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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

ウィルスとの日常

新型コロナウィルスことCOVID-19をめぐって様々な動きが続いています。能楽も公演が軒並み中止や延期になり、いつになったら再開されるか難しい状況の様子です。
ウィルスについて語るほどの知見は持ち合わせておりませんが、まずは三つの密を避けることが大事とか。皆様もお体大事にされ無事にウィルス禍の終息を迎えられることをお祈りいたします。

さて昨年大晦日のブログには、公演を観たものの未だ鑑賞記を書いていないものとして、9月の代々木果迢会公演での浅見慈一さんの「融 十三段之舞」。11月は、能を知る会横浜公演での中森貫太さんの「江野島」と、MUGEN∞能での、林宗一郎さんの「屋島 弓流」、茂山逸平さんと野村太一郎さんの「二人袴」、そして坂口貴信さんの「善界 白頭」。12月には下掛宝生流能の会で稀曲「羅生門」。そして10月の公演が台風のために延期となった九皐会の年末公演で、駒瀬直也さんの「大社」と長山耕三さんの「通小町」をあげました。

このうち江野島の鑑賞記までを1月に書いたのですが、その後は再び更新を止めていました。昨年末にも書いた通り、資格試験を二つほど受験しようとしたことが更新を中止した大きな理由ですが、片方の試験は1月に受験し、おかげさまで合格しました。6月に予定されていたもう一つの試験は、COVID-19の影響で中止となり次回は秋になる見込みです。
次回の試験、準備万端という訳ではありませんが、試験まで時間が出来てしまい、緊張感が緩んだ感じです。また仕事上でもお客さまの訪問などが難しく、対外的な会合もみな中止になってしまったため、日常に少しばかり余裕が出て来ました。
そんなわけで、また少しずつ鑑賞記を書いていこうかと思っています。

なお、今年に入ってからは試験対応で1、2月は観能の予定を入れなかったのですが、3月に「能を知る会の横浜公演」と「三人の会」を観ることが出来ました。ウィルスをめぐって「自粛」の動きが強まる中で開催が危ぶまれたところですが、なんとかこの二つの会は開催されました。
能楽ですから、見所はシーンと静まって「密」には遠い状況でしたが、それでも三人の会が開催された3月22日頃は東京でのほとんどの公演が中止ないし延期になっていて、おそらく3月25日の青山能を最後として、少なくとも5月の連休明けまで能楽の公演予定はありません。
寂しい限りですが、伝染の終息のためにはやむを得ないことと思います。
という訳で、明日から「MUGEN∞能 五周年記念の会」の番組から、舞台の様子を書いていこうと思います。
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屋島 弓流・那須語 林宗一郎(MUGEN∞能)

観世流 観世能楽堂 2019.11.30
 シテ 林宗一郎
  ツレ 坂口貴信
  ワキ 宝生欣哉
  アイ 茂山逸平
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 大倉源次郎
   笛 松田浩之

屋島はこのブログでも四度ほど取り上げています。
宝生流水上優さん
観世流松木千俊さん
観世流浅見慈一さん
観世流川口晃平さん
小書きあり、小書き無し、どちらもありますが、松木さんと浅見さんの演能はいずれも今回と同様に弓流、那須与市語の小書付きです。狂言の小書は今回が大蔵流なので「那須語」。松木さんと浅見さんの時は、間狂言が和泉流の萬斎さんだったため「那須与市語」でしたが、中身は基本的に同じです。ただし当日の鑑賞記を振り返ってみると、松木さんの会では弓流(ゆみながし)の小書だけで、素働(しらはたらき)も演じていた様子です。
観世流では屋島には弓流、素働、脇留などの小書がありますが、以前にも書きましたように、素働だけを単独に付けて上演することは基本的にありません。素働は、海に落とした弓に見立てた扇を波に流されながらも拾い上げる所作ですので、弓流の小書き無しでは流れに無理が出てしまいます。
ところが弓流の小書きの場合、この小書だけで素働まで演じてしまうことがたまにあるようです。本来は弓流、素働と並べて書くか、大事と書くかいずれかのはずですが、松木さんの上演はこの例だったようです。

