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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

松風 川口晃平(三人の会)

観世流 国立能楽堂 2020.03.22
 シテ 川口晃平
  ツレ 山中迓晶
  ワキ 殿田謙吉
  アイ 山本則秀
   大鼓 亀井忠雄、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 松田弘之

以前書いたことがありますが、古来「熊野松風に米の飯」と言われ、熊野(ゆや)共々人気曲の筆頭にあげられる一曲です。ですが、このブログではまだ一度だけしか取り上げたことがありません。ということはこの十数年の間に2度しか観ていないという訳です。特に避けている訳ではないのですが、人気曲で上演も多いので、あえて観に行こうと努力しなかった結果かも知れません。

さて久しぶりの松風。舞台は正先に松の立木台が出されます。短冊がかけてありますが、これは後ほど意味を持ってきます。
名宣笛でワキの出、アイの所の者も一緒に出てきますが途中の狂言座に腰を下ろします。ワキは常座まで進み名ノリです。諸国一見の僧の設定ですが、津の国須磨の浦にやって来て曰くありげな松を見つけます。謂れを聞こうと橋掛りの方を向き、所の人を呼び出します。
呼ばれて進み出たアイに、ワキは松に札を打ち短冊がかけられているが、どのような謂われがあるのかと問いかけます。この問答で、この松は古、在原行平が愛した松風、村雨という海士の墓標とわかり、ワキ僧は二人を弔うこととします。
問答から囃子のアシライ。ワキは正中に出ると「さてこの松は」と二人の名残の松を謡い出します。この間にアイは切戸口から退場。謡い終えたワキは、弔ううちに日も暮れてきたので、ここにある海士の塩屋に立ち寄り、一夜を明かそうと言ってワキ座へと向かい着座します。
囃子は真ノ一声。囃子が始まると同時に後見が汐汲み車を持ち出して角に据えます。しばし囃子を聞いてシテ、ツレの出。
ツレが先に立ち、紅入唐織腰巻にして水衣肩上げ、左の手に桶を持っています。後から出たシテは紅入唐織に水衣の同装ですが、こちらは桶を持っていません。橋掛りで向き合い、一声「汐汲み車 わづかなる うき世にめぐる はかなさよ」と謡いツレの二ノ句。続けて同吟で「月さへぬらす 袂かな」と謡って囃子のアシライ。
二人は歩み出してツレが正中、シテが常座に立ってシテのサシ。「心づくしの秋風に 海はすこし遠けれども」と謡います。
さてこのつづきはまた明日に
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松風のつづき

二人は、かの行平の中納言が詠め給うた浦の景色に、行平と思いを交わした自分たちの思いを重ねて謡います。「かの行平の中納言が 関吹き越ゆると詠め給ふ」と謡う一節は、続古今集に採られた行平の歌をふまえてのもの。
この二人の謡を地謡が引き取り、下歌で月の出汐をいざや汲もうと謡って上歌。「かげはづかしき我が姿」の謡い出しで、シテはやや面を伏せた様子です。さらに地謡からシテのサシ「おもしろや馴れても須磨のゆふま暮」から、シテツレの思いは夜汐を汲むことへと向かいます。
シテツレの謡から再度地謡になり、ツレは大小前に行き、シテは少し前に出ます。「芦辺の 田鶴こそ立ち騒げ」の謡にシテはワキ正を向いて下を見、面を上げて左右を見廻す形。「更け行く月こそさやかなれ」の謡に、目付柱の上方に月を見る心。「汲むは影なれや」とやや面を伏せ「焼く塩煙」に面を上げるなど、謡に合わせて所作を見せます。
さらに汐汲み車の後ろに腰を下ろし、「影を汲むこそ心あれ」と扇で汐を汲み上げ、汐汲み車の桶に流し入れます。繰り返す「影を汲むこそ心あれ」を聞いてから、扇を閉じたシテは立ち上がり、ロンギを謡い出す地謡に、後ろを向いて常座に戻ります。

