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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

善界さらにつづき

大癋の囃子が奏されて後シテが登場します。
白頭、白地の半切で白地の袷狩衣を衣紋着けにし、金の兜巾を着け大羽団扇を持っての出。面は大癋のようですが、それにしては色白な印象。白癋見という面があると聞いたことがあるのですが、これがそれなのか。
ともかくも一ノ松まで出て「そもそもこれは 大唐の天狗の首領 善界坊とは我が事なり」と謡い出します。

一セイを謡って、地謡を聞きつつ向きを変え舞台へ。地謡が大ノリで「不思議や雲の中よりも」と謡うに合わせて常座で足拍子。音を立てずに踏みました。
「邪法を唱ふる声すなり」の謡にユウケンし「凡聖不二なり」と団扇を立て「自性清浄天然動きなき」と左の袖を巻き上げて「これを不動と名づけたり」で拍子を踏んで立廻。

橋掛りへ進み二ノ松で向き直ると、左手に団扇を取って松に寄り、ワキに向かって面を切ると、右手に団扇を取って構え、舞台に進んでワキの乗る車に寄ります。
ワキが「聴我説者得大智慧」と声を上げ「吽多羅托干満」と謡って地謡に。

シテは「明王諸天はさて置きぬ」と謡い、地謡で角へ出ると「東を見れば」の謡に正先へ胸差。「山王権現」と謡いつつサシて常座へ。地謡の「山風神風吹き払へば」の謡に、流レ足で風に漂う様を見せ、「さしもに飛行を翅も地に落ち」と、伸び上がる形からストンと落として橋掛りへ。
「立ち去ると見えしがまた飛び来たり」で幕前まで進んでから戻り、「かほどに妙なる仏力神力」の謡に、橋掛りの欄干に足をかけて「今より後は来たるまじと」と数珠をワキに向かって投げ捨て「言ふ声ばかり虚空に残って」で幕に走り込みます。
「姿は雲路に入りにけり」と謡の残り留。
新しく整えられた小書だけに、趣向の凝らされた演出で、たいへん面白く拝見しました。

それにつけても、林宗一郎さんと坂口貴信さんという今後の観世流の中心的な存在になろうかというお二人。能二番とも堪能させていただきました。
もう十年以上も前、渋谷の観世能楽堂で津田和忠さんのシテで嵐山を観た際に、林さんが子守、坂口さんが勝手と、お二人が後ツレで登場されて舞姿がたいへんきれいだったことが強く印象に残っています。
(72分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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善竹富太郎さん・・・

昨夜、そろそろ寝ようかと思いながら、ネットニュースを眺めていたところ、善竹富太郎さんが新型コロナウィルスによる敗血症で亡くなったとのニュース。正直のところ驚きを禁じ得ず、眠れない夜を過ごしました。
まだ40歳とのこと、本当にお若いのに、惜しい方を亡くしたと思います。人の命をほかの方と比較するものではありませんし、なにで、いつ亡くなっても、その重さは同じではあるのですが、それでも大好きな狂言師だっただけに、なんとも言い難い思いを感じています。
富太郎さんが出る舞台は、何を演じても狂言の楽しさが伝わってくるものでした。そのあたりはお父様の十郎さんに通じるところなのかも知れません。特に、わわしい女を演じると天下一品と思っていたのですが、本当に残念です。
心より、ご冥福をお祈りします

羅生門 粟谷明生(下掛宝生流能の会)

喜多流 国立能楽堂 2019.12.21
 シテ 粟谷明生
  ワキ 殿田謙吉
  頼光 宝生尚哉、保昌 野口能弘
  立衆 則久英志 舘田善博 大日方寛 平木豊男
  アイ 山本則直
   大鼓 亀井広忠、小鼓 飯田清一
   太鼓 林雄一郎、笛 杉信太朗

下掛宝生流能の会、昨年12月の会が三回目。2013年の第一回から2016年の第二回、そして2019年の第三回と三年ごとに開催され、その都度拝見してきました。長年能楽を観てきたなかで、ワキ方への興味が年々強くなってきた感じがしています。
ワキ方について想うところは色々とあるのですが、そのあたりは鑑賞記のあとで、少しばかり書いてみたいと思います。

さてこの羅生門、金春以外の四流が現行曲としていて、例の観世流演能統計でも60年間に13回ほど上演があるようなので、観ることが叶わないというほどではありませんが、そうは言ってもやはり稀曲の類でしょう。なにぶんシテは後半に登場し、ワキの渡辺綱と戦いの姿を見せますが、ひと言も発せず謡がありません。したがって羅生門の素謡にはシテが出ないという、本当に珍しい形。これではシテ方の先生方も積極的に「やろう」とは思わないだろうと想像します。

さて舞台には次第の囃子で頼光を先頭に一同が登場してきます。頼光は宗家宝生欣哉さんの二男尚哉さん、高校一年生とか。続いて保昌、立衆、そして最後にワキ渡辺綱の殿田さん。舞台中央で向き合っての次第謡で、左側の列が頼光、立衆の則久さん、大日方さん、右側の列が保昌の野口さんを先頭に、立衆の舘田さん、平木さん、そしてワキの殿田さんという形です。皆白大口ですが頼光のみ長絹に風折烏帽子、他は掛直垂に士烏帽子の姿です。
「治まる花の都とて 治まる花の都とて 風も音せぬ春べかな」と謡って頼光の名ノリ。大江山の鬼神を平らげてよりこの方、碓井貞光、卜部季武、渡辺綱、坂田金時の四天王などを集めて参会しているが、今日は春の徒然に面々を集め酒を勧めようと思う旨を述べ、サシの謡。一同が続けて謡い「八州の波も音せぬ九重の春ぞ久しき 九重の春ぞ久しき」とおさめます。
ワキが「まづかうかう御座候へ」と声をかけ、頼光がワキ座で床几に腰を下ろし、一同も着座します。酒宴の場となりますが、さてこのつづきはまた明日に
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羅生門のつづき

