と、ともかくも記憶をもとに鑑賞記を書いてみますが、見間違い、記憶違いなど多々ありそうです。私自身の備忘録ということで、いずれもご容赦のほど。

さてこの狂言石神(いしがみ)ですが、後段、大蔵彌太郎さんが勤めたアド妻が神楽を舞います。これが本曲の見どころとなっていますが、小鼓、笛が入りかなり長い本格的な舞になっています。
ともかくも舞台の様子は、明日から、国立能楽堂で買ってきたパンフレットを頼りに、思い出せる限りを書いてみようと思います。
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石神のつづき

さて舞台にはまずシテ男の忠三郎さんが登場し名乗り。一緒に出たアド仲人の彌右衛門さんは後ろに控えます。
男は、自分の妻はわわしいが良くできた女で、それを頼りに自分は遊び歩いている。妻は以前より暇が欲しいと言っているが、妻がいないと生活が成り立たないのでそのままにしていたところ、家を出て行ってしまった。夫婦ともども世話になっている人が居るので、さだめて挨拶に伺うだろうから妻を引き止めてもらおう、といったことを言い舞台を廻り仲人の家に急ぎます。

家に着いた、と仲人を呼び出し事の子細を語ると、アド仲人は妻の言い分はもっともだが、改心するなら引き止めてやろうと言い、シテに隠れているようにと言います。これを受けてシテは後ろ向きに着座して隠れた形。仲人もこちらは前向きに着座すると、アド妻の彌太郎さんが出て常座での名乗りとなります。
夫がどうしようもない男なので里に帰ることにしたが、仲人に挨拶をして行こうという次第で舞台を廻り、仲人を呼び出します。

妻が里へ帰ると言うと、仲人は事の良否を出雲路の夜叉神に参詣して問うてからにしてはどうかと言い、妻は夜叉神に向かうことにします。
妻は出雲路に向かう形で狂言座に下がり、仲人はシテに夜叉神に行って石神の真似をし妻を引き止めるようにと言います。男は石神の格好をするための装束を借り、仲人に礼を言うと仲人は退場。シテは夜叉神に向かうと言って舞台を廻ります。

出雲路の夜叉神に向かう形で舞台を一廻りし、ワキ座あたりに置かれた鬘桶を夜叉神に見立てると、本物の石神を退かそうと言って、重いものを動かす様子で鬘桶から石神を動かした形。代わりに自分が鬘桶に腰を下ろすと、面を横向きにつけて石神になりすまし、妻がやってくるのを待ちます。
さてこのつづきはまた明日に
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石神さらにつづき

シテの用意が調うと、妻が立ち出でて舞台に入り、夜叉神にやって来たと言って、まずは拝を致そうと正中に座して扇を広げ合掌します。
夫がどうしようもない男なので里へ帰ろうと思うが、里へ帰るべきなら上がる、今の男と添い続けるべきなら上がらないと決め、小歌節で祈りつつシテに寄って「上がらせられい」と持ち上げようとします。しかしシテが力を入れてこらえているため、どうしても持ち上がりません。

妻は、あの男と添い続けなければならないのかと泣きますが、どうにも我慢できぬ様子で、もう一度占ってみることにします。二度占ってはならないのだが、などと言いながら、今度は里に帰るべきなら上がらない、添い続けるべきなら上がると決めてシテに寄り、持ち上げようとするとシテが自ら立ち上がり簡単に上がってしまいます。

二度までも添い続けるべきという占いになってしまい、妻はあきらめて家に戻ることにします。それにつけ神にご苦労をかけてしまったので、自分は巫女の子孫でもあり神楽を舞って帰ろうと言い、鈴を持って神楽を舞います。
この舞、三番三の鈴ノ段をアレンジしたものだそうですが、10分ほどの狂言の舞としてはなかなかに長いものです。

小鼓と笛が入り、妻は鈴を振りながら舞いますが、その様子にシテの男がどうにも気になる様子。徐々に妻の動きを目で追いかけ、終には立ち上がって様子を見るようになります。徐々に男の動きが大胆になり、とうとう妻に見つかってしまいます。
妻は石神と思って祈っていたのが夫の化けた姿と気付き、怒って夫を追い込み留となりました。