ロンギでは汐汲む様が見どころ。地謡が「さしくる汐を汲み分けて」と謡うに合わせてツレが前に出て、汐汲み車に桶を載せ引き綱を伸ばします。シテが「これにも月の入りたるや」と謡うと、地謡を聞きつつツレはシテに引き綱を持たせ、シテの後方に回ります。
地謡の「影は二つ満つ汐の夜の車に月を載せて」の謡に綱を引き汐汲み車を引く形です。影が二つ、満つに三つをかけ、さらに四から夜を引くという謡。最後は「憂しともおもはぬ汐路かな」と納め、シテは足拍子一つ踏んで引き綱を落とします。後見が引き綱をまとめて車を下げると、シテは常座で床几に腰を下ろし、ツレはワキ正側に下居。ここでワキが立ち上って、塩屋の主が帰ってので宿を借りようと思う旨を口にし、常座を向いて案内を乞います。

ツレがワキに誰何し、ワキは一夜の宿を借りたいと申し出ます。ツレが取り次ぐと、この手の問答の型通りにシテはあまりに見苦しいので宿は貸せないと言います。これを伝えたツレとワキとの問答に、シテが「暫く」と扇を上げてツレに声をかけ、月の夜影に見れば出家の様子、夜寒の折、お泊まりあれと言うように命じます。
ツレがワキを招じ入れる形になり、ワキが地謡座前に座し、ツレはシテの横に下居して、シテワキの問答となります。
さてこのつづきはまた明日に
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松風さらにつづき

シテは、最初から宿を貸したいとは思っていたのだが、あまりに見苦しいので否と言ったのだとワキに言います。ワキはこれを受けて、ここに至ったいきさつを行平の歌を交えながら語り、磯部の松を松風村雨の旧跡と聞いて弔ったと話します。この言葉にシテ、ツレがシオリ、これに気付いたワキはどうしたことかと問いかけます。
二人は、思いが形に現れてしまったと言い「執心の閻浮の涙」と口にします。この言葉に、ワキはこの世に亡き人の詞であろうと言い、二人に名を名乗るように促します。
ワキに促されて、シテ、ツレは自らが松風村雨の幽霊であると明かし、行平との三年にわたる日々の思い出と、都に戻った行平がほどなく亡くなったと聞いての恋しさと語ってシオリ、地謡に。
地謡の「須磨の余りに 罪深し跡弔ひてたび給へ」に二人はワキを向いて合掌します。続く地謡の「恋草の露も乱れつゝ」を聞いて、ワキとツレが立ち上がり、ワキはワキ座に、ツレは笛座前、地謡の前あたりに腰を下ろします。

クセとなり「あはれ古を 思ひ出づればなつかしや」を聞いてから、後見がシテに寄り烏帽子と長絹を渡します。
「御立烏帽子狩衣を 残し置き給へども これを見る度に 弥益の思草葉末に結ぶ露の間も」と続く謡に、シテは長絹を持ち上げ思いを込めてじっと見る形。一度手を下ろしますが「形見こそ今はあだなれこれなくは 忘るゝ隙もありなんと」の謡に再び長絹を持ち上げてじっと見、続く「よみしも理やなほ思こそ深けれ」の謡に、ストンと手を下ろすと右の手を上げてシオリます。
上ゲ端の後、地謡の「かけてぞ頼む同じ世に」を聞いて立ち上がったシテは、三足ほど出て正面を向き、両手に持った長絹を上げてじっと見「捨てても置かれず」と手を下ろすと「取れば面影に立ち増り」と長絹を抱く形になります。続く謡に、左から回って大小前で一度幕の方を向き、正面に直して「せんかた涙に伏し沈む事ぞ悲しき」とおさめるクセの謡に、二足ほど下がり安座して長絹を持ち上げシオリます。

アシライが奏されて物着。シテは烏帽子、長絹をつけます。
一度松の方を向いたシテは正面に向き直り、シオリして「三瀬河絶えぬ 涙の憂き瀬にも 乱るゝ恋の 淵はありけり」と謡い出し、松を見ると「あらうれしやあれに行平の御立ちあるが 松風と召されさむらふぞやいで参らう」と立ち上がります。

