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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

夜討曽我 十番斬 大藤内 佐久間二郎(三曜会)

観世流 国立能楽堂 2020.12.05
 シテ五郎 佐久間二郎
  ツレ十郎 永島充
  ツレ団三郎 坂真太郎 鬼王 谷本健吾
    古屋五郎 角当直隆 御所五郎丸 長山耕三
    宿直の侍 中森健之介 同 奥川恒成
  十番斬ツレ 平子師重 青木健一 吉香経貞 中所宜夫
        岡部忠光 松山隆之 堀成景  馬野正基
        宇田国宗 鵜澤光  愛甲季隆 奥川恒治
        海野幸民 桑田貴志 原清益  小島英明
        臼杵惟信 北浪貴裕 新開忠氏 遠藤和久
  ワキ仁田忠常 福王和幸
  アイ大藤内 野村万作 狩場の者 野村萬斎
   大鼓 亀井広忠、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 松田弘之

十二月は三曜会、第九回佐久間二郎能の会を観に行ってきました。
佐久間二郎さんのシテは何度か拝見していますが、硬軟どんな曲でも「さま」になる方と感じています。長刀の扱いも見事で、これまでの三曜会でも船弁慶、橋弁慶と演じられていますが、ご自身も自信を持っておられるのかなと想像しています。
その佐久間さんが十番斬をなさるというので、コロナは気になるものの、思い切って出かけました。
番組に先立って佐久間さんの挨拶があり、コロナ禍の中でこの公演が開催できたことは本当に感激との話がありました。これを受けて番組の最初は立川談四楼さんのお話。解説という訳ではなく四方山話の態。佐久間さんと日頃親交があるということで、その経緯から、コロナ禍での芸能、芸術に携わる方たちの苦労などを交えながらの話。番組冒頭のお話ということで、当日の番組・曲の解説を想像していたのですが、肩すかしを食らったような…とは言え、楽しい雑談を聞いて儲けたような感じでした。
番組はその後、小袖曽我の仕舞、羽衣の仕舞、狂言の成上りと続いて、休憩の後、夜討曽我となりました。

小袖曽我の仕舞を、佐久間さんの五郎、永島さんの十郎という夜討曽我と同じ配役で舞う、なかなか気の効いた番組構成。これから敵討ちに出かけようという十郎、五郎兄弟を描いた小袖曽我を番組冒頭にもってきて、敵討ちの場面である夜討曽我を最後に据える。しかも小袖曽我に続く観世喜之さんの仕舞羽衣は、敵討ちが行われた富士の裾野に間近き三保の松原を舞台とし、富士の高嶺を下に見て天女が天空へと舞い上がり姿を消すという曲。番組から凝りましたねぇというところです。
狂言の成上りも太刀にまつわる曲で、斬組にもつながりますが、一方で大変面白い曲でもあり、亡くなった枝雀の「緊張と緩和」ではありませんが、いろいろと考えて作られた番組なのだろうと想像しました。
夜討曽我の舞台の様子は、明日から書いていこうと思います。
ついでながら上記の番組の役名は、当日のパンフレットではなく観世流大成版の記載に依りました。例えば岡部忠光の「岡」は、三曜会のチラシでは罡の異字体でアミガシラの下が正ではなく止を書く字が書かれています。ワキの名前も三曜会では新田忠常と書かれていました。九皐会は大成版とは別系統の謡本を使うので、そのあたりの違いかとも思います。
明日につづきます
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夜討曽我のつづき

夜討曽我自体が、観世流ではあまり上演されない曲であるうえに、小書十番斬は特殊演出で登場人物も一挙に増え稀にしか上演されません。鑑賞記を書くに当たっては夜討曽我の前提となる曽我物語や、十番斬をめぐるあれこれなど、書いておきたいところです。
しかしそうすると、先日の忠信の鑑賞記と同様、舞台の様子に入るまでにまだまだ数日かかってしまいそうです。そこでとりあえず本曲の発端となる事件の概要を簡単に記し、続けて舞台の様子を書いた後、遡って曽我兄弟の敵討ちの話や、十番斬の話などを書いていこうと思います。