上演時間40分を超える、狂言としては大曲の部類ですが、なかなかに見どころの多い面白い曲でした。
ところで出雲路の夜叉神ですが、京都市上京区幸神町にある幸神社(さいのかみのやしろ)がこの夜叉神と比定されているそうです。出雲路道祖神とも呼ばれたそうですが、主祭神として猿田彦大神と天鈿女命を祀り、ご神体は「御石さん(おせきさん)」といわれる神石だそうです。また境内には大小の石が重ねて置かれた石の神もあるそうで、本曲の石神はそれではないかと言われているようです。
石を軽く持ち上げられるかどうかで吉凶を占うというのは、各所にみられる信仰の一つですので、さもありなんとも思いますが、さてシテの男が石神の姿を真似て座っていたというのをどう解釈したらよいのか、こちらはいささか腑に落ちない感じがします。
境内の石ではなく、ご神体がもしかしたら人の形をした石神だったのかもしれません。

舞台は彌太郎さんの妻、占いをしつつも心揺れる様子、神楽も見事で、最後に石神が夫と気づき追い込む変化も大いに楽しませていただきました。
また良暢さんが忠三郎を襲名されて以来、舞台でお見かけするのは初めてですが、剽げた味わいがなんとも言えない、憎めない夫を表現していた感じです。
(41分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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調伏曽我 大坪喜美雄(国立能楽堂企画公演)

宝生流 国立能楽堂 2018.11.30
 シテ 大坪喜美雄
  ツレ 島村明宏、子方 水上嘉
  立衆 広島克栄 東川尚史 佐野弘宜 佐野玄宜 高橋憲正
  ワキ 福王茂十郎
  ワキツレ 福王和幸 福王知登 喜多雅人 矢野昌平 村瀬慧
  アイ 大藏吉次郎
   大鼓 飯島六之佐、小鼓 久田舜一郎
   太鼓 小寺佐七、笛 赤井啓三

これまで曽我物では、夜討曽我、小袖曽我、禅師曽我と鑑賞記を書いてきました。
高橋亘さんの夜討曽我月リンク
佐野玄宜さんの小袖曽我月リンク
和久荘太郎さんの禅師曽我月リンク
高橋憲正さんの夜討曽我月リンク

現在演じられる曽我物は、この三曲に今回の調伏曽我を加えて四曲ですが、廃曲となってしまった曲もあり、能楽の中でも曽我物が一つのジャンルをなしていたことが分かります。
以前にも書きましたが、赤穂浪士の討ち入りをもとにした忠臣蔵が上演されるまで、敵討ちと言えば曽我物語というのが常識だったようです。このため曽我物語の話は、ある意味誰でも知っている話で、数多くの能が作られたということなのでしょう。歌舞伎の演目にも曽我物語から作られたものが多々みられます。

ところで現在演じられる曽我物は四曲と書きましたが、五流全てが現行曲としているのは夜討曽我と小袖曽我の二曲だけで、禅師曽我は観世、宝生、喜多の三流、調伏曽我は宝生、金剛、喜多の三流のみが現行曲としています。四曲の中でも調伏曽我は、最も能楽師の多い観世流が現行曲としておらず、しかも上記配役の通り登場する役者が大変多いためか、演じられることの少ない一曲です。
このため私も初見です。そういう意味でも、本当はよくメモを取って記録に残したかったのですが、先日も書いた通り「蝋燭の灯りで」という企画のため、細かいところは良く見えないし、上演中はメモも取れませんでした。いささか残念ではあるのですが、一方で、蝋燭の灯りで観る舞台というのも演出としては大変面白いものでした。当然ながら江戸時代以前は電気などなかったわけで、異界から何かがやってくるという能の構成は、薄暗い舞台の方が適しているのかもしれません。

話は戻って、曽我物語自体は誰でも知っている話・・・だったためか、能の曽我物は物語を知っているのが前提になっています。父が殺されたときは元服前の子供だった曽我兄弟が、成長し敵討ちを果たすまでの長い物語から、ここぞというエピソードを取り出して能化しているので、一曲を観ただけでは敵討ち全体の話は分かりません。以前、佐野玄宜さんの小袖曽我の鑑賞記を書いた際に、曽我物語のあらましを簡単に書いておきましたので、あわせてご参照頂ければと思います。なお物語の流れからいうと、この四曲は調伏曽我、小袖曽我、夜討曽我、禅師曽我の順になります。

