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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

内外詣 金剛龍謹(金剛定期能)

金剛流 金剛能楽堂 2019.01.27
 シテ 金剛龍謹
  ツレ 宇高竜成
  ワキ 福王知登
  ワキツレ 中村宣成 喜多雅人
   大鼓 谷口正壽、小鼓 久田舜一郎
   太鼓 前川光長、笛 森田保美

この内外詣(うちともうで)は金剛流だけの曲で、後場でツレが神楽を、シテが獅子を舞うという独特の構成になっています。特に「獅子」は他流では石橋と望月の二曲にしかありませんが、金剛流では三曲あることになります。以前、NHKで内外詣の演能が放映されたことがあり、テレビでは観たことがあったのですが、生の舞台を一度観てみたいとかねて思っておりまして、今回、思い立って京都まで出かけた次第です。

当日いただいた解説によれば、本曲はもともと「参宮」の謡に金剛流祖十代目の金剛又兵衛長頼が型付をしていたものの途中で病没し、長くそのままになっていたものを、明治9年に大阪生国魂神社で、文章を改正し囃子方の調整もして奉納演能し、曲目も「参宮」から「内外詣」に改めたとあります。
この金剛又兵衛長頼の作という点は、昭和4年に刊行された二十三世金剛右京による昭和改版本の「内外詣」に「此内外詣は十代目金剛又兵衛長頼の作なり然るに明治十五年謡本を版行するに當り祖父右近氏成改訂し之を加へたれども今回改版に際し長頼の遺稿に基き復旧候者也」との一文が添えられており、これを踏まえてのことかと思います。

実は、そこまででやめておけば良かったのですが、金剛又兵衛長頼というのはいつ頃の人なのだろうと疑問に思い調べてみると、平凡社の改訂新版世界大百科事典に西野春雄さんの解説があり、「13世(15世とも)又兵衛長頼(1662-1700)は足早又兵衛といわれるほど早業で名高く、《内外詣(うちともうで)》の作者でもある」と記載されていました。…「13世!?」、十代目という記載とどう考えれば良いのでしょうか?
参照できる資料はさまざまにあたってみたのですが、そもそも金剛宗家歴代が記載されているようなものがほとんど見当たらず、あってもWikipediaのように十四世から後しか記載されていない程度のもの。7世宗家とも8世ともされる金剛兵衛尉氏正・・・鼻金剛ともあだ名された金剛流中興の祖といわれる人ですが、この人の甥に金剛又兵衛という人がいて、後に宗家をついだという記事も見かけました。もしかしたら10世にあたるのかも知れませんが、名前は康季だそうですから内外詣の作者とは別人の様子です。
もっとも金剛家は坂戸孫太郎氏勝を流祖とし六世の金剛三郎正明から金剛を名乗ったという説も見かけましたので、この金剛三郎を初代として、途中一時宗家を継承していた北七太夫(喜多流の祖 喜多七太夫長能)を抜けば、又兵衛長頼が十代目にあたるのかもしれません。
結局のところ、当地で調べていてはこれ以上のことは分かりませんが、室町時代から江戸時代にかけて、金剛流は他流に押されてまったくふるわなかった様子で、宗家の系譜についても諸説あるのかもしれません。

というわけで金剛宗家をめぐって思わぬ寄り道をしてしまいましたが、本曲は近年になって形式が整えられたこともあるのか、後場の舞を中心にして前場は軽くし、獅子から破ノ舞への展開に物着のような形を取るなど、様々に工夫がみられます。明治9年の初演というと宗家は金剛唯一の時ですが、土蜘蛛の千筋の糸を考案したといわれる唯一でもあり、本曲も工夫を凝らしたのではないかと想像しています。

さて舞台には真ノ次第でワキ、ワキツレが登場してきます。いわゆる大臣ワキで当今に仕え奉る臣下と名乗りますが、この後は明日から書き綴ってみようと思います。
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内外詣のつづき