曽我十郎祐成、五郎時致の兄弟は、実父である故河津三郎祐泰を死に追いやった工藤祐経を討とうと、幼い頃から機会を窺ってきました。箱根寺に預けられていた弟五郎は、出家を嫌って出奔し元服して兄ともども敵討ちに向かうことを決意しますが、勝手な元服に怒った兄弟の母は五郎を勘当してしまいます。折りしも頼朝により富士の裾野での大規模な巻狩が催されることになり、祐経を討つ好機とみた兄弟は、忠臣である団三郎と鬼王の兄弟を従え巻狩に向かうことにします。十郎、五郎はまず母のもとに向かい、五郎の勘当を解いてもらいます。この場面は、別曲「小袖曽我」に描かれています。母のもとを立ち去った兄弟はいよいよ巻狩が行われる富士の裾野へとやって来ます。ここから本曲が始まります。

次第の囃子でツレ十郎が先に立ち、続いてシテ五郎、団三郎、鬼王の順で登場し、舞台に向き合って並びます。階に近いほうのワキ座側に十郎、目付柱側にシテ五郎。後座に近いほうはワキ座側に団三郎、目付柱側に鬼王が並ぶ形。
シテは士烏帽子を着け、紅入段厚板。大成版の装束付けでは白大口になっていますが浅黄の色大口、掛直垂、左手に弓、右手に矢を二筋。ツレ十郎もシテ同装。装束付けでは段厚板となっていますが紅入だったように思います。十郎には胸に文が見えます。団三郎と鬼王は無地熨斗目に素袍上下の姿。
次第で登場し次第謡の後、十郎が名ノリ。三名は下居して控えます。続くサシで三人が立ち、次の道行まで向き合って謡います。

道行を謡い終えると十郎が正面を向き、三人は下居して十郎の詞。
十郎は「いかに時致」と半身になってシテを向いて声を掛け、幕を打つように命じます。シテの「畏まって候」で、一同は立ち上がり、十郎はワキ座に、三人は後見座に一度クツロギます。
十郎がワキ座で床几に腰を下ろすと、シテが立って正中に出、団三郎、鬼王は後見座前で正面を向いて座します。
十郎が再び「いかに時致」と言い、シテは双手突キ礼で聞く形。十郎は、多くの幕が並んだ様子に頼朝の威光を感じ、その中に自分たちの幕の内ほど物さびたものはなかろうと述懐します。途中「君のご威光」あたりで階の先の方をみやって、うち並べた幕を見る心。「我等兄弟」からシテを見ての詞です。
シテはこれに答え、「さん候・・・」の後「さてかの」から体起こして十郎を見て詞。十郎の詞をはさみ「彼の祐経が事候よ」で両手広げて半立ちの形(腰引キ立テタ構エ)、自分は祐経のことを片時も忘れたことはないと十郎に言います。十郎が自分も忘れたことはないという言葉で腰を下ろし、十郎の、然るべく時を定めるようにという命を聞きます。
シテは今夜夜討ちしようと言い、十郎の「さらばそれに御定め候へ」で双手突キ礼の形で畏まり、十郎が「や」と声を出すと直します。十郎は故郷を出たときに、母に敵討ちのことを告げなかったことが心残りなので、鬼王か団三郎のいずれか一人に形見のものを持たせて故郷に帰したいと言い出します。この詞をシテ正面向いて下居のまま聞きます。
シテは十郎を向くと「げにこれは」と言い出し、一人と言えば承服しないだろうから二人ともに「御帰しあれかしと」と言いつつ双手突キ礼の形。
二人を呼べとの十郎の詞に、シテ「畏まって候」と言ってから体起こして立ち、後見座に近付いて団三郎、鬼王の二人に声をかけます。
さてこのつづきはまた明日に
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夜討曽我さらにつづき