前置きがたいへん長くなってしまいましたので、舞台の様子は明日から書いてみようと思います
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調伏曽我のつづき

舞台には次第の囃子でツレ頼朝を先頭に一行が登場してきます。
頼朝を見所から見て右手前に、立衆五人が左右に分かれ、最後にシテが左側奥に並んで向かい合い、次第を謡います。右側、先頭が頼朝で立衆が二人の都合三人、左側は立衆三人にシテの都合四人です。頼朝だけ長絹だったと思うのですが記憶がちょっと怪しいです。立衆は掛け直垂に白大口、シテも同装ですが直垂がシテらしく上質な感じだったように思います。

向かい合っての謡の後、ツレ頼朝の名乗り。続いて一同とツレの掛け合いで謡が進み道行に。鎌倉山を朝に発ち、西に向かって足柄山を過ぎ、箱根山に着いたと謡ってシテの台詞「やがて御社参あらうずるにて候」で頼朝がワキ座に。
そこから順に立衆五人が並び、最後にシテが正中辺りになる形で着座しワキの出となります。

子方箱王、ワキ箱根別当、アイ能力の順に出て、子方が一ノ松、ワキが二ノ松辺りに立ち、能力が幕前に控えてワキの謡い出しとなります。

と書いたところで、
曽我兄弟の敵討ちの粗筋は小袖曽我の鑑賞記に書いておいたものの、ここでもう少しことの経緯を書いておかないと、舞台の展開が分かりにくいので、ごくごく簡単に触れておきます。
曽我兄弟、一萬丸・・・のちの十郎祐成と、箱王・・・のちの五郎時致の父である伊東祐泰は一族の工藤祐経の送った刺客の放った矢に当たって亡くなります。兄弟の母は曽我祐信と再婚し、十郎は元服して曽我祐成を名乗り、五郎は父の菩提を弔うため箱根権現社に稚児として預けられています。
源平の争乱の中で、工藤祐経はいち早く頼朝方につき寵臣となりました。その頼朝一行が箱根権現参詣にやって来ます。箱王も周囲の人たちとともに頼朝の参詣を見に出ますが、本曲の前場はその場面を描いています。

さてワキが、鎌倉殿のご参詣にこの寺の老若の宗徒児童が我も我もと物見に出たと謡うと、子方が稚児仲間に誘われて自分も講堂の庭に立ったと謡い、続いてワキに問いかけます。
さてこのつづきはまた明日に
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調伏曽我さらにつづき

子方はお供の人々の名を知らないので教えて欲しいと別当に問いかけ、頼朝から順に名を問う形になります。
まず「風折召され 念誦気高く見え給ふは 鎌倉殿にて御座候か」と子方が問い、ワキが「あれこそ鎌倉殿御座候よ」と答えます。次に子方は二列に並んだ左の座上を問い、ワキが北条殿と答えます。続いて「左巴は」と子方が問い「宇都宮の弥三郎」、「右巴は」「小山の判官」、「松皮は」「小笠原」、「さてまた中座の一番は」「諸司の別当梶原父子」さらに「和田の左衛門」「秩父の庄司重忠」と続けます。

この和田の左衛門の次、「今一人は秩父の庄司重忠」とワキが述べる辺りでシテがユウケンをします。
これを見て子方が「さてその次につき出だしたる扇使ひ」ワキ「今こなたを見候ふや」子方「あれをば誰と申し候ぞ」ワキ「あれこそ工藤一郎」子方「祐経殿か」とやり取りが続き、工藤祐経を確認した子方は勇み立ちますがワキが「暫く」と押し止め、この様なところに長居はしないもの、此方へと言って自らは鏡板辺りにクツロギます。

ここでシテが立ち上がり、シテ柱近くに立った子方に向かって声をかけます。
ここからシテと子方のやり取りとなりますが、シテは箱王の父が亡くなったのは尾越の矢(峯越に飛んできた矢)に当たったためで、自分のせいではないと言います。自分の仕業との風聞もあるが、あずかり知らぬ事だと言い、子方とやり取りが続きますが、地謡が受けて、箱王はまことしやかに言いなされて茫然としてしまったと謡い、シテは常座に戻って両手を突き頼朝に向かう形、子方は後見座にクツロギます。