一同が着座し、頼光が「いかに面々」と語り出し酒宴の始まりです。
「誠に興も候はねども この春雨の昨日今日・・・」と続け「今日も暮れぬと告げ渡る 声も寂しき入相の鐘」と謡って地謡に。春の長雨の寂しさに、つはものが集まり酒宴を行う様子を謡います。
この間にワキが酒を汲む所作から立ち上がり、まずは頼光の前に座して酌をし、保昌にも酌をして自席に戻ります。
地謡はクセに移り、ワキの上げ端を挟んで、雨夜の物語に座も興じ近くに寄って話に花が咲いたと謡われ、この謡にワキは自席から立ち上がって正中に出、正面を向いて下居します。

頼光が保昌に声をかけ、保昌が答えると、近頃都に何か珍しいことはないかと尋ねます。保昌は九条の羅生門に鬼神が住み着き、日が暮れると人を通さないと聞いていると答え、他の面々もその様に聞いていると相鎚を打ちます。
しかしワキは保昌に、理に合わぬ事を仰るものだと咎め、羅生門は都の南門「土も木もわが大君の国なれば いづくか鬼の宿と定めんと聞く時は たとひ鬼神のすめばとて すませて置くべきか」と言い募り、いい加減なことを仰るものだと保昌を非難します。
保昌は、(頼光の)御前で(自分が)いい加減なことを言ったというのかと怒り、そう思うならば今夜にでも羅生門に行ってみたらよいとと言い放ちます。
ワキは、(保昌が自分を)羅生門まで行くことが出来ない(ような臆病者)と見限ったのか、そう思われるならば(羅生門に行き)しるしを立てて帰ってこよう、と言い立てます。ワキツレ一同が「満座の輩一同に これは無益とささへけり」と謡って、一同が綱を止めようとします。
しかしワキは、保昌に遺恨はないが、君(帝)の為にしるしをいただきたいと言って頼光に向かい、両手突いて願う形になります。
頼光は、たしかに綱の言うように君の御為でもあり、これを立て置いて帰ってこいと言いつつ札を取り出して投げます。ワキは「綱はしるしを賜はりて」と謡いつつ立ち上がって札を取りに行き、一度両手で捧げると左手に持ち、続く地謡で常座から正中へと進んで腰を下ろし「人の心を陸奥の安達が原にあらねども」の謡に頭扇の型。鬼を従えられなければ再び皆に顔向けすることはない、これまでなり、と謡う地謡を聞きつつ橋掛りに向かい、「やたけ心ぞおそろしき」の謡に一度常座で振り返って札を上げ、そのまま幕に走り込んで中入となりました。
さてこのつづきはまた明日に

羅生門さらにつづき

ワキの中入に続いて、頼光以下全員が幕に入ると、代わってアイ早打ちの登場。
括り袴に縞熨斗目、肩衣を肩脱ぎにし、右手に杖を持って「いそがしやいそがしや」と登場して常座に出、渡辺綱の身内に仕える者と名乗って前場の子細をあらためて語ります。
そして自分も羅生門に向かう綱に従おうと身ごしらえをしてやって来たと言いますが、誰かから声をかけられた様子を見せ、綱が一人で向かうので供はいらないと仰ったと伝えられた形になります。
ここまで来て惜しいことではあるが、その様なところに行けばきっと肝を消すともいうので、ここは帰ることにしよう。とはいえ(綱から)どうしたのかと問われたら、ここまで身ごしらえをしてやって来たが、供は不要といわれたので帰ったと申し上げてくれ、と誰かに告げるように言って退場します。

アイが下がると一畳台を大小前に出し、続いて紫の引廻しを懸けた小宮を出して、一畳台の右側いっぱいに据えます。すると一声の囃子。後ワキの出となります。

後ワキは鍬形の付いた黒頭に白鉢巻き、厚板に半切、法被を着て太刀を佩いての登場です。一ノ松にて後ワキの一セイ。かりそめの人の詞の争いから鬼神の姿を見るために出かけてきた様子を謡い地謡に。
「たけなる馬にうち乗って」の地謡の謡い出しで、一度幕前まで下がり「舎人をもつれず唯一騎 宿所を出でて二条大宮を」の謡に、ゆっくりと橋掛りを進みます。「南がしらに あゆませたり」でシテ柱近くまで進むと踵上げて下ろし一ノ松まで下がります。

続く地謡「春雨の 音もしきりに更くる夜の・・・」の繰り返す「音もしきりに」で向きを変えてゆっくりと舞台に進み、「九条おもてにうつて出て」で角に出「羅生門を見渡せば」と作り物を見やります。
「物凄まじく雨落ちて」と目付柱を見、「俄に吹き來る風の音に 駒も進まず髙嘶きし」で両手で手綱を取る型。「見ぶるいしてこそ立ったりけれ」の謡に常座に下がって足拍子を踏みます。
いよいよ羅生門の鬼の登場となりますが、このつづきはまた明日に
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羅生門さらにさらにつづき

地謡は大ノリとなり「その時馬を乗り放し・・・」と謡い続けます。
ワキは謡に合わせる形で、一度一ノ松へ向かうと改めて舞台に進み「羅生門の石壇に上がり」で常座から台上へ。「しるしの札を取り出し」と札を右手で掲げます。
「壇上に立て置き帰らんとすれば」と台を降りようとしますが「うしろより兜の錣をつかんで引き留めければ」の謡に引廻しが少し下ろされ、シテが姿を現してワキの黒頭を掴みます。
「すはや鬼神と太刀抜きもって 斬らんとするに」でワキは太刀を抜きますが、シテが「取りたる兜の緒を引きちぎって」と引廻しを下ろして出、ワキの黒頭を引き取ります。ワキは「おぼえず壇より飛びおりたり」と台横へ。