シテは松に寄ろうとしますが、ツレが立ち上がってシテの後ろに回り止めます。ツレは、その御心の故にこそ執心の罪に沈まれたのでしょう、娑婆の妄執をお忘れになれないのかと言い、あれは松、行平はお出でになりませんとシテを諭そうとします。この言葉にシテは大小前に下がりますが、「うたての人の言事や あの松こそは行平よ」と言い、たとえ暫く別れたとしても「まつとし聞かば帰りこんと 連ねし言の葉はいかに」と、行平の歌を引き、逆にツレを諭します。
いよいよシテの思いが募り舞へと高揚していく場面となりますが、このつづきはまた明日に
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松風さらにさらにつづき

シテの言葉に、ツレは「実になう忘れてさむらふぞや」と言い、待てば来ようという言葉を松風は忘れずに待っていたが、その音信を聞けば村雨も袖を濡らすと、ツレとシテで謡い繋ぎます。待つに松風、袖を濡らすに村雨と、二人の名を織り込みつつ謡い、シテ「まつに変らで帰りこば」ツレ「あら頼もしの」シテ「御歌や」と謡って、地謡の「立ち別れ」の一句を聞きながら二人はシオリつつ立ち位置を入れ替え、ツレは地謡座前に。シテはそのまま橋掛りに入り、二ノ松まで進んでからイロヱ掛りで常座に出て中ノ舞を舞出します。

中ノ舞を三段に舞って常座でシテのワカ。
「立ち別れいなばの山の峯におふるまつとし聞かば今かへりこむ」古今集に採られた行平の歌。本曲の主題ともなる一首ですが、これを「立ち別れ」と「いなばの山の」以下に割って、間に中ノ舞を挟んだ形。私も大好きな場面です。
さらに「それはいなばの遠山松」とシテが謡い、地謡が「これはなつかし君こゝに」と謡い継ぎます。気持ちの昂ぶったシテは「我も木陰に いざ立ち寄りて 磯馴松の」の謡に、松の立木台に寄ると松を抱く形です。「なつかしや」と思いを込めて謡う地謡に、破ノ舞となります。

短い破ノ舞で松の前を通って舞台を廻り、キリ。
松に吹き来る、と招キ扇して舞台を廻り、大ノリの「暇申して」から、「帰る波の音の」とグッと締まった平ノリの謡に変わり、シテは「関路の鳥も声々に夢も跡なく」の謡にワキ柱の方に向けて雲扇。「松風ばかりや残るらん」の謡のままに、徐々に姿を薄れさせていくような留。名残惜しい一曲となりました。

川口晃平さんは、これまで割と激しい役で拝見していましたので、松風のような曲はどうなんだろうと思っていたのですが、松風らしい松風と言えばよいのか、しみじみと思いの深い一番でした。
また当日は坂口さん、川口さん、谷本さん三人それぞれの師匠である、観世清和さん、梅若実さん、観世銕之丞さんの仕舞が予定されていたのですが、会場に行ってみると梅若実さんは梅若紀彰さんが代役とありました。では本曲の地謡はどうなるのかと思ったのですが、仕舞のみの代役で、地頭は実さんが勤められました。この地謡が見事で、この一番の味わいの深さも地謡に依るところもたいへん大きかったと感じた次第です。
(108分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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船弁慶 重前後之替 坂口貴信(三人の会)

観世流 国立能楽堂 2020.03.22
 シテ 坂口貴信
  子方 谷本康介
  ワキ 宝生欣哉
  ワキツレ 大日方寛 御厨誠吾
  アイ 山本則重
   大鼓 亀井広忠、小鼓 飯田清一
   太鼓 林雄一郎、笛 杉信太朗

これまでも何度か書いてきたように、もしかして「面白い能」という意味では船弁慶が一番なのではないか、と密かに思っています。本ブログでも小書あり、小書無し、あわせ何度か取り上げており、重前後之替も銕之丞さんのシテで鑑賞記を書いています。