地謡は「さて頼朝は御座を立ち」と謡い出し、頼朝以下の一行は立ち上がって順に退場していきます。地謡の終わり「門前さして出でければ」で子方が立ち上がって常座に出て「箱王はただひとり」と謡い、地謡が続けます。
地謡の後、子方は「よくよく物を案ずるに」と語り出し、今この時を得て祐経に討たれても斬りかかろうと語り、「同宿の太刀を盗み取り」と謡。
これを受けて地謡が、敵の後を門前さして追っていくと謡い、子方は一行の後を追おうとしますが、これを先ほどまでクツロイでいたワキが立ち上がって止め、地謡が「手取り足取り誘ひ 別当の坊に帰りけり」と謡う中、ワキが子方の背を押す形で子方が退場します。

ワキは能力を呼び出し、祐経を調伏するため護摩壇を用意するように命じて退場。これを受けてアイはこれまでの経緯をシャベリ、護摩壇を飾ると言って退場します。
さてこのつづきはまた明日に
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調伏曽我さらにさらにつづき

舞台には護摩壇に見立てて一畳台が運ばれてきます。階の右側、ワキ座の前あたりに舞台奥に向けて長い方が置かれる形です。手前には祐経の形代ということなのでしょう、おそらく鬘桶に白い布をかけ、これに黒頭を乗せたものが置かれます。今まで能の舞台では見たことがないおどろおどろしい感じのものです。

さらにもう一台の一畳台が大小前に据えられ、紫の引廻しをかけた小屋が運ばれてきて乗せられます。大小前に横方向に置かれた一畳台とワキ座に縦方向に置かれた一畳台が、舞台空間を厳粛な祈祷の場にします。

ワキ一行が登場してきます。ワキは前場の角帽子着流しから、沙門帽子に大口の姿に変え、五人の従僧を従えての登場です。
従僧五人が雁行の形で舞台やや目付柱寄りに着座し、ワキが謡い出してワキツレと交互に謡いつつ悪魔降伏の祈りを捧げます。地謡が続けて護摩祈祷の様子を謡い、これに合わせてワキの祈り。ワキが「東方」と謡うと出端が奏され、引廻しが下ろされて後シテが姿を現します。

袷狩衣を衣紋付けにし、半切を着け不動の面。頭上には牡丹を戴いています。
謡はゆったりとし、不動明王の力強さ重々しさを表現する雰囲気です。蝋燭の薄明かりの中で不動明王の出現を見るのは格別の感じがあり、たしかに蝋燭の灯りでという企画の意味が感じられるところでした。

重々しい謡にのせてシテの舞が続き、「形代を巻き縛り護摩の壇上に引き伏せて」の謡に壇上で形代の頭を手にすると「形代が首を切って」で黒頭を引き上げて首を取った形。能の舞台では、こういうおどろおどろしい場面にはなかなか出会いません。
明王が形代の首を落とし、箱王の本懐成就が約束されたところで終曲となりました。
(66分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

ところで今回の子方、水上嘉さんは後見の水上優さんのご二男。本曲の子方はなかなかに難しいところと思いますが、良く演じられたという印象です。ご長男は既に子方を卒業されましたが、お二人とも将来は能楽の道に進まれるのかな、などと感慨を持ったところです。
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調伏曽我をめぐって

鑑賞記、この項の初日に、曽我物は現在演じられているものは四曲だが廃曲になったものもあるといったことを書きました。
詞章などが伝わっている限りでは、この四曲の他に切兼曽我、元服曽我、伏木曽我などが知られています。切兼曽我は金剛流のみの曲でしたが明治以降に廃曲になったようで、梅若実日記には明治14年に金剛唯一が演じた記録があります。
元服曽我はかつて宝生、金剛、喜多の三流にあり廃曲となりましたが、現在でも喜多流のみ参考曲としているようです。最後の伏木曽我は600年ほど前に絶えてしまった曲ですが、最近、観世流の加藤眞悟さんが復曲されたようです。
このほかにも、長い能楽の歴史の中では、曽我物語にまつわる能が作られていたのだろうと想像するところです。