「かくて鬼神は怒をなして 取りたる兜をかっぱと投げ捨て」で、シテは宮の後ろから出て黒頭を左手に持ち投げます。「その丈衡門の軒に等しく両眼月日のごとくにて綱をにらんで立ったりけり」と地謡が謡い、シテは台を飛び降り働になります。
シテ、ワキが闘う様を見せ、働の最後でシテは台上に戻ります。

ワキが「綱は騒がず太刀さしかざし」と謡い、地謡が続けます。シテは台を降り、ワキとの戦いを続けますが、「飛び違いちょうどきる」でワキが斬る形。「切られて組みつくを払ふ剱に腕打ち落され ひるむと見えしが脇築地のぼり」と続く謡に、シテは台を踏みつつそのまま幕に走り込みます。
「虚空をさしてあがりけるを 慕ひゆけども」と、ワキはシテの姿を二ノ松まで追いますが、舞台に戻ると角で構え、最後は「綱は名をこそ あげにけれ」の謡に、太刀を肩に担って留拍子を踏み、終曲となりました。
(51分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

ワキ方のための曲と言っても良い構成ですが、事前に頂いた解説にはワキが引き立つように作られた曲だが、それでいてシテを引き立てるというワキの本分と両立させるのが難しく、ワキ方の秘曲として非常に大事にされてきたとあり、なるほどと思う一番でした。
また下掛宝生流では、宗家ないし宗家に準ずる方でないと、羅生門のワキを勤めることができなかったそうですが、今回は門下を代表する形で殿田謙吉さんが勤められたとのことでした。

大変面白く拝見しましたが、一方で私個人としては、複式夢幻能の僧ワキのようなワキのあり方もたいへん好きです。
同じ下掛宝生流の安田登さんが書かれた本の話も以前書きましたが、幽霊として現れるシテに昔語りを勧め、シテを成仏に導くワキのあり方は、世界の演劇の中でも希有の存在ではないかと思います。
この数年、カウンセリングについて学んでいますが、カウンセラーに強調される「傾聴の姿勢」は、ワキのあり方そのもののように感じられます。いずれ機会を見てこの辺りの話も書いてみようと思います。
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二人袴 山本則俊(下掛宝生流能の会)

大藏流 国立能楽堂 2019.12.21
 シテ 山本則俊
  アド 山本則重 若松隆 山本則秀

MUGEN∞能の際に二人袴を観て、本当に久しぶりだったという話を書きましたが、その後一月も経たないうちに再び二人袴を観る機会に廻り会いました。今回はメモも取ってありますので、少しばかり舞台の様子を書いておこうと思います。

舞台には舅の則重さんが、太郎冠者の若松さんを従えて登場してきます。舅は段熨斗目に素袍上下、士烏帽子の出立。太郎冠者は縞熨斗目に肩衣を着け、狂言袴の常の形。
舅は、今日は最上吉日で聟殿が見えるというので準備をするように、と太郎冠者に言いつけて着座します。

すると父の則俊さんが段熨斗目着流しの姿で登場し常座にて名ノリ。最上吉日なので息子を聟入りさせようと言って一ノ松へ。幕に向かって息子を呼び出します。
呼ばれて息子が姿を現します。紅白段着流しで登場してきますが、何をしていたのかという父に、子供と遊んでいたと返事。どうも聟入りしようというにはたよりない感じを漂わせます。
二人して舞台に入ってやり取りになりますが、聟入りせよという父に、何かくれれば聟入りしようという息子。何が欲しいのかと問うと、「弁慶の人形」と「えのころ」が欲しいということで、父は買う約束をします。「えのころ」は子犬の意。
さらに息子は一緒に着いて来てくれと父に言います。父は人を雇って行かせようと言いますが、息子は父でなければ嫌だと言い張り、結局父が門前までついて行くことにします。

身支度をするようにと父が言い、常座で後見が手伝って息子の背に畳んだ袴を括りつけます。
父が先に立って一度橋掛りに出、一ノ松から父が案内を乞います。父が太郎冠者と話している間に、息子は二ノ松あたりで袴を着けようとしますが、うまく袴を穿くことが出来ません。太郎冠者が主人のもとに来訪を告げに行っている間に、父が手伝って袴を着けさせます。
まずは息子が舅に挨拶することになり、舅の前に出た息子は「不案内でござる」と挨拶し、舅が「初対面でござる」と返します。
この時代の挨拶の形のようで、他曲でもこの形をよく耳にします。ともかくも息子が挨拶すると、太郎冠者が、親御様もお見えになっていると主人に告げます。
主人は親御様も呼ぶようにと命じますが、父に「内の者(雇われ人)」だと言えと言われていた息子は、あれは内の者だと言います。しかし太郎冠者が、親御様を見知っていると言い、重ねて主人が親様を呼ぶようにと命じたので、それならば自分が行くと息子が言って橋掛りへと向かいます。

息子は、舅、太郎冠者いずれもから、「太郎冠者が迎えに行く」と言われて断りますが、舅に対する言い方と太郎冠者に対する言い方に違いがあるのも面白いところ。舅にはやや丁寧に、太郎冠者には使用人に対する物言いということでしょう。
さてこのつづきはまた明日に
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二人袴のつづき