団三郎、鬼王の二人は拝して立ちあがり、いっぽうシテは地謡座前に下居してシテ柱の方を向く形になります。団三郎、鬼王はワキ正に進んで下居し、十郎に向いて双手突キ礼の形です。
畏まった二人に、十郎は兄弟に言うことがあるが承知するか、承知しないか真っ直ぐに言えと命じます。何を命じるかは言わないままに承知するかと問いますが、団三郎は畏まり、何事も御諚を背かないと明言します。すると十郎は、今夜、祐経を夜討がけに討つことにしたが、自分たち兄弟が死んでしまうと、故郷の母が嘆くだろう。それが余りにいたわしいので、形見の品々を持って「二人ながら故郷へ帰り候へ」と言います。
団三郎は「これは思いも寄らぬ御諚」と体を起こし、御意も御意によってのことで、長年奉公してきたのも大事の時に真っ先かけて討死すべきためと言い「この儀に於いては罷り帰るまじく候」と双手突キ礼、続けて「鬼王さやうにては」と鬼王の方を少し見る形です。鬼王も、なかなかのことと返答し「罷り帰ることはあるまじく候」と団三郎を少し見つつ答えます。
二人の詞に十郎は、不思議なことを言うものだ、だからこそ先に言葉を固めたのにと言って、再度、帰らないかと問いかけます。団三郎が「さん候」と答えると、十郎は「汝は不思議なる者にて候」と言ってシテ五郎に向き「あれを御帰し候へ」と言います。
シテは「畏まって候」と答えて団三郎、鬼王に向き「何とて罷り帰るまじ」と申すぞと言い、さらに立ち上がって二人に寄り、そういうだろうと思って「始めより言葉を固めて・・・」と言いつつ下居。「何とて帰るまじいとは申すぞ」と扇で床を打つ形で二人に迫ります。
シテ五郎の勢いに、二人は罷り帰ると返事をします。これを聞いたシテは「おうそれにてこそ候へ」と直し、十郎に向いて双手突キ礼で二人が帰ると言っている旨を奏上します。シテは立ち上がって地謡座前に戻りワキ正方向いて座します。

団三郎と鬼王は向き合い、まず団三郎が鬼王に呼びかけ、進退が極まったと言います。鬼王も同調し、是非を弁えず、思うに何処でも命を捨てることが肝要であり、ここで団三郎と刺し違えようと返します。二人は扇を胸に入れ、片袖脱ぐと、団三郎が。たしかに何処にても命を捨てることが肝要で、いざ刺し違えようと言って、二人は胸を取り合い、鬼王が「尤にて候」と答えます。
ここでシテが立ち上がり、ああ暫くと二人を止めに入ります。続いて十郎が声をかけ、まず心を静めて聞くようにと言うと、三人双手突キ礼の形で十郎を見ます。十郎は、今夜此処で祐経を討ち、自分たち兄弟が死んでしまったならば、故郷の母に誰がこのような子細だったと語るのか。敬う人に従うのは君臣の礼、これを聞かなかければ後の世までも勘当だと言い、地謡となります。シテは立って地謡座前に戻り下居。地謡の「さらば形見を賜はらんと」の謡に団三郎、鬼王は体を起こし、続く「言ふ声の下よりも」で再び双手突キ礼、「不覚の涙せきあえず」と片シオリします。

クリで二人向き合って袖を直し、胸から扇を出して十郎を向くと双手突キ礼。
十郎のサシで二人は正面を向き、地謡に。「我等を隔てぬ習なり」で二人、十郎と向き合って再び双手突キ礼の形になります。
クセとなり、「今はの時に書く文の」で十郎は胸元から文を出して、何やら書きつける形。「老少不定と聞く時は」で団三郎が扇を広げ、立って十郎に寄り文を受け取って下がり下居します。「その時時致も」でシテも胸元から守りを取り出して鬼王を向きます。「時致は母上に添ひ申したると思し召せ」で鬼王は扇を広げると、立ち上がってシテに寄り、守りを受け取ると、下がって下居します。
十郎が「既にこの日も入相の」と謡って地謡となり、「さらばよ急げ」で四人向き合い、「涙を文に巻き籠めて」と団三郎、鬼王はシオリつつ立ってゆっくりと橋掛りへ。十郎は立って常座へ、シテも立ち上がって正中と角のあいだ辺りに立ち、団三郎と鬼王を見送る形。二人は目付柱の方を向き、十郎は立ったまま、シテは片膝立ててシオリ、大小のアシライで二人中入りとなりました。
さてこのつづきはまた明日に
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夜討曽我さらにさらにつづき