さて今回の林さんの上演ですが、重い小書でもあり囃子方は長上下で登場し座に着きました。小書でどのような演出になったのかなど、舞台の様子は明日につづきます。
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屋島のつづき

次第の囃子で着流し僧姿のワキ、ワキツレが登場し次第を謡うと、屋島の浦にたどり着き塩屋に宿を借りようと言ってワキ座に着座します。
一声でシテ、ツレの出。ツレの坂口さんが段熨斗目に水衣、腰蓑を着け右肩に釣竿を担って先に立ち、シテは小格子厚板に絓の水衣、同じく右肩に釣竿を担って出ます。
型通りに謡った後、アシライで舞台に入りサシ、下歌、上歌と謡ってワキとの問答になります。

一夜の宿を貸す、貸さないの問答から、ワキ一行は塩屋に招じ入れられ、ワキの求めでシテが屋島の戦いの様子を語ります。
錣引きの話から地謡となり「磯の波 松風ばかりの音淋しくぞなりにける」と謡いおさめてロンギに。シテは肩上げを下ろし、何やらいわくありげな様子を見せると、修羅の時を待ち夢を覚ますなと、姿を消してしまいます。中入りは送リ笛なしで、シテ・ツレが幕に入りました。
シテが姿を消すと、ワキはアイに那須与一が扇の的を射たこと学うで候へと声をかけ、扇の的の故事を仕方に語るように促します。これを受けてアイの茂山逸平さんが正中に座し、那須語となりました。
語りの中身自体は、和泉流も大蔵流も大きく変わるものではありませんが、やはり演者の違いだけではない、流儀による所作の違いもいくつか気付いたところです。とはいえ流儀を問わず、この語が狂言方の大変重要な演目であることに違いはなく、大切にされていることを感じたところです。詳細は文章に起こすのが難しく割愛いたします。

語り終えてアイが下がると、ワキが先ほどの老人が夢を覚ますなと言ったことを繰り返して待謡。これを受けて一声の囃子で後シテ義経の霊が、袷法被肩上げに半切の武将姿で登場してきます。
さてこのつづきはまた明日に
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屋島またつづき

シテの謡「落花枝に帰らず 破鏡再び照らさず・・・」を受けてワキが、甲冑を帯して洗われたのは判官かと問いかけます。シテ、ワキの問答から地謡の上歌。義経が幽霊となって、屋島の戦いに思いを残し此の地に現れ夢物語を語るのだと謡います。

クリ、サシと続いて「足並に鐙を浸して攻め戦ふ」と地謡が謡って弓流のアシライ。
シテは立ち上がるとやや右を向き、ゆっくりと角に出て左へ廻り正先で一度立ち止まります。ここで扇を落とし、左から回って常座に立ちます。
「その時何とかしたりけん」と謡い出し、「判官弓を取り落とし 波に揺られて流れしに」と正先の扇を見込みます。
続く地謡「その折しもは引く汐にて 遥かに遠く流れ行くを」を聞いて、シテ「敵に弓を取られじと 駒を波間に泳がせて・・・」と謡いつつ、正面に向き直って馬に乗る型。大小前へと移ります。
地謡「敵はこれを見しよりも 舩を寄せ熊手に懸けて 既に危うく見え給ひしに」を聞いて、シテ「されども熊手を切り払い」と左右に面を切り「終に弓を取り返し」と扇を取り上げ「本の渚にうち上がれば」と大小前に立ちます。
という流れで、小書の通りに弓流だけで素働はなかった訳です。

地謡「その時兼房申すやう・・・」となりシテは正中に出て床几に腰を下ろします。弓を取りに行った義経に意見する兼房に、義経が小兵と知られては無念、名は末代であろうと諭し皆感涙を流したとの謡を聞いて、シテ「智者は惑はず」地謡が受け「一命なれば」とシテは立ち上がり、常座からワキを見込むと「また修羅道の鬨の声」と謡いつつワキ正に出て開キ。地謡の「矢叫びの音震動せり」に四拍子を踏んで開キ、カケリとなります。