息子が迎えに来ると、父は内の者だと言わなかったのかと質しますが、太郎冠者が見知っていたとのこと。やむなく息子の袴を父が着け、太郎冠者に急かされて父が舅の前に出ます。挨拶を済ませると、舅は太郎冠者に、息子を呼びに行くようにと命じますが、父も太郎冠者を抑えて自分で迎えに行くと外に出ます。

再び息子が袴を着けて舅の前に出ることにします。父は今度聞かれたならば、父は帰ったと言うように息子に言い、息子は再び舅の前に出ます。しかし舅が親御様が見えぬと言い、太郎冠者に迎えに行けと言います。息子が父はもう帰ったと言うと、舅は太郎冠者に追いかけて止めよと命じたので、また息子が自ら呼びに行くと外に出ます。
息子と父が外でもめていると、両人揃って出るようにと舅から言われ太郎冠者が迎えに来ます。困った二人が袴の取り合いをしているうちに、袴が前後の二枚に裂けてしまいます。

二人は裂けた袴をそれぞれ前に着け、うしろを見せないように横歩きしながら舅の前に出ます。二人が着座し盃事となり、舅が太郎冠者に命じ盃事が始まります。
それぞれが太郎冠者に盃を持って行けと言って、太郎冠者が盃を持ち歩き、三人が何度か盃をあけて盃事が終わります。
さてそれではと、舅が息子に舞を所望します。父は息子は不調法なので舞えないとさかんに言い訳しますが、舅の求めに息子が舞いましょうと答えてしまいます。息子が舞を舞うことになりますが、後ろを見せないようにするため座ったままで小舞の「盃」を舞います。
舅はなぜ立って左右に舞わないのかと言い、今度は立って舞うように求めます。差し障りがあって立てないと押し問答になりますが、度々の舅の求めに、息子が立って舞いましょうと答えてしまいます。
今度は「桑の弓」を舞いますが、うしろを見られないように回るときに舅や太郎冠者の目を他へ向けさせ、その間に急いで回って舞い納めてしまいます。左右に回らなかったと言う舅に、よそ見をしていたからだと父、息子が言いますが、それなら三人で相舞にしようと舅が言い、三人で「雪山」を舞います。
舞の途中で太郎冠者が、父と息子の後ろ姿を見て気付き声を上げます。舅も気付いて大笑いし、父と息子は面目ないと逃げますが、舅が追いかけて終曲。
やはり本当に面白い一番でした。
(38分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

この日は最初に友枝昭世さんのシテで三輪の舞囃子があったのですが、地謡が宝生欣哉さんを地頭に下掛宝生流の皆さん。ワキ方の地謡でシテ方が舞う舞囃子は始めて観ましたが、珍しいというだけではなく、実に味わい深い一番でした。
三輪の能は何度か観ていますが、正直のところ能一番を観たような満足感を感じたところです。なんだかスゴいものを観てしまったという感じがしています。
下掛宝生流能の会、次はまた三年先になるのか、楽しみに待ちたいと思います。
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大社 駒瀬直也(観世九皐会定例会年末公演)

観世流 矢来能楽堂 2019.12.28
 シテ 駒瀬直也
  龍神 観世喜正、天女 小島英明、官人 遠藤和久
  ワキ 野口能弘
  ワキツレ 野口琢弘 吉田祐一
  アイ 若松隆
   大鼓 柿原孝則、小鼓 飯田清一
   太鼓 梶谷英樹、笛 栗林祐輔

年末公演とありますが、実は10月13日に予定されていた定例会が、台風19号の接近により延期になり、その振替公演として開催されたものです。
台風19号では烈しい風雨により各地で河川が氾濫し、拙宅近くでも13日の早朝に那珂川が氾濫しました。幸い100メートルほど先で水が止まり、私の家は浸水を免れましたが、とても出かけられる状況ではなく、延期になっていてホッとしたところでした。

大社は例の観世流演能統計で195位と、滅多に上演されない曲で初見です。
実は本曲には残念な思い出があります。平成24年10月の国立能楽堂普及公演で、観世銕之丞さんのシテで大社が出て、間狂言が替エの神子神楽という番組。たいへん楽しみにしていたのですが、たまたま断れないゴルフ会が入ってしまい、やむなく断念しました。同じ銕之丞さんが銕仙会で、江野島を導者の替エ間でなさったときも、断れないゴルフのため断念。二度とも銕之丞さんというのも妙な偶然です。しかも国立の普及公演は10月13日と、本来の九皐会と同日だったわけです。神無月、出雲の神在月にちなんだ曲ですので、10月というのは意味がありますが、日まで同じだったとはこれまた不思議な偶然です。

さて舞台の様子ですが、まずは囃子方、地謡が揃うと後見が一畳台を運んできて大小前に据え、続いて紺地の引廻しをかけた小宮を出して台上に据えます。
真ノ次第が奏されてワキの出。大臣ワキですが、白大口に紺地に亀甲文様の袷狩衣、風折烏帽子の姿で、ワキツレ二人は赤大臣。舞台中央で向き合って次第「誓ひ数多の神祭 誓ひ数多の神祭 出雲の国を尋ねん」と謡って三遍返しの後、ワキの名乗り。当今に仕える臣下だが、今月は神在月とて出雲の国に諸々の神が影向され神事も様々に行われるので、この度参詣するのだと述べて道行の謡になります。
旅路を遙々と出雲国に着いたと謡いワキの着きゼリフ「心静かに神拝申さうずるにて候」に、ワキツレが「然るべう候」と答えて一行はワキ座に着座し、シテの登場を待つ形になりますが、さてこのつづきはまた明日に