五郎、十郎が幕に入ると大小の拍子が速まり、オモアイ大藤内の万作さんが、女物の小袖を打ち掛けて、帯を左の手に提げて登場してきます。打ち掛けた衣も左右ズレており、風折烏帽子も曲がっています。よろよろと覚束ない足取りでワキ座に出ます。
続いてアドアイ萬斎さんの、狩り場の者が出て常座に立ちます。大藤内は祐経のところで旨いものを食っていたところ、騒ぎになり命を取られそうになって、太刀を持って逃げてきたと言って手に持った棒をもちあげますが、こりゃ尺八じゃと、尺八を太刀と思い込んで持ってきたことに驚きます。
大藤内のおびえ切った様子に、狩場の者はひとつ脅かしてやろうと言って、大藤内に斬られているのではないかと声をかけて不安にさせ、どれ見てやろうと言います。見て下されと言って大藤内が正中に出、いっぽう狩場の者は常座側から寄って大藤内の背中を見て「斬られている」と言います。
二人はすぐに分かれますが、大藤内は背中から倒れ、狩場の者は嘘じゃ嘘じゃと大藤内を立たせます。狩場の者は、祐経は曽我兄弟に討たれたのと言いますが、さらに大藤内を脅かしてやろうと、報告を受けた態で曽我兄弟が討ってくるぞと大藤内に告げます。大藤内は怯えて狩場の者に寄って袖を引きます。助けてくれと何度か袖を引きますが、二人もみ合いになり大藤内は倒れてしまいます。狩場の者は大藤内の目の前で、そりゃ討ってくるわと手を叩き、大藤内が助けて下されと追い、これを繰り返しながら退場します。
大藤内と狩場の者が退場すると、十番斬の小書きの形に入ります。

囃子のアシライで幕が上がり、十郎、シテの順で登場。二人とも直垂を肩上げにし烏帽子の紐を替えています。太刀を抜いて右手に持ち、十郎は左手に松明を振って橋掛りを進み、十郎が一ノ松、シテが二ノ松に立って、まずは十郎が「嬉しやな年月狙ひし親の敵 工藤祐経を討ち取りたれば」と謡います。
シテが続け、二人で交互に謡った後、二人ともに幕方に向き同吟で「いかに御所の面々確かに聞け」と謡うと正面に向き直って交互に名乗りを上げ、我と思はん人々は出で合ひ給へと謡って地謡になります。
二人は舞台に入り、地謡の一句目を聞いて十郎はワキ座に、シテは地謡前に行き、一方ツレ十人が出て橋掛りに並びます。「火花を散らして喚き叫んで戦うたり」で十郎が松明を投げカケリとなります。
十人が最初は一人ずつ斬り合いに出ます。最初に出た平子役の青木さんは仏倒れ。体が柔らかい様子でブリッジのような形になりなかなか倒れずちょっとハラハラしました。続く二人目吉香の中所さんは長刀。その後は、二人、三人と順に舞台に進みシテ、十郎と斬り合いになります。一気ニ安座などの型で斬られたことを表して切り戸から退場します。九人目まで斬って、シテは後見座にクツログぎ、十郎はワキ座に下がって地謡となります。
地謡の最初「平子を始めとして 十騎の兵たちまちに」を聞いて、シテは立ち上り一ノ松へ。シテは十人目新開役の遠藤さんと斬り組み「逃げ行くところを遁さじものを」の謡に逃げる新開を追って、ともに幕に入ります。
十郎はワキ座で太刀を構えたまま立っています。地謡が「仁田の史郎忠常は君の仰せを承り」と謡うに合わせて幕が上がり、ワキの出。白大口に立烏帽子で一ノ松に出て名ノリ、見参せんと呼ばわります。
十郎のそこを退くなよという言葉を聞いて、ワキは互いに名こそ恥ずかしけれと言ってカヽル謡「いで潔く勝負せんと」でワキは太刀を抜き舞台へ。「一上一下」で斬りあい「太刀鍔元より打ち折られて」でワキが十郎の太刀を打ち落とし、十郎を引き伏せて十郎は下居。
「立ち帰らんとせし程に」でワキは常座に歩んで立ち去ろうとしますが「早とく打てや」で十郎は右手を上げ、烏帽子をおさえて紐を解き「涙ながらに首打ち落として」でワキが十郎の首を落とした態となり、烏帽子を残して十郎は切戸から退場します。ワキは打ち落とした首の態で「御所へとてこそ急ぎけれ」の謡に烏帽子を抱えて幕に走りこみました。
ここまでが十番斬の小書きによる部分です。この後、小書き無しの夜討曽我の形に繋がりますが、このつづきはまた明日に
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夜討曽我またつづき