あらためて整理しておくと、船弁慶の観世流シテ方としての小書には、前後之替と重前後之替それに白式の三つがあるとされています。現在の大成版にも能の小書としてこの三つが書かれています。しかし実際に白式の小書が付いたものは観たことがありませんし、そういう公演情報も少なくともこの数年、見かけた記憶がありません。
普通に白式というと、後シテが上下白の装束を着ける小書と思うのですが、現在、重前後之替でも後シテは白の装束を着けるのが普通ですし、演出によっては前後之替でも白の装束を着けることがあるようです。五十五世梅若六郎が昭和32年に「船弁慶 重前後之替・白式」を演じて芸術祭文部大臣賞を受章したという記録がありますが、もしかすると以前は白式の小書が付いたときだけ後シテの装束が白になったのかも知れません。
ちなみに大正11年発行の観世元滋による訂正著作五番本には、小書として「前後ノ替」と「重キ前後替」のみが記載されています。

前後之替と重前後之替の違いは主として舞の部分です。前場では小書無しの場合、イロヱから中ノ舞となるところ、前後之替では、イロヱが省かれて中ノ舞の途中で橋掛りに行ってシオル型が入ります。重前後之替では、イロヱが省かれた後、中ノ舞が盤渉序ノ舞に代わります。また後場では、いずれの小書でも後シテの出が半幕の後に早笛で走り出る形になり、また波を蹴立てる足を使ったりなどの変化があります。さらに重前後之替では、流レ足を使ったり、残リ留の形になるなど、よりダイナミックな演出がされます。

金剛流の白波之伝もよく似た小書ですが、これまた大変に面白い小書と思います。
今回は重前後之替ですが、何カ所か省略されているような所に気付きました。密度の高いものを目指されたのかも知れません。いずれにしても坂口さんの熱演でして、あらためて舞台の様子を書き記しておこうと思います。
明日につづきます
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船弁慶のつづき

さて舞台には次第の囃子で、子方を先頭に、ワキとワキツレ二名が登場してきます。
子方は義経ですので、白大口に法被、梨子打烏帽子に白鉢巻という出立。ワキは弁慶ですので山伏姿で、兜巾を着け白大口に縞の水衣、篠懸をかけています。ワキツレ二名は白大口に厚板側次、梨子打烏帽子に白鉢巻の姿です。
舞台中央で次第を謡い、ワキの名ノリ。判官が頼朝の代官として平家を亡ぼした後、さる子細あって西国へ下ることとなり、津の国尼崎大物浦へと急いでいるという簡単なものです。観世の本では、讒言があって頼朝と義経が不和になり云々の話があり、他流でもシテ方の本にはこのあたりが書かれているようですが、下掛宝生流の本ではこの極めて簡単な形になっています。

ワキの名ノリを受けて三人のサシ。ここで頼朝義経不快の由が謡われ、子方が都を離れて西国方へ志したと謡います。この後のワキ、ワキツレの謡、下歌、上歌は省略されてワキの着きゼリフ。大物浦に着いたので「かうかう御座候へ」と一同に言い、子方がワキ座の床几に腰を下ろすと、ワキは橋掛りの方を見込み、静御前がついてくるか見やる形になります。
ワキは静御前が来るのを見定めた態で、子方義経に向かうと、ここから静御前を帰そうと奏上します。
観世の謡本の形では、ワキの名ノリ、ワキワキツレのサシ、子方の謡、ワキワキツレの下歌、上歌、ワキの着きゼリフの後、ワキはこの地に知り合いがいるので宿を申しつけようと言ってアイを呼び出します。アイとのやり取りの後に一同が宿に入り、ワキが橋掛りの方へ静御前の様子を見に出る形です。これはこれまで鑑賞記を書いた、前後之替の小書付でも、重前後之替の小書付でも同じでしたが、今回は大幅に省略された形です。
この省略された形は金剛流の白波之伝のときと同じ展開なのですが、今回の特別な演出なのか、重前後之替ではこういう形もあるのか、そのあたりは判然としませんでした。しかし、当日のような能三番、しかも大曲ばかりの中では、極めて見どころの多い本曲ですので、こうした省略も効果的なのではないかと思いました。

さて義経から、ともかくも計らえと言われたワキは、立ち上がると橋掛りへ向かい、一ノ松から幕に向かって静を呼び出します。
すると幕が上がり、シテ静御前が紅入唐織着流しで姿を現して、なんの使いかと尋ねます。
さてこのつづきはまた明日に
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五雲会を観に宝生能楽堂へ