大社のつづき

真ノ一声が奏されてシテ、ツレの出。
先にツレ宮人の遠藤さんが直面、白大口、無地熨斗目に水衣肩上げして登場し一ノ松へ。続いて前シテ、白大口、小格子厚板に茶系の褸狩衣、萩箒を持って三ノ松へ。シテは老社人の形ですが、装束付けをみると尉髪に水衣の老人姿で出ることもあるようです。
シテ、ツレ向き合っての一声から二ノ句、同吟と謡が続きます。二人は舞台に入り、ツレが正中、シテが常座でシテのサシ。さらに謡が続き下歌、上歌と謡って「宮人多き往来かな」と謡い納めつつ、立ち位置を入れ替えてシテが正中、ツレが角へ。
するとワキが立ち上がります。
ワキは、社内の案内を窺っていたところに宮人が数多やってきた、と言いシテに声をかけます。シテ、ツレの二人が出てきたところに、数多というあたりが能の面白いところでもありますが、ともかくもシテは見慣れぬ人だが何處からの参詣かと問いかけます。
シテ、ワキの問答から地謡の上歌「神の代を思ひ出雲の宮柱」の謡に、ツレはシテの後ろを回って角から笛座前に移って着座。ワキも脇座に座ります。
シテは「大和島根まで 動かぬ国ぞ久しき」とサシ込み開キして角へ。角トリして舞台を廻り正中から常座へ。「里も冬たつ気色かな」と繰り返す地謡を聞きつつ、サシ込み開キして正中に出、下居してワキに向きます。

ワキは当社の神秘を物語るように求め、打掛から地のクリ、シテのサシと続き、出雲大社の由来が謡われます。シテは萩箒を置き、肩上げを下ろして様子の変わったことを示します。
続くクセは居グセ。
クリの謡から続いて、出雲の大社は三十八社を勧請した地であるが、五人の王子があり、第一が阿受伎の大明神すなわち山王権現(現在の阿須伎神社)、第二が湊の大明神で九州宗像の明神、第三が伊那佐の速玉の神で常陸鹿島の明神、第四は鳥屋の大明神で信濃諏訪の明神、第五は出雲路の大明神すなわち伊予の三島の明神と現れ給うと、五人の王子の名を上げます。
十月一日の寅の刻に、神々が悉く影向されて様々に神遊をされるのだと謡われます。

謡はロンギとなり、シテは一度ワキの方を向いてから正面に直して立ち上がり、「白木綿かゝる玉垣に立ち寄ると見えつるが」と常座に進み、ワキを向いて正中方向にサシ込開キ。
「神の告ぞと言い捨てて 社壇に入りにけり 社壇の内に入りにけり」と正面を向いて開キ、宮の作り物に中入します。
さてこのつづきはまた明日に
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大社さらにつづき

シテが宮に入ってしまうと来序が奏されて、ツレが幕に入ります。
ツレも姿を消すと来序が狂言来序に代わり、アイの末社が登場してきます。登髭というのでしょうか髭のある面をかけ、括り袴に黄の水衣、末社頭巾を被った末社出立で常座に出、出雲の大社に仕える末社と名乗って、出雲の大社は日本第一隠れもない有難い神であると語ります。
神在月には諸神が影向あることなどを語り、当今に仕える臣下殿がご参詣され、末社にも臣下殿を慰めするようにとあったので罷り出たと言って「めでたかりける時とかや」と謡い出し、囃子に合わせて「やらやらめでたや めでたやな」と謡い舞いします。
末社がめでたく舞い納めて下がると出端が奏されます。

出端の途中から地謡が謡い出し、後ツレ天女が登場してきます。黄の色大口、水色に金で文様を描いた長絹、天冠の姿で登場して橋掛りを進み「光を添ふる気色かな」の地謡で常座に出てサシ込み開キ「我ハこれ 出雲の御崎に跡を垂れ 仏法王法を守の神 本地十羅刹女の化現なり」と謡います。
地謡が続けて謡う中、サシ込み開キして袖の露取って廻り「夜遊の舞楽は面しろや」の謡にワキ正で答拝して天女の舞に入ります。

常座で舞上げ、ノリ地で大左右開キ。角から正中へと出てサシ込み開キして腰を下ろします。
後見が引廻しを外し始め、天女は笛座前へ。「玉垣輝き 神体現れおはします」の謡に引廻しが外されて、悪尉の類の面に白垂に鳥兜、袷狩衣に半切姿の後シテ大己貴命が姿を現します。
ロンギとなり、夜遊の神祭で客人を慰めようと謡われて、シテは立ち上がり「三千世界の諸神は此處に影向なり」で台を降りて正中に。「とりどりの小忌の袖」と一廻りして正を向き「返す返すも面白や」の謡に開いて答拝、楽になります。
どっしりとした楽。出雲の大社の主神である大国主命にふさわしい重みのある舞です。
ゆったりと楽を舞って正中にて舞上げ。地謡の「舞楽も今ハ時過ぎて」で大左右、打込、開キから「更け行く空も しぐるゝ雲の」とサシ込み開キ、サシて廻り「沖より疾風 吹き立つ波は」の謡に常座から幕方を見「海龍王の出現かや」と雲扇して台上に上がり床几に腰を下ろします。

ここまででも十分に一曲の長さ、重さがありますが、さらにここで龍神が登場するという展開。さてこのつづきはまた明日に
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大社さらにさらにつづき