ところで、曽我物の鑑賞記は今回を含めて5回書いていますが、いずれも宝生流です。宝生流は五雲会にほぼ毎年のように小袖曽我か夜討曽我が出るなど、曽我物の上演が多いような気がします。観世流では小袖曽我くらいで、あまり曽我物を見かけないように思いますが・・・

ところでこの調伏曽我、国立能楽堂での記録を見ると、前回は金剛流宗家永謹さんのシテで平成23年3月24日に上演されています。
今回の観能の際に国立能楽堂で久しぶりにお目にかかった方から、まさかこの時期にやらないだろうと思ったのだが公演があったと後で聞いてビックリしたというお話を伺いました。「まさかこの時期」というわけで、あの東日本大震災の直後のことです。
24日は木曜日で、私はこのチケットは取っていませんでしたが、実は13日の某会のチケットを持っていました。こちらこそ「まさかこの時期に・・・」と思ったのですが、なんと公演があったという話を後日知り、本当に驚きました。
当時は常磐線も止まってしまい、常磐高速も通行制限がかかった状態で、とても観に行けるような状況ではありません。それどころか、自宅は瓦が全部落ちてしまい、会社も営業継続のため停電の中で復旧作業に取り組んでいる状況でしたので、観能の件はすっかり意識にはありませんでした。

公演が中止になったわけではないし、このチケットのことを思い出したのはしばらくして震災の動揺がおさまってからでしたので、払戻しを交渉しようなどという気にもなりませんでしたが、「ああ公演したのかァ・・・」となんだか割り切れない気持になった記憶があります。
公演する方はそれまでの準備や経費もありましょうし、また御覧になれる方たちは楽しみしておられたでしょうから、上演されたこと自体は良かったと、頭では理解しているつもりでした。が、自分が被災者になってみると、なんだか忘れ去られているようで、割り切れなかった気持が、今でも時々思い出されます。

この項終わり
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邯鄲 高橋忍(第1回士乃武能)

金春流 国立能楽堂 2018.12.01
 シテ 高橋忍
  子方に代わり 林美佐
  ワキ 殿田謙吉
  ワキツレ 工藤和哉 野口能弘 吉田祐一 大日方寛 御厨誠吾
  アイ 高野和憲
   大鼓 安福光雄、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 吉谷潔、笛 小野寺竜一

国立能楽堂の企画公演の翌日、同じ国立能楽堂で金春流の高橋忍さんが、初めての個人の会を催すことになっていまして、思い切ってこちらにも伺いました。

当日は金春憲和宗家と中村昌弘さんによる翁の素謡から始まり、前宗家金春安明さんや本田光洋さんをはじめとする仕舞六番。野村萬斎さんのシテで狂言蝸牛といった番組でした。
観世流では、翁を素謡として謡うときには神歌と言いますが、金春では翁の名で謡うようです。中村さんがご自身のブログに書いておられましたが、下掛では千歳を狂言方が勤めるので、千歳の謡は常日頃謡ったことがなく、珍しい機会だったとのこと。なるほど流儀による違いはこんなところにもあるのか、と思った次第です。

さて狂言を含めて他の演目については記載を省略して、邯鄲の舞台に話を進めます。
邯鄲はこれまで三度ほど鑑賞記を書いていまして、三度目は同じ金春流の本田布由樹さんの小書無しですので、今回と基本は一緒です。
観世流関根祥人さん月リンク
喜多流粟谷明生さん月リンク
金春流本田布由樹さん月リンク

舞台にはワキ座側に一畳台が出され、引き立て大宮が載せられます。
まずは狂言口開で、アイ高野和憲さんが宿の女主人の出立で登場し、枕の子細を述べて台上に枕を置き狂言座に下がると次第、シテの出になります。

紺地に金模様の半切、緑地に金模様の法被に掛絡をかけ、唐団扇を持っての登場です。橋掛りを進む歩みから、人生に悩む若者の迷いを示すような雰囲気を感じたところです。常座で次第を謡いサシ。名乗って道行を謡いつつ大小前まで進むと向きを変え、正面を向いて邯鄲に着いたと述べ、旅宿しようと言ってシテ柱あたりまで行き、狂言座に向かって案内を乞います。
さてこのつづきはまた明日に
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邯鄲のつづき