ワキの名乗リの後、三人で道行を謡い伊勢の宮居に着いたと謡ってワキの着キ台詞。「心静かに神拝申さうずるにて候」にワキツレが「尤もにて候」と答えて一行はワキ座へ着座します。

一声の囃子でシテ、ツレの出。先に出たツレは連面、緋大口に白の水衣、木綿襷を掛けた姿。シテは直面に翁烏帽子、白大口に白の狩衣を着けており、巫女と神職の態。舞台に進んでツレが正中、シテが常座に立つと向き合って一セイを謡います。
一セイ、ツレの二ノ句、同吟、シテサシ、同吟、下歌、上歌と謡い、伊勢内宮、外宮の神威を称え、その神慮(かみごころ)に叶おうと思うならば「唯正直を本として 仰ぎて仕え申せとよ」と謡っておさめます。
この謡いっぱいに、シテとツレは立ち位置を入れ替え、ツレはワキ正に、シテが大小前に立って正面を向くと、ワキが立ち上がって声を掛けます。

ワキは当今に仕える臣下と名乗り、勅使として参宮した旨を述べます。シテ、ワキは腰を下ろし、シテは両手をついて勅使の参宮を言祝ぎます。ワキが祝詞を上げるようにと求め、シテは再び両手をついて「畏まって候」と言った後、立ち上がって後見から幣を受け取り、ノットの囃子が奏されるなか、一度、正先まで出てから正中に下がり、下居して幣を振りつつ謡いだします。この間にツレは笛座前に下がって控えます。

シテは答拝して幣を右膝に立て「謹上再拝 高天の原に神集りまして 天の岩戸をおし開き…」と祝詞を謡います。まさに神官の祝詞です。シテが「仰ぎ願はくば祓殿 八百万の神等 聞き入れ納受たれ給へ」と謡って再び答拝すると地謡に。シテは両手で幣を持って立ちあがり、後見に幣を渡して扇を手にするとシカケ開キ。角に出て左に回り「実に君は船臣は水 水よく船を浮ぶなる 此日の本は有難き」の謡に常座へと戻り、シカケ開キ、ワキに向いて二足ほどツメて、囃子を聞きつつ大小前へ進んで下居。地謡がクリを謡います。
「天神七代地神五代 神の御孫の末長く」と謡い出しますが、天神七代は国之常立神から伊弉諾・伊弉冉までの神世七代。地神五代は天照大神から鵜葺草葺不合命までの五代を意味し、その鵜葺草葺不合命の子が神武天皇となるわけです。
続いて下居のままシテのサシ謡となりますが、このつづきはまた明日に
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内外詣さらにつづき

シテサシからクセと、神君父母の重恩、君の為によき人をば徳を挙げて褒むべしとの理などが謡われますが、これは祝詞に続いて神官が語ったものという設定。
この謡を受けて、ワキが「実にありがたき物語 心に染みて覚えたり」と言います。さらに「神楽を参らせ獅子をも御舞い候へ」と言い、これに対してシテが両手を突いて「畏まって候」と承り、別にツレを向いて急ぎ神楽を舞うように声をかけます。
ツレが「心得申して候」と答えると、シテは舞台を後にし中入となります。

そうなんです。このシテの中入は獅子を舞う支度のためのもので、舞台に残ったツレ巫女が先に神楽を舞うわけです。したがってシテは神官、ツレは巫女という人格はそのまま。
通常、脇能であれば、仮初めに神官や老夫婦の姿で現れた神や鬼神が、自らの本体を匂わせて中入りし、後場で神の姿を現して舞うというのが基本的な形と思います。脇能でシテが人間のままというのは、本曲と鶴亀の皇帝くらいしか思いつかないのですが、珍しい形です。