一声の囃子で幕が上がり、古屋を先頭に、御所五郎丸、侍二人が出て一ノ松から橋掛りに並びます。古屋は法被肩上げ、半切で、残る三人はモギドウ。「鬨を作って騒ぎけり」で舞台に入りワキ座から地謡座前に並びます。
早鼓の囃子でシテの出。左手に松明を持ち一ノ松で謡い出します。「此処彼処に」と左右に面を切って見まわす形で出て「屍を曝さん無念やな」と松明を投げます。
地謡でツレ四人がシテを向き、「鍔元くつろげ」で太刀に手を掛け構えます。シテは太刀を横に構えて「あらものしやおのれ等よ」と謡い、これを受けて四人は構えを直します。地謡でシテは太刀を前にして舞台に入り「太刀取り直し」の謡に常座で上段の構え。「かかりける処に」で古屋の角当さんが大小前でサシ込開キ、六拍子踏んで太刀を抜き「張良が秘術を」でシテに切りかかります。二人の斬り合いとなりますが、シテが古屋を討ち、古屋は前に倒れて切戸から退場します。
シテは後見座で直垂を脱ぎ、モギドウ白鉢巻の姿になります。ノリ地の謡で、宿直の侍二人は鏡板にクツロギ、御所五郎丸の長山さんが笛座前で白衣を被きます。立廻でシテは五郎丸に寄りますが、一度様子を見た後、常座に戻ってしまいます。
シテが「今は時致の運槻弓の」と謡い、地謡が続けると、五郎丸はシテを向いて笛座側から後ろに回り「むんずと組めば」でシテを後ろから抱き留めてしまいます。シテが誰何し、ツレが御所の五郎丸と名乗ると、シテは太刀を捨て二人揉み合う形になります。
「えいやえいや」と揉み合いつつ大小前まで回り、シテが五郎丸を投げて「時致上になりける処を」とガッシして正先に出ますが、宿直の侍二人がシテに寄って縄をかけ、そのまま幕へ引き連れていき退場。五郎丸がこれを見送って常座に立ち終曲となりました。
(80分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)

さて舞台の様子は以上でしたが、ひるがえって、そもそも曽我兄弟の敵討ちというのはどういう経緯だったのか、このあたりを再度書いておこうと思います。再度というのは、十数年前に宝生流佐野玄宜さんの小袖曽我を観た際の鑑賞記にも、このあたりの事情を書いておいたからなのですが、ここで改めて触れておきたいと思います。

日本の三大敵討ちというと、曾我兄弟の仇討ち、鍵屋の辻の決闘そして赤穂浪士の討ち入りの三つですが、歌舞伎はいずれも劇化しているのに対して、能では曽我兄弟の話のみが取り上げられています。能楽は室町期から体制側の芸能になっていたために、江戸時代になってからの鍵屋の辻や赤穂事件は取り上げられなかったのでしょう。
さてその曽我兄弟ですが、平安時代末期、現在の伊豆地方に勢力を張っていた豪族、工藤祐隆がそもそもの発端です。「工藤」に藤の字がある通り、工藤氏は藤原南家の系譜にあり、祐隆はその六代目だそうです。さてその祐隆の嫡男祐家は祐隆よりも先に亡くなってしまいます。祐家には祐親という子がいて嫡孫ということになるので、祐家に所領をすべて相続させれば、その後の事件は起きなかったかも知れません。
しかし祐隆は、後妻の連れ娘が生んだ子を養子にして工藤祐継と名乗らせ、伊豆半島の東半分にも及ぼうかという所領の大部分を与えてしまいます。一説には祐継は祐隆と後妻の連れ娘との間にできた子とも言われます。孫なのか子なのか、崇徳天皇のようでもありますが。
その祐継が早く亡くなると、伊東に所領を持ち伊東氏を名乗っていた祐親は、祐継の嫡男である工藤祐経の後見人となり、実質的にその所領を横領してしまいます。このため工藤祐経は伊東祐親をたいへん恨んでいました。
時に伊東祐親が巻狩を催した際に、工藤祐経は郎等二人を使わして、祐親の嫡男で河津に所領を持ち河津三郎と呼ばれていた祐泰を殺してしまいます。この河津祐泰の二人の子が一萬丸と箱王、後の十郎祐成と五郎時致です。祐泰の妻の満江御前は二人の子を連れ、同じく豪族の曽我祐信に嫁し、一萬丸は元服して曽我十郎祐成を名のり、箱王は箱根権現に稚児として預けられます。
伊東氏の一族は、平家方についたために以後没落してしまいます。一方、先見の明があったのか、工藤祐経は頼朝に仕えて頭角を現していました。十郎、五郎の兄弟は、父河津祐泰の敵を討とうと、長年工藤祐経をつけねらっています。箱王は出家を嫌って出奔し、北条時政を頼って元服して五郎時致を名のり、いよいよ兄弟敵討ちと、従者の団三郎、鬼王ともに出掛けるというのは、鑑賞記中に書いた通りです。
このあたりが曽我兄弟の敵討ちの経緯ですが、十番斬の話などは明日につづけようと思います。
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夜討曽我またまたつづき