一夜の宿を貸して欲しいとシテが言い、アイが招じて立ち位置を変えます。シテは舞台正中へと出、アイが後見から受け取って正中に据えた床几に腰を下ろします。アイは角に出て座し、シテと向き合っての問答です。

羊飛山に行って自身の一大事を尋ねようと思うと言うシテに、アイが邯鄲の枕を勧めます。シテがその枕はいずこにあるのかと問うと、アイが台上の枕を示しシテは一寝入りしようと思い立ちます。
アイが一眠りの間に粟のおだいをこしらえておこうと言ってシテの床几を外します。シテは一畳台に向かうと正面を向いて腰を下ろし、枕を見込んで夢の告を得ようと言って「ひと村雨の雨宿り」と謡って地謡に。シテは横になり唐団扇で面を覆う形になります。この地謡のうちにワキと輿舁が出、輿舁は一ノ松に控えて、ワキが一畳台の横まで進み、地謡の終わりに、一畳台を二つ扇で叩いてシテの目を覚まさせる形になります。

ところで先に進む前に、アイは栗のおだい・・・すなわち栗粥を拵えておこうと言いますが、その後、大蔵流では幕に向かって旅人がお泊まりになるので栗のおだいを拵えるようにと声をかけます。一方、和泉流では今回もそうでしたが、自ら拵えておこうと言ってそのまま下がります。ちょっとした違いですが気になるところです。

さてワキに声をかけられて、シテは目を覚ました形で起き上がりワキと向き合います。白大口に側次を着けたワキは、楚国の帝の位をシテ盧生に譲る勅使と言いシテと問答。
シテの謡「天にもあがる心ちして」でシテは立ち上がり、地謡が続けるなか、台を降りると輿舁が後ろから輿を差し掛けます。シテは正先に出て着座し輿舁二人は輿を鏡板に置いて切戸から退場、真ノ来序の囃子となります。

シテ、ワキは立ち上がりゆっくりと一畳台へと進みます。シテは台に上り後ろを向いて掛絡を外し、この間に子方、ワキツレの一行が出てワキ正側に一畳台のシテと向き合う形で着座します。
シテがワキ正に向き直ると地謡が「有難の気色やな」と謡い出します。ここをもって舞台は楚国の王宮ということになります。

さて昨日「子方に代わり」と林美佐さんの肩書きに書かせていただきましたが、本来は子方が勤めるところ、当日予定されていた中村昌弘さんのご子息千紘さんがインフルエンザを発症されたのだそうです。当日の朝、急遽、子方の装束でも着けられるということもあって同流シテ方の林美佐さんが代役と決まったとか。装束の制約というのもありましょうが、当日の朝に言われて舞台に立てるというのは、能らしいことでもあるものの、やはり林さんご自身が日頃、様々な修練を惜しまない姿勢であるからのことと思います。
この後、その林さんの子方の舞にもなってきますが、このつづきはまた明日に
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邯鄲さらにつづき

昨日は仙台に泊まりで出張しまして、更新をお休みしました。本日は先ほど戻ってきたところです。
今年は雪が少ないようで、もともとあまり雪の降らない仙台は積もった様子がありませんでした。ですが、今日は山の方で雪が降っている模様で、晴れているのに風花が舞っていました。最高気温4度、やっぱり寒い。

さて舞台の様子の続きですが、地謡が王宮の素晴らしい景色を謡ってクセに。
数々の捧げ物や帝を讃える礼の声の様を謡い、シテが「東に三十余丈に」と謡って地謡が白銀の山を築かせ黄金の日輪のようだと謡うと、シテは座したままワキ正から正面へと向きを変えて「西に三十余丈に」と謡います。ワキ正方向が東なので、正面を向いて西を見る心かと思いますが、地謡が受けて続ける中、シテはワキ正に向き直り、ワキツレが立って大小前に座します。