シテ大己貴命が宮に戻ると早笛が奏されて龍神が登場します。
面は黒髭らしいのですが、赤頭に龍戴を載せ、赤地の半切に袷法被、打杖に金の小箱を持って橋掛りを進み、一ノ松で「そもそもこれは海龍王とは我が事なり」と名のり、毎年龍宮より黄金の箱に小龍をいれ神前に捧げると謡って、続く地謡で面を切り舞台へと進みます。
「波を拂い 潮を退け」と角で後ろを向き「汀に上り御箱を据ゑ置き」で台前で箱を置いて「神前を拝し渇仰せり」と角へ下がって腰を下ろします。
地謡は大ノリとなり「その時龍神御箱の蓋を」の謡に、龍神が立ち上がって台に寄り「忽ち開キ」と箱の蓋を上げると、箱の中から小型の龍戴が出てきます。「小龍を取り出し 乃ち神前に捧げ申し」で取り出した龍戴を箱に載せて台上、左側に置いて立ち上がり「海陸共に治まる御代の」と常座へ回り「げにありがたき恵かな」とサシ込み開キして舞働。
龍神は舞台を廻り、最後はワキ正で腰を下ろして逆杖の形です。

シテがゆったりと「四海安全に国治まり」と謡い、地謡も大ノリで「四海安全に国治まって 五穀成就 福寿円満に いよいよ国を守るべしと 木綿四手の数々」とゆったりと謡い続けます。
「神々とりどりに 御前を払い」で天女が立ち上がり、「神あげのお山に上らせ給へば」で正中から龍神の後ろを通って橋掛りへと進み退場します。
地謡が調子を早め「龍神平地に波浪を起こし」と謡うに合わせ、龍神は波を蹴立てるような足使いを見せて「逆巻く潮に引かれ行けば」の謡に幕に走り込みます。

地謡は調子を戻してゆっくりと締め「諸神は虚空に遍満しつゝ」でシテ大己貴命も立ち上がります。「げにあらななる神ハ社内」で正先へ出て左の袖、右の袖と巻き上げて常座へ。繰り返す「げにあらたなる神ハ社内」で袖を直して開キ、「龍神は海中に入りにけり」で左の袖を返して留拍子を踏み、終曲となりました。

なかなかに豪華で面白い一番でしたが、作り物も様々に出ますし(金の小箱は初めて見ました)、天女の舞、楽、舞働と舞事も多く、これは上演するのが大変な曲だろうなあというのが正直な印象です。そのあたりが稀曲とされる理由なのかも知れません。
(100分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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二人大名 山本泰太郎(観世九皐会定例会年末公演)

大藏流 矢来能楽堂 2019.12.28
 シテ 山本泰太郎
  アド 山本則孝 山本凛太郎

二人大名は良く出る狂言ですので何度か観ていますが、このブログでは10年ほど前に日立市での「能楽座ひたち公演」で野村萬さんの通り、能村晶人さん(当時は野村扇丞さん)と吉住講さんの大名で観た際の鑑賞記があります。(鑑賞記初日月リンク
本曲は大藏、和泉両流にあり、またよく上演されるだけに演出も家々によって様々の様子です。今回は大藏流でもありますので、萬さんのときとの違いなどについて少しばかり書いておこうと思います。

まずは配役から。上記は九皐会の十月公演のときの番組表の記載です。年末公演の番組では、上段の泰太郎さんに「通りの者」、則孝さんに「大名甲」、凛太郎さんには「大名乙」と役名が書かれ、シテ・アドの表記はありません。
本曲は大名狂言の分類で、萬さんの時の鑑賞記にも書いた通り、大藏流も和泉流も大名甲をシテ、大名乙と通りの者をアド(和泉流では通りを小アド)とします。しかしながら通りの者を年長の役者が勤めることが多く、この場合に今回のように上段に年長者を書き、シテ、アドの別に代えて役名を記すように思います。

さて舞台はまず、大名甲の則孝さんと大名乙の凛太郎さんが登場し、乙は笛座前に座し、甲が常座に立って名乗ります。二人とも洞烏帽子を被り、段熨斗目に素袍上下です。甲の名ノリは「いづれもご存知の者」でしたが、和泉流狂言大成には「隠れもない大名」とあり、萬さんの時も扇丞さんが隠れもない大名と名乗りました。
続いて「今日は所用あって都へ上ろうと存ずる」と言い、、かねがね都に上るなら誘ってくれと云う人がいるので寄っていくといい、舞台を廻って大名乙のもとに向かいます。和泉流狂言大成には「野遊びに参ろう」とあり、萬さんの時も「野遊び」でした。
甲が、召し遣う者が誰もいなかったので自身太刀を持ってきたと言い、似つかわしい者が居れば持たせようと思うと述べ、乙が同意します。和泉流狂言大成では、甲が自身太刀を持って来たと言うと、乙は家を出る前に行ってくれれば誰かに持たせましたものをと言います。萬さんの時もこの形でした。

さて二人は都に向かい上下の海道にやって来て、似つかわしい者を捜そうと話し合い、休むことにします。野遊びの場合は野に腰を下ろす形です。上下の海道は都に通じる街道のことで、多くの人々が上り下りする大きな道の意です。
ここに都に上ろうと通りの者がやって来ます。誰か同道する者がいればぞうたん(雑談)などしながら都に行けるのだが、などと言いながら舞台を廻ります。大名達は似つかわしい者がちょうどやって来たと言い、男に声をかけます。和泉流では急ぎの使いとなっていて、使われる者は忙しいなどと愚痴を言いながら歩いてきます。
さてこのつづきはまた明日に
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二人大名のつづき