ようやく「能楽見物に出かけても良いかなあ」と思えるようになってきて、先月の奥川さんの会につづき、今月は久しぶりに五雲会を観に宝生能楽堂に行ってきました。
五雲会に前回行ったのは3年以上前になりますか・・・宝生能楽堂も久しぶりの感じです。

今回の五雲会は、澤田宏司さんの龍田、小倉健太郎さんの半蔀、上野能寛さんの忠信の能三番に、狂言が隠狸という番組。ひさびさに、コロナ以前のような番数の会でした。
もちろん入場時には両手の消毒や体温測定などもあり、チケットの半券も自分で切るという形。
座席は、もともと五雲会が全席自由だったのでどうされるのかと思ったのですが、脇正、中正と、正面の通路を挟んだ左側の3ブロックが前後左右に一席ずつ間を空けた形で、正面の真ん中のブロックのみ間を空けない、かつてのような形です。座席数としては半分よりはだいぶん多いかなというところ。けっこう賑わっていました。ロビーでは飲食をしないようにということで、食事をする場合はグリル宝生の席を使ってという形でした。
いずれ、鑑賞記も書いておこうと思っています。

なお、三人の会、坂口さんの船弁慶の鑑賞記が途中になっていますが、スマホの機種変更をしたり、五雲会に出かけたりで更新が間に合わず、明日と明後日で残りを書くつもりです。

船弁慶さらにつづき

ワキとシテの問答となり、判官が静に都へ帰れと仰せになっているとのワキの言葉に、シテは弁慶の差し金ではないかと疑い、判官に直接返事をすると言います。これを受けてワキは先に橋掛りを進み、正中に出ると両手を突いて義経に静が来た由を奏上し、地謡前に着座します。
シテは一度、常座に立って子方に向き合うと、正中まで出て下居。子方が声をかけます。子方義経は、静に都に上るようにと言い、この言を聞いて静も納得をするわけです。地謡が静の心情を謡いシテ静はシオリ。
子方が静に酒を勧めるように言い、ワキはシテに酒を勧めようとしますが、シテは「涙にむせぶばかりなり」とシオル形。ワキが門出とさらに勧め、シテは「その時静は立ち上り」と立って「渡口の郵船は 風静まって出ず」と謡いつつ、目付柱方を見やって正に直します。
地謡が続ける中、ワキは烏帽子を取って立ち上がり、烏帽子を着けるようにとシテに手渡します。シテは笛座前にて物着。烏帽子を着けたシテは立ち上り「立ち舞ふべくもあらぬ身の」と謡いつつ舞台を一廻りして大小前へ。地謡に左右して正に直します。ここで常の形ではイロヱが入りますが、小書きにより省略されてシテのサシ。地謡の「勾践の本意を 達すとかや」の謡に扇を上げてユウケン。クセに入ります。
本曲のクセは、これまでも何度も書いていますが、たいへん好きな部分で「功成り名遂げて身退くは天の道と心得て 小船に棹さして五湖の 遠島をたのしむ」と、舞台を回ったシテが大小前でサシ込開キして六拍子を踏み、扇を広げて打込むあたりは、詞章と所作の作り出す世界に酔いしれます。
上端を謡って上扇から大左右、「御身の科のなきよしを」と義経の前に下居。立ち上がると左に回り、常座でサシて角へ。「終にはなびく青柳の 枝を連ぬる御契 などかは朽ちし果つべき」の謡に扇をカザして左に回り大小前で左右すると、ご兄弟の契りは朽ち果てるものではなし、いずれ頼朝も理解されるでしょうとの思いを訴えるように、子方義経に再度向き合いあいます。
ここから「唯たのめ」と地謡が謡われるなか、扇を閉じつつ常座に向かったシテは盤渉序ノ舞を舞います。ゆったりと舞い出しますが、二段で橋掛りに向かい一ノ松あたりへ。下がって下居しシオリます。橋掛りから舞台に戻ると常座で上扇してワカ「唯頼め しめぢが原の さしも草」と謡い出します。序ノ舞は二段で舞い上げてしまった形ですが、さてこれまで観た船弁慶ではどうだったのか。記憶では小書のあるなしにかかわらず三段に舞ったと思うのですが・・・
ともかくも、シテは地謡の「かく尊詠の偽りなくは やがて御代に出舟の」で常座でサシて正中に進んで下居すると「船子ども はや纜をとくとくと」の謡に角を向いて立ち上がり招き扇。謡の調子が変わったのに合わせて、気持ちを振り切った態。「勧め申せば判官も 旅の宿を出で給へば」で子方が立ち上がり、ワキも両手を突いて船出の形。
「静は泣く泣く」と謡ったシテは、烏帽子の紐を引いて落とし、シオリつつ立ち上がり「見る目もあはれなりけり」の地謡を聞いて中入りとなります。
このつづきはまた明日に
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船弁慶さらにさらにつづき