ワキツレは「いかに奏聞すべきことの候」と声をかけシテとの問答。位に就いて五十年になるが、飲めば一千歳の寿命を保つという天の濃漿(こんず)や沆灌(こうがい)の盃を勧めます。地謡が「国土安全長久の 栄花もいやましに」と謡い、ワキツレが子方の広げた扇に酒を注ぐ形から、子方が立ってシテに寄り、盃にみたてた扇に酒をさします。

シテが「めぐれや盃の」と一句謡い、地謡で子方が立ち上がって大小前から正中へ。さらに角からワキ座、大小前から正中へと回リ、左右打込、扇広げて「わが宿の」と謡いつつ上羽。地謡が続ける中を子方が舞う形になります。
この間にシテは唐団扇を一度後見に渡して脱ぎ下げ、地謡に合わせた子方の舞が終えると、楽となります。

台上の楽は極めて制約が大きい訳ですが、これを宮殿と見せるところが演者の力量ということなのでしょう。ゆったりとした舞に空間が広がる感じです。
空下りはゆっくりと、かなり大きく足を上げて戻しました。途中からは台を降りて舞が続き、最後は大小前で舞上げから「いつまでぞ」と謡って上羽。地謡との掛け合いになります。
後見が切戸から輿を下げますが、このつづきはまた明日に
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邯鄲さらにさらにつづき

地謡が「いつまでそ 栄花の声も」と謡い出してシテは大左右、打ち込んでヒラキ。「月人男の舞なれば」と謡いつつシカケヒラキ。地謡の「雲の羽袖を重ねつつ」の謡にユウケンして正先へ出、左の袖を返して大小前でヒラキ。正先へ出てヒラキ、左へ回って大小前で小回り、「月またさやけし」と月の扇。正先から地謡前と回リ「雪もふりて」とやや面を上げて雪を見る形です。

ここから地謡が続けて謡い「四季おりふしは目の前にて 春夏秋冬万木千草も 一時に花咲けり」と時間が歪んだような不思議な謡になります。シテが舞ううちに子方、ワキツレ一行は立ち上がり、かき消すように切戸に姿を消します。
「百官卿相千戸万戸」の謡にシテは橋掛りへと進み、二ノ松あたりから「みな消え消えと失せはてて ありつる邯鄲の枕の上に」と一畳台にススッと寄り「眠りの夢は覚めにけり」と飛び込みました。
飛び込みと言っても、遠くから飛び込むというより、台の傍でトンと踏んで飛び寝するような形ですが、ともかくもいきなり横になったところでアイが寄り、栗のおだいが出来たと盧生を起こします。
本曲の肝心なところはここからで、茫然と夢から覚めたシテが「つらつら人間の有様を案ずるに」と謡い、扇に手を置いて考える形。地謡が「百年の歓楽も命終れば夢ぞかし」と続けると何やら気付いたように形を直し、「げに何事も一炊の夢」と扇を打ち「南無三宝南無三宝」と謡います。

続く地謡に正中へと出「知識はこの枕なり」の謡に枕を取り上げ、戻すと常座に進みます。「夢の世とぞ悟り得て」で両手を打合せ、「望みかなえて帰りけり」の謡に留拍子を踏んで終曲となりました。

舞台は以上の通りですが、さて盧生は何をどう悟ったのか。当日は当初、羽田昶さんが解説の予定だったのですが、急遽所用ということで金子直樹さんが解説をされました。
金子さんは「花もよ」の舞台随想を拝読していて、厳しい鑑賞眼の方という印象を持っていたのですが、お話は大変分かりやすく好感が持てました。特にこの盧生はどう悟ったのかという点については、人間そう簡単に悟れるものではないと思うとのお話がありました。この点同感ですが、盧生の悟りがもっと深いところにあったのか、このあたりは考えれば考えるほど面白いところでもあります。

第一回士乃武能と題したこの会、国立能楽堂が満席の盛況でした。正直のところ、金春の会で国立が満席というのは滅多ないことで、高橋忍さんご自身のお人柄も大きいのではないかと思います。事前のチラシに天野喜孝さんのイラストが使われていたのもビックリでした・・・かつてファイナルファンタジーに入れ込んでいた時期もありまして・・・
ともかくも今回は、初めて能を観るという方も相当にお出でだったようです。初めて能に触れる機会が、本曲であったのは幸せではないか・・・と思った一日でした。
(93分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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