やって来た通りの者に大名甲が声をかけて、都に行くならば同道しようと言います。
通りの者は、同道する者が欲しいとは言っていたものの、相手が大名では相応しくないと断りますが、大名達に是非にと求められ同道することになります。
大名甲が通りの者に無心したいことがあると言い、先に礼を言います。何を頼むのか明かさずに礼を言うのは怪しい限りですが、通りの者がともかくも頼みを聞くことにすると、太刀を持ってくれという次第。通りの者は断りますが、大名は太刀に手をかけて脅します。通りの者が太刀を持つことにすると、只今のは戯れ言と言って通りの者に太刀を持たせます。
大名はなかなかの持ちぶりだと褒めます。通りの者はこれに気をよくしたのか、誰か知っている人が通ったならば、「やいやい太郎冠者おるかやい」と呼んでくれたならば、「御前に」と答えようなどと言います。
以前の鑑賞記にも書きましたが、どうもこの段が私には今一つ腑に落ちません。この後、通りの者の仕返しに場面が展開していくわけですが、いきなり脅かされて太刀を持たされたことに腹に据えかねているなら、わざわざ頼まれもしないのに「太郎冠者と呼んでくれ」などと余計なことを言い出さなくても良い様に思います。
まあ太刀の持ちぶりを褒められて気をよくしたという事なのだろうとは想像しますが、なんだかしっくりしない感じが残る部分です。

なお和泉流狂言大成では、シテ大名甲が小アド往来人に太刀を右に持つように求めます。主人の太刀は右に持つものだと言われて、小アドは自分は身内の者ではないと言い返しますが、大名は、身内の者ではないけれど持ってくれと頼んだからには同様にして欲しい。と重ねて頼み、往来人も右に持つことにして、太郎冠者と呼んでくれという段になっていきます。萬さんの時もこの形でした。大藏流はこの「太刀を右に」のやり取りがありませんが、通りの者が仕返しする理由づけに和泉流ではこのあたりを膨らませたのかも…などと想像しています。

この後、通りの者は、抜いた太刀で二人の大名を脅して小袖と腰の物を取り上げ、鶏の蹴り合いや犬の噛み合いの真似をさせます。これは和泉流と逆順で、鶏が先、犬があとになっています。
最後はおきゃがり小法師の真似をせよということになります。「京に京にはやる おきあがり小法師 やよう とのだに見れば ついころぶ ついころぶ 合点か 合点か 合点合点合点じゃ」と謡って左右に起き上がり小法師よろしく体を振るもの。和泉流とは少しだけ詞章が違います。また通りの者に求められて、大名甲は、これは面白そうなと言う形になっていて、これまた流儀によるか家によるか、ともかく違いのあるところです。
二日にわたって細かい違いを書き連ねてみました。全体としては同様の曲ですので、観た印象はあまり変わりませんが、面白い一番でした。
(24分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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通小町 長山耕三(観世九皐会定例会年末公演)

観世流 矢来能楽堂 2019.12.28
 シテ 長山耕三
  ツレ 永島充
  ワキ 則久英志
   大鼓 柿原弘和、小鼓 大倉源次郎
   笛 寺井久八郎

通小町は割と好きな曲で、これまでも三度鑑賞記を書いています。観世の山本順之さんと故関根祥六さんの二番は雨夜之伝の小書付。喜多の粟谷明生さんの時は小書無しの上演でした。今回は観世流ですが小書がありませんので、まずはオーソドックスな通小町ということになりそうです。
これまでの記録もありますので、今回は簡単に、これまでの記録との違いなどについて記しておこうと思います。
観世流山本順之さん喜多流粟谷明生さん観世流関根祥六さん

ワキは常の通り無地熨斗目着流しに茶系の絓水衣、角帽子の姿で、名宣笛で登場し常座に。名ノリの後ワキ座に腰を下ろしツレの出を待ちます。
ツレは紅入唐織着流し、左手に木の葉の入った籠を下げ常座に出て次第を謡います。
これまでの鑑賞記では、山本さんの時のツレ鵜澤久さんは姥の姿で。祥六さんの時の武田尚浩さんと、明生さんの時の長島茂さんは、無紅唐織着流しの中年の姿で登場しました。今回は若い女性ですが、観世流の装束付けではこれが本来の形です。
これまでの鑑賞記に、この曲のツレの扱いについては様々に書いてきましたので、ご参照頂けると良いのですが、もともとは前ツレは老女で出て中入りし、後で若い女として出たのだろうと言われています。これをツレが中入りしない形に整理する中で、最初から若い女で出してしまおうというのが装束付けの形。それではなんとなくしっくりしないというので、様々な演出が試みられているようです。

ともかくも登場したツレとワキとの問答では、木の実尽くしの謡が印象的ですが、やり取りはあまり長くはありませんで、ワキが「御身は如何なる人」と問い、名乗る代わりに「市原野辺に住む姥」と言って女は姿を消してしまったという地謡に、ツレは後見座にクツロギます。

ワキが、「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ 小野とはいはじ薄生いけり」という小野小町の歌を思い出し、さては先ほどの女は小町の幽霊かと気付いて、小町の霊を弔うことにして上歌。
「この草庵を立ち出でて」で立ち上がり、左右と出て左右と下がり腰を下ろします。草庵を出て市原野辺に到り座したまでをわずかに四足で現すところが、また能の能らしいところ。ともかくも合掌して「南無幽霊成等正覚」と唱え小町の霊を弔います。
さてこのつづきはまた明日に
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通小町のつづき

一声が奏されて幕が上がり、無地熨斗目を被いたシテが姿を現します。ツレは後見座から立ち上がり常座に出、シテが一ノ松に立って、ツレの謡「嬉しのお僧の弔ひやな」になります。ツレが「戒授け給へお僧」と謡うと、シテがすかさず「いや叶ふまじ・・・」と謡い出します。

昨日書いたとおり、ツレが後見座にクツロギ、一声でシテが出てくる今回の形が、現行曲としてはオーソドックスな演出ですが、たまたまこれまでに鑑賞記を書いた三番は、いずれもツレが中入する演出でした。粟谷明生さんの演能レポートを読むと、この平成21年の粟谷能の会での通小町では、ツレの中入に関して、中入から後ツレの出までの時間が短いことから、前ツレは中年の女の形にしたことが書かれています。詞章に合わせ姥にしてしまうと、白髪から鬘も替えなくてはならず、装束替えがかなりの負担になります。このため姥姿はあきらめたとありました。
粟谷能の会を観た際は、喜多流はこういう形なのかと思ったのですが、これはあくまでも明生さんの演出ということのようです。