さてシテが幕に入るとツレが「さる程に時移り」と謡い出し、立ち上がると常座で後見から幣を受け取り正に向き直って「千早振る」と謡いつつ、幣を振って答拝。神楽の舞出しです。
この神楽はツレの舞なので序がありません。さらに直りがなく神楽止めになっています。普通、神楽は序に続いて本来の神楽の譜で初段と二段を舞い、三段からは直りで幣を扇に持ち替えて神舞を舞う形ですが、ツレが神楽を舞う時は序がない形。さらに直りがなく、神楽だけで終わります。
今回も神楽止めで、舞上げて「五日の風や十日の」と謡ったツレは幣を持ったまま正先に出て、地謡の「雨も潤ふ 獅子の舞」の謡にワキ正から幕に向かって打上ゲヒラキの型。シテの獅子を待つ形です。
クライマックスですが、このつづきは、もう一日だけ明日に
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内外詣さらにさらにつづき

シテの獅子ですが、まずは乱序が奏されて半幕。ゆっくりと巻き上げられた幕から、望月と同装のシテの下半身が見えます。
ツレが笛座前に戻り、幕がゆっくりと下ろされて、囃子は露ノ手から乱序の後段へ。期待が高まるところ、乱序の終わりに勢いよく幕が上げられて、唐織を被いた形にしたシテが進み出て一ノ松あたりで欄干に足をかけ、一度被いた衣を下げて姿を見せます。再び唐織を被いて幕前まで回リながら戻り、そのまま勢いよく舞台正先まで出て大小前に下がり、唐織に袖を通して獅子を舞います。

望月と同装ですので白大口に唐織、獅子頭…短い赤頭を着け、金無地の扇二枚を獅子の口のように見せ、緋の布で覆面した形です。
獅子を舞上げた後、再び唐織を被いたシテは、地謡の「かくて明け行く山風に」を聞きつつ後見座に向かい物着。
後見がシテの唐織を背負う形で大きく広げてシテの姿を見所から隠します。この間にツレが立ち上がって大小前に進み、破ノ舞になります。

短い破ノ舞が舞上げとなり、地謡が「かくて明け行く山風に」の謡を繰り返すうちに、ツレは座に戻り、狩衣に翁烏帽子の姿に戻ったシテが立ち上がって謡い舞になります。
「星月神灯白み渡るや東の空に」の謡に打上ゲヒラキ、東の空が白み日の出を迎える形で、さらに「五色の雲も輝き出づる」で袖を巻き上げ直し、常座近くまで下がって両手突いて「日神の御姿顕れ給へば」と日の出を拝する形。サシて角へと向かい扇カザシて舞台をまわり、常座で小廻りして留拍子を踏み終曲となりました。

こういう構成の曲は他にないと思いますが、獅子を舞った神官が元の姿に戻って「栄行く春こそ久しけれ」と目出度くおさめるのは、新春に相応しい脇能としみじみ感じたところです。
龍謹さんの舞も見事でした。本曲はツレに負うところも多く宇高竜成さんともども、舞金剛の名に恥じない舞台、京都まで出かけたかいがあったと思う一番でした。
(71分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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翁をめぐって

翁については、これまで何度も鑑賞記を書いていますし、また翁を廻ってのあれこれも何度か書いてきました。そういう意味で「いまさら」ではあるのですが、今年の一月は九皐会と金剛定期能で翁を観て「おや?」と思うことがあり、あらためて調べてみようかと思った次第です。

その「おや?」っと思ったのは、金剛宗家の翁太夫を正面右よりの席で観ていたところ、千歳兼面箱持の山下守之さんが面箱の蓋を開けて裏返したところで、永謹さんが面を取りだして面紐をほどくなど、面さばきをされたところです。
九皐会での遠藤喜久さんは座したままで、面さばきは面箱持の野村拳之介さんが行ったと記憶しています。記憶違いか?・・・と気になり、後日、これまでの観能記を振り返ってみると、金春流と金剛流の鑑賞記には、翁自身が面箱から面を取りだしたという記載がありますが、他流の鑑賞記ではこの点に触れていません。