カケリの最後は橋掛りへ進み、一ノ松にて「今日の修羅の敵は誰そ」と謡ってユウケン。地謡に乗せて舞台で舞うと「浮き沈むとせし程に」で再び橋掛りへ。一ノ松あたりで型を見せて「鬨の声と聞こえしは 浦風なりけり高松の」と聞いて橋掛りを進み幕に入ります。最後はワキ留。
橋掛りを進む後ろ姿に惹きつけられ、気持ちはワキと一緒に立ち上がって見送ってしまった舞台でした。素敵な一番でした。
(113分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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二人袴 茂山逸平(MUGEN∞能)

大蔵・和泉流 観世能楽堂 2019.11.30
 シテ 茂山逸平
  アド 野村太一郎 野村萬斎 高野和憲

二人袴は四十年ほど昔に観た一番の強烈な記憶があります。
大蔵流、大蔵のどなただったのか名前の記憶はないのですが、たしか当時の水道橋能楽堂でのことで、その時の舞台、発声の雰囲気はよくよく記憶しています。おそらくは現在の彌右衛門さんと吉次郎さんが、先代の彌右衛門さんとなさったものではないかと思います。ともかくむちゃくちゃに面白かった。
当時、能狂言を見始めた頃で、古典芸能である狂言が、あんなに面白いものだとは思っていなかったからかも知れません。
その後、二人袴を観たという明らかな記憶はないのですが、いずれにしても強烈な印象の一番でした。

さてその二人袴。この日は大蔵流の茂山逸平さんをシテに、アドは和泉流の皆さんという異流共演。しかもシテの逸平さんが兄で、弟役の太一郎さんに付き添って行くという筋書きになっていました。
もともとの二人袴は、聟入りするたよりない息子に実父が付き添って挨拶に行くのですが、その際に袴を一着しか持って行かなかったことから生じる喜劇です。しかし逸平さんと太一郎さんで親子というのもおさまりが悪いので、兄弟の形に直したものと想像しています。
その設定以外は、通常の二人袴の筋書きと変わりはありませんでしたが、長袴を穿いた太一郎さんが、ロボットのごとく向きを変える所作は出色で、大変面白く拝見しました。また逸平さんのいかにも茂山家らしい飄逸な演技が、野村家の狂言とはひと味違った雰囲気を出して、一段舞台を面白くしていた感を受けました。

野村万作家と茂山家は以前から交流があり、双方が出し物を出す会も毎年定期的に開催されています。また異流共演での唐相撲のDVDもあり、狂言の新しい方向性もこうしたところから生まれてくるのかもしれません。
茂山千作さんと野村万作さん出演の「新春名作狂言の会」の鑑賞記初日

当日、後方の席に七五三さんの姿を見かけたような気がするのですが・・・
(上演時間をメモし忘れました)

善界 白頭 坂口貴信(MUGEN∞能)

観世流 観世能楽堂 2019.11.30
 シテ 坂口貴信
  ツレ 関根祥丸
  ワキ 福王和幸
  アイ 野村太一郎
   大鼓 亀井広忠、小鼓 飯田清一
   太鼓 林雄一郎、笛 杉信太朗

善界は何度か観ていると思うのですが、ブログの記録では十数年前に観た喜多流佐々木宗生さんの演能しか残っていません。まあ自分の記憶もあまりあてにはならないのですが・・・なお、喜多流は「是界」と書きますので佐々木さんの演能記録も「是界」と記載してあります。宝生と金春も是界、金剛は是我意ですが、どういうわけか観世は善界と書きます。

さて今回は白頭の小書付。佐々木さんの演能も白頭でしたが観世の白頭は初見です。観世の白頭は長く絶えていて、平成になってから復活したとのこと。小書付での変化など、舞台の様子を追いながら記憶を辿ってみようと思います。