ふと気になってネットで検索していたところ、YouTubeに1973年後藤得三さんがなさった時の動画がアップされているのを見つけました。配役からみてDVD版の能楽名演集に収録されているものと同じではないかと思います。
シテが後藤得三さん、ツレが粟谷新太郎さん、ワキが松本謙三さんで、囃子方は大鼓が安福春雄さん、小鼓が幸祥光さん、笛が藤田大五郎さんという名手揃いの一番。私が能を見始めたのが1974年頃ですが、幸祥光さんは1977年に亡くなっていて最晩年。あまり舞台を拝見した記憶がありません。安福春雄さんや藤田大五郎さんは何度も拝見した懐かしい方々です。
ともかくも、その後藤得三さんの上演を観ていると、ツレの粟谷新太郎さんは前場から紅入唐織着流しで出て、後見座にクツロイだ様子です。カメラワークの関係ではっきりとは確認できないのですが、ワキの待謡から一声が奏されて、さほど間を置かずに常座辺りに出てきた様子が映っていますので、幕から出たのではないと思われます。
続くシテの「いや叶ふまじ戒授け給はば・・・」の謡は幕の内からで、ツレと掛け合いで謡い続け「はや帰り給へや お僧たち」までを謡い、地謡のロンギ「なほもその身は迷ふとも」を聞いて、ここで幕が上がりシテの後藤得三さんが熨斗目を被いて姿を現します。
喜多流もこちらの方が現行の基本的な演出ということのようですが、一声ではシテが出ず、ロンギまで幕内からの謡になるところ、今回の観世流の形とは大きく違います。

いささか長くなってしまったので、このつづきはまた明日に
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通小町さらにつづき

今回は、シテが一ノ松で熨斗目を被いたまま謡い続けてロンギ。
地謡に続けて、ツレは「人の心は白雲の・・・」と謡いゆっくりと大小前から正中へと向かいます。シテはツレを向き「褁めども我も穂に出でて」と謡いつつ熨斗目を落とし、黒頭に痩男の面、無紅厚板に黒の褸の水衣を肩上げにした姿を現します。

雨夜之伝の小書が付いた山本順之さんと故関根祥六さんの時は指貫で、山本さんは褸の単狩衣、祥六さんはモギドウと、装束にも様々な形がありました。小町への思いに苦しむ四位の少将を表現するため、シテが様々な工夫をしているのが窺えます。

姿を現したシテは「招かば止まれかし」と右手で招く型。ツレの謡を聞いて「さらば煩悩の犬となって」と謡いつつ向きを変えて橋掛りを歩み出し、ツレの謡「恐ろしの姿や」を聞いて、「袂を取って」と舞台に入り「引き止むる」とツレの袂を取ります。
シテ、ツレ二人が並んだ形になり、ワキが小町と少将の幽霊と認め、車の榻に百夜通った所を「まなうで」御見せ候へと言葉をかけます。
「学ぶ」は現在では勉強するという意味だけになってしまいましたが、もともとは真似をするの意味で、見習ってその通りにすることから、師の教えを受けるあるいは勉強するといった意味になっていったもの。幽霊に、生前の様を再現してみるように言うときに、ワキが「まなうで」と声をかける場面が多々見られます。
幽霊に生前の出来事をまなうでみせるように勧める、能にはよく見られる表現ですが、誰が何時こんなことを思いついたのか、またそれをなぜ演劇に組み入れたのか、考えると実に奥深いものがありそうです。羅生門の鑑賞記にも書きましたが、この幽霊に生前の出来事をまなうでみせるように勧めるというのは、カウンセリングの傾聴にも通じるものと感じています。

さてワキの勧めで百夜通いの様を見せるシテ、ツレは、掛け合いの謡でその折の様を謡いつつ、シテが常座で後見から笠を受け取り謡い舞いします。
この笠がここでの鍵になっている様子で、笠を差し出し、また頭上に差し上げるなど、笠の扱いに様々な思いが象徴されるようです。「身一人に降る 涙の雨か」とシテは角で謡いつつ持っていた笠を上げて足拍子を踏み、立廻となります。
雨夜之伝の小書では、この立廻が変化するわけですが、ここは通常の形で舞台を廻り常座の少し前あたりで「あら暗の夜や」と謡って笠を両手で掲げ下ろします。
この後は仕舞でも舞われる部分。「月は待つらん 月をば待つらん」笠を左の手に。「あかつきは」から七つ拍子踏んで角に出、笠を使って舞いつつ「独人寝ならば辛からじ」と下がって腰を下ろします。九十九夜を数え「今は一夜よ」と小指を残して、面を上げて立ちあがり大小前へ。
「笠も見苦し」で笠を落とし、扇を出して謡い舞いしますが、「衣紋けたかく引きつくろひ」で拍子二つ踏むと、ここから「飲酒は如何に」という突然の飲酒戒の詞章になっていきます。
「小野小町も少将も、ともに仏道なりにけり」と常座にて合掌し、扇を広げて留拍子を踏み終曲となりますが、この突然の展開はなんとなく違和感があるとこれまでの鑑賞記では書いてきました。
この部分には古くは省略された場面があったという説もありますが、一方で、生前の出来事を再現することで成仏のきっかけが得られるのであれば、ここは百夜通いの様を見せたことで、既に成仏の機縁を得たのだと、そういう解釈もありだなあと、今回の舞台を観ていて思った次第です。
(56分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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