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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

調伏曽我のつづき

舞台には次第の囃子でツレ頼朝を先頭に一行が登場してきます。
頼朝を見所から見て右手前に、立衆五人が左右に分かれ、最後にシテが左側奥に並んで向かい合い、次第を謡います。右側、先頭が頼朝で立衆が二人の都合三人、左側は立衆三人にシテの都合四人です。頼朝だけ長絹だったと思うのですが記憶がちょっと怪しいです。立衆は掛け直垂に白大口、シテも同装ですが直垂がシテらしく上質な感じだったように思います。

向かい合っての謡の後、ツレ頼朝の名乗り。続いて一同とツレの掛け合いで謡が進み道行に。鎌倉山を朝に発ち、西に向かって足柄山を過ぎ、箱根山に着いたと謡ってシテの台詞「やがて御社参あらうずるにて候」で頼朝がワキ座に。
そこから順に立衆五人が並び、最後にシテが正中辺りになる形で着座しワキの出となります。

子方箱王、ワキ箱根別当、アイ能力の順に出て、子方が一ノ松、ワキが二ノ松辺りに立ち、能力が幕前に控えてワキの謡い出しとなります。

と書いたところで、
曽我兄弟の敵討ちの粗筋は小袖曽我の鑑賞記に書いておいたものの、ここでもう少しことの経緯を書いておかないと、舞台の展開が分かりにくいので、ごくごく簡単に触れておきます。
曽我兄弟、一萬丸・・・のちの十郎祐成と、箱王・・・のちの五郎時致の父である伊東祐泰は一族の工藤祐経の送った刺客の放った矢に当たって亡くなります。兄弟の母は曽我祐信と再婚し、十郎は元服して曽我祐成を名乗り、五郎は父の菩提を弔うため箱根権現社に稚児として預けられています。
源平の争乱の中で、工藤祐経はいち早く頼朝方につき寵臣となりました。その頼朝一行が箱根権現参詣にやって来ます。箱王も周囲の人たちとともに頼朝の参詣を見に出ますが、本曲の前場はその場面を描いています。

さてワキが、鎌倉殿のご参詣にこの寺の老若の宗徒児童が我も我もと物見に出たと謡うと、子方が稚児仲間に誘われて自分も講堂の庭に立ったと謡い、続いてワキに問いかけます。
さてこのつづきはまた明日に
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このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
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