まずは次第の囃子で前シテが登場し、次第を謡います。
シテは面をかけて黒頭。紫の色大口を着け厚板に縞の水衣、篠懸を懸けて兜巾を着けた山伏姿です。小書無しでは前シテは直面で出ます。同じ白頭でも喜多の佐々木さんは直面で出ましたが、観世の白頭の前シテは鷹の面をかけるらしいのです。が、さて遠目に見た面が鷹なのかどうか、怪士と痩男を交ぜたような雰囲気だったので、そうなのかなぁと思った次第です。

次第の後、大唐の天狗の首領善界坊と名乗ったシテは、日本に向かうと行って道行を謡い、さらに日本に着いたと述べて、愛宕山の太郎坊を呼び出します。
幕に向かって案内を乞うとツレ太郎坊が登場してきます。こちらも黒頭に面を着け、緑の色大口に厚板、黒の褸の水衣に篠懸をかけています。ツレも小書無しでは直面ですが、白頭では面をかけるようです。怪士のようでしたが、ともかくもこのつづきはまた明日に
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善界のつづき

太郎坊は善界坊の訪問を受け、自分の庵室に招じ入れる形で立ち位置を入れ替え、先に舞台に入ってワキ座に着座します。
シテ、ツレの問答になり、シテは唐土にあって育王山青龍寺、般若台に到るまで、少しでも慢心ある者は皆自分の道に誘引してきたが、日本は神国にして仏法盛んであるとの話を聞き気になって遙々やって来たのだと述べます。
ツレが比叡山こそ日本の天台山であると言い、ここからシテ、ツレ、地謡によって天台宗を讃えるような章句が謡われます。

天台の仏法は、権実二教に密宗の奥義を伝えた顕密兼学であり、自分たちのような者が容易く窺えるものではない。さらに不動明王は、外には忿怒の相を現じるも内心は慈悲の恵みあり、衆生を想う有難い悲願を立てられている、と讃えます。
続く居グセの謡で、しかるに自分たちは、そうした有難い仏を見、法を聞きながら、なおも輪廻の道を去ることが出来ず、仏敵法敵となってしまっている。と自らの身を嘆きます。

ロンギとなり、ツレは「かくては時刻移りなん いざ諸共に立ち出でて 比叡の山辺のしるべせん」と謡いつつ立ち上がってシテを見、これをうけてシテも立ち上がって「雲の懸橋うち渡り」と足拍子。続く地謡で五足ほど出てサシ込み、面を切って「南に続く如意ヶ嶽」と見やる形から橋掛りへ。
「嵐と共に失せにけり」の謡に中入りします。ツレも続いて幕に入り、囃子は来序から狂言来序に。

狂言来序の囃子に乗って、アイ能力が括り袴に紫の水衣、能力頭巾を被り、萩箒に文を挟み肩に担って登場してきます。
都で善界坊が仏法の妨げをするので、勅命を受けて祈祷のために飯室の僧正が都に赴くことになった。自分は一足先に行くといって舞台を廻り、都に向かう態となりますが、急に大風が吹いて辺りが暗くなったと言い、やむなく引き返すと言って退場します。
アイが退場すると後見が車の作り物を持ち出してきてワキ座に据えます。車と言っても輪郭だけの代物ですが、竹の芯で車の形を作り、紺色の布で巻いています。

一声の囃子でワキ僧正と、ワキツレ従僧が登場してきます。ワキは白大口、小格子厚板の上に青地の絓の水衣を着、掛絡を懸けて沙門帽子の高位の僧侶姿。ワキツレは白大口、茶系の無地熨斗目に青の褸の水衣、角帽子の装束です。ワキが車の作り物に乗り込む形で、ワキツレは車の両側に立って車に付き従う形になります。
勅を受けて都に向かう、と謡い出しますが、途中で突如嵐となり、稲光や雷鳴の凄まじい様になった様子が謡われ、ワキは橋掛りの方を見渡した後、車の中で床几に腰を下ろし、従僧二人も着座します。
さてこのつづきはまた明日に
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