さて十番斬の話に移ろうと思います。
以前、宝生流の高橋亘さんと、高橋憲正さんが夜討曽我をされた時の鑑賞記にも書きましたが、夜討曽我はなんとも中途半端な印象の構成になっています。前半では敵討ちを前にして、団三郎と鬼王を帰す別れの場面が描かれて味わい深い展開ですが、間狂言を挟んで、後場になると既に敵討ちは済んで兄十郎は行方不明。シテ五郎が登場し十郎に呼びかけますが、何度呼んでも返事はなく、十郎が討たれたと悟った五郎は、古屋や御所五郎丸などと斬り合いになり、郎等に捉えられて連れ去られる。なんだか盛り上がりに欠ける展開です。
曽我物語でも、五郎時致はこの時取り押さえられて翌日頼朝に尋問されたとあるので、この終わり方はやむを得ないと思うものの、劇としてみるともう少し何か欲しいという欲が出て来ます。十番斬の小書がいつ頃から出てきたのか分かりませんが、このちょっと物足りない感をうまく救ってくれるように思います。

私は小書の方がもともとの形で、小書無しの現行曲は省略された形なのか、と思ったりしていたのですがこれは間違い。小書は廃曲になった十番切を取り込んだものと思われます。
さてその廃曲の十番切ですが、謡曲三百五十番集収録の詞章によると、まずツレの二の宮という女が登場します。曽我兄弟が狩場のお供に紛れて祐経を討とうとするのを、「わらはも遁れぬ中なれば」宮仕えの隙をみて敵のもとへ導こうと思う旨を述べます。吾妻鏡や曽我物語には、この敵討ちの場で二の宮という女が手引きをしたという記述はありませんが、一方で曽我兄弟の姉が頼朝の御家人である二宮朝定に嫁しており、これを意識しての設定なのかも知れません。
続いて、シテ五郎、十郎の兄弟が登場します。すると二の宮が国々の武士の幕の内を詳しく教え聞かせて、祐経の幕を示し、涙ながらに退場します。兄弟二人は仮屋に忍び込み、それぞれが名乗って祐経を討ち「果報いみじき祐経も 二つになってぞ失せにける」となります。祐経の言葉なり謡なりは記されていませんので、祐経自身は登場せず、おそらくは烏帽子や直垂などをもって祐経に見立て、五郎、十郎が敵を討った様のみを見せるのだろうと思います。
ここから地謡が宿直の者達が慌て騒ぎ、兄弟に打ちかかる様を謡い、十番切りの活劇となる様子です。新開が謡い、十郎と斬り合った後に逃げますが、これを五郎が追いかけて中入となります。

後場では新田忠綱が登場し、十郎と斬り合いになります。しかし疲れ切った十郎は新田に攻められて受け太刀となり、打ち伏せられてしまいます。新田はそのまま立ち去ろうとしますが、十郎は新田に首を討てと言い、最後は新田が十郎を討って終曲となる形です。

小書の十番斬は、兄弟が祐経を討ったところまでが間狂言で示されるので、その後、宿直の侍たちが打ちかかってきたところから、新田が退場するまでを取り込んだ形です。
間狂言は、大藏流が大藤内を出す形ですので、おそらく大藤内がもともとの形だったのでしょう。しかし小書無しの夜討曽我では、全体のバランスの中で大藤内の部分が重くなり過ぎてしまう感じがします。和泉流の大藤内の小書に比べ、大藏流の形は少し簡略なようですが、とは言え小書無しの後場は短時間に場面が展開してしまうので、間狂言はシャベリの形のほうがおさまりが良いのかと思います。

それにつけても数多くの曽我物の中で、肝心の兄弟が敵の祐経を討つ場面があるのは、廃曲となった十番切だけです。しかも祐経は登場しない様子ですので、このあたりの能の処理の仕方は、本当に興味深いところです。
この項終わり
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