シテの中入ですが、笛が森田流の杉信太朗さんなので送リ笛はなく、しんと静まりかえった中をシテが幕に向かいます。送リ笛があると風情ある趣になりますが、静まりかえった空間をシテが歩む形もまた独特の緊張感があって、いずれも捨て難いと思っています。

さてシテが幕に入ると、アイ山本則重さんが進み出てワキ武蔵に語りかけます。これまで観た観世の船弁慶では、アイは進み出るとまずは立ちシャベリ。その後ワキに話しかける形でしたが、今回は進み出て直ぐにワキに話しかけます。しかも今回は、シテが登場する前の冒頭でのワキとのやり取りもありませんので、独特の流れになっていました。金剛の白波之伝でも、冒頭のワキとのやり取りはありませんが、中入ではワキがアイに静御前を送るようにと声をかけ送り込みの形になっています。それとも異なった形でした。

さてこのワキとのやり取りで、ワキが最前話した船の用意は出来ているかと問い、これにアイが用意は出来ていると答えます。ワキが正中に出るとワキツレの大日方さんが声をかけ、義経が逗留したいとの仰せと告げます。このやり取りから直ぐに船を出すべきということになり、ワキはアイに船を出すように命じ、アイが幕に走り込んで船を携えて走り出てきます。ワキ座前に船を据え、一行が船に乗った形。
ここからはアイの腕の見せ所。毎々思うのですが、背景や大道具など場面を構成するものがほとんどない舞台で、観客のイマジネーションで舞台を作り上げていくのが能楽なので、当たり前ではあるものの、アイ船頭の言葉と様式的な所作のみで荒れる海が表現されていくことに驚きを禁じ得ません。
ワキツレが、この船にはあやかしがついているというやり取りは省略され、荒れる海に翻弄される船中では平家の一門の幽霊が海上に浮かび出た様子に驚きます。ここで子方義経が今更驚くべからずと落ち着いて言葉をかけて地謡。宗家清和さんが地頭を勤める地謡が恐ろしき様を謡うなか、半幕でシテの姿が垣間見えます。

シテは幕内から「抑もこれは 桓武天皇九代の後胤 平知盛幽霊なり」と謡い「あら珍しや義経 思ひもよらぬ浦浪の」と声をかけます。地謡が「声をしるべに」と謡い継ぎ、幕は一度ゆっくりと下ろされます。地謡が繰り返すと早笛が奏され、あらためて勢いよく幕が上げられて、白の袷狩衣に法被を着け、鍬形の付いた黒頭のシテが走り出てきます。

シテは謡にあわせ、橋掛りを使いながら義経一行に迫ろうとします。舞働キとなり、シテは流レ足で一ノ松へ。さらに流レ足で二ノ松に進むと一ノ松に戻り、もう一度二ノ松まで下がると長刀を振りつつ舞台に戻ってきます。子方に迫ったところから常座まで下がって小廻り。すると義経が「その時義経少しもさわがず」と謡って立ち上がり、シテとの斬組。地謡が謡うに合わせて「悪霊次第に遠ざかれば」と橋掛りへ下がり幕前に至りますが、ここから「なほ怨霊は 慕ひ来るを」と再び立ち向かう気配です。しかし弁慶に祈り伏せられ幕に走り込み、ワキ弁慶が後を追う形でワキ留。
キリッと引き締まった素敵な舞台でした。

それにつけてもこの日の三番、地頭が観世銕之丞さん、梅若実さん、観世清和さんという三人の師匠方。地謡もそれぞれの家らしい謡で、そういう意味でも豪華な会でした。
(76分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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