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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

観世九皐会定例会年末公演について

昨年末の九皐会の鑑賞記を書き終えたら、なんとなく達成感を感じてしまい、またまたブログ更新が遠くなってしまいました。
この間に緊急事態宣言は解除され、自粛を続けてきた各種営業も再開されてきました。しかしながら「新しい生活様式」が求められているものの、実際にどうしていけば良いのか、なかなかに難しいところです。
能楽師の皆さんもネットを使っての遠隔稽古に取り組むなど、様々な工夫をされている様子です。能の公演も徐々に再開される見込ですが、座席数を減らして密にならないようにするなどの対策もとられるようです。

私自身は、これまで営業活動も思うようにできなかったため、しばらくは仕事のほうに追われそうですが、観能も少しずつでも再開していきたいと考えています。

さて今年に入ってからは能楽公演が一斉に中止された3月末までの間に、1月の金春会で御裳濯を観、3月には能を知る会横浜公演で藍染川を、そして3月22日に三人の会で清経、松風、船弁慶を観ています。順次、鑑賞記を書いていこうと思いますが、今年の公演の前に、昨年末の九皐会について少しだけ書いておこうと思います。

先に鑑賞記に書いた通り、九皐会の年末公演は10月の定例会が台風19号により延期されたものです。特別な会ということでしょう、冒頭に喜正さんからの御挨拶があって開演となりました。
さらに通小町の終演後には、附け祝言ではなく祝言連吟として猩々が謡われました。新年を間近に迎える暮れの28日、喜之さんを筆頭に目出度く謡い納めた感じで、気持ち良く席を立ちました。
すると能楽堂の玄関先には能楽師の皆さんが立ってのお見送り。よいお年をお迎えくださいの声に送られて能楽堂をあとにしました。たいへん気持ちの良い公演でした。
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御裳濯 佐藤俊之(金春会定期能)

金春流 国立能楽堂 2020.01.26
 シテ 佐藤俊之
  ツレ 中田能光
  ワキ 野口能弘
  ワキツレ 野口琢弘 大日方寛
  アイ 大藏教義
   大鼓 柿原光博、小鼓 田邊恭資
   太鼓 三島元太郎、笛 小野寺竜一

世阿弥の作とも言われる曲で、金春流の地謡方をされている渡邉愼一さんのサイト「金春ニュース」を拝見すると、「世阿弥が金春禅竹に相伝したとされる『能本三十五番目録』が本曲の初出」だそうです。世阿弥の時代からの古い曲ではあるのですが、金春流のみの曲となっています。手持ちの解説書の中には金春、喜多二流が演能すると書かれたもののあるのですが、どうやら喜多流は現在では廃曲の扱いにされた様子です。

さて本曲は、伊勢の神宮の鎮座をめぐり、倭姫の命が神鏡を奉じて場所を探し回っていたところ、興玉の神に案内されて、現在の地に到ったという話をもとにした脇能です。「倭姫命世紀」や「神皇正統記」に見える話だそうで、このあたりが原典になっていると言われます。

舞台は囃子方、地謡が座に着くと真ノ次第が奏されて、ワキ臣下とワキツレ従臣が登場してきます。
次第「山も内外の神詣 山も内外の神詣 二見の浦を尋ねむ」が三遍返しに謡われワキの詞。当今に仕える臣下だが、この度は伊勢大神宮に参詣し、これより二見の浦をも訪れようと言って道行。いすゞ川に清き流れの景色を謡い、ワキの着き台詞。はや石の鏡に着きて候と言い、心静かに神拝しようとワキ座に下がります。
真ノ一声が奏されてシテ、ツレの出。ツレの男が先に立ち、シテの老人があとから出ます。ツレは段熨斗目に浅黄の褸水衣、先に出て一ノ松で振り返りシテと向き合います。シテは小格子厚板に白大口、茶の絓水衣を肩上げにし、右の方に朳を担っています。

一セイ、二ノ句と謡い継ぎ、二人「御裳濯川の 水ならん」と謡って、シテは肩の朳を下ろして右の手に持ち、アシライでツレ、シテの順で舞台に入ります。ツレが正中に出、シテが常座に立つと、シテのサシから二人の謡となり、下歌、上歌と続けて謡い、上歌の途中で立ち位置を入れ替えて、シテは大小前、ツレが角に立って謡いおさめます。これに合わせて立ち上がったワキが二人に声を掛けます。
このつづきはまた明日に
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御裳濯のつづき

ワキは、この小田を見るに「渇仰の気色」が見えるのはなぜかと問いかけます。
この「渇仰の気色」がいささかわかりにくいです。手許の野上豊一郎さんによる解註謡曲全集の御裳濯、昭和二十四年の版ですが、これではこの部分のワキの詞章は「これなる小田を見れば、田水豊なるに、なほ河水を水口にまかせ入れ、あまつさえ渇仰の気色見えたり」とあります。水が豊かとあるので、渇仰は深く仏を信ずる心持ちの意と素直に入ってきますが、当日のワキの詞では、小田を見れば渇仰の気色とあって、水が豊か云々の言葉がありませんでした。これだと、もしや田が乾いているので文字通りに水を欲しているのかとも思えてしまう感じがします。

ともかくもシテの老人はワキに向き合い、この田は神の御田で、さらにこの川は御裳濯川という神水なので、田水は豊だが神水を入れて祭事を行っているのだと答えます。

ワキは重ねて、御裳濯川とは何時の代から呼ばれている名なのかと問います。シテは十一代垂仁天皇の皇女倭姫が神鏡を奉じて国々を巡るうちに、二見浦から川沿いに上り、その折に汚れてしまった裳裾をこの川で濯いだので、御裳濯川と言うのだと答えます。
さらにツレがワキに向かい、その折に倭姫が田を作る翁に神が御鎮座されるような場所はあろうかと問うたと言い、これを受けてシテは、翁が川上に三十八万年の間、この山を守護してきた者がおり道を知っていると答えたことを語ります。
さらにこの時の田作りの翁こそ、今の興玉の神であると続け、ツレともどもに、その山を神路山、川を神路川といい、流れ久しく御影も濁らぬ御裳濯川の神徳深い水田なので、神に任せて田作りをしているのだと謡います。

ワキはこれを聞き、有難いことと感じた上で、御裳裾を濯いだ場所はどこかと問います。シテはワキに向き合い、それはこの瀬の辺りのことで、それ故この辺りを神が瀬というのだと答えます。
この神が瀬に、ワキは神風なら良く聞く言葉だが神が瀬とは面白いと言い、シテツレの掛け合いから地謡が「山のべの 御井を見かへり神が瀬の 伊勢の乙女ら あひ見ゆるかな」という古歌も、倭姫の古を詠んだものと謡います。

この歌は万葉集巻一にある「山のべの御井を見がてり神風の伊勢をとめどもあひ見つるかも」のようですが、この歌の神風を神が瀬に替え、いかにも古歌にあったかのように使っているところがまた能作者の腕かも知れません。
ともかくもこの地謡のうちにツレは笛座前に移り、シテはシカケ開キしてワキに向かって出て開キ。舞台を廻って常座に戻りシカケ開キしてワキに向き、四足ほど出て正中で下居。杁を置いて扇に持ち替えます。
さてこのつづきはまた明日に
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