さてこれはどうしたことか、と調べてみようと思ったのですが、手持ちの本などにはこの点を書いているものがありません。そこで、こいういう時はネットかと検索をかけていましたところ、東文研・・・東京文化財研究所のサイトに元無形文化財研究室長の高桑いづみさんが1999年、雑誌「芸能の科学」に書かれた調査記録「翁の技法」がアップされているのを見つけました。
1994年から各流儀の能楽師を東文研に招き、所内の舞台で画像及び映像による全役全流儀の技法の記録を行い、その調査録の一部「翁」太夫にかかる部分のみを雑誌に発表したものです。
前書きには、千歳、三番叟については次号以降に掲載する予定とあるのですが、その後の芸能の科学には掲載された様子がありません。どこか別のところに掲載されたのかも知れませんが、残念ながら見つけられませんでした。

さてこの「翁の技法」ではシテ方として、観世の浅見真州さん、宝生の金井章さん、金春の瀬尾菊次さん(現在の櫻間金記さんですね)、金剛の豊嶋訓三さん、喜多の友枝昭世さんの名があり、この方たちに話を聞き、また実際に動きを見せてもらって記録したとのことです。また笛方も三人、小鼓方では六人の名が上げられていて、笛や小鼓についての記載もあります。

この調査記録の中に、「面さばき」について、観世流と宝生流は「面箱にまかせる(箱の位置は扇の先で指示)」、金春流と金剛流は「千歳が面箱の蓋を裏返すと扇置き、面を取り出す 蓋に載せ、面紐ほどき面当てを下に置き、面紐を面の両側に置く」とあり、喜多流は観世、宝生と同様になっています。
これで私の疑問は氷解した訳です。
本記録にはその他の所作や笛の唱歌、小鼓の手の違いなども記載されていて、こんな資料はおそらく他にはないだろうと思われます。もっともこれらの違いは、流儀だけではなく家によっても、演者によっても微妙に違ってくるようなので、これが全てではありませんが、興味のある方はぜひ一読されると良いかと思いました。

という訳で、雑誌の記事の紹介になってしまいましたが、翁も奥が深いとしみじみ思った次第です。
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平成をおくる

元号がかわるということに、個人的にはあまり大きな感慨を持っている訳ではないのですが、毎日、ここぞとばかりにマスコミが騒ぎ立てているので、なんとなく今上陛下の退位と新元号の話題に触れなければならないような雰囲気になっています。
どうもマスコミ、特にテレビのあり方に疑問を禁じ得ないのは私だけでもないようで、ネットを中心とし、テレビや新聞はあまり見ない、ほとんど見ないという人も少なくない様子です・・・が、この項でマスコミ批判をする趣旨ではないので、平成を振り返って少しばかり。

この三十年、身辺にも様々な出来事があり、中でも東日本大震災は本当に大きな事件でした。我が家もこれをきっかけに建て直すこととなりましたが、一方で、まだまだ復興がままならない地域も残っています。
これに限らず、温暖化のためなのか、異常気象なのか、様々な災害も起こりました。
とは言え、こと我が国に限ってみれば、平和な時代であったと言えましょう。

そんな時代、ふとしたきっかけから、しばらく離れていた能楽堂に再び足を運ぶようになり、さらに、その記録を残しておきたいとの思いからブログを始めた訳です。
学生時代から観ていた記録は、もう手元に残っていませんので、観能の記録は今となってはこのブログに記載したものしかありません。

この13年ほどの間に、能は翁を含めて414番、狂言は194番の鑑賞記を書きました。能の曲数でいうと220曲ほど。
とは言え、まだまだ観ていない曲、記録していない曲もありますし、そもそも能は一期一会。その時々で同じものはありません。そう考えると、いくら書いても書ききることはない、ということになります。

このところ、なかなか筆が進まず、平成のうちに観たものの、今日までに鑑賞記を書くことが出来ずにいる曲が、2月九皐会での観世流中森貫太さんの松山鏡。3月の国立能楽堂特別公演での、観世流井上裕久さんの知章、大蔵流茂山千作さんのしびり、そして金春流本田光洋さんの藍染川と、能三番、狂言一番あります。

これは令和になってから・・・ということになりますが、新しい令和の時代を迎えて、能楽とどんな出会いがあるのか、鑑賞記も楽しみに続けていければと思います。
皆さまもよき時代を迎えられますように